圧巻だった。
八百と報告されたが、それ以上であることは間違いない竜騎兵が、ゆっくりと、そして整然と夜の砂漠を渡っている。
先に村人を避難させて正解だったとザバは一人思った。
「金を取るか、命を取るか。選択すべきかもしれんな」
「アザラでは二度と雇ってもらえないだろうが」
「だが命には代えられない。傭兵の受け皿はどの国にもある」
「しかし……」
余裕を見せつけるかのように足並みを揃え、ゆっくり行進するラファールの竜騎兵を遠くに見ながら男たちが囁き合う。
それをさらに後方から見るザバにはそんな男たちの会話が聞こえるはずもなかった。
「どのような策も数で圧倒されそうだな」
隣に立つメルビルはザバの心中を見透かしているようだった。
「しかしまあ、ここで一番に逃げ出しては職を失うことになります故、少々悪あがきさせて頂きます」
メルビルの顔も見たくないと言ったアルディートは前方の傭兵たちの中でザバの作戦に従い、時を待っていた。夜の闇に包まれていても、それに溶ける黒い髪と黒い肌を持っていてもアルディートはその存在を誇示している。
故にメルビルはアルディートを容易く彼らの中から見つけ出すことが出来た。
一度視線を落としそれからその彼方に転じる。
「――国中の走竜をかき集めたか」
「それほどラファールは飢えているので御座いましょうか」
「ここ二年の不作に重い腰が上がったのだろう。いや、ラファールの王は腰抜けだという噂を耳にして激怒したのかもしれぬ」
「それもご老体からの情報でございますか?」
チラリとメルビルがザバを見る。
「そうだ」
名を隠すつもりがあるのかないのか、ザバは思わずフォローしてしまう。
「……彼らに隙がありますならば、温度差の激しい砂漠を渡ることによる体力低下と、それを補うために身につけた何枚もの服でございます」
「動きが鈍いと?」
「戦前に脱ぐか、気が付かねば剣が交わる中脱ぐことになりましょう」
「戦の最中に着替えか。ラファールの服飾は面白味がないからつまらんな」
ザバが苦笑する。
「それに少々の混乱が加味されれば最初から諦めることもありますまい」
ザバの胸の内の秘策にメルビルは眉をひそめた。だが自分が王とて、この砂漠に関する限りザバやアルディート、それに傭兵たちの方が詳しい。村人たちと比較しても同様であろう。
「どうぞ御覧下さいませ」
暗に観戦だけにして欲しいという願いが込められていた。
メルビルはそれに無言で頷いた。
傭兵たちの働きを見、ラファールの真意を感じ取るならばここから見ているだけでも充分である。万が一自分が命を落とすことが出来ないと言うことは分かっている。
風が吹いた。
後方から敵に向かって、砂漠の海を渡る風だった。
その中に聴覚を刺激する何か獣の咆吼のようなものが微かに混じり始めた。
そして走竜が疾駆する音。
その咆吼は左右から敵味方の隔てなく包み込むように聞こえてくる。
(何だ……?)
委細を知らされていないメルビルは闇に目を向けた。
その中に赤い光点が、十、二十と点滅しながら向かってくる。
(ワームか。ワーム使いがいるのか……?)
