**
「北郷さん、起きてください」
「ん……何だ、交代か?」
揺すり起こされ、眠い目をこすりながら辺りを眺める。
太陽は沈み始めており、この見張りが終わる頃には夜になっているだろう。
「はい。あ、思春様と私が交代したので私と一緒ですけどね」
「交代……って、すると幼平は二時連続じゃ?」
あの時の幼平の視線はなんだったのか。
確かに感じたのだ。侮蔑、憎悪、嫌悪、嫉妬、世間一般で負の感情とされるそれらがごちゃ混ぜに合わさった視線と感情を。
だが、今の幼平にはそれらを一切感じられなかった。
ほわほわとした笑顔を浮かべる少女のソレしか、感じられない。
「はいっ、ですが何となく目が冴えてしまって眠れないのです。
それなら思春様に休んで頂いた方がいいかなと思ったので」
「まあ本人がそれでいいなら構わんけど。
眠かったりしたら言ってくれよ。俺が替わりに引きうけるからさ」
「いえ、北郷さんに迷惑をかける訳にも行きませんし!
一時の間ですが宜しくお願いしますっ」
快活な少女、という一面は仮の姿なのか。
それともあの姿も、快活な今の様も幼平という少女の一面なのか。
恐らく後者だろう。というよりは後者であって欲しい。
もしも、この少女も仮面をかぶり己を騙しながら生きているとしたら。
それでいて、こんなに快活に笑えるとしたら──。
想像するだけでうすら寒い物を背筋に感じた。
「……」
「……」
互いに無言。
ぱちぱち。
何時の間にやら用意されていた焚火の中で乾いた小枝が躍った。
「なあ」
「あのっ」
偶然の一致か、神か何かの悪戯か。
俺と幼平は同時に顔を上げ声を上げた。
「っと、すまん。先にどうぞ」
「いえいえっ、北郷さんこそ先にどうぞっ」
なんだろう、この茶番は。
テンプレートならここらで照れあったりクスクス笑いあったりするのだろうか?
俺も、幼平も一切笑えなかった。
まるで、幼平の親の敵が俺とでも言わんばかりに、激しい憎悪を瞳の奥に渦巻かせながら俺を見ていた。
「……そうか。じゃあ俺が先に聞かせて貰う。
周幼平、お前はなんだ? 思春は、お前のなんだ?」
「……」
その質問をした事を俺は後悔した。
何故だろうか。何故、幼平は俺に侮蔑の笑みを向けているのだろうか?
まるで期待外れもいいところだ、とでも言わんばかりの笑みだった。
感情がぐるぐると俺の中を這いずり回って、思春を呼んだ時の様に、辺りが真っ暗になる錯覚に陥る。
どうして、どうして俺はあの時逃げたのか?
それを、幼平に激しく問いかけられている様だった。
「……詰まらない人ですね。いいです、答えます。
私は、思春様の半身であり、家族であり妹であるのです。そして貴方を許せないのは、私の半身の名を侮辱したからですよ。
何の覚悟も無く、思春様の真名を受け入れて……受け入れやがって!!
見苦しい! 無様! 情けない! こんな奴に! 思春様の真名を呼ばせるなんて!!」
「っ……」
幼平の視線は、俺を殺さんばかりに睨みつけていた。
嫌だ。俺は、俺は。
逃げ道を探し後ろを振り向く。
何故か、前に居る筈の幼平が後ろにも居た。
ゆらゆらと靄のように揺れる背後の幼平。
なんだ、これは幻覚だ。俺は夢と現の狭間で揺れているんだ。
そう、己に言い聞かせる。
覚めて欲しいから。幻覚なんて見たくないから。
でも叶わない。
覚めない。幻覚は消えない。靄の様な幼平の幻覚は、霞へ、風へと姿を変えながら俺の耳元で囁きかけた。
『同情でも買うつもりですか? それで誰かに飼われるつもりですか?
可哀そうな北郷、だから私が慰めてあげる。貴方って、ずっとそうやって生きて来たんでしょ?
何処かで、此処を眺めるように、私達皆を馬鹿にするかのように上から眺めて生きて来たんでしょ?』
「ち、違う」
『何が違うんですか。仲徳さんは優しいですよね。弱過ぎる貴方の本質を知っているのに慕ってくれるんですから。
文遠さんはまるで聖母ですよ。こんな卑怯者って知っていながら愛を注いでるんですから。
貴方の過去に何があったかなんて知りません、知りたくもありません。でも、いくらなんでも貴方、それに縋り過ぎじゃないですか?
