No.317778

銀と青Episode4【揺り籠の庭園】

桜月九朗さん

赤は紅。それは罪を覆い隠す焔の揺り籠。
日常の仮面を被った魔女は、炎を揺らし荒ぶる神を目指して駆ける。人と偽りし荒ノ王よ、今その過去を償う時だ。

作品自体初見の方は銀と青Episode1【幽霊学校】からお読みください。

2011-10-13 20:27:32 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:629   閲覧ユーザー数:616

 夜の静寂、月光のカーテン、遠いネオンの灯。

 幼いころの私にとっては、それが普段の自分の世界を作り出す全ての光景だった。名も知れぬ町はずれの雑木林。夜の顔に切り替わる時に、私はあの光景を思い出す。

 昼間の温情な日常。それらを忘れ、一つの目的を達成するための道具をイメージ。人としての感情はいらない。余計な思考もいらない。必要なのは、ただ一つ胸の奥に宿る悲願を達成する為の身体。

 思考の揺り籠に包まれながら、私は空を見上げる。秋風は頬を撫で、季節の移り変わりを告げる様な冷たい感覚が広がる。

 

 準備は終わった。覚悟も出来た。さぁ、今宵も空を紅蓮に染めよう。

 私は、神の焔を編む『劫火の庭園』なのだから。

 

「まぁ、あんまり乗り気はしないんだけどね……」

 

 ふぅ、と軽くため息を吐く。いくら実家の手伝いとはいえ、私個人としてはめんどくさい事この上ない。私は帰りに買った雑誌の続きを読みたいのよ。

 右手を振り上げ、私は式を編む。イメージするのはいつも、真っ赤な紅蓮の炎に抱かれた自分。胸の中心から魔術方陣(マジックサーキット)へ魂を接続、大気より魔力粒子を吸引。それを、ゆっくりと全身に染み渡らせる様に己の魔力とブレンドする。そして、ソレを掌に集中させ、編みこんだ式を通し、発火。いずるは紅蓮の火炎。

 

 さて、狩りの始まりだ。目指すは宝物庫。狙うは神剣『火ノ迦具槌』。

 全ては、荒ぶる神を殺す為に――――――――――。

 

 

 

 

 

【揺り籠の庭園】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節は秋、暦は十一月のある日、双司さんがクシャミをした。

 

「む、鼻が出るな。小夜、テッシュ取ってくれ」

 

「はい、どうぞ。風邪ですか双司さん? もう秋なんですから気をつけないと」

 

「一応、俺が風邪を引くなんてことは無い筈だがなぁ。不老不死だし」

 

 と、こんな会話をしている此処は浅見屋探偵事務所の一室。ちょうど入口前の応接間から奥へと進んだところにある、普段執務室として利用している場所だ。簡単に言うと、いつも私と双司さんと二人で仕事している場所にあたります。まぁ、仕事といっても探偵事務所につきものな依頼なんかは全く無く、いつもは本の翻訳のサポートなんかしながら過ごしている。おかけで、英語の成績上がりましたけど。後は、上がった原稿を出版社に届けたりなど。

 

「小夜、今年の風邪は吸血鬼にも効くみたいだから気をつけろよ?」

 

「何バカなこと言ってるんですか」

 

 不老不死で自称吸血鬼な双司さんに効く風邪があるなら、私はとっくに病院行きである。

 

「アレじゃないですか? 誰かが双司さんの噂をしているとか」

 

「あぁ、それは絶対に真っ当な噂じゃないな」

 

 私もそう思います。などと心では思っても、言葉には出さない。何故かどいえば、双司さんってああ見えて結構繊細なのだ。

事の始まりは、私がこの事務所にやって来はじめて数日ほどたったある日。殆ど外出しない双司さんに対して、思わず言ってしまった言葉が原因だった。

 

――――――――双司さんって、傍から見たら引きこもりですよね。

 

 その言葉の後、二日程ヘコんでいた。時々思う、本当にこの人は吸血鬼なのかと。

 

「あぁ、そういえば冷蔵庫にニラとレバーがあったな。よし、今夜はスタミナの付くレバニラだ」

 

 うん、本当に吸血鬼なんでしょうか? この男。

 

「まぁ、今更なんですけどねぇ」

 

「何がだ? 君の胸囲の絶望的未来図がか?」

 

「五月蝿い黙れ胸の事は言わないでくださいこの変態吸血鬼」

 

「なかなかに毒舌だな君は!? ちょっとした冗談じゃないか。そこまで本気で返されると悲し――――――――っ、あー悪かった。俺が悪かったから、その半眼でこっちを睨むのは止めてくれ。中々に心臓に悪い」

 

「ふふふ、知ってますか双司さん? 幼児体型の人間をバカにしたら、呪いになって還ってくるんですよ? ――――――――――主に背中から刺される呪いで」

 

「――――――――やけに物理的な呪いだなオイ!? そして幼児体型と自爆しているぞ小夜」

 

 だって、仕方ないじゃないですか。私にとって胸の大きさは死活問題なんですよ? 周りが巨乳ばかりだと、気も滅入ってくるんですよ。あぁ、誰か私におっぱいプリース。

 

「しかし、女性というものは今も昔も胸の大きさにやけに拘るな。なにか意味でもあるのか?」

 

「意味なんかありません。ただ、本能的に女性にとって、胸の悩みとはつきものなのです。さっきから、よくわからないレポート読んでる双司さんはその辺りをもう少し理解して下さい」

 

 難しい話だな。と、双司さんはタバコに火を灯しながら呟く。宙を漂う紫煙を眺め、タバコって美味しいんですかねー。

 

「そういえば双司さん、さっきから何を調べてるんですか? 依頼されてる翻訳は無かったと思いますけど」

 

「ん、コレか? 先日来た依頼のレポートでな。とある神社の紛失物の情報だよ」

 

 ほら、と彼はこちらにコピー用紙の束を差し出してくる。どれどれ。

 

 

 

火野神宮盗難物詳細

 

 

 刀剣『火ノ迦具槌』

先日、我が方の神社に奉納されている刀剣『火ノ迦具槌』が何者かの手によって盗難された。

火を司る象徴とされる古刀。約四百年程前に、御神宮へ奉納され、以後宝剣として祭る。

 また、この刀剣がかの伝承に記載されている『ヒノカグツチノカミ』との関係の真偽ははっきりとしていない。当時の資料には、神の宿りし剣としか記述は無く、また、奉納元の神社の名称は記録が紛失している為不明である。

尚、事後当時の宝物庫の鍵は、何らかの方法で融解され壊されており、おそらくは犯人の手によるものと思われる。

 

 

 

 

「―――――――なんですかコレ?」

 

「何って、依頼の盗難物の資料だが? 全く、宝剣を盗まれるなんて馬鹿だろう。普通鍵だけならまだしも、結界位は張っておくべきだと思うがね」

 

「結界って……。また普通にオカルト用語が出てきましたけど、それって誰でも出来るものなんですか?」

 

「霊脈を持つ神職者なら、結界の一つ位展開出来ないとただの落ちこぼれだよ。ある意味、基本中の基本な技術だからな」

 

 はい、理解出来ませんっと。つまり、出来る人は出来るって事ですよね。

 

「つまり、依頼的には盗まれた刀剣の行方を捜せってことなんですかコレ? 話しを聞いてると、無理やり鍵を壊して盗んでいったのなら犯人は確実犯だってことになりますね」

 

 依頼としてきたのなら、その辺りが妥当だろう。まさか、犯人捕まえてくれっていう事はありえないと思いますし。

 

「惜しいな、残念ながら惜しいんだよ小夜。非常に悲しい事に、行方探しじゃなくて刀剣の奪還なんだ。あぁ、メンドクサイ」

 

「えっ! それって普通警察の領分でしょ。なんで双司さんの所にそんな依頼が来るんですか?」

 

 捜索だけならまだしも、奪還とか完全に警察の仕事範囲である。少なくとも、探偵稼業でやる様な事柄じゃないです。素直に警察行けって言いたくなるような依頼だ。

 

「あぁ、実はこの依頼川崎刑事が持ってきた依頼でね。報酬弾むから、そっちでやってくれだとさ。元々、依頼者側の神主も大げさにはしたくないらしい。刀剣自体が、世間に出れば国宝になっても可笑しくない代物とのことだ」

 

「丸投げですか。そもそも、あの刑事さん何でこんな依頼持ってきたんですか?」

 

「――――オカルトはこっちの領分じゃない、だとさ。鍵を壊すだけの熱量持ってくるなら、普通にカナヅチなんかで壊した方がマシだろうだと。だが、この依頼自体があの人間の目に入ったこと自体が奇跡だと思うがな」

 

 宝クジの一等を引き当てるくらいの確率という訳ですね。

 

「でも、引き受ける必要は無かったと思いますけど?」

 

「なに、あの人間には借りがあるんでね。借りっぱなしというのは癪に合わないんだ。それにある程度の情報はこちらに流してくれるらしい。まぁ、流石に完全に情報が無いのはツラいしな」

 

「―――それであの半分くらい人間辞めてるような人の依頼受けちゃったんですか」

 

 思わずため息を吐く。だって、オカルト関係あっても無くてもあの刑事さんなら物理鉄器に解決しそうでしょう。いや、絶対に何とか出来る。だって扉が開かないなら、扉ごと穴開けて進むような人ですし。行き先に障害物があれば、それが何であろうと笑いながら踏み潰して進む人だし。

 

「とりあえずだ。あの絶対に生まれてくる惑星間違えたような新人類の話はどうでもいいから、書庫から日本神話、―――ヒノカグツチに関係のありそうな資料をあるだけ持ってきてくれ。後、火野神宮周辺の地形図と静岡の本宮秋波神社、東京の愛宕神社の資料もだ。送られてきた資料を見る限り、宝剣の存在を知っている関係者のいる神社はその辺りだからね。一応、調べてみて損は無いだろう」

 

「了解です。でもその前に、資料読む時はタバコの火は消してくださいね? 危ないですから」

 

