No.353938 間桐雁夜はCOOLが少ない2011-12-28 00:28:03 投稿 / 全3ページ 総閲覧数:9837 閲覧ユーザー数:3945 |
間桐雁夜はCOOLが少ない
1 間桐雁夜は時間が少ない
雁夜が意を決して臟硯の元から桜を連れ出し市内の小さなワンルームで暮らし始めてから5日が過ぎた。
その間、敵の襲撃もなく雁夜と桜は新生活に徐々に慣れ始めていた。
そしてこの5日間は桜にも徐々にではあるが着実な変化をもたらしていた。
「おじさん、一緒に、食べよ」
「おじさん、一緒に、お風呂入ろう」
「おじさん、一緒に、寝よう」
桜は行動を取る際に雁夜に話し掛けるようになった。
そして、話し掛ける回数が増えるにつれ、目の焦点も段々と合うようになってきた。それは桜に意思が徐々に取り戻されていることを意味していた。
事実、ごくたまにであるが、桜は楽しそうに目を細めて笑うこともするようになった。
雁夜は桜を連れ出したことが間違っていなかったと確信するようになった。
一方、雁夜の方も桜との接し方に大きな変化が見えるようになった。
桜と葵を重ねることがなくなった。そして桜と一緒に入浴したり寝たりすることに抵抗がなくなった。
雁夜は自分がロリコンであるか否かについて考えることを止めていた。考えると怖い方向に結論が傾いてしまいそうだった。雁夜は夜中に時々1人で震えていた。
反面、自身の体調に関して徐々にではあるが、悪化していることを自覚せざるを得なかった。
臟硯を欺く為に間桐家で棒立ちさせているだけとはいえ、サーヴァントは1日中現界させている。
数匹から数十匹の単位とはいえ、他マスターからの攻撃がないか警戒に当てている。
雁夜は魔力を確実に消費している。
それに加えて体内の蟲が雁夜の身も心もすり減らしていく。
体内で蟲が騒ぐ度に雁夜はこの生活が永遠に続くものではないことを思い知らされる。
「やはり、策は講じないとな……」
雁夜には残り少なくなった人生の中でやらねばならないことが山ほどあった。
そしてそれは、必ずやり遂げなければならないことだった。
「桜ちゃん、今日は一緒にお外に出てみようか? 公園に、行ってみよう」
昼食が終わり、雁夜は桜にずっと考えていたプランを提案してみた。
「お外? 公園?」
桜がぬいぐるみ“キュゥべえ”を抱きしめたままキョトンとした表情で首を捻った。
「そうだよ。桜ちゃんもお陽さまの光を沢山浴びながらお外でいっぱい遊ばないとね」
雁夜は笑ってみせた。
「でも……」
桜が顔を俯かせながら表情に影を落とした。
感情に起伏が生じるようになったのは良い傾向だと思った。が、桜が暗くなった理由がとても気になった。
「でも?」
「おじいさまが……外で遊んじゃ、ダメ、だって」
「なっ!」
桜の言葉を聞いて雁夜は胸が強く締め付けられる思いだった。
それは桜の心がいまだ深く臟硯に囚われていることを示す一言だった。
雁夜は桜に間桐家からの脱出の経緯について話したことはない。自分が臟硯に反旗を翻したと知れば桜がどう反応を示すかわからない。恐怖によりまた心を閉ざすかもしれない。
そして万が一、自分が臟硯や他勢力に殺されて桜が間桐邸に戻ることになった場合も考えれば、彼女は真相から遠い方が安全なのは間違いない。真相は教えられない。
なので桜の一言は当然といえば当然の言葉でもあった。
雁夜は大きく息を吸い込み、次いで吐き出した。
そして、出来る限り自然な笑顔を心掛けながら桜に返した。
「おじいさまは桜ちゃんが今まで頑張ってきたご褒美にこれからはいっぱい外で遊んで良いよっておじさんに言ったんだよ」
臟硯の言葉を借りる体裁で桜を説得しなければならなかったのは癪だった。けれど、今の桜を説得するにはそれしか思い付かなかった。
「わかった。じゃあ、お外に、行く」
桜は小さく頷いた。
そんな桜を雁夜は拳が真っ赤に変色するほどに強く握り締めながら見ていた。
雁夜は桜を連れて近所の児童公園へと到着した。
その公園は砂場とブランコ、滑り台、それにベンチが設置されているだけの殺風景な空間だった。木も数本申し訳程度に植えられているが、葉を落としたそれは殺風景さを際立たせるものとなっていた。