操ることがあまりに危険な為、近年ではワーム使いの存在は確認されていない。足一本の長さが大人二人分もあるムカデに似たワームは砂漠に棲む唯一の生物である。普段は砂漠に点在する植物をエサにしているが、ひとたび猛り狂うと走竜であれ人間であれ魔窟のような口でひと飲みにするか、鋭い歯で咬み砕いてしまうのだ。
走竜であってもひと咬みで胴が真っ二つになってしまうのである。人間などひとたまりもない。
そのワームを使おうと言うのである。
過去に存在した偉大なるワーム使い・エリファドでさえ、猛り狂ったワームを敵にのみ向けるというのは至難の業だったと言う。故にラファールにとってはこれ以上の敵はないが、アザラの傭兵たちにとってもワームは味方ではない。無論、エリファド以上のワーム使いがいるならば話は違うが。
「アザラにワーム使いはいないと思ったが」
「その通りでございます」
ザバの返答にメルビルは怪訝な表情を見せた。
「我々はワームの棲処を知っているのみ。ワーム使いはおりません」
心配性のオルトローフならば気を失ったことだろう。
「少々ツツいて起こしたのですが、どうも寝起きが悪うございますな」
そう言って笑うザバこそ暗黒神に見えた。
「――奇策だな」
「秘中の秘、でございます」
傭兵たちの腕を信頼しているからこそ実行に移せる作戦だった。これが正規軍ならば、各々の実力差があるため実行を検討することも出来ないだろう。
咆吼とともに地鳴りのような音と振動が跨った走竜を通して伝わってくる。
人影がはっきり視認出来るほど接近してきていたラファール軍はどよめいていた。ラファールに近い砂漠ではワームは見かけないからだ。それほどラファールの大地は痩せ衰えている。
火山の噴火のように大量の砂が天に向かって吹き出し、その中心に巨大なワームが身をくねらせていた。
(ワーム――)
初めて見た者はその大きさ、恐ろしさ、おぞましさに硬直してしまうと言う。
メルビル自身、幾度がワームを見たことはあったが遠方からであり、またこれほど巨大なものを見たことはなく、瞬間、息が止まる。
傭兵たちにしても見慣れているはずのワームであったが、これほどの数と暴れぶりに呆然としてしまった。
「出るぞ!」
その中で唯一人己を失わぬアルディートは暗黒神の化身であるのかと思わせた。叱責するようなアルディートの口調に傭兵たちは冷静さを取り戻し、ワームをここまで導いた仲間の勇敢さを心の中で賞賛し、自らは剣を取り走竜に騎乗した。
「大将の首を取れ! ザコはワームに任せておけ!」
真っ先にアルディートが飛び出した。
地に潜り、天に跳躍し、砂漠を這い進むワームは数メートル先の人間を風圧で圧倒しバランスを崩させ走竜から叩き落とした。
それを目ざとく見つけたアザラの傭兵がとどめを刺す。
これこそ悪どい手口だったが、数の絶対的不利を穴埋めするには有効だった。それにラファール兵と同様にワームの驚異にさらされるのである。有利と不利は紙一重だった。
「ピークを過ぎた老傭兵たちとは思えぬな」
「乗り手は老いておりますが、走竜は若うございます」
「騎手は手と頭を使えばよいか」
「バシューなどは頭ではなくカンだと申しますが」
戦況をじっと見つめるメルビルの瞳は鋭かった。
傭兵を雇うという事を隣接する国々の中で真っ先に実行した王が、その正しさを証明する戦いを見ていた。
不意に、その足が走竜の腹を蹴った。
「陛下!」
思わずザバは叫び、自らも走竜を走らせた。
回りに人がいなかった事を幸いに思いながらも走竜を横に並ばせメルビルに問う。
「如何なさいました」
「おまえの弟は己の命より部下の命の方が大切らしいな」
「――――?」
「あやつ、部下が敵に囲まれた事を見てフードをとったぞ」
夕刻前、水場での事があったため、今は茶に染めていないのである。それは敵の誰もが我こそは討ち取りたいと考える、アザラの暗黒神の証だった。
二人はすぐに混戦の中に入り込んだ。
メルビルは言うまでもなく、ザバも久しく腰の剣を抜く。
ラファール兵はワームの恐怖に襲われながらも、噂に名高いザバを見つけると目の色を変えて襲いかかってきた。
「おまえも有名人だな。弟に負けず」
「一番弱い者から殺してゆこうという算段のようで」
「それがおまえか?」
「はい」