 そう言って、私は書庫へと足を向ける。さて、今日も双司さんのお手伝い頑張りますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カオりん、アタシ思うの。どうして高校には給食が無いのかなって。小学校の時に食べた揚げパンの味が懐かしいなー」

 

「それは小学校の時に給食のメニューが揚げパンの時に限って学校休まないといけない事態に陥る私に対するあてつけかしら? もしそうなら、全力で今貴女が食べてる揚げパンを奪い取るけどそこのところどう?」

 

「揚げパンが出た日って、誰かが学校お休みしていたらあまりモノを狙おうと皆ハイエナみたいに群がるんだよねー。死して屍拾うもの無し」

 

「――――その喧嘩、買った!!」

 

翌日、昼休みにじゃれ合う友人二人を眺めながら、私は自分の弁当を突っつく。

 結局、昨日は資料の数が膨大すぎて集めたのはいいが中々分類ごとにまとまらずに、後はこちらでやるという双司さんの言葉に甘えさせて貰って帰路についたのだった。

 

「揚げパンって、そんなに美味しいものですかねぇ」

 

 個人的には、自分の肉体カロリーを無駄に増加させるだけの油の塊なのだが。

 

「小夜にゃん、揚げパンは素晴らしい食べ物だよ? 一つ食べればその日一日分の行動カロリーは約束されたような物だし」

 

「や、それなら私お団子食べた方が燃費がいいです。揚げパンのあの脂っこさが、どうにも好きになれないんですよねぇ」

 

「ふふふ、小夜ちゃんまで揚げパン食べたことの無い私の敵に回るのね! 一度でいいからどんなのか食べてみたいわよ! ―――まだ見ぬ揚げパン!!」

 

 揚げパンって、コンビニにも売ってありませんでしたっけ?

 

「私が食べたいのは、給食みたいな出来たての揚げパンなの! 一度でいいから食べてみたいの! いっそ、こうなったら今から何処かの学校強襲して奪ってこようかしら……」

 

 揚げパンごときで学校強襲するなと言いたい。

 

「仕方ないなぁ。カオりん、ほら、アタシのタコさんウインナーあげるから少し冷静になりなよ。それに、どうせ強襲するなら給食センターの方じゃないかな?」

 

「―――むしろ強襲から離れましょうよあなた達っ!?」

 

 香織も頷きながらタコさんウインナーもぐもぐするんじゃない。

 

「あ、そういえば今日の朝にネットの掲示板見てたら、どっかの神社で宝物庫のものが盗まれたらしいよ? ――――何が盗まれたかまでは書いてなかったけど」

 

「また唐突ですね、ネオン。というか、一体何の掲示板なんですかソレ」

 

 ちょっと、先日双司さんの所にきた依頼に似ている気がする話題だ。いや、似ているじゃなくてヘタするとそのままだ。

 

「アタシの行きつけの心霊掲示板なんだけどねー。なんでも、倉庫の鍵が何かに溶かされたみたいにドロドロだったとか。聞いてるだけでも素晴らしくミステリーじゃない? だって鍵って基本的に鉄で出来てる訳だし、それを溶かそうとしたら最低でも融点である千五百三十五度の高熱を持ってこなくちゃいけない。でも、それだけの高熱を引きだすには、やっぱりそれだけの温度に耐えられるような発火設備が必要になる。ライターとかそんなちゃちな物じゃなくて、製鉄とかに使うくらいの道具が必要。でも鉄は熱伝導性が大きいから、溶かすとなると融点温度異常の火力がなくちゃダメ。じゃぁ、犯人は一体どんな方法で鍵を溶かしたのか? ―――うん、まさしく謎だねー」

 

「私はそれだけの知識があるネオンが謎なんですけど!?」

 

 鍵が溶かされてたって、ソレもう完全にあの依頼のことでしょう。掲示板恐ろしや。人の噂ってとんでもないですね。

 

「それって、所詮噂をネタに会話してるだけでしょ? 私的にはパスな話題ね」

 

「あれ? カオりんにしては珍しい意見だねー。普段はもうちょっと喰いついてくるのに」

 

「べつに、―――ただ興味ないだけよ。えぇっと、いんたーねっと? そんなもの無くても私困らないし」

 

「そういえば香織って、結構な機械音痴でしたね。――テレビのリモコンの電池を交換するだけでも一苦労なくらい」

 

「そういえばそうだったねー。普通、今時ボタン押すだけの操作とかにも苦労するような人っている?」

 

「うっ、うるさいわね! いいじゃない〝はいてく〟なんか使えなくたって! 私は、文化を大切にする女なのよ!!」

 

 ハイテクも、文化だと思うのは私だけではないはずです。

 

「とりあえず、二人とも早く食べ終わらないと昼休み終わっちゃいますよ? 次は鬼禿げの英語ですし、遅れるとまたバケツ持ってグラウンド行軍ですね」

 

 もう、あの自衛隊真っ青な掛け声マラソンは勘弁なのだ。二度と私はやりたくないんです。乙女にあんな掛け声させないでください本気で。

 とりあえず、念のためにさっきの掲示板のアドレスをネオンに聞いておこう。そんなことを考えながら、私はお弁当の残りを一気に胃の中へと掻き込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、古の創生の時代のお話。かつて地上に未だ神々が君臨し、支配していた時代の出来事。イザナギとイザナミの間に生れし炎の落とし子であるヒノカグツチノカミは、誕生した際に負わせた火傷のせいで、生みの母とも言えるイザナミを死亡させた。その後、怒り狂ったイザナギに十拳剣、―――またの名を〝天ノ羽々斬り〟にて殺害される。その亡骸は火の子となり、そこから多くの神々を産み落としたとも言われる。

 イザナミを失ったイザナギは、彼女に会いたいが為に覗く事を禁じられている黄泉の国へと足を踏み入れる。だが、そこで見つけたのは腐敗し変わり果てたイザナギの姿。

 恐怖を抱いたイザナギは黄泉の国から逃げ出し、異界の穢れを落とすために禊ぎをした。この時、彼自身が望んで生みだした神、三貴子と呼ばれる三柱の神が誕生する。

 

 太陽の神〝天照大神(アマテラスオオミカミ)〟

 

 月と夜の神〝月読命(ツクヨミノミコト)〟

 

 荒ぶる神〝荒王ノ命(スサノオノミコト)〟

 

 イザナギの身体の一部から生まれ落ちた三柱の神々は、イザナギに代わり誕生した世界を治めるようになる。これが、神生みと呼ばれた古事記の物語である。

 

 

 

 

「殺されたはずの〝ヒノカグツチ〟の名を冠する宝剣……か。火の無い所に煙は立たないと言うが、煙どころか火炎が立っているような気がするな」

 

 書物を閉じながら呟く。口元に咥えるタバコの煙は、まるでこちらをあざ笑うかのように目の前で霧散し、消える。

 今更だが、こんな依頼受けるものではない。だってそうだろう? なにせ、俺は探偵だ。探偵とは事件に直接関わるものではない。本来は、情報蒐集を行いソレを提供することがスタンスなのである。まぁ、俺の場合はその限りではないのだが――――。

 

「――――イザナギに殺されたヒノカグツチの灯火は、数多の神が誕生するための種子となった。だが、もしその火種の中にカグツチの魂が含まれていたなら。もし、カグツチの血を浴びた剣にその火種が入り込んでいたなら?」

 

 決してありえない話ではない。魂移しの呪法は、神々にとっては最もなじみ深いモノだ。件の宝剣に、場合によっては神が宿っていてもおかしくはない。そうなると。

 

「恐らく、マトモな事にはならないな。少なくとも、契約や盟約の補助も無しでは人の身に扱える代物ではない」

 

 川崎刑事から提供された資料と、情報蒐集の為に飛ばしておいた式からの情報であらかたの犯人の目星は付いている。あの刀剣の存在を知る人間は、火野神宮の神主とその長女である巫女、本宮秋波神社の神主、そして愛宕神社の神主の四人だ。さらに、正確な安置場所とその侵入経路を正確に把握出来、事件の当時犯行を行動に移すことが可能なアリバイの無い人物。

 

「火野神宮神主の長女、火野火織」

 

 だが、彼女は現在は実家には住んでおらず、海外へ留学中らしい。その為、正確な裏付けなどはとれなかったとのこと。まぁ、常識的に考えて、海外から日本へ戻り、刀剣を盗み出してまた海外へ戻るなど不可能だ。まず、どうやって国外へ持ち出すかを考えなければならないしね。

 

「―――だが、万が一の事も考えて探ってみるとするか」

 

 そう呟き、いつの間にかフィルター部分まで吸ってしまったタバコを灰皿に押し込み、次のタバコを取り出そうとするが―――。

 

「……最後の一本だったか」

 

 仕方ない、調査の続きは追加のタバコを買ってきてからにしよう。ニコチンとタールの存在しない世界。人はそれを、―――地獄と呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――神など存在しなかった、そんなフレーズが脳内をよぎる。所詮神様なんて、人の造り出した空想の産物に過ぎなかったのだ。神頼み、神の情け、お正月の参拝。合格祈願なんて、さようなら~。

 

「あー、小夜にゃん? いくらなんでも落ち込み過ぎだとアタシ思うなぁ。いいじゃん、たかが英語の小テストの結果が悪くても」

 

「それは私に対する宣戦布告と思っていいんですかねネオン? ハーフの貴女には分かりますまい! 何故、―――人類はあんなミミズみたいな文字を理解出来るんでしょうか!? それ以前に、なんで英文って前から直訳させてくれないんですか! 私、地球が滅んでも納得出来ません」

 

「うーん、デフォとしか言いようがないなー。小夜にゃんつまりね、―――全てはデフォなんだよ」

 

 昼休み明けの五時間目に行われた英語の小テストの結果に打ちひしがれながら、放課後の帰路を辿っている現在。あぁ、英語なんて嫌いだ。あんなもの、言葉じゃありません。

 

「そういえば、カオりんはどうだったの? 小夜にゃんと同じで英語苦手だったと思うけど?」

 

 そうでした。確か、香織も英語はダメだったはず。

 

「―――えっ? 嗚呼、アレね。……覚えてないわ」

 

「つまり白紙? カオりん、いくらなんでもそれはマズいんじゃないかなー。補習で休日の予定が潰れるのは最悪だよー?」

 

「香織、調子悪いんですか? なんか、昼間過ぎてからずっと上の空ですし」

 

 どこか本日ぼーっとしている香織に私は問う。話しかけてもどこか反応が鈍いし、なんか歩き方もフラフラとしてますし。

 

「大丈夫だよ小夜ちゃん、ちょっと疲れてるだけだから。ネオン、いくら調子が悪くてもそんなヘマはしないわよ? ―――補習くらい物理的に無かったことにするから」

 

 いや、ダメでしょう。なんか発言が過激になってませんか?

