No.350208

間桐雁夜は余裕が少ない

雁夜おじさんの苦悩。
時臣くん物語の裏話。

僕は友達が少ない
http://www.tinami.com/view/336533  肉はロリ分が少ない 起

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2011-12-21 00:15:45 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:3496   閲覧ユーザー数:2910

間桐雁夜は余裕が少ない

 

 

1 間桐雁夜は寿命が少ない

 

 聖杯戦争の参加者、バーサーカーのマスターである間桐雁夜には余裕がない。

 どれぐらい余裕がないのかと言うと、雁夜の宿命のライバルである遠坂時臣がワイングラスをグルグル回しているのを見て、イラッと認識する前にモニターを拳でぶち抜いて血を滴らせてしまうほどに余裕がない。

 雁夜に余裕がないのは元来の性格に拠るものではない。説明に値する原因があった。

 雁夜の余命はもう1ヶ月も残っていなかった。その残されたごく短い時間で彼にはどうしても成し遂げねばならない大きな宿願があった。

 残された短過ぎる時間に対して果たさなければならない使命はあまりにも大きく、雁夜に余裕などある筈がなかった。

 

 何故、雁夜の余命がもう1月しか残っていないのか。

 それは、雁夜が1人の少女を過酷な運命の淵から救う為に人間としての生を放棄したからだった。

 雁夜が命を賭けて救おうとしている少女の名は間桐桜と言った。

 本来であれば新入生として小学校に入学していた筈のとても幼い少女だった。

 だが、その幼さと反比例して桜が背負わねばならなかった運命はあまりにも過酷なものだった。

 

 桜は元々の名を遠坂桜と言った。魔術の名門遠坂家の当主遠坂時臣の次女として生を受けた。桜はかつて雁夜が想いを寄せていた葵の娘でもあった。

 魔術は基本的に一子相伝であり、親は生まれた子の中から1人だけを選んで己が体得した魔術の全てを伝える。

 時臣が後継者に選んだのは長女の凛だった。その為に桜は魔術とは無縁に普通の少女として人生を送る筈だった。

 だが、時臣が捨て置いた桜の魔術師としての才能に目を付けた者がいた。

 それが間桐家の初代当主にして、数百年の時を生き永らえて現在に至るまで裏から間桐を操り続けている間桐臟硯だった。

 臟硯は魔力回路が枯渇した自身の直系に変えて遠坂の血筋を受け入れることで魔術の名門間桐の存続と己の野望の成就を果たそうとした。

 しかし臟硯が考案した間桐の魔術とは、真っ当でないとされる魔術の中でも更に異端を極めるものであった。

 即ち、蟲に肉を捧げ命を蝕まれそれを対価にして至る魔導。

 蟲に蝕まれながら蟲を操る魔術。故に間桐の魔術師は短命にならざるを得ない。臟硯が存命なのは、仮初の肉体を蟲の力により再生させ続けているからに過ぎない。

 臟硯はその蟲たちの新たなる苗床として桜を指名したのだった。

 勿論、遠坂家の当主である時臣が間桐の魔術の正体を知らぬ訳がなかった。桜が間桐に養女に行けばどんな目に遭わされるかも当然予測していた。

 だが、時臣はそれでも桜を養女に出した。古き盟友間桐の要望に答えるという名目で。

 時臣は桜の父親としてではなく、遠坂家の当主としての行動を選択した。彼は“良き魔術師”であり続けた。

 時臣が父親として出来たことは、愛妻と長女に桜に接触しないよう、桜が元からいなかったように振舞うように徹底することだけだった。それは同時に桜を救済しないことを意味していた。

 そして、養女に出された間桐家で桜にとっての地獄の日々が始まった。地獄は桜が間桐の門を潜ったその初日から無情にも始められてしまったのだった。

 

