黄金を縛る第四の糸
舟幽霊に先導されて行く道には、方向音痴の僕にでも見覚えがある。
何故なら、いつも放課後には通っている道だからだ。
そう、それは生徒会尖塔への道。一瞬、案内が間違っているのではないかと不安になる程に意外だった。
「……しかし、杪に大事なことを聞くのを忘れていましたね」
塔の真下まで着いて、もう案内の必要もない。会長は歩調を緩めて言った。
「と、言いますと?」
「杪は、筒ヶ内さんの霊力を探っていた筈。なのに、退魔器を出して行けと言った。少しおかしくはありませんか?」
「いえ、だってそれは、相手が些希さんと一緒に……」
「何故、彼女をさらった相手。恐らくは悪霊を、杪は探知出来なかったのでしょうか」
はっ、と気付いた。そういえばそうだ。
些希さんの存在感は人並外れて低い、だから今まで見つけることが出来なかった。
でも、その理屈をこの事件の犯人にまで当てはめることは出来ない筈だ。
「思った以上に、厄介なことになっているかもしれません。危険と判断すれば、いつでも逃げ出す心積もりを」
長い螺旋階段を上りきり、会長は扉のノブに手をかけた。
「……はい。副会長達と合流してから、もう一度ですね」
そんな悠長なことをしていて、逃げられないか心配だったが、今は仕方がない。
会長は僕の返事を確認して、一気にそれを開けた。
同時に剣を構え、油断なく部屋を見渡す。剣道でいう、八双の構えを取っていた。
僕も後ろから部屋の中を伺うと、一人の男子生徒が居た。
ぱっと見た感じでは些希さんに気付かなかったが、よく見てみると、ベッドに寝かされているらしい。
その男子生徒からは、生気が感じられないし、些希さんと同じ様にその存在感もあまり感じられなかった。
幽霊。人に害を為しているということは、悪霊と呼んで良い存在の様だ。
「……元、この学校の生徒ですか。会話は出来ないものと判断して、構いませんか?」
相手の様子を見て、会長は話の通じる相手かどうかわかるらしい。
その言葉通り、向こうは何も反応を返さない。
ただ、自衛はするつもりなのか、会長の剣がぴくりと動くと、構えらしいものを取った。
右手を前に突き出し、左手は人差し指だけを立て、それを曲げて釣り針の形にする。
――そう、まるで銃の引き金に指をかける様に。
「会長――!」
同じ退魔器を持つ者として、相手の退魔器が銃だということには簡単に想像が行き着いた。
程なくして、銃声と共に鉛ではなく、霊力で形作られた弾丸が放たれる。
「真っ直ぐに心臓。つまらない軌道です」
銃弾が会長に向かって放たれたのだとわかった時には、既にその弾は消えてしまっていた。
会長の剣の構えは、数秒前と同じだったので何が起こったのかわからなかったが、会長が銃弾を剣で斬ったと考えて間違いはないらしい。
「では、神に祈りなさい」
右袈裟に、黄金の剣が降り下ろされた。
空気を削り取る様に剣は進み、悪霊に当たる直前、というところで敵の右手に握られた、もう一つの退魔器――短剣、カトラスによって阻まれた。
だが、それは程なくして中ほどから折れてしまう。
最強と謳われる会長の「神罰の剣」による攻撃を、完全に防ぎ切ることの出来る退魔器など存在しないのだろう。
それでも、剣の軌道は逸れてしまった。それを修正して、会長は再び剣を振るう。
今度は左から右への払い。首をその切っ先に捉えた、凄まじいスピードの一撃だ。
次の瞬間には剣は振り切られていて、しかし、悪霊はダメージを受けている素振りはなかった。
すんでのところで後方に飛び退いたらしい。
「好都合ですね。河原さん、踏み込みますから、後方から援護を」
「はい――」
と返事をする頃には、もう会長は動き始めていた。
慌てて右に動いて、狙いを付ける。僕の銃の特性から考えると、足を狙って足止めを狙うのが一番だろう。
銃で剣を受け止められるとは思えない、腕の動きを抑制するのは、会長の身体能力を考えると意味は薄い。そんなことをしなくても、弾も銃本体も叩き切ってしまいそうだ。
会長の振り上げた剣が、鈍い音と共に空を裂く。今度の速攻には、相手も反応し切れなかったのか、体の一部が千切れ飛んだ。とはいえ、霊体なのでそれほどダメージはない。
悪霊は敵わないと判断したのか、更に後ろに下がろうとする。窓から逃げ出すつもりなのだろう。
その瞬間を狙い、僕は引き金を引いた。
狙いは左足。
過たずに弾は命中して、動きが止まる。
「カーテンフォールです。祈りを胸に、神の下へと還りなさい」
相手に逃げる術はない。そして、会長の剣を止める方法はない。
ゆっくりと、相手に祈りの時間を与える様に会長は歩み寄り、剣を最上段に構えた。
時代劇で見る、切腹の介錯人の様だ、と思った。
