≪数日前/孫仲謀視点≫
袁術との交渉に失敗したのだろう、駄目で元々という風情でやってきた馬孟起達だったが、やはり失意は隠せないようだ
私のような世間知らずですら、この時点で涼州に与する事がどれほど危険であるかは理解できている
私がそう思うくらいなのだから、姉樣や公謹、それに張勲が首を縦に振るはずがないのだ
この点については、公謹がこのように評していた
「恐らく諸侯の大半は心情的には涼州の味方でいたいとすら思ってはいないでしょう
政治的にも心情的にも、涼州は今回、あまりに潔く中立を貫きすぎました
中立を保ち立ち続けるには、その周囲に対して自分達が中立であることの理を知らしめる必要があります」
姉樣の親友として、私の師として、公謹は色々な事を伝えようとしてくれている
「ですから覚えておいてください
一見中立を保ち傍観に徹するというのは、潔い態度に見えます
しかしそれは己に実力があってこそなのです
涼州は諸侯最強と言える騎兵を擁しているからこそ、今回の立場に打って出ています
しかしそれはいざという時に誰も味方になってはくれぬ立場を選んだ、という事でもあるのです」
政治とは子供の殴り合いではない
単純な力だけで決まるなら苦労はない
これは常に公謹が口にしている事でもある
その意味を考えた場合、涼州は…
いや、馬孟起は潔い態度でいすぎたのだ、という事だ
似たような事を詮議で公言していた曹孟徳や公孫伯珪、劉玄徳といった面々は涼州のような的にされてさえいない
公謹はこれをこのように分析していた
「華将軍に槍をつけた劉玄徳やそれに協力的だった我らや公孫伯珪、曹孟徳といった面々を公然と非難することはあちらにもできぬのですよ
それをやってしまえば、陛下が本当に傀儡だと諸侯に公言する事になります」
頷く私に公謹は説明を続けてくれる
「同様に、袁本初の後を引き継いだ袁術を公然と罰する事は、漢室への忠義を公言している事を認めないという事です
大半の諸侯の手勢が少数であったことも、これを有利に位置づけています」
なるほど…
政治的状況によっては大軍は逆にまずい場合もあるってことね
「そして、兵を領地に帰して陣客となった彼らと違い、涼州のみは兵馬を留め置きました
これでは同情のしようも庇いようもない
自業自得というものです」
言葉通り、公謹の瞳には一切の同情はない
と、姉樣があっけらかんと茶々を入れてきた
「ま、誇りは大事だけれど、どうしても譲れないものでない限り、それは捨てちゃってもいいものなのよ
本当に大事なものがなんなのか、それさえ忘れなければね」
姉樣の言い草に文句を言おうとしたのだけれど、その瞳は全然笑っていなかった
思わず言葉を飲み込んだ私の耳に、公謹の苦笑が聞こえてくる
「そういう事だな
涼州が本当に天の御使いなどというものを認められない程だとは私も思わんよ
個人的な感情は否定されるべきものではないが、それは信義や好悪といった“手を組めるかどうか”の判断基準のひとつであり、政治の場では邪魔でしかない場合も多い
それを忘れないでください」
母樣亡き後、苦渋を舐め尽くして尚耐えている二人の言葉に、私は反論することすらできなかった
子供っぽい反骨心で返してはいけない、それだけの重みがあるのだ
私はその言葉に頷く事で、二人の期待に応えたい
そう再び誓う事になった
こうして日々、敬愛する姉樣と公謹から帝王学を学びながら過ごしている私が、それらを思い出しながら去っていく二人を見つめていると、姉樣がゆっくり歩きながら戻ってきた
「可哀想ではあるんだけどねー…
こっちも同情してられる身分でもないし、仕方ないかな」
「はい
領地が近ければまた事情も異なるでしょうが、私達とでは遠すぎます」
ちなみに、袁術に配慮し、私達は基本的にこういった会話は幕を払って雨や陽をよけるだけの機能しかない簡易天幕で行う事がほとんどだ
移動式の東屋みたいなものだと思ってもらえばいいと思う
姉様の言葉にそう答えると、姉樣は苦笑しながら酒壺に手を伸ばす
本当は見逃してはまずいのだけど、多分かなり心労も大きい会談だったと思うので、たまには見逃す事にしよう
「まーね
江賊に対する苦労があっちには判らないように、五胡がどんなものか私達にも判らないしね
そこを語られても話には乗れないわ」
結果として似たようなものだろうけどね、と言ってぐいぐいと飲み始める
姉樣が戻ってきたことですぐに公謹と公覆もやってきたのだけれど、既に手遅れなのを悟って公謹は私を非難するような視線を送ってきて、公覆は一緒になって飲みはじめてる
「寿成殿の娘ご達は、武人としては見るべきものがありそうじゃったがのう」
お酒が飲めるとあって機嫌がよくなった公覆は既に止まりそうもない
その言葉に姉様も頷きながら答える
「そうねー…
戦場ではかなり面倒かも
ちょっとやってみたくもあるけどね」
姉樣がそう言いながらぺろりと上唇を舐めている
あの癖が出るって事は、馬孟起は相当に強いのだろう
大抵はこういう時は公謹が嗜めるのだけれど、今日はちょっと違った
なんというか、この二人は非常に付き合いが親密で長いので、私や公覆でも判らないようなやりとりをちょっとした仕種や視線、空気でやったりする
そんな公謹がなんというか、イヤなものを見た、という顔で姉樣を見ているのだ
「おい、今度は何を思いついたんだ?」
吐き捨てるような口調で姉樣を睨みつける公謹に
「あら?