躊躇わず肯定したザバに、敵から視線を逸らさぬままメルビルが声を上げて笑う。
「戦いの渦中に笑わせられるとは、なるほど異才の持ち主だな」
メルビルは傭兵たちすら感嘆する術で走竜を操り、敵をなぎ倒し目指す青年の元へ向かう。――あまりにも無鉄砲なアルディートの元へ。
「アルディート!」
混戦の中でさえその声は朗々と響く。
振り向いた自分に舌打ちし、敵にもこれほどとは思えぬほどの険しい瞳で自分の名を呼んだメルビルを見据えた。
「左から新手が来る。一旦退け!」
嫌っている人間の言葉を受け入れるかと危惧したが、それに左右されるほど無能な指揮官ではなかった。
アルディートが指示すると傍らの巨漢、ファルドが後退を始める。するとその周辺にいた見方の傭兵もじりじりと退く。まるで昼の戦の再生映像を見ているようだった。
そのただ中に走り、アルディートの騎乗する走竜に寄ったのは言うまでもなくメルビルだった。
「命が惜しくないのか?」
その問いにムッとした表情をし、
「惜しくないわけがないだろう」
「では何故自ら危険な真似をする?」
「おまえ……」
斬り付けてきた敵を死出の旅へと送ってから、
「おまえこそ命が惜しくないようだな。この場でオレが斬り殺しても敵にやられたと報告すればすむぞ」
「アルディート!」
そこに輪って入ったのはザバだった。
「ふん」
どうもこの男に対するザバの態度が気に入らない。そう言いたげに鼻を鳴らし、
「口にしてみただけだ。それに言ってもこいつ、どうせ恐がりもしないだろ。――足手まといだ、高見の見物でもしてろ!」
そうして走竜の腹を蹴ったときだった。
突然目の前の砂が盛り上がり、虫が飛び出してきた。
甲羅のような体は砂と同色であるが、今は怒りのためか甲羅の隙間から見える胴は赤い光を放っている。
走竜が前足を蹴り、高いいななきをあげた。
天敵であるワームが目の前で大きな口を開け、牙のような歯を見せたのだ。本能的に恐怖を感じたのだろう。
ワームは尾で砂漠の砂を叩き天に昇るように高くジャンプし、着地すると尾を左右に大きく振る。
それになぎ倒されて数十人という人間が砂漠に倒れた。
大部分の者が二度と起きあがれまい。
アルディートは走竜をなだめ走らせた。
メルビルもザバもそれに続く。
敵も味方もなくワームの脅威から逃げまどう。
砂漠に潜り、地中を移動しては突然地上に現れ人間たちを襲う。ある者はなぎ倒され、ある者はワームの血肉となるべく飲み込まれた。
巧みに退路を探し砂漠を疾駆する三騎の走竜だったが、その先頭が不意に脇にそれた。
「アルディート?」
向かう先は少々危険な方向である。
何があるのかと視線を巡らせると、そこにはラファールの将・ガストルが恐々たる思いで戦況を見つめる姿があった。
(討ちに行くつもりか――)
ワームの起こす砂嵐は姿を隠すに絶好であり、ガストルがアルディートの姿を認めた時には、すでに逃げられない至近距離にあった。
剣が交わる。
熱砂の上に長時間の死闘が繰り広げられるかと思ったが、後を追ってきたメルビルの姿を見た瞬間、ガストルは驚愕しアルディートの振るう剣を見失ってしまった。
「お…ま…え……は………」
それを最後にガストルは絶命した。
砂漠に崩れ落ちた体から鮮血がほとばしるが、それを待っていたかのように砂が一滴残らず吸い込み、後には綺麗な死体が残るばかりだった。
漆黒の髪を風になびかせアルディートはメルビルを見る。
ガストルが驚愕したのは暗黒神の化身たる自分ではない。その背後に現れたメルビルに驚き、隙をつくってしまったのだ。
――何者だ。
アルディートの問いは言葉になる前に消えた。
最上の獲物を見つけたとばかりに数匹のワームが三人に襲いかかるべく砂嵐を起こして向かってきたのだった。
「こいつをエサに時間稼ぎをするしかないな」
敵の大将を討ち取った場合、頭部もしくは全身を持ち帰るのが通例であるが、その余裕はなかった。血臭のする死体をエサとして置き去りにして、ワームたちの間隙をぬって脱出するより方法はない。
三人が三方向へ分かれる。
これでワームが集中することはないだろう。
傭兵たちの中では当たり前のことだが、メルビルの存在に万一があってはならなかった。
アルディートとメルビルがそれぞれの方向に疾駆を始めた時、ザバはまだその場に留まっていた。そうすることで死体と自分にワームの注意を向けておこうとしたのだ。
