*注意*
この物語は雪蓮と一刀が結ばれる話となっています。
紫苑さん以外と一刀くんがいちゃつくのが嫌という方、また本編をさっさと進めろと思っている方にとっては不快な思いをするかもしれませんので、そういう方は進まずに「戻る」を押して下さい。
一刀視点
永安での仕事もひと段落して、俺は再び江陵へと戻ってきた。おそらくこれから曹操軍との決戦までは、ここで過ごすことになるのだろう。江陵を制圧するべく軍を発する曹操軍と死闘を演じなくてはいけないのだ。逃げることなんて許されないのだ。
ちょうど俺が江陵へ戻ってきたのとときを同じくして、雪蓮さんたちも戻ってきたらしい。今回ばかりは消極論を述べる文官たちはいなかったらしく、自分たちが持っている全ての力を出し尽くすしか、生き残る術はないのだ。
後少しで決戦の火ぶたが切って落とされようとしているのだ。俺もこんなところでのんびりしている暇なんてない。朱里や周瑜さんあたりと決戦の戦略について話し合ったり、兵士たち一人一人に声をかけて、士気を高めたりしておかなくてはいけないだろう。
――とそんなことを思っていた、昼下がりであった。
「か~っず~っと~っ!」
「うわぁっ!」
いきなり誰かが俺の背中に飛びついてきた――いや、誰かなんて考える必要もなかった。背中に柔らかな感触が当たったと思うと、鼻腔をくすぐる甘い香り。刺激的で嗅いでいるだけで頭がクラクラしそうになる程に強烈な色香。
しかも、本来であればそんなに密着されて、いろいろなところを身体に押し当てられると、こちらとしても耐え難い衝動に駆られてしまうのが普通であるのだが、この人の場合はそれに加えて獰猛な獣を思わせるオーラを発しているので、興奮と共に恐怖まで味わってしまうのだ。
「雪蓮さん? いきなりどうしたんですか?」
孫呉の王にして、俺たちの頼れる同盟相手である孫伯符その人であることは、確認するまでもなかった。しかも、いつからだか記憶に曖昧だが、御使い君から一刀に愛称も変わっていて――俺個人としてはそっちの方が呼ばれ慣れているのだが、いきなり下の名前で呼ばれるのはいささか恥ずかしかったりする、
まぁ雪蓮さんに、下の名前で呼ぶのを止めてください――なんて失礼なこと言えるはずもなく、言ったとしてもこの人が、はいそうですかって止めるとも思えない。いずれにしろ、俺が慣れてしまえば良いだけの問題である。
「どうしたも何も、あたしが一刀に抱きついてはいけない理由があるわけ?」
「ま、まぁいろいろと当たっているわけなんですけど……」
「え? 何が当たっているのかな?」
「それは雪蓮さんの……」
「あたしのなーに? その可愛い口から言ってくれないと、お姉さん、分かんないわ」
「い、いや……。それよりも、また周瑜さんに見られてしまったら大変ですよ」
前回のこともあり、周瑜さんにまた見られでもしたらただでは済まないだろう。あのときだって、雪蓮さんは素早く戦略的撤退をやってのけたから、知らないだろうけど、俺があれから周瑜さんと七乃さんにどんな目に逢わされたと思っているのだろう。
……思い出すだけで怖気がする。
「大丈夫よ、冥琳なら蓮華と一緒に対曹操軍を想定した演習をしているわ」
「あ、そうなんですか、だったら俺たちも――」
「私たちは駄目よ」
「え? そうなんですか?」
「当り前よ。一刀、あなた分かっていないの? 私は孫呉の王であり、あなたは益州を代表する、仮にも天の御遣いと呼ばれる人なんでしょ? だったら、他にもすべきことがあるでしょ?」
真面目な顔でそう告げる雪蓮さん。
ふむ、何か大切な話し合いでもするのだろうか。確かに俺たちは曹操さんとの決戦へ向けて全力で準備をしなくてはいけない。兵卒から将軍格に至るまで、戦に加わるあらゆる人間がその準備に追われているのだ。
