前回まで
俺が突如として眼前に現れた『鬼』に命を狙われ、危機一髪という時、俺の前にやって来て危機を救ってくれた少女、根本夜見子は、俺が幼い頃死に別れた妹・洋子の記憶と魂を半分受け継いだ『血のつながらない実の妹』だと言った。
にわかには信じられないながらも、素直に懐いてくる夜見子に惹かれる俺だったが、俺の幼なじみであるカメちゃんこと亀井三千代は、夜見子を死んだ少女の魂と生きた少女の肉体と魂とを人工的に合一した『霊的改造体』・黄泉姫と呼び、彼女が所属する結社のためと称し、夜見子を狙った。
その争いの最中、負傷した俺を救うため二人は協力、ライバル心は持ちつつもかろうじて和解、カメちゃんも所属結社を脱退することを決意した。
やがて、夜見子は俺の街にある中学校に進学し、そこで沢村明音という友人も出来、俺のクラスメイト、紅・エリサベタ・光紗らも交え賑やかながらも平和な日々が始まるかと思った直後、死んだはずの妹・洋子の姿……肉体を持った非―人間の魔術師・リリスが現れ、紅を拐い、夜見子を狙う。だが、闘いの末、リリスを退けたかと思ったその時、リリスを背後から襲い、首筋から彼女の生き血を啜ったのは、拐われ、意識を失っていたはずの紅光紗であった……。
『~血がつながってたって妹じゃないヤツにお兄ちゃんは渡せないんだかンね!~』
リリスが。俺の死んだ妹・洋子の身体を持った少女が。背後から俺のクラスメイトの少女に襲われ、首筋に牙を突きたてられ、血を啜られている。
その異常な光景を見た瞬間、俺の血が沸騰した。
「洋子ッ!」
俺は突如として覚醒し、リリスを背後から襲った紅・エリサベタ・光紗の両腕に捕えられた彼女、リリス―洋子の身体を奪い取る。洋子の首筋から血が糸を引きながら僅かに飛び散り、俺の頬に当たる。
洋子の身体を奪われた紅は、虚ろな目に紅い光をたたえて俺の方を眺めている。だが、獲物(?)を奪われたにしては思いのほか反応が薄い。口の端から洋子の血が糸を引いているが、それをぬぐおうともしないで立ち尽くす紅。
一体、彼女に何が起きたというのだろうか。『リリス』のせいかと一瞬思ったが、それにしてはリリス自身が襲われたこと、襲われた際のリリスの驚愕の表情からも、少なくともかりにリリスが『原因』であったとしても彼女の『意図』ではない可能性が高いだろう。
「兄……さん」
リリス……洋子が焦点の合わない目で俺を見上げ、かすれた声で呼ぶ。俺は自分の心が大きくぐらり、と揺れるのを自覚する。
ダメだ。どうしても俺はこの子を見捨てられない……。例え身体は洋子でも、魂は洋子ではないと判っているはずなのに。
「紅……さん、一体どうしちゃったっていうのョ……」
夜見子がふらふらと身を揺らす紅を心配げに伺う。そのどこにも焦点を結んでいない瞳が、夜見子を捉える。その瞬間。
ごうっ、と凄まじい勢いで紅の身体が夜見子目がけて弾かれるように跳ぶ。
「きゃああっ!?」
「夜見子っ!」
俺は、咄嗟ながら可能な限り洋子の身体を乱暴にしないよう床に置き、突然のことに身をすくませる夜見子を引き寄せる。間一髪で紅の身体は一瞬前まで夜見子がいた空間をそのまま通り過ぎた。そのまま床に散らばった机や椅子をものともせず弾き飛ばしながら着地すると、再びふらり、と立ち上がる。
「三千代! 退がれ、ノワを前面に立てるんやー!」
「は、はい!」
明音が慌ててカメちゃんに指示を出す。カメちゃんもすぐにそれに従い、ノワを前に出し、転がっている机を身体の前に置いて軽く身を隠す。ノワも机の上でカメちゃんを守るように身構えて毛を逆立てている。
「無事か?」
俺は自分の両腕のなかにちんまりすっぽりと収まっている夜見子に問いかける。
「う、うん、だいじょぶョお兄ちゃん」
不安げな目で俺を見上げる夜見子。大丈夫だ、と声をかける代わりにその小さな身体をぎゅっ、と抱きしめてやる。
「あ……」
夜見子が頬を赤く染めて俺の上衣をきゅっと掴む。その仕種が俺に愛おしさとともにこの子を守りたいという気持ちを急速に増大させる。そして、だからこそ俺はより冷静さを保つことを意識する。