 

「今日は早めに寝たらどうですか? 明日は土曜ですし、ゆっくり休めるでしょう」

 

「そうだねー。無理は禁物だよ、カオりん? 小夜にゃんの言うとおり、今日は早く休んで、次回の〝チキチキ地下帝国お宝大発見〟に備えるべき!!」

 

 うん、私には理解出来ない単語が出てきたので、ネオンの発言はスルーしておこう。何だ地下帝国って。

 

「生憎と私は〝地下帝国シリーズ〟より〝学校のトイレ。開けたら先はパラダイスシリーズ〟のほうが好みだからどうでもいいわ。でも、一応小夜ちゃんの言うとおり、今夜は早めに休もうかな」

 

「もう訳のわからないタイトルに突っ込む気はないですが、そうして下さい。心配しますからね」

 

 うーん、疲れてる時って何が効くんでしょう? 事務所に行ったときに、双司さんに聞いてみるとしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだな、疲れた時にはタンパク質とビタミンを取るのが一般的だ。だが、食欲なんかが無いなら、野菜をすり潰した雑炊なんかがいいな。市販の栄養ドリンクなどは一時的なドーピングみたいなモノなのでオススメはしないぞ?」

 

「そして双司さん、質問してから殆ど間も無く返答出来るボキャブラリーの秘密はなんなんですか?」

 

 この料理好きの吸血鬼はなんなのだろうか。

 

「小夜、食は大事な文化だ。そしてそれは神々の時代から変わらない文化。食を疎かにしてしまうと、その分一日の活力が低下してしまう。それに病は食から直せと言うだろう? 健全な肉体には健全な精神が宿り、健全な食事からは健全な肉体が生まれる。つまり、――――食事は大事だということだ」

 

「双司さん、絶対前に夕食放置したことを根に持ってますよね!? あ、あれは仕方なかったじゃないですか! 私完全に爆睡していた訳ですし!!」

 

「ははは、――だが認めない」

 

 あー、ほっぺ引っ張らないでください。伸びますぅ。伸びちゃいます。

 

「そ、そういえば依頼のほうは調査進んだんですか? 昨日はあまり進展なかったですかど」

 

「あったと言えばあったし、無かったと言えば無かったな。いかんせん、情報が少なすぎて道筋が立たない。分かっていることといえば、犯人は真っ当な一般人じゃないってことくらいだ。恐らく、確証は持てないが魔術師だろうな」

 

「まじゅつし? あの映画とか御伽話に出てくる?」

 

「そうだな、その魔術師だ。ちなみに映画やら御伽話なら俺も出てくるぞ?」

 

 吸血鬼ですものね双司さん。

 

「魔術師というのは、小夜に言わせればオカルト染みた人間だな。人の身でかつて神々の残した神秘を行使し、また現代に残ったそれを管理する人間達だ。最も、その数は年々減って行っているみたいだがね。現代は、魔術なんて代物を世の中が必要としていないのが一番の原因か」

 

 つまりは、双司さんみたいな規格外な人たちですか。平然とビルからビルに飛び移ったり、蹴りで部屋の壁を崩壊させたり。

 

「念の為に言っておくが、魔術師というのはどこまでやっても所詮は人だ。神の力でも行使しないかぎり、小夜の考えてるようなビックリ人間にはならないぞ? ――――こら、何故そこで信じられないといった顔をする?」

 

「や、だって私の身近でそういった人の基準って双司さんや川崎刑事ですし」

 

「俺はともかく、川崎刑事は確かに異常だな。アレ、絶対に人間辞めてやがる」

 

「それには同意します。人外的な双司さんが言うと説得力ありますねぇ」

 

「俺に言わせれば、その人外と平然と会話している君の方が不思議なんだがな」

 

 失敬な。私はどこにでもいるような一般人の女子高生ですよ?

 私は机の上に投げ出してあった資料のようなものを手に取る。恐らく、依頼関係の資料だろう。へぇ、一番怪しいのは神主さんの娘さんですか。つまりは巫女さんな訳ですね。名前は、火野火織? 小学校じゃ苛められそうな名前です。ん? 巫女さんでカオリと言えば―――。

 

「そういえば、私の友達にも巫女さんでカオリって名前の子いるんですよね。ほら、最初話た具合が悪そうだって言った子です。前に言ってたんですけど、実家が神社らしいですよ? 本人は、あんまり実家のことが好きじゃないみたいで話したがらないんですけどね。秋山香織っていう子なんですけど―――――」

 

「待て小夜、〝秋山〟だと?」

 

 私の言葉に、双司さんは鋭い眼つきでこちらを見る。えっ、私なにか言いました?

 

「火野、秋山……。小夜、その子の実家の神社の名前分かるか?」

 

「えっと、本人実家嫌いみたいなんで聞いたこと無いんですよ。それに、その話したのも四月くらいの話ですし」

 

「―――そうか、ならいい。あぁ、小夜。俺はこれから出かけてくる。恐らく、帰りは深夜回ると思うから君もそろそろ帰るといい。残念ながら、本日の賄い飯は無しだ」

 

「ちょっ、双司さん!?」

 

 声と共に、双司さんは事務所飛び出す。私、どうすればいいんでしょうか?

 とりあえず、私は戸締りとガスの元栓の確認をすることにした。ガス漏れなんかあると、大変なことになりますしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 商店街を歩きながら手に取るのは携帯電話。そして、そのディスプレイには川崎刑事に無理を言って転送して貰った、火野、秋波、愛宕の家系図。いや、正確には親族図といったところか。国家の狗というものは、こういったものも簡単に手に入るの辺りから気に食わないものだ。

 

「記憶が正しければ、三家系のどこかにあの姓があった筈だが……」

 

 現代では、それほど姓というものは重要視されていないものであるが、かつては力のある貴族などしか姓を名乗ることが出来なかった。基本的に、人々が姓を持つのが一般的になったのは今から約二百年程前。つまり、豪族などの平安の貴族の血など持たない限り、家系図には名のみ記載される。現代の家系図はどうかは知らないが、太古から続く家系などは血筋の記録を残す為にそのあたりはマメに記載しているものだ。それは現代になっていも同じ事。力が衰退しがちな現代では、外の血を受け入れ血を存続させる手法を取りがちである。その為、外の血を取り入れた事実が残るように、しっかりと記録しておくための記憶媒体。それが現在の家系図だ。

 

「――――やはりか。まぁ、このご時世純血を保てている一族が珍しいくらいだ。不思議ではないな」

 

 そんな呟きと共に俺が眺めるのは、火野神宮の家系図。現在の神主にあたる人物の元へ嫁いだ家系の姓。

 

「そして海外留学というのは偽装か……。やれやれ、どういう事かねこれは」

 

 あぁ、タバコでも吸わないとやってられない。うん、ついでにコンビニに寄るとするか。

 そう、コンビニのある方向へと足を向け、一歩踏み出そうとした時。

 

「―――――?」

 

 肌を撫でるような違和感。周囲を見回すも、人気がない以外は特に異常らしきものは見当たらない。いや待て、なぜ人がいない? 此処は商店街だ。少なくとも、一人くらい視界に入らなければおかしい。

 

「―――――っ!? 人払いの結界か!?」

 

 聴覚に届く音が軋む。キリ、キリ、キリ、キリ。まるで、黒板を掻きむしるような音と共に、目の前の視界が歪んでいく。

 一度捻じれた視界は、今度は逆方向に湾曲を始め、その形を別形へと変貌させる。

 

「……驚いた。まさか、商店街なんかで忌闇の結界なんてものを使われるとはね」

 

 ゆっくりと収縮していく歪みの先には、既に先ほどまで歩いていた商店街の風景は存在しない。今では珍しい木造建築と石瓦の街並み。普段踏みしめているコンクリートで舗装されたアスファルトの道路などではなく、まさに土をむき出しにされた簡素な歩道。それらは、まるで平安時代の貴族の屋敷を思い起こさせるような光景。そして、俺は人工的に造られたと思われる、闇のように黒く濁った川に掛かる、木で出来たアーチ状の橋の上に立っていた。

 空は、泥のように薄暗い雲に覆われている。

 

「『忌闇』の結界……。仕掛けたのは陰陽師か!?」

 

 突如、闇が溶けたような川の水面が浮き上がる。そこから出てきたのは、五メートルはあろう巨大な黒い獣。かつて、鬼と呼ばれた存在が数体ほど浮かび上がって来る。

黒い鬼達は、こちらに向かって一斉に、その巨大な拳を振り落とす。それを、右手に見える建物まで跳躍することで回避する。

 

「人払いに忌闇、さらには鬼の式か。完全に俺を狙ったとしか思えない展開だな」

 

 クシャりと、前髪を掻きあげる。クソッ、さっさとタバコ買っておけばよかった。まぁ、とりあえず。

 俺は拳を円を描くように振り、跳躍。屋敷の建物を足場にし、もう一度跳躍。狙うのは最も近い牛面鬼。それを見据え、体内の魔術方陣のギアを一気にトップへ。同時に、己の瞳が澄んだ青色へ輝く。さて、何処の誰かは知らないが俺に手を出した事を後悔してやろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ過ぎて日も完全に落ちてしまった現在、事務所を出た後私はいつもと比べて人通りの少ない商店街を歩いていた。いきなり飛び出して行った双司さんでも見つけられれば御の字なのだが、生憎とそれらしき影すら見つけられない。や、にしても人少なすぎでしょ。

