ガタンガタンと、目の前を長い長い貨物列車が走り抜ける。
日に十本あるかないかの田舎のローカル線。寂れて誰も居ない、駅員すらいないそこのベンチに、僕はいる。当てもない、感性と惰性によった静寂の行脚の果て、この名もわからぬ廃墟じみた駅に辿り着いた。道連れは黒いボストンバックが1つだけ。
ある、七月の話だ。
照る日光を防ぐ屋根すらないここに、もう何時間居るのか、判らない。ただ、貨物の走る音と蝉の鳴き声だけが耳障りなくらいに、もうずっと響いてる。
日光が、鬱陶しい。
ガタン、長い貨物列車の最後尾が走り去った。
「やあ」
ふと蝉の声とは違うものが聞こえた。
聞こえたほうを見ると人が居た。女の子だ。白い肌にふちの大きな黒い帽子と紺の、たしかゴスロリとかいうフリルがたくさん付いたドレス。多分、僕より4,5歳は下だと思う。
「隣にいいかな?」
女の子は僕の隣、ベンチの空きスペースを指した。断る理由もない、僕は彼女を招き寄せた。
「ありがとう」
お辞儀しながら女の子が座る。
不思議な子だ。この炎天下に黒っぽいドレスなんか着ている。なのに額には汗1つ浮いてない。
「どうしたんだい、こんな辺鄙なところに?」
女の子が僕の顔を覗きながら訊ねてくる。綺麗な瞳に、吸い込まれそうな、そんな錯覚を覚える。
気付けば口を開いていた。
「亡くした、自分を探してるんだ」
「自分探しの旅、ってやつかい?」
「似たようなもの、かな」
不思議と、話そうとしてないことが次々出てくる。
「僕は昔っから他人のイエスマンでね、自分の意見なんてものを持ったことがなかったんだ」
そう、昔からそうだ。主体性なんかなく、他人の意見にすがって過ごしてきた。何年も何年も、依存するだけで「自分」を持たずに生きてきた。
「そして、やがて気がついた。僕は死んでいるって。「自分」を持たない人間はただの肉人形に過ぎないって」
生きてなんかいないんだ、僕は。
気がついた瞬間、僕の世界は粉々になった。見るもの聞こえるもの全てに「お前は死人だ」と言われている気がして、気が付けば僕は逃げ出していた。当てもなく、思うままに流されて。
「だから僕は、僕自身を生き返らせる為に自分を探すことにしたんだ」
生き返らせるっていうのもヘンだけど、実際僕は「僕」としては生きていない。
そして、これはとても大変なことだと、飛び出してから気がついた。何せ終わりの無い旅だ。スタートは無価値の崩壊、ゴールは「自分」という見えない何かを手に入れる事。見えない触れないものをどう見つければいい?
「情けない話だけどね。でも、今までの怠惰の代償なら受け入れなきゃね」
「随分達観しているんだね」
「それは君にも言えるんじゃない?」
不思議な子だ。歳の割に妙に大人びた雰囲気、彼女の瞳に、気付けば身の上を話していた。良くも悪くも、変わった子だと思う。
「ふふっ、確かに変わった奴だとよく言われるね」
「あっ、ごめん。気を悪くさせてしまったかな?」
謝罪すると、彼女はふふっと微笑んだ。
「気にはしないさ、ボク自身そう思うからね」
そういって、ベンチから立ち上がり、僕の前に来る。向き合う形で、彼女は身をかがめて僕を覗き込んでくる。
「君は、今までどれくらいの人間にあってきたんだい?」
いきなりそう聞かれた。最初、何のことを言っているのか判らなかった。
「コレはボクの私見だけどね……「自分」っていうものは、その人間の歩んだ道のりに沿って形作られるものだと思うんだ」
遅れて、この子の言いたい事がわかってきた。彼女は、恐らく僕の旅の終焉を示そうとしているのだろう。自我の精製法、とでも言うべきものを。
「人はね、一人では生きていけないんだ。他人と交わり、励まし競い、暖めあう」
彼女の言うことは判る。人が――生物が生きていくにはどうしても「他人」が必要だ。愉楽だろうが、衣食だろうが、生存だろうが。
「だけど、人は他の人の考えることはわからない。超能力者ではないからね。君は……どうかな?」
おどけた風に訊ねてくる。勿論僕はそんな特別なものではない。何処にでも居る平凡な、でも何処にも居てはいけないものだ。