だが、それだけに死角もまた存在しない。桜に遊んでもらうには最適な環境でもあった。
「さあ桜ちゃん、好きなだけ遊んでね」
桜に手を振りながら雁夜はベンチに腰を下ろした。
雁夜が桜を外に連れ出したのには大きく分けて3つの目的がある。
1つ目は桜が豊かな感性を取り戻し心を強くしてくれる為。心が健康を取り戻していけば、臟硯に反抗する精神の強さを持てるかもしれない。あの狡猾な蟲に勝つには何より心の強さが重要だった。
2つ目は桜を間桐から解放することを助けてくれる仲間を探す為。勿論、公園で遊んでいるだけで志を同じくする者が現れるなんて甘い夢を雁夜は見ていない。
けれど、自分にもしものことがあっても、一時的にでも桜を預かってくれるような者に出会えれば、桜が絶望に陥らずに一縷でも希望を抱けるような者に出会えれば。そう思う。
特に後者の場合、大人である必要はない。むしろ、救済には桜と同じ感性を持つ子供の存在が必要になる。雁夜は桜の友達の存在の重要性を感じていた。
そして3つ目。雁夜は桜が元気に遊ぶ姿を見たかった。一番単純で一番切実な願い。それは雁夜にとっての理想。元々雁夜はその光景が見たくて人間の生を放棄したのだった。
だが、その理想は容易には実現しない。
桜はぬいぐるみを抱きしめたままジッと花の枯れた植え込みを見ていた。
公園には少数ながら桜と同年代の少年少女がいた。けれど、桜が彼らに興味を示すことはなく。また彼らが桜に近付いてくることもなかった。
桜に彼らが近寄らないのには側にいる雁夜の容貌のせいかもしれなかったが。
結局桜は2時間の間雁夜の側で枯れ果てた風景を見続けていた。
「桜ちゃん。公園、つまらなかったかな?」
帰宅後、雁夜は一緒に入浴しながら桜に尋ねた。
「ううん」
桜は首を横に振った。
「楽しかったよ。おじさんと、一緒だから」
「そうか。ありがとう」
桜の答えに複雑な気持ちになる。
桜にそう言われて嬉しくない筈がない。
けれど、今日の公園行きの目的はそこで止まってしまっては意味がない。
桜は心の拠り所になれるような友達を作ることが重要だ。
「50まで数えたら出ようか」
「うんっ」
首を縦に振る桜。
「「い~ち、に~い、さ~ん、し~い……」」
2人は声を合わせて数をかぞえ始めた。
雁夜は心の中で何とかしなくてはと思いながら。
翌日午後、雁夜は桜と共に再び同じ公園を訪れていた。
しかし午前の内に雁夜なりに桜がより公園を楽しめるように色々な細工を施してみた。
「ほらっ、桜ちゃん。緑が綺麗だよ」
雁夜は桜が昨日ずっと眺めていた植え込みの方を指差した。桜が体ごと雁夜の視線の先を向く。
そこには青々としたワカメが地面から生えていた。
蟲を使い間桐家の食堂にいた新鮮で綺麗なワカメを運んできて頭まで地面に埋めたのだ。
緑があれば桜も気分が高揚するのではないかと考えた結果だった。
だが、桜は無言のまま後ろを向いてしまった。
「……失敗、だったか」
桜の気分を害してしまったかと気落ちする雁夜。
だが、桜は振り返った足で砂場へと歩いていった。
そしてスカートが汚れないように丁寧に中腰になると、砂の表面をペタペタと触り始めた。
その光景を見て雁夜はほとんど動かない左手の拳を握り締めながらガッツポーズを取っていた。
「よしっ!」
ワカメのおかげで桜が公園での遊びに興味を示してくれた。
当初の意図とは違うけれども、結果オーライだった。
本名さえ忘れ去られているワカメはFate史上初めて桜の役に立った。引き立て役以外で。
そして功労ワカメはVIP待遇で蟲に乗せられて間桐家の蟲蔵へと丁重に送り返されていった。
桜は小さな手で砂の山を作り始めていた。僅かではあるが公園での遊びに楽しみを覚え始めているように雁夜には思えた。
すると雁夜にも欲が生じてきた。桜に是非友達を作って楽しんで欲しいという欲望が。
とはいえ、現在の雁夜に紹介できるような者はいない。たった1人を除いて。
雁夜はそのたった1人を呼び出す、いや、召喚することにした。
「いでよっ! 二代目バーサーカーっ!!」
雁夜は指を弾いて大きな音を鳴らした。