 雁夜が、桜が間桐の養女となったのを知ったのはそれからしばらく経ってからのことだった。

 臟硯を、そして間桐を嫌って家を飛び出した雁夜は数年ぶりに間桐の家を訪れた。

 そしてそこで雁夜が目にしたものは蟲に体を蹂躙し尽くされて心まで壊れかけてしまっていた桜の姿だった。

 雁夜はすぐに桜を蟲から解放するように進言した。だが、それを素直に受け入れるような臟硯ではなかった。

 そこで雁夜は交換条件を出した。自分が臟硯に聖杯をもたらす代わりに桜を解放しろと。

 臟硯はその提案を呑んだ。ただし、聖杯をもたらすまで桜の魔術師としての調教を続け、雁夜にも戦争の勝率を上げる為に間桐の魔導を会得してもらうという条件を付けて。

 雁夜はその条件を呑んだ。呑むしかなかった。断れば更に悪い条件を押し付けられることは目に見えていた。

 こうして雁夜は自ら人間であることを放棄した。

 

 雁夜には魔術師としての素養がなかった訳ではない。

 少なくとも兄に代わり間桐の当主を務められる程度の才能はあった。だが雁夜は生き方として魔術師であることを嫌った。その結果、雁夜は魔術師としての鍛錬を積んで来なかった。

 一方で間桐の魔術は成人になってから習得するにはあまりにも体への負担が大きいものであった。

 雁夜の体は文字通り蟲に蝕まれ、その命は見る間に削り取られていった。

 聖杯戦争が始まる頃には、半身不随、視覚障害、毛髪の白髪化などの異常が起きて臟硯に余命は1ヶ月と宣告された。加えて自身のサーヴァントであるバーサーカーを戦闘で使役すればいつ命が果ててもおかしくない。

 それが、間桐雁夜の置かれている過酷な現状だった。

 

 

 

2 間桐雁夜は資本が少ない

 

「俺はこのままで本当に桜ちゃんを救うことが出来るのか?」

 聖杯戦争の始まりを直前にして雁夜は自身のあり方に大きく疑問を感じるようになっていた。

 臟硯が準備したサーヴァントの強さに疑いを抱いている訳ではない。だが、自身の体の虚弱さには疑いを抱かずにはいられなかった。

 聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは7体。仮にその全てのサーヴァントを葬り去るのなら、最低でも6度の戦闘を経なければならない。だが、雁夜は自身の体が複数回の戦闘に耐えられるとは思えなかった。

 雁夜にとって重要なのは桜を救うことであり聖杯戦争に勝利すること自体ではなかった。

 雁夜は目的を履き違えてしまわないように心に強く唱えた。

 そして雁夜は桜を救出に聖杯戦争勝利以外の方策も練っておかねばならないと真剣に考えるようになった。

「やはり、最悪の事態も考えると少なくとも桜ちゃんをあの蟲蔵から出しておかないとな」

 手始めに雁夜は桜を間桐家から連れ出すことに決めた。

 間桐臟硯は一言で表せばとても狡猾な魔術蟲である。魔術自体よりも心理戦を遥かに得意とする。

 桜と雁夜の体にも危険な細工が施されている可能性が高かった。逆らえば即座に死をもたらすような特別な仕掛け。例えば体内の蟲が暴れ出して体を食い破るなどの仕掛けが。

 臟硯は謀略に長けている。だが、一方で数百年間生き続けたその体と思考は繕い切れない衰えを見せていた。簡単に言えば、臟硯は酷くボケていた。

 それっぽい身代わりを立てておけば臟硯は桜と自分がいなくなったことに気付くことはない。雁夜は戸籍上の父である臟硯の特性を知り尽くしていた。

 

 雁夜は早速身代わりを立てることにした。

 すると、雁夜の前を桜と同年齢のワカメっぽい髪をしたワカメが歩いていた。名前は忘れたが、雁夜の兄の子供のワカメで間違いなかった。

 雁夜はワカメに桜の服を無理やり着せて臟硯の前へと連れていった。

 臟硯は何の疑問も抱かずに女装ワカメを蟲蔵へと運んでいった。

 その日ワカメは色々と大事な物を失った。

 だが、その日以来ワカメは綺麗になったと学校で評判になった。

 綺麗なワカメは女子生徒たちの注目の的になり、第一次ワカメフィーバーが起きた。

 桜と間違えられて蟲蔵に放り込まれるほどにワカメは人気者になっていった。結果オーライ。後悔なんてある訳ない。

 