「ふふっ、そう自虐にならないで。ともかく人間同士には相手を理解しきれない壁があるんだ。誰にだって隠しておきたいこと、知られたくないものがあるからね」
「君にもあるのかい?」
ふと、おもわず僕は訊ねていた。すると彼女はキョトンとした表情をして、次にはクスクス笑っていた。
「そりゃあるさ。ボクにだって秘密の一つや二つ、乙女の謎ってヤツがね」
彼女はそう言い、その場でくるっとステップを踏んだ。
思わず吹き出してしまった。
「むぅ? なんか感じ悪いなぁ……」
「ははっ、だって随分ませたこと言うからさ」
しばしの沈黙。すると彼女はごそごそとドレスのポケットを漁り、財布のような物を取り出す。そこから一枚の紙を出して僕に差し出してきた。それを受け取り眺める。
「保険証? ……えっ、同い年!?」
そこにあるのは、僕と同じ年に、彼女が生まれたという公的証明。
「初対面の女の子に、ちょっと失礼なんじゃないかな?」
「ごっ、ごめん……」
「これでも気にしてるんだからね、背が小さいのは」
頬を膨らましながらそっぽを向かれてしまった……まいったなぁ。初対面の子に随分と粗相をしてしまった。
「ごめん……だから機嫌を直して?」
「……まぁ、反省してるならいいけどね。話を戻そう」
「ごめんなさい……」
一応許してくれたらしく、彼女は再び僕の隣――今度はベンチの反対側――に座ってきた。
「とにかく、人間には壁があって、他人を遠ざける。一番深いところには誰も入れさせない」
ふと、彼女が帽子を脱いだ。短いが、透き通るような蒼い髪。空の色、海の色ともいえる、だけどどんな青よりも蒼らしい。
風が、吹いた。今まで蒸し暑いだけの駅に、風が駆け抜けた。
彼女が立つ。その小さな手には大きな黒い帽子。それを、
「あ……」
風に乗せるように、それを投げた。
何処までも、黒いそれは高く、何処までも高く飛んでいく。
「けどね――」
声に振り向く。風に髪をなびかせながら、帽子を見つめながら少女は言う。
「他人と壁があるからこそ、自分を認識できるんだよ。君はボクを小さいと言った。「他人」の君はボクをそう認識し、ボクは「自分」のカタチを思い知る。言葉に善悪はないけど……聞き手の捕らえ方でそれは色付く」
――気が付いたら、彼女に向かい合っていた。持っていたはずのバックなんて、とっくに手から落ちていた。
「君は……」
「んっ?」
「君は――誰?」
「それを決めるのは君さ。けど――」
ぐいっ、と目の前一杯に彼女の顔がある。両手で顔を掴まれて、向かい合わされている。彼女の綺麗な瞳が、僕を見つめる。
「君にとって、ボクとの出会いが、良かったって思えるものなら僥倖さ」
手に力がこめられる。彼女の方へと引き寄せられて……。
誰も居ない、名も無い駅のホームに僕はいる。蝉の声だけが絶え間なく、怒号のように鳴り響く。当てもない「自分探し」の旅。感性と惰性だけでここまで来た。旅の道連れは黒いボストンバックが1つだけ。
遠くからガタンガタンと電車の足音が。後は蝉の声だけ。
「少しだけ……」
目の前を通り過ぎる列車。長い長い貨物列車。
「少しだけ、わかった気がするよ」
通り過ぎる列車。少し短い。蝉の声は相変わらず。
僕はホームから線路に降り立った。後ろはトンネルがある。出口が見えず、長いと判る。けど前には何処までも続く二本のレール。果ては見えないけど、この先には駅がある。
夏の日差しは、何処までも照らしていく。僕は、手に持っていた黒い、ふちの大きな帽子をかぶって、レールに沿って歩き出した。
この旅の終わりは見えないものを見つけること。途方もないことだ。
「でも――」
帽子のふち越しに空を見る。風が、吹いた。蒸し暑いだけの日差しに、肌心地のよい風が加わった。
風は唇になびき、蒼い匂いを残していった。
ある、七月の話だ。
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七月のある日
無人の駅に辿り着いた「僕」は、少し不思議な人に出会った