<8話 Into the forest(上) ~言うなればそう、前座~ >
・迷子と獣とUnknown・
・Side Somebodies ~B&R~
本日も晴天なり。 時刻は昼前の街中、ひしめくとまではいかないがそれなりに人の往来がある中で、とある二人が落ち合った。 仮に呼び名を『B』と『R』としておく。 因みにこれらは当人達の頭文字ではない。 …いや、真名で書く以上頭文字だと両方とも『S』になるもので。フルネームだったら『T』と『K』だが。
BとRはとある目的の為に、住居である城の馬を一頭持ち出してそれに二人乗りで今の街まで来ていた。 目的というのは二つあり、その内の一つは今の街にあった。
向き合ったところでRはBの手にある小さな壷に気付く。 Rがそれはもしかしてと問うと、Bは察しの通りとそれをRに見せる。数量限定の物だと誇らしげにBは言うが、Rは別にBほどにそれが好きと言うわけではない。 ってかBのそれ好き度合いはもう理解の外である。 なんで具がそれだけの丼物なんてものをを自作しようとするのか。
それのなにがそんなにいいのか そうRに言われてBは真剣にそれのあれやこれやを語り出したが、当初の目的を思い出したことでとりあえず
Bの好物であるメンマの談義は中断とした。
BとRは通行の邪魔にならないように道の脇によけて向かい合い、各々の情報を報告しあった。互いに互いの報告の内容が良いものであったから二人共満足そうであった。
そしてさぁもう一つの目的の場所に向かおうとした時、
街の外に慌しく駆けていく数人の兵と住人が二人の目に留まる。
何事かと気になった二人は、足並みそろえてその数人をつけることにした。
・General『Demon』
「あ、悪魔将軍?」
「確か…そんなかんじの名前を自称してるって話でさぁ。 まぁ又聞き程度なんで不確かな話だとは思いますがね。」
返ってきた答えに一刀、少しびっくりだった。 片側の肩に担いでいる自分の荷物の黒いデイパックがずるりとずり下がる。
…三国志のなかにそんなの出てきたっけ? 董卓とか呂布…じゃないよな場所的に…
「それはまたずいぶんな通り名だな。」
「あらあら。」
感心したとも呆れたとも、後者に至っては『自称(笑)』とかの意思が取れそうな様子で華陀と慈霊も呟いた。
出立した村から先の休憩地点までの歩行時間と同じぐらいの時間を更に皆で歩き、街を視認できる距離まで近づいた道中、街にあるという部隊について話が出た。
曰く その部隊はここら一帯を治める太守が、自分の所の軍の一部を寄越して治安維持の手段とさせている とのこと。
そんな気配りができるのはどんな人なのかと聞くと、返ってきたその太守の通り名が冒頭の 自称『悪魔将軍』。
「ま、自分らは太守様に関わることは無いしがない農民ですから、その太守様がどんな方かってのは知らないんでさ。ですが少し前に街に行ったときに最近そう自称してるってのをダチから聞いたんで。」
「名前は… なんだったか、あたしは忘れたけど悪魔将軍って言ったらその人らしいどね。」
肝心な名前を忘れるというのはどうかとも思う一同だが、通り名のインパクトが大きいとしょうがないのだろう。
そのインパクトに一行、各々に反応を見せる。
「悪魔将軍…」
神妙な面持ちの桃香の頭に、もやもやと『悪魔将軍』の想像図が描き起こされていく。
桃香の頭にあるイメージを文にすれば。 紫がかった黒い色したヒゲがぼっさぁぁぁって顔中にはびこってて眼帯を付けてそりゃあもう怖い傷だらけの巨大な男で、角が頭に何本も生えていてってそこまで行くと人間じゃない。 気性の荒い馬にまたがって禍々しい形状の画激を振り回して「おれに勝てる者は居るかぁぁぁァァァ!!」なんて叫びつつ血風吹き荒び怨嗟渦巻く戦場を暴れまわってるといったところだろうか。
でもいやしかしちょっと待て、そんなのが善政してるのはギャップとアンバランスを通り越してもはやありえないぞ。暴れん坊将軍とかってレベルじゃないぞ。
「…雛里ちゃん、私達もしかしたらその人に仕えようとしてたのかな…」「…いやだ、ね…」
朱里と雛里も心底嫌そうな顔で桃香と同じような想像を。 その『悪魔将軍』とやらが目指していた『いい政治をする人』かどうかは定かではないが、もしそれがそれなら回れ右して帰りたくなっていた可能性も無くはない。
「なんか強そうなのだ…」
「いえいえ鈴々ちゃん、ご大層なのは名乗りだけ とかの勘違い野朗かもしれませんよ?」
寧は寧で、さらっと辛辣な物言いで鈴々に合わせた。
「特別強いってのは聞いたこと無いけどね。 もしかしたら箔付けかなにかでそう自称してるだけかもしれないよ。」
そんなことを言われると、いよいよ『自称』の後に(笑)を付けざるを得なくなってくる。
「で、でもその人って、いい政治してるんですよね?」
「えぇまぁ。 『普通に』いい政治でさぁ。」「あぁ、『普通に』いい人らしいよ。」「『普通』だって話だな。」
しかも一様に評定が『普通』ときたもんだ。
ではあっても通り名が何であれ、普通だろうがなんだろうが良いと言うならそれで弊害は無いのだろうが。『悪魔将軍』を自称して善政をしているのが妙な話に聞こえるのは仕方ない話。
「…悪魔、と言うからには相応の容姿をしているのでしょうか?」
愛紗も腑に落ちない表情を見せつつ一刀にポツリと言うと、
「きっとその人って、」