 続いて雁夜は自身の身代わりを立てる必要を感じた。

 そこで自身のサーヴァントであるバーサーカーを身代わりに立てることにした。甲冑の上から愛用のパーカーを着せ、自画像のお面を兜の上から被せた。

「フォッフォッフォ。雁夜よ。でかい口を叩いていた割にはもう喋ることも動くことも出来ぬようじゃのう。間桐の魔術を見下していた罰が当たったのぉ。クックック」

 棒立ちのまま1日中過ごしているバーサーカーに皮肉を述べる臟硯。目の前の人物が別人であることに全く気付いていなかった。

 そして雁夜は使役できなくなってしまったバーサーカーの代わりに

「タイガーって言うなぁ~~~~っ!」

 意に染ないあだ名を口にされて竹刀を持って暴れ回る女学生を心の中で2代目バーサーカーに任命して聖杯戦争を継続する体制を整えた。

 こうして準備を整えた雁夜は桜と共に間桐家を出た。

 

 雁夜と桜が移り住んだのは冬木市内のごく標準的なアパートの一室だった。

 冬木市では聖杯戦争の開始を直前にして殺人、失踪、誘拐事件が相次いでいた。

 そのほとんどがキャスター陣営による犯行だった。だが、聖杯戦争の事情を知ることもなく、また強力にして残酷な殺人鬼に対抗する術なども存在せず、ただただ見えない犯人に冬木市民は驚き怯えていた。

 そして多くの住民が僅か数日の内にこの市を去っていった。その結果、冬木には多くの不動産物件の空きが生じていた。

 平常時であれば不審者として契約を断られるであろう雁夜が不動産契約を結べたのも、住民の急激な大量流出により経済状態が逼迫した大家が多く生じたからだった。

 とはいえ、資金力に劣る雁夜ではごく標準的な、いや、それよりも手狭なワンルームを借りることが精一杯だった。桜専用の部屋を用意することができなかった。

 

「ごめんな、桜ちゃん。広い部屋を準備できなくて」

 手を繋いで桜を連れてきた雁夜は部屋に入るなり少女に謝罪した。

 けれど、桜からは何の反応も見られなかった。

 ただ、家具がまだ全く置かれていない空洞の部屋を焦点の合わない瞳で呆然と見ていた。

 その子供らしくない、いや、人間らしくない反応を見て雁夜は内側から怒りが湧き上がってくるのを抑えられなかった。

「己ぇ、臟硯っ! 時臣っ!」

 以前から大人しい娘だったとはいえ、それでもごく普通の感性を持ち合わせていた少女だった桜をこんな風に変えてしまった臟硯が許せなかった。臟硯の元に桜を養女に出した時臣が許せなかった。

 そして何より、間桐の魔術から目を背け、こうして幼い犠牲者を作り出す原因を生んでしまった自分自身が許せなかった。

 雁夜にはどうしても赦せない人物が3人いた。その内の2人は自分よりも遥かに強力な魔術師であり、1人は放っておいても直に死ぬ。しかし、その死に掛けを使役して2人の強敵を倒さなければならなかった。

 そして桜を解放し、彼女に人間らしい生活を取り戻してあげなければならない。

「難易度高過ぎだな、この戦いはよぉ」

 ガランとした部屋と自身の状況を重ね合わせながら雁夜は大きく溜め息を吐いた。

 

 

3 間桐雁夜は余裕が少ない

 