そして、とても小さな声でボソッと呟いた。
「タイガ~タイガー~タイガーアッパーカット」
静寂に満ちた、雁夜と桜以外には誰もいない物悲しい公園。
だが、その公園に次の瞬間、一匹の修羅が舞い降りた。
「タイガーって言うなぁああああああああぁっ!」
穂群原学園の制服を着た女学生が竹刀を振り回しながら葉を枯らした木々をなぎ倒して暴れていた。
「俺のサーヴァントは最強なんだ」
新バーサーカーに背を向けたまま雁夜は右手を顔の前に持っていってポーズを作った。
昨夜実験したみた所、新バーサーカーは冬木市内であればどこでも瞬時に召喚できることが判明した。生粋のサーヴァント以上に召喚に時間が掛からない。
しかし一方でバーサーカーとしての特性も持ち合わせている。理性を失ったその怪物は召喚主である雁夜の制御をまるで受け付けない。ただ破壊の衝動のままに暴れるだけである。雁夜はただ破壊の光景を見ているだけしかない。
「自称優雅の追求者時臣の野郎は不測の事態に弱いからな。予測不能な動きをする俺のサーヴァントは最も苦手とする筈だ」
雁夜は対時臣戦の切り札を得た思いだった。もっとも、雁夜自身がバーサーカーの暴走に巻き込まれて死亡してしまわなければの話だったが。
「と、新サーヴァントの威力を誇っている場合じゃなかったな」
雁夜は砂場に向かってゆっくりと歩き出す。
桜はごく小さなものではあったが砂の山を築き上げていた。
「桜ちゃん」
雁夜は自身が命を賭して守っている少女にしゃがみ込みながら声を掛けた。
桜がゆっくりとした動作で首を上げる。
「ほらっ、桜ちゃんの新しいお友達だよ」
雁夜は新バーサーカー、通称冬木の虎、本名不明、を桜の友達候補として紹介した。
桜は新バーサーカーを見た。
新バーサーカーは大きなイチョウの樹を竹刀で縦に容易く切り裂いていた。
桜は視線を再び砂山へと移した。
「おじさん、一緒に、お山作ろう」
「ああ、そうだね」
新バーサーカーを桜の友達にするという雁夜の意図は上手くいかなかった。
けれども、桜が自分を遊び相手に指名してくれたことが雁夜には嬉しかった。
「桜ちゃん、今日は楽しかった?」
帰宅後、一緒に入浴しながら雁夜は桜に尋ねてみた。
「うん」
コクッと頷いてみせる桜。
「おじさんが、一緒に、遊んでくれたから」
「桜ちゃんっ」
雁夜は感激して桜を抱きしめていた。少女の肌の温もりを湯の温度よりも温かく感じていた。この温もり、一生離したくないと思った。
『少年少女連続誘拐犯のロリペド野郎は現在もこの付近に潜伏中と思われます。市民のみなさんは不審な人物を見掛けましたら冬木市警察署までご一報ください』
雁夜は桜を離した。
「桜ちゃんは、友達欲しいよね?」
雁夜は本題を切り出した。
桜はしばらく考え込んでから答えた。
「おじさんがいるから、いらない」
雁夜はその答えを聞いて再び感激した。
けれど、桜の回答を聞いて雁夜はますます桜には友達が必要だと思うようになった。
雁夜に残された時間はもう少なかったのだから。
2 間桐雁夜はCOOLが少ない
雁夜が桜と共に公園に通うようになってから3日目。
その日2人は運命と出会うことになった。
「桜ちゃん、今日は砂場で遊ぶ? それともブランコ?」
雁夜は公園に到着してから桜に話し掛けた。
桜はしばらく考え込んでから答えを出した。
「今日は、ブランコ」
「じゃあ、2人でブランコ乗ろうか」
2人が並んでブランコに向かって歩き出した時だった。
運命はあまりにも唐突に2人の元に現れた。
「きゃっ!」
桜は走って公園に入り込んできた同年代の少年にぶつかってしまった。
その衝撃で桜はよろけながら転びそうになった。
「桜ちゃんっ!」
雁夜は桜に向かって手を伸ばす。
だが、桜を救う手は雁夜よりも先に伸ばされていた。
「と、っと」
桜にぶつかった少年の手が彼女が倒れるのを阻止していた。
「大丈夫か?」
赤毛の混じった短髪の少年が桜の手を握っていた。
「う、うん」
桜は驚いた表情で、でも、呆然としながら少年を見ていた。
そして、繋がれた桜と少年の手を見て雁夜は胸が激しくざわめくのを感じた。