愛紗の言葉にここぞとばかりに桃香、自分が先程予想した妖怪変化一歩手前、な『悪魔将軍』を口頭で説明。 本人は真剣そのものだったが、
「こんな風に角が生えてて、」
身振り手振りで角が生えている見た目や、
「こーんなおっきな武器をえぃやぁって っわっとっと!」
自分の持っている剣を納刀したまま、画檄に見立ててそれを振り回す様子を擬音交じりに説明しつつ、しかし
「きゃんっ?」
「っと。」
勢い余って足同士を絡めてこけそうになるその姿は微笑ましかった。 しりもちを搗く前に一刀はすかさず桃香の手を掴んで引き戻す。
「っ ははは。 桃香、ちゃんと周り見たほうがいいよ。」
その様子が微笑ましくもありおかしくもあった一刀がつい笑う。 桃香は赤くなるが気を取り直して。
「と、とにかくそんなだけど、いい政治をするのがすごいんじゃないかなっ」
「だとしてもそんなのあんまり見たくないけどな…」
「あら一刀さん、人を見た目で判断するのはいけませんわ。 同意は出来ますが。」
「慈霊さん、それは擁護になってない気がしますよ? ワタシも右に同じですが。」
「寧さんもかばってませんよ…」
『悪魔将軍』その本人がいないからと好き勝手に言いまくっている中、最後朱里に突っ込まれた寧はふと思い立って言ってみた。
「どうせ仕えるなら見た目もいい人が望ましいですね一刀さん。 もといご主人サマ。」
そう言ってみたところ、一刀は一拍使って寧の言葉を整理して。
「ん? あぁ、桃香みたいに?」
そんなことをさらりと一刀が言うと、遅れて桃香が ぼんっ と赤くなる。
「ご、ご主人様 もうなに言ってるのもぉ~!」
ぺしぺしと一刀を叩いてきた。 寧は一刀達、特に一刀に就けて嬉しいのを言ったつもりなのだが、残念 一刀はそういうのにはアレなので一般論としてのフリとしか認識していなかった。 実際一刀の容姿は端整な部類ではあるが、当の本人はそれを意識したりするタチではない。
「え なにって仕えてるのは桃香に じゃ?」
横の桃香からのぺしぺしを腕で受けつつ一刀。 思ったことをそのまま言った含み無しの発言故に一刀の頭の処理が遅れた。
それを察した慈霊がにこやかに気付かせる。
「あら、こんな人前で口説かれるとは一刀さん、大胆なことですわ。」
「あ゛! いやちょっと待って慈霊さんそんなつもりじゃ」
ようやく気付いた一刀、頬を染めて「じ、慈霊さんももぅ~」と体をくねらせる桃香を横に置いて慈霊にわたわたと言い訳を。
「…御主人様っ、そういったことは冗談で仰られないほうが!」
「だから愛紗も冗談じゃなくて!」
更には冗談で言ったものと勘違いした愛紗にも応じようと。 あっちこっちに忙しいことである。
「…もしかして一刀さん じゃなくて、ご主人さまって鈍いんでしょうか…」
「もしかしなくても鈍いでしょう。 ご主人サマとその容姿を誉めたんですがなぜか桃香さんが得してますね?」
「…ぁ、 そういえば、 えと さっきね、 わたしご主人さまに」
朱里達三人は三人で、いつの間にか『ご主人さま』呼びをデフォルトにしていた。
顔を赤くしてしかしどこか嬉しそうに桃香はしていて、愛紗は不機嫌そうな表情を一刀にむける。毒蛇とお姫様抱っこの一件を雛里はこっそりと話して、朱里と寧…寧は相も変わらない平坦だったが…は興味津々で耳を傾ける。
しかし忘れてはいけない。 一刀は桃香にもそれをやっていたことを。
もし知られたら、たぶん妙な空気になっていることだろう。
そんな一行はようやく目的の街に着くことになる。
・肩の荷降りてまた担ぐ
城壁とまではいかないが、土壁に囲まれたその街自体の規模は中程度とでもしておこうか。街道の途中に存在するから、ひっきり無しとまではいえなくてもそれなりに出入り往来があって、中を散策でもすれば宿屋や食事処、商店が見当たるだろう。
ぞろぞろとその街に歩みを進める一行だったが、
「んぅ? あれ… 人がたくさん集まってる?」
鈴々が言うまでも無く、一行は街の入り口に当たる場所に無数の人を認めた。中には武装した兵も居て、成程あれが件の軍の兵だろう。
「何かあったのだろうか。」
「見た感じ賊の討伐とかに出兵するようには見えませんね?」
華陀と寧が言う中、人だかりのほうも一刀達に気付き、その中の兵士が数人近づいて来て内一人がいぶかしげに声をかけてきた。
「む、多いな… 貴様ら、何者だ?」
後で知ることになるのだが、その兵士は兵を取りまとめる立場にある一人で『今回の一件』において隊を率いる隊長である。
一方人だかりから一刀達に寄ってくる住人と兵士とは違い、目を向けはしても近くに来ないのも半分ほどいたが。
「あ、 えっと俺達は」
「あらぁてんさんじゃないのっ あぁそっか今日みんなでこっちに移るって話だったわね!」
…兵に応じようとした一刀の言葉は、隊長の後ろから寄って来た街の住人のおばさんの声にかき消された。いつの時代もおばさんというのはこうなのだろうか。
てんさん、典さんというのは昨日寧をかばって矢に当たった中年女性である。一刀達の隣側に固まっていた住人の内、その典さんに先の街のおばさんが近づく。
「おい、話に割り込まないでもらいたいな?」
「っと、ごめんなさいね。 でも兵士さん安心してくださいな、この人達向こうの村に住んでる人達で今日こっちに移ることになってたのよ。」
「… あぁ、確かそう聞いていたな。 しかし聞いていたよりも随分と数が多いが。」
「…あら、そういえば見たことない子達も居るけど それに怪我してるし、何かあったの?」
