携帯の充電が切れそうだということは、家を出る前から気づいていた。
電車の時間が迫っていたから仕方なくそのままにして出てきたが、
今になってコンビニで替えの電池を買って来なかったことを後悔していた。
こんな人だらけの場所で、何のヒントもなしに落ち合えるなんて到底思えない。
それでも今からコンビニに行こうという気になれないのは、
漠然とあいつがここに来てくれることを確信していたからだけでなく、
この人波の中で下手に動きまわりたくないと感じていたせいでもあった。
意識すればするほど、この人の海は俺を孤独な気分にさせる。
駅は人を吸い込み、そして吐き出していく。
電車が停まる度その循環は繰り返されて、それはまるで限りがないことのように思えた。
駅に流れ着いた人々は、それまでの流れから外れて各々別の場所に散っていくのだ。家や、仕事場や、馴染みのクラブやなんかに。
そんな当たり前の、でもどこか切ないと思える駅の様子をぼんやり眺めながら、俺は木製のベンチに浅く腰掛けていた。
ベンチといっても公園にあるような肘掛けや背凭れのついた立派な物ではなくて、
ぽつりと植えられた大きな木を囲むように造られた、花壇の延長のようなものだった。
どうせ、こんなベンチのデザインに不満を感じる余裕のある人など、ここにはいないのだろうと思った。
近くの時計は夜の二時を指している。あいつはまだ、俺のところに来そうにはなかった。
―…そういえばいつからだっただろう、俺がこんな無意味なことをするようになったのは。
まるで発作のように、その『衝動』はやってきた。
ふと、人混みに紛れてしまいたくなるのだ。
自分という存在を区別していたくなくて、大勢の知らない人の中に埋もれてしまいたくなって。
しかしいざ埋もれてみると、静寂の世界にひとり取り残されたようなとてつもない孤独感に襲われて、
俺はその度恋人に電話をかけた。
自分がここに存在する事を、あいつにとって俺が探すに値するほど必要な人間である事を確かめてもらうために、「見つけに来て」、と呼んだ。
『見つけ出して欲しいのに見つけ出して欲しくない』。
携帯の電池を買いに行かなかった理由にも、少なからずそんな感情が関わっていた。
どれだけ酔狂なことか理解はしていても、俺はこの遊びをやめることはできなかった。
それは寂しくて、悲しくて、でもひどく優しい遊びだった。
駅が新たに三度ほど人の波を吐き出した頃、俺は不意に顔を上げた。
求めている温もりが、すぐそこまで来ているような気がしたのだ。
直感通り、顔を上げた俺は、不安そうに周りを見回していた男と目が合った。
すぐに泣きそうな顔をして走り寄って来る。
手前まで来ると、一瞬躊躇してから俺を抱きしめた。
切れた息とは裏腹に壊れ物を扱うような優しい手つき。こいつらしいな、と思った。
「…携帯、切ってたでしょ」
「電池なくなっちゃったんだもん」
それが意図的だったということは言わなかった。
言わなくてもどうせ、こいつは気づいてしまっているだろう。
「ちゃんと、見つけたよ」
「…うん。」
抱きしめられた部分から、早めの心音と、俺の肩に顔を埋めているせいでくぐもった声と、小さな震えが伝わってくる。
俺の残酷な遊びはこいつまで不安にさせている。知っていたけどやめられなかった。それにこれからも、やめられるとは思えない。
何故なら今の俺は言い表せないほどの充足感に満ちていて、これこそまさに俺が『衝動』から抜け出せない原因だからだった。
こいつはこの遊びなしに俺という人間が成立し得ないことを分かっているらしく、深夜に走り回らされたというのに一言も俺を責めなかった。
ただ一言、
「一緒に帰ろう」
と言った。
俺は立ち上がって、さっきと変わらず流れ続ける人の波を眺めてみた。
もう、一ミリの孤独も感じなくなっていた。
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オリジナルBLのSS。またしても暗め。