 

「ホントに双司さん何所に行っちゃったんですかね……。なんか、香織も関係しているみたいですし」

 

 彼女の友人としては、色々と心配なのです。普段の奇行見慣れているせいかもしれないが、何かやらかしてしまったんじゃないですよね? って、あれは――――――。

 

「香織?」

 

 視界の隅の方に見える桜色の髪。あんな独特な髪の色をしているのは、私は香織しか知らない。なにやら、キョロキョロと周囲を見渡しているようだが。

 

「あ、小夜ちゃん」

 

「香織、身体の調子は大丈夫なんですか? もう夜の九時回ってますけど」

 

 テコテコと、こちらに気がついて小走りでニコニコ笑いながら向かってくる彼女に問い掛ける。うん、顔色はそんなに悪くないですね。

 

「散歩だよー。体はもう大丈夫、家に帰って少し眠ったのが良かったみたい♪ 小夜ちゃんこそ、こんな時間になにやってるの?」

 

 あー、なんと説明したらいいものか。流石に、“自称吸血鬼のスーツ姿な男性探してます!”なんて言えないですし。

 

「ちょっと人探しですよ。まぁ、見つからなかったら素直に帰宅する方向の気楽なものですけど」

 

 このあたりが無難だろう。間違ってないですし。

 

「人探し……、奇遇だね! 私も人探してるんだ」

 

「香織も? 待ち合わせか何かですか?」

 

 そう聞くが、彼女はフルフルと首を横に振り。

 

「待ち合わせじゃないんだけどね、うーん数千年越しの再開? みたいなものかな」

 

「―――――なんですかソレ? また変な雑誌でも読んだんじゃないですよね」

 

「雑誌というより歴史書だね。小夜ちゃんって、古事記とか読んだことある?」

 

 生憎、歴史はそんなに興味ないのです。

 

「その顔見ると無さそうだね。私的にはそこはいいんだけど、小夜ちゃん」

 

 ふと、香織は真顔になり私を正面から見据える。まがり美人だから、妙に迫力があります。

 

「このあたりで、スーツ着て髪がオールバックで目がネオンみたいに青い男見なかった?」

 

 えーっと、なんだろう。香織が探している人物像が鮮明に脳裏に思い浮かぶのは。スーツでオールバックで目が青いって、完全に双司さんの事じゃないですかっ!?

 

「さっきからソイツのこと探してるんだけどね、中々見つからなくて……。この辺りで働いてるって情報手に入れたから、わざわざ探しに来たんだけど―――――」

 

「あー、香織? あなた、双司さんと知り合いなんですか?」

 

 私の中の一番の疑問を問いかける。だって、クラスメイトの友達があの自称吸血鬼を探してるなんて夢にも思いませんし。

 

「へぇ、小夜ちゃんあの男のこと知ってるんだ? そう、櫛名田姫じゃ飽き足らず、私の大事な友達である小夜ちゃんにまで手を出してるんだ……」

 

 ふふふ、となんか香織は俯きながら黒いオーラを出し始める。怖い、普通に怖いですからっ! 香織落ち着いて――――!?

 

「――――えっ?」

 

 ゆらりと、視界全体の空気が揺れる。それと同時に、肌にジワリと汗玉が滲むほどの熱を感じる。おかしい、今の季節にはあり得ない温度上昇。少なくとも、十一月に体感していい気温ではない。すなわち、熱い。

 

「よし、こうなったら小夜ちゃんにも協力してもらおうかな。あの、大罪人をおびき出す為に――――――」

 

 その後、香織が何て口にしていたのかは分からない。だって、気が付いたら私の意識は既にブラックアウトしていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼の肝吸いか……想像しただけでマズそうだな」

 

 目の前の、鬼だった物の残骸を眺めながら呟く。こいつらの体液でスーツはグショグショだ。クリーニングで、この生臭い臭いも落ちてくれるといいんだが……。

 パキン、とガラスが割れるような音を立て、平安時代を思わせていた結界が消える。その後視界に広がったのは先ほどまでいた商店街。現在時刻を見てみると午後の十時過ぎ。おそらく、小夜も既に帰ってしまっているだろう。

 

「あら、残念ながら小夜ちゃんは帰ってないわよ? だって、あなたが何時までもあの程度の雑魚に構っているから……私が攫っちゃった♪」

 

 突如、背後から届く声。その気配に気が付けなかった平和ボケした自分に、内心舌打ちしながらも念のために後方を振り返りながらそこから距離をとる。

 

「そんなに離れなくてもいいのに。それとも、背後を取られたのはそんなに意外かしら?」

 

 声を発する人物、それは―――――。

 

「―――――巨乳の女子高生だとっ!?」

 

 春に咲き誇る桜の花びらを連想させるような桜色の髪、小夜と同じデザインの制服を身に纏い、その上からでも分かるほどの胸囲を持った少女。

 

「――――って、初見で第一声がソレってなによ!? あんたソレでも元神様っ!? それに、私には秋山香織って名前があるんだけど?」

 

「神でもなんでも、女性の神秘には皆憧れるものだ……。それは、俺でも然り!!」

 

「自信満々に言うなっ! あぁ、もう! 結構シリアスな展開でいこうと思ってたのに何でこうなるの――――!?」

 

 巨乳少女が何か喚いているが、個人的にはどうでもいい。とりあえず。

 

「小夜を攫ったと言ったが、何のつもりだ? 俺は君みたいな人物は知らないが……」

 

「あ、あなたが知らなくても私は用があるの!! 簡潔に言うわ、―――出雲の地 “八雲”にて待ってる。そこに、小夜ちゃんもいるわ。そして、そこに来るまでに貴方が殺した嫁のことを思い出して来なさい。でないと……何も分からずに死ぬわよ?」

 

 そう言い残し、彼女は蜃気楼を纏わせながら姿を消す。去り際に、少しばかり疲れたような顔をしていたのは気のせいだろう。しかし。

 

「櫛名田姫のこと……ね。あぁ、そういえば彼女が死んだ時もこの時期辺りだったか」

 

 独り虚空に向かって呟く。まぁ、依頼の件もまとめて解決出来そうなので構わないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フワリと冷たく、そして柔らかい何かが私の頬を撫でる。えーっと私って何してたんですっけ? 確か双司さん追いかけて商店街で香織に会ったあと―――――。

 

「香織!?」

 

 ぼやけていた思考を振り払いながら、自分の身体を跳ね起こす。何故かは知らないが地面で寝ていたせいで、背中から身体の節々までが痛い。耳を澄ませば、ギギギッと関節が軋む音が聞こえてきそうだ。って――――――。

 

「―――此処、何処ですか?」

 

 周囲を見ま渡してみれば、何処までも広がるように存在する小高い丘の上の草原。空には一面に星達が燦然と輝き、見方によっては地上の人々をあざ笑うかの様にも見える。周囲には雑音など一切存在せず、内界と外界を仕切るような静寂が辺りを支配している。

 

「あ、小夜ちゃん気がついた?」

 

 ふと、聞きなれた友人の声が耳に届く。

 

「―――香織あなた……」

 

 私は声の主―――秋山香織の方へと振り向き、声を発する。

 

「とりあえず、言いたいことは色々ありますけど―――、此処どこですか?」

 

「開口一番が場所の確認って……、小夜ちゃん緩いなぁ」

 

 む、緩いってなんですか。現状確認は大切なことですよ。

 

「普通さ、目が覚めて見知らぬ場所にいたらもう少し慌てないかな? 危機感足りないよ?」

 

「それは問題ないですよ。私を此処に連れてきたのは香織だってことは声が聞こえた時点で把握してましたから、後はその過程を確認するだけです。仮に、あなたが何か目的があって私を此処に連れて来たんなら、既にやってると思いますし。だって、貴方まどろっこしいの嫌いでしょ?」

 

「うん、私はシンプルなのが好き―――小夜ちゃん正解♪ でも、半分不正解。小夜ちゃんを此処に連れてきた所でその目的の一つは達成されてるの。後はあの男が来るのを待てばいいんだから」

 

 あの男―――、この場合は双司さんしかいないですね。

 

「あなた、双司さんと知り合いなんですか? 私が気を失う前も探してたみたいなこと言ってましたけど」

 

「双司? 今そんな名前名乗ってるのアイツ? ふーん、つまり小夜ちゃんってあの男の本名知らないんだ」

 

 本名ってなんですか? まぁ、吸血鬼とか名乗ってる双司さんが真っ当じゃないのは今に始まったことじゃないですが。

 

「で、双司さんの本名ってなんですか? あ、やっぱりいいです。こういうのって本人から聞かないとダメですし」

 

「……小夜ちゃん、危機感ないねぇ。もうちょっと警戒してもいいんじゃない? 色々と」

 

「香織、人生常識を持ちながら大らかに過ごすのが一番です。それに私に危機感って―――、関係ないことですよ」

 

――――だって、私って壊れてますしね。

声には出さず、心の中で呟く。言葉の途中に黙った私を香織は怪訝な顔をして見つめているが、あえて無視をする。

 

「―――なんからしくないなぁ、小夜ちゃん。普段なら、もうちょっと突っ込み入り混ぜて狼狽するのに」

 

「多分、あなたの雰囲気に中てられてるんですよ。で、私をこんなとこに拉致してきた理由はなんですか?」

 

「うん、そういう率直に核心突いてくるところは普段の小夜ちゃんだね。それじゃ、理由を教えてあげるよ」

 

 そういうと、香織は空を見上げ瞳を閉じる。その光景はまるで一枚絵画のようだ。そして、息を一息。

 

「私の目的はね、小夜ちゃんが双司って呼んでる男を殺すことだよ」

 

 そう、彼女は告げた。

 

「あー、香織? 多分それ無理ですよ?」

 

 とりあえずダメ出しをしとく。だって、何時ぞやの桜の化け物を素手で殴り飛ばすキチガイを殺せる人類なんて、存在すると思いません。

 

「あの、小夜ちゃん。いきなりダメ出しはないんじゃないかな?」

 

 私の返答が予想外だったのか、なんか眉を潜めて聞き返してくる。や、だってですね。

 

「現実見ましょうよ。あの人普段は結構ボケてますけど、根っこの部分は明らかに人間的な思考皆無なんですよ? 自分でも完全に人外宣言しちゃってるんですから、正直無理だと思いますよ?」

 

「む、まぁ普通の人間なら無理だろうけど私は別だよ。私はね、――――魔法使いなんだよ♪」

 

「つまり、大人になるまで夢を忘れなかった自宅警備員がなれる職業ですか」

 

「えっ! ちょっと何か凄まじく生温かい目で見つめられてるんですけどっ?! 小夜ちゃんその目やめてーっ!?」

 

 香織、妄想ならもう少しマシな言い分あるでしょ。現実問題、そんなこと言われても今時誰も信じませんよ?

