≪漢中鎮守府・評定の間/羅令則視点≫
一刀さんの言葉に喜色を露にする孫家の面々と、驚愕を隠せないでいる他の方々を、私は冷ややかな目で見ることしかできないでいます
もともと、事前の会議でこの筋道も検討されていたのは事実です
“どのような要因であれ曹孟徳がその覇気を統治以外に向ける意思が明白になった場合は、その抑止として孫家を利用する”
ただし、一刀さんの名誉の為に言わせてもらうなら、一刀さんはなるべくこれをやりたくない、と言ってもいました
この策を用いれば最後に泣くのは結局民衆だから、と
「曹孟徳も孫伯符も、その気質の根本は王であって方向性は異なったとしても他者に頭を垂れる事をよしとはしない人為だ
こういう人間は結果としてだが、自分が歩いてきた道がどれほど血に染まっていようが、最終的に涙で出来た花束を手向ける事はあっても、それを後悔はしないだろう
だから、できるなら政治の段階で上手に絡め取らないといけないよね」
兵馬を十全に整えていたのも、戦はあと一度、どうしても力を見せつける事をしなければ関係の根本的な改善は望めない五胡と涼州に対してのみ
上庸は涼州の結果をもって軍を動かせば恐らくは恭順を示し、その後の巴蜀も劉君郎の死を待って調略を駆使すれば、時間はかかっても民衆は無血で確保できるはず
その上で中原を漢室に平らげてもらい、後は天律を浸透させながら、いずれ泰山にて漢室に天位を“天”に還してもらう事で、一刀さんが言うところの“合州国”という形で民衆主導の政治の基礎を創り上げる
漢室はその後、太平の象徴として存続してもらう事で、身分と地位を安堵しながらも政治的実権を剥奪すれば誰も困らない
これが円卓にて一刀さんが考案した太平100年の計の概要でした
この構想に関して、一刀さんはこう言っていました
「この広い大陸をたったひとつの方法で治めるのは絶対と言っていい、無理だと俺は思う
それぞれの土地に独自の文化があり、住む人間の気質も産業もなにもかもが異なるんだからね
それで俺は、天の国にあるいくつかの国の持つ制度を掛け合わせてみようと思ったんだ」
これを試行錯誤の末思いついた、と言った時の一刀さんの顔は本当に嬉しそうで…
「まず、今俺達がやっている事を雛形に、この大陸を州に区分する
今の州ではなくて、そうだなあ…太守が据えられている場所を“州”として区分する
多分50くらいの数になるんじゃないかな
で、それぞれの代表で円卓を設ける
円卓の主席は権力を放棄してもらった漢室がいいだろう
そうやって、大陸全体に関わることは合州国円卓会議で、それぞれの州に関しては州で決める
俺はこれが一番いいんじゃないかな、と思うんだよ」
これに、有識者や技術者・研究者達で助言などを行う部署を作り、この形を今の漢中のように三角形で民衆の意見を汲み上げられるようにしていけば、今までと全く違った民衆主導による政治が可能なはずだ、と
珍しくも子供のように目を輝かせて語る一刀さんの言葉に、私達も頷いたのを今でも昨日のことのように思い出せます
これについては現在もまだ雛形が出来上がったのみで、巨達ちゃんを中心に計画の実施などについて試行錯誤が繰り返され、日々漢中で試験運用がなされています
一刀さんがこれほどの考えから慎重に慎重を期して行なっていた事を放り投げ、戦う事を選んだ理由ははっきりしています
それは、郭奉考が原因といえばいえますが、その本質は違うのです
その理由はただひとつ
劉玄徳と公孫伯珪が、巻き込まれた民衆の立場より楽文謙の立場を優先したこと
世間でどう思われているかは知りませんが、一刀さんは“対話”を拒否したことだけは一度もありません
一刀さんのところにあがってくるまでに解決してしまう問題しかなかったので民衆と直接語らう機会こそありませんでしたが、それが必要なら一刀さんは毎日街に出て民衆と語らい続ける事でしょう
そんな一刀さんに向かって会話を拒否し続けている涼州を庇い、民衆を巻き込んだ楽文謙を庇い、そして民衆の事については言及しない彼女達
結果として不幸な事になったが、と言って民衆の身命を軽視する事になっている事に気づかない彼女達
そんな彼女達との対話を諦めたといえる今回の事は、短絡だと思わなくもありませんが、一刀さんの心情は私にも理解できます
例えば、涼州が道理をもって“これから”の事について対話を求め、涼州の民衆のためにと話を進めてきたのであれば、私達は困難が増すとしても涼州ではなく五胡をその対象とするでしょう
いまだ襲撃と略奪を繰り返す部族も多く、本来はそれが道理であると一刀さんも認めています