 桜との共同生活の始まりは、家具の運び入れから始まった。

「間桐の魔術にこんな使い方があるとはな」

 雁夜は窓から運び込まれてくるタンスやちゃぶ台などを見ながら感嘆とも嘲笑とも取れる溜め息を吐いた。

 雁夜は自身が使役する蟲を使って家具を運び込ませていた。

 幸いにして急激な人口流出により家具なら幾らでも捨てられていた。その中で使用に適したものを雁夜が選び蟲に密かに運ばせていた。

 瞬時に数千匹の蟲が群がり家具を運び去って行くのでその姿を人にみつかることもない。雁夜は生まれて初めて間桐の魔術を便利だと思った。

 雁夜は自宅に最低限の家具や日用雑貨品を運び入れた後、高級そうな家具や食器類を集めて空き地に運び込み、業者を呼んで売り払った。

 一つ一つの単価はタダ同然の安いものだったが、それでも数をはいたので桜と2人分の食費1ヶ月分ぐらいは得た。

 雁夜にとってはそれだけの金銭があれば十分だった。何故なら自分の寿命はもう1ヶ月も残っていないのだから。

「この金が尽きる前に桜ちゃんを救う。分かり易い指標が出来たな。へへっ」

 おかしくないのに笑いが出た。

 自分の手に握られているこの僅かな金銭が自分と桜の命。人間の命と引き換えると思えばあまりにも小額過ぎる金額。

それを考えると悲惨であり滑稽であり惨めであり、いっそ痛快でもあった。

「さて、桜ちゃんに土産でも買って帰らないとな」

 留守番を任せている、というか部屋の中で呆然と蹲って座っている桜を思うと外に長居はしていられなかった。

 雁夜は桜が豊かな感情を取り戻すきっかけを掴めるような何か良い土産はないかと考えた。女の子なのだし、ぬいぐるみが良いのではないかとすぐに思い至った。しかし──

「この顔じゃあ、店に入った瞬間に不審者扱いで警察呼ばれるよな」

 反射板に映った自分の顔を見て大きな溜め息が漏れ出る。雁夜は商店にさえまともに出入りできない自身の変貌ぶりを嘆いた。

 だが、力なく歩く雁夜もまだ運に完全に見放された訳ではなかった。

 人目を避けながら歩いていると、路上の隅に小さなテーブルが置かれているのを発見した。

 そのテーブルの上には注意書きと共に一体の白いぬいぐるみと貯金箱が置かれていた。

 興味を惹かれた雁夜はテーブルへと近付いた。

 注意書きにはこう記してあった。

 

 試作ぬいぐるみ キュゥべえ

  気に入った方がお持ち帰りください

  値段は五百円です

  代金は貯金箱にお入れ下さい

 

「こんな立派なぬいぐるみが500円? しかも無人で貯金箱? 何か、怪しいな」

 雁夜は怪しがりながらもぬいぐるみを熱心に観察した。

 キュゥべえは、猫のようなフォルムにうさぎの耳を組み合わせた造形だった。毛触り、質感共に真に迫った出来でありとても500円で売って良いものとは思えなかった。

 他マスター勢力の罠かもしれないと思い魔力の痕跡を探知するが何もみつからない。

「こいつは確実に怪しい。けれど、今の桜ちゃんには必要だ」

 雁夜自身、何とも説明がつかないがこのぬいぐるみに引き込まれていた。ぬいぐるみを掴んで貯金箱に500円玉を入れる。そしてゆっくりと足を引き摺りながら新居に向かって歩き始めるのだった。

 

 雁夜が戻って来た時、陽は既に落ちきっていた。

 けれど、雁夜の部屋には一切の電気が灯っていない。

「ただいま」

 雁夜は緊張しながらドアを開ける。

 そこに広がっていたのは、恐れていたような他マスター勢力の襲撃の痕跡ではなかった。

 もっと別の、雁夜にとってはより凄惨な光景が広がっていた。

「桜ちゃん……」

 桜は雁夜が出掛ける前と全く同じ姿勢のまま、ずっと俯いて座り込んでいた。電気もつけずにただ呆然と。

 雁夜は強く唇を噛みしめた。血が滴るほどに。

 雁夜は振り返って玄関を向くとスイッチを入れて電灯を点けた。

「ただいま、桜ちゃん」

 そして先程の光景をなかったかのように明るく振舞って挨拶をやり直した。

 けれど、桜から挨拶は返って来なかった。

 雁夜は天井を見上げる。と、右手に微かな重みを感じ取った。

 その時になってようやくぬいぐるみを土産に買って置いたことを思い出す。

「実は今日は桜ちゃんにお土産があるんだ」

 桜からは何の反応も返って来ない。失敗したかと思いながら雁夜は話を続ける。

「キュゥべえっていう名のぬいぐるみ、なんだけど」

 ぬいぐるみと喋った部分で桜の体が微かに揺れた。

「この子は1人で寂しいみたいだから、桜ちゃんがお友達になってくれないかな?」

 雁夜はぬいぐるみを桜の目の前に持って行って間近で見せ、そっと渡してみせた。

 さくらはボンヤリとぬいぐるみを眺め、やがて強い力で抱きしめた。

 そして、桜はとても小さな声で呟いた。

「ありがとう……おじさん……」

 桜はその言葉を発したきり、再び口を開かなくなった。

 けれど、雁夜にはそれで十分だった。

 雁夜は自分のやっていることが間違いではないと思えるようになった。

 