やっぱり解っちゃった?」
そう答える姉樣の笑顔を見て、なぜか私の背筋にも怖気が走った
(え?
なに?
この悪寒は一体なんなのよ!?)
どうせまたろくでもない事だろう、という感じで公謹が尋ねる
「どうせまた英雄殿の勘で思いついたんだろうからな
さあ、さっさと吐け」
これはいい肴ができたと目を輝かす公覆と対照的に、私のいやな予感はどんどん膨れ上がってくる
「私でも蓮華でもシャオでもいいんだけど、多分蓮華が適任かなと思うのよね?」
「だから、何がだ?」
「まあ、実際に機会を見つけて話してみてからなんだけど…」
「酒の肴としては面白いのですが、珍しく焦らしますな、策殿」
焦らす姉樣に詰め寄る二人と対照的に、私は居心地の悪さを感じて逃げようかと思案する
そんな私を嬉しそうに見ながら、姉様は言葉を放つ
「蓮華を天譴軍に嫁に出そうかなって思うんだけど、どうかな?」
何も考えてませーん、という感じで放たれたその言葉に、私の世界はその時完全に凍りついた
≪数日前/公孫伯珪視点≫
私は今は陣客ってことで、玄徳達と一緒にいる事が多いんだけど、知らない仲でもないので割と気楽に過ごさせてもらってる
そこは袁公路の配慮もあってか、私達は十分賓客といえる待遇で扱ってもらっていて、不自由は基本的にない
そこでまあ、先の詮議について評定をしていて、私の失態で子龍や士元に心配をかけた事を謝罪しながら、これから先について相談していた、という訳だ
もっとも、その事については逆に謝られちゃうんだけどな
結論としていえるのは、これは玄徳が言うように私達は最初の最初で間違ったって事だ
どうにかして洛陽に使者を送り込む努力はすべきだった
子龍なり雲長なりなら馬にも長けてるし個人の武もあるし、そういった配慮ができる程度に大人でもある
近くにいたんだし、私もそれを玄徳に相談してみるべきだった
そこを諦めてしまっていたのが失策だったと今では悔いている
そして、これからに関しては、恐らく数年は租税をあげられるが地位や領地は据え置かれるだろうと孔明が予測している
他の諸侯や豪族も、そのほとんどは租税を数年増加される程度だろうと言っている
これは、袁術本人は河北には影響力がないから、南方の豪族を引き剥がして河北に転封されると予想されるからだそうだ
「はわわ…
私達と袁公路さんが食い合いをはじめるのを期待される可能性は高いと思いましゅ」
袁家には重税を民衆に課しても尚贅沢は望めない租税を数年課す事で、表向きはその存続を認めるはずだ、という
相変わらずかみかみだけど、言っている事は正しいと思う
領地を“追われた”のならイヤでも耐えるしかないだろうけど、そうでないならそうそう我慢ができるはずがない
そうやって荒れたところで何かしら仕掛けられれば、今度こそ終わりという事だ
でも、私の処遇に手を加えない理由はそれとは異なると考えてるみたいだ
「あわわ…
伯珪さんのところは北方の異民族との小競り合いも多いので、あまり締め付けると益がない、と考えられると思いましゅ!」
士元がやっぱりかみかみしながら説明してくれる
なるほどなあ…
「じゃあ、私のところより余程厄介な状態のはずの涼州を的にした理由は一体なんだと思う?」
これに答えたのは以外にも玄徳だった
「ずっと天の御使いって人を見ていて思ったんだけど、あの人は最初から他の諸侯なんか相手にしようとしてなかったと思う
どういう理由かは判らないけど、涼州だけが敵だったんだよ」
確信をもって告げられたその言葉に、私だけでなく全員が驚愕する
いや、それはないだろ?
