No.324655

晴眼

にしうらさん

ローゼンメイデン短編小説の総集編から、ちょっとホラー風味なお話をアップしました。人形なのに、目のかゆみを訴える真紅はやがて、薄暗い夢を見るようになり……

2011-10-27 15:58:38 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:4446   閲覧ユーザー数:1087

 

「ジュン、埃がひどいわ、早く窓を閉めてちょうだい」

 不意に、真紅がそう言った。

 初夏のとある日、うららかなリビングの窓は開け放たれてさわやかな風が流れていた。それなのに、真紅は痒そうに手の甲で目をこすっている。しかし、彼女は人形だ。花粉症や埃で目が痒くなることなんてあるのだろうか。

「なんだなんだ、呪い人形でも花粉症になるのか?」

そうジュンは軽口を飛ばしたが、真紅の顔を見てぎょっとした表情になる。

「何? 私の顔になにかついていて?」

ジュンは首を横に振り、神妙な面持ちでそれに答えた。

「目、真っ赤だぞ」

「……え?」

 ジュンは立ち上がると真紅のために手鏡を持ってきて、真紅の顔が映るように彼女の前に差し出した。差し出された鏡を、真紅はそっと覗き込む。

 鏡の中に写っていたのは不愉快さに表情の歪む自分の顔。そして、片目はいつもは真っ白い白目がうさぎのように真っ赤に染まっている。

「……どういうことなのかしら」

 驚くよりも先に、疑問を感じたのは真紅らしいかもしれない。

「まあまあ、大変! 真紅ちゃん、これで目を洗ってくるといいわよ」

その様子を見ていたのりは薬箱から洗眼用の薬剤と容器を取り出し、真紅に手渡した。

「真紅ちゃん、自分で使える?」

「説明書通りにやればいいのでしょう、問題ないわ」

 

 のりから洗眼用の薬剤を受け取ると、真紅は洗面所へと向かった。

「まるで生きているみたいな不思議なお人形さんだから、花粉症にでもなっちゃったのかしらねえ」

のりはそうのんきな言葉を発したが、翠星石も雛苺も蒼星石もそれを真に受けることは出来なかった。そもそも、痒いなんていうことがあるわけがない。彼女たちは、真に人形だったのだから。体は白磁でできているし、体の中にあるのは内臓でも骨でもなく球体関節とそれをつなぐ革の紐や機械じかけ。そして、彼女たちの眼はガラス玉でできているはずなのだ。

 ローゼンは至高の少女の定義に、人としての肉体を入れなかった。概念としての少女を追求するあまりに、ローゼンは人形たちに肉体を与えなかった。だから、人形たちは殴られれば痛いと思うが、痣もできないし血も流れない。食欲はあるが、食べなくても飢え死にしない。病もなければ、老いもない。そういう人形を作ったはずだった。

 真紅達が洗面所に言ったのを見届けてから、人形たちはお互いにだけ聞こえるように小声で言う。

「どうしてなのですか……?」

「……僕には理解出来ない」

「真紅、大丈夫なの?」

 誰も、今何が起こっているか理解できなかった。笑うことすらできないほどに、これは由々しき事態だった。

「これから、どうすればいいの?」

三人のうちの誰かが言ったけれど、誰もその問いに答えることは出来なかった。ただ沈黙だけが流れ、人間たちはその異変に気付くものはなかった。

 

 洗面所に赴いた真紅は、説明書に従ってもらった洗眼薬を使った。程なく眼に清涼感があり、目の痒みがたちどころに収まっていくのがわかった。少しずつではあるが、赤みも引いてきているようだ。

「……おかしいのだわ、こんなこと」

ジュンにものりにもいいはしなかったが、本来ならこんなことはあるはずがなかった。洗眼薬はあくまで生き物のためのもの。ガラス玉を洗ったって何の効果があるわけでもない。それなのに、真紅の眼は通常の落ち着きを取り戻している。 真紅はそっと、痒くなかった方の眼球に、そっと指で触れる。こつん、という硬い音がしてそれが確かにガラスやそれに類する類の硬質な物質でできていることを伝えている。真紅はこわごわ、もう片方の目にそっと指を触れた。不思議な柔らかさと、張り詰めた膜のような感触、そしてしっとりと潤い、指先を濡らす手触り。なによりも、指が触れたことによる強烈な不快感。これでは、まるで。