一体何が自分の内で起きているのか理解できない。
けれど、本能は知っていた。
雁夜が感じたのは圧倒的強者に対して弱者が抱く感情と酷似していた。それ即ち恐怖。
雁夜は桜と同年代の幼い少年に恐れを抱いていた。
何故なのか全く心当たりがないので雁夜自身、自分の今のこの感情が何なのか全く理解できない。
だが、雁夜の理解とは関係なく事態は推移していく。
「君、1人?」
少年は尋ねる。
「ううん。おじさんと、一緒」
桜は雁夜を見た。
桜の視線が自分を向いたのが雁夜には嬉しかった。何故嬉しいのか、よくわからないが。
「おじさんと一緒か。まあ、良いや。一緒に遊ぼうよ」
少年は繋いだ手を軽く上下に振った。
「なぁっ!?」
少年の言葉、そして動作に雁夜は激しい衝撃を受けた。
体がガタガタと音を立てて震え始める。
何故震えるのか少しも理解できない。だが、雁夜は目の前の少年が危険な存在であると認識するようになって来た。
何故そう認識しなければならないのか自分でもよく理解できないでいたが。
だが疑惑は確信へと変わっていく。
「おじさん、この子と、一緒に、遊んで良い?」
桜が遠慮がちに、しかし、はっきりとした声で尋ねて来た。
人見知りしがちな桜は、間桐家に引き取られる前であっても見知らぬ子供と遊ぶということはなかった。社交的な姉の凛とはその辺りが大きく違った。桜は元来内向的だった。
その桜が名前も知らない、しかも男の子の誘いを受けようとしている。
それは雁夜にとって大きな衝撃だった。
喜ぶべき変化。頭ではそれを理解している。だが、何故か素直に受け入れられない。
何故受け入れられないのかよくわからない。雁夜は頭が混乱している。
けれど、雁夜は分類できない感情の波を理性という名の防波堤で塞き止めた。
「ああ、勿論だよ。いっぱい遊んでおいで」
雁夜は頬の力を総動員して笑顔を作り、桜に了承を言い渡した。
「うん」
桜は新居に来てから一番嬉しそうな表情で頷いてみせた。
桜が笑顔を見せてくれたことは雁夜にとって無上の喜びだった。その筈だった。
だが、桜が笑顔を見せるに至った経緯を考えるとあまり素直には喜べなかった。
雁夜は自分が素直に喜ぶことができない原因を眺めた。
そして雁夜は耳にすることになった。
生涯忘れることができない、宿命を通り越した超運命の究極のライバルの名を。
「俺の名は士郎。味皇海原雄山の息子、山岡士郎だ」
少年は士郎と名乗った。照れ臭そうに微笑みながら。
「士郎、くん」
桜は士郎の名をとても嬉しそうに呼んだ。
雁夜は少年の名を深く深くその胸に刻み込んだ。
心の中で少年の名を死弄と変換しながら。
「君の名は?」
士郎が尋ねる。それに対して桜は一瞬躊躇してから、それでも元気良く答えた。
「とお……間桐、桜」
桜が遠坂と言おうとして間桐と言い直した所が雁夜には悲しく思えた。
けれど、それ以上に少年に対して素直に名乗る桜を素直に喜ぶことができなかった。
「じゃあ、あっちの滑り台の方に行こう」
「うん」
桜は雁夜にぬいぐるみを渡すと少年と共に走っていった。桜が走る姿を見るのは彼女が間桐家に引き取られて以来初めてのことだった。
「桜ちゃん、本当に楽しそうだよなあ」
士郎と2人で楽しそうに遊び回っている桜を雁夜は虚脱した表情で見ていた。
ベンチに腰掛ける姿勢もいつも以上にだらしない。やる気なさに満ち溢れていた。
「桜ちゃんのあの笑顔を引き出しているのが何で俺じゃなくてあのガキなんだ?」
口から魂吐き出してしまいそうなぐらい弱々しく疑問を口にする。
桜に友達が出来ることを望んでいたのは他ならぬ雁夜だった。
けれど、その桜に実際に友達が出来たら素直に喜べない自分がいた。
いや、より正確には桜の友達が士郎という少年だったことが問題だった。桜の友達が男であり、しかも雁夜を不安にさせる士郎であることが。
「あのガキ、魔術師の系統には見えないが何でこんなに俺を焦らせるんだ?」
士郎を見ていると雁夜の汗は止まらない。
「まあ、所詮相手は子供だ。害にはならないだろう」
大きく息を吐きながら顔を落とす。
急に眠気が襲って来た。
警戒は蟲に任せて少し眠ろうかと目を瞑る。
