第三章 ブラックウォーター・インダストリー
私がその店と「戦闘状態」に陥ったのは、去年の暮れに差し掛かった頃のこと。
大凶作の三文字がいよいよ影を落とし、飢えよりも先行きの不安の為に、酒杜氏を始めとした大量の自殺者が出始めていました。
辛うじて残っていた昨年の米も尽き、なけなしの今年の米を巡って暴動すら起き始めたその時、中産階級以上の家庭からは、とある謳い文句が聞こえて来るようになりました。
『米が無いなら、『鳥』を食べれば良いじゃない』
この未曾有の大混乱に乗じ、あの鳥料理屋が同業者と共に、大規模な販促活動に出たのでした。
これらの店は元から専門的に鳥肉を取り扱っていたのですが、その多くは鶏のような、最初から食用を目的として飼育された家禽類が主力商品でした。
しかしこの鳥料理屋は、マタギによる猟を、そしてマタギ自体の増員を奨励し、自然に生きる鳥達の犠牲の上で、食料難を凌ぐことを提言したのでした。
私はすぐさま、この食料難の皺寄せを鳥類に押し付けようと言う風潮を作った店、すなわち例の鳥料理屋を批判する記事を書きました。
折しも、このような混乱に惑わされない、的確な情報を求める中流以上の家庭を中心に、私の新聞の売れ行きが徐々に伸び始めておりました。
この流れなら、新聞の力で世論を変えられる――。
私は確信を持って、徹底抗戦に踏み切りました。
『幻想郷にいるのは、世間のこと等どうでも良いと思っている連中ばかり――』
永琳女史は確かにそのように言いましたが、今は違います。
今や、本当に沢山の方々が、私の情報を渇望していらっしゃるのです。
私はそう自信を持ちつつも決して油断はせず、連日連夜のように寝る間を惜しみ、時にでっち上げの内容を盛り込んでは、延々と批判記事を書き続けました。
しかしながら、その結果はこの有様と言えましょう。
連日第一面を飾っていたこの店は、当然のように購読者の目に留まりました。
そして私の新聞を購読していない人には噂になって伝わり――大勢の方々が、久方振りの満足な食事を摂る為に、その店にどっと押し寄せたのでした。
店先には毎日のように行列が出来、酷い時には仕込み不足で閉店が早まる程までになりました。
店は慌てて仕込みを増やしましたが、一度火が点いた人気は衰えることを知らず、連日連夜の大盛況。
最早、皆まで言う必要はないでしょう。
文々。新聞と言うマスメディアは、鳥の狩猟及びその食用、そしてそれを推奨した鳥料理屋を全面的に支援し、その商売繁盛に一役買っていたのです。
そして悲劇は、それだけでは終わりませんでした。
鳥肉の需要は以後も爆発的に伸び続け、野鳥すら足りなくなる事態に陥りました。
その結果、かねてから人間の身近にいたにも関わらず、おおよそ食用には向かないと見みなされていた鳥に、その矛先が向きました。
千余年前、私自身がその一員として生きていた鳥種、鴉――。
その時になって、私は初めて理解しました。
私は、取り返しの付かないことをしてしまったのだと。
私自身のその手で書き上げ、私自身のその手で発行した新聞。
私自身の意志を持ち、私の分身として意志を伝え続けた新聞。
私自身の言葉であり、私自身でもあった新聞。
私は、文々。新聞を、私自身を、恐怖したのでした。
その後も、私達はほぼ毎日のようにあの閑散とした瀟洒なカフェーで落ち合い、例の依頼の決行に向けて話を進めていきました。
とは言っても、実際のところ私は最後の最後まで決行の日を知らされておらず、どのような手段を講じるのかは、聞いても教えて頂けなかったのですが――。
その作戦会議の合間、私は遂に、念願のてゐ女史ご自身についての取材をさせて頂くことが出来たのですが、その話はまた、次の機会にさせて頂きたいと思います。
さて、私達が初めて顔合せをしてから一週間近く経った、三月中旬の某日。
例によって、暖炉の火で温まったカフェーでひとときを過ごした後、私達は肌を突き刺すような冷たい外気に白い息を立てながら、例の鳥料理屋へと向かいました。
夕べは、去り際の冬が忘れ物を届けに来たかのように、雪をどっさりと降らして行った為、今朝は街中何処も彼処も雪掻き(※1)に追われておりました。
今日の電車は、凍結した路面を鑑みて朝から運休。
荷車や自動車もそれを嫌がり、文字通りの交通麻痺、と言う状況でした。
しかし、カフェーから出て来てもう一度往来の様子を見れば、結局除雪されたのは各建物の屋根や、軒先のほんの少しだけ。
日頃は車輪が幅を利かせる往来は、今日は子供達や開店休業で暇を持て余した大人達で溢れ、暢気にも雪合戦やら雪だるま作りに勤しんでいるのでした。