「ザバ!」
叫んだが戻ることは出来なかった。
今戻ればザバの思いが無駄になる。
(何か策があるに違いない――監査役を死なせるわけにはいかないからな)
そう思ってふと右前方を走っているはずのメルビル見た。運の悪いことに、行く手に遅れてやってきたワームが姿を現していた。
「チッ」
恐らくメルビルはワームの急所を知らない。
アルディートは方向を変えながら、あの男を助けたいんじゃない、監査役を死なせられないだけだ。そう自分に言い聞かせていた。
「こっちへ来い!」
狂ったように砂の海を泳ぐワームを相手にどうすればいいのか途方に暮れかけていたところへかかったアルディートの声だった。
迷わず走竜を走らせる。
すれ違いざま、
「太陽を背にして走れ、村に着く」
その言葉を残してアルディートはワームに向かっていった。
惑うようにメルビルがその場に止まった時、ザバが駆け寄ってきた。
「お早く。お節介なご老体を嘆かせますな」
「だが……」
「砂漠で育っております。誰よりワームを知っております。ご心配なく」
言うが鵜呑みには出来ない。
「だが――」
ザバが引きつけておいたワームたちが肉の奪い合いを終えると、新たな獲物アルディートを見つけたのだった。
メルビルの騎乗する走竜にザバがムチ打つといななき、疾駆を始めた。
その横をザバが固める。
無言だった。
しばらく走り、なだらかな丘で走竜を止め振り返った時、アルディートは一匹のワームを仕留めたところだった。
「触覚と目の間にある隙間がワームの弱点にございます」
宙に舞うアルディートの姿は親指ほどにしか見えない。
「大丈夫なのか?」
「全てを仕留めるわけではございません。今の一匹を貪る間に逃げられましょう」
ザバが安堵のため息を吐き出そうとしたが出来なかった。猛り狂うワームが尋常ならざる行動を起こしたからだった。
仕留められたワームには見向きもせず、疾駆するアルディートを追い始めたからだった。
(――――!)
走竜の速力とワームのそれを比べてもさほど差はない。だが戦いの最初からかなりの距離を走っている走竜は分が悪い。
差は少しずつ詰まり……アルディートを中心に取り囲むようにワームが位置した。
ピタリと風がやんだ。
痛いほどの緊張感が二人を包む。
「――ザバ! なんとかならんのか」
いつの間にか集まってきた数人の傭兵たちから声がかかったが、ザバは首を縦にも横にも振ることが出来なかった。
闇が薄くなりつつある。
夜明けが近い。
その時、どこからか轟々という音が響き、それを合図にワームが動き出した。
見渡す限りもう敵兵の姿もない。
散り散りに逃げ出したのだろう。
「ワームを分散させるぞ」
耐えかねたザバが傭兵たちに指示した。
その危険な言葉に異を唱える者はいなかった。
「監査役殿はこちらでお待ち下さい」
初めて耳にしたザバの強い口調に、メルビルは黙って頷いた。ここは彼らだけに任せた方が良いと判断したからだった。
サッと手を挙げ丘を駆け下った時、その場にいた人間は等しく信じられない光景を見た。
朝焼けの始まる少し前の空に漆黒の塊が現れ、轟々と風を唸らせ迷うことなくワームたちの中に降りていったのだ。
「――……飛竜…」
誰もが走竜の脚を止めて見入ってしまった。
見たこともない大きな飛竜だった。
その巨大な翼で風を起こしワームたちを砂上にひっくり返してしまう。
低い位置まで舞い降り、そして再び天に舞い上がった時、その脚に確かに人影が見えた。
「……アルディート?」
半信半疑だった。
一度、二度翼をはばたかせると、あっという間に彼方に消えた。
誰も何も言わず走竜の腹を蹴った。
飛竜の消えた方角、オアシスのある方向へと――。
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圧倒的多数で砂漠を渡ってきた敵竜騎兵。
どのような策をとれば光明が見いだせるのかと思えば、「奇策、秘中の秘」とザバは言った。
それは傭兵部隊ならではの策だった。
熱砂の海 4 → http://www.tinami.com/view/317559
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