「……私の眼は、どうなってしまったの?」

真紅は己の顔をまじまじと見つめた。

三面鏡になっている洗面台の中に、無限の自分がいる。そのどれもが半分の目が赤い人形だ。どれか一つでも、両方清浄の目をしたものが射るのではないか、そんな妄想にとらわれて真紅は三面鏡に映る自分の顔をまじまじと一つずつ見つめる。

 

「真紅、大丈夫なの……?」

部屋に戻った真紅に、雛苺が不安げな声をかける。

「平気よ、ほら、御覧なさい。もう治っているでしょう?」

真紅は優しく微笑むとそっと雛苺の頭を撫でてやる。真紅の眼の赤みはすっかり引いて、いつもの美しい青い瞳にもどっていた。それを確認すると、雛苺は心底安堵したように喜びを全身で表している。

 その様子を見て真紅は微笑んだが、解決になっていないことは明らかだった。

 

一時しのぎの洗眼で多少はましになるものの、片目の異常はその後も断続的に続いていた。目の異常が始まった頃から、真紅はとある続き物の夢を見るようになった。

 夢の中の真紅は真紅ではなかった。視点の高さやその他の状況を見るに人間であるらしい。その人物のことを真紅は見覚えになかった。なにより、夢の中の真紅は鏡を見なかったので、確認できなかった。

 

 夢の内容は、グロテスクで奇妙なものが多かった。

 

『私はこんなものが欲しかったのではないよ』

夢の中の真紅は失望を隠さず、低い声で薄汚いフロックコートの男にそうぼやく。真紅の手の中にはガラス瓶があり、その中には濁ってあまり良く見えないが、フワフワと白く丸いものが浮かんでいた。よくよくみると、それはホルマリン漬けの眼球だった。長期間保存されていたのだろうか、退色し、濁り、おぞましいものになり果てている。時代がかったフロックコートの男は、酒臭い息を吐きながら卑屈な顔つきで

「へぇ、すみやせん。次はきっともっといいものをお持ちします」

と田舎訛りでいうのだった。

 

 目が覚めて、そんな夢をみた真紅の気分は最悪だった。

「なんなのかしら、あんな人間。私は知らないのだわ」

 眼の不調が心を動かして、あんな夢を見せたのだろう。真紅はそう考えることにして、深く気にしないことに決めた。

 

 翌日もまた夢を見た。

 夢の中の真紅は手の上にグラスアイを載せてそれを品定めしている。しかし、唐突にそれを床に叩きつけて壊してしまった。床にガラスの破片が散らばり、薄明るいランタンの光を照らしてキラキラと輝いていた。

『こんな偽物じゃダメだ』

 真紅はそうつぶやくといらいらを隠せない様子で椅子に腰を降ろす。薄暗い部屋の中、立て付けの悪い扉が鈍い音を立てて開いた。

「旦那、今日のはご満足いただけるかと」

 そういって、昨日も夢に見たフロックコートの男が入ってきた。フロックコートの男は重い樽を転がし、部屋の中に入れた。

「これならどうでしょうねえ。昨日うちの店で行き倒れてた酔っぱらいですけど、ご注文通りの眼ですぜ」

 フロックコートの男は樽のフタを開ける。中にはよほど酒好きだったのであろう、酒やけの面影を残した薄汚い中年男の死体が入っている。夢の中の真紅は興味を示し、カンテラをフロックコートの男に持たせると、中の中年男の目蓋を開いた。明かりが反射して、瞳はぬらぬらと輝いている。生前、よほど深酒が過ぎていたのか、それとも死後の経過の故なのか、青い目は混濁し、白目は赤く血走っていた。

「まだ、さっきの義眼の方がましだな」

死者への畏敬も慰霊の気持ちもなく、夢の中の真紅はその目蓋を閉じた。

「次はもっとましなのを頼む」

そう言って、フロックコートの男に金貨の入った革袋を投げた。

 

夢は数日続いた。

フロックコートの男と夢の中の真紅は、美しい女性を覗き込んでいる。女性の顔は生きているとは思えないほど蒼い。……先日の夢から推測するならば、恐らく生きてはいないのだろう。夢の中の真紅は手馴れた様子で女性のまぶたを片手で開くと、銀色のバターナイフのような器具を、目蓋と眼球の間に差し入れ、ぐっと力を入れる。ブチブチという音と、何かが引き裂かれる感触がしたのを確認してから、ゆっくりと銀色の器具を抜く。先にあるくぼみには、真っ白な眼球があった。

