神のみぞ知るセカイSS
SOUNDING OUT
部室の空気にギターの音が吸い込まれるように消えていく。いつもは5人で使っている部屋をたった一人で占領するのはちょっと気分がいい。
けいおん部の部室は元は普通の教室だったところをそのまま利用しているから防音の面では頼りなかったが、それでも学校との面倒な駆け引きの末に――――部活主任の児玉先生はある意味非常に人間らしい性格をしている――――勝ち取った彼女たちの城なのだ。そして、小阪ちひろにとっては自ら輝くための足がかり。ここで過ごすようになってまだ半年にもならないけど、かけがえのない場所だった。
舞島学園の中でも最上階にあるこの部屋は見晴らしもよく、ガラス戸を開けてキャットウォークに出れば心地よい風が感じられる。ただ生憎とちひろには風景を楽しむような余裕はなかった。
まぶたを閉じてもその裏側にクリアに浮かび上がるくらい焼き付いてしまっているおたまじゃくしと数字の組み合わせを、それでも一生懸命に目で追いながら手を動かし、音を紡ぐ。バラバラだった音がゆっくりとつながりを持ちメロディーと呼べるものに変わっていく。曲が進行するにつれ、さらに指の運びは激しく、忙しなくなる。
やがて、曲がサビにかかり最高の盛り上がりを見せようとしたとき――――それまでなんとかつながっていた音たちが、一つの乱れをきっかけとして調和を崩し。なんとか立てなおそうと頑張るちひろの思いとは裏腹にメロディーだったものが音の羅列に戻り。
「だーっ、もう……こんなムズイの無理だっての!」
やけくそな台詞と共にちひろは椅子に体重を預けた。部室備え付けのちょっと古ぼけた椅子が不平を鳴らすようにきしんだが、無視してさらにウェイトをかけグラグラさせる。自然、見上げる形になった天井の白いコンクリはまだ秋だというのに冷たくて、思わず誰か他の部員がいれば慰めてくれるのに、なんて先ほどとは真逆のことをついつい考えてしまった。
だが、今の彼女はひとりきりだ。
(くそーっ、何回やっても上手くいかないな……みんなと合わせる時にこんなんで大丈夫なんかなぁ。やっぱり昨夜もっと練習しとくんだったか)
夕べのこと――――さっきと同じところで行き詰まり、気分転換にと読み始めた漫画が面白くて全巻制覇してしまった――――を後悔するものの、それで時間が巻き戻るわけでもない。それにもしタイムマシンなんてSFチックな道具があって昨日をやり直したとしても、結局同じところが出来なくてまた漫画やテレビを見てしまう気もするからやっぱり意味なんてないか――――そんな普段は思いつきもしないようなことを考えてしまうのも現実逃避してるからだろう。
彼女たちのデビューライブの日、舞校祭までもうそんなに日がない。
「うっし……やっぱ練習するっきゃないか」
ゆらゆらさせていた椅子を元に戻すとふたたびギターを構える。
かのん相手に啖呵を切った――――切ってしまった以上はライブでみっともない演奏をするわけにはいかないのだ。
(まあ、向こうはトップアイドルなんだし?タメを張るなんて無理かもしれないけどさ……でも、うちらだって……)
ちひろたちのバンド・2B-PENCILESには最近スゴ腕のドラマーが加入し、演奏のレベルは夏頃とは比べものにならないくらい上がっている。その新メンバー・結をがっかりさせないためにも上達しているところを見せてやりたい。
(それにしてもエリー遅いなー。掃除当番なんて適当に済ませりゃいいのに、変なとこで真面目なんだから……)
つっかえたところをゆっくり、何度も繰り返し弾いているとうっかり屋のベース担当のことを連想しまうのはいわゆる同病相憐れむというやつだろう。加えて独りで地味な反復練習を続けるのに飽きてきて、何かしら刺激を欲しがっているのも関係している。
変化は突然やって来た――――ただし、彼女の思いもしなかった人物によって。
いきなり部室の扉が開けられる。気配に反応したちひろが演奏の手を止めてそちらを見やると、果たしてそこに居たのはバンドメンバーではなく彼女のクラスメイトであった。
「なんだ桂木じゃん。けいおん部に何か用なわけ?……ああ、そうだ。あんたエリー知らない?練習あるのに来ないんだよねー」
桂木桂馬。通称オタメガネ。ちひろ自身を含む何人かからは略してオタメガなんて呼ばれることもある高等部一の変人でクレイジーゲーマーだ。よく見れば可愛らしい女顔をしているのに、片時もゲーム機を手放さなかったり、事あるごとに暴言を撒き散らしたりで、女子からはもちろん男子生徒からも煙たがられている。ただ彼女たちけいおん部にとってはメンバーの兄というポジションでもあり、何かと関わり合いになる相手だった。だからどう、というわけじゃないけれど。
「そのエルシィから伝言だ。急に家の手伝いをしないといけなくなったから今日の練習は出られない、だとさ」
「何よそれ」
桂木の家は喫茶店をやっているらしく、エルシィはウェイトレスとして手伝いもしているらしい。らしい、らしいとあやふやな表現になるのはドジな彼女が接客業なんて本当に出来るのかと、本人が聞けばうーうー言いながら追いかけてきそうな疑いを持っているからだ。
とは言ってもちひろから見ても十分カワイイ顔立ちをしているし、健気な仕草や人好きのする笑顔もあるし、居るだけでお客が増えそうな気もする。
「詳しいことは聞いてない。別に興味も無いしな」
桂馬の返す言葉はちひろには冷たく感じられた。
言ってる方からしてみれば単に事実を述べたに過ぎないのだが、聞く方にすれば拒絶以外の何物でもない。
「興味ないって……あんたの家のことでしょうが。手伝わなくていいの?」
「現実のことにボクが干渉するわけないだろ」
「へーへー、さすがはオタメガですこと……っていうかさ、そんなのメールでいいんじゃない?」
「知るか。おおかた学校の中で携帯使うと怒られる、とかそんなとこだろ」
「ふーん……エリーらしいって言えばらしいんだけど……あんただってわざわざ部室に来て直接言う必要なくない?」
「……とにかく伝えたからな」
言うだけ言うと用件は済んだとばかりに踵を返す。
「あっ、ちょっと待ちなよ」
立ち去ろうとする背中にちひろは慌てて声をかけた。
かけてしまった後で
(あれ、私、なんで引き止めたんだろ?)
