6月5日
仕事で子丹お嬢様と夜までご一緒になったので飲むこととした。
一刀様の筆について使うべきか相談したところ、使わねば不敬ではとの御意見であった。
ただ、『でも、もし私が頂いたら・・・』と言いさしてお嬢様が顔を赤らめられたときに何か嫌な予感を感じたためお開きにした。
結局お嬢様の御意見に従い使うこととした。ただ私の真名をお彫りいただいた部分は保護のため布を当てる様にした。
あくまで保護の為だ。
6月9日
文遠殿に
『自分もうちらの仲間入りしたんやて?よろしゅうな!』
と肩をバンバンと叩かれた。
何のことかわからずいたところ、張郃と郭淮がお祝いを持って口々におめでとう、仲達なら当然よねなどと言ってきた。
意味が分からなかった為二人に質したところ、一刀様が私をお召しになったと聞いたと言う。
残念ながらそのような事実はないので正しておいたが、大体この手の話の出元は決まっているので私の一番弟子を締め上げ・・・もとい尋問したところ今回は本当に知らないと言う。
私如きをお召しになったと風評が立っては一刀様の沽券に関わる。
出元を調べて訂正しておかねば。
6月12日
呉で大規模怠業が起こった。天の国の言葉では『すとらいき』と言うらしい。
魯粛、太史慈、張姉妹、諸葛謹、徐盛他有力重臣がそろって休暇願い又は王都への移住を申し出たとの報告だ。
国王代行の孫尚香様の文によると一刀様でなくては説得は不可能な為至急寿春に行幸願いたいとなっているそうだが、曹操様によると首謀者は孫尚香様とのことだ。
理由は『説得は昼夜に及ぶと思われ、十分に体調を整え精をつけた上御行幸願いたい』と書かれていたからだという。
孫権様と一刀様は既に出立なさった。
三国事務連絡会議で、一刀様の日程管理の確立と姉妹制の施行を急ぐことが決まった。
6月22日
魏及び蜀でも同様の動きがあることが判明した。
三国会議で地方と中央の交替勤務制についても検討するよう曹操様が提案したところ、陳宮殿、楊修殿より各国王が常時王都に在して本国を空けている事に異議が出された。
会議が紛糾したため流会となった。
6月25日
地方文官向け勉強会での一刀様の御講義『貨幣経済について』の実施について文若様と公達様が大喧嘩された。
公達様が強硬に実施を主張なさり、文若様が強硬に御反対なさった為だ。
勉強会の終了時刻、及びその後の懇親会(一刀様を囲んで。希望者のみ)
の終了時刻の記載が無かったのが文若様は特に気に入らなかったらしい。
途中、一刀様について文若様が不穏当な表現を為さった為その時だけ御注意を申し上げた。
公達様が『自分ひとりだけいじめてもらいたいっての丸見えですよおば様!伯母様!おーばーさーまー!』
と叫んだところで取っ組み合いになった為ご帰還なさったばかりの一刀様に御二方を連れ出して頂いた。
公達様は文若様と部下には厳しいが、それでいて一刀様の雌犬を自称して憚らないという落差に戸惑わされることがある。
会議は流会となったが、一刀様の御講義の要望は高い。
おそらく実施となるだろうが、ここのところ会議が滞って困る。
6月26日
午前中の再会議は文若様と公達様は御欠席なさった。
一刀様より『条件付だが出席者だけで決定してよい』との御二方の御伝言をお預かりした。
条件とはなんなのかと一刀様に伺ったところ困ったようなお顔をなさって私的なことだから気にしなくていい、好きに決めていいよとの御言葉だった。
6月28日
士季から元譲様、文若様、文和殿、公台殿について朝内の風当たりが強くなっているとの報告だ。
わからないでもない。一刀様への態度には私もたまに腹に据えかねることがある。
実は曹操様についても反発する者が多い、なんらか対策が必要な可能性がある。
ところで一刀様に自由に甘えているように見受けられる呂布殿については何故かどこからも文句を聞かない。
天下一の武人というだけではない何かが彼女にはあると思われる。
6月29日
一刀様の御指導の中で、部下とのあり方についてお話させて頂いた。
その中で元譲様、文若様、公台殿、甘寧殿との接し方を引き合いに出させて頂いた。
聡明な一刀様は私の申し上げたいことはご理解戴いたが、多くは彼女らなりの照れ隠しでありその愛情は疑いなく、一刀様の立場としては多くの臣下のあり方を尊重することで皆が幸福に暮らし各々の能力を遺憾なく発揮できるようにしたいとのことだった。
改めて一刀様のお心の広さに感激した。
ただ一刀様に一般的には不敬ととられる言動を好ましく思わない者達もいる事はご理解を戴き、
なるべくは公式の場等多くの者が居る場では言動を慎ませるよう彼女等に御指導下さるようお願い申し上げて了解戴いた。
一方、公達様の熱烈な好意は有難いがあの言動をどうにかする方法は無いかと御相談頂いたが、公達様の、それこそ文若様の情念を一刀様向けにし更に悪化させて露出させたような御性格は如何ともしがたいと思った。部分的には公達様に同意できる面もあるのだが。
6月30日
政務の後、子丹お嬢様に酒に誘われた。
遂に一刀様の御寵愛を賜ったとのことだ。
とても幸せそうに一刀様を語る子丹お嬢様を見ていて私もとても幸せな気持ちになった。
心からお祝いを申し上げた。
ところが何故か私の話になり、子丹お嬢様は既に一刀様が私をお召しになったという風評をお信じになっていたので訂正したところお酒が進まれていたせいかお怒りになり、今から一刀様にお願いしに行くと言って聞かないのをなんとかして宥めたところ今度は泣きだされて寝てしまわれたので士季に手伝わせて屋敷までお運びした。
子丹お嬢様は御幼少のころに比べ私生活では感情の御表現が豊かになられたと思う。
時折困らされることもあるが、お嬢様の幸福から見れば良い事だろう。
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その後の、とある文官の日記です。