「今、目くらましするでー、いち、にい、さんー」
明音の呼びかけに俺は夜見子と洋子の二人をかかえ、三、の掛け声とともに教室の外へ飛び出した。
同時に、ぼん、と白い蒸気が室内に立ち込める。果たして、もう一方の出入り口から、明音とノワに襟首を銜えられたカメちゃんが飛び出してくる。
「さっきの氷の蔦を一気に蒸発させたんやー。ともかく一時的に目ぇ逸らさせるくらいは出来るやろー」
「……そうだな」
厄介なのは、このまま逃げるっていう選択肢は実質存在しないってコトだ。このまま紅を放置していくことなど出来るわけがない。だが、例えば夜見子やカメちゃんを逃がす、という選択肢なら別だ。俺は、ちらりと明音に目配せをすると、夜見子に語りかける。
「おまえはカメちゃんと一緒によ……リリスを連れてここから離れるんだ。今のリリスなら危険は無いだろう」
だが、夜見子は強い視線で俺を見つめてかぶりを振った。
「ううん、あたしァ逃げないわョ。お兄ちゃんはあたしを逃がしたいんだろーけど、あたしだって紅さんのこたァ助けてあげたいんだかンね」
「だが……」
「わ、わたしも夜見子さんと同じです。それに、リリスさんのことも心配なのは判りますけど、今はここで彼女の知識もおそらく必要になると思います」
カメちゃんも少し離れたところからそう答えて来る。
「まぁここんトコはお兄さんの負けっちゅーこっちゃなー。ふたりともここ一番では結構ガンコやから諦めたほうがええでー」
……どうやら明音の言う通りらしい。言い争いをしてるヒマがあったら、この場で夜見子たちを守りながら対策を練った方がよさそうだ。それに、恐らくこの状況の原因ではあるのだろう洋子、この場合はやはりリリスと呼ぶべきだろうか―の知識はたしかに必要かもしれない。
「……にいさん」
「気がついたか、具合はどうだ? 苦しくないか?」
俺の夜見子とは逆の傍らからか細い声でリリスの声がした。俺はつとめて冷静にリリスに声をかけた。
「お兄ちゃんてばなんでそいつンことそんなに心配そうなのョ……」
……どうやら冷静ぶるのは失敗していたようだ……。まあそれはともかくとして。
「洋子、おまえは紅になにかしたのか? あれがどういうことなのか判るか?」
とリリスに尋ねる。
「……わかりません。本当にわからないんです。たしかに……普通のひとより強い力を感じるひとではあったんですが……」
リリスは弱々しくそう答える。どうやら嘘ではなさそうだ。全く、ルーマニアの貴族の遠縁が吸血鬼みたいなコトになるとかそれなんて……それなんて……いやまさか? 冗談だろ?
「ともかく、どうにかして紅を元に戻してやらなくちゃいけない。洋子、おまえにも協力してもらうぞ」
俺は、あれやこれやの雑念を振り払いリリスにそうあえて強い調子で言った。
「はい……兄さん」
リリスはまだダメージから抜け切れていないのだろう、顔を赤くしながら弱々しい声で、それでもはっきりと俺の言葉にうなずいた。
「あ、あたしだってお兄ちゃんの力になりたいんだかンね!」
夜見子が慌てたような声で言う。判ってるって。
「ああ、頼りにしてるぞ」
そう言いながら夜見子の頭を軽く撫でてやる。
「ふにゃあ……」
ったく、本当に可愛いなもう! ……っていってる間にも紅が廊下にふらふらと出て来た。ぼうっとした視線の焦点が俺たちの方に合ってくる……。
ばァん、と床が物凄い反発音を立てる。その音に相応しい勢いて紅の身体が俺たちの方へ跳びかかって来る。流石にあらかじめ読めていただけに夜見子を引き倒しつつ避ける。
「きゃっ」
俺の胸に抱き寄せられた夜見子が小さく声を上げる。
紅の身体は数瞬前に俺たちがいた位置に着地し、今度はそのまま身を翻し、そのままの勢いで俺たちの方へと反転する。
「……ッ!」
これまで見せなかった動きに驚かされるがどうにかそれも回避し、頭の上を過ぎる紅の身体を下から見上げる。一瞬白いなにかが見えた気もするがそれは措く。