今さらにそんな疑問を抱く。ちひろと桂馬の間にクラスメイト以上の繋がりなんてある訳がない。言ってもエルシィの兄くらいなものだ。呼び止めるような用事だって今はなかった。
自分を呼び止めたきり用件を言わずに首を傾げているちひろに桂馬が怪訝な声をかける。
「なんだよ。何かあるのか」
「うーん……用っていうかさ、どうせヒマなんでしょ。練習、つきあってよ」
「なんでボクが……」
「いーじゃん、たまにはさ……と、友達でしょ」
とっさに口をついたのは彼女にとっても意外な言葉だった。反射で出た台詞が頭の中に浸透していくにつれ、彼女の顔は赤くなっていく。
一方、その『友達』の方もやっぱり戸惑っていた。
(友達?ちひろとボクが?)
桂馬にしてみれば現実で友達など作る気は毛頭なかったのだ。彼の本拠地はあくまでゲーム世界であり、そこでも自ら神を任じている。仮初めの、言ってしまえばただの通過点でしかない現実世界で、自らと対等な存在など認めるつもりなんてあるはずがない。
だが、事実としてはちひろに勉強を教えたり、落ち込んだエルシィのことを相談したりもしていて客観的には
(不本意ながら、見ようによっては友達と呼べないこともないのか)
ということになる――――またしても現実に汚染されたようで桂馬は面白くなかった。
(だが、この流れには乗っておくべきか……)
とも思う。
実のところ、桂馬はちひろの心の隙間がどうなっているか気になって様子を見に来ていた。かつての彼女は物事と真剣に向き合うことをせず、取り組む前から諦めていた。色々あってバンド活動に打ち込むようになったが、あれから時間が経ってそろそろ最初の意気込みが薄れてくる頃かもしれない。せっかく塞いだ心の隙間が再発するような事態は避けたかった。
(見たところちゃんと練習してるようだし、取り越し苦労だったか)
そうも思うが、何せ気まぐれなちひろのことだ。たまたまやる気を出したときに居合わせただけかもしれない。ここは慎重に見定めるべきだろう。
「仕方がないな。少しだけだぞ」
「じゃあ、そのへんに椅子あるからさ、座ってよ」
無造作にそう言い、自身も浮かせてしまった腰をまた落ち着けた。
練習につきあうこと自体は桂馬のねらいとも一致していたが、妙に弾んだちひろの声を聞いているとなんだか上手く乗せられたような気分になってしまう。
「……おい、本当に少しだけだからな」
どれだけ効果があるか桂馬本人も疑問に思いながらそれでも釘を差すだけは差しておいて、その上で椅子を取ってくるとふてくされたようにどっかりと乱暴に腰をを降ろした。
「ちょっと、もう少し喜んだらどうなのさ。記念すべき私の初ライブなんだから」
「はあ?舞校祭はまだ先だろ」
「じ、実はさ……私のギター聞くのってエリーたち以外だとあんたが初めてなんだよね、人間では。だから、初ライブってわけ……フフン、私の伝説はここからはじまるのだー!」
拳を突き出し気勢を上げるちひろ。対して桂馬はあくまで冷やかだった。
「それでボクは何すればいいんだよ」
「別に……フツーに聞いててくれればいいよ。あ、出来たら感想よろしくっ」
とはいえ、桂馬がノリが悪かったり、空気を読まなかったりはいつものことだ。あまり気にした様子もなくちひろはギターを弾き始める。
(まったく、何の意味があるやら。こんなのでボクがいる必要あるのかよ……ま、ボクは――――)
自分のことをやるだけだと、割り切ることにした桂馬は目つきと思考を鋭くさせ注意深くギタリストを観察し始める。
(こいつ、さっきは乗り気じゃなかったくせに……何か知らないけど真面目に聴いてくれてるみたい)
誰かが自分の演奏に耳を傾けてくれている。そう思えば自然と弦を爪弾く指先にも力が入る。練習だなんて考えは頭から吹き飛んでいた。
楽しい――――頭は楽器を弾くのに手いっぱいで他のことが入り込むような隙間はないけれど、普段の練習よりもずっと集中して弾けていることからしてそうなのだろう。
「どうだ!」
曲を最後まで弾き終えたちひろは高ぶった気持ちのまま得意げな顔で桂馬の顔を見た。
「どうだ、とか言われてもな」
「もう、何か感想とかそういうのないわけ?」
「何て言うか――――」
「なになに?」