そんな様子を物とせず、例の鳥料理屋は相変わらずの平常営業。
実際客足こそ遠ざかっていたものの、暖簾の奥から威勢の良い声がする程度に、いつもとそう変わらない調子を見せていました。
「こんな日でも飽きもせずやっているのか。全く精が出るな」
毛糸の帽子を深く被り、褐色の温かそうな外套の襟をミトンで覆った手で寄せながら、てゐ女史は皮肉を込めて言いました。
飽きもしないと言えば、今さっき私達がお世話になったばかりのカフェーもそうですが、まぁそれはそれ、これはこれ。
「まぁ、『あきない』とも言いますからね」
すかさず私は、先日の寄席で見た落語から引用した渾身の切り返しを入れました。
が、反応は無し――強いて言えば、小さく舌打ちが聞こえました。
私はばつが悪いのを引きずったまま、結局話を戻すしかありませんでした。
「た、確かに、こんな日にまで営業したところで、肝心の炭が底を付いたら、翌日以降に響いてしまうと思うのですが……」
と私が言いますのも、実は今日こそが、例のお店の炭の配達日なのです。
何しろ繁盛しているお店ですから、一日の消費量も馬鹿になりません。
十日に一度、すなわち月三回の配達とは言え、一回でかなり大量に仕入れていると言うのに、道路がこの有様では、十中八九配達される訳が無いでしょう。
そう言う意味でも、こんな日に店を開いたところで、一体どんな利があるのやら。
と、一瞬目を離したその隙に、てゐ女史はその店の真ん前へと歩いてきます。
私も慌てててゐ女史に続き、堂々とその店の前に立って、中の様子を窺います。
間も無く一組の利用客が暖簾の向こうから出て来て、遅れて出てきた男性店員に見送られて店を離れていきます。
そして男性定員はすぐさま私達の方へと振り向きました。
「へいいらっしゃ……って、あんだよ、いつだったかの面倒臭ぇブン屋じゃねぇか」
威勢の良い声で私達を迎えようとしたのも束の間、男性店員は、招かれざる客の顔を見て興醒めしたと言わんばかりに、大袈裟な溜息をつくのでした。
実際されても願い下げですが、あれだけの宣伝効果があったと言うのに、私には感謝の言葉すらありません。
それどころか店側から私に言い渡されたのは「入店お断り」の五文字。
この男性店員も例に漏れず、戸口であからさまに私達を通せん坊をしています。
そして今しがた誰かも仰っていたような言葉を、殆どなぞるように言うのでした。
「お陰様でうちはこの有様だってのに、飽きもしねぇでご苦労なこった」
推さずとも分かる私への皮肉。
残念ながら、この店の前では到底ふざける気にもなれません。
今にも張り倒してやりたい気持ちを抑え、私は至って平静を装って尋ねました。
「いえいえそれ程でも。ところで、本日は炭の配達予定日とお聞きしておりますが、この道路状況では配達が来ず、翌日以降の営業に響くのではございませんか?」
私が暗に、閉店や休業、営業停止を期待して問い掛けるのはいつものことです。
それに慣れきった店員も、鼻で笑いながら涼しい顔で答えました。
「ハッ、うちで頼んでる炭屋さんは、そんなやわじゃねぇよ」
何故この店員が自慢そうなのか理解出来ませんし、正直なところ癪に障ります。
ですが、こちらのこと等何処吹く風、店員は尚も自慢げに言葉を続けました。
「雨が降ろうと槍が降ろうと、必ず配達日に届けに来てくれる人だ。だからうちは、今日もバリバリ商売してんだよ」
有史以来ついぞ降ったことが無い槍はさて置き、炭を濡らして配達しに来るのは実際のところいかがなものかと思うのですが。
しかし成る程どうして、中々豪気な炭屋さんもいたものです。
その妙にしたたかな根性には、素直に感心せざるを得ません。
そう言えば、冬入りの辺りに厨房や客席で使う炭を変えたとか、そんなことを言っていたような。
当初は、煙の少ない備長炭(※2)を一度に大量に納品出来る炭屋が現れたからとか、そんな理由だった気がします。
ただ、私自身が余り重要だと考えていなかった為、その炭屋のことを良く知りませんでした。
些か言い訳がましいかも知れませんが、如何に私とて、この店の全てを知り尽くしている訳ではありません。
この数日で新たに知ったこともあれば、最近になって変わったことも、あってしかるべきなのですから。
何にせよ、一体何処の誰がここに納品しているのか――。
淡くも私がその炭屋に興味を抱き始めたその時、ずっと黙って私と店員の問答を聞いていたてゐ女史が、初めて話に割って入りました。
「その炭屋……ひょっとして、藤原妹紅?」
おや、知っている名前が――。
と言うか、そこで私は思わず叫びたくなるような衝動に駆られました。