 

「本当だもん! そんな完全に信じてませんよ私って目しないで小夜ちゃんっ!

!」

 

「そうだぞ小夜。以前魔術について説明したことがあっただろう。つまり、魔法使いは存在する。まぁ、正確には魔術師なんだが」

 

 ん? 今なんかどっかで聞いたニヒルな男性の声が聞こえた様な……。

 

「しかし、拉致されたのに中々どうして平気そうだな小夜。歪んでいるのか肝が据わっているのか……」

 

「いきなり出てきて酷い言い草ですね双司さん。どうせなら囚われのお姫様らしく、ブルブルと怯えていた方がよかったですか?」

 

「いや、元気そうでなによりだ。しかしどうせなら、縄で縛られているくらいの演出は欲しかったところだな。―――技術不足だぞ? 秋山香織」

 

 何時の間にやら、私たちのすぐ側で胡坐を掻きながらタバコを吹かす双司さん。ほんと、何時からいたんですか。香織なんて固まってるし。

 

「何時から居たんだって顔をしているな? 大体小夜が目覚める少し前くらいからか。

中々面白いやりとりを見せてもらったよ」

 

 私的にはごくごく普通なやりとりをしていたつもりなんですけど。

 

「で、小夜を攫った誘拐犯及び宝剣強奪容疑者、秋山香織。小夜や櫛名田姫の名前を使いこんなところに呼びだした用件はなんだ?」

 

 櫛名田姫とは誰のことかは分からないが、やはり香織は双司さんを呼び出したかったのか。

 

「―――簡単よ、貴方に死んで欲しいの。この私の手によってね!!」

 

 彼女の立つ大地が燃ゆる。草原に生える雑草の類は一瞬でその形を崩壊させ、炭と化す。その彼女の姿はまるで業火の魔女。触れるもの全てを灰塵へと返す、灼熱の人工太陽。

 

「ふむ、君に恨みを買った覚えはないんだがね巨乳女子高生。個人的には、君が俺と櫛名田姫の間の何を知っているのかを聞きたいところなんだが?」

 

 双司さんは言葉と共に立ち上がり、正面から香織を見据える。香織が炎出してるところを見ても特に様子が変わったように見えないのは、彼の中でソレが予想出来た事柄だからなのだろうか。

 

「あら、それは貴方が一番良く知ってるんじゃないかしら? 私の魔力の気質を読めばたやすく分かるはずよ。三貴子の一柱さん♪」

 

 香織はそう言って、火の粉を散らしながら右手を水平に振りぬく。その右手には、何処から取り出したのか、刀身がほんのりと紅に染まる日本刀が握られていた。

 

「―――火ノ迦具鎚か。ふむ、やはり君が盗みだしたというわけか。それにこの魔力……どうやら色々と聞きださないといけないようだ」

 

「正確にはブラフよ、ソレ。火野神宮は元々私の父の実家、今は母方の姓を名乗ってるけど、私の実家でもあるの。まぁ、その物言いだと貴方もそこまでは気がついていた様だから私の行動と照らし合わせてみれば正解が分かるんじゃない?」

 

「つまり……、依頼自体がそもそもの囮のようなもので、実際は全員グルだったって訳か。俺を動かせやすくする為に―――」

 

「―――そういうこと♪ そして火野一族の総力を掛けて育てられた私に与えられた任務は、この神の宿りし宝剣を使い我らの先祖の仇を討つこと。―――櫛名田姫の仇たる貴方、スサノオノッミコトをね!!」

 

 瞬間、再び周囲を火炎が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界には爆炎。その熱量はまるで神代の時代に降臨した炎神の様。いや、これは神の炎そのものなのか。触媒に使っているであろう火ノ迦具鎚から巻き起こるソレは、間違いなく古の神炎そのもの。それは触れるものを完膚無きまでに昇華し、万物を焼き尽くす炎塵の顎。完全に、人の身には過ぎた力だ。

 ―――単一概念付加“我ガ拳ハ大気ヲ穿ツ”

 即時に拳への概念付加。概念とは世界の本質。物事の存在する意味たる象徴的な事柄。 “神聖なる青”たるこの身のみに許された、法則を操作する為の倫理能力。この瞬間、己の拳は大気すらも穿つ力を得る――――!!

 

「―――甘いっ!!」

 

 己に迫っていた火炎が四散する。直下型術式から誘導式に切り替えたか。

 

「術者としての腕は中々のものだな秋山香織。だからこそ問う、君は俺の名を何と呼んだっ!?」

 

 四方から追尾してくる火炎の内、先方のものを身体を捩りながら回避。その後、即座に拳を振り上げ残りのものを大気ごと撃ち落とす。散りゆく火の粉を視界に収めながら跳躍。こちらに向かい刀を振り下ろそうとしている彼女に向かって、下半身の捻りを加えた蹴りを打ち放つ。

 

「聞こえなかったのならもう一度言ってやるわよ、スサノオノミコト!! かつて高天原のて騒乱を起こし、地にては八俣ノ大蛇(ヤマタノオロチ)を仕留めた荒ぶる神。そして我らが先祖たる櫛名田姫の仇っ!!」

 

 シャン、と宙を切り裂く火ノ迦具鎚。ちっ、せめて刀の力に振り回されているだけならいいものを、使用者である彼女自身の力量も相まって非常にやりにくい。それに。

 

「櫛名田姫の仇って何の話だっ! そもそも、彼女は稲穂を司る水ノ巫女だった筈だ。火ノ迦具鎚が扱える君とは、明らかに属性が合わんぞ!?」

 

「属性なんて努力しだいで何とでもなるわよ。なんなら、水の術式でも使ってあげましょうか?」

 

 秋山香織の言葉と共に、火炎の合間を縫うように球状の無数の流水が生み出される。本来であれば蒸発してもおかしくないソレは、まるで周囲の熱の影響を受けていないかの如く極回転。非常識な。

 

「よくもまぁ、反属性の術式を同時展開出来るものだな。俗に言う、天才というやつか?」

 

「私の努力をその一言で澄まさないで欲しいわね。これでも、小さいころから修業してたんだから。それにコレは貴方を殺す為に千年の歳月をかけて組み上げられた相克の秘術。誰もが扱えるものでは無いわ」

 

 それでも、人の身でありながらたかだか十七年で習得出来るのは天才と称しても問題はないだろう。ほぼ無限の時間をほぼ無限の時間を持つ吸血種でさえ、同時反属性展開なんざ出来る存在はごく一握りである。

 

「しかし、それが俺のことを知っていることには繋がらないな。俺は一度も自分のことをスサノオだと名乗った覚えはないが?」

 

「そんなの関係ないわよ。私の炎をどうやって弾いたのかは知らないけど、神炎をどうにか出来る時点で貴方はスサノオノミコトである可能性は高い。人間やそこらの妖程度の魂の格ならとっくに消滅してるしね」

 

「俺が聞きたいのは、どうやってそこまで俺の居場所まで調べることが出来たのかって事なんだがね。いや、むしろどうやって俺の存在を知ったか……だな」

 

「さぁ? 私は神宮から教えて貰っただけだから。私細かい話は嫌いだから、――――そろそろ死んでくれる?」

 

 と、見る時と場所を弁えれば可愛く見れるであろう微笑で小首を傾げる彼女。だが、現状ではそれは死刑囚に対する冷徹な笑み。そして、視界を炎と水の斬撃が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 まるで、ガス爆発が起こったかのような轟音。無数の蛇のように荒ぶる炎は、獲物を食らう獣の如く大地を這いずりまわる。

 

「双司……さん?」

 

 声を発するも火炎の向こうから返事は無い。あるのは灰へと還る草花と、熱量に耐え切れず融解している岩石だけだ。

 

「これで終わりね。死体が残ってたら念のために灰にしなきゃね」

 

 その惨状を作りだした人物―――香織は刀を肩に担ぎながら、先ほど双司さんがいたであろう場所へと視線を向けている。

 

「香織……あなた本当に?」

 

 ――――双司さんを殺したんですか?