しかし、雪蓮さんの言うとおり、俺たちは一国を束ねる君主である。
俺たちは俺たちにしか出来ないことをやるべきなのだ。戦は勝負が決するまでが全てではない。その後の戦後処理――さらには、今回の決戦が正に最終決戦である以上、終わった後の方が忙しいくらいだろう。俺たちは負けることなんて考えずに、勝った後のことを考えるべきなのかもしれない。
やはり雪蓮さんはいつも自由奔放に過ごしているわけではないんだな。江東の小覇王と呼ばれる程の人物であり、戦で見せるカリスマ性だけが持ち味ではなく、王としての視点も俺とは比べものにならないくらい広い。きっと、今だって戦のことを全幅の信頼を置く周瑜さんに敢えて任せ、自分は別の視点で世界を見ているのだろう。
「分かりました。さすがは雪蓮さんです。そんなことに気付かないなんて、自分が恥ずかしいですよ。それで手始めに何からしましょう?」
まずは制圧後の大陸の政治システムから話し合うべきであろうか。曹操さんが治めている都市に関しては、やはりと唸ってしまう程の発展を見せているから、それを維持しながら徐々に江陵のように共同領土にしていくのが理想だと言えるだろう。
しかし、それをするにはまずはどちらの陣営が、どこの都市を管轄するかが問題になるのだ。まだ江陵も完全には共同領土として完成しているとは言えないから、俺たちの目の前には問題が山積みになっている。それを解消しない限り、話を先へ進めることは出来ないだろう。
「そうね……」
神妙な面持ちで考え込む雪蓮さん。その姿は紛れもなく江東に君臨する王のものであり、ちょっとした仕草からも威厳が溢れてくる。俺もいずれはこんな人物になりたいなと思いつつ、でもやっぱり器が違うのだろうと、自嘲的な考えが頭に浮かんでくる。
「よしっ! じゃあ、最初は小川に行って、釣りをしましょうっ!」
「はいっ! 小川で釣りですねっ! ではすぐに準備を――って、ちょっと待ってくださいっ! これから両国のその後について重要な話し合いをするんじゃないんですかっ!?」
「は? 何言ってるのよ? そんな難しい話、私に出来るわけがないじゃない。私たちは皆の邪魔をしないように、ひっそりと小川で釣りを楽しむのよ」
「えっ? 何ですか、それっ? うわっ、雪蓮さん、腕を引っ張るのは止めて――」
「さぁーっ! 善は急げよっ! 準備なんかいいから、早く小川へ行きましょうっ!」
「そんな強く引っ張ったら、千切れちゃいますよぉぉぉぉっ!」
俺は抵抗空しく雪蓮さんに無理やり連れて行かれてしまったのだ。せっかく雪蓮さんのことを心の中で絶賛していたばかりだというのに、やはりこの人は俺たちの予想をはるか上にいく程のフリーダムな人なのだろう。
そんなわけで俺は雪蓮さんに拉致られてしまったわけだ。
雪蓮さんの行動力は異常で、最初から俺を半ば無理やりにでも連れて行こうと思っていたのか、俺たちが話していた場所から少し離れたところに馬を停めていて、しかも、丁寧なことに二人分の釣りの準備がしてあったのだ。そこにぽいと乗せられると、すぐに出立してしまった。
勿論、俺は平凡な男子高校生であり、この時代に住む英傑たちに腕っぷしで勝てるわけもなく、このように力づくで物事を進められてしまうと、抗う術などあるはずがない。こうやってこの時代の女性に振り回されるのも一体何度目のことなのだろうか。
雪蓮さんに馬に乗せられて江陵を後にした。さすがに馬の乗り方も巧みで、猛スピードで駆けさせていたので、俺も雪蓮さんの背中にしがみつくことしか選択肢がなかった。