話がそこに及んだので、住人の人達と一刀達によって昨日の一件の説明がなされた。 途中その場に居た街の住人の中に、殺された人達の知人が居て激昂しかけたが、村の人達になだめられてどうにか退いてくれた。
説明のさなか、一刀が一人で賊をあらかた戦闘不能にしたことに触れたときにその場の全員から注目されたがそこは置いておこうか。
「そうか ではこいつらがむこうで最近出来たという賊の一団か… 結果的にとはいえ賊の討伐をしてくれたことは感謝しよう。」
「いや、それよりこの賊のやつらをどうにかしてくれませんか?」
「よし分かった。 おい、街に居る兵をこいつらの連行に当てろ!」
隊長が他の兵士に命じると、その兵は街の中へと走っていった。
「これでなんとか一段落、かな。」
桃香の言葉と同時に一同に安堵が伝播していった。やっとこさ賊が処理できたことで一同の肩の力が抜ける。
「おら、あんたらはさっさと荷物降ろしな。」
言われて賊の輩も担いでいた荷物を次々と降ろしていく。 昨晩の一刀の拷問的仕打ちで疲弊しきっている上、兵団を目の前にした今のこの状況。 もう反抗する気は凋落して道端のゴミ一歩手前にまでになった花の如くに萎えきっていた。顔からは一様に生気が失せていて、横になれば即座に熟睡にまで意識は落ちそうだった。 しかし残念、今しばらく眠ることは出来そうにないけども。
一方一刀達には街や村の住人が寄ってきた。 件の村はいわゆる過疎農村だから、彼らの街での知り合いは基本的に年齢が中高年なわけだが。自分達にあったことの説明を為している間にも、妙なのが大勢来たとの情報が渡っていったせいか街中からも続々となんだどうしたと人が寄ってきて、若い年頃の者も遠巻きに一刀達を眺めている状況が出来上がっていた。
そして若い輩の注目は女性方では一刀や華陀、野朗共だと桃香達女性陣へと集まっていた。 桃香達女性陣は小さかったり武器を持っていたりと各々個性的ではあるが全員が綺麗だったり可愛らしかったり。 男性陣は一刀と華陀の二人だけだが共に顔立ちは文句無し。 そんな一団が注目されるのは当然かもしれない。
「ほんとあんた方には何度礼を言っても足りないくらいだよ。」
「もし滞在するってんならおれらがやってる宿に泊まってくれ、もちろん代金はいらねぇからよ!」
ただ一同は注目されていることに気付くことは今のところ無い。わいわいわらわらと人の壁が取り巻いていて、迫る人々にもみくちゃにされそうになっていたからだった。
「わ、分かったからちょっと離れ わっととっ」
後ずさろうとしたのと同時に、一刀は背後の存在とぶつからないように腕を沿えた、ところ、
ぽすっと手が何かに触れる。 しかしそれも一瞬のことで、全く見ていない場所のことだけに何に触れたかは分からなかったが、目を向けると なぜか雛里が赤くなって腕で胸の辺りを隠すようにしていた。それを視認したと同じくして、
「御主人様どこを触っているのですか貴方はぁ!」
愛紗が割って入ってきた。
「なに、俺今なに触ったんだ俺ぇ!?」
「はわぅっ? ぇと、 その…」
「それはアレですかご主人サマ、小さすぎて触ったかどうかもわからないと、そう言いたいのです?だったらワタシも同族としてちょっと怒りますよ?」
「? …え、今ご主人様なにかしたの?」
「んぅ? なにってお兄ちゃんが今雛里のおっぱ」
「分かった言わなくていいから鈴々ごめん雛里!」
なにを触ったのか理解した一刀は右に左に謝罪に弁解。 まったく雛里も自分にそんなことした一刀なんか脛への蹴りの一つでもくれればいいものを、耳まで赤くなって片手で胸を隠し、もう片手で帽子のつばを引き下げて無言でうつむいてはいても、帽子に隠れた表情は決して不快を呈してはいなかった。 良かったね一刀君もげろもげろ。
どうやら前々話のこともあって、とりあえず心は開いている様子。 相手によってはきっかけがあれば懐くのはすんなりらしい。
そんなやり取りをしていたわけだがしかし、
「では賊共は頼んだ。 自分は捜索に合流する。」「はっ!」
すぐさま隊長は指示を他の兵に伝え、それを見てようやく気になっていたことを思い出した一刀が兵士に訊いた。
「? す、すいませんちょっとっ そういえば何かあったんですか?」
人だかりは最初一つだったが、一刀達の出現で一刀達に寄って来たのと、注目はしてもその場でなにやら話をしていたのと二つに分かれていた。
後者の人達はすぐに街から少し離れた山へと向かって行っており、今はその姿は見られない。
ひとまず先のどうこうは忘れることにして、一刀一行は人だかりから抜け出して話を聞くことにした。
「あぁそれが」
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっ! そうだったそうだった典さん大変なのよ忘れるところだったわ大変なのよっ!」
…聞くことにしたのだが。 例のおばさんが、公園の鳩の群れに突っ込んでいく子供の如くに割り込んできた。
「どうしたの?」
向き合っていた典さんにおばちゃんが言う話だと、
「おいだからはな」
「実は街の子供が一人あの山に入って行っちゃったのよっ!」
とのこと。 この言葉で一刀達以外の全員が共通の認識をした。 話に割り込むな、のセリフは雲散霧消。
「おいそりゃ本当かっ?」「なんでそんなこと」
「まだ居るんじゃないのかあいつらは?」「食われちまったらどうすんだ」
ざわざわと周囲はしだすが、一刀達からすればなんのことやら。