この店が炭を変えるほんの少し前、藤原 妹紅さんが炭屋稼業を始めたと言うのを独占報道したのは、そもそも私だったではありませんか。
私の新聞は配達のみならず、カフェーや売店等でも委託販売しておりますから、どこで入手していても不思議ではありません。
どちらにせよ、この店はほぼ間違いなく、私の新聞に目を通しているのでしょう。
記事にされたことを逆に利用し、更に他の記事からも情報を入手して来たのです。
実際役に立っていたと言うべきか、むしろ散々こけにされていたと言うべきか。
正直なところ、自分でも複雑な気分になりました。
「おっ、お嬢ちゃん良く知ってんな……って、こんなのと知り合いかい?」
一人で悶々としている私を尻目に、店員はてゐ女史を褒めながら帽子越しに頭を撫で、そして怪訝そうにそう言いました。
ひょっとして私が近くにいなければ、てゐ女史はお客様として、玄関から堂々と入店出来たのでしょうか。
まだ洋装は珍しいとは言え、耳さえ帽子で隠してしまえば、人間の少女と全く見分けが付きません。
そう思うと、私まで一緒に店の前にまで来てしまったのは、てゐ女史にとっては都合が宜しくなかったかも知れません。
「お嬢ちゃん、悪ぃこたぁ言わねぇから、こんな奴たぁ手ぇ切った方がいいぞ」
と、その間にも、店員がまた一つ余計なことを言いました。
てゐ女史の目線まで姿勢を落として、まるで幼子に言い聞かせているかのよう。
そして当のてゐ女史は、さも含みありげな顔で私を窺っています。
「……聞き捨てなりませんね。個人的な感情で、この方に妙なことを吹き込んで欲しくないです」
ペドフィリストに一々感情を逆撫でされて少し腹が立った私は、わざと言い返されるような言葉を選んで、店員に言い返しました。
「個人的だぁ?妙な因縁を付けて来やがったのは、むしろお前じゃねぇか」
案の定、店員は私の言葉に食いつきました。
てゐ女史には申し訳ありませんが、ここまで来れば売り言葉に買い言葉です。
「因縁?私は鳥類を代表して、貴方方の野蛮且つ卑劣極まりない所業を……」
「だぁーっ!!また始まりやがった!おい誰か、塩持って来い!塩!」
そして始まる、たった二人の喧々囂々。
妙な騒ぎを聞きつけて、周りには野次馬が集まって来ます。
てゐ女史はすっかり呆れ果てておりましたが、私はやめません。
私は絶対に、この「戦争」に負ける訳には行かなかったのです。
「おーい、ちょっと、道を開けてくれよー!」
と、良い感じに盛り上がって来たところで、時機悪く別の声が割り込みました。
いつしか店先をぐるりと取り囲んだ人集りの向こうに、霊夢さんとは意匠違いの、紅と白のリボンが見え隠れしています。
「だぁっ、噂をすればだ!!見世物じゃねぇんだ!てめぇらとっとと散りやがれ!!」
店員は私を乱暴に突き飛ばし、野次馬に向かって怒鳴り散らしましました。
店員の粗暴な言い草にぶうぶう言いながら、三々五々に散って行く野次馬達。
そしてその入れ替わりに噂の主―藤原妹紅さんご本人が、この場に到着されたのでした。
「いやぁどうも妹紅さん!今日もご苦労様です!」
店員は妹紅さんの方へ小走りで歩み寄り、取り繕うように言いました。
妹紅さんの後ろには、山積みの大八車――あれが全て炭だと言うのは訊かずとも分かりきったことですが、それにしても凄い量です。
荷台に載った夥しい量の木箱には、一つ一つ丁寧にタグが付けられており、今日の配達先とその量が一目で分かるようになっています。
とてもそんな風には見えないのですが、妹紅さんは仕事になるとここまで律儀に、徹底的になさる方なのでしょうか。
世の中には霊夢さんのように見掛け通りの方と、魔理沙さんのように見掛けでは判断出来ない方が同じ位いるものですが、妹紅さんの恐ろしく几帳面な一面には、正直に言って驚かざるを得ませんでした。
そんな妹紅さんは、白銀色の長い髪を軍手に包んだままの手で粗っぽく掻き上げ、ふうと軽く一呼吸。
赤いもんぺとくたびれた白シャツ一枚と言う酷い薄着にも関わらず、妹紅さんは額に薄っすらと滲んだ汗を肩に掛けた手拭いで拭い、店員に言葉を返したのでした。
「遅くなりました。今日も随分繁盛されてるんですね」
「とんでもない!ありゃただの冷やかしですよ。おおっと、お手伝いしますよって」
店員は妹紅さんに矢鱈調子よく答え、炭の搬入を手伝い始めます。
意図的に眼中から消し去られしまい、私も興を削がれました。
これ以上この場に留まる理由もありませんでしたし、そろそろ撤退の頃合いかも知れません。
しかしてゐ女史に目を向ければ―驚いたことに、てゐ女史はあの茶番劇をさも興味深そうに、いえ、至って真剣に見つめていらっしゃいます。
