≪漢中鎮守府/任伯達視点≫
し、死んじゃうかと思いました………
驃騎将軍・張文遠の“神速”とも呼ばれる用兵を甘く見ていたつもりはないのですが、今回は本当に死ぬかと思いました
私が将軍と共に鎮守府へと帰ってきたのは昨夜も遅くの事で、実はこれは将軍が提示した強行日程の更に半分以下という、もう常識もなにもかも遠くお空の彼方に放り投げた、なんというかありえないものでした
疲れきってヘロヘロになった私は、そこで元直さんのお誘いを受けてお茶会に興じていた訳です
甘いものや心のゆとりが得られたからでしょうか、その後はゆっくりと休むこともできまして、流石に今日はお寝坊さんになってしまいました
ちなみに驃騎将軍はお酒を抱えて周囲に挨拶もせずに褥に直行したのだそうで、翌朝挨拶に顔を出した事で全員に驚愕されていたんだそうです
この、あまりにも早い帰還にがっくりと肩を落としたのは陛下と殿下だったそうで、ようやく慣れてきたところでもう洛陽に戻るのか、と朝餉の席で零していたらしいです
かくいう私は、お尻やら背中やらお腹やらが痛くてお布団から這い出るのにも一苦労でした
「お、おはようご、ざいます……」
昼餉の席にそう言いながら顔を出したところ「もう昼なんですけど」というツッコミがあるかと思いきや、なぜか全員が悲痛なものを見る顔で私を見ています
「あ、あのな……
なんちゅうか、すまんかった……」
驃騎将軍がもごもごと呟きながら肩を縮めています
一体どうしたというんでしょう?
「こう言うのも今の私の立場ではおかしいのだが、私からも謝罪をしよう
任局長、本当によく付き合ってくれた」
………なるほどです
一日でも早く、という執念に駆られて一気に漢中全土を駆け抜けた驃騎将軍ですが、ようやくというべきかもう遅いと嘆くべきかとっても微妙なところなんですが、みんなに絞られた事でどれだけの無茶をしたかに遅まきながらも気付いてくれたようです
「いえ、もう終わった事ですし、後はこの鎮守府での喧伝を残すのみですからお気になさらないでください」
私がそう応えると、周囲の表情がより悲痛なものに変わりました
「えっと、伯達ちゃん…
多分筋肉痛とかでだと思うけど、身体がぎくしゃくして顔もずーっと引きつってるの、気づいてるかい?」
公祺さんが痛ましそうに教えてくれます
そうか、今の私はそこまで酷いことになってるんだ
道理でなんというか、歩いたり喋る度に全身に雷でも走ったかのような痛みがあるわけです
華陀先生のお薬がなかったら、多分動くこともできなかったんだろうな…
ぽやんとそんな事を考えながら納得していると、いきなり後ろから抱きつかれました
「%$&#*$##&!」
『伯達ちゃんおかえりー』
「元ちゃん達は寂しかったー」
「とってもとっても寂しかったー」
『こんなに早いなんてとっても嬉し………あれ?』
周囲の空気は“やっちゃった感”に満ち溢れているんですけど、私はそんなものを気にしている余裕は全くありません
ちょっとまって、これ本当に死ぬ、死んじゃうからっ!
声にならない悲鳴をあげて悶絶する事になるなんて、昔の私なら絶対ありえなかったです
ついでにいうなら、漢中に来た事を今はじめて呪っているかも知れません
「驃騎将軍、これに懲りたら以降はもう少し自重してくれると有難い、かな……」
「えろうすんまへんでした………」
『伯達ちゃんごめんなさいー!』
一刀さんが何か言っているようですし、元ちゃん達も謝ってくれているようですが、そんな事を気にする余裕もありません
(こ、これは流石にまずいです
早くなんとかしないと…)
そんな私を見兼ねてなのか、ぽつりと呟いた公祺さんの言葉だけが、妙に印象的でした
「とりあえず部屋に戻りな?
すぐに華陀のやつを部屋に寄越すからさ…
今日のアンタは絶対安静!