「おいてけぼりは勘弁です。 それで、あの山がどうかしたんです?」
ざわつく中 寧が流されずにそう訊くと、
「っ、あぁそうか、あんた方は知らねぇんだな。 実はあの山なんだけどな?」
返ってきた答えはこうだった。 住人の男性が指差した山、位置は街の入り口を北とすると北東に野原を一つ二つ挟んで存在する、広くこんもりと木々が茂っているもの。今の位置から見れば視界の端から端には入りきらない面積がある。そこに、
「ここ最近あの山に狼の群れがうろついてるらしいんだよ…」
そこまで聞けば充分だった。
「狼の群れ? 子供… 、それって!」
一刀達、周囲の話と総合して状況を把握した。
「猟師の話だと狼ってのはしばらく留まってどっか行ってを繰り返すらしいから、放っときゃ勝手に別の所行くってことでみんな気をつけてたんだけどよ… なんでまた子供が入っていったりしたんだ!?」
「それがその子の友達や親が言うには狼退治をするとか言ってたらしいんだよ。 でもきつく言ってたからほんとに行くなんてことは無いって思ってたんだけど、ほんとに行っちゃったみたいで…」
因みに。一刀一行が状況を把握する中、すでにほぼ忘れられている先に説明しようとした隊長は多少手持ち無沙汰にしていた。 結果的に話が通じたから良かったっちゃ良かったのだろうが。
「こうしちゃいられねぇ、おれ達も探すの手伝うからよ!」
事情を知るやいなや、村の一行が協力を申し出た。
「それはこちらとしても数が増えるのは望ましいことではあるが相手は獣の群れだ。農具なりなんなり、武器になるものを相応に扱える力のある者以外の協力は邪魔にしかならぬから受付けはしないぞ。」
「そりゃ大丈夫だ、農具なんてのは手足みたいなもんよ!」
「私達も探すの手伝います! みんなも、それでいいかなっ?」
当然桃香も名乗り出つつ、周りの一刀や愛紗に同意の確認を取る。 この時点で一同としては賛成することに異論は無かったが、
「それは駄目だ、戦えない女子供を連れて行くわけには行かない。 怪我でもされたり邪魔になられれば面倒なだけだ。」
しかし名乗り出た当の桃香本人は見ただけでも非力。そう見なせてしまったから一刀達が賛成の意を示す前に兵に止められてしまった。
「で も、早くしないと」
「待った桃香っ、 確かに行かないほうがいい。」
それでも退こうとしない桃香の意思を察して一歩出たのは我らが一刀。
「行かないほうがいい、って…」「放っておくんですか!?」
「桃香達は行かないほうがいいってことだよ。その人の言う通り邪魔になる。 だから俺が行く。」
一瞬疑いの目を一刀に向けた桃香と朱里だったが、一刀からしても無視するなんてのは論外。しかし桃香を初めとする女性陣では明らかに足手まといになる。 だからこそ待機させておくべきだと思っての言だった。
「鈴々も行くのだ!」「御主人様、私も。」
一刀に続いて愛紗と鈴々も進み出る。
「愛紗、鈴々… いや、危ないから」
「大丈夫です。我等もそうひ弱ではありません。 御心遣いはありがたいですが、私としても見ぬふりは出来ません。」
「お兄ちゃん、鈴々と愛紗だったら狼ぐらいどうってことないのだ!」
それでも止めようと一刀は再び口を開こうとするが、ふとなにかを思いついたらしく半分まで開きはしても出そうとした言葉はキャンセルで呑み込んだ。
「…分かった。 ってことで俺達も探すの手伝います。」
「しかし、 … まぁいいだろう。」
隊長も隊長で一刀を止めようとしたが、先の賊の一団を一人で制圧した話然り、見た目は華奢でも自分達ではまともに扱えないであろう武器を携えている愛紗と鈴々の二人然りで同行を許可した。
そうと決まれば話は早く、捜索隊が隊長に続いて森へと歩を進めだす。 その結果的に、しんがり辺りに位置するようになった一刀は愛紗と鈴々が背後で待つ中、残る桃香達と言葉を交わしていた。
「聞いての通りだから桃香達は待ってて。」
「…うん、分かった。 それじゃ私達、怪我した人や荷物を運んでおくね。 だから三人とも怪我しないで帰って来てね。絶対だよ。」
「 あぁ、今度は絶対に、ね。」
昨夜は絶対と約束して結果不眠不休の完徹をしたが、 今の絶対は赤心の絶対だった。
「一刀殿、悪いがオレは慈霊と共に桃香君達に付いていることにする。 医者として手がけた患者は安心できる時点まで見ておきたいからな。」
「あぁ、そっちのほうがいいよ。 どの道そっちも男手があったほうがいいだろうし、俺としても安心できるよ。」
「あぁ、任せろ!」
そう言うと華陀は ニッ と笑って自分の胸を軽く叩いた。 道中一刀は華陀と色々話をしていたから、既に信頼できる存在との認識は確立している。
「その、 怪我 しないで、ください。」
「御武運を、ですよ? 昨日の今日で主や仲間になった人達を失うなんてのはいやなので。」
雛里と寧も声をかけて、
「気をつけてくださいね。 油断大敵、でしゅっ …ぁう」
「御三方、お待ちしていますわ。」
噛んで締まらなかった朱里とにこやかな慈霊の言葉を最後に、一刀と愛紗、鈴々の三人も一団に続いていった。
一刀達がその場から目的の山へと向かった後、残った面々も動き出した。
「えと、それじゃ私達は荷物とかを運ばないと。 あのっ、手伝ってくれる人が居たらおねがいしますっ!」
離れていく一刀達から目線を外して、桃香は集まっていた街の住人に呼びかけた。 するとその呼びかけに応じておれも私もと頭数が揃っていった。朱里達が付いていきたく思った、人を思う心を人々も感じ取ったからだろう。