そうして、只々店の前に立って、じっと見つめていれば――。
「あれ、てゐ?何だってこんな所に?」
当然、妹紅さんの方もそれに気付きます。
そしてそれに漏れ無く反応する、いけ好かない人間がもう一人。
「おや、妹紅さんとも知り合いでしたかぁ。お嬢ちゃんねぎま串あげようか」
全く、このころころと忙しなく態度を改めるとんだごますり野郎には、是非ともアントン・チェーホフの短編小説を紹介してやりたいものです。
とても字を読みそうな顔には見えませんが、そんなところまで私がお世話をする義理はありません。
「おい、店員」
妹紅さんが次の箱を担いで店の中に消えた後、てゐ女史はそれに続こうとした店員を、低い声で突然呼び止めました。
突然、幼い子供が、男のような口を利き始めた――。
きっとその店員は、そんな風に思ったでしょう。
緩みっぱなしだったその顔を強張らせ、無言のままてゐ女史を見返します。
その目に宿るのは、少なくとも今日見た限りでは初めての不安。
気付くには遅かれども、一見いとけない少女に、少女以上の何かを見たようでした。
「そんな奴とは手を切った方がいいぞ」
今さっき誰かも言っていたような言葉をなぞるように言い残すと、てゐ女史は含みのある表情を残して、その店の前を離れて行きました。
往来には、往来の雪が溶けて出来た、不可思議な一本道。
わだちと言う言葉で片付けるには余りに不自然なそれは、今しがた妹紅さんが曳いて来られた、その大八車の下にまで続いているのでした。
※1 雪掻き
日本の道路における除雪は、1956年(昭和31)の法律制定によって全国的に始まった。それ以前は「交通整理」の為に道路を除雪する習慣が無かった。(あくまで落ち葉掃除と同じ発想。)
建物における除雪は「雪下ろし」と呼ぶ。特に日本海側では、豪雪による建物の倒壊を防ぐため、古くから行われている。
※2 備長炭
硬質な品種である樫、特にウバメガシを使った木炭のこと。原産地は紀伊国(現在の和歌山県)であり、江戸時代の元禄期に備中屋長左衛門(備長)が製法を確立したことから、その名がついた。
今現在も炭火焼の料理屋では重宝されるが、焼肉チェーン店等ではオガ炭と呼ばれる、オガクズ由来の炭が使われている。
「ちょっとにとりさん!!一体何だって言うんですか!!」
後日夕方、私はにとりさんが切り盛りする自動車整備所に飛び込み、開口一番にそう怒鳴りました。
私のことを良く知っているにとりさんなら、平日のこの時間は凸版(※3)を組む作業で特にピリピリしていると、分かっている筈なのに。
「やっと来た。遅いじゃないか。三回も電報(※4)を打たせてさ」
散らかった油臭い整備スペースの奥で、座敷の居間の縁に座りながら寛いでいた当のにとりさんは、謝って下さるどころか逆に責めるように言いました。
それだけでも私の怒りを大いに煽っていると言うのに、その手には香霖堂で時々手に入る、ガラス瓶入りの清涼飲料が。
私には仕事を中断させてまで来させた癖に、ご自身は休憩中と来ますか。
今の今まで仕事を続けていたと言うのなら酌量の余地があったかも知れませんが、もう言い訳は聞きません。
「だったら何で要件を入れてくれなかったんです!!それ半分のお値段が、一体何だって言うんですか!そんなこと言うのなら、新聞の印刷代の割増分はそっくり請求させて頂きま――」
怒りに任せて怒鳴り散らしたところで、ぐっと私の背中に押し当てられる何か。
はっとして身体を動かせば、馴染みのある硬さのそれが、私の背中をごりごりと刺激します。
「手持ちが鉛しか無いんだが……欲しいか」
良く馴染みのある声に、頭に上っていた血が一気に下って行くのが分かりました。
「あやや、て、てゐさん、一体全体こんなところで何を……」
私が両手を軽く挙げてそう言うと、てゐ女史は私の背中に押し当てていた拳銃を下ろし、たしなめるように言いました。
「馬鹿、私がお前を呼んだんだ」
「そ、そうだったのですか!それはとんだご無礼を」
私が慌てて謝ると、てゐ女史はお召し物のポケットから分厚い財布を取り出して、そこに挟んでいた紙幣を数え出します。
「ふん、おおよそ詰まらない用事だ。幾らだ。そのコーラ(※5)よか高いんだろう?」
割増分を立て替えようとするてゐ女史に、私はびっくり仰天。
「あややっ!?めめっ滅相もない!!大丈夫です!結構ですから!!」
慌てて私がなだめても、てゐ女史は聞きもしません。
最も小さな四桁の数字を掲げた太子様が一枚、二枚――。
あやや、もうその時点で、割増分をとうに超えております!