「――――思ったよりも地味だな。エレキギターってもっと派手な音がするもんだと思ってた」
「それはアンプに繋いでないから!生音はこんなもんなの」
「繋げばいいじゃないか」
「だって……一人で練習してるときに派手に鳴らしてたら自意識過剰の目立ちたがりみたいじゃん」
「別に音楽関係の部活で楽器の音を出すのは当たり前のことだろう」
実際、音楽とは少し違うがかけ声や合図などで運動部も音を出しているし、吹奏楽部に至っては防音の良い音楽室の中でとはいえ堂々と演奏しているのだからちひろの気にしすぎだろう――――あるいは他に言えない理由でもあるのか。
「わかったわよ、もっとでっかい音でやればいいんでしょ」
「無理しなくていいぞ。音が大きくなったってそれで上手くなるわけじゃない」
「ちょっと、それどういう意味よ。私が下手だっての?」
「どういうも何もそのままの意味だが」
「……初心者だし下手なのはしょうがないじゃんか……それともあんた、私よりも上手く弾けるっていうわけ?だったらやってみせてよ」
ちひろは肩からストラップを外すと無造作にギターを突き出す。だが、桂馬は感情の薄い瞳で楽器を見るばかりで受け取ろうとはしなかった。
「無理言うな、ギターなんて弾いたこと無いぞ」
「ふーん……偉そうなこと言っといてやる前からもう言い訳するんだ……ふーん、へー」
安い挑発だ。
(このくらいで心を動かされるようなボクじゃ――――)
なんてことを思っていたのも最初だけで。
ちひろの挑発とも悪口ともつかない台詞に結局は耐えられなくなってしまった。
「いいだろう。そうまで言うなら神の実力を見せてやる。ありがたく思うんだな」
そう言うや引ったくるようにギターを受け取り、ちひろがしていたのと同じように構える。
「ほい、楽譜……大事なギターなんだからさ、丁寧に扱ってよね」
「お前の方こそ今から神の力の前にひれ伏す準備でもしておくんだな……ところで聞きたいことがあるんだが」
「何よ?」
「この五線譜の下にあるものは何だ?線が六本あるし、なんか数字が書いてあるぞ」
楽譜を指さしながら基本的なことを聞いてくる桂馬に、ちひろは呆れるのを通り越して感心してしまう。
(こいつ、TAB譜も知らないのにあんなでかい口叩いたのか……桂木らしいといえばらしいけどさ)
「それ、ギター用の楽譜……」
「なんだ、誤植じゃないのか」
「そんなわけないでしょ!」
「で、どう読むんだ」
「はいはい」
ちひろは桂馬の後ろに回り、肩口から楽譜をのぞき込むような体勢になった。
桂馬とちひろ、互いの顔が妙に近くなる。桂馬だって攻略の時には自分からもっと踏み込むこともあるのに、未だに誰かから触れられるのは苦手だった。
(ちひろは平気なのか?)
エルシィを介して多少の交流があるとはいえ、いくらなんでもこの位置はおかしいだろう。近すぎる。
攻略が終わればその間の記憶は消える。桂馬はエルシィからそう聞かされていた。だが、今の状況を見る限り、ちひろとの心理的距離はリセットされていないように思える。ちひろの存在が彼のロジックを揺さぶる。
「おい、あんまり近づくなよ」
「しょうがないでしょ、こうしないと譜面が見えないんだから」
「……仕方がないな。手短にパパっと頼むぞ。ボクは忙しいんだ」
「忙しいって、どうせまたゲームでしょうが」
「悪いか?」
「まあ、いいけど……えっと、この線がギターの弦を表してて――――」
どこまでも偉そうな生徒の態度にイライラさせられながらも、ちひろは心のどこかでこの状態を楽しんでもいた――――そこまではいかなくても、少なくともこういうのもどこか新鮮で悪くない、くらいには思っていた。
いつだって超然と構えている桂馬がいきさつはどうあれ誰かに物を教わっている。ちひろが知る限りこれは初めてのことだ。もちろん学校の授業は別にして、だけど。
時折互いの悪口を交えながら――――絶対に『軽口』などではない――――ちひろのレッスンは続くのだった。
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神のみ・神のみぞ知るセカイでちひろの話。
ヤマもなければオチもない投げっぱなしですけども、そんなんで良ければ読んでやって下さいませ。