「……普通の意味で意識があるようには思えないが、一応学習能力らしきものはあるようだ」
俺は紅の様子を観察しつつ夜見子と洋子の身体を引き寄せる。
「明音、さっきみたいに紅の動きを止められないか?」
リリスの黒犬獣を凍結させたあの術なら、と思って明音に問いかける。
「動き激しいからちょい難しいかもやけど、やってみるでー」
「わかった、頼む」
ともかくもこれで対策のカードが一枚。あとは……まず紅の意識を呼び覚ませないか試してみよう。それから先は臨機応変(行き当たりばったり)ってトコだな。
「紅!」
俺は大声で紅に呼び掛ける。はたして、紅の肩がびくっ、と一瞬反応する。ふらふらとゆらめいていた紅が俺の方へと視線を合わせて来る。この視線が俺にぴったりと合った瞬間、紅の身体が跳びかかってくるはずだ。
「聞こえるか、紅!」
その寸前を見計らうように、俺はもう一度紅に呼び掛ける。紅がふたたび俺の声に反応し、視線が拡散する。どうやら、完全に意識を失ったわけではない。このまま呼びかけることで、彼女の意識を呼び戻せる可能性もあるかもしれない。俺はさっきまで以上に声に熱を込めて呼んだ。
「紅! 聞こえたなら目を覚ませ、紅!」
「紅さん、正気に戻って!」
「くれない……さん!」
夜見子とカメちゃんも俺に続いて呼びかける。明音は真剣な顔でさっきのように氷のナイフを廊下の要所要所に投げている。そこから氷の蔦を伸ばして紅を絡め取るのだろう。
俺たちが明音に出来るフォローは可能な限り紅を動かさないことだ。リリスは黙って俺の傍らで上着を握りしめている。
「う、うァあアあああ……」
宙を見上げる紅の咽喉からそんなうめき声が洩れ出て来る。苦しそうな声。だが、紅を正気に戻そうとするなら、これが恐らくその端緒になるはずだ。俺たちはなおも紅に呼びかけ続ける。
「……っ、今やー!」
念を凝らし続けていた明音の口から彼女なりに気合いの入った声が響く。それとともに、廊下に撒かれた氷のナイフから紅に向かって蜘蛛の巣のように氷が伸びてゆく。それは、まさに一瞬にして紅の足元へと到達し、彼女の全身に絡みつく。
だが、あくまで彼女の動きを止めるのが目的であるため、凍結するのではなく、網のように絡み、巻きつくような形を取っている。
「流石に身体を凍結させるわけにはあかんから、長いことは持たへんでー、お兄さん、夜見ちゃん、はよ彼女を正気に戻したってーなー!」
「……わかった!」
俺は紅のもとへと駆けより、彼女の顔を両手で挟むように掴むと、至近から呼びかける。
「紅! 目を覚ませ、正気にもどれ、俺だ!」
「う、うう……」
紅の顔が苦しげにゆがみ、紅い目から涙がこぼれ出す。もうひと押しだ……!
身をよじる紅に巻き付いた氷の網が軋み、ぱらぱらと氷片が落ちる。俺は彼女の顔を挟んだ両手に力を込める。
「紅!」
ひときわ大きく身をよじらせた紅が、俺の手を頭を振って顔から振り払い、口の前に来た右手に牙を突き立てた。
「……っ!」
「お兄ちゃん!」
「兄……さん!」
俺の傍らの夜見子とリリスが思わず声を上げる。
「く……紅さん、正気に戻って! お兄ちゃんのコト傷つけるなんて紅さんだって望んでないはずョ! 目ェ覚まして、覚ませってのョ!」
夜見子の声が高くなる。見ると、夜見子の瞳にも涙が光っていた。
「こ……これ以上お兄ちゃんを傷つけたりしたら、傷つけたりしたら……」
「許さない……っていうのかしら?」
ぽつり、とリリスが夜見子の言葉の続きをなんとなし、という感じに予想して、他意もなく誰に聞かせるというわけでもない感じで口にする。だが。
「あとで本当に傷つくのはアンタなんだかンね、紅さん!」
「……!」
違った。そうではなかった。夜見子が涙でくしゃくしゃになった顔で血を吐くように叫んだ言葉は、それだった。
「あ、アあ……あ……」
うめき声とともに、俺の右手が紅の口から解放された。紅の瞳の紅が次第に薄らいでくる。もうひと押しだ!