 そこまでは言葉に出さない。それを口にしてしまったら、彼の死を認めたことと同じになってしまうから。

 

「うん♪ 見たところ欠片も残ってないみたいだね。正直、拍子抜けだけど」

 

 バサッと、香織は手で後髪を風に乗せるように払う。

 

「小夜ちゃん、そんな悲しそうな顔しないでよ。アイツはこうなって当然の存在だったんだよ? あの男―――スサノオノミコトは自分の妻をその手で殺したんだから」

 

 かの日本神話の神様の一人であるスサノオノミコト。香織は、双司さんがその人物だという。そして、彼が自分の奥さんをその手で殺害したと。

 

「小夜ちゃんは、あの男のこと結構気に入っていたみたいだけどそれは騙されてるんだけ。あの男はかつては天と地を荒らしまわった暴君。本来であれば、とっくに死んで良かった筈の存在だよ」

 

 沸々と、胸に湧き上がる嫌悪感。

 

「――――なんですかソレ。それじゃまるで、双司さんは死んで当然みたいな言い方じゃないですか……」

 

 頭の中に血が昇って行くのが分かる。香織、あなたは言葉を間違えましたね。

 

「そうだよ? 元々数千年前にアイツは死ぬべきだったんだから。―――それが、どうかしたの?」

 

 もう、無理だ。

 私は未だプスプス煙を上げる大地を踏みしめ、香織の正面へと歩いて行く。そんな私の行動に彼女はキョトンとした表情をしているが―――――。

 

「香織、先に謝っときます。―――ゴメンナサイ」

 

 バチン、と肌を引っ叩く音。発生源は私の掌と香織の頬。

 

「……小夜ちゃん?」

 

 呆然と、何が起こったのか理解できないといった表情で私を見つめる香織。もうね、我慢できなかったんです。

 

「香織、死んでいい人なんてこの世に存在しないんです。それがたとえ極悪人であっても、人であるかぎり生きていていいんです。そして、誰にもその命を奪う権利なんて持ってないんですよ」

 

 そして、自分の命を奪う権利を持つのは自分だけだ。

 

「ぇっ、どうして、どうしてそんなこと言うの? ねぇ、それじゃぁ私がここにいる意味がないじゃない。ねぇ、私は言われた通り執行しただけだよ?」

 

「誰に言われたか知りませんが、人に言われてやっている時点で意味はありませんよ」

 

 私の言葉に、香織は俯きながら小さく肩を揺らす。彼女なりの事情というものがあるのだろうが、そんなの知ったことではない。私は、人の命を本人以外が奪うという行為が許せないだけなのだ。

 

「小夜ちゃん、私は――――――っ」

 

 突如、草原に残っていた火炎を掻き消す程の豪風が吹き荒れる。そして、それに合わせたように天に昇る蒼海の月。

 

「―――うそ、小型の太陽に匹敵する程の熱量だったのにっ!?」

 

 ゆらりと、陽炎の奥に佇む男性の姿。あぁ、よかった。無事でしたか。

 

「秋山香織、ここからは本気でお相手しよう。今代の〝神聖なる青〟に牙を剥いたことを、後悔するといい」

 

 そこにはこちらを見据える様に、青き瞳の吸血鬼が悠然と佇んでいた。

 

 

 

 

 彼は呟く。世界の書へアクセス。現行概念をサーチ、ロード、自己の肉体へインストール。強化、硬化概念を肉体へ、耐火、耐水概念を上書き。魔術方陣へ文章概念を導入。〝我ガ拳ハ空ヲモ穿ツ〟〝我レガ振ウルモノハ万物ヲ断ツ刃ナリ〟

 言葉の意味は分からないが、香織でいう魔術みたいなものなのだろう。

 

「さて、待たせたな。あぁ、小夜は下がっていてくれ。少しばかり派手になるだろうから

な」

 

 双司さんはそう言ってシャツのボタンを緩める。そんな彼の様子をまさに呆然と香織は眺めている。そんなに意外だったんですかね?

 

「なんで……、なんで生きてるのよ。いくら神でも、火ノ迦具鎚の力を借りた炎を受けて無事な筈が――――」

 

「秋山香織、君は技術は一流だが、戦闘者としては二流だな。相手の言動から言葉の意味を推理し理解しなければ、ただ力に溺れるだけの愚者だ。君、〝神聖なる青〟という言葉に聞き覚えは?」

 

「―――神聖なる青? たしか……世界を構成する要素の化身、原色を名乗ることを許された唯一の存在……だったかしら。まさか、貴方がその〝青〟だとでも? 青は正確にその存在を確認されたことのない伝説上の産物よ」

 

「その固定概念が愚かだな。この世にありえないものなんて存在しない。全ては視覚に収め、感覚を受ける本人が信じなければ物事というものは成立しない。あるがままを感じ、視ることを覚えるべきだな」

 

 彼は軽く腕を振るい、そう言い放つ。挙動の度に暴風が吹き荒れ、この一帯の大気を揺るがしている。その姿はまさに荒ぶる王。神々の時代に君臨した、闘争の神の再臨なり。

 

「では、ケリをつけるか」

 

 双司さんの言葉と共に、拳と刃がこすれ合う。

 

「―――織るは火糸、螺旋を描くは紅灯台!!」

 

 紡がれる香織の言葉。それと共に生み出されるのは、糸の様な炎で構築された円柱。獣が襟首を傾ける様に、ソレは双司さんの首元めがけて襲いかかる。だが。

 

「甘いっ! 空間概念〝ベクトル法則ハ逆転スル〟!!」

 

 グニャリと、彼の周囲の空間が湾曲。そして炎がそれに触れた瞬間、紅蓮の円柱は反転し香織へと向かっていく。彼女は驚きながらもソレを右方へ跳躍することで回避。

 

「今……何をしたの?」

 

「簡単なことだ。俺の周囲の空間のベクトルを逆転させただけだが」

 

「空間制御……いや、ありえないっ!空間制御どころかそれは世界の法則に干渉するレベルの技法よ。いくら貴方が古神の一人だからって――――」

 

「君はもう少し人の話を聞くべきだぞ? 現在の俺は世界の化身。天上の青い月が姿を見せている限り、この世界の法則は我が手の内だ。まぁ、あまり長時間は扱えない力なんだがね」

 

―――――さて、覚悟はいいか?

 

 信託のように、彼は香織に告げる。って、双司さん香織を!?

 彼の拳に周囲の大気が渦を巻きながら収縮。その様はまるで小型の台風だ。

 

「っ!?」

 

 繰り出されるであろう一撃を撃ち落とすかの如く彼女も刀を振り上げるが――――。

 その瞬間、神の拳は振り落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パキンっと金属が砕けたような音が響く。眼前には、草原に仰向けに倒れた秋山香織の顔。その距離は、トクン、トクンと彼女の心臓の音が耳に届く程だ。

 

「―――――何故外したの?」

 

 彼女は俺に問いかける。その視線は、振り下ろした己の右の拳。そこには、刀身だった鋼を散りばめ、その中央から砕けた火ノ迦具鎚の姿。

 

「―――――何故外したの?」

 

 秋山香織は再び俺に問いかける。何故、外したか……か。

 

「別に俺は外したつもりでは無いんだがな。俺は元々、その刀を狙ったつもりだが?」

 

「それこそ何故? 貴方なら、今の一撃で私を殺すことだって出来た筈でしょ?」

 

 言葉を交わす距離は恋人の語らい。だが、彼女は疑問の方が強いのか、それともそんなことを考えている余裕がないのか平然と言葉を紡ぐ。まぁ、確かに今の一撃で決着をつけることは出来たが。

強いて言うなら――――――。

 

「――――君を殺すと小夜が悲しむ」

 

 ゴクリと息をのむ気配。目の前の彼女が何を思っているかは分からないが、理由を挙げればそれしか該当しない。秋月小夜という俺にとって興味深い人間の友人、それだけで彼女を殺さない理由には十分である。

 

「いいの? 私はまた確実に貴方を狙うわよ」

 

「そこに関しては御免被りたいのだがね。まぁ、少しばかり話しでもしようか」

 

 そう言って、俺は彼女から身を離し立ち上がる。さて、そろそろ小夜の様子も確認しなければ―――――――?

 

「―――――小夜? お前は何故そんな不機嫌なそうな顔でこちらを見ているんだ?」

 

 じーっと、何か不満そうな目でこちらを見ている少女。いや、だから何故そんな目でこちらを見る。

 

「別に、なんでもありませんよ。ただ、双司さんと香織の顔の距離がちょっと近すぎやしないかなーとか思ってただけです」

 

 それの何が問題あるんだろうか。素直に疑問が浮かぶ。うん、全く分からん。おそらく女心というものだろうが、生憎さま俺には昔っから無縁のモノなのである。

 

「まぁ、小夜はなんだかんだで元気そうなので置いておこう。秋山香織、まず君が知っている限りの俺の情報を教えてくれ。そこから知らねば何も始まらん」

 

 視線を、小夜から秋山香織へと移しかえる。彼女の言う先祖の仇とはなんなのか? それを知ることが、現在俺が取るべき最善の行動だ。

 

さて、色々と答え合わせをしようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は浅見屋双司という名の男の質問の真意を測りかねている。私が知っていることですって? それはすなわちこの男が過去に犯した罪の事。

 

「どうした、先ほどからひたすら俺に罵倒を浴びせているんだ。今更黙りこむ理由はないだろう?」

 

 何時の間に取り出したのか、口先にタバコを咥え火をともしながら私に問いかける男を見る。いいじゃないの。ここで全てぶちまけて、小夜ちゃんも二度とこいつに近付こうと思わないようにしてやるんだから。

 

「いいわ、話してあげる。数千年前、貴方は高天原から地へと降り立ち、八俣ノ大蛇を打ち取る報酬として蛇の生贄になる筈だった稲穂の水巫女を妻に迎えた。それが私たちの一族の先祖である櫛名田姫よ。その後、あなたはこの出雲の地に八雲という宮殿を造り安泰する。だけどそれからしばらくした後で、高天原へ戻ってこないスサノオに怒りを切らした天照大神八雲を襲撃される。その時、貴方は滅んでいく八雲をしり目に逃げ出し、しまいには妻である櫛名田姫を身代わりにして天照の追撃を逃げ延びた軟弱ものよっ!!」

 

 彼女―――櫛名田姫を祖に持つ火野の一族は、その事実を知らされた時当然の如く激怒した。そして、それと同時にスサノオノミコトが現在でも何らかの方法で生き続けているという情報を得た当時の火野の一族は、彼に先祖の復讐を誓った。幼い頃からその話を聞かされ、魔術の訓練を受け、代々その為に技術を磨くことを強制されていた一族に生まれ、自分の時間―――実家意外の外の世界に触れることの出来なかった私は、スサノオノミコトさえ殺せばこの数千年の物語に終止符を打てると考えた。そうすれば、私は実家に束縛されずに自由に生きることが出来る。もっと、自分の好きなことが出来る。故に、スサノオを発見したと、その討伐指令を受けた時には喚起したものだ。

 

「それが、君の知る真実か?」

 