と、急に付近から声が聞こえて来た。
『今のはまずかったよ、間桐雁夜』
その少年のような少女のような声を聞いて雁夜は目を見開いて立ち上がる。
バカな、と思った。
幾ら眠いとはいえ、こんなに間近で声が聞こえるほどに人間の接近を許すなんて。
しかも、相手は自分のフルネームを知っていた。今の変貌した自分の正体を見抜ける人間がこの街に多くいるとは思えない。
それ即ち、話し掛けて来たのは自分が聖杯戦争の参加者であると知っている人物のみ。
敵勢力の襲撃を念頭に周囲を警戒する。だが、雁夜の視界でも、使役している蟲でも敵の姿を捉えることはできない。
1分ほど警戒を続けてみたが、結局1人の襲撃者も発見できない。
衰えた体と焦りが生み出した幻聴だったのだろうと雁夜は結論を下す。
今まで葵の幻覚は何度も見てしまっているのだから。
だが、雁夜が息を吐いて座り直した時、その声はまた聞こえて来た。
『君は間桐桜のことが好きなのだろう? いいのかい? 士郎を放っておいて? 桜を盗られちゃうかもしれないよ?』
雁夜は全力で首を右に回して声を発した主を確かめた。
だがそこにいた、いや、あったのはぬいぐるみの“キュゥべえ”だけだった。
「はぁ~。魔術が施されている痕跡もないただのぬいぐるみの話し掛ける声が聞こえるとか、色々末期だな俺も」
雁夜は弱りきった体と、溜まるストレスが幻聴を生んでいるのだと判断を下した。
「俺は桜ちゃんの保護者として彼女を愛している。桜ちゃんに友達が出来たのは良いことだ。何故あの士郎というガキに警戒しなきゃならねえんだっての」
雁夜は自分の立場を改めて口にしてみた。
やたら饒舌になっているのが自分でも気になったが。
『君は人間のオスとしてメスの桜を愛しているのだろう? 違うのかい?』
「そんな訳があるかってのぉ~~~~っ!」
また聞こえて来たキュゥべえからの幻聴に全力で異を唱える。
「俺が、桜ちゃんを1人の女の子として愛しているなんて、そんなことがある訳がっ!」
雁夜は必死に耳を塞いで雑音を排除しようとする。だが、幻聴は脳に直接響いて来る。
『人間にとって異性を愛することはとても尊い行為とされているのだろう? 何でそれを隠そうとするんだい? まったく、人間の言うことはワケがワカらないよ』
「うっせぇっ! 俺はロリコンじゃねえっ!」
雁夜は自身が生み出す幻聴を打ち消すのに必死だった。
「大体、桜ちゃんは葵さんの娘なんだぞ。だから、俺は……うん?」
雁夜は今でも愛しい想い人の顔を思い浮かべてみる。
だが、思い浮かんだのは桜の顔だった。つい先ほど見た桜の楽しげな笑顔だった。
「ノォオオオオオォっ!! 葵さんは桜ちゃんのお母さ~ん!!」
頭に手を当てながら地面を転げ回る雁夜。
「否っ! 俺は、以前のように公園で仲良く遊んでいる桜ちゃんと葵さんと凛ちゃんの姿が見たいだけなんだっ!」
雁夜はかつて何度も見た一家団欒の図を思い出そうとする。
「凛ちゃんはお義姉さんで、葵さんはお義母さんで……」
雁夜は必死に一家団欒の光景を思い描く。
『駄目じゃない、雁夜。桜をちゃんと幸せにしてくれないと。義姉として心配よ』
想像の中、雁夜は幼い凛に義姉として怒られていた。
『駄目よ、雁夜くん。大事な娘を任せたのだからもっとしっかりしてくれないと。義母として心配だわ』
想像の中、雁夜は葵に義母として怒られていた。
「その一家団欒は根本的に間違っているだろうぉ~~~~っ!!」
雁夜は更に激しく転げ回る。
「オノレェ時臣~~っ!! これが貴様のやり方かぁ~~~~っ!!」
時臣に義理の父親として叱られる妄想を見たらこの場で舌を噛んで死ぬしかない。
そんな強迫観念に駆られながら雁夜はローリングし続けた。
「桜ちゃん。士郎くんと遊ぶのは楽しかったかい?」
帰宅後、雁夜はゲッソリと衰弱した顔で一緒に入浴しながら桜に尋ねた。
「うん。とっても」
桜は微笑みながら楽しそうに肯定した。
その笑みは、この新居に移って来た1週間前からは想像も出来ないほどに満面の笑みだった。
雁夜はその笑みに感動すると共にドス黒い感情が沸き起こるのを感じざるを得ない。