 

 間桐の家から持ち出した食材を使って雁夜は調理を行なってみた。

 雁夜はさほど料理が上手な訳でもない。まして現在の雁夜は左手が不自由であり、料理を行うにはハンデを背負った状況だった。

 それでも雁夜は必死に右腕を動かして調理に励んだ。

 雁夜が作ったのはカレーライスだった。

「あんまり美味しくないかもしれないけれど、遠慮なく食べてね、桜ちゃん」

 雁夜はそう言ってカレーの入った食器がのったちゃぶ台ごと桜の元へと運んだ。

 ぬいぐるみを抱きしめたままだった桜は微かに顔を上げてカレーを見た。桜はそのままジッと皿を見続けている。

「あの、どうしたのかな?」

 雁夜はもしかすると桜がカレーライスを嫌いだったのかなと冷や汗を掻いている。

 だが、桜からもたらされたのは全くの予想外の言葉だった。

「このカレー……毒、入ってるの?」

 その言葉を聞いた瞬間、雁夜は後頭部を鈍器で殴られたような大きな衝撃を受けた。

 桜が間桐の家でどのような処遇を受けていたのかあまりにも雄弁に物語る一言だった。

 桜の抱えてしまった闇は思っている以上に深い。

 それを痛感せずにはいられなかった。

 だから雁夜は桜を闇の中から解放するには一つ一つ体当たりして闇を照らしていくしかない。そう考えた。

 雁夜は自分の皿のカレーとご飯をスプーンでよそって口の中へと運んだ。

「うん。美味い美味い」

 桜の境遇を思うと胸が詰まり、本当はカレーの味などもうわからなくなっていた。

 けれど、桜を安心させる為にはたとえ演技くさくても大げさに美味しがる必要があった。

 そしてそれから5分後、桜はようやく一口目のカレーを自分の口の中へと入れた。

 

 

 夕食が済んでしばしの休息を味わう。

 とはいえ、桜は食事中も食後も一言も喋っていない。雁夜も何度か喋りかけてみたが、全くの徒労に終わっていた。

 雁夜は自分では子供と話すのは得意な方だと思っていたのだが、認識を改める必要があると考えるようになった。

 代わりに桜の感受性を高める為には外部からの刺激に頼ろうと考えた。即ち、テレビを流していれば彼女の興味を引くのではないかと思ったのだった。

 しかし──

 

『こちら、少年少女連続誘拐事件が起きている冬木市の警察署前からお送り致します』

 

 テレビに映っていたのは、昨今の冬木で多発している凶悪事件に対する特別報道番組ばかりだった。

「タクッ。こんなご時世だからこそ普通にアニメでも流してくれよな」

 雁夜は画面を見ながら小さく舌打ちした。

 聖杯戦争の当事者として雁夜が報道特番を見る目は非常に複雑だった。

 監督役の教会も、参加者である魔術師たちも、この戦争が魔術師同士の戦いであると定義している。

 だが、実際にこの“魔術師同士の戦い”で被害を受けているのが誰なのか? 

 それは事情を知らない一般人であり、桜のように次回の戦争の為に利用されようとしている無力な少年少女たちだった。

 被害を最小限に減らす為には、聖杯戦争を早期に終結させるしかない。その為には規則に則って勝者になるか、聖杯戦争の戦いの枠組み自体を叩き潰してしまうしかない。

 だが、そのどちらの手段も未熟な魔術師でしかも死に掛けの雁夜には容易に実現できない。今の雁夜には聖杯戦争のレールに乗ったまま現状の卑劣さに唾を吐くしかなかった。

 

『冬木市には現在も凶悪な少年少女誘拐犯が潜伏を続け、犯行を繰り返しています。小さなお子様がいるご家庭では就寝時には戸締りを厳重に行い、定期的にお子さんの安否を確認するように細心の注意をお支払いください』