 男は澄ました顔で、相変わらずタバコを吹かしながら私に問いかける。えぇ、そうよ。貴方の裏切りの記録。己の欲望に忠実であった、荒ノ王の正史とは異なる事実よ。

 

「だとしたら―――――――、勘違いも腹立たしいな」

 

「―――――なんですって?」

 

「勘違いも腹立たしいと言ったんだ。何処のだれだか知らないが、よくもまぁここまで歴史を無茶苦茶に改ざんしてくれたものだ」

 

 改ざんとは何をいっているのか? それは私にとっての真実が偽りであることほかならない。

 

「少なくとも、俺は彼女を殺した記憶はないさ。八雲崩壊の件は事実だが、その時には彼女は病で亡くなっていたよ。まぁ、彼女の病を治療出来なかったことを考えればある意味で俺が殺したようなものだがね」

 

 まるで世間話をするような気軽さで、男は言葉を紡ぐ。――――言葉は出ない。言葉をだせる勇気は無い。だって、男の言葉が真実ならば私のやったことは……。

 

「さて、秋山香織。君は―――君たちの一族は一体誰にその情報を聞かされたんだ? 第一、彼女には血縁者が存在しなかったのに、何故その子孫が存在しているんだ?」

 

「私は知らないわよ。元々、大昔のご先祖さまが残した書物に代々したがってただけだし。お爺様なら何か知ってるかもしれないけど……」

 

 私はどうすればいいのか。もし、彼の言ってることが本当ならば私は勘違いで小夜ちゃんすらも巻き込んでコイツを襲ったことになる。それは間違いなく、私の美学に反することだ。そして、矛盾を抱えたままコイツを狙い続けるほど私は愚かではない。一回負けちゃったし。

 

「あのー、いい感じに忘れ去られてる私がすいません」

 

 ふと、少し離れたところで私たちの様子を傍観していた小夜ちゃんの声が耳に届く。えっと、決して忘れてたわけじゃないんだよ?

 

「なんだ小夜? どうかしたのか」

 

「いやですね、さっき双司さんがへし折った香織の刀なんですけど……。――――いつの間にか破片ごとどっか消えちゃってるんですよね」

 

――――はっ?

 

「―――――マズイっ!! 」

 

 言葉と共に浅見屋双司はこちらに歩み寄り、―――私を右腕の中へ抱きかかえた。

 

「ちょっ!? いきなり何すんのよっ、てっ何処触ってっ!?」

 

 手、胸に当たってるからっ!? そんな私の叫びなど耳に届かないのか、今度はポケーっとしている小夜ちゃんを左腕の中へ。

 

「双司さんっ!?」

 

「跳ぶぞ! 振り落とされるなよ!?」

 

 瞬間、それまでいた丘という地上が、紅蓮の焔と爆音に包み混まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空に溶ける紅蓮の花弁。眼球を焼き尽くすような高熱と共に、その欠片は故意的な蜃気楼を発生する。

 

「ちょっと、アンタこれ着地のこと考えてるのっ!?」

 

「うわー、空って本当に跳べるものなんですね」

 

 小脇に抱えている秋山香織が何か喚いているが無視。あの状況じゃ仕方ないだろう。あと小夜、お前結構余裕あるなぁ。しかし。

 

「まいった。まさか、レプリカじゃなくてオリジナルだったとは……」

 

 今更だが火乃火具鎚を壊すんじゃなかったな。

 

「秋山香織、転移術は使えるか!?」

 

「もう少し落ち着いた状態なら出来ないこともないけど、こんな状態じゃ無理よ。最悪、座標固定間違えて空間の隙間に閉じ込められるかも……」

 

『転移術』は、空間と空間を繋ぐ呪術だ。点と点を、座標と座標を繋ぐことで転移する。ただ、座標を指定する時に、世界法則を三次元から二次元へと観測し直して、再び三次元へと結果を反映させなければならない。

例えると、新しいプログラムを頭の中だけで造り上げて、その上で完成したプログラムを別のプログラムに手書きで上書きするような物だ。

そんな複雑なコトをこんな状況で出来る程、人は複雑な思考回路は持ち合わせていない。

そもそも、空間系統の魔術は奇跡に分類される高等魔術。これは、本来は三次元の法則に乗っ取った魔術特性のみ、人間は持ち合わせているからである。

 

「―――――仕方ない、突っ込むか」

 

「はっ?」

 

「えっ?」

 

 魔術方陣へ魔力をフルロード。〝青〟の能力を使用し、世界の概念にアクセス、検索、引き出し、解放。

 

「多重概念付加〝水剋火〟 〝重力制御〟 を〝秋月小夜〟 〝秋山香織〟 〝浅見屋双司〟へ付加!!」

 

 同時に、宙に大気を収縮させ足場を作り己の身体を大地へと蹴り飛ばす。未だ燃え盛る焔を掻き消しながら着地。

 

「アンタ無茶にも程があるわよ! いくら概念加護があっても、この熱量じゃ五分持てばいいほうよ!?」

 

「空が飛べないんじゃ仕方ないだろう? それに――――」

 

――――――五分以内にこの原因を駆除すればいいんだろう?

 

 俺の言葉に二人の少女は小さく肩を震わす。ふむ、何か妙なことでも言っただろうか?

 

「そ、それで双司さんはどうするんですか?」

 

 そうだな、まぁ、やることと言えば。

 

「元凶の〝業火の神〟を叩き潰してくる。秋山香織、小夜のこと頼んだぞ?」

 

 そうして俺は踵を反し、最も熱量の高い場所へ向けて駆ける。さて、さっさと終わらせるとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私―――――秋山香織は、正直のところ浅見屋双司という人物を見過っていた。いくら古の神々の人柱といえど、所詮は過去の人。過去から現代まで神秘の探究を続けた、現代の魔術師にとっては敵ではない―――そう思っていた。

 

「あれ……、本当に人類?」

 

 先ほどの、彼の言葉を耳にした時に身体中を走った衝動。背筋からジワリと、まるで生温かい舌がなぞってくるような嫌悪感。本能的に思う、――――アレは決して人間の敵う相手じゃない。蟻が戦車に敵わないように、ライオンが銃に敵わないように、そんな絶対的な戦力差。それを、私はたった今この肌で感じ取った。

 

「小夜ちゃん……、あなたアイツが怖くないの?」

 

「えっと、怖いって何がですか? まぁ、さっきの言葉には驚きましたけど」

 

―――本気?

 

「確かに私みたいな一般人にとっては理解しがたいくらいの運動能力ありますけど、双司さんって基本人畜無害を決め込んでるみたいですから大丈夫ですよ?」

 

「いや、どこにあんな反則級の人畜無害がいるのっ!? 小夜ちゃんアイツに洗脳されたりしてないよね?」

 

「それこそ大丈夫です。だって、私と双司さんは契約者ですから。それに浅見屋探偵事務所のお財布は今では私が握ってますし♪」

 

 と、ニコニコと笑顔で仰る小夜ちゃん。可愛いけど微妙に聞き逃せない発言をしているのは気のせいだろうか?

 

「にしても……やっぱり暑いですね」

 

 額にポツポツ汗を滲ませながら、小夜ちゃんは言葉を発する。たしかに、アイツの流水加護があるとはいえ、これは流石に熱い。気温的に感覚では大体四十度近いだろうか。私一人なら問題は無いが―――――。

 

「基盤は地下水脈を使って、精霊加護は―――この熱量じゃ期待できない。仕方ない、アイツの流水加護を使うしかないわね」

 

 呟き、私は己の魔術を発現させる為の言霊を紡ぐ。魔術に最も大事なのは言霊だ。言葉に表すことで世界に問いかけ、己の内に刻まれた魔術方陣を起動させ、異法を持って神秘を現実に織りなす―――――!!

 

「我が紡ぐは水膜ノ檻。脈動せよ、描くは水滴の陣。いずるは鎮めの揺り笠」

 

 生じる現象は不可視の水膜。それは結界の一種であり、効力は単純。ただ、外気と内気を分断するだけの術式だ。外界と内界を遮断し、結界内の気温を常温まで変化させる。簡単に言えば、簡易版クーラーである。

 

「――――小夜ちゃん?」

 

 ふと、ポケーっとこちらを見つめる小夜ちゃん。もしかして、まだ暑いのかな?

 

「や、香織って本当に魔術師だったんですね……」

 

 ――――あぁ、そういえばこの心底不思議そうに自分を見上げる少女の前では、私は今まで一般人だったんだ。

思い出したように、私は、きゅうっとスカートの端を握りしめる。どうだろうか? いくらアイツをおびき出す為とはいえ、友人を巻き込んだ私をこの子は軽蔑するだろうか。それとも、自分たちとは違う存在を化け物と言って罵るだろうか。まぁ、そうなっても仕方ないかな。元々アイツを探す為に今の学校にも入学させられた訳だし。どうせ後日、本家に無理やり戻されることになるだろうし、せっかく出来た友人は名残惜しいが残念だなぁ。どっちにしろ、彼女が私のことを嫌いになるのは当然のことなのだ。

 

「えーっと香織? 何そんな泣きそうな顔になってるのか分からないですけど、私は香織が双司さんみたいなびっくり人間でも何とも思いませんよ? むしを個人的には普段の奇行の方が目立つんですから、超能力みたいなのが使えても私の友達なのには変わりませんし」

 

「―――えっ?」

 

「あぁでも、双司さんを殺すなんか言ってたのは減点です。なんであれ、人殺しはダメなことなんですからね?」

 

 と、腰に手を当てながら私の額を指先で小突く小夜ちゃん。身長は私が高いので、必然的に上目づかいでこちらを見上げる形になる。なんだろう、それは別に痛くない程度の力なのに、何かが痛い。そしてジワリと、目じりが熱を帯びだすのは何でだろう?