わかった?」
そう言われてこくりと頷く事しかできない私は、ご飯も食べずにずるずると部屋に戻りました
すぐに来てくれた華陀先生の鍼のおかげて翌日には普通に動けるようになりましたが、私はお布団の中で誓った事があります
(もう二度と、もう絶対、何があっても騎兵と一緒に行動なんかしないもん!!)
この件以降、私は進んで後方任務や補給輜重の任を引き受けるようになり、絶対に(特に騎馬との)前線への従軍をしないようになりました
余談ですが、この件で鎮守府での公布が2日遅れ、再度驃騎将軍がみんなに絞られたらしい事を付け加えておきます
≪漢中鎮守府/劉玄徳視点≫
驃騎将軍・張文遠さんが戻ってきたことで、なんというか漢中は一気に賑わいを見せるようになりました
なんか色々と無茶をしたみたいで流石にみんなに絞られまくって落ち込んでいたみたいなんだけど、私達と顔を合わせたことで気持ちが切り替わったみたいです
私や愛紗ちゃんや星ちゃんとしては、なんというかバツが悪い思いをした再会だったんだけど、どうも私達を恨んでいるとか、そういうのはないみたい
「あれはアンタら恨んでもはじまらん
なによりあのド阿呆がアンタら恨んでるとも思えんしな
ウチはあのド阿呆の戦友としていつか雌雄を決したい、とは思うとるけど、それは何も時も場所も選ばずに、ちゅうことやあれへん
願わくば次の戦場で、ちゅうこっちゃな」
そう言ってカラッと笑っていたので、逆にこっちが恐縮しちゃったくらいです
ただ、愛紗ちゃんはほっとしたみたいだし、星さんも何か通じるところがあったのか、然るべき機会にて雌雄を、と約束していました
「ところで、うちの文優と稚然、アンタらにえろう世話になっとるみたいやね
ホンマ感謝しとるわ」
「あははっ
文優さん面白いですよねー
いつも二人で孤児院に行ってるんですけど、子供達と本気でおっかけっこしたりしてるんで、今ではみんなに人気もあるんですよー」
「稚然くんは翼徳と一緒に学舎に行っているようです
翼徳にも色々と学ばせるいい機会でしたので、むしろ稚然くんにはこちらがお礼をいいたいくらいのものでして」
私と愛紗ちゃんの言葉に文遠さんも嬉しそうに頷いている
どういう理由かは知らないけれど、その二人の事がよっぽど大事なんだなあ
「まあ、二人共世間知らずなとこもあるねんけど、これからも面倒見たってやあ」
そんな感じで笑顔で挨拶を交わし、愛紗ちゃんは司法隊の訓練に参加、星さんは街を散策、文遠さんは練武場に行くとの事で、私も孤児院に行く事にしました
文優さんとも話していたんだけど、孤児院の仕事も本来は泊り込みらしくて、実際には研修とかいうお勉強をきちんとやったり、他の孤児院や診療所なんかと勉強会とかもしながら働くという、かなりしっかりとしたお仕事です
研修については張局長さんにお願いして、私達も少しでもいいから受けてみたいという事で二人でお願いし、次の研修の初日に漢中に居れば参加してもよい、と言われました
途中からだと前提となる技術や知識がないので時間の無駄になるから、なんだそうです
こういうお仕事は、特に戦争や疫病なんかで良人や子供を亡くした女性や、身売りするしかない状態になった女性に優先的に斡旋されているんだそうで、私も平原に戻ったら取り入れたいと思っています
朱里ちゃんや雛里ちゃんにも相談してみたんだけど
『それはまさしく、桃香さまが率先して行なってみるべきだと思います!』
と、声を揃えて応援してくれました
張局長も
「許可が出ればうちの祭酒を最初の頃は派遣してもいいさね」
と言ってくれたので、俄然やる気がでてきます
文優さんも似たような事は考えたみたいで、自分で率先して行うのは難しいけど洛陽に戻ったら具申してみたい、というような事は言ってました
こうして毎日孤児院に通いながら色々と見て回っているんだけど、漢中では意外と大きな部分をみんなに任せているんだな、というのが印象的です