 

「桜ちゃんを間桐の屋敷から連れ出した俺も凶悪な少年少女誘拐犯に違いねえな」

 桜が間桐の家に養女にやって来た経緯では法的に正式な養子縁組契約が結ばれている。間桐家内部でどんな非道が行われていようと、桜の間桐家行き自体には何の違法もない。

 一方で、間桐家内部での非道を理由に桜を連れ出して新居に移した雁夜だが、その連れ出しには何の合法性も存在しない。謂わば誘拐に等しい行為である。

 故に雁夜は警察やその他国家権力の手に桜を委ねることはできない。言えば、間桐と遠坂は口を揃えて桜が間桐家に戻ることを当然として要求するに違いなかった。

 雁夜は正義の義憤に燃えている自分を認定している。だが、それは自分から見た判断でしかないことをテレビ番組の視聴を通じて突きつけられた格好となった。

「けど、まあ……正義の味方じゃなくても桜ちゃんの味方が1人ぐらいいても良いよな」

 自分の行動に正義の2文字を付けるのは相応しくないのかもしれない。

 それは、雁夜を気落ちさせると共に気を楽にもさせた。

「じゃあ、俺は、何の為に動いているのだろうか?」

 正義という大儀を抱えるのを止めてしまうと、途端に行動目的のみならず存在意義までが不安定に揺れてしまう。

 テレビでは相変わらず誘拐報道が続いている。

 報道を見ながら雁夜は考える。

 キャスター組の非道は許し難い。だが、あの子供たちの為に自分は人生の全てを投げ出しただろうかと?

 答えはすぐに出た。否と。

 自分は相手が桜だから全てを投げ打ってでも救い出したいのだと思ったのだと。

 では、何故桜なのか?

 雁夜は桜の顔をジッと覗き込んでみた。

 すると、その瞬間、桜の顔と重なってその母である葵の顔が見えた。

 雁夜は自分の体が急激に熱を持っていくのを感じた。

「やっぱり、そういうことなのかよ……」

 納得と共に自己嫌悪に浸る。

 桜は葵の代わりなのか?

 その問いを考えることは、蟲に体を蹂躙されるよりも苦痛だった。

「俺は、桜ちゃんを桜ちゃんとして見ているんだっ!」

 考える代わりに自分のポジショニングを拳を握り締めながら表明してみる。

 

『少年少女を誘拐した犯人をどう見ますか? 解説の通りすがりの市民の衛宮切嗣さん』

『誘拐犯人は幼い少女+αにしか性欲を抱けないロリコンペド野郎に間違いないでしょう。妻の実家に置いてきた世界で一番可愛いうちの娘イリヤが心配です。妻と愛人と使い魔を残して一刻も早くドイツに帰りたいです』

 

「俺はロリコンじゃねぇええええええええぇっ!!」

 気付けば雁夜はテレビ画面に向かって叫んでいた。見知らぬ市民に怒りをぶつけていた。

「俺が、桜ちゃんをそんな無粋な目で見る筈なんて……」

 雁夜は桜を見る。

 と、桜の顔に葵の顔が重なって見えた。

 その瞬間、かつてないほどに体温が上がっていくのを雁夜は感じずにはいられなかった。

「オノレェ、時臣ぃ~~っ! これが貴様のやり方かぁああああああああぁっ!」

 雁夜は寝転んでフローリングの床を転がり続けた。

 そんな雁夜を桜は焦点の合わない瞳で見ていた。

 

 

「桜ちゃん。お風呂沸いたから入りな」

 雁夜が正常状態に復帰してから1時間後、新生間桐家では初めての風呂が沸いた。

 雁夜はせっかくなので初めての風呂には桜に入ってもらいたかった。

 けれど、桜は何の反応も示さない。ただ黙ってままぬいぐるみをジッと眺め続けている。

 入浴する気はなさそうだった。

 けれど、雁夜は桜が入浴するべきだと思った。

 少し古臭いのかもしれないが、女の子は男よりも綺麗好きであるべきだと考えていた。

 参考にしていたのが、未来の世界から来た青い奴によくたかるメガネ少年にしょっちゅう入浴を覗かれる少女だったのがアレではあったが。

 ともあれ、雁夜は少々強引にでも桜に入浴させることにした。

 

