三十四、「いまりとくららちゃん」
「かーちゃん、どいて、でないと、みずでっぽうかーちゃんにかかっちゃうよ!!」
「無駄よ、馬鹿いまり。今の楓は私の魅惑の術にかかっていて、私の言う事しか聞かないんだから。だから、私がどいてって言わない限り、絶対にどかないわ」
「ひきょうだよくららちゃん!! かーちゃんにじゅつをかけるなんて!!」
何とでも言いなさいとくららは高笑いをする。勝ち誇った感じに楓の背中から顔を出した彼女に、いまりが素早く水鉄砲を発射したが、それは見事にかわされた。
いまりの水鉄砲が止んだところで、もう一度顔を出すくらら。んべぇと舌を出して、眼を剥いてみせれば、単純ないまりは簡単に顔を真っ赤にした。
「なんなの、かーちゃんをそんな風にして、いったいなにがもくてきなの!!」
「前に行ったでしょう、もう忘れちゃったの馬鹿いまり。貴方を元に戻して、昔みたいに人間の街で大暴れする、それが私がこの街にやってきた目的よ」
「駄目よ、あかりちゃん。そんな悪い事したら、めっ、よ」
「大丈夫だよ楓。楓は私の大切なお友達としてちゃんと守ってあげるから。けど、いまり、アナタの大切なお兄ちゃんや、今日一緒に来ていた女は要らないわ」
「いらなくないもん。おにいちゃんも、おーかねーちゃんも、いまりの大切な大切なかぞくだもん!! そんなこと言うくららちゃんなんて、いまりきらいっ!!」
「私だってアナタなんか大嫌いよ!! なによ、アナタはいつだってそう、一人で勝手に話を進めて、私の気持ちなんかちっとも考えないんだから!! 今回だって、いつの間にか居なくなったと思ったら、小さくなって人間と暮らしてるし!! 馬鹿みたいに楽しそうに、アナタが居なくなって、私がどれだけ心配したか分かってるの!!」
思いもかけないくららの告白に驚くいまり。顔こそ見えないが、その言葉は決して嘘ではない真剣みを帯びていた。
悪態をついてこそいるが、くららは彼女なりにいまりの事を心配していたのだ。
「ほら、一緒に行こういまり。私たちは最高の相棒でしょう」
「やだもん。いまり、おにいちゃんや、おーかねーちゃんや、かーちゃんといっしょの方が楽しいんだもん。また、山に帰ってひとりぼっちはさみしいもん」
「私よりいまの生活の方が良いって言うの?」
「そんな、そんなことはないけど。いまり、くららちゃんのこときらいじゃないけど。けど、おにいちゃんたちのこともきらいじゃないから。おにいちゃんたちいらないなんて、そんなのできないもん」
そう、よく分かったわ、と、くららが言った。途端、楓の向こう側に大きな大きな黒い翼が広がった。それは烏の濡れ羽色をした、美しい美しい翼だった。
三十五、「くららちゃんとじつりょくこーし」
「だったら、力づくでもアナタを従わせてみせるわ!! くらいなさい、鞍馬寺に吹く山嵐を!!」
ごうと音が鳴ったかと思えば、レストランの中を突風が襲う。テーブルの食器を次々に床にぶちまけて、悲鳴と共に多くの人達を昏倒させて、それは部屋の中を駆け巡る。
「やめてくららちゃん! こんな所で、そんなことしたらいけないんだよ!!」
「五月蠅いわよ馬鹿いまりっ!! 止めてほしいなら、私と一緒に来なさい!!」
突風の吹きすさぶ中、いまりは辺りを見回す。すると、足下に割れていない皿が一枚落ちていた。普段、勝手に被れば秀介に怒られてしまうのだが、この際はそんなことは言っていられない。いまりは素早く身をかがめると、皿に手を伸ばす。
しかし、それは済んでの所で、彼女の友人、六崎楓の足によって踏み割られた。
「させないわよ。アナタが頭の上のお皿で妖力を増すことなんて百も承知よ」
「かーちゃん! だめだよ、おねがい目をさまして。でないと、でないと」
「ごめんなさいねいまりちゃん。けど、いまはわたし、あかりちゃんのことがかわいくてかわいくて、しかたないの。いまりちゃんも、いいこで、とってもかわいくて、わたしだいすきだけれど。ごめんね。ごめんね」
楓はさらに、近くにある皿を悉く砕き始めた。どうあっても、いまりの頭に皿を乗せさせないつもりだ。