「これなら」

夢の中の真紅は初めて満足したような顔をした。ほんの数秒だが、しっかりその眼球を見つめた後に、手早くガラス瓶に刺激臭のする液体を満たし、眼球を中に沈めた。

空の青を写したような白目に、深い湖のような美しい蒼い瞳。

 女性の眼窩には、抜き取った眼球の代わりに、義眼をはめ込んだ。一見した程度では眼球を失ったようには見えない。

「素晴らしい」

 夢の中の真紅は液体の中に浮き沈みする眼球を嬉しそうに眺める。昨日投げてよこした金貨の袋よりも、倍以上重たい革袋をフロックコートの男に投げて、彼を部屋から下がらせた。

 夢の中の真紅は心底嬉しそうに、小躍りしそうなほどの喜びようで、ガラス瓶の中の眼球を覗いている。

夢の中の真紅はつぶやく。

「ああ、これできっと完成するのだ」

 

 目を覚ました真紅は片目を封印するかのように手で抑えながら、ここ数日見ている夢について考える。ここ数日の夢は夢というにはつながりがありすぎたし、夢で済ますにはあまりにも生々しい感触にだった。

 夢の中の真紅が真紅でないことは間違いがない。しかし、一体誰なのか検討もつかない。フロックコートの男の古めかしい風体や部屋の中の様子、使われていた金貨などを見ると、百年以上昔の話であるのは想像できた。

 目の不調の始まりと夢のはじまりはほぼ一致している。一体、何の意味があるのだろうか。真紅は思い悩んだが、答えは出なかった。

 

 明くる日も、また夢をみた。しかし、その夜の夢は違っていた。

 

「なんということだ」

夢の中の真紅は嘆き悲しんでいた。男の腕の中には、奇妙な人形のようなものが抱かれている。髪の毛もなく、服も着ていないが、それは恐らく人形なのだろう。人形の目は大きくひらかれている。片方の目には美しい蒼い瞳があり、その反対の目からは酷い悪臭のする黒い液体がドロドロと流れ出している。そのアイホールには、黒っぽいネバネバとした液体がへばりついていて、アイホールの奥までは見通すことが出来なかった。

「遅すぎたのか」

 なんとなく、真紅はあの黒いアイホールにあるものが、昨日見た夢の女性の眼球のような、そんな気がした。だとしたら、夢の中の真紅は狂気に支配されているのだろうか。

「あんなに美しかったのに……」

 夢の中の真紅は静かに、けれども深く嘆き悲しんだ。何時間も座り込んだまま微動だにしなかったが、ふと顔を上げた。夢の中の真紅の視線の先には、古びた鏡が一枚。鏡は小さく、全身を映し出すには至らないようなものだった。

夢の中の真紅は、鏡の中を覗き込んだ。鏡に映し出されたのは、今までの恐ろしい発言からは程遠い端正な目元、青白い肌。そして、夢の中の真紅が切望していた濁りのない、憂いをたたえた美しい蒼い瞳。

 鏡の中の人間は、そばにあったテーブルの上にある、小さな銀のスプーンを持ち上げた。鏡を見ながら、それを慎重に目蓋と眼球の間に挿し込む。

 金属の冷たさと、眼球とその周辺に生じた違和感や痛みが、その人間と真紅とを襲う。真紅は叫ぶ。

「やめて! やめてちょうだい!」

 だが、夢の中の真紅には聞こえていない。

 夢の中の真紅は、銀のスプーンを、そっとひねった。

 

「……いやな、夢」

真紅は自分の鞄の中で目を覚ました。一息ついて、今までの出来事が夢だったことを確認すると、真紅はどっと息を吐いた。

 真紅は、眼窩にスプーンを挿し込まれた感触を生々しく思い出していた。いくら夢だとしてもあまりにも酷い感触だった。真紅は暗闇の中でそっと両目に手を当てる。

「よかった、ちゃんとある……」

両目が揃っている、ただそれだけのことに真紅は心から感謝した。

 

 それから数日、真紅は急におとなしくなった。

 動いたり、強い光を浴びたり、大きな物音がするとひどく目が痛むようになったのだ。姉妹やジュンたちは心配したが、人形の眼病などという不可思議な出来事を、誰にもどうにも出来ずただ見守るより他になかった。

 毎日幾度も飲んでいたお茶も飲まなくなり、真紅はnのフィールドにつながる鏡の部屋でじっとして過ごすことが多くなった。誰もいない暗い部屋は、僅かな刺激でも激痛を覚える真紅の眼に優しかった。

 

 真紅は以前にもまして鏡の部屋の外から出ずに過ごすことが増えた。たいていは座り込んでじっと動かないことが殆どだったが、たまにそっと鏡を覗き込んではまだその片目が存在するかどうか確認しているようだった。