言い訳ばかり考えて。それで体面だけ良くしようと保って。結局何が残ったんですか?
何も残って無いじゃないですか。本気で真名を受け止める事も出来ない屑になっちゃってるじゃないですか!!』
頭の中で声が響いた。
ふと顔を上げると幼平が俺を睨みつけたままでいた。
頭の中の声に、何も言い返せなかった。
過去だの客観だの格好ばかり付けて、結局俺自身が何か成し遂げた事なんて、何もないのだから。
その結果が、これだった。
ここは、夢の中なんだ。
俺は、朝起きればベッドで、白い制服をきて学校に行くんだ。
都合の悪い事、死んだり悲しくなったりしたらいつでも醒められる夢だと思い込んで。
未だ、何処かでゲームのプレイヤーとNPCの会話を見るように皆を見ていて。
俺はプレイヤー、霞は作中ヒロイン。そんな見方でこの世界を見ていて。
だからこそ、俺は人を殺して騙して盗んだ。ゲームだと思っていた部分があったから。
NPCはNPCでしか無くて、人殺しの罪を背負わないと思っていたから。
そんな想いが、ずっとあった事に。
俺は、気付いてしまった。
霞と風の優しさだけを頼りに独りで役を演じたつもりになっていただけだと、気付いてしまった。
霞と風を、愛する人達の真名を侮辱し続けていた事に、気付いてしまった。
十五年も、泥の中を這いずり生きたのに、俺はまだ、何処か此処を現実じゃ無い、そう思っていた事に気づいてしまった。
俺が、何も言わず頭を抱えていたからだろうか。
幼平は再び口を開いた。
「逃げないでください。覚悟の無い貴方に、素敵なお話をしてあげますから。
私と思春様は奴隷上がりでした。物心ついた時から首には鎖を、足には枷をされていました。
母は目の前で慰み物にされて、それを毎日見続ける日でした。いつか、私達もああなる、と言われ続けながら。
思春様が十歳になったとき、5年前の話です。
遂に私と思春様の番がきました。見知った禿げ頭の男、母を犯し続けた豚に、私と思春様は犯されました。
それから十と七日、私と思春様は犯され続けました。何人の男を咥えこんだか分かりません。
何人に弄られ中で精を放たれたかもわかりません。初潮も来ていない私達は、好き放題弄られたのですから。
でも、死のうとさえ思いませんでした。だって、それが常識でしたから。犯される事が生きる意味でしたから。
今思い返せば全身の毛穴まで寒気と嫌悪で栗立つのに、この、穢れた子宮を切りだしてしまいたい衝動に襲われるのに!
……そして、十八日目でした。思春様は、男たちを皆殺しにしました。
絞殺、撲殺、刺殺、焼殺、圧殺、持てる方法全部を遣って、連中を殺しつくしました。
何があったか、何を知ったか、そんなこと私は知りません。でも、思春様は殺しつくし、血だまりの中で私を迎えてくれました。
『自由だぞ、明命。さあ、一緒に遊びに行こう』
あの瞬間から、思春様は私の半身になりました。思春様こそ全て。思春様に害悪を齎(もたら)す存在は殺す。
他に、何も無かった、犯される事しか知らなかった私の全てが、思春様です」
怒りに歪み、憎悪に焦がされた表情は、恍惚の笑みへと変わった。
ああ、そうか。
この少女も狂っているのか。
頭の中で響く、罪を囁く声の隙間で、俺はそんな思いを抱いた。
「だからこそ、貴方を許せない。覚悟の無いまま思春様の真名を穢した貴方を。
本当ならこの場で貴方を殺してしまいたい。でも、ソレはできません。
だって、思春様が悲しんじゃうじゃないですか。覚悟の無い貴方とは違い、本心で貴方を受け入れた思春様は」
「……ああ」
「何を呆けてっ! 貴方は、真名がなんたるか分からないのですか!!