ここ最近は雪蓮さんに気に入られてしまったのか、部屋に潜り込まれたり、後ろから抱きしめられたりと、絡まれることが多かった。この間、二人で飲んだときに、俺は日ごろの疲れもあったからか、雪蓮さんと飲んでいたというのに、途中で意識をなくしてしまうという醜態を見せてしまった。
てっきり、俺はあのときに嫌われてしまったと思ったのだ。雪蓮さんはかなりお酒が強く、飲み友達として桔梗さんや紫苑さんとも仲良くしていた。だから、飲むときには自分と張り合えるような相手を好むと思っていたのだ。
しかし、あれからむしろ絡まれることが多くなった気がする――今考えると、雪蓮さんが俺を一刀と下の名前で呼ぶようになったのも、あのときに二人で飲んだ日以降のことだったように思われるのだ。そのときにどんな話をしたのかも、記憶には曖昧で、俺が好かれる理由なんて見当もつかなかった。
まぁ、それも俺が自意識過剰というか、雪蓮さんみたいな人に好かれているなんて思うこと自体がおかしいわけで、雪蓮さんは人懐こい性格をしているから、こんな風に接するのもきっと俺だけではないはずだ。本国の人間にもそのようにコミュニケーションをとっているのだろう。
雪蓮さんに振り回されることに対して、周瑜さんと蓮華さんから謝れるということが以前あったのだが、何故か雪蓮さんに振り回されること自体は、不快に思うことなんて全くなく、逆に俺自身も楽しんでしまっているきらいがある。それも雪蓮さんの性格のおかげなのであろう。
雪蓮さんの魅力はそこにある。彼女と一緒に街を歩いていると、多くの民たちから声をかけられるのだが、彼らは雪蓮さんをまるで親戚の娘さんとして扱っているようで、雪蓮さんが兵士たちに見せている姿とはまた別のものだった。
普段から民たちと親身になって接していないと、それは不可能なことであり、それだけ民のことを想っているのだろう。年上の女性特有の妖艶さの中に、まるで子供のように無邪気な輝きを放っているのだ。その笑顔を見て、心に温かなものを感じない人はいないだろう。
「さぁ、着いたわよ」
そんなことを考えている内に俺たちは近くの小川に到着したのだ。透き通った綺麗な川水には数尾の魚が暢気に泳いでいるのが見え、絶好の釣りスポットであることが容易に窺えた。見えるからといって、必ず釣れるとは限らないが、確率は高いだろう。
準備も程々に、さっそく俺たちは釣り糸を水中へと垂らした。
元の世界でも釣りの経験なんてなく、こっちの世界に来てからも、いろいろとやらなくてはいけない仕事が多かったから、こんな風に川辺に座ってゆったりと魚がかかるのを待つなんてことはしたことがなかった。
だけど、こうやってときを過ごすというのも、風情があって良いというか、日ごろの疲れが癒えるような気がした。魚が釣れるかどうかなんて大して気にならないくらい、ゆっくりと時間が過ぎていく感覚に、俺の心は大いに安らぎを得ていたのだ。
もしかしたら、雪蓮さんはこの気分を俺に味わわせたかったのかもしれない。俺は天の御遣いと呼ばれるに相応しくあるように、益州の統治者としてきちんと民に平穏な日常を与えられるように、毎日のように気を張っているのだ。
勿論、それは必要なことであり、決して悪いことではない。しかし、そのせいで毎日ヘトヘトになっているのも事実である。それはあのとき雪蓮さんと二人で飲んだときに、つい意識を失ってしまったことで雪蓮さんにも伝わってしまっただろう。
そんな俺に対して、雪蓮さんは少しぐらい休んでしまっても良いではないかと伝えたいのではないだろうか。俺と雪蓮さんは同じ君主であり、お互いにそれがどれだけ激務であるかをよく理解している。
――私は孫呉の王であり、あなたは益州を代表する、仮にも天の御遣いと呼ばれる人なんでしょ? だった、他にもすべきことがあるでしょ?