例えば、水路や下水とかで危険な場所というのは、きちんとそこに住んでいる人達が補修をしたり柵を作ったり、場合によっては役所に報告したりして助け合っている、という事です
どうしてそこまできちんとできるのか聞いてみたところ、決められた区画でこうやって相互に助け合っていると税金が安くなったり町内会(というらしいです)に補助金が出たりするので、結果としてみんなが楽をできるんだそうです
「最近、息子と一緒に勉強ちゅうもんをやってみてるんだがね
孔子樣の教えでいうところの仁をきちんとやってれば、こうやって徳が増えて、結果として扱いもより良くなる、ちゅうことなんだな
おかしな事になればすぐ判るし、ヘンな奴がいてもすぐ判る。
毎日みんなと挨拶して困ってるようなら助け合えば、それだけでいいんだから難しい事はなにもないのさ」
そんな折に孤児院の壁の補修にきた職人さんが、休憩のときにこんな事を笑顔で話してくれました
「なるほど、まさに教えのままであるな…」
文優さんもそう頷いていますが、そこで職人さん達が言った事には本当にびっくりしました
「なにせ天の御使い樣はよ
俺達みたいな奴こそが“英雄”だって、そうおっしゃってくれたんだ
こうやって日々汗を流して、夜の一杯しか楽しみがないような俺達をさ
天の御使い樣にそうまで言われちゃあ、やっぱり頑張るしかねえよな!
そうだろ?」
絶句する私達だったけど、職人さん達はそれに気を悪くした感じもなくて、ただ笑顔でそこにいます
「まあ、他所じゃこんな事言ったら良くても頭が可笑しいんじゃないかって言われるよな
でも、これが今の俺達なんだぜ
自分が笑って胸張って生きていくためにゃ、やっぱり家族やご近所さんや同僚が笑ってねえとな」
さて、もう一仕事いくか、と声を掛け合って仕事に戻っていく職人さん達を見ながら、私は呆然としていました
「誠に敵わぬな……
これでは話にもならぬではないか」
そう呟く文優さんに私も頷きます
「みんなの笑顔………」
私はどういう意味でそれを公言していたんだろうか
御使いさんが
「私の考える笑顔は漢中にはない」
そう言い切ったときの笑顔の意味が、今ようやく理解できた気がする
王なんかいらない
この言葉の重みがようやく実感を伴ってくる
「私、やっぱり馬鹿だ………」
「む?
どうしたのである…」
私の顔を見て文優さんが絶句してるけど、それは多分私が泣いてるからだと思う
結局私は、私の下に集まってくれる“みんなの笑顔”が見たかっただけだったんだ
言葉では理解していたけど、それでもやっぱり恥ずかしくて悔しいなあ…
苦しんでる“みんな”じゃなく、それを助けようと頑張ってる私の下に集まってきてくれた“みんな”だったんだね
「え、えへへへへ……
なんかごめんなさい
ちょっと胸にこみ上げてくるものがあって、泣いちゃった」
「………よい
私もなんとなくではあるが、その気持ちが解らぬでもない」
悔しいなあ、本当に悔しいなあ
文優さんもなんというか、本当に頭がよくてしっかりとした教育を受けてきた人みたいだから、私とは違うのかもだけど似たような悔しさを今感じているんだと思う
私は袖で涙を拭って、今できる精一杯の笑顔を向ける
「こんな顔、子供達には見せられないからちょっと洗ってくるね?」
「私も行こう
少々顔を洗いたい気分なのだ」
「じゃ、一緒に行こうか!」
文優さんと連れ立って洗い場に向いながら私は思った
今日のこの気持ち、この悔しさ、この恥ずかしさ
私は一生忘れない
≪漢中鎮守府/龐士元視点≫
私や朱里ちゃんのような人間にとって、この漢中は宝の山です
日々新しい発見があり、一刻毎に学ぶべき事がある
そして、それらを蓄え活かし昇華して育てていく場所がある
決して紙の上では得られない、様々なものがここにはあります
「ねえ朱里ちゃん、ここの書簡の区画整理案とそっちのは違うみたいなんだけど…」
「あ、ほんとだ…」
比較検証してみると、街道街と邑と鎮守府では、基本的な構想は同じなんですが、それぞれ雛形となる割り方が違っていました