思春様の全て、思春様の存在、思春様の具現! それを、それを穢した貴方は許される事は無いのですよ!!」
恍惚から憎悪へ。
くるくると移り変わる表情を眺めながら。
「……幼平」
「なんですか。安い謝罪なんて──」
「真名にかけて、一刀という名に掛けて謝罪する。済まなかった」
その言葉しか想い浮かばなかった。俺はどこまでも卑怯者らしい。
こう言ってしまえば、真名を盾にしてしまえば幼平は何も言えないと分かっていて、言ったからだ。
どうやら俺は現代に、あの平成の日本へ帰るという一縷の望みを捨てられないようだ。
この地で霞や俺を愛してくれる人を作っておき、骨を埋める覚悟も半分決めながらも、だ。
真名を理解する、というこの世界の根本まで許容してしまえば、俺は完全にこの世界の住人になる。
それだけはできなかった。俺が、俺で無くなるように思えて。
未来の世界を生きた俺【北郷一刀】が、この世界の俺【高順北郷】へと変わってしまうようで。
「っ!! 貴方は! 真名をなんだと!! そんなの! 己さえも穢すのですか!!」
「……済まない。幼平」
「ッ……、私に、それを拒絶することはできません。真名を、拒絶なんて……」
「……」
「ですが……私は、私はっ!
貴方を許しても、認めません!! 北郷さんなんて大嫌いです!!」
明確な拒絶だった。
卑怯者の俺には軽過ぎる罰な気がする。
「……そうか」
そう呟くと、それ以上幼平を見ていられなくなった。
真っ直ぐな瞳が怖くて仕方なくなった。
ふと、空を見上げた。
空に昇った月は、半分に欠けて尚優美に俺と幼平を照らした。
温かさを持たないのに、何故かどうにも月が温かく感じた。
**
/明命
「……詰まらない人ですね。いいです、答えます。
私は、思春様の半身であり、家族であり妹であるのです。そして貴方を許せないのは、私の半身の名を侮辱したからですよ。
何の覚悟も無く、思春様の真名を受け入れて……受け入れやがって!!
見苦しい! 無様! 情けない! こんな奴に! 思春様の真名を呼ばせるなんて!!」
私は、北郷さんに向かって怒りを吐き出しました。
真名を理解せず呼ぶこの男が許せなくて、真名を理解せず思春様の真名を呼ぶのが許せないから。
「っ……」
するとどうでしょうか。
この人は当りをきょろきょろと見回し始めました。
まるでソレは逃げ道を探す小動物の様で、情けなく惨めな姿に見えてしまいました。
「ち、違う」
イヤイヤと子供が駄々をこねるように、頭を抱え込みながら呟きます。
焦点の定まって無い目で、虚空を見つめながら、ただ違うとだけ呟きます。
何故この人は真名を理解しようとしないのでしょうか。
何があって真名を呼ぶことの本質を理解しないのでしょうか?
真名とは、すなわちその人。
その人の人となりを示し、その人の人格を形成し、その人の生きる道を照らす道標となる。
つまり、真名とはその人間としての一個人の全てを指し示す神聖なもの。
生の瞬間父母や親愛する人より賜り、生涯己を指し示す最高の標榜となる。
それを、理解せず呼ぶと言う事はその人の全てを否定しているのにも等しいのに。
それを、理解せず呼ぶと言う事はその人を観衆の面前で陵辱しているのにも等しいのに。
何故、この人は理解しないのでしょうか。
大切な人がいて、大切にしたい関係があるのに、何故真名を理解しないのでしょうか。
私にはわかりません。
そして、思春様を辱めているこの人が益々許せなくなります。
北郷さんが何かに怯える様な目で私を見ます。
その目が益々私をいらだたせます。
人の尊厳を踏みにじるのに、自分は何かを恐れてそれを避けようとするなんて自分勝手も過ぎる様に思えてなりません。
気付けば、話す積りなんて毛頭無かった事が口から飛び出していました。
「逃げないでください。覚悟の無い貴方に、素敵なお話をしてあげますから。
私と思春様は奴隷上がりでした。物心ついた時から首には鎖を、足には枷をされていました。
母は目の前で慰み物にされて、それを毎日見続ける日でした。いつか、私達もああなる、と言われ続けながら。
思春様が十歳になったとき、5年前の話です。
遂に私と思春様の番がきました。見知った禿げ頭の男、母を犯し続けた豚に、私と思春様は犯されました。
それから十と七日、私と思春様は犯され続けました。何人の男を咥えこんだか分かりません。
何人に弄られ中で精を放たれたかもわかりません。初潮も来ていない私達は、好き放題弄られたのですから。
でも、死のうとさえ思いませんでした。だって、それが常識でしたから。犯される事が生きる意味でしたから。
今思い返せば全身の毛穴まで寒気と嫌悪で栗立つのに、この、穢れた子宮を切りだしてしまいたい衝動に襲われるのに!