 雁夜は桜の手をとって脱衣場へと連れて来た。

「さあ、おじさんは部屋で待っているから桜ちゃんはお風呂に入ってね」

 そして桜を残して雁夜は1人出て行こうとする。

 が、出来なかった。

「桜、ちゃん?」

 桜が雁夜のズボンを掴んで離さなかった。

「……が、いい」

 桜は焦点の合わない瞳で掠れるような声で言った。

「何を?」

 雁夜は注意深く耳を澄ます。そして桜の願いが耳に入ってきた。

「おじさんと、一緒が、いい」

 桜のその言葉を聞いた瞬間、雁夜の中で激しい葛藤が生じた。

 

 桜ちゃんはまだ小学校に上がるか上がらないかぐらいの子供。一緒に入浴しても何を慌てる必要がある?

 だが、桜ちゃんはかつて自分が好きだった葵さんと瓜二つ。謂わばミニ葵さんとも言うべき存在。平常心でいられるのか?

 さっきのテレビで通り掛かりの市民は、少女誘拐犯がロリコンペド野郎だと言った。まさか俺もそれに該当するのかぁ~っ!?

 

 雁夜の中で、根源の渦に至ってしまいそうな程に激しくイドとエゴとスーパー・エゴがせめぎ合っていた。

 そんな雁夜の葛藤を止めたのは桜の一言だった。

「おじさん、お洋服、脱がせて。1人じゃ、脱げない」

「わ、わかったよ」

 雁夜は桜の背中のチャックを下ろしていく。状況は、雁夜の理解よりも早く推移していた。もう、成り行きに任せるしか雁夜にはなかった。

 

「桜ちゃん。今度はお手て洗うから腕を出してね」

 雁夜は桜の右手をとって丁寧にタオルで磨いていく。

 桜の体を洗いながら雁夜が感じたのは、魔術師としての“格”の違いだった。

 桜は心が壊れ掛けてしまうほどに蟲にその体を陵辱され尽くした。蟲による陵辱は雁夜が間桐の魔術を習得する間にも続けられていた。

 にも関わらず桜の体には外的な傷が一切見られず、また蟲により体が変化してしまった様子も全く見られなかった。少女らしいキメの細かい瑞々しい玉の肌をしていた。

 自身が半身不随になり髪の色も変わり、蟲の体内移動が外観からもわかるほどに侵食されてしまっているのとはあまりにも対照的だった。

「……なるほど。これは臓硯が捕まえておこうとする訳だな」

 現在の遠坂家と間桐家では魔術師としての格が違い過ぎる。臓硯が間桐魔術の維持の為に他の魔術師の血統を取り入れたのも納得だった。

 だが、それ故にわかってしまう。臓硯は絶対に桜を手放す筈がないと。

 臓硯をどうにかしない限り、桜が真の意味で解放されることは決してない。

「……いっそのこと、聖杯に臓硯消滅を願ってみるか」

 臓硯を消失させるには聖杯クラスの力が必要になる。仮初めの肉体を何度破壊した所で意味はない。あの蟲の本体はどこにあるのかわからないのだから。

 だが、聖杯戦争に勝てる勝率は非常に低い。バーサーカーは間桐邸からもう動かせず、冬木の虎の異名を誇る二代目バーサーカーは心の中で任命したのみ。

 自身の蟲を操る呪術だけで勝てるほどこの戦争は甘くない。

 戦争から遠ざかるほどに臓硯の脅威は高まり、戦争に近付くほどに雁夜の戦死の確率は高まる。そして、何もしなくても1ヵ月後に雁夜は死ぬ。

「……桜ちゃんを守る目的を同じにして信頼できる仲間が必要、だな」

 結局の所、雁夜は自分独りでは幾ら強がっても桜を守り切れないということを認めざるを得なかった。

 だが、頼るべき仲間が誰なのか。それがまるでわからなかった。

 