「本当に、本当に大丈夫ですから!そのお心だけでもうお腹一杯ですから!!」
私がお札を数える手を押さえると、てゐ女史は詰まらなそうに肩を竦めながらも、ようやくその財布を仕舞って下さいました。
にとりさんがじとっとした目付きで、何か言いたげにこちらを見ていましたが、そちらは無視することに致しましょう。
「でもどうして、ご自身の名前で呼んで下さらなかったのです?それに肝心のご用件だって……」
私が本題を切り出そうとすると、てゐ女史は財布を仕舞った方と反対側のポケットから煙草の箱を取り出して、一本を咥えます。
間も無くにとりさんが縁から立ち上がっててゐ女史に近寄り、棚から取ったジッポー(※6)でそれに火を点けました。
息がぴったりと合った一連の流れ。
私が思っていたよりも、この二人はもっとずっと親密そうです。
いつの間に、お二人の間にこのような関係が出来ていたのやら。
私が訝しむその向こうで煙を吹きながら、てゐ女史はより一層声を低くして言いました。
「――私とお前は、たまたまここで顔を合わせた」
「えっ?いや、あ、あのですねっ……」
私が言い返そうとすると、てゐ女史はそれを手で制し、もう一度言い放ちました。
「お前を野暮用で呼んだのはにとりだ」
先程と真逆のことを言われ、混乱しながらも一旦は頷くしかありませんでした。
ジッポーを棚に戻したにとりさんはそのまま奥のお台所へ行ってしまい、そこでまた棚か収納をガタガタと引っ掻き回して、何かを探しています。
それを尻目に、てゐ女史はまた言いました。
「私は整備に出したトラックを受け取りにここに来て、お前とばったり居合わせた」
「私とてゐさんは……ばったり居合わせ……ました……」
今度こそ、私は素直に頷き、そのまま復唱しました。
それが真であろうと偽であろうと、てゐ女史が真と言うなら真なのです。
「これで、私のアリバイが成立する」
てゐ女史が続けてそう言い放った時、彼女が一体何についてそう言われたのか、私にはすぐ理解することが出来ませんでした。
少し間を置いてはっとした私は、身体が急に興奮を覚え、それがじわりじわりと広がって行くのを感じながら、てゐ女史に聞き返しました。
「つまり、今夜……」
「そうだ。お前の依頼が果たす」
てゐ女史の返答を聞いて、私は息を呑みました。
つまり、私が呼ばれたのはそう言うこと――。
アリバイを作るなら、同じ証言が出来る者が多いに越したことは無いでしょう。
にとりさんと言う第三者がいる前で顔を合わせれば、仮に今から時間的な空白が出来たとしても、実際に会っていた、と言う事実が揺らぐことは絶対にありません。
用意周到と言うか、素直に綿密で、油断のない作戦だと思いました。
「……このまま、里へ行かれるのですか」
私が震える喉でそう尋ねると、てゐ女史は一瞬きょとんとして、すぐに言葉を返しました。
「いや?私はこのまま帰るよ」
……予想の真逆の回答に、今度は私がぽかんとする番でした。
「……えっ?では一体誰が……」
「ああ、私の部下がやるよ。腕は確かだ。安心していいぞ」
それを聞いて、今までの興奮が急激に萎れて行きました。
だって、それでは正真正銘の、ただのアリバイではありませんか。
「私はこいつを転がして永遠亭に戻り、何処にも行かずとっとと寝るよ。本当だ」
そう言いながらてゐ女史は、整備所の中央に鎮座した、見覚えのあるトラックのボンネットに、ぽんと手を置きました。
今夜実行すると明言した私の依頼を、全て部下にさせるおつもりなのでしょうか。
いえ、私とて、そのこと自体に問題を感じている訳ではないのです。
むしろ組織の頂点の人物としては、至極当然の判断でしょう。
天魔様が新聞大会に直接関与することは殆ど無いように、首長は指示のみを行い、その執行は下へ、更に下へと分配されて行く―。
一見ロジカルで効率的で―上の気紛れの尻拭いまでこちらへ下って来る、なんてことさえ無ければ、私とて不満を抱くこともないのですが。
てゐ女史の組織には、そう言った分り易い官僚体質は一切存在しない――彼女が判断し、しかし自らが行動する独裁体制だけが存在する――。
誠に勝手ながら、最初の接触以来、私はそのように思っていたのですが……。
やはり組織と言うものは、何処も彼処もそう言う物なのでしょうか。
私は少し失望感を覚えて視線を逸らしましたが、てゐ女史は気に留めた風もなく、続けて言いました。
「そしてお前も、今夜は山から下りることはない。明日、いつも通りの朝を迎える」
それを聞いて、私は驚かざるを得ませんでした。
一から十まで私が望んだ形を求めるのなら、マニュアルか何かを渡して是非を問うか、そもそも誰かに頼まず自分でやれば良い話です。
でもまさか、私の行動すら残さず決められてしまうなんて。
だって、常識的にも考えてみて下さい。
今夜、確実に起こることが分かっているスクープ中のスクープを、みすみす取り逃がせと言われたようなものではありませんか。
他人に託した手前、少々図々しいかも知れませんが、それでは意味がありません。
それに、私が追求したいのは、そんな手前勝手な利潤だけではありません。
私は、決してその渦中におらずとも、どこかで見ていなければなりません。