ただし、五胡の一角を殲滅し、敵対部族と長い戦いを続けるのなら、涼州を的にし、その武威をもって会話の席を構築した方が間違いなく流血は減る
そう判断しているだけの事なのです
これが人道からは遠く離れているのは百も承知しています
なればこそ、涼州は積極的に対話を求めてこなければならないはずなのです
この点で劉玄徳は明らかに順番を間違えました
彼らを庇い、橋渡しをするのであれば、涼州諸侯を引き摺ってでもこの場に連れてくるのが先のはずなのですから
そして公孫伯珪
彼女は楽文謙を本気で庇うのであれば、何を置いても私達の前に飛び出すべきだったのです
全てを明らかにし、その上で“顔も知らない民衆”をどう遇するか
まずそれを語るべきだったのです
楽文謙の立場を斟酌する前に、まずは巻き込まれた民衆にどう詫びさせるか、それをご自身の見識で語るべきだったのです
一刀さんはこうも言っています
「人間なんてね、顔も知らない人間の為に泣いたり笑ったりはできないよ
だから俺には泣く権利なんてどこにもないんだ」
だから戦争を嫌う
だから争いを厭う
だから差別を憎む
顔も知らない誰かのために心から喜び涙を流せる、それが一刀さんだから
面識もない人達と同じでいたいから、と清貧を貫き些細な報告に一喜一憂する
そんな一刀さんに向かって貴女達は何をしてしまったか
だから、私は貴女達を嫌いはしませんが、多分憎む事でしょう
一刀さんに、私達にこの道を歩ませる、貴女達の事を
握り締めた私の拳からは、いつの間にか血が滴り落ちていました
≪漢中鎮守府・評定の間/劉協視点≫
僕は驃騎将軍の従卒というより小姓として、姉上と共に詮議の場に列席を許されていました
僕のような年齢の子供がこういう場に列席するのは難しい事なんだそうですが、そこは将軍と姉上が便宜を計ってくれ、僕の身分でならこういうのは無駄にはならないだろう、という事で認めてくれたんだそうです
僕の知る御使いは、僕を子供扱いしながらも視線を合わせてくれる、なんというか不愉快なんだけど嬉しい、そんな人です
この“子供扱い”というのも、例えば驃騎将軍なんかとは違っていて
「稚然くんはもっと子供らしくすればいいのに」
というのが最近僕と話すときの口癖みたいになってます
天の御使いに言わせると、僕は聞き分けが良すぎて子供らしくないんだとか
僕なんかの視線で見ても、もう少し美味しいものを食べればいいのに、と思うような食事を毎日嬉しそうに口にしながら、僕と同じくらいの頃の自分の話なんかをしてくれる御使いは、なんというかかなり変なお兄さん、というのが僕の印象でした
正直、姉上や驃騎将軍、相国や大尉がどうしてこんな人を、と思う事しかなかったんです
それが子供の浅知恵で、この人が僕に合わせてくれていたというのを、今目の前にしています
身体の震えが止まらなくなっている僕の肩を、姉上がそっと抱き寄せてくれます
「すまぬな……
このような状態になると判っていたら、お前をここに連れてはこなかったのだが」
姉上の温もりを感じて身体の震えが止まった僕は、それに首を横に振ります
「いえ、これは僕が望んだ事でもありますから…」
ぎゅっと歯を食いしばっていると、姉上が呟きます
「よく見ておくのだぞ
歴史に名を連ねる先祖達の中でも、あれほどの男はそうはいない
そして覚えておくのだ
あのような男を味方に、友にしておけば、一番苦しい時には必ず助けてくれる
そういう者と交わり信義を得てこそなのだ」
そんな姉上の瞳は、なんというかとても熱い感じがして…
「………姉上は、あの者を好いておられるのですか?」
冗談のようにそれを口にする事はよくあったけど、それはいつも笑いながらで、誰も本気に受け取っていた感じがしなかったし、僕も冗談だと思っていたんだけど…
姉上は僕の問いに、やっぱり冗談を言ったという感じで笑顔を見せてくれる
「……そうだな
お前が無事私の後を継いでくれたら、考えてみるとしようか」
それでなんとなく解っちゃった事がある
姉上、かなり本気だ
御使いが僕のお義兄さん……
うん、なんだか悪くない気はする
ただ、毎日あんなご飯になるのは、ちょっと勘弁して欲しいな
暖いのは嬉しいんだけど、嫌いなものが多過ぎるよ
僕がそんな事を考えたとき、姉上は表情を引き締めて僕に告げる
「…覚悟を決めておくのだぞ
昨日までのような穏やかな時は、もう二度と来ぬやも知れぬ」
「えっ!?」
姉上の言葉に僕は思わず声をあげちゃったんだけど、驃騎将軍もそれに頷いている
「そやな……
なんやかんやと黄巾の乱より今の平和を支えてきたのは天譴軍や
それが羊の皮を脱ぎ捨てたちゅう事がどないなことか。よう見ときいや」