「よかった。 それじゃ、皆で怪我した人達と荷物を」
一刀達が行った以上、残った自分も出来ることをしなきゃと張り切る桃香。 しかし若干穴があったのでそれを朱里と寧が指摘する。
「桃香さん、荷物と怪我した人たちの担当は分けることにしたほうがいいです。」
「それがいいでしょうね? 荷物は持ち主さん達のほうがどうしたらいいか把握してるでしょうし。」
「ってことは、私達が怪我した人、村の人達が荷物を運ぶ、でいいのかな。」
「そうするのが妥当だろうな。 そこの男性、この街に医家はあるか?」
華陀と慈霊が手近な人にそう訊いて回るとどうやら存在するらしく、それならと桃香達の行くべき場所はその医家と決まった。
「じゃあ荷物はおねがいします。」
「あいよ、もう怪我人はあんた達に全部任せてるからな。頼んだぜ。」
全ての荷物が担ぎ上げられたことを確認したところで、桃香は荷を運ぶ人達に先立って医家へと皆で歩き出した。
充分な人員によって村人各々の家の荷物も、余裕を持って運ばれていった。
・壱身流 血と汗と涙のルルヴェ(やめろ。)
分かれた後、一刀達は原っぱと山の中間地点まで来た。 目の前には高さのある木々の枝葉によって、昼前なのに薄暗く感じる森が広がっていた。 一刀達から見て左は六メートルはある崖になっておりその上にはすぐ木々が生えているのが見え、逆に右手には緩やかな斜面が木々を有して広がっていた。 この斜面から入り込んでいったと考えるのが妥当だろう。
そういう見解に固まったところで隊長が先陣を切ろうとした。
「よし、ではここから奥に進んで」
「待った。 その前にちょっと。」
しかし一刀が言葉を途中でぶった切る。 セリフがなんだかさっきから中断させられっぱなしで苦い表情になった隊長だったがそんなのは気にしない。 というかすぐに愛紗と鈴々に目を向けたから一刀は気付かない。
「? どうかしましたか?」「お兄ちゃん?」
制服である白いズボンに通したベルトの間に挟んで下げてあった手甲を外しながら、一刀は愛紗と鈴々に向き合う。
「愛紗、鈴々、 正確な実力はまだ見てないけど、もし狼とかが出てきても二人は絶対に怪我させられたりしないって信用していい?」
そう言った一刀の真意はこの時点では掴めなかった二人だったが、自分の力量に関してのことであり、なにより一刀が真剣だったことで正直に、そして自信を持って答える。
「ん! 出てきたら逆に追い返してやるのだ!」「そのような心配ならば無用です。」
にっと笑って蛇矛を ブォンッ と平気な表情で振りかざす鈴々と、涼しい顔で担いでいた青龍偃月刀を片手で持ち直す愛紗。周りの兵士や住人は頼もしくも若干恐れを持ちつつ視線を送る中、この答えで一刀は決めた。
「…、よし。それならここは二人に任せる。」
「? ここは、と言うのは…」
何を言っているのかと当惑気味の愛紗に一刀は自分の考えを、手甲を両腕に通してベルトを締めながら告げた。
「俺は先に奥に行ってる。 皆は後から進んで来てほしい。」
手甲の具合を確かめる一刀に注目が集まる。 結果的に全員に言った形になったので、この言葉でその場の一同も頭の中に疑問符を浮かべることになった。
「…? 何を言っているっ、勝手な行動は許可できんぞ!」
当然隊長はそれを肯定しない。 ぱっと沸いて出たような少年に現場の主導権が渡っているような気がするのが気に食わないというのも若干あるが、元来この隊長も庶民の出であり、故にこそ一般の者を危険に晒したくない気持ちを持っている。 常日頃からも街の人間とは一本線を引いて接しているが、それも守る側との意識があるからである。
だから一刀を止めるのだが、その気持ちは今の一刀には弊害にしかならない。 いつ手遅れになるか分からない以上、早々に探しに行かないとどんな議論も時間の無駄。
「悪いけどどうこう言ってる暇は無いんで ねっ!!」
隊長が次の言葉を出す前に、一刀は左手に見えていた崖へ一気に駆け出した。 視界の端へと姿がブレた一刀を、目の前に居た愛紗と鈴々に隊長、離れてやり取りを見ていた他の兵や住人達の目が一瞬遅れて追った。
初速から最高速の移動方法『爆足』によりそれこそ爆ぜるかのような疾駆を見せられてあっけに取られた一同を尻目に、一刀は速度そのままで崖の土壁に突っ込む。しかしぶつかって終わりなんてオチには到らない。崖面との間合いを捉えた一刀は垂直の面に向かって
斜め上に二メートル程も跳躍。 纏う推進力のベクトルを殺さずに上方向へと変換しながら、崖を真上に走っていった。
「「「!!!」」」
一歩二歩三歩とほぼ垂直の崖面を連続で地面のように蹴り進み、壁に張り付くための勢いが消えて失速する前に最後の上方向への跳躍を決めて、崖の上に手を添えつつ一刀は着地。 六メートルはある崖をあっという間に上りきってしまった。
ぽかんと見上げてくる一同を下に見て、
「こういうことだから俺は先に行って奥を探してる! 皆は広く範囲を取って探しながら来てくれ! 愛紗、鈴々、そこの人達のこと頼んだよ!」
そう言葉を投げかけたのを皮切りに一刀は森へと入り込んで、愛紗達から見ると崖の奥へと走っていったことで見えなくなった。
「はぇ~… お兄ちゃんすごい…」
呆けた鈴々がぽつりと独白して、それを機にとでもしたのか隊長が愛紗に声をかける。
「き、貴殿らの主は… 隠密か何かの出、なのか?」