あの言葉の真意はそこにあるのではないだろうか。
俺たちはいざ曹操軍との決戦が始まったら、常に先頭を歩いて行かなくてはいけない。それは前線で部隊を指揮するという意味だけではなく、兵士たちの心の象徴として、全部隊の支柱として存在しなくてはいけないということだ。
もしも、そんなときに疲労の影響で倒れでもしたら、それだけでも俺たちが敗北してしまう可能性は高まる――否、それだけで敗北が確定してしまう程の強い要因を持っているのだ。だからこそ、俺たちはここぞというところで全力を発揮出来るように、今は充分な休養をとる必要があるのかもしれない。
やっぱり俺が思った通り、雪蓮さんはすごい人だ。一見、俺を振り回そうとしているように思われる行為にも、きちんと俺への気遣いがあるのだ。のんびりと釣りをしているだけで、普段とはまた違ったものの見方が出来るような気がした。
釣りである必要はないのだろうけど、きっと一日ゆっくり休めと言われたところで、俺はすることもなく怠惰に時間を費やすか、誰かと城下へ行って結局疲れてしまうのが関の山だ。だから雪蓮さんは拉致に近い行為をして、俺をここに連れてきてくれたのだろう。
今だって、自分でも驚くくらいに思考がはっきりしており、リラックスした状態であっても物事を深く推察することが出来ている。しかも、それを邪魔する者も、気を配るべき者もいないのだから、かなり効率も良いのだ。
雪蓮さんのことを改めて尊敬する――と、俺も思っていたのだったが……。
「あーっ! もうっ! なんで釣れないのよっ!」
釣りを始めてからどれくらい経過したのだろうか。主観的には相当な時間が経っているような気がするし、それだけ、俺も自分の思考の中にどっぷりと浸かっていたのだが、実際には三十分くらいしか経っていなく、まだ釣りを始めたばかりに等しかった。
「ま、まぁまぁ、まだまだこれからですよ、雪蓮さん」
「ぶーぶー、つまんなーいっ! ちょっと、一刀、私を楽しませなさいよ?」
「えっ? いや、そんな無茶な――」
「私みたいないい女と一緒にいるのよ? それが男としてやるべきことでしょ? ていうか、何のために君を連れてきたと思っているのよ?」
……俺に安らかな時間を与えてくれるためではなかったのか。
「私は孫呉のお姫様なのよ? もっと紳士的に振舞ってくれてもいいんじゃないかしら?」
お姫様というよりも女王様の間違いではないのか――なんて言ってしまえば、どんなお怒りを買ってしまうかも分からないので、俺としては苦笑で応えるしかなかった。しかも、魚がかからないという状況を打破することも出来るはずもないのだ。
「あっ……」
そんなときに、雪蓮さんがついうっかりと手を滑らせてしまい、自分の釣竿を水中へと落としてしまったのだ。急流というわけではなかったが、それでも水面に浮かんだ釣竿は見る見るうちにどこかへと流れてしまった。
「……むー」
これは困ったことになった。ただでさえ、雪蓮さんは魚が釣れずに少々苛立っているのだ。さらに釣竿まで落としてしまうなんて――彼女自身の不注意が原因とはいえ、今はそんなことをよりも、どうやって雪蓮さんの機嫌を良くするかについて考えなくてはいけないだろう。
「雪蓮さん、良かったら俺の竿を使ってください」
「えー、ダメよ、それじゃ君が釣りを出来なくなってしまうじゃない」
「俺のことは構わなくてもいいですから、さぁどうぞ」
「ダメよー。今日は君も一緒に楽しむって決めてるんだから」
俺としては別にそこまで釣りに拘っているわけではないのだから、雪蓮さんが楽しくしているのを見られればそれで満足だった。しかし、どうやら雪蓮さんはそれではダメらしくて、俺の申し出を受けてはくれなかった。
「あっ! だったら、こうしましょう」
「え?」
「えいっ!」
「うわっ!」
雪蓮さんはそこから軽やかに跳躍すると、俺の方に向かってきた。あまりの素早さに俺は為す術なく、身体を守るように両手を突き出すが、俺の身体には何の衝撃も訪れなかった。しかし、その代わりに……。
「これでいいわ」
いつの間にやら、雪蓮さんは、座っている俺の両膝の間に身を置いていたのだ。俺の胸に背中を預ける形で、俺が使用している釣竿を一緒に握っている。どうやら、こうやって二人で釣りをするということに決定したようだ。