「え~と。桜ちゃんは女の子の友達も欲しいよね」
雁夜はその黒い感情が形にならない道を模索する。
そう。桜が心を許す存在が同性の友達であれば何の問題もない。
士郎はたまたま初めに声を掛けただけのモブ。以降本編には出て来ない。そう、それなら何の問題もない。
だが、桜が突き付けて来た回答は雁夜の甘い夢想を吹き飛ばすものだった。
「おじさんと、士郎くんがいるから、いらない」
以前の回答は“おじさんがいるから、いらない”だった。
だが今日の回答には“士郎くん”という名前が付け加えられていた。それが癪だった。
「桜ちゃんにはおじさんがいるからねっ!」
自分の言動に矛盾を感じながらも雁夜は桜を正面から抱きしめた。
強く強く抱きしめた。
『少年少女連続誘拐犯のロリペド野郎は現在もこの付近に潜伏中と思われます。市民のみなさんは不審な人物を見掛けましたら冬木市警察署までご一報ください』
雁夜は桜を離さなかった。
代わりに小さく小さく呟いた。
「キャスター……お前ら、何、少年1匹、逃してんだよ」
「おじ、さん?」
桜は抱きしめられたまま不思議そうに雁夜を見上げていた。
雁夜は何も答えなかった。
何か答えるような心理的余裕を今の雁夜は持ち合わせていなかった。
COOLとFOOLはよく似ている。
今の雁夜は努めてCOOLたらんとFOOLの道を走っていた。
間桐雁夜は白髪と化しているがまだ20代。まだまだ青春真っ盛りだった。
3 間桐雁夜はハーレムが少ない
雁夜と桜は士郎に出会ってしまった。
その日から一段と2人の生活は変化を見せ始めた。
桜は一段と明るくなった。以前のような笑みを見せる場合も増えてきた。士郎の名前を度々口にするようになっていた。
反対に雁夜はやさぐれた表情を見せることが多くなった。右肩下がりを続けていく体調の悪さだけが原因ではない。士郎の名が桜の口から出る度に雁夜は面白くない気分になる。
士郎と知り合ってから3日目。今日も雁夜は桜を連れて公園へと向かった。
「やあ、桜」
公園に到着すると士郎が待っていた。
「士郎くんっ」
桜は楽しそうに返事をすると雁夜にぬいぐるみを渡して士郎の元へと走っていく。
「士郎は桜ちゃんの大切な友達。……後悔なんてある訳ない」
雁夜はキュゥべえを見ながら溜め息を吐いた。
『雁夜はこのまま桜を士郎に盗られてしまっても良いのかい?』
ベンチに腰掛けるといつものようにぬいぐるみから幻聴が聞こえて来た。もう雁夜は幻聴に驚かない。自分のストレスが生み出した冬の魔物が囁いていると割り切っている。
「俺は桜ちゃんの保護者だ」
雁夜は改めて自分のポジションを述べてみる。
『桜を誘拐同然で間桐家から連れ出した分際で保護者とはよく言うね』
「うるさい。あの家にい続けたら桜ちゃんは壊れてしまう。だから連れ出した」
桜を助けたいと思って行動を起こしたことに間違いはない。雁夜はそう信じている。
『でも雁夜はもうすぐ死ぬのだろう? だったら残された時間を桜と愛し合って過ごす方が良いんじゃないかな? 君たち人間には愛することが最も有意義で尊いものなんだろ?』
「お前の言い方はいちいち生々しいんだよ。俺はロリコンじゃねえっ! ……筈だ」
最近、何か心が折れそうになる時がある。桜の為にも決して折れる訳にはいかないが。
『オスとメスは交配し合って種族を残し増やそうとするのが自然の営みじゃないか』
「桜ちゃんはまだそんなことをする年齢じゃないっ! 下劣な対象に捕らえるな」
『雁夜は桜が成長してから収穫するつもりなんだね。なるほど効率的だ』
「俺が桜ちゃんをいやらしい目で見ているという前提で話をするなっ!」
何故自分が生み出した幻聴はこうも自分に優しくないのか。雁夜は頭が痛い。
『でも、雁夜は矛盾しているよ。君の命はもう長くない。桜を守り続けることもできないし、成長を見守っていくこともできない』
「そ、それは……」
キュゥべえに最も痛い所を突かれる。言葉が続けられない。
『君が死んだら桜はどうなるんだい? また間桐家に連れ戻されて絶望に陥るのかい?』
「そんなことはさせないっ! 邪魔になる臓硯も時臣も俺が倒すっ! そうすれば、後は葵さんが何とかしてくれる……筈」