「…いや、 そうでは無いが…」
強いというのは分かっていた。 一刀は力量を常に隠しているから、今までの道中の観察でもどの程度なのかは愛紗にも見極められていないが、それでもかなりのものであることは確信していた。
だが流石に今のは予想していなかった。 移動の速度を目で追うのが一瞬遅れる程の急激な加速による疾走はおそらく自分でも追いつけないであろうし、垂直の崖を駆け上るなどとは言わずもがな。
私達が主とした方は、 未だ底の知れない方のようだ…
「と、とにかく我らも行くぞ! 遅れを取るな!」
一刀とその体術にある種の感動を覚えた愛紗に隊長の令が割って入ったことで、はたと我に返った愛紗は気を取り直して周囲の者達と共に森へと入っていった。
そして視点は一刀に戻る。
登った崖の向こうに広がっていたのは雑木林程度の密度の木々の群れ。 だが奥に目をやれば茂る枝葉で昼前なのに薄暗くなっている森が見て取れた。
一刀は林を兎のように跳び跳びで一気に走破して、目前に見留めた股までの高さの藪をスルーすべく近くの太さのある木に飛び掛る。木の幹を足場とするために体を軽く捻って姿勢制御、地面と水平になって幹を地面のように、真横の体勢で蹴り藪の上を跳んでいく。
「ったく、ここに来てからなんだか休む暇が無い、なっ?」
自分が選んで為していることとは自覚しているが、誰にとも無く一刀は独白。 地面と水平のまま他の木の幹に着地して慣性が消える前に更に前に跳躍、今度こそ地面に舞い戻って奥を見据える。
昨日の夕方に大立ち回りを演じてそれから完全徹夜の寝ずの番、日が昇ってからも歩き通しの後に現在のフリーランニングじみた動きが出来るこの一刀、どれだけ体力があるのと問いたくなるが、一刀も正直言えばけっこう疲れていた。
それでも体が動くなら、使える力を使わない道理は無い。 そんな考えだから一刀は進む。
「狼か… 動物を蹴ったりはしたくないけど なっと!」
言うと同時に地面の段差の上から、数メートル下の地面へと飛び降りる。途中の木を蹴って衝撃を和らげ、着地と同時に間髪居れず前へとノンストップで走り、更に奥へと進んでいった。
一連の移動の最中周囲を見渡すのを怠ってはいないが。 未だ子供らしいものは見つかっていない。
余談ではあるが一刀の野生の獣との戦歴を挙げれば。
・小学生の時は野犬の群れに追われたりヒグマと対峙したり
・中学生の時には中国で野良のやさぐれパンダを相手取ったり
といったところだろうか。
どれも祖父に付いていった際、修行の名目で放り込まれたのが理由だった。
しかしそれらの時点での一刀が後れを取らないことを十二分に把握していて、尚且つ気取られないようにすぐ近くで見守っていたとはいえ。 『ほれ言って来い』ってなまるでおつかいにでもやるようなテンションだったのはどうなのと問いたいぞ一刀の祖父兼師匠。
・一方街中の桃香達は
「腕の包帯の部分、そこに負担がかからないように前腕全体を保持しながら動かしてください。変に力がかかったら」
「痛てててぇっ!?」
「ごごめんなしゃいぃっ!?」
腕を支えたまま、朱里は申し訳ない表情で頭を下げる。
「とまぁ、そうなりますので。 単に痛いだけですから問題が無いと言えばそうなのですが。」
「なんだいじゃあ我慢すればいいだけじゃないのさ。 ったく男なんだから情けない声出すんじゃないよ!」
会話の中の男女はヒゲの旦那さんと体格のいい奥さんである。 奥さんは旦那さんの頭を軽くはたくと当然軽く体が揺れて、
「痛ってぇ! おめぇ時と場合を考えろ!」
「ダメですそんなに動い」
「いってぇぇ!!」
朱里の愁眉もむなしく、どうやら大丈夫そうであった。
医家は現在においての病院に相当するものである。 一刀達が山を探し回っている一方で、桃香達は街の医家へと患者を移動させ終わっていた。
現在桃香達が居るのは街の医家の中。 ただこの時代では入院の概念は存在しないので、病院とはしても開業医のやっている診療所程度の大きさしかない。 だからとりあえず安静にさせておくのが主な目的であった。
「大勢でいきなりおしかけてすまなかったな。」
「なにかまわんて。 それにこれ以上手を加える必要も無さそうじゃしな。」
華陀は医家の主の老人と生薬やらを仕舞ってある引き出しの前で話をしていた。 大勢が急に来た際には驚いた顔をしていたが、事情を知るとすぐに安静にさせておくための場所を提供してくれたこの老医師、普段からも安価で診て処方をしてくれる好々爺で、一行の怪我も診ようかと申し出てくれたのだが自分がするよりも完璧であろう処置が為されていたため出番は無用だった。
「しかし若いの二人でようもここまでやったものじゃて。 話に聞く五斗べ」
「ちっっっがぁう!! そうではなくゴット べぃっ!?」
騒がしくなる前に、華陀の頭に玻璃扇の一撃が ズバァンッ と炸裂。 背後には当然慈霊のにこやかな笑顔。手狭な空間でよく的確な一撃を放てたものである。 そして毎度のことながらどこから出しているのやら。
「あらあらすいませんね。 この華陀はうるさくてもう。」
「…ま、まぁなんでもいいわぃ。」
そんなのから離れたところで、桃香は落ち着かない様子で椅子に腰掛けていた。 もうすることが無くなって手持ち無沙汰なのだが、落ち着かない理由は山に行った一刀達だった。
私が一緒に行っても役に立てないのは確かなことだって、分かってる。 でも今みたいにどうなってるか分からないのも不安で、 だから自分が戦ったり出来ないのが もどかしいって、言うのかな…
