黒髪の勇者 第二編第一章 入学式 (パート3)
「やっと、到着したね。」
丘陵の陰に見える王立学校の尖塔を目撃してフランソワは、安堵したようにそう言った。
時は三月の末日である。一週間前にシャルルを出立した詩音とフランソワが、漸く目的である王立学校近郊へと到達したのである。
「長旅でございましたな。」
続けて、今回フランソワの護衛役を買って出たビックスがそう言った。他にも護衛の兵士は、ビックスの他に十名が同行している。
「シオン、疲れはない?」
「なんとか、ね。」
この旅で一番の疲労を感じていたのは女性であるフランソワではなく、おそらく詩音であっただろう。馬術はこの世界に迷い込んでから叩きこまれたとは言え、今もなお馬上で一週間という長期の期間を過ごすことはそれなりの体力を消耗する。現代日本で乗馬ダイエットなんて機械が流行するように、馬術は確かに脂肪燃焼には相当の効果がある競技だろう。だが、ビックスはともかく、詩音と同じように乗馬での移動を平然とこなすフランソワに対して、弱音を吐くような真似はどうしても出来ない。
「やはり、ビアンカ女王陛下へのご挨拶は後日ということになりますでしょうか。」
続けて、ビックスがそう言った。その言葉に、フランソワは少し考えるように、そうね、と呟く。
「今日は荷物を搬入するだけで手一杯でしょう?入学式はもう明日だし。」
そこでフランソワは後ろを振り返りながらそう言った。今回利用した馬車は一頭立ての、小型の馬車が一台だけである。本来ならフランソワ自身も二頭立ての馬車に乗るくらいの用意があってしかるべきだが、フランソワ自身、どうにもそういう華美な装飾を嫌がるらしい。それ以上に、馬車にいると馬との会話を楽しめないという、動物と会話できる力を持つフランソワならではの理由もある様子だったが。
「では、ご挨拶の日まで我々も王立学校に逗留致しましょう。」
「気持ちは嬉しいけれど、大丈夫よ。アリシアまでは数時間の距離だし。」
アリシアとはアリア王国王都の地名である。王立学校からは西におよそ十キロヤルク。徒歩でも二、三時間で到達する距離であった。
「しかし、万が一ということも。」
「そんなことを言ったら、王立学校にいる間ずっとビックスに居て貰わなければならなくなるわ。」
そこでフランソワは、苦笑いしながらそう言った。
「大丈夫です、ビックスさん。」
む、と顔を顰めたビックスに向かって、詩音は宥めるようにそう言った。
「フランソワの護衛は、僕がやります。」
「では、頼みますぞ、シオン殿。」
漸く諦めた様に、ビックスはそう言った。
やがて一行は丘陵を越え、周囲を森に囲まれている王立学校近隣へと辿りつく。周囲には明日の入学式を迎えるらしい、新入生たちの姿もちらほらと見えた。フランソワには同行しなかったが、どうやら入学者とその従者だけではなく、両親一族までもが訪れている集団もある様子である。案外あっさりとしたアウストリアと異なり、他の両親は、それも貴族ともなればそれなりに過保護にもなるのだろうか。
「単純に、そう言う訳じゃないけれど。」
詩音がそんな事を言うと、フランソワは肩を竦めながらそう言った。
「どういうこと?」
「一族総出で入学式を祝おうなんて考えるのは、実際は庶民の方が多いみたいね。そもそも王立学校に入学できる程の知恵を持った人間を育成するなんて簡単に出来るものではなし、王立学校卒業ともなれば庶民であっても官僚になることだって可能だから、一族の命運を期待して大挙して押し寄せるみたい。逆に貴族は、殆ど全員が王立学校に進学する訳だから、余程過保護な親でなければ今更珍しいものでもないの。両親だって王立学校を卒業している訳だし。」
「庶民にとってはここに入るだけで、コネ作りができるってことか。」
「そうでもないわ。案外、アリア王国は実力主義なの。王立学校を卒業できても、力量が無いと判断されれば容赦なく落とされるわ。逆に、力があれば学なんて無くても出世できる。ビックスが良い例よ。」
フランソワはそう言うと、ビックスの姿をちらりと眺めた。
「いや、お恥ずかしい。」
フランソワに言われて、ビックスが少し照れるように頭を掻いた。