この態勢――璃々ちゃんや桜なども好きなものだから、俺もよくされるのだが、相手が雪蓮さんだとそうも言っていられない。俺の目の前に雪蓮さんの甘い香りのする綺麗な髪と、その隙間から微妙に見え隠れする肩や背中が目に入るのだ。
しかも、完全に俺に体重を預けているので――重さとかは全く感じないのだが、雪蓮さんが少し態勢をずらそうと身動きするだけで、俺のいたるところに雪蓮さんの柔肌がぶつかり、しかも、極めつけは雪蓮さんのお尻が俺のある一部に触れているのである。
「しぇ、雪蓮さん、こ、これは……ダメですよ」
「何が? これなら、私も君も楽しめるでしょ?」
「ですけど――」
「ふふん、むしろ君の方が嬉しいわよねぇ? こうやって、ほらほら……」
「ぐはっ!」
雪蓮さんはお尻をぐりぐりと動かした。どうやら俺が何に一番困っているのかは察していらっしゃるようで、目元に妖しい光を灯しながら、楽しそうににやにやと微笑んでいる。「蓮華には負けるけど、私だって自信あるのよ?」
蓮華さんには負けるって、あの人はもっと凄いのか。雪蓮さんに言われ、蓮華さんがどんなお尻をしているのか思わず想像してしまったときに、雪蓮さんが俺の鳩尾に強烈なエルボーを叩きこんだのだ。
「全く、こんなときにも別の女のことを考えるなんて……」
「痛つつつ……、え? 何か言いました?」
「何でもないわよ、一刀のバーカっ!」
あれ? おかしいな。さっきまで楽しそうに俺に悪戯をしていたのに、急に雪蓮さんはふんとそっぽを向いてしまった。何か怒らせるようなことをしてしまったのであろうか。
「まぁいいわ。こうなったら意地でも私に夢中にしてあげるんだから」
「え?」
「ほら? これならどう?」
再び、雪蓮さんが何か呟いたかと思うと、また腰をぐりぐりと動かしたのだ。しかも、今度は俺にしなだれるように、身体を預けながら、両手を上げて俺の首やら頬をそっと触り始めた。大きな海色の瞳がじっと俺を見上げてくる。
態勢上の問題で、俺は雪蓮さんを見下ろしているのだが、雪蓮さんが完全に俺に身体を預けてしまっているので、ここからだと雪蓮さんの身体が丸見えなわけで、雪蓮さんが動く度に、その豊かな胸もたわわに揺れるのであった。
今度は何も言わずにじっと俺のことを見つめてくる雪蓮さん。妖しく輝くその瞳と、少しだけ朱く染まった頬は、見ているだけで俺の興奮を誘ってくる。そもそもこんな艶やかな女性にこんなことをされて冷静さを保っていられるわけがないのだ。
「しぇ、 雪蓮さん?」
「……ちょっとくらいなら触ってもいいわよ?」
「…………っ!」
とどめの一撃――耳元でそんなことを囁かれてしまったのだ。雪蓮さんの刺激的な色香に、既に俺は意識を保つのだって難儀な程であったのに、さらに耳元に感じる彼女の息遣いで理性が既に崩壊しそうになっていた。
しかし、俺は堪えなくてはいけないだろう。雪蓮さんだって冗談にやっているに決まっているのだ。ここで俺が襲いかかろうものなら、本当に単なる獣になってしまうではないか。男として、今の状況がどれだけ誘惑的なことであっても、俺は唇を噛み締めて耐えなくてはいけないのだ。
「……触らないの? それとも私はやっぱり――」
不意に雪蓮さんの瞳が暗くなった。さっきまでノリノリで俺に悪戯していた表情とはまるで正反対で、何かに耐えられなくなったかのように不安さを滲ませたのだ。
「……雪蓮さん、どうか――」
声をかけようと瞬間に、俺は雪蓮さんに押し倒されていたのだ。
「…………」
「…………」
完全に言葉を失ってしまった。釣竿もその衝撃で地面に落ちてしまったし、後頭部を地面に強かに打ち付けてしまったので、悶絶しそうな程に痛いはずなのに、そんなことが些細なことに感じられた。ただ無言で雪蓮さんと見つめ合っていたのだ。
本音を漏らしてしまえば、雪蓮さんの行動の真意を測りかねているだけなのだが、これまでのことからこの人の真意なんて見抜くことが出来るとも思えなかった。ただ一つだけ確かだったのは、雪蓮さんの表情からこれが単なる悪戯に思えなかったのだ。
「えーと、雪蓮さん?」
「何よ?」
「い、いや、これはどういうことです?」
「どうも何もないわよ。私にこんなに恥をかかせるなんて、本当に君は生意気ね」
「恥なんてかかせた記憶はないんですけど……」
「…………」