「驃騎将軍の言葉を借りるなら、永遠に羊の皮を被っていたかった事であろうがな、あの天の御使いは」
「ホンマにかないまへんわ…
勘弁して欲しいわ…」
僕にとっては戦争なんて、結局は外界の出来事だ
洛陽での大虐殺は身近といえばそうだけど、僕にはそれもドタバタしてるうちに終わってしまったという感想しかない
「今すぐ理解しろなどという無理は言わぬ
だが、今この場に居た事を忘れるでないぞ
止めるよう尽力はしてみるがな…」
「そうでんな……
無理やろうけど、何もせん訳にもいきまへんもんな…」
あー、ババ引いた、と溜息をつく将軍の横で、僕は再び車椅子に座る御使いを見る
疲れて動けなくなったみたいに背凭れに身体を預け、目を閉じている御使いは、僕にはなんだか泣いているように見えた
「優しすぎる男というのも、罪なものよな……」
そう呟く姉上に僕も頷きながら
≪漢中鎮守府・評定の間/趙子龍視点≫
私は予々疑問に思っていた事があります
それは、桃香樣達が天の御使いに持つ印象と、民衆のそれのあまりの乖離にです
この疑問は漢中に足を運んだ事でいよいよ大きくなり、私はそれを自分の目で確かめる為に皆と別行動を取り、ひとり市井を徘徊しておりました
いや、これは別に情報収集にかこつけて昼間から飲み歩きたかったからでは決してござらぬ
……酒肴を嗜んでいなかったのかと言われると、いささか苦しいものがあるのも事実ですが
いや、酒肴の席では誰とても口が軽くなり、よき話が得られるものです
なので私は間違ってはいないと断言でき申す
………話が逸れましたな
ともかく、私の目から見た天の御使いとやらは、どう見ても悪人にしか思えぬのです
奸臣佞臣や官匪といった寄生虫の類とは一線を画すことだけは違えようもないものですが、その気質は英雄英傑といったものからは程遠い
物事には謀をもって当たるを常とし、その感情や気質を利用して相手を陥れるというやり方は、正直に言えば私の好みからは程遠いものです
しかしながら、洛陽の民衆やここ漢中では絶大な人気を誇っております
民衆を英雄と呼び、悪質とも言える扇動でもって漢中に君臨する稀代の悪漢
これが私が天の御使いに持っていた印象といえます
そんな私の印象を更に覆すのが、実は天譴軍の主軸ともいえる将帥達です
彼女らの気質は基本的に善良で真直なものであり、その人格も高潔なことから、とてもとてもあのような悪人の下に集うような人物には見えないのであります
そう思い私なりの視点で掘り下げて情報を集めてみたところ、これが意外に面白い
この乱れた世にあって学業芸術を保護推奨し、兵を用いて積極的に開墾灌漑事業を行い、金貸しを禁じてそれらを国で扱い、人身売買を禁じている
悪所に身を落とさざるを得ない者であっても、その先をしっかりと見据えた扱いを約束している
ただの悪人には到底不可能な事ばかり
その生活も清貧といえる謹厳さであり、権力欲や支配欲などからは程遠いものです
これらの疑問をそれとなく天譴軍の諸将に尋ねてみたのですが、結論として答えはひとつ
その疑問を直接ぶつけてみるといい
そう言われるに留まりました
むう……
この趙子龍、天下について語るのは吝かではありませんが、流石に乙女として、男性とふたりきりでそのような事を熱く語るのは、いささか抵抗があるのですがな
色艶の話になるのは、ある意味歓迎ではありますが、自分が認めぬ者とそういう雰囲気になるのも面白くはありますが冗談で済みそうにもありませぬし…
などと斯様に悩みつつも機会を伺おうと考えていたところで、このような事件と相成った訳であります
そして、皆の顔や雰囲気、天譴軍の諸将、天の御使いの言動を見ていて、私はひとつ勘違いをしていた事を悟りました
この男は悪人などでは決してない
稀代の悪漢どころか、かつてない程の大悪人なのだ、と
心底天下を、世を憂い、民衆の立場に立つからこそ、策を用い謀を成し、その手段を選ぼうとしていなかったのだ、と
何が切欠かは私には解りませぬが、そんな男が民衆を巻き込む事を決意した
謀略を駆使し陰謀をもって民衆の流血をとことん嫌い抜いてきた天譴軍が、その手に槍を持つ事を選択した
沿わぬ者は尽く敵とする、と言い放つ、その事で
天下太平のため、桃香樣にこの槍を捧げた事を、この趙子龍、悔いる事はありますまい
しかし、民衆のためではなく“民衆と共に”槍を向けてくるであろう、天譴軍と我らは戦う事ができるのか
この趙子龍が本当に槍を捧げるべきは、どこなのか
その答えは、もうすぐこの場ではっきりとする事でありましょう
桃香樣、私は貴女を信じておりますぞ
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