くららは頭に皿を乗せずに勝てる相手ではない。姿こそいまりと同じく幼いが、それでも若干いまりより年齢が高いように見える。加えて、一介の女河童である彼女と、広く世に知られている鞍馬の天狗の血族であるくららとでは、天賦の素養に天と地の差がある。千年に渡る修練により大河童となったいまりでは、到底太刀打ちできないのだ。
「せめて、頭にお皿をのっけられたら、いまりでも、くららちゃんと少しくらいならたたかえる。どこかにお皿、お皿ないのかな」
「無駄よいまり!! アナタはここで私に負けるの、そして、一緒にまた暴れまわるのよ、昔みたいにね!!」
楓の背後から飛び出したくららがいまりに迫る。手刀をいまりの鳩尾に入れると、返す羽で彼女を吹き飛ばした。向かいの壁にめり込むくらいに叩きつけられたいまりは、激しくえづきながらその場に膝をついた。
倒れているいまりを見下ろすように、くららが前に立つ。無様ね、と呟いて、彼女は羽を広げると、その先をいまりに向かって突き出した。
「降参なさい、いまり。そうするなら、これ以上痛めつけないであげるわ。私だって、こんなことしたくないんだからね」
三十六、「いまりとおーかねーちゃんのお皿」
トイレから戻るとレストランの中は台風が通過したような状態になっていた。
私がちょっと席を外したすきに、いったい何が起こったのか。原因は河童娘のいまりちゃんくらいしか考えられないが、それにしたってこんな規模の惨状は初めて見る。
「あらあら、大変な事になっているわね。けど、いまりちゃんが暴れたにしては、なんだか様子が変よね。彼女、暴れるときはいつも水を撒くはずなのに」
確かに辺りにはグラスの水が毀れたりしているが、特に水浸しになっているというようなことはない。いまりちゃんが本気で暴れたらこんなことでは済まないはずだ。
視線の先に見覚えのある顔を見つけた。あれはいまりちゃんと仲の良い秀介君の後輩の女の子ではないか。どうして彼女がここに居るのか。
そもそも、彼女がいまりちゃんの面倒を見れないから、私に話がまわってきたのではないのか。
強い風が吹いた。風が吹き込んでいる中心に、いまりちゃんの姿が見えた。気のせいか彼女の頭上に黒い影が浮かんでいる。あれは、なんだろう、大きな翼を持っているように見えるが、烏にしては余りにも大きい。
「いまりちゃん。どうしたのこれは?」
「おーかねーちゃん!? だめだよ、かくれてて、やられちゃう!!」
やられちゃう、とは、どういう事だろう。まさか、誰かに襲われているのか。
すると、いまりちゃんを襲っていた黒い影が動きを止めた。紅い瞳がこちらを覗き込んでいる。これは間違いなく化物の類と思った時には、私の体を突風が襲っていた。
「おーかねーちゃんっ!!」
「邪魔よ!! 部外者は眠ってなさい!!」
強風に後ずさりながら、私はとっさに懐に手を伸ばしていた。
胸の中に潜ませているそれは、いまりちゃんが家に転がり込んできた日に、秀介君から預かった伊万里のお皿。秀介君から捨ててくれと頼まれていたが、余りに見事なお皿だったので、知り合いのつてで修復した物である。
これを被せれば、いまりちゃんは元の姿、力を失う前の大河童の姿に戻る。
「いまりちゃん、これを!!」
渾身の力を込めて、私は皿をいまりちゃんの方向へと投げる。突風に逆らって、あるいはその突風に上手く乗る形で、皿は彼女の頭の上へと飛んでいく。
いまりちゃんの手が伸びた。伊万里の皿を手に取れば、ありがとうと叫んで、いまりちゃんは頭に皿を乗せた。いまりちゃんの体が光り、白い煙が沸き立つ。
引いていく煙の中から現れたのは、髪の長い碧の着物がよく似合う美女。
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河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。
pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613