「「はぁ…」」
つい出たため息が誰かとハモる。 ため息の主は桃香と朱里で、お互いに顔を見合わせた。
「心配、かな?」
「桃香さんも、ですね…」
照れ隠しに笑みを作るが、双方共にその笑みは苦し紛れにしか見えなかった。
朱里からしてもほんの昨日にあったばかりではあるが、まざまざと見せられた言動から一刀は付いていくに値する存在。
ご主人さまになってくれた人が、一刀さんが怪我なんかしたら、 そんなの、いやです…
そんな二人に誰かが声をかける。
「大丈夫でしょうたぶん。 少なくとも昨日のご主人サマの戦いぶりからすればそこらの獣に遅れをとるとは思いませんし。」
「…、すごかった、です。」
寧と雛里だった。いつもの如くに物怖じしない平坦調子で桃香の前に立つ寧の後ろに雛里は居た。 桃香が目を向けた途端に寧の後ろに隠れてしまってはいるが。
体格は朱里も寧も雛里も大して変わりは無く、朱里を基準とすれば若干寧が背が高く雛里は低めなのだが、着ている白い羽織で幾分か面積の広くなっている寧なら雛里を隠すことはどうにか出来ている。
「…寧ちゃんは、心配じゃないの?」
相も変わらない平坦調子で、それが桃香からすれば少し気になるところ。 でも、
「いえ、気にしてはいますよ。 …あぁ、心配してないように見えてます?」
それは単に感情が表情に出ないだけだったらしい。
「ぁ、えっと、そうじゃな」
「と、桃香さんしゅ いませんっ、寧さんこれでもちゃんと気にしてるんですっ 」
そんな寧のフォローに朱里が入る。 寧が一刀達のことに無関心と思われているのではと察して慌て気味だった。 事実寧は昔から何が起こっても調子が一定で、それ故に何事かの当事者達、多くの場合水鏡塾の生徒達から誤解されてきているからという内情がある。 桃香としても若干そういった懸念があった。
「これでもって。」
「はわぅっ! す いません…」
慌てていたことでフォローの文面がなんだか揶揄的になりそれを寧に朱里が突っ込まれた。
「まぁいいんですけど。 でも心配したからってその分無事で帰ってくる率が大きくなるわけでもないですから。とにかく行っちゃった以上、ワタシ達に出来るのは待つことだけです。 もしかして愛紗さんや鈴々ちゃんはそう強くは無いんです?」
無表情で、色々と平坦で、思ったことをそのまま言う寧ではあるが。
「 そんなこと、ないよ。 男の人を一人で何人もやっつけちゃうくらいだもん。」
「だったら信じるに値しますね。 なにはともあれ無事に帰ってくることを期待して待ってましょう。」
そんな寧なりの、桃香や朱里への元気付けだった。
「ぇと、 ご主人さま、とっても強かったから、 だいじょぶ、です…」
雛里も桃香を励まそうと声をかける。まぁ半分は自分自身に言い聞かせているところもあるのだろうが、前々話の一刀との一件があって、他の面子ともちゃんと会話できるようにと思い至っての行動だった。
「…そう、だよね。私もしっかりしてないと。 ごめんね。 雛里ちゃんも、ありがと。」
「ぁえと、 どうい、たしました…」
どうやら『どういたしまして』と言おうとしたらしいが、過去形な上に切る部分がおかしい雛里だった。 顔を赤くして、それを隠すために帽子を目深に引き下げた。
「構いませんよ。ワタシも無関心とかじゃ無いんですが気落ちしてるのを見るのは忍びないんで。 朱里ちゃんも雛里ちゃんも心配しすぎですよ。昨日ご主人サマが戦ってるとこ、見てましたよね?」
「 はい、 …信じて待つのも、大事でしたね。」
未だわずかに不安を払拭し切れてはいないが。 あの三人ならそこらの獣が出てきても大丈夫だし、兵士や街の人達も守りきることも出来る。
そう信じて、おとなしく待っていることにした桃香達だった。
・タイムリミットは さてあといくつ
時間は少しばかり遡って。 一刀が森に向かって走り出すのと同じ時。
森の中の深いとある場所。 空を隠す枝葉の下、少年が一人こわごわと歩いていた。 足元は落ち葉が積もった坂道で、もしも窪みがあったとしても躓くことで初めてそれの存在を知ることが出来るような、そんな場所だった。
そんな落ち葉の一部が急に ガサッ と隆起した。
「うわっ!?」
脊髄反射で ビクッ と肩が跳ねるが、単に落ち葉の下の枯れ枝を踏んだことで枝の先端が跳ね上がり、それが落ち葉を持ち上げただけだった。
「うぅ もう帰りたいよぅ…」
自分が原因のくせして情けないことだった。 半泣きは自業自得と思いなさい。
手には使い込まれた鉈を持っていて、彼が件の 狼退治をと意気込んで山に入った少年であった。
数週間前から狼の群れがうろついていて、危ないからむやみに山に近づいたらいけないと周囲は言っていたが。 人間、特に子供ともなれば禁止されればされるほどにその禁を破りたくなるもの。
で、その禁を破った結果がこの状況だった。 今回の狼退治を画策していたとき、そして入る前こそ勇気に満ち満ちた表情だったのだが、いざ入って必死に奥まで歩き回って入り込むと静けさが寂しさを生み、いつその狼が出るかで戦々恐々といった心境に移り変わっていった。 しかも悪いことに入り込みすぎてほぼ迷子。
こうなると手にした鉈も、最初は無敵の青龍刀のように感じていたものだが今となってはそこらで風化しかけてる木の枝に等しい。 リーチがあるぶん枝のほうがむしろ頼もしいくらいだった。
