梅雨が明けたばかりの、ある日。
定時を少し過ぎた頃。帰り支度をしていた時、室井さんが、湾岸署に来た。どうやら、何らかの資料を返しに来たらしいが、それってわざわざ、室井さんが来る事なんだろうか。
だからすみれさんに、『本店は暇そうで良いなあ』って、嫌味言われるんだよ。まあサプライズ風に会える俺は、嬉しいんだけどさ。しかも、返しに来た後は帰るだけだからって、部下が運転してくれる公用車断って、帰りは電車って言うんだから、エコな人だ。
俺が片づけをしているのを見た室井さんは、「帰るのか」と聞いてきたので、「一緒に帰ります?」と聞き返した。
頷いた室井さんに、俺はまだ片づけを終えてないので先に出て、敷地前に待ってもらうにした。
この関係は一応隠している。面倒だけど、仕方が無い。それに、どうも隠し通せてると思ってるのは、すみれさん曰く、俺だけらしいから。
・・・それって、どうなの?まあ良いや。
それより気になるのは、室井さんだ。地球に優しい電車帰りも珍しいが、どうもさっきから様子が可笑しい。眉間に皺が寄ってるのは珍しくないが、かもし出す雰囲気が、固くて暗い。
首を傾げつつ、残っている人達に挨拶をして刑事課を出る。今日も一日お疲れ様だ。
「室井さん、お待たせしました」
「いや」
2人仲良く?肩を並べて駅までの道のりを歩く。夏間近なので、陽が沈むのが遅く、夕方なのに空は、随分明るい。・・・筈だったのに、どうも雲行きが怪しい。あっと言う間にどんより暗くなったかと思えば、雷が鳴って、次第に雨がポツポツと降ってきた。
「夕立ですね」
「みたいだな」
このまま酷くなりそうだったが生憎、梅雨明け宣言を聞いてから、俺は折り畳み傘を鞄に入れなくなっていた。
「室井さん、傘あります?」
「いや、無い」
あったとしても、男二人縮こまって入る訳にもいかない。ちょっと想像すると、面白いけど。コートがあれば、俺はフードを被れるけど、今は寂しく寒くなるまで夏眠中だ。
そうこうしてる間に、バケツをひっくり返したような雨足になってきたので、俺はすぐ傍に見える、店の軒下に避難しようと、室井さんに言う。走って屋根のある場所まで、辿り着く。店は喫茶店らしいが、今日は定休日のようだ。開いていたら、雨宿りついでに中に入れるのに。
服は、どうにかびしょ濡れにはならずに済んだ。お互い鞄からハンカチを取り出して、自分の服や顔を拭く。うーん、室井さんのハンカチ、綺麗にたたまれてる。流石だ。
駅までの距離は、あと半分も無い。
ついてない。
「止むまで待ちましょうか」
「そうだな」
それから、一切会話は無かった。
室井さんは別にお喋りじゃないから、今更なんだけど。
どうも、今日は妙だ。
あるのは激しい雨音だけ。
その雨音に比例するように、次第に室井さんの空気が俺に見えてくる。これは正直、居心地が悪い。何故なら室井さんが俺の隣で、物凄く眉間に皺を寄せて、立っているからだ。
いつものアメスピを吸うのも、憚れる。でも俺は、煙草が吸える時に据えないのは、正直ストレスなんだよなー。
だけど、吸うのは我慢した。
これは俺の勘。
『刑事』というよりは『室井さんの恋人』という肩書きとして。
この人、今日何かあったんだ。
でもきっと、それを俺には言わないんだろうな。
超個人的な物なのか。それとも俺達が約束した事に関する事なのか。
どんな内容であれ、言わない。
泣き言を言わない室井さん。
でも、俺も言わないから、お互い様。まあ、そんなもん。
難しいね。言葉にするだけの事が、こんなにも、もどかしいのは。言った所で、どうなんだって事なんだろうけど。
ねえ、だけど室井さん。これも勘だけど・・・。
その時、雨が止んだ。正に通り雨。降れば豪雨だけど、止めばカラっと晴れ間も見える。喫茶店の屋根から顔を出して、空を見上げる。
へえ、久々に見たな。
「室井さん」
「ん?」
俺は思わず声を弾ませて、目の前の空を指差した。
「虹ですよ」
促されて一歩濡れた地面に脚を付けて、虹を見る。
「ああ・・・そうだな」
少しだけ眼を細めて。少しだけ、嬉しそうに。
ねえ、室井さん。これも勘だけど。そんな日に、こんな所まで来たのは、偶然じゃないんじゃない?
まあ、書類が嘘だとは思わないよ。でも室井さんでなくたって、困らないよね。
此の事を、室井さんには何一つ聞かないから、確かめ様が無い。
それで良い。
室井さんが来た。一緒に帰る事にした。途中で通り雨に合い、雨宿り。そして、虹を見た。二人で。
それで良い。
「帰りましょうか」
「ああ」
今日会った中で一番、優しい笑顔だった。まあ、室井さんだから、ハッキリとは見せないけど。すっかり眉間の皺も消え、ピリッとした空気も無い。
駅は、もうすぐ。俺は、きっと忘れない。こうして同じ物を見れている、今を。
そう室井さんも、思ってくれてると良いな。
だって、自惚れじゃ、格好悪いでしょ。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
短篇集本から。OD3より前の話です。