「も、もう限界近いでー……」
紅の身体を縛る氷を保持するため、念を凝らし続けてくれていた明音が警告を発する。もう少しだ、頼む。
みし、みし、と氷の網が限界を告げる音が響き始める。
「紅! 俺たちのところへ戻ってこい!」
「紅さん!」
「くれないさん!」
「折角……お前とちょっとは親しくなれてきたと思ったのに、こんなことで終わりになるなんて認められッかよ! 紅!」
「……ッ!」
紅の瞳が、その瞬間、紅い光を喪い、いつもの琥珀の瞳を取り戻した。
「あ……私……」
「も、もう、限界……やー」
同じ瞬間、明音が力尽きる。それとともに、紅の身体を巻いていた氷の網が粉々に砕け散った。
……紅の着ていた、制服と……その他もろもろの、衣服すべてと、ともに。
「え……って、きゃアああああッ!?」
「って、どわァあああッ!?」
むにゅん。
勢い余って俺の身体を押し倒す形になった紅の身体。その、その……。
彼女の身体のなかで、最もやわらかいのではないかと思われる部位が、俺の、顔に、押し付けられて、いたので、あった……。
「む、むぐ、むぐー!」
「っ、見るなみるな見ないでー!」
そう言いながら俺を目隠しするつもりか、自分の胸に俺の顔を思いっきり押しつけるように頭を抱きしめる紅。
……なにこの状況。
「って、ナニお兄ちゃんの顔にその、その、そのそれを押し付けてンのョ!」
「あ、あわわあのあの着るものきるもの……」
「おー、役得やなーお兄さんー」
他の三人もそれぞれに三者三様の反応を……三人?
どーにか紅から離れ、周囲を見回す。紅はカメちゃんの持ってきた(恐らくは壊れたロッカーから持ち出してきたのだろう)体操着で胸を隠している。
夜見子は、真っ赤な顔で俺の視点から紅の身体を隠すように両手を広げている。
そして……廊下の向こう、わずかな明かりで照らされた範囲と夜の闇に沈んでいるところとの丁度境界の位置に、リリスは佇んでいた。
「兄さん……」
「洋子……」
「今日のところは、わたしの負けにしておきます。けれど、いつか、かならず黄泉姫を始末して、わたしが兄さんを奪ってみせますわ……」
「……っ、フザケんじゃねーわョ! ンなコト絶対させねーンだかンね!」
「……さよなら、兄さん。今夜のところは……」
夜見子の声を背に聞きながら、リリスはそれだけを言い残し、振り返るや闇に溶けた。
「消えよった……なー……」
明音に言われるまでもなく、俺たちはこの場からリリスの存在が完全に消えたことを感じていた。
YOMIKO
「いやースマンかったなー。けど、直接身体を凍結させるワケにゃあかんかってんー、服の方を凍らせるしかあらへんかったんやー。カンベンなー」
明音がさすがに済まなさそうに紅さんに手を合わす。まァ……確かに身体を凍らせるワケにはいかないし、あの状況ではあれしか無かったのは間違いないと思う。紅さんもその辺は判ってくれてるみたいで、顔を赤くしながらも明音の謝罪を受け入れていた。
てゆーか、それ以前に紅さんがどー考えても吸血鬼としか思えないような状態になってたり、明音がま、まほーつかい? 魔術師? だったりとかあたしらの周囲不本意ながらあたしも含めてマトモな人間いねーのかョみたいな感じになっちゃってンのは一体何なンかしらネ。いやマジで。
「ところで、こんな状況でこんなことを訊くのもどうかとは思うんだが、夕方、あのとき何があったのかは……覚えているのか?」
そうお兄ちゃんんが訊く。
「え、ええ……夕方、私がおサイフ取りに戻ったときよね。あのとき、あの白い髪の子が私の目の前に現れて……たしか、気が付いたら目の前にいて、私の目の前に手をかざした途端、なにがなんだかわからなくなって、それからのことは全然……」
「そうか……覚えてないんだったらその方が」
と、お兄ちゃんがそこまで言ったのを遮るように紅さんは続けた。
「でも、私が……あの白い髪の子の血を吸ったところからは、ぜんぶ覚えてるわ」
「……ッ!」