「ビックスはこれでも、元カンタブリア騎士団三番大隊隊長だからね。アリア王国の歴史を見ても、庶民ながら大隊長になったのはビックスを含めても片手で数える程度しかいないわ。」
「そんなに、出世されていたのですか。」
驚きを隠さないままに、詩音はそう言った。
尚、カンタブリア騎士団とはアリア王国が所有する主力騎士団である。大陸一と呼ばれるアリア王国海軍に比べると規模、装備共に見劣りするものの、アリア王国の中核部隊であることには変わりない。そのカンタブリア騎士団は三つの大隊で編成されていた。その隊長は貴族であっても、そして魔術士であっても相当の実力がないと就任できない役職と言われている。
その大隊長に、ビックスが就任していた。以前軍を率いていたとは耳にしていたが、まさかそこまでの能力があるとは、詩音は思いもしていなかったのである。
「ビックスこそ、ロックバード伯爵にご挨拶に行った方が良いと思うわ。」
続けてフランソワは、ビックスをからかうようにそう言った。
「いや、軍務卿にご挨拶など、儂のような一兵卒がおいそれとできるものではありません。」
謙遜しながら、ビックスがそう答える。
「ロックバード伯爵?」
続けて、詩音がそう訊ねた。
「アリア王国の現軍務卿よ。元カンタブリア騎士団団長で、ビックスに王国の武術大会で負けた人でもあるわ。強力な魔術士なのだけどね。」
「姫さま、あまり老人をからかわないでくだされ。いや、ロックバード伯爵に勝てたのも運が良かったまでです。」
「魔術相手に、槍だけで勝ったのですか?」
単純に、剣士としての興味が勝った詩音がビックスにそう訊ねる。
「うむ、魔術は強力なれど、一度発動すると詠唱の時間が必要になる。その隙に近接戦に持ち込めば、体力では負けませんからな。」
簡単にビックスはそう言ったが、そんなに単純なものだろうか、と詩音は考える。魔術は海賊退治の際に発動したアウストリアのものしか見たことがないが、剣や銃器では簡単に勝てない術だということは一目見ても分かるからだ。
「とりあえず、ビックスの武勇伝は後に聞くことにして、とりあえず荷降しを始めましょうか。」
やがて、フランソワがそう言った。
目の前には、アリア王国王立学校と書かれた、重層な正門が鎮座している。今は開放されているが、門限を過ぎると鉄壁の鉄格子で封鎖されるものであるらしい。
その先が、王立学校の敷地内となっている。その王立学校は大きく分けて、三つの建造物から成り立っていた。
まず、正門から真正面にそびえる、レンガ造り三層建ての建造物である本館である。本館では主に座学講義の講堂としてあてがわれていた。大教室が複数設置されている建物である。
二つ目が、正門から見て右手側に位置している研究棟であった。ここには魔術や科学を問わず、様々な実験と研究を行う為の設備が整えられている。また、アリシアに設置されている王立図書館と匹敵する蔵書数を誇る、学校図書館もこの内部に設置されていた。
そして最後、正門から見て左手方面にある建物が寮棟であった。名前の通り学生の居住地区となっている場所である。勿論、教師や雑務と担当する用務員もこの寮棟に寝泊まりしている。食堂なども、この寮棟に設置されていた。
このように、大きく見てコの字型に配置されている王立学校の中央、正門と本館の間には中庭が設置されていた。通称ミッターフェルノ広場と言われる場所である。また、本館の裏には多目的に利用できる広大な平地が広がっていた。こちらは大規模な魔術実験や科学実験、それから学生たちのスポーツ競技に使用されているらしい。
さて、中庭にあたるミッターフェルノ広場である。そこには既に多くの馬車が停泊し、それぞれの荷降ろし作業が開始されていた。特に寮棟前の一角は馬車を止めるスペースが一切見当たらない。
「少し離れた所に止めるしかなさそうですな。」
貴族連中だろうか、見るからに豪華な馬車が複数台停車していることを見て、ビックスがそう言った。
「多少離れていてもかまわないわ。大砲を降ろすわけじゃないし。」
フランソワはそう言って笑うと、適当に馬を止めて下馬した。詩音とビックス、それに随伴した衛兵達もフランソワに続く。
「さ、早速作業を始めましょう。男子と女子は別の階みたいね。」