「なるほど……
目的や用途、生活基盤がどこにあるかで割り方が違うんだね」
「うん、大きな規模になると、故意に悪所を作ることで管理ができるように考えてるとか、発想としては異常だよね」
通常、こういった構想は整然としたものが求められるものなんですが、鎮守府下や一定以上の人口を要する邑には、故意に悪所を設けているようです
これを私達の担当になっている官吏の人に聞いてみたところ
「御使い樣が言うには
『一定以上の規模の人間が集まった場合、一定の割合で世間的に容認できない場所が必要になる場合がどうしても出てくる
ならば悪所を締め付けるのは愚挙であり、予め目溢しをする器を用意しておいた方が良策だ』
とおっしゃっておいででしたよ」
この官吏さんの解釈によると
「ご近所で街娼なんかがフラフラしてたら、流石に空気も悪くなりますからね
だったら決まった場所でやってもらえれば、親としても色々とありがたいってものです」
そういう事なんだそうです
目溢しの基準はそれで他人に迷惑がかかるかどうかなんだそうで、それは天律書と言われている法規書を参考にしてください、と言われました
他にも、農業に関する書簡では植林の重要性や適した樹木、堆肥や腐葉土といった肥料の重要性、害虫が発生しない堆肥の作り方や糞尿の扱い方、輪作と呼ばれる方法で土地を休ませたり、苗を育ててから田畑に植える事で収穫量を上げたりといった手法が漢中での成果や試験運用についての覚書と共に綿密に書かれていたりしています
衛生分野等といった民衆の生活に関わる事柄も多岐にかつ綿密に書かれていて、私達の常識を粉微塵にするようなものばかりです
「う~ん………」
一緒に来た文官さん達に複写をお願いしながら、見聞で気になった部分に関する書簡を調べていたところ、朱里ちゃんが本棚を見ながら唸っています
「ど、どうかした?」
「うん、工業技術や絡繰に関する記述が少ないなあって……」
確かにそれは私も感じていました
街中で普通に使われていたり、農具に関してはかなり細かく書かれている書簡は見つかるんだけど、軍用に転用が容易な技術に関しては丁寧に取り除かれているみたいです
「やっぱりこれって故意だよね…」
「だと思う……」
十分な成果は日々得られているんですが、なんというか情報が極度に制限された状態というのは気持ち悪い感じがします
「とりあえず、地書に関してはとにかく写して、あとは表題で見分けていくしかないと思う…」
「そうだね……
平原にはこれだけの蔵書はないし、先生のところよりも色々な本があるからまずは交代で視察と蔵書の確認、だね」
そう朱里ちゃんと頷き合ったんですけど、奥の方に新しい感じの本棚がありました
朱里ちゃんがそこに近寄っていくのを見送って手元の書簡に再び視線を落とそうとしたんですが…
「は、はわわわわわわわわっ!!」
「ど、どうしたのっ!!」
「ご、ご本が…
ご本が……」
顔を真っ赤にして身体を震わせている朱里ちゃんの所に駆け寄り、指さしている本棚を私も見ました
するとそこには…
「あ、あわわわわわわわわっ!!」
ご、ご本が…
ご本が……
えっと、その、なんというか…
とにかく“ご本”で本棚が埋まっていました
「あれは絶版の……
あそこにあるのは幻の………」
「す、すごすぎる…」
しばし呆然……
いえ、陶然としていた私と朱里ちゃんでしたが、はっと気づいてお互い視線を逸らします
「あわわ…
い、今はお仕事中だもんね……」
「はわわ…
そ、そうだよ、お仕事中だよ……」
「あ、後で元直ちゃんにでも聞いてみよう?」
「そ、そうだね……
後で聞いてみようね」
こうして、ぎくしゃくしながらも私達は再び仕事に戻ります
刹那でも早く仕事を終わらせて、元直ちゃんの元に駆け込むためにっ!!
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