雪蓮さんはそこで黙ってしまい、俺の瞳を覗き込んだ。どうやら俺が嘘を言っているか確かめているようなのだが、そんなことをされなくても、俺は雪蓮さんが何を言っているのか意味が分からないし、それ以上に、このままこの態勢でいる方が辛かった。
「無理しなくていいのよ?」
「な、何がですか……?」
「お姉さんには全部お見通しなんだから」
雪蓮さんは俺の胸に顔を埋めた。俺が抵抗しようにも、何故か身体が麻痺してしまったかのように動かなくて――いや、実際に麻痺してしまっているのだろう。さっきからずっと雪蓮さんの香りを嗅いでいるんだ。脳みそは既にそれで蕩けてしまっているのだろう。
「と、とりあえず、座りませんか。こんな恰好じゃ――」
「嫌」
「じゃあ、せめて顔だけでも――」
「嫌」
「…………」
「嫌よ。私はこのままがいいの」
雪蓮さんはゆっくりと俺の胸板を指先で擦り始めた。たったそれだけの指遊びなのだが、俺の身体にはゾクゾクとした感覚が断続的に訪れて、少しでも気を緩めようものなら、ビクンと脈打ってもおかしくはなかった。
「ねぇ?」
「……何ですか?」
しばらくの間、そうしていた雪蓮さんがやっと俺から顔を離してくれたのだが、今度は俺の目の前に顔を寄せたのだ。その豊かな桃色の髪がふわっと風に靡くと、その色香が俺の鼻腔をくすぐり、髪が俺の肌に触れると、火に触れたときのように熱くなる。
心臓の高鳴りが止むことはなく、本当にこれ以上このままでいたら我慢出来なくなりそうだった。しかし、雪蓮さんは俺の同盟相手であり、江東を治める王である。そんな女性を一時の感情に任せて、失礼なことを出来るはずなんて……。
「……私は構わないわよ」
「え?」
まるで俺の心を読んだかのようにそう言う雪蓮さん。あぁ、この人には俺の考えることなんてお見通しだったんだな。
「だ、だめですよ……。こんな雰囲気に流されるなんて」
「もぅ、まだ分かっていないなんて、君ってどうして、女性のこういうところには鈍感なわけ? どうして、私がこんな場所にわざわざ君を連れてきて、しかも、こうして組み倒していると思っているわけよ?」
「それは……んむっ!?」
「ん……、言わせてなんてあげないんだから……んん……私に恥をかかせた罰よ」
雪蓮さんにいきなり唇を奪われてしまった。しかも、呼吸が苦しくなる程の激しいキスで、雪蓮さんの唾液が容赦なく俺の口内に注がれ、それが喉を通る度に、身体が熱を帯びていくのがはっきりと感じ取ることが出来た。
まるで生き物のように雪蓮さんの舌は俺を蹂躙していく。舌先から根元まで絡め取られ、歯茎からその裏側まで弄ばれる。麻薬でもきめているかのように、頭がぼうっとして思考力が一気になくなる程の快感が俺を包み込んでいく。
息が続かなくなり、もう限界だと思ったときに、雪蓮さんはゆっくりと唇を離してくれた。舌と舌が離れる瞬間、それを惜しむかのように唾液同士が糸を引いて淫靡なアーチを描いた。お互いに息を切らし、はぁはぁと肩で息をしていたが、雪蓮さんは熱を帯びた視線を俺から外すことはなかった。
「一刀……」
今度はさっきみたいに強引にではなく、優しいキスをしてくれた。
「好きよ……一刀。私にこんなことを言わせるなんて、本当に生意気だけれど、こればかりは仕方ないわね。江東の女は惚れた男がこちらに振り向くまで待っているなんて、悠長な真似は出来ないんだから」
「雪蓮さん……ありがとうございます。というか、すいません。それは男である俺から言わなくちゃいけないことですよね」
「ふふ……いいのよ。それよりも、ほら、お姉さんはまた口が寂しくなってきちゃったぞ」
「はい」
今度は俺から雪蓮さんを抱き寄せて唇を奪った。
お姉さんぶる癖にこうやって甘えたがる雪蓮さんに苦笑を禁じ得なかったが、まさか雪蓮さんのような人から告白されるなんて思いもしなかった。雪蓮さんに振り回されることが不快ではなかったのは、自然とこの人に惹かれていたからなのだろう。いつの間にか、目で追うようになっていたのだろう。
「んんっ!」
雪蓮さんも大分高まっているのだろうか、唇から一旦離れて、首筋に舌を這わせるだけで身体を脈打たせてしまっていた。普段から俺に対して年上っぽく振舞っているだけに、こうやってしおらしい姿を見るだけで、俺の理性はとうとう崩壊してしまったのだ。
「きゃっ! いきなり押し倒すなんて――あぅっ!」