フランソワが懐から取り出した案内状を眺めながらそう言った。寮棟は敷地面積だけなら本館よりも巨大な、二階建ての建物である。どうやら男子が一階、女子が二階という配置であるらしい。おそらく防犯上の理由なのだろう。ビックスが率いる衛兵たちは早速とばかりに一台しかない馬車に群がり、積荷を降ろし始めた。と言っても、せいぜい複数の着替えがある程度。学園の制服は正装としても利用できるということであったから、詩音はビックスから譲り受けた普段着を複数枚と日本から持ち込んだ自身の私物、それと練習用と考えて用意した木刀しか持ち運んでいない。勿論、オーエンから預かった太刀は今もしっかりと腰に納めている。
一方、フランソワは流石に多少の用意はあるものか、宴の席でも利用できるようなドレスを何枚か用意していた。だが。
「やっぱり、ドレスは不要じゃないかしら。」
顔をしかめながら、フランソワはそう言った。とりあえず持って行きなさいとアウストリアに諭されて運搬してきたは良いが、余計な私物を置くつもりはない。それよりも、書物を持ち運んだ方が余程役に立つ、とフランソワは考えているのだった。
「なりません、女性はいつドレスが必要になるかわかりませんからな。」
咎めるようにビックスはそう言った。
「仕方ないわね。」
諦めるようにフランソワはそう言うと、自らで積荷を持ち上げた。全て書物である。
「何冊持ってきたんだよ。図書館だってあるのに。」
詩音は呆れるようにそう言いながら、フランソワをまねるように書物の束を持ち上げた。ざっと見るだけでも四十冊以上の書物がそこには存在している。
「自分の本じゃないと落ち着かないの。」
拗ねるようにフランソワはそう言うと、うんしょ、と言いながら寮棟へと向かって歩き出した。まったく、と考えながら詩音もフランソワの後ろに続く。本来女子寮に当たる二階部分は男子禁制だが、特別な事情がある場合は男子の立ち入りが許可されていた。例えば今日のような、荷物搬入の際など。おそらく詩音などは今日を除けば、女子寮に入る機会は当面ないだろう。
そのフランソワの部屋は二階の中央部分に用意されていた。王立学校は各生徒毎に個室が与えられており、詩音がシャルロイド公爵家の館に身を置いていたような、ビジネスホテルの一室程度の広さを持つ部屋がフランソワにあてがわれた部屋であった。そもそも、王立学校と言えど、そこに進学する人間は相当に限られる。せいぜい人口600万人程度にすぎないアリア王国の学問需要を満たすには、一学年につき50名から60名程度の人数を確保できればそれで事足りるのである。だからこそ、全体のスペースを損ねてでも、このような個室が認められているのだろう。
さて、一通りの搬入作業を一時間と少しの時間で終わらせると、ビックスら護衛兵たちは王都へと向けて出発した。一応王立学校にも来賓用の宿泊施設が用意されているが、入学式の直前となれば予約が取れる訳もない。仕方なしに、宿泊施設が整っている王都まで足を延ばすことになったのである。
「さてと、どうしようかな。」
正門前でビックスを見送ったフランソワは、暇を持て余すようにそう言った。詩音とフランソワの馬は既に寮棟の裏にある厩舎へと繋いでいる。そしてミッターフェルノ広場は今も尚、ひっきりなしに馬車や従者などが出入りしていた。
「そうだなぁ。」
そう答えながら、詩音は軽く空を見上げた。まだ日は高い。夕食の時間には早すぎるし、と考えた詩音の肌に、森の香りをふんだんに含んだ風が軽く触れた。
「少し、見学しましょう。」
詩音と同じように、日の高さから時刻を推測したフランソワが、やがてそう言った。
「見学?」
「そう。これからお世話になる学校だもの。知っておいて損はないと思うの。」
フランソワはそう言うと、くるりと身体の向きを変えて堂々と歩き出した。
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第二編第三話です。
ところでピアプロに投稿している小説版悪の娘・白の娘『ハルジオン』からお越しの皆様へ。
この辺りから、『ハルジオン』と名前が被る人間が多数出てきますが、全くの別人ですのでよろしくお願いします。
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