その事件の発端が私であるのなら尚更でしょう。
指示だけ行い、後は素知らぬ振り―そんな無責任なことは、絶対に出来ません。
少なくとも私は、私は常に、オブザーバーとして見届けなければならないのです。
その責任を少しでも、いえ、全容を知り、全ての責任を背負う為に。
私は、天狗上層部のようにはなりたくなかったのです――。
「そんなご無体な!それでは……」
「黙れ」
居た堪れなくなって私が不服の声を上げると、てゐ女史は再び私に銃口を向けて、先程よりもずっと強い調子で私を制します。
「今夜、絶対に山を降りるな。山以外の何処にも行くな。明日も店から十間(約18メートル)以上近付くな。勝手な行動をするな」
矢継ぎ早に命令され、私は黙るしかありませんでした。
私を呼び寄せた本当の目的は、断じてご自身のアリバイを作る為等ではなく――私の行動を束縛し、真相を完全に闇の中に葬り去ること、それだけだったのでした。
「お前達はずっと山にいた。私はこの山から寄り道することなく永遠亭に戻った。今夜、里には誰もいない。誰一人として里に行かない。分かったか。いや分かれ。分からないのなら、鉛と一緒にお前の頭に叩き込んでやる!さあ、どうなんだ!」
選択肢、いえ、選択権の存在し得ない問い掛け。
歯向かえば、問答無用でその引き金を引かれることになる――。
私はただ力なく、俯き加減に頷くしかなかったのでした。
「よし」
てゐ女史が視界の外で満足そうに言う中、私はただ、黙ってこらえていました。
はっきり言えば、絶望していました。
そもそも紳士協定が通じると思っていた私が、酷く浅はかだったです。
拳銃と、その威をもって我が物顔で闊歩かっぽする無法者――マフィアマーチヘアに。
「おっと。粗方用は済んだが、実はもう一つ、重要な頼みがあってな」
思い出したように言うてゐ女史。
これ以上、私にどんな用があると言うのでしょう。
打ちひしがれた私がおもむろに顔を上げれば、いつの間にかてゐ女史は奥へ退いていて、替わりににとりさんが目の前に立っていました。
「はい、どうぞ」
その手には、たった今口金を取って開けたばかりのコーラの瓶。
にとりさんは、到底そんな気分になれそうにない私にずいと差し出して、自身も殆ど飲み干したそれをまだあおっています。
「お師匠様が新しく作った飲み物の試供品だ。一つはにとりが……今飲み干したな」
「いやぁ、ここ最近ビールだって中々手に入らないから、我慢出来なくて」
やや呆れ気味に言ったてゐ女史に、にとりさんは照れ混じりに言葉を返しました。
見たところ仕事が終わっているにとりさんにとっては、その一杯は願っても無いものだったでしょう。
しかしまだ私は残業が山積み、それどころかこうして仕事を止められております。
出来るものなら早急に解放されたい、その一心でした。
「どうした。飲めと言っているんだ。代でも気にしているのか」
私が受け取らないでいると、てゐ女史は苛立ったように言いました。
このコーラが義兄弟の杯となるでも言っておられるのでしょうか。
それとも試飲の感想を記事にすれば、依頼料を割引して頂けるのでしょうか。
「ほら、飲め」
「早く受け取ってくれないかな。腕が疲れたよ」
お二方に煽られた私は、自棄になってその瓶を引ったくり、そのまま一思いに飲み干すつもりでぐっと呷って――喉から鼻に突き抜ける、強烈な薬のような臭いとその味に襲われ、盛大にぶち撒けそうになりました。
私が手で口を押さえ、必死でこらえるその様子を見て、お二方はたまらず大爆笑。
「引っかかった!!引っかかった!!」
「ふふ、すまんな。本物のコーラはにとりが飲んだ方だけなんだ」
ひゅいひゅいと笑い転げながらこわっぱのように囃し立てる河童と、込み上げる笑いを抑えて謝る妖怪兎。
やっとの思いでそれを飲み込んだ当の私は何も言葉に出来ず、ただただ肩で息をするので一杯一杯でした。
「如何です新聞記者さん。この度、我々八意製薬が独自に調味、開発した新商品、ルートビール(※7)のお味は」
惨めな気分を引きずりながら、私はようやく理解しました。
因幡てゐは、やはりあの因幡てゐだったのだと。
泣いても笑っても、その真偽は翌朝明らかになることでしょう。
※3 活版印刷
字形を彫った木片や金属片、又それを使って印字した物を活字と呼び、活字を組んで製版する印刷技法を活版印刷と言う。
歴史は非常に古く、世界初の活版印刷を行ったのは11世紀中国の畢昇とされているが、世界的に広めたのは15世紀のドイツの金属加工職人ヨハネス・グーテンベルクである。
※4 電報
1837年に発明されたモールス符号に端を発する、電気通信を使用した文書の配達サービス。
基本的な流れは、送信側が文字を電気信号に変換し、受信側が解読して再び文字に直すと言うもの。ジブリアニメ等により、手動で電鍵を打ち込む様子が見られる。
電子メールは電報の進化系に位置する。
※5コーラ【Cola】英
アフリカ原産のコーラナッツを原料に作られる飲料のこと。現在の製品には殆ど含まれていない。
世界初のコーラは1886年のコカ・コーラであり、法律によって禁止されるまで、微量のコカインを実際に含んでいたことからその名がついた。