会長の退魔器の名前は、「神罰の剣」。神々しい武器の姿に因んで付けられた名前の様に感じるけど、神に代わって悪霊を裁く、そんな使命を暗示させる名前なのかもしれない。
剣が、振り下ろされる。
もし相手が銃で反撃に出ようものなら、それを逆に撃とうと僕は構えたが、そのつもりはないらしい。左手はだらりと下げられている。
――そう、左手は。
光輝く黄金の剣が、一条の光の様に悪霊に向かってその刃を食い込ませる。その瞬間になって、剣身に絡み付く物があった。
糸……いや、それよりずっと太い。
一本の太いザイルの様な鉄のワイヤーだ。
本来は硬質な筈のそれが、しなやかに剣に絡むと、それを取り上げる様に、会長とは逆方向に引かれて行った。
その根元は、観念したかの様に見えた相手の右手にある。
いつの間にかに、その人差し指にワイヤーが指輪の様に巻かれていた。
だが、急な事態にも会長は冷静に対処する。無理に剣を引っ張り返そうとはせず、簡単に手を離して、相手がその反動で仰け反る瞬間を狙って、左腕に巻かれた鎖を射出した。
楔が悪霊の右手首に打ち込まれ、その動きを縛る。
その隙にまた一本、鎖を伸ばして剣を奪い返した。ワイヤーは相手の右手が封じられたことによって解かれている。
「いくつ退魔器を持っているんだ?」
僕は無意識で呟いていた。
普通、退魔器というのは一人に一つしかないものだ。
時には双剣や双銃、もっと特殊なケースだと、会長の様に剣と数本の鎖と、複数の武器が現れることもあるが、こいつは今まで三つもの武器を見せている。
しかも統一性のない、ばらばらのものだ。
これはあまりにもおかしい。
「恐らく、いくつでも持っているのでしょう。現にこれは、筒ヶ内さんのものを彼なりにアレンジした結果……ピアノ線を何十本と編み上げてワイヤーを作り、更にそれを何本も使ってザイルを作った……残りの霊力を全て注ぎ込んだ最後の足掻きでしょうが、付け焼刃は私には通用しませんよ」
会長は鎖を悪霊に打ち込んだまま、今度は振り被ることもせず、剣を相手の体に滑り込ませた。
剣は霊体の体を突き進んで行き、それを静かに壊す。
霊の最期というのは、どれも無音だ。
「つまり、だ。もえたん無双じゃね?」
部室に帰って、杪さん、副会長、冰さんに全てを話した結果、返された言葉がこれだった。
「え、えーと……」
「あたしは期待してるーとか、散々発破かけてた覚えがあるんだけどねぇ。やってることが昨年度と変わらないっていうか。ま、多少は役立ってたかも、ってのは認めるけどね」
それさえ否定されていたら、いよいよ僕は無能認定されてしまうところだった。
「で、今回のMVPであるもえたんは、些希たんを運んで保健室、ね」
「なんでお前が運ばなかったんだよ」
副会長から容赦の無いツッコミが飛んで来る。
くっ、完全に僕がアウェーだ。わかっていたけども。
「迅速な治療が必要なぐらい、些希さんが精神的にダメージを受けてたから、です」
これも事実。
悪霊に物理的なダメージを与えられることはないが、その攻撃を受ければ精神は大きな打撃を受ける。
そうして精神を傷付けられたままだと、退魔士としての力が弱まるだけではなく、神経衰弱や廃人状態さえ巻き起こしてしまうと言われている。
「確かに、退魔器を出していればもえたんの身体能力は上がって……あれ?」
「萌さんは、瞬発力は高くてもそれほど走るのが得意じゃなかった様な」
冰さん、その事実については触れて欲しくなかったです。
「その、僕じゃ些希さんを抱えて上手くは走れなくて……その、失礼だけど、重くて」
「もやしが」
「弓道DQNに言われたくないです」
あ、久し振りに心の声が出てしまった。
「おま、弓道舐めんな弓道!将来はアーチャーのサーヴァントとして召喚されるかもしれないんだぞ!」
「死亡フラグ建設要員にはなりたくないですよ……常識的に考えて」
おっと、まただ。最近絶好調。
「まあ、それは良いんだけど、ウチの学校にんな悪霊が居たってのは、なんとまあ、穏やかじゃあないね。しかも比較的新しい霊だろうに、吸収能力まで持ってるとは」
「吸収、ですか」
会長もそんなことを言っていた。
「イレギュラーもイレギュラー、突然変異種の類とも言えるかな。他の霊体を取り込み、強くなる、というのは全ての悪霊について言えることだけど、たまにその能力まで奪い、自由に使える様になるのも居るんだな、これが。でも数は相当少なくて、一人の退魔士が一生の内に一度会うか会わないかぐらい……んー、学生の時点でそれを経験するとは、あたし達はなんというか、ツイてる、みたいな?」
なるほど。杪さんは家が神社、専門家なのだから知っていたのだろうが、二年生二人の様子を見る限りでは彼等も初めて聞くらしい。
それなら僕が知らないのもおかしいことじゃないだろう。