……そして、十八日目でした。思春様は、男たちを皆殺しにしました。
絞殺、撲殺、刺殺、焼殺、圧殺、持てる方法全部を遣って、連中を殺しつくしました。
何があったか、何を知ったか、そんなこと私は知りません。でも、思春様は殺しつくし、血だまりの中で私を迎えてくれました。
『自由だぞ、明命。さあ、一緒に遊びに行こう』
あの瞬間から、思春様は私の半身になりました。思春様こそ全て。思春様に害悪を齎(もたら)す存在は殺す。
他に、何も無かった、犯される事しか知らなかった私の全てが、思春様です」
思い出すだけで怒りに歪み、憎悪に焦がされます。心がその感情に支配されます。
だからこそ、思春様が私に与えて下さった感動と生は大きい。
絶望すら知らなかった。それが常識でその世界しかなかった私を救い出してくれたあの方こそ──。
そして、だからこそ……。
「だからこそ、貴方を許せない。覚悟の無いまま思春様の真名を穢した貴方を。
本当ならこの場で貴方を殺してしまいたい。でも、ソレはできません。
だって、思春様が悲しんじゃうじゃないですか。覚悟の無い貴方とは違い、本心で貴方を受け入れた思春様は」
「……ああ」
その態度に益々苛立ちます。
生返事しかしない態度も、気だるげな表情も、焦点を合わせない視線も何もかもが!
「何を呆けてっ! 貴方は、真名がなんたるか分からないのですか!!
思春様の全て、思春様の存在、思春様の具現! それを、それを穢した貴方は許される事は無いのですよ!!」
そう、声を張り上げます。
いつの間にか、北郷さんの目の焦点が合い私を見つめてしました。
「……幼平」
「なんですか。安い謝罪なんて──」
出るであろう言葉を予想して、それを先に止めようと試みます。
ありきたりな定型文で、真名同様に何も感じない言葉を聞きたくは無かったのです。
ですが、その予測は裏切られました。
最高に敬意を払うべき言葉で、なのに私を最低な気分にさせる言葉でした。
「真名にかけて、一刀という名に掛けて謝罪する。済まなかった」
真名にかけて。
つまり己の全てを掛けて、謝罪をするという意味になります。
それは、とても重くて決意の要る言葉でありながら、この人、北郷さんには造作もない言葉に思えてなりません。
真名を理解しない北郷さんは、それを簡単に口に出来るのです。
でも、だからと言って、真名をかけたという事実は無くなりません。
傍から見れば最高の誠意がこもった言葉であり、最高に敬意を払った謝罪でしかないからです。
「っ!! 貴方は! 真名をなんだと!! そんなの! 己さえも穢すのですか!!」
だからこそ、私は怒ります。
謝罪の事では無く、己の真名さえ穢した北郷さんをです。
これで分かりました。分かってしまいました。
北郷さんには、真名とは、本当に価値の無い物で己を表す記号でしかない物なのだ、という事が。
そんな事が、己が己を蔑にするなんてことが許されていいのでしょうか?
真名へ関与できるのは、その真名の持ち主だけに決まっています。
だから私がとやかく言うことはできません。
だからと言って、こんなことがあっていいのでしょうか?
「……済まない。幼平」
「ッ……、私に、それを拒絶することはできません。真名を、拒絶なんて……」
「……」
「ですが……私は、私はっ!
貴方を許しても、認めません!! 北郷さんなんて大嫌いです!!」
私には、重くて耐えられない位に意味を持つ言葉を、平然とドブに捨てて見せる様な北郷さん。
それが、許せませんでした。
だから、私はこの人を嫌いに思いました。
同時に、なんとかしなければいけない、という使命感にも似た感情が溢れてきました。
嫌いなのに、殺してしまいたい位に嫌悪しているのに。
この、欠陥品な北郷さんをどうにかしたい、そう思えてなりません。
「……そうか」
北郷さんは、空を見上げながらそうぽつりとつぶやきました。
釣られて私も空を見上げます。
……浮かんでいるのは半分に欠けた月でした。
冷たい明かりで私達を照らす月が、どうも憎たらしく見え、私は憎悪の視線でソレを一瞥しました。
月はまるで怯んで見せる事も無く、唯唯大嫌いな冷たくて凍えそうな明かりで煌々と照らしてきました。
土曜日すら間に合わなかったよ!ナンテコッタイ!
ごめんなさい、甘露です。
さてどうしたものか。
とりあえず頑張ってss書きます。
はい。
今回は何だか面倒な言い回しと心理描写だけになってしまいましたね。
本当ならこの次も描着終わってる筈だったのにorz
感想、客観的なご意見お待ちしております。
では
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