日本上陸は大正末期だったが、国内製造は二次大戦後である。
※6ジッポー【Zippo】英
1932年に創業した米国の企業、及び同社が製造している金属製オイルライターの商標。類似品も慣例的にジッポーと呼ばれている。
同社の製品は、創業以来殆ど基本構造に変化がなく、高い耐久性・耐風性、そして永久修理保証が売り。
今現在も根強い人気を誇り、世界中に収集家がいる。
※7 ルートビール
【root beer】英
19世紀アメリカで生まれた炭酸飲料。ハーブの根を原料としていた為この名がついた。嘗てはコーラと共に鎮咳消炎薬として飲用されていた。
日本では沖縄県と小笠原諸島、米軍基地で入手可能。メーカーにもよるが、その味や独特の臭いを一言で例えるなら、「飲む湿布」「飲むサロンパス」。
私、射命丸文が新聞記者を始め、印刷所の通常料金の時間帯に入稿出来るようになってから幾星霜。
文々。新聞は、ご愛読されている皆様は勿論、印刷所からも日刊紙にも関わらず比較的入稿が早く、かつ入稿時の誤字及び脱字が少ないと、大変好評を頂いておりました。
誠に残念ながら、長らく弊紙のささやかな自慢でもありました、絶賛更新中の連続通常入稿記録は、本日を以って打ち切ることになりました。
かねてからご支援を頂いていた皆様に付きましては、弁明の余地もございません。
重ね重ねお詫び申し上げます。
記
通常入稿記録 ○○年三ヶ月二十六日 ‐ 自己最高記録
打ち切り理由 体調不良
あの後体調を崩してしまった、と言うこと自体は時間的には間違いないのですが、決してあのルートビールが直接の原因ではないと、最初にお断りしておきます。
兎にも角にも、私はあの後印刷所に戻ってから激しい動悸に襲われ、製版作業が全く捗らなくなってしまったのです。
それでも意地で作業を続けていたのですが、脱字誤字を量産してしまい、何度も何度も版を作り直す羽目に。
日を越える頃になってようやっと脱稿し、心身ともにへとへとになって帰宅した私は、兎に角早いところ寝てしまいたい――と、心底そう思っていたのに――。
私に宿った妙な興奮は依然として衰える様子も無く、結局私は一睡も出来ぬまま、ただ布団の中で、延々ともがき続けるだけだったのでした。
午前五時を迎えた時点で眠るのを諦め、薄明の中配達に向かうことにした訳なのですが、相変わらず――いえ、むしろより一層体調は優れず、途中で何度も何度も意識を失い掛けたり、配達先の住所を間違えたり。
こんなことになるのなら、気を利かせて代理を呼ぼうとしてくれていた印刷所の山伏天狗達の好意に、素直に甘えるべきだったかも知れません。
けれどもそれを受け入れてしまうと、私に自宅療養の義務が生じてしまい、今日一杯行動が出来なくなる理由を、自分で作ってしまうことになります。
何にせよ、今だけは妹紅さんの『いつも通り配達する程度の能力』を見習おうと、日頃の倍近い時間が掛けつつも着実に配達をこなし、いざ最後に残る人里の巡回へ。
ひとまずこのそわそわ感を何とかしたいと思った私は、諸悪の根源こと、例の鳥料理屋に真っ先に赴いて――目を疑わざるを得ませんでした。
待ち構えていたのは、跡地でも、瓦礫の山でもなく――よくよく見慣れた、昔ながらの町家造りの佇まいだったのでした。
一体何が、どのように、どの位変わったのか。
私は十間以上――正直に申し上げると五間程まで近付いてみて、深々と溜め息をせざるを得ませんでした。
何も、変わってはいない。
屋号すらそのまま、何一つとして変わってはいなかったのでした。
明らかに期待外れの結果なのに不思議と怒りを覚えることはなく、けれどもがっくりと肩を落として配達に戻った私。
そして帰宅後は着衣もそのまま、出掛けた時と同じ姿の布団の上にばたんと倒れ込むと、間も無く泥のように眠ったのでした。
そして私が再び意識を取り戻したのは、我が家の障子からまばゆい日の光が差し込む頃。
昨日ぜんまいを巻き直したばかりの時計(※8)では、丁度今十時を指した辺りでした。
生憎天狗食堂の朝の粗餐には間に合いませんでしたが、この時間ならまだ、いつも通りの朝を迎えることが出来ます。
三時間の睡眠でこんなに気分が楽になるなんて。
素直にそう感心しながら人里に舞い戻った私は、半日以上物を入れていないお腹を満たそうと、真っ先に市場へ向かいます。
今日は、巷で流行りの魚醤のおつゆの二八蕎麦(そば)(※9)なる物に挑戦してみようと、市場の中にあるその蕎麦屋台にそれを頼み、すぐ側の床几(※10)に腰を掛けたその時。
「おい。昨日あの鳥鍋んとこに、盗人が入ったらしいぞ」
市場の通路を挟んで向かい側で、やまめの塩焼きをつついていた土方の風貌の男達の間から、こんな声が。
成る程、あの店の外見そのものに変化が見られなかったのは、ただ盗みを働いたから、と言うことだったのですね。
ですが、それでは私の依頼をこなしたことにはなりません。
何を盗んだかは知りませんが、店そのものが畳めていなければ、契約不履行には変わりないのですから。
第一、彼女はそんな小生意気な手口がお好みなのでしょうか。
今回、と言っても今回が初めてですが、どうにもやり口が彼女らしくなく、全くもって腑に落ちません。
念の為にもう一度だけ、現場に行ってみるべきでしょう。