雁夜は吼える。けれど、その言葉の虚しさを自分で自覚せざるを得ない。
『臓硯や時臣に君の実力で勝てるとは思えないなあ。そんな非現実的な目標を設定するよりも、桜と愛し合うことをボクは勧めるけどね』
「またそれかよ!」
雁夜は自身の幻聴がどうしてもそちらの方面に行きたがることに苛立ちを覚える。
『これでもボクは君と桜の恋を応援しているつもりなんだけどね』
「そんな応援いらん」
雁夜は大きく息を吐いた。幻聴に年端もいかない少女との恋を応援してもらうとか人間としてアウト過ぎる。
『もっとも、桜がその気になってくれさえすれば、簡単に解決する話でもあるんだけどね』
「どういうことだ?」
雁夜はキュゥべえを掴みながら問い詰める。傍から見れば純度100%の危ないおじさん。アウトで間違いない。
『大きな苦悩と逆境という運命を背負っている桜には素質があるってことさ』
「素質? それは何の話だ?」
雁夜はぬいぐるみに更に問い詰める。ツーアウト。
『後は桜の問題だから、今、雁夜に説明できることは何もないよ』
「俺の生き方にあれだけ偉そうに講釈垂れながら肝心な部分は説明なしってかよ!」
雁夜はぬいぐるみに怒鳴っていた。スリーアウト。色んなものがゲームセット。
『まあ、ボクはまずあの士郎って少年に気を付けるべきだと思うけどね。彼は危険だ』
「危険? 士郎が?」
雁夜は桜と士郎を見た。普通に2人で仲良く遊んでいるようにしか見えない。
『彼は、いや、正確には未来になり得るかもしれない彼は、因果の糸が一個人の域を遥かに超えた、宇宙のエントロピーをも凌駕する存在だ。彼が少女じゃなくてとても残念だよ』
「はぁっ?」
雁夜は自分がこんなに意味不明な電波なことを考えていたのかと驚いた。だが、次にキュゥべえから発せられた言葉だけは聞き捨てならなかった。
『だが、それは未来の可能性の話。今問題なのは士郎が既に無自覚ハーレム王としての能力に覚醒していることだ』
「無自覚ハーレム王? 何を言っているんだ、いったい? って……えっ?」
雁夜はもう一度士郎を改めて注視した。するとあり得ない光景が目の前に広がっていた。
「士郎、このままいけば貴方はきっと素敵な男の子になります。ハァハァ」
黒スーツで身を固めたセイバーのサーヴァントが士郎の肩を掴みながら息を荒げていた。
「セイバーっ、だとっ!?」
最強との呼ばれも高いセイバーのサーヴァントが同じ公園の敷地内にいる。それは雁夜にとって最悪な事態に違いなかった。
幻聴と会話していて接近に気付かなかったという原因がまたバカ過ぎた。
戦闘準備も考えたが雁夜とセイバーでは実力差があり過ぎる。むしろ聖杯戦争との関連を匂わせない方が場をやり過ごすのに最適だと思った。
もし、セイバーが桜を傷付けようとするなら死ぬ覚悟だけは準備を済ませて。
「あの、お姉さんは一体?」
士郎は突如絡んで来た黒スーツの女性に引いている。一方セイバーはがっついている。
「そうだ、士郎。私のマスターと会って頂けないでしょうか? 何、大した意味はありません。2人の将来を認めてもらうとか、キリツグのことを士郎にお父さんと呼んで欲しいとか思っている訳ではありません」
セイバーは瞳を爛々と輝かせながら口の端からは涎が垂れている。雁夜はその光景を見て別に放っておいて良いかなと思った。むしろセイバーに士郎を連れ去って欲しい。そうすれば邪魔な士郎を効率的に排除できる。
だが、そんなセイバーの行動を阻んだのは他ならぬ桜だった。
「士郎くんは、わたしと、遊んでるの!」
桜は両手を広げてセイバーの前に立ち塞がった。爛々と瞳を燃やしながら。
それは普段の桜からは考えられないほどに雄々しい姿だった。
「士郎は今この私と喋っているのです。ペチャパイ娘は黙っていなさい!」
セイバーは史上初めて他人に対してペチャパイとバカにしてみせた。己のどう頑張っても薄いとしか表現できない胸を張りながら。
「10年経ったら、大きくなるもん!」
「無理ですね。ブリテン王として断言します。貴方は10年後もペッタンコのままです。そして私は巨乳王です」
10年後の真実がどうなのか?
