村の入り口まで来た時、一刀は足を止めた。
「雪蓮、俺たちはここで足止めをしておく!」
「わかったわ!」
入り口には石を積んで造った門があり、わずかな距離だがそこから石壁が村の境界に沿って伸びていた。ここで一刀たちが足止めをしておけば、回り込まれたとしても是空が背後から狙われることはない。
「私も一緒にココなんですね」
「あ、勢いで何となく。戦いが無理なら、どこかに隠れていてください」
「大丈夫です。一応、心得はあるので。でも武器がないですよ?」
「油断させて奪う感じで」
肩をすくめて見せた陸遜は、入り口の石柱に寄りかかる。
「一刀さんって孫策さんには、親切ですよね。やっぱりお綺麗な方ですから、天の御遣い様でも弱いのでしょうか?」
「まあ、男はみんなそんなものじゃないですか? 美しい女性の頼みは断れないというか」
呆れるように溜息を漏らす陸遜に、一刀は爽やかな笑みを浮かべて言った。
「陸遜さんも綺麗ですよ? きっと男は放っておきません」
「あら……」
嬉しそうに微笑んだ陸遜は、わずかに身をくねらせて流し目で一刀を見る。そして甘く艶やかな声で囁くように言った。
「一刀さん……私のことは穏とお呼びください」
濡れたように光る唇が色っぽく、一刀は内心の動揺を悟られないよう視線を逸らして陸遜の言葉に小さく頷いた。
炎が沈静化しつつある村の中を、雪蓮は走っていた。是空の姿を探し、崩れた家屋を覗き回る。剣で斬られた遺体をたどると、一軒の民家の壁に寄りかかる是空の姿を見つけた。
「あっ!」
近寄ろうとした瞬間、剣で身を支えていた是空の体が大きく傾いたのだ。雪蓮は何とか駆け寄り、地面に倒れる寸前の是空を受け止めたのである。
「父様!」
是空の全身は自分のものと返り血で真っ赤に染まり、息も荒くか細い。
「父様! しっかりして!」
「……ど、うして?」
何とか意識を取り戻した是空は、驚いたように目を見開いた。役目を果たしたと思い安堵していたところへ、雪蓮が戻って来たのだ。彼女が捕まれば、すべてが水の泡である。
「なぜ、戻って来た! 早く……行くのだ!」
「嫌よ! 父様を残していけない!」
「お前! ……知ってしまったのか」
雪蓮は小さく頷く。そしてそっと、是空の仮面に触れた。
「これ、取ってもいい?」
「……お前が、嫌でなければ」
「うん……」
是空の仮面に手を掛け、雪蓮はそっとそれを取る。火傷を負った顔が露わになるが、雪蓮は愛おしそうにただれた皮膚に触れた。
「変わってしまった……もう、面影などないだろう?」
「ううん。私の覚えている、父様の慈愛に満ちた目は変わってない。声は少し低いかな? 背中は変わらず優しそうだった。もう……早く教えてくれれば良かったのに」
「大切な娘の顔すら忘れてしまった、薄情な父親だよ。思い出したから良かったものの、そうでなければ私はこの手で我が娘を窮地に追い込むところだった」
「それなら私も同じ。あれほど大好きだった父様の目を忘れていたもの」
「そうか……似たもの親娘だな」
楽しそうに、雪蓮と是空は笑った。
膝枕をされながら、是空は自分を見下ろす雪蓮の顔に手を伸ばした。
「母さんに、ずいぶんと似てきたな」
「そうかな? でも性格なら、きっと蓮華の方が似ているわよ。あの子、自分に自信がないから少し消極的だけど、いざという時の決断力や行動力は母様に似ているもの」
「ふふ……シャオは?」
「あの子は、悪戯好きなとこが母様に似ているかも。やんちゃで手が掛かるわ」
「……さすが、良く見てるな」
「大事な……妹たちだもの」
雪蓮の言葉に、是空は安心したように笑顔で頷いて見せる。そして真顔に戻り、雪蓮の手を握った。
「雪蓮、私の言葉を妹たちにも伝えて欲しい」
「うん……」
「いいかい、私や母さんが願うことは……こんな時代だからこそ、迷い、苦しみ、立ち止まることがあっても諦めずに前を見て進んで欲しい。孫家の歴史、守るべき民、責任をお前たちが背負うことはないんだ……」
言葉を切り、是空は苦しそうに呼吸を繰り返す。心配そうに雪蓮が、顔の血を拭う。
「雪蓮……」
「うん……」
「思うままに……生きなさい……。何かに束縛される必要など……ないんだ……自由に……お前たちが……笑って……過ごせる居場所を……見つけなさい……」
「うん……父様……」
「雪蓮……蓮華……小蓮……三人とも、愛しているよ」
いやいやをするように、雪蓮は首を振った。是空の命が、徐々に失われてゆくのがわかる。
「お願い父様……行かないで……私はまだ、教わりたいことがたくさんあるのに」
是空は笑った。優しく、優しく笑った。
「……ほら、母さんが……呼んでる…………」
見開いた目が、光を失った。人形とも違う、眠っているとも違う奇妙な状態だった。呼吸はしておらず、まだ体は温かかったが、やがて温度を失うだろう。死んだのだと意識した瞬間、雪蓮の両目からは涙が溢れ出た。
彼女の嗚咽が、風のうなるような音に混じって流れた。
医者が部屋に入り、どれほどの時間が過ぎただろうか。桂花は落ち着かない様子で、先程から部屋の前を行ったり来たりしている。他の者たちも一斉に押しかけてきたが、騒がしくなるからと広間に移動させていた。そのため、華琳の部屋の前には桂花のみがいる。
「入っていいぞ!」
医者の声が部屋の中から聞こえ、桂花は急いで戸を開けた。
「華琳様!」
「静かにせんか! まったく」
華琳の主治医である白髪の老人が、タライの水で手を洗いながら桂花に怒鳴る。その様子を見て、寝台で上半身を起した華琳が笑った。
倒れた時は意識がなかったが、診察中に目を覚ましたらしい。
「それで、華琳様の容態は? どこが悪いの?」
「どこも悪くはない。まったく……オナゴならばもう少し、自分の身を大事にしなければいかんじゃろう」
「悪くない? そんなはずはないでしょ? あんなに辛そうだったのに!」
「悪いわけじゃない。むしろ、めでたい事じゃ」
「は?」
医者が何を言っているのか、桂花は苛立ちながら首を傾げた。華琳はそのやりとりを、おかしそうに黙って眺めている。
「じゃから、妊娠じゃ」
「ニンシン?」
「赤ちゃんが出来た、ということじゃよ」
「え……えーーーーっ!!」
『誰の?』と言いかけて、さすがに桂花は思いとどまった。華琳が『あのバカ』以外の男の子供を身籠もるはずはない。
「まったく……普通なら、もっと早くに気付くだろうに」
「ごめんなさい、先生。生理不順なんて珍しくないし、もともと貧血持ちだから、多少は体調が悪くても気にしないのよ」
「じゃが知れた以上は、無茶は厳禁じゃ。流産もありうるからの」
「ええ……わかっているわ」
医師の言葉に微笑んだ華琳は、愛おしそうにまだ膨らんでもいない自分のお腹をさする。
「あなたのお父さんは、今頃何をしているのかしらね?」
そう呟いた華琳は、遠い空の下に居る北郷一刀を思った。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
やっとここまで来たという感じです。日数的にどうなのかは、独身の自分にはわかりません。ただ、今と技術的に違うので、判明するのは遅い気がしたので。
楽しんでもらえれば、幸いです。