そんな状態だと未だ見ない狼への恐怖は徒に大きくなるし、無事に帰ったら帰ったで絶対確実に怒られるだろうしで、もう心ここにあらずどころか千里の彼方へ逃避行、であった。帰還予定は未定です。
そう。 だからこそ、そして先にも述べた足場が足場だけに少年は足を滑らせた。
「!?」
積もった落ち葉が地面の窪みを埋めていて、そこを平坦だと思っていた少年は体重を預けてそこに踏み込んでしまった。当然足は落ち葉にズボリと沈んで、体勢を崩した少年はしりもちと同時に斜面を一気にズザザザと滑り落ちることとなった。 落ち葉ってけっこう滑るんです。
「~っ!?!?」
いきなりのことに喉が引きつって声も上げられずに少年は滑っていく。 しかも尚悪いことに、その斜面のすぐ先は角度が更に急になってほとんど崖になっているからついていない。 日ごろの行いが悪いからこうなるのだろうか
って、今回の一件が悪い行いだったか。
ガクン と体は下に落ち込んで、滑り落ちるのと落下するのの複合状態で、ウサギの穴をのぞいたアリスの如くに少年は崖を滑っていく。 その途中に土の隆起や木の根っこに頭を数回打ち付けて、手からは鉈がすっぽ抜けて、
ドシャッ ゴロゴロゴロ 「あっ ぐ ぅ…」
最後には崖のふもとの角度がまたもや浅くなっていたことで、それに沿うように転がって着地 もとい落下の末に地面に投げ出された。 離れた所には一拍遅れて鉈が落ち葉と一緒に落ちる。
「ぅ ぁ…」
滑る途中の頭部への衝撃、そして最後の横回転で脳震盪を起こしたらしく、少年の意識が徐々に薄くなっていく。
ぼやけていく視界を認識した末に、横倒れになった少年は意識を手放し 落ちた。
横倒れになった少年の前に『そいつ』は現れた。崖の土壁の陰から静かに、しかし物怖じしている様子は無かった。
『そいつ』はなにかが滑り落ちる妙な音を聞きつけてここにやってきた。 そして大体の場所まで来ると、そこに漂う匂いは『幼い人間』と『鉄』の匂い。ただその幼い人間は、音からしても動く気配が無かった。 だから死んでいるものと思った『そいつ』は物怖じをすることは無かった。
少年の前に立った『そいつ』は周囲を眺めるように上下左右に視線を送る。 その途中に二回ほど視線が止まった場所があった。
一箇所は少年が倒れている場所のすぐ真上。どうやらそこから落ちてきたらしいことが分かっているらしい。 もう一箇所は傍の落ち葉。鉄の匂いはそこからしているらしく、わずかに鉈の刃がのぞいていた。
おおまかな状況を把握したとでも言うのか、『そいつ』は視線を改めて少年に向けて、更に近づき顔を寄せる。
『そいつ』の耳は心音と呼吸音、鼻は生きている匂いを捉えた。 生物が生きている間は止まることのない音が聞こえて、生物が死んだ際に出る臭いがしない。
即ち、眼前に倒れている人間の子供は生きている。
少年の体は服の首根っこを支点に浮かび上がる。丁度親猫に咥えられて運ばれる仔猫のような状態、いわゆる『黒猫ヤマトのあのマーク』状態になって、少年は手足をぶらぶらさせながら『そいつ』に首根っこを咥えられて運ばれていった。
少年の行き先は 相場を挙げれば『そいつ』の腹の中、だろう。 言うなれば『新鮮』なわけであるし。
少年の服の首筋の辺りは大振りな牙が食い込んでいて、『そいつ』の唾液で濡れていった。
・あとがき・
やあこんにちはこんばんはもしくは初めまして。 物語の進みどころか投稿までもが遅々としだした華狼です。待ってくれている方がいらっしゃるならすいません。 今回は上下に分かれてるので詳しいのは次回のあとがきで一気にやることにします。 次回は割と早くに出せるかと思ってます。
いや本当は8話は一回で消化しようと思ってたのですが。書いてるうちに長くなってこれは分けたほうが読みやすいかなと思っての上下分割です。 それにあーやって引っ張ったほうが効果的かな、とも。
今回でも一刀の性分が出ましたね。 愛紗達には大勢で安全を確保させておきながら、自分はあえて一人で危険があろう奥のほうへと単身入り込んで行く性分です。 『皆の安全』を望む者は、得てしてその『皆』のなかに自分を含まないものです。 自分の絶対の力量で裏打ちされた行動ではあるのですが。
因みに作中で一刀が見せた、壁を走って登るのに近いことは実際に可能です。 フリーランニングとかパルクールとかですね。
一刀の体術は、それらを壱身流の研鑽で得られた体で行うより高次元なアクロバット、ってなところですね。 推進で生まれた力を磨耗させずにベクトルを滑らかに変換させるのは本当に難しいものです。 それは武術にも言える事なのでしょうが。
最後に次回の内容の小出しをば。
『あまりにもあんまりであれ』と『ベルクマンの法則』と『出オチな青と赤』 そして『フヒヒ』です。
ではTo be continued、です。
PS、 当然のことですが『血と汗と涙のルルヴェ』は一刀の壁走りの正式名称では無いです。 まぁこの先いい名前が思いつかなかったら正式名称になる可能性も無きにしも非ずかも。
PSのPS、 嘘です可能性は皆無です。
Tweet |
|
|
11
|
0
|
追加するフォルダを選択
8話の(上)です。 長かった。ホントに長かった。
いや大まかなのは数日で出来てたんですがいざ上下に分けたら調整に時間がかかってかかって。あと現実世界のどうこうがあれこれでかくかくのしかじかだったんですよ。 うん、意味不明ですね。
では。一ヶ月ぶりの続きをどうぞ。