そう決めた私は、早速出来上がったばかりのお蕎麦に箸を入れ、例の魚醤のおつゆに少し浸してずずっと一口――。
……うえっ、何ですかこれ……魚の味しかしません。
そもそも隠し味に少々使うとか、この上ににしんを載せているとかならまだしも、一体全体お蕎麦の味はどこに消えたのです。
おまけに、この一帯に魚を扱う店が集中していてよく分からなかったのですが、これ自体がただただ魚臭いです。
こんな文句無しのげてものが流行っているのなら、昨日のルートビールの宣伝について、至急検討するべきかも知れません。
草の根なんて、と少々軽んじていたのですが、いやはや人間の舌がこれ程まで落ちているのかと思うと、この先少々不安です。
折角ですから、あの良薬を広く処方することに致しましょう。
やはり蕎麦つゆは、かつおのおだしとお醤油で作ったのが一番です。
※8 振り子時計
1657年前後にオランダのクリスティアーン・ホイヘンスによって発明されたた機械式時計。発条を原動力とし、振り子の調速によって時を刻む仕組み。発条の代わりに錘を使ったものもある。
20世紀以後はより正確に時を刻む電気時計やクオーツ時計の登場によって急激に衰退したが、装飾として現存している物も多い。
※9 二八蕎麦
ソバを原料とする日本の麺類。16世紀から17世紀に掛けて確立した。嘗ては「蕎麦掻き」を切った「蕎麦切り」と呼ばれたが、江戸で蕎麦切りが流行したことでこの略称が定着した。
二八蕎麦の名前の由来は、蕎麦粉を8割、繋ぎに小麦粉を2割使った製法、又は、江戸末期に16文で販売されていたのを九九の語呂で覚えた等、諸説あり。
※10 床几(しょうぎ)
またの名を「胡床(こしょう)」、現代風に言うとキャンピングチェア。脚をX状に組み合わせ、使用時に開き、持ち運ぶ際に畳む、携帯用の座具。中国から伝わり、古墳時代には既に使われていた。
前述の事柄より、「腰を掛ける物」と言う広義の意味を持ち、縁日や茶店にある「縁台」も床几と呼ばれることがある。ここでは縁台のことを指している。
ヨタバナシ
Column 5
「実はこの名前、私が付けたんじゃないんだ。気付いたら子供達からそう呼ばれてたものだから」
私の記憶が正しければ、『妹紅炭』という言葉を初めて公の場に現れたのは、イラストコミュニティサイト『ピクシブ』において、みつもとじょうじ 氏(サークル『にくたまそば』様)が2009年3月12日より連載を始めた作品『恋する夜雀』だったと思います。
本家に於いても、藤原妹紅は永遠亭への急患の護送や迷いの竹林での迷子の案内の他はあまり触れられておらず、普段の暮らし振りについて比較的不明瞭な点が多いキャラクターでした。
炎術を始めとする妖術と、『健康マニアの焼き鳥屋』と言う自称。
ミスティアを焼き鳥にして美味しく頂くのかどうかはさて置き、炎の使い手であり、人助けに生き甲斐を見つけた妹紅が炭屋稼業を始めると言う案は、その語呂の良さもあって、非常に理にかなっているのではないかと考えています。
その点を考慮し、当作品においての扱いも『炭屋』という形にすることに致しました。
尚、『恋する夜雀』はとても印象的な作品であり、個人的にも大変好みだった為、今後のエピソードに『和服みすちー』が登場する可能性はかなり高いです。
どうぞお楽しみに。
Column 6
「キャディがお好き?結構。ではますます好きになりますよ。さぁどうぞ」
本作品におけるにとりの役割は、PCゲーム『マフィア』におけるファミリーの専属自動車整備工であるラルフと、火器管理人ヴィンチェンツォを足したような形になっています。
表向きは主に自動車整備を生業としていますが、他にも様々な副業を持っており、てゐを技術面で手厚くサポートしています。ネタバレになりますので、実際どのようなサポートを行なっているかは、まだここでは秘密とさせて頂きます。
てゐが日頃乗っている自動車は、一九三一年製のビュイック・モデル47セダンタイプと想定しています。
この自動車は映画『ロード・トゥ・パーディション』において劇中終盤まで主人公達が終止乗り続ける車の形式であり、当時の五人乗りの車としては車体がやや広く、ゆったりと作られています。
当時から高級ブランドであったキャデラック程ではないものの、中流以上の市民が好んで乗った、かなり良い車の一つでした。
今後、治安の更なる悪化や刺客の登場に伴い、防弾車のキャデラックV16アル・カポネ仕様に乗り換えると言ったシナリオを考案中です。
小説でカーチェイスが描写出来るか、我ながらワクワクしております。
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第三章です。
今回の話はC80で漫画として制作予定だった漫画版MAFIA MARCH HAREの後半部です。
何か思ってたよりも長くなったので、前後に分かれました。
このまま順調に行けば、小説版MAFIA MARCH HARE vol.1が次の例大祭までに完成しそうです。
頑張ります_(:3」∠)_
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