それは神のみが答えを知っている。
「う~! とにかく、士郎くんに、近付いちゃ、駄目!」
「貴方こそ、士郎に遊ばれているだけだということにいい加減気付いたらどうですか? 士郎の将来の妻となるのはこの私なのですから!」
桜とセイバーは同レベルで喧嘩をしている。だが、それは女の争いと言われるものに違いなかった。
「まあまあ、2人とも喧嘩は駄目だよ」
そして士郎は苦笑いを浮かべながら2人を宥めようとしている。
その光景を見て雁夜はイラッと来た。
「なるほどな、キュゥべえよ。お前の言いたいことがよくわかったぜ」
雁夜は幻聴の言葉を認めた。そして、指を鳴らしながら低い声で述べた。
「出でよ、バーサーカーっ! ………………タイガー」
雁夜の言葉に応じて新バーサーカーが召喚される。
「タイガーって言うなぁああああああああああぁっ!」
新バーサーカーは雁夜の望み通り士郎の付近で暴れ始めた。
だが──
「この子は私が持って帰って育てて食らう~~っ!」
「うわぁああああああぁ!」
新バーサーカーは狂化を解いて士郎を小脇に抱えて連れ去ろうとした。狂戦士モードは解除されたが、やっぱり狂っていた。理性は狂気を内包している。
「そんなことはこの私がさせないっ!」
セイバーが甲冑を装備して見えない剣を構えた。
「士郎くんを、連れていっちゃ、駄目!」
桜も両手を広げて新バーサーカーの行く手を塞ぐ。
「笑止! たかが見えない剣と人間の盾ぐらいでこの冬木の虎を阻めるものか!」
新バーサーカーは宝具虎竹刀を構えて臨戦態勢をとる。
1歩も退かずに激しく睨み合う3人の乙女。
「俺のサーヴァントまで従えてしまうとは……なるほど。士郎は俺とは格が違うな」
女同士が激しく睨み合う光景を見ながら雁夜は大きく息を吐き出した。
帰宅後、いつものように桜と共に入浴すべく脱衣所を訪れる。が、今日に限って桜は服を脱ごうとしなかった。
「どうしたの? 風邪でも引いた?」
3人の少女の睨み合いは雁夜が帰ろうと声を掛けるまで続いていた。体を温めもせずに外に立ちっ放しだったので体を冷やしてしまったのかもしれない。
「あのね……」
桜は小さな声を発した。
「セイバーのお姉ちゃんが、言っていたの」
「何を?」
雁夜は首を捻る。そして桜は小さな声で続けた。
「女の子は、心に決めたたった1人の男の人としか、一緒にお風呂に入っちゃ駄目だって」
「そ、それは……」
雁夜は狼狽した。だが、彼が真に狼狽するのはこれからだった。
「だから、わたし、これからは、1人で、お風呂に入ろうって、思うの」
「なぁあああああぁああああああああああああぁっ!?!?」
雁夜はこれまでの人生で最大級に大きな声を上げた。人生最大級の衝撃だった。
「オノレェ~~っ! 時臣ぃ~~~っ! これが貴様のやり方かぁ~~~~っ!! 外道めぇ~~~~っ!」
今回の件にまるで関係ない時臣に激しく怒りをぶつけてみる。
だが今は宿敵に怒りをぶつけている場合ではなかった。
「桜ちゃんっ!」
雁夜は桜の小さな両肩を掴んでいた。そして桜の小さな顔をしゃがんでから覗き込む。
「桜ちゃんはセイバーの言うことなんか気にしなくて良いっ!」
雁夜の声にはいつにない程に熱が篭っていた。
「でも……」
桜の顔には戸惑いが見て取れた。だから雁夜は自分の精一杯の正直な気持ちをぶつけた。
「俺は桜ちゃんと一緒にお風呂に入りたいんだぁ~~っ!!」
雁夜がこんなにも必死に人を説得しようとしたのは初めてのことだった。
雁夜の心からの切なる願いだった。
「うん。わかった」
そして雁夜の真摯な訴えに応じて桜は逡巡の後に首を縦に振った。
「そうかそうか~。桜ちゃんがわかってくれておじさんは嬉しいよ」
雁夜は楽しそうに衣服を脱ぎだした。危機を克服した雁夜は一時の幸せに到達していた。
「それって、おじさんは、わたしを、選んでくれるの? お母さんじゃなくて、わたしを……?」
桜が俯きながら顔を真っ赤に染めていることに気付かずに。
『少年少女連続誘拐犯のロリペド野郎は現在もこの付近に潜伏中と思われます。市民のみなさんは不審な人物を見掛けましたら冬木市警察署までご一報ください』
警察車両からの放送が聞こえてきた。
けれど雁夜は特に関心を払わずに服を脱ぎ続けた。
もう、何も怖くない。
後悔なんてある訳ない。
だが、雁夜に残された時間はあまりにも少ない。
一方、臟硯、時臣、士郎と超えなければならない存在はいずれも雁夜を大きく上回る強大な力を有している。
果たして雁夜は桜を幸せへと導くことができるのか?
その答えはいまだ誰も知らなかった。
間桐雁夜は友達が少ない に、続く
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雁夜おじさん物語の第二段
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