仕返しとばかりに態勢を入れ替えると、それに対して文句を言おうという雪蓮さんを邪魔するように、今度は耳に舌を這わせた。どうやらそこが弱点だったらしくて、身体を小刻みに震わせながら、顔を真っ赤にしてしまっている。
「雪蓮さんもこんな可愛らしい面があったんですね。いつもの綺麗な雪蓮さんも好きですけど、こういう女の子らしいのも好きですよ」
耳元で何度も好きだと囁くだけで、雪蓮さんの表情はどんどん赤みを増していく。
「んもぅ、本当に生意気なんだからぁ」
既にその文句にも勢いがなかった。そっと俺の頭を優しく撫でてくれると、ついばむように俺の頬にキスの雨を降らせてくれた。
「雪蓮さん、俺もう我慢出来そうにないです」
「ふふふ……いいわよ。ほら、おいで」
雪蓮さんに誘われるように俺はその身体を抱きしめた。江東の小覇王と恐れられ、戦場に立てば誰もが畏怖を覚える雪蓮さんの身体は、驚くほどに柔らかく、いつまでも抱いていたいと思わせた。魚釣りのことなんてとっくに忘れて、俺と雪蓮さんは激しく愛を交わし合ったのだった。
あとがき
第八十三話の投稿です。
言い訳のコーナーです。
さて、今回は雪蓮と結ばれる回でありましたが、予想以上の難産でした。一月、二月は職業上忙しい時期になっているので、執筆時間もかなり少なくなってしまい、しかも、楽しみにしていたマジ恋sも発売されてしまい、時間的にも苦しかったです。
完全に週一投稿が定着してしまった作者ではありますが、これからも何とか時間を作っては執筆作業に勤しんでいきたいと思っています。こんな作者ではありますが、これからも生暖かい目で見守って頂けるとありがたいです。
さてさて、それでは内容に関して。
雪蓮はお姉さん系で攻める公言していたのですが、やはりこれまで書いたことが多くないので、どうすればお姉さん系で魅力溢れる描写になるのかさっぱり分かりませんでした。
雪蓮は誰もが認めるフリーダムキャラなので、一刀くんがそんな彼女に振り回されながらも徐々に惹かれていく様子を描きたかったのですが、一話では無謀でしたね。雪蓮√とかでじっくりと書きたいなと思うくらいです。
そんなわけで無謀だとは承知の上で、その様子を描き始めたはいいのですが、やはり途中から完全に筆が止まってしまい、ひたすら悩む始末。思い切ってアプローチを変えようかなとも思ったのですが、それではいつまでたっても投稿できないので、そのまま描き切りました。
そういうわけ、今回は甘さ豊富で描いています。
絡みも普段よりも濃厚です。このくらいであれば問題ないと思いますが、これはまずいんじゃないかというところがあれば、コメントなどでお知らせください。
さてさてさて、やっと次回でこの長かった拠点も終了になります。
最期を飾るのはキャラが完全に崩壊した我らが麗羽様です。
展開に関してはほとんど構成が出来上がっているので、書きながら細かい描写を決めていくだけです。問題なのは執筆時間が確保できるかどうかなのですが、何とか頑張っていきたいと思います。
それさえ終わってしまえば、やっと本編を進めることが出来ます。そちらをお待ちの方々は後もうしばらくだけお待ちください。
では、今回はこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。
相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。
誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。
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第八十三話の投稿です。
永安で各将へと決戦のことを伝えることが出来た一刀は再び江陵へと戻ってきた。そこで決戦のためにいろいろとやらなくてはいけないと決意を固める一刀の許へ、あのフリーダムな人物がやってくるのだったが……。
これで残り一つになりました。拠点という駄作製造機にはハードルが高いものを書き続けるのは至難でしたが、とにかくこれで雪蓮の話もお終いです。それでは、どうぞ。
コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!
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