「さあ、体も洗い終えたし、おじさんと一緒にお湯に浸かってから上がろうか」

 桜の手を取って立ち上がる。

 桜の体も顔も極力見ないように気を付ける。

 雁夜は心の中で訴える。

 俺はロリコンではないと。ペタンコな体は趣味ではないと。

 だが、相手は葵と瓜二つの少女。顔を見てしまえば若干でも妙な気持ちが浮かんでしまうかもしれない。

 脱衣の時から既に10回を超える同種の葛藤の果てに雁夜は桜と共に湯船に入った。

 小さな湯船に浸かるとどうしても構造上裸の桜と正面から向き合う構図になってしまう。

 透明な湯を通して桜の体の隅々までがよく見える。

 何の凹凸も見られない少女の体に好んで性的趣向を見出す連中のことはよく理解できない。けれど、雁夜は雁夜で非常にやり辛さを感じていた。

 年端もいかない少女と入浴しているということ自体に大きな後ろめたさを覚えていた。そういう社会なのだから。

 ちなみに入浴相手である桜自身は浴室に入ってから一言も発していない。ただ、雁夜の言葉に合わせて行動しているだけである。焦点の合わない瞳のままで。

 桜を見ていると自分の葛藤がバカらしくもなって来る。

 だが、桜の態度は子供らしい無邪気や無知、無関心から来るものでは決してない。桜はその身をもって大人の汚らしさを心が壊れ掛けるほどに体験させられてしまっていた。

 現在の状態は、ただ彼女が心を閉ざした故の無反応に過ぎない。

「50まで数えたら上がろうか」

 雁夜は桜の返事を待たずにゆっくりと数を数え始めた。

 桜が数かぞえに声を揃えることはなかった。

 

 

「さて、今日は新しいお家に引っ越して来たことで疲れちゃったよね。もう寝ようか?」

 風呂から上がり、就寝の時を迎えた。

 聖杯戦争の参加者たちは夜間に活発な動きを見せる。しかし、サーヴァントを使役できない現状で雁夜にできることはない。

 聖杯戦争に関してはしばらくの間静観することに決めて、桜の世話に専念する。

不自由な手を動かしながら布団を2組敷いて寝床を作る。

「ベッドじゃなくて申し訳ないけれど、この布団で我慢してね」

 遠坂にしろ間桐にしろ、魔術師というのはとかく洋式の生活を好む。桜も両家で洋風の部屋に住み、フローリングに布団を敷いて寝たことなどない筈だった。

 桜がきちんと眠ってくれるのか心配だったが、雁夜は電灯を消した。

 

 消灯して10分ほど経った。

 雁夜は今後のことを考えて、少しも眠気が襲って来ないでいた。

 むしろ、真っ暗な空間で考えれば考えるほどに目が冴えていく。

 と、隣の布団で寝ている筈の桜に動きが生じた。

 桜は突如立ち上がった。

 もしや臓硯の罠が発動したのかと思い緊張感を高める雁夜。

 しかし、桜の取った行動は別のものだった。

 桜はぬいぐるみを抱きしめたまま雁夜の布団へと潜り込んできた。

「桜、ちゃん?」

 桜は何も答えない。

 ただ、雁夜に寄り添うようにして顔の見える位置に移動して来ると目を瞑ってしまった。

 そしてそれきりまた何の反応も示さなくなった。

「そっか。今夜は一緒に寝よう、か」

 雁夜は桜の行動を、少しは自分のことを認めてくれたのだと判断した。

 嬉しくなって桜の頭を撫でてみる。

 と、桜の寝顔が間近で見えて来る。

 3度、桜の顔と葵の顔が重なって見えた。雁夜が最も魅力的だと思う女性と桜の寝顔が重なった。

 雁夜の全身がビクンと大きく跳ねる。

 桜の髪を撫でていた右手を慌てて引っ込める。

 

 一体今、俺は何を考えた?

 桜ちゃんをどんな目で見ようとした?

 俺は、俺はロリコンじゃない。ロリコンじゃ……ない、筈だ。筈、だよな?

 

 雁夜は固く目を瞑った。

 頭の中で冬木の市民が語った『誘拐犯人はロリコンペド野郎』というフレーズがグルグルと脳を駆け巡り続けた。

 

 こうして雁夜と桜の共同生活は始まりを告げたのだった。

 

 続く

 

 

 

 

 

 

 


 
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