とつぜんの告白に、あたしたち全員が動揺する。
「お前……自分がどうなったのか、知って……?」
「……うん、私の家系……ルーマニアの方のね。私自身マトモに信じてたわけじゃないけど、そっちの方、いわゆる吸血鬼の血筋だとかなんだって。以前、両親に教えられたことがあって……でも、今じゃすっかり薄くなって全然普通の人と変わらないって言われてたのに」
紅さんは、うつむきながらそう語り始めた。
「そっかー……恐らくは、やけどー、リリスの奴に生気を吸われたことで、その失われたプラーナを取り戻すために眠っとったそっちの方の血が活性化し、蘇った、っちゅーことなんかなー。リリスみたいな『オーラ体吸血鬼』にしても、同じよーに別の『オーラ体吸血鬼』に吸われて欠乏した分を補給するため無意識的にオーラ体吸血行為を行う例もあるしなー」
そう明音が言う。お兄ちゃんも頷いて、明音の意見に賛成してるって態度で示してる。
「それでも、今現在あったこと自体は覚えてはいるけど、ああなってたときは、ほとんどまともな意識じゃなかったのは確かよ。夢の中……悪夢の中みたいな感じだった……自分の身体が自分の意識から切り離されて、本能だけで動いてるみたいっていうのか」
紅さんはそう言ってぶるっ、と身体を震わせた。
「でも……言葉が」
そう言葉を継ぐ。
「みんなの、言葉が。あんたの」
そうお兄ちゃんの顔を見上げて頬を染める。
「夜見子ちゃんの、みんなの声が」
次いで、あたしたちを見まわす。
「聞こえたの。私のことを呼んでくれるたびに、私の心になにか、引っかけられてくるものっていうか、投げかけられてくる手掛かりっていうのか、そんな風なものが届いて。夢の中から浮かび上がるための力を、手掛かりを。自分の意志で動かせない身体を何とかして動かしたいと思う気持ちを」
ぽつり、ぽつりと彼女は語る。
「うん。そのなかで、いちばん強く響いてきたのが、夜見子ちゃん、あなたの言葉だったわ」
「ぴ?」
紅さんは、そうあたしの顔を見て、そう言って微笑んだ。とても、綺麗な笑顔で。
「だから、ありがとう、夜見子ちゃん。ありがとう、みんな」
「えっと、その、あの……」
恋敵だと思ってた紅さんに面と向かってそんなコト言われちゃって、思わずしどろもどろになっちゃうあたし。
「あんなになっちゃった私を、最後まであきらめないでいてくれて、本当にありがとう」
そう言った紅さんの笑顔は、本当に眩しかった。
「あ……ウン、あたしもネ……前に、間違いをしちゃって、それで、お兄ちゃんのコト傷つけちゃって……あのときのコトは、いまでも、ううん、きっと一生忘れられない。あたしの、過ち……。だから、大切な人を傷つけちゃったりしたら、それは、そのコトは、きっと同じくらいの深さで自分自身も傷つけるわ。そんな思いは……そんな思いする人は……見たくなかったから」
あたしは、あの冬のコトを思い出しながら、その思いを紅さんに伝えた。
「……ふぁ」
そう言い終えたとき、あたしと紅さんの話をずっと黙って聞いていたお兄ちゃんが、あたしの傍に来て、そっと頭に手を乗せ、軽く引き寄せてくれた。そのまま、かるくぽんぽん、と手のひらで撫でるようにたたく。
そう、あたしはあのとき自分の過ちで、お兄ちゃんを傷つけた。
下手をすると……いや、そうじゃない。本当なら、と言うべきだ。そう、本当なら、あのときあたしたちは、お兄ちゃんを永遠に喪っていた。いまこうしてお兄ちゃんが無事でいて、こうしてあたしが傍にいるのを許してくれていることそのものが、奇跡みたいなものなんだってあたしは絶対に忘れない。忘れちゃいけない。
もし、あたしの言葉が紅さんに届いたっていうなら、そのときの痛みを、その一端くらいは伝えることが出来たからなんだろうと思う。
黄泉姫夢幻Ⅲ~血がつながってたって妹じゃないヤツにお兄ちゃんは渡せないんだかンね!~へ続く~
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