No.328306 天声を聞いた坂(前編)小市民さん 2011-11-02 11:04:23 投稿 / 全2ページ 総閲覧数:1276 閲覧ユーザー数:599 |
その医療機関は、小高い山の頂にあり、緑は豊かだったが、明らかに隔離されている。
当初は、結核療養所として開院された経緯があり、立地は当然といえば当然だが、現在では結核病棟以外にも一般病棟があり、呼吸器、循環器治療に特化した県立病院として知られていた。
斎木 千草(さいき ちぐさ)は病院から貸与されているピンク色のパジャマ姿で、点滴台をガラガラと音を立てて引きずりながら、女ばかりを集めた四人部屋の病室を出、デールームと呼ばれる家族との面会場所へ足を運んだ。ただの気晴らしだった。
西側に窓がある病室からは、横浜市金沢区能見台の街並みがよく見えるが、東側の眺望を目的としたデールームの窓からは、並木二丁目と三丁目の工業団地の向こうに横浜港が臨めた。
千草は肺癌末期患者として、一般病棟に入院し、二か月が過ぎていた。
肺癌末期と聞くと、もはや余命幾ばくもないという印象を受けるが、抗癌剤の効果か、千草の信仰によるものか、殆ど無症状だった。
肺癌とは、肺内の気道粘膜の上皮が、煙草の成分などの発癌性物質にさらされることにより、小さいながらも変異が生じる。こうしたわずかな変化が積み重なり、やがては癌化に至る。
その後、腫瘍が気管支腔内に向かって成長すれば、肺炎を生じやすくなる。気管支の外へ腫瘍が成長し、他の臓器に転移するまでは、それ自体による身体的症状は起こしにくい。
千草の場合は後者に当たり、症状があるとすれば血痰、慢性的な激しい咳、胸痛、体重減少、食欲不振、息切れなどである。こうした症状を抑えるため、抗癌剤を使用するが、副作用として吐き気、下痢、脱毛が生じるが、千草の場合は何の副作用もなく、幸いであった。
担当看護師によれば、亡くなる二日前まで何の自覚症状も副作用もなく、患者自身で風呂に入るなどのケースもあるという。
また、患者を一般病棟に入院させるのは、東北東日本大震災の復興財源として、煙草の値上げがたびたび取り上げられているが、社会の動きそのものが煙草を日本から廃止させようとしており、喫煙による肺癌発生を訴えるための生け贄であり、見せしめとしての意味もあるようだった。
このとき、工業団地と横浜港を眺めていた千草の目の前で、二歳ぐらいの愛らしい女の子が転び、わあっっと声を上げて泣き出してしまった。転んだ女の子の姉らしい四歳ぐらいの幼女は、デールームに置いてあった絵本に夢中になり、妹を助け起こそうとしない。姉妹は、見舞客の子供らしい。
千草はかがむと、二歳ぐらいの女の子の腋に手を差し入れ、
「大丈夫?」
助け起こした。二歳ぐらいの女の子は、笑って頷いたが、姉らしい子は絵本から目を上げ、
「おばちゃん、余計なことしないで。彩由(あゆ)は泣けば助けてもらえると思っているんだから」
姉が敢えて手を出さなかった理由を言い、次いで、幼いながらも妹に厳しい目を向けると、
「あんた、駄目でしょ、自分で起ち上がらなくちゃ」
叱りつけた。千草は思わず幼い姉妹に、
「ごめんなさい、わたし、余計なことしてしまって」
素直に詫びると、元通り秋陽に照らされた眺望へ見るともなしに目を遣った。幼い姉妹が仲良く絵本を読み始め、千草はほっとしたが、姉が何気なく口にした『自分自身で起ち上がらなくてはならない』と言った一言が、胸の奥深くに残った。
千草はまだ四十七歳で、健康体であれば、もう二十年は働けたであろうが、無症状とはいえ、肺癌の腫瘍があちらこちらに転移し、手術のしようなどない末期症状で、死ぬのを待つばかりという現実が悲しかった。
……敬虔なクリスチャンであるはずの自分が、どうしてこんなことになってしまったのか……
自らに問いかけたが、何の答えも心に届かない。
ふと、いつも肌身離さず首から提げている小さな十字架を手に取った。
高校生の頃からキリスト教会に出入りし、日曜日ごとの礼拝に参加しては、牧師が説く聖書講義に聞き入っていた。職場でも自分がクリスチャンであることを機会があれば口にし、布教活動にも心を砕いたつもりであったが、結果はいつも人間関係が悪くなるばかりで、二十二歳のときに学生結婚をした男性とも三十七歳のときに離婚していた。
この頃は、皇室ゆかりの系列病院の医事課で働いていたが、同じ部署で働く二歳年上で中途採用の男性が何くれとなく世話を焼いてくれた。男性だけあり、パソコン操作は得意で、助けられることも少なくなかった。
この男性は、千草が好きな教会建築を史跡ととらえ、あおりレンズという建築物記録用の特殊レンズを高級一眼レフデジタルカメラに装備しては、肩に提げ、休みの日には東京、横浜の古い教会を撮影することを楽しみにしていた。
いつしか千草もこの男性に同行する機会が増えていった。
しかし、東京都港区六本木五丁目の鳥居坂教会を訪ねた直後、男性は突然に退職してしまったばかりか、千草ともぴたりと連絡を取らなくなった。
一体、男性に何があったのだろうか……男性が皇室ゆかりの系列病院を辞めてから、自分もかねてからあった人間関係に嫌気がさし、退職した。
考えもなく無職になったが、自分に出来ることと言えば、医療事務だけで、仕事探しの結果、横浜市金沢区にある交通の便の悪い神奈川県立の病院に事務職として勤めることになった。
この頃からストレスの刷毛口のつもりで喫煙を始めたが、風邪の症状程度と思っていたものが、みるみる悪化し、肺炎どころか実は肺癌で、それも腫瘍の転移が著しく、もはや末期であることを宣告され、職場に入院したのは、つい二か月前のことだった。
このとき、千草はあっと声を上げると、病室へ戻り、退屈をまぎらわすためにと、二つ下の妹から借りているノート型パソコンの電源を入れ、インターネットに接続した。
すぐに検索単語の入力フィールドに『鳥居坂教会』と入力し、検索をかけてみた。
男性は教会を史跡としてとらえ、撮影して歩く以外に、訪ねた史跡を舞台に短編小説をつづり、投稿サイトに送信している、とも言っていた。もしも鳥居坂教会も創作の舞台に使っていたのなら、男性が不意に自分と連絡を絶った理由も描かれているかも知れない。
どうして、こんな簡単なことに、七年間も気付かなかったのか……ノート型パソコンのディスプレイに『鳥居坂教会』の語を含むネット上の記述がずらりと検索された。殆どが六本木、麻布、赤羽橋のグルメ情報だったが、ページを送っていくうちに、『天声を聞いた坂』という鳥居坂を舞台にした短編小説が、タイラアキラという平成と昭和を足して二で割ったようなとってつけたハンドルネームの人物から、七年も前に投稿されていることに気付いた。
そう言えば、男性は昭(あきら)という名だった。千草はそこに何が描かれているのか、知ることの恐れよりも、知りたいという欲求が抑えられず、『天声を聞いた坂』に食い入るように目を凝らした。
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皆さんお久しぶりです、小市民の短編をお届けします。
今回の舞台は東京都港区六本木五丁目の鳥居坂です。
肺癌末期の女主人公・斎木 千草は七年前、交際のあった男性が突然に音信不通となった理由の手がかりを掴みますが……
という物語です。どうぞ、お楽しみ下さい。