十「いまりとはんこうき」
「ただいまぁ」
「遅かったじゃないかいまり。こんな遅くまでどこに行ってたんだ、心配したんだぞ」
「べつに、どこだっていいでしょ。おにいちゃんに、かんけい、ないじゃない。ふん、ほごしゃづらしないでよね、おにいちゃんのくせに」
夜は八時。食事時もとっくに過ぎた頃になって、ようやくいまりは我が家に帰って来た。そして帰ってくるなり、突然、悪態をついた。
子供の見かけ相当に、いじっぱりな所のあるいまりである。過去に何度かわがままを言われたり、理不尽な怒りをぶつけられたこともあったが、こんな風にいきなり悪態をつかれたことは一度もなかった。
ふと、その姿をよく見てみれば、妙に今日は姿が黒くすすけてみえる。どうしたのだろう。まさか、外で喧嘩したとか、それとも道でこけたとか。
なんにせよ悪態が吐きたくなるほど、何か嫌な事があったのかもしれない。
「まぁいい。今度からは気をつけるんだよ。最近は、怖い人とか多いんだから。さて、それじゃ食事にする前にお風呂にしようか」
「いらないもん。いまり、きょうはもうつかれたからねるね」
「え? いや、ちょっと待ってよ。お兄ちゃんもお風呂入りたいし。それに、疲れたってまだ八時じゃない。いまり、なんだかすっごい汚れてるし、ちゃんとお風呂入って体洗った方が良いよ」
いまりは僕の家の風呂場を寝床にしている。なので、彼女が眠ってしまうと、僕がお風呂に入れなくなってしまうのだ。僕だって、お風呂くらいちゃんと入りたい。
「いらないったらいらないもん。おんなのこにむかって、きたないなんて、おにいちゃんサイテー。デリカシーってものがないんじゃないの。そんなんだから、いつまでたってもかのじょできないどーてーやろうなんだよ」
「い、いまりさん、どこでそんな言葉を覚えていらっしゃったの!?」
というか、童貞で悪いか。大きなお世話ってもんだろうが。
なんだこれ、今日のいまりはなんだかおかしいぞ。いったい、外で遊んでいる間に、彼女の身になにがあったっていうんだ。
「とにかく、いまりはもうねるから、おにいちゃん、おふろばに入ってこないでね。もしはいってきたら、ふじょぼうこうざい、で、うったえるんだから」
ばたりと風呂場の戸を閉めるいまりさん。居間に一人取り残された僕は、なんとも言えない気持ちで、風呂場の戸を眺めることしかできなかった。
反抗期だろうか。河童にもあるんだな、そんな多感なお年頃ってのが。
十一「わるいまり」
いまりがお風呂を占拠してしまったので、しかたなく僕はその日は桜花さんの部屋のシャワーを借りることにした。ビールの呑み過ぎで前後不覚になった桜花さんが、風呂場に乱入してきたり、風呂を出るなり大股開きで寝ていたりと、風呂一つ借りるだけでそれはもうたいそう胃の痛い思いをした。
そうして、なんとか無事に部屋に帰って来た僕は、桜花さんの相手やら、いまりの心配やら疲れていたのだろう、そのまま倒れるように眠ってしまった。
目が覚めたのはすっかりと日が昇り切った時間だった。
今日は必修の講義がある日。別に出なくても出席点が貰えないだとか、テストが受けられないみたいなお咎めなどはないけれど、色々あって講師と仲が良くなんとなく毎週顔を出している講義だった。
今日も出ようと思っていたのだけれど、この外の明るさである。とても、今から行ったのでは間に合わないだろう。
「おかしいな。目覚ましはちゃんと賭けておいたと思うのだけれど」
枕元の目覚まし時計を探す。いつもなら定位置にあるはずのそれが、手を伸ばしただけでは見つからない。どうしたものかと視線を向ければ、そこには、粉々になった目覚まし時計が転がっていた。
違う意味で一気に目が覚めた。
誰がこんなことをしたんだ。寝ている間に、僕が粉砕したっていうのか。自分の寝相に自信がある訳ではないが、腕力には自信があった。
固い目覚まし時計を粉々に粉砕するなんて、そんなこと、僕にできる訳がない。