 もし何らかの理由で……たとえば、アリスゲームで、片目を失ってもそのことだけでは真紅は最終的にはくじけなかっただろう。しかし、その時真紅を襲っていたのは別の問題だった。

『私はいつまで私のままでいられるのかしら?』

 真紅が悩んでいたのは、それにつきる。

 片眼だけが変質している。それだけで終わるなら構わない。真紅が恐れているのは片目の変質が何かのきっかけであることだ。

 自分ではない何かになってしまうことを、真紅は何よりも恐れていた。あんなにアリスになることを切望していたのに、正体不明の何かになってしまうかもしれない、そう思うとたまらなく怖かったのだ。

 そして、この夢の行き着く先に真紅の行く末があるのならば、アリスではない何かなのは、間違いがなかった。

 真紅は薄暗闇の中、自分が変わらずに要られるよう祈ることしか出来なかった。

 

 あまりに不安を抱きすぎたからなのだろうか。その日見た夢は今までとは全くの別物だった。

 真紅のとても古い思い出。お父様に作られてすぐに、お父様の腕に抱かれた温かい思い出。お父様の優しい声、お父様の微笑み。夢のなかで、真紅は何日ぶりかに安堵する。

 しかし、真紅は気がつく。何かがおかしいのだ。お父様はじっと真紅を見ているが、真紅の顔を見てもあまり嬉しそうな顔をしない。真紅が笑いかけると、気がついたかのようにはっとして、笑みを返すのだった。

 お父様は日になんども真紅を抱き上げて、鏡の前に連れていった。

「真紅、見てごらん」

鏡には、ローゼンと、ローゼンに抱かれた真紅が写っている。

「美しいよ、真紅」

ローゼンは、鏡の中の真紅に微笑んだ。お父様はいつでも優しかったが、お父様が笑ってくれるのは鏡の前だけだった。

(どうしてお父様は鏡の前以外で笑ってくださらないのかしら)

 ローゼンが自分のことを愛してくれているのは間違いがないことだと思う。けれど、ならば鏡の前でなくても笑ってもいいはずだ。鏡の前でしか笑えない理由が、ローゼンにはあるのだろうか。

 最初は、真紅と共にいる光景が嬉しかったからだろうか?とそう思っていた。

 

 数日、その夢は続いた。お父様と真紅の穏やかな暮らしの夢。眠っている間は穏やかだったが、起きている間の眼球の痛みはどんどん酷くなっていく。水銀燈に腕を引き千切られた時のような痛みが、ずっと続いていた。

 その頃になると、もうジュンの声も、姉妹の声も何も届かず、じっとして痛みが去るのを待つばかりだった。

 

 最初の日から十日ほど過ぎただろうか。ふと気がつくと、今までの痛みが嘘のように消え去っていた。いままであり続けた痛みがないというだけで、体は羽のように軽い。

 真紅はおずおずと鏡に向かって、自分の顔を覗き込む。一見何の問題もないように見える。念のために、指で触れて確認しようとすると、加熱しすぎた牛乳の上に貼る膜のようなものが指に張り付いて、何かが流れ落ちる感覚があった。

 はっとして鏡を覗き込むが、なぜか、鏡は何も映してくれない。この手に張り付いた、透明な物体は一体なんなのだろうか。

 

「真紅」 

鏡から声がする。それは、聞き覚えのある声だった。数歩後退りして、まじまじと鏡を覗き込む。そこには、鏡に写る自分の姿の代わりに、遠く離れたローゼンの姿が写っている。ローゼンは、うなだれながら真紅に声をかける。

「真紅」

「……お父様」

真紅は、強烈な恐れを感じながら鏡を見つめる。

「真紅、私が見えるか?」

「ええ、お父様。はっきり見えます」

ローゼンはうなだれたままで、その表情はうかがい知ることができない。

「真紅……なぜ」

「……?」

「私は、もうお前の顔を見ることはできないのだよ」

 ローゼンはその顔を上げる。微笑む口元、病的に青白い肌。

 

  真紅はその時理解する。なぜお父さまは鏡の前でしか笑ってくださらなかったのか。それは、鏡に写った時しか真紅を眺めることが出来なかったからではないのか? なぜなら、それは……

 

「せっかくお前に上げた私の眼を、どうして潰してしまったんだい?」

 ローゼンは、変わらず優しい微笑みを浮かべている。

 その左目のある場所には、夜の闇よりなお黒い、虚ろな眼窩が浮かんでいるばかりだった。

 

 


 
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