涼州を抜けられたら、即長安や洛陽が襲われるんだ
その壁を故意に痛めつけたって得はなにもない
そうのはずだよな?
「私も色々と人物を求めて旅はしておりましたが、わざわざ西の田舎にまで足を伸ばそうとは考えておりませんでしたからな…」
子龍がそう呟いて溜息をついている
漢中には一度足を伸ばしたんだそうだが、鎮守府下に入る際に城門で武器を取り上げられる事が伝えられたため断念したのだそうだ
街道や関所や邑の様子などは孔明と士元に請われるままに伝えているらしいが、漢中の豊かさが伝えられる程度だと言っている
排他的、というのではないようなのだが、邑だと旅人と積極的に接触するような感じではないらしい
宿場街というのもあるそうなんだが、そこでは突っ込んだ話になると会話を濁されるんだそうな
鎮守府下以外の全体的な気風として
「ここで一緒に暮らす気がない人に余計な説明はしないよ」
との農夫の言葉があるようだ、と子龍は言っている
腰を据える気がない人間には説明しても理解してもらえないだろう、という感じだったそうだ
なので仕官先としては、善政を敷いてはいてもかなり息苦しいだろうと考えたとの事
「今思えば、愛槍を一時手放しても鎮守府下を見ておくべきでしたな…」
そう呟く子龍に、玄徳がさらりと答える
「これからでも間に合うんじゃないかなあ、それ」
『え?』
全員の視線を集めた発言の主は、ほややんと笑いながら告げる
「どうせ旅人だって訪問だって、肝心なところは見せてもらえないだろうし、だったら堂々と見に行ってもいいんじゃないかな、と思うんだけど」
洛陽で処遇が決まってからだけどね、と笑う玄徳に全員が絶句している
いや、なんというか、本当に化けたよな…
昔から、一見的外れなのに後で考えたら正解だったっていう発言が多いとは思ってたけど、磨きがかかってきてるというかなんというか…
私達はほやんとしている玄徳を他所に目配せを交わして頷く
私は友人、他は臣下としてっていう差はあるけど、今の玄徳は信じるに値する何かを持ち始めている
だったらそれに従ってみるのは悪い事じゃない
そう思って声をかけようとした時に、天幕の外から声がかかった
「失礼します!
只今涼州の馬将軍がお連れ樣と共にお越しになりました
玄徳樣と伯珪樣に面会を申し込んでおられます!」
私と玄徳は目配せをして頷くと、面会を受諾する旨を伝える
私にとっての洛陽までの道程はまだまだ長いみたいだ
≪数日前/劉玄徳視点≫
私達と馬孟起さん達との会談は、残念な事に決裂という形で終わる事になった
理由は色々とあるんだけど、結論を言えば馬孟起さんの主張に同情はできても納得ができなかった、という事になると思う
今も一生懸命涼州の方針とか考え方とか立場とかを説明してくれてて、それはすごく有難い事なんだけど、やっぱり納得しきれない
私が納得しきれないのは、どうして“天の御使い”を認めてあげられないのか
この一点に尽きる
私は劉姓で靖王伝家があるから表向きは漢室との縁を語れるけど、靖王伝家がなければそんな事を言う事もできないような出自だ
今この胸にある大望を志すまでは、筵を編んだりして生計を立てていたくらいだし
そんな私にしてみれば、肩書きなんて別にそこまで言う事のものじゃないんじゃないか、と思う
その肩書きで民衆を騙してみんなを苦しめている、というなら、それは確かに許すべきじゃないと思うんだけど、少なくとも今回の場合は違う
先に拳を彼らに振り上げたのは、私達諸侯連合であり、本初さんなんだよ
そして、あくまで策でもあるんだろうけど、普通なら関に拠って力で防衛するところを、一番流血が少ない方法で解決しようとしたのも相手の側
それを馬孟起さんは
「どこの馬の骨とも知れない、如何わしい奴が陛下の傍らで“天の御使い”などとでかい顔をするのは間違っている!」
そう言っている
それを言うと私だって同じようなものだし、孟徳さんだって宦官の孫という事で認められないだろうし、本初さんだって妾腹だからってことになる