「ただ、相手がどれほどの悪霊だったかにも寄るけど、問題は些希たんがどれぐらいのダメージを受けたか、だな。下手すると、数ヶ月、数年というレベルで退魔士としての力を失うっていうから」
「そんなになんですか?」
この学校では、ペーパーテストの点数より、退魔業の成果の方が重要視される。数ヶ月でもそれが出来なくなると、留年はほぼ確定してしまうだろう。
そして、退魔士学校を留年するということは、社会に出てからの退魔士としての評判を大きく傷付ける。
今回の事件だけで、些希さんが未来を断たれかねないかもしれないというのは、大きな衝撃だ。
「だから、完全に相手の強さ、些希たんの資質次第なんだけどね……何分、あの娘はその、気が読みづらい訳だし、精神力の絶対量がわかってないから、今の時点じゃ何とも言えないんだよ」
「そうですか……」
それ以上、誰も言葉を続けられず、部屋がしんと静まる。
春なのに、少し肌寒く感じられるのは、最近よくある異常気象の所為ではないだろう。
「で、そういえばもう一人、生徒が失踪してたよな。それは見つかったのか?」
沈黙に耐えかねてか、やっと副会長が声を出した。
本当にそういえば、その話を忘れていた。
「はい。些希さんほど衰弱してなくて、僕が肩を貸せば普通に歩ける程度でした。詳しく話は聞けてないんですけど、悪霊は自分に特別な感情があった訳ではなかったみたいだ、と言ってました」
「力を付ける為に、とりあえず手軽なところを襲ってみた、って感じかな。霊から見れば、ここの学生は皆ご馳走らしいからね。だから、昭和に退魔士学校を設立するとなった時、結構な反対意見も出たんだよ。結局、教員と生徒の代表がしっかりと管理すればいいでしょう、という形に収まったのは結構最近だったかな。ちなみにウチのお母様なんかも、反対派だったり。元、退魔士学校の生徒だから結構なムジュンだけどねー」
「へぇ……」
普段はそう見えない(失礼)のに、やっぱり杪さんは博識で、誰よりもこの世界のことに詳しい気がする。
こういう面を見せられてからでは、知識の象徴である本が退魔器、というのも素直に頷ける。
「さて……んじゃ、一応あたしと森君の口から先生方に事件の収束を伝えに行こうず。冰たんは、風紀委員会とかその辺りにお願い。今回、地味に一番の功労者だし。で、河ちゃんは些希たんンとこに行ってあげな。素人が専門的な治療の場に居合わせても意味ないけど、お互いの心のことを考えたら、それが一番でしょ?」
「……!ありがとうございます!」
「いやいや、そういうのは良いって。あたしだってその辺りの空気は読めるんだぜ?」
杪さんには、本当に初日からお世話になりっぱなしだ。
今度、何かをお礼させてもらわないと。
僕はもう一度、深くお辞儀をしてから、保健室に向かって走った。
「おい馬鹿。保健室は逆の方向だぞ」
うん。副会長、その指摘は嬉しいけど、KYですよ。
些希さんが目を覚ましたのは、日がどっぷりと暮れてからだった。
しばらくして話すだけの体力を回復した些希さんは、今回の事件の主犯たる悪霊と、自身の関係を語ってくれた。
堂島忠也は、些希さんの幼馴染で、数年前、この学校で命を落とした。
彼は悪霊によって飛び下り自殺をさせられており、退魔士としての才能に恵まれていた彼は、自身もまた悪霊となってこの学校に残り続けていた。
そうして、自分を殺した悪霊への復讐の想いから、吸収能力を得たと推測される。
が、既に自分の仇の悪霊は祓われており、いつしか復讐の対象は学校そのもの、更にその想いはもっと私的なものへと変わって行き、今回の事件は大半が私怨と、人としての復活の願望が引き起こしたものだった。
写真部のフィルムは、自分の生前見た景色をもう一度見たいという願望。
杪さんを転落させたのは、自分の死を想起させる彼女の飛び下りという行為への苛立ち。
些希さんをあそこまで衰弱させたのは、幼馴染の独占欲、だろうか。
どんな人間でも、死んでしまうと酷く身勝手になり、欲が暴走してしまうという。
もしかすると、忠也は生前から些希さんに行為を抱いていたのかもしれない。それが今では歪み、彼女を苦しめる結果となった。
……悪霊は元は人間で、悪の心だけを持つ怪物ではない。
僕は、初めてそれを真の意味で認識したのだと思う。幸い、些希さんの症状は比較的軽度のもので、退魔業にも支障は出ないというのに、気持ちが晴れなかった。
霊と関わって生きて行くということは、これからも何十、何百回とこんな経験をするのだろうか。
そうなった時、僕は自分を退魔士だと堂々と名乗り、自分の仕事を人の為だ、と言い切ることが出来るのだろうか。
そんな疑問が、心の中に残った。
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