「まさか、いまりか。こらっ、いまり!! 駄目じゃないか、お兄ちゃんの時計壊しただろう!! なんでこんなことをするんだ!!」
「うるさいなぁ。めざましもうるさいけど、おにいちゃんもうるさいの。いまり、昨日はよあそびしてつかれてるんだから、もうちょっと、しずかにねかしてよね」
風呂場から聞こえてくる欠伸越え。やはりいまりか。おのれ、この悪戯娘め。最近はめっきりと大人しくなってきたなと思っていたのに、これだ。
「昨日といい今日といい、どうしちゃったんだよいまり。もうこういう悪戯はしないって、前にお兄ちゃんと約束しただろう?」
「そんなのわすれたもん。ふふん、おにいちゃん、いまりはもういい子ちゃんじゃないんだから。今日からいまりはわるになる、わるいまりになるんだから」
なんだわるいまりって。悪いといまりをかけてるんだろうけど、なんでその程度で自慢げなんだよ。そして、ちっとも悪そうじゃない名前だぞ、それ。
十二「いまりとおしおき」
やれやれ、どうやら何か悪い漫画でも拾い読みしたのだろう。
僕は朝から痛む頭を手で優しく揺すりながら、いまりが籠っている風呂場へと近づいた。中に居るのは間違いない、こんな悪戯をして、とっとと逃げなかったのが運のつきという奴だ。
「いまり、今すぐにごめんなさいするなら、お兄ちゃんも鬼じゃない、許してあげる」
「いやだもん。いまり、なーんにもわるくないもん。うるさいめざましとおにいちゃんがいけないんだもん。それにおにいちゃんはおにじゃないよ、おにくだよ」
どういう意味だろうか、と、首を傾げると、風呂場の入口の戸にかけた鏡に映る僕の顔が、見慣れない感じになっているのに気が付いた。
つまりだ、僕の頭に肉と書かれていたのだ。肉。キン肉マンかよ、懐かしい。
「お前、キン肉マンなんて知ってるのか。なかなかやるな」
「おにいちゃんがいないとき、あにまっくすで、ときどき見てるから。ふん、ばかばかお兄ちゃん。おまぬけおにいちゃん。おでこのおにく、にあってるよぉ」
そうか、こんな悪戯までしてくれて。もうなんの遠慮も要らないな。
僕は勢いよく風呂場の扉を開けると、いまりが眠っているバスタブを覗き込む。バスタブの中には、昨日帰って来た時と変わりない、少しすすけたいまいが浮かんでいた。突然僕が殴りこんでくるとは思わなかったのか、いまりも目を見開いて驚いている。
すぐさま、僕はバスタブの中にぷかぷかと浮いていたいまりを羽交い絞めにすると、そのまま僕の膝の上に俯せになるように載せて、お尻を上に突き上げさせた。
「やっ、おにいちゃん、なにするの!! ふじょぼうこうでうったえるよ!!」
「こういうのはね、ふじょぼうこうとはいわないの、おしおきっていうの。わるいまりめ、ちょっとおふざけが過ぎたね。お尻ぺんぺん、十回の刑に処す」
やだ、やだやだ、やめてと、途端に涙目になるいまり。わるいまりだとか言って、強がっていたくせに、いざおしおきとなると急に弱気になったな。
やっぱり、なんだかんだ言ってまだまだ子供だ。これで大人いまりが相手だったらと思うと、ちょっとゾッとするな。そういう意味では、彼女が子供で助かった。
「それじゃ覚悟しろよ。ひとーつっ!!」
べしり、と、いまりのお尻が良い音を立てて鳴る。ひゃん、といまりが悲鳴をあげたが、そんなことは僕の知ったことじゃない。ふたーつ、と掛け声をかけると、叩く前からいまりは悲鳴をあげた。
「ごめんなさい、おにいちゃん、いまり、もういたずらしないから、しないからぁ」
何故だろう、いつの間にか汚れていたはずのいまりは、いつもの姿に戻っていた。
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河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。
pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613