認めた上で、御使いさんの悪い部分を指摘するなら私は多分、悪い部分があるかはともかくとして、お手伝いをする事は吝かではなかったと思う
だから私は協力を断るしかない
他の諸侯や豪族の人達が利得で断るのとは理由が違う
相手を観て会話する事を放棄している以上、私はそれには協力できないんだ
私がはじめて遠目ではあっても御使いさんを見た印象は、正直にいえばあまりいいものじゃない
私達に対する悪意を隠そうともしていないんだから、印象がいいはずがない
ただし、私達は問答無用で拳を振り上げた立場なんだから、善意をもって見てくださいというのも間違っている
つまり、お互いに相手の評価を悪くした状態で会話をしなくちゃいけない、というのが今の状態だ
そして、胡散臭いものは認められない、観る価値も話す価値もない、と強弁する以上、私ができる事はなにもないんだよ
そう思って悲しい気持ちで馬孟起さんを見ていると、隣にいた子が私に話しかけてきた
えっと…
伯瞻ちゃんだっけ?
「あの、玄徳樣!
お姉さ…いえ、孟起はあのような感じで言葉が足りませんが、本当に皆様の助力を必要としています
どうかご一考願えませんでしょうか?」
必死な顔で精一杯の言葉で伝えてくる伯瞻ちゃんに、私は首を横に振りながら伝える
「気持ちは解るけど、今の涼州には私は何もしてあげられないよ」
「それは、涼州が諸侯連合で中立を宣言したからでしょうか
それとも…」
私はそれにも首を横に振る
「今の馬孟起さんは、会話をする気がないからだよ」
私の言葉に伯瞻ちゃんは首を傾げる
「お話を聞いていて思ったの
今の孟起さんは、自分はこうだ、自分達はこうだ、ただそれだけを必死に言っているの
私達の立場は置いておくとして、相国さんや御使いさんとは、もう話をする気もないよね?」
おずおずと頷く伯瞻ちゃんに、私は告げる
「だから私は協力はできないよ
相手を認める事も、会話をする事も考えていない人と、今の私は相容れないから
これが
『相手を認めて会話することで涼州の立場を陛下やみんなに理解してもらいたい』
という事なら、私は全力で手伝うし、利益なんか考えない」
口篭る伯瞻ちゃんには悪いとは思うんだけど、これが私の本音
だから私はしっかりと、私の意思が伝わるようにもう一度告げる
「孟起さんの頭が冷えて、もし御使いさんや相国さん、陛下と“きちんと”お話ししたい、という事になったならもう一度私を尋ねて?
その時には私は全力で、例えみんなに反対されても協力を惜しみはしないから
そこでもし陛下達が理不尽な事ばかりを言うようなら……」
私の意思が伝わったのか、それとも会話にならないと見切りをつけられたのかは判らないけど、伯瞻ちゃんは私の言葉を聞いて孟起さんの袖を強く引いた
「お姉さま、行こう」
「…っ!?
でも伯瞻!」
「……いいから
とりあえず行こう
お姉さまには後で話すから」
伯瞻ちゃんの言葉に渋々と従って、それでも礼は欠かさずに去っていくふたりを見送って、愛紗ちゃんが呟く
「あの錦馬超が、と考えると、いささか冷たかったような気もしますな…」
愛紗ちゃんの言葉に鈴々ちゃんが応える
「とは言ってもなー……
あれではどうにもしてあげられないような気がするのだ」
鈴々ちゃんの言葉に私も頷く
「みんなが笑顔でいようと思うのなら、相手を殴るつもりでいちゃダメなんだよ
だからそれが解ってもらえたのなら、その時には……」
みんなが、そして伯珪ちゃんも、私の言葉に力強く頷いてくれる
愛紗ちゃんが再び、でも今度はしっかりと言葉にしてくれた
「そうですな
我らが掲げる理想は険しく厳しい
だからこそ…」
力は必要、それは事実
でも、力を誇示する前にまず何をするべきか
まだ始まってすらいないけど、私達の理想はそこからはじまるはずだから
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