 

「って、何で泣くんですかっ―――!? 今のそんなに痛かったの!?」

 

 痛くない、痛くないんだよ小夜ちゃん。でも、なんでか涙が出てくるの……。

 

「えっと、よし、ほら頭なでなで―――」

 

 頭部に感じる、柔らかい温もり。うん、人肌って暖かい―――そんな当たり前のことが嬉しいのは何故だろう。

 ぐずっ、鼻を啜りながら、服の袖で涙を拭う。

 

「……ありがとう」

 

 喉の奥から絞り出すように、聞き取れるか定かではない感謝の言葉。だが、別に聞こえなくてもいい。だってこれは、ただ私にとっての自己満足の言葉でしかないのだから。

 ふと、頬に感じる温もり。小夜ちゃんは私の頬に掌をあてがい、向日葵のような笑顔で口にする。

 

「――――どういたしまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

紅蓮の海を走る。

 呼吸という動作をする度に、ジリジリと体内が焼けていく感触。うねりを上げながら燃え盛る炎は、その内大気すらも焼き尽くし、あらゆるものを死滅させる獄炎となるだろう。

 その様子を観察しながら、魔力の余波を辿り元凶への到達を急ぐ。あぁ、これは絶対に依頼料に含まれないんだろうな。むしろ料金が払われること自体が妖しくなってきたし。

 

「むっ、この辺りか?」

 

 強まる魔力の余波。眼前に広がるのは紅蓮の繭。おそらく、大気中の、魔力濃度から考えてもアレがこの火災を起こしている核となる部分であろう。

 

「さて、いるんだろう腐れ狼? さっさと姿を現せ」

 

 繭に向かって声を飛ばす。此処まで来るのに大体一分弱、――――急がなければあの二人も持たないだろう。

 

「――――っ!?」

 

 突如、頭上より飛来する焔の風。瞬時に拳を概念強化し、空へ打ち出す様に迎撃。―――キィンと、金属音にも似た音を立て、火炎は宙に霧散する。

 

「いきなり攻撃とは、中々にご挨拶だな腐れ狼。長年現世に出ていなかったせいで、礼儀作法というものを忘れたか?」

 

―――――貴様のその口よりはマシだと思うのだが、スサノオよ。貴様こそ、現世に長い間顕現していたせいで、随分と人間臭くなったようだな――――

 

 脳裏に、直接響く低音の声。それと同時に、眼前では炎の繭がその形を螺旋を描く様に崩壊させ、同時に声の主であろう姿へと変質してゆく。

 炎柱はその灼熱を帯びる尾となり、焔の蛇は渦巻き巨大な胴を造る。空へ燃え盛る炎は、その形を獣の頭蓋の如く変貌させ。全てが結合され、目算三メートル以上はあるであろう巨大な紅蓮の狼となる。その姿こそ炎を祭る古神、火乃迦具鎚の顕現なり。

 

「その名はとうの昔に捨てたよ。今の俺には、〝荒ぶる王〟 を名乗る資格は無いのでね」

 

 一息置き。

 

「二度は言わんぞ火乃迦具鎚、――――今すぐこの炎を鎮めろ。でなければ、実力行使で鎮めさせて貰うが?」

 

―――――断る。数千年ぶりに現世へと出られたのだ。この我を、たかが刀剣なんぞに封じた人間どもにも礼をしなければならないしな――――――

 

 炎が揺らぐ。奴に人としての顔があったのなら、今頃ニヤリと皮肉げに笑みを浮かべていたであろう。まぁ、予想通りの答えではあるか……。

 

「ならば、先ほど言った通り実力行使でいかせて貰うぞ。炎の神よ――――」

 

―――――悪いが、再び封じられて貰う。

 

 その言葉が合図だった。

 

「形式概念付加〝我ガ拳ハ神ヲ封ズ拳ナリ〟 〝我ガ拳ハ万物ノ破滅ヲ促ス〟」

 

 概念を、〝単語〟 ではなく〝文章〟として付加する。概念とは、その存在自体が非常に不安定なものである。それは物事に意味を持たせる為の力。単体ではなく、文章として用いれば、より具体的な力の方向性を付加する物に持たせることが可能になる。だが、それは元々世界そのものの法則と言ってもいい。付加する概念の情報、付加する対象の粒子単位での情報。それらを組み合わせて扱う概念という力は、所詮〝元古神〟ともいえど、生物には過ぎた力。己のポテンシャルを上回るような概念を使えば、それは反動となり直接使用者へと跳ね返る。そしてそれは、この身でも同じこと。

 脳の血管、己の肉体の細胞一つ一つが、焼けるような痛みを帯びる。身体中の血管という血管が破裂しそうだ。ギチリ、ギチリと、まるで壊れたゼンマイ。

 これが概念の副作用。〝破滅〟 などという過ぎた力が、外意外にも内側へと襲い来る。

 

――――魔術方陣一番、五十三番、六十一番が停止。

――――肉体破損状況、内蔵、第二子腸が破損。右大腕部、肋骨四本に罅。

――――結論、戦闘続行可能時間、約三分十二秒。

 

 ギリギリだな、と内心溜息をつく。だが、彼女たちに宣言してしまった以上はやるしかない―――――。

 

「―――――疾っ!」

 

 眼前に広がる炎の獣に向かい跳躍し、両腕を大きく平行一回転。生み出された遠心力を利用し、右の拳を獣の顎目がけて打ち放つ。瞬間、己の拳を遮るように発生する炎の壁。だが。

 

―――――なっ!? ―――――

 

 炎は拳に触れた瞬間、付加された文字通り〝破滅〟 する。フェイントなど使わない。放つ拳は全て本命。小細工なしに、全力で眼前の障害を排除する――――!!

 

―――――頭に……乗るなぁぁ!!―――――

 

 響く言葉と共に、左肩ごと炎の牙に食いちぎられる。左半身の神経接続をカット。同時に、魔術詠唱開始。顕現代償、己の肉体に流れる鮮血。

 

 あと、五十三秒。

 

「我は暴風、無形にて有形たる風の尖塔っ!!」

 

 風の矢じりは不可視の刃となり、獣の火の粉を削り取る。こうしている間にも襲い来る焔。右足の細胞が焼け死に、熱風で右の眼球が狼煙を上げる。復元など後回し。既にタイムリミットは近い。

 あと、二十六秒。

 

――――――地ヲ埋メ尽クス流転――――――

 

 周囲に響く祝詞のような言葉。

 

――――――痛ミヲ知ラヌ世ノ理――――――

 

同時に爆炎は一層噴き上がり、獣は徐々にその姿を変貌させる。

 あと、十二秒。

 

 肉体に残る魔力を総動員。自動復元をカット、耐火概念をカット、余剰魔力を全て右の拳へ。

 

―――――我ハ其ノ世界ニ君臨セシ灼熱ノ獣―――――

 

 あと七秒。

 上昇する魔力に呼応するように、己の瞳と天上に浮かぶ月が蒼海の青に輝く。

 

―――――顕現セシハ、万物灰塵ト化ス煉獄ノ顎ナリ――――――

 

 祝詞が止み、獣はただ獲物を喰らう為だけの、紅蓮に燃ゆる巨大な顎へと姿を変える。

 あと三秒。

 

「――――追加概念付加〝放ツ拳ハ無数トナル〟」

 

 一秒。拳と顎は激突し、そして意識は炎の中へと散っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唇に感じるしっとりとしていて、甘い感触。ねちょり、くちゃりと、舌と舌が絡み合う度に、卑猥な音色を奏でる。―――――って。

 

「むぅぅぅぅぅ!?」

 

 口を塞がれた状態で、私は喉の奥で声を上げる。えっ? 何ですかこの状況? 何で目の前に香織の顔がどアップ? むしろ私のファーストキスがぁぁぁ!?

 

「っぷはっ。小夜ちゃん? どうしたの?」

 

「どうしたのじゃないですよっ!? いきなり人の唇奪うなんて……、私のファーストキスがぁ……」

 

 舌まで入れられました。あれですか? 神様は私に嫌がらせでもしたいんですか。ふと、脳裏にニヒルな笑みを浮かべる双司さんの顔が浮かんだが、後で殴っておくことにしよう。何かムカツキます。

 

「なんか外の熱量が上がってきたからね。私の血って一応水巫女の物だから、直接飲ませれば少しはマシになるかなぁってね♪」

 

 あー、応急処置みたいなものですか。でも、いきなりキスは頂けないです。

 

「ん、炎の勢いが弱まってきてる。あの男本当になんとかやったみたいね」

 

 香織の言葉と共に、ゆっくりとその勢いを弱めてゆく。って、双司さんは?

 次第に視界が開ける。燻りを上げる草原に見える黒い丸の様な物体。なんか、人の影がそのまま丸まったような感じです。そんなことを考えていると、球体はポロポロとその外壁を崩していく。

 

「双司さんっ!?」

 

 崩壊した壁の向こうに倒れる男性。その身体からは、黒く濁った炎の残滓をた揺らせている。その光景を確認すると同時に、私は己の足を彼に向けて駆けだす。あの人は無事なのだろうか? 脳裏にフラッシュバックする六月の出来ごとを振り払い、彼のもとへと急ぐ。無事でいてください。

 

「――――大口叩いた割にはボロボロね。左半身なんか、完全に消滅してるじゃない」

 

「――――五月蝿い。古神相手にこの程度の被害だった時点で俺を褒めるべきだろう?」

 

 全身ボロボロで、左半身からドクドクと流血している彼は皮肉げな笑みを浮かべる。てゆーか、それ大丈夫なんですか?

 

「まぁ、復元自体は出来るからそこまで大した傷じゃないさ」

 

 私の疑問に答える様に、双司さんはめんどくさそうに呟く。死なないのなら、問題ないです。

 

「さて、秋山香織。今の状態の俺なら、割とたやすく殺せるだろうが……どうする?」

 

 そうだ、彼女――――秋山香織は双司さんの命を奪うために今回この事態を引き起こしたのだ。今なら、それを成し遂げる絶好のチャンス――――。

 

「―――やーめた。うん、なんかもうめんどくさいや」

 

―――――はっ?

 

「おいおい、いいのか? 本家からの指令でもあるんだろ?」

 

「いいのよ。〝筋が通ってないことは私はやらない〟っていうのが心情だし。こっちの情報が間違ってる可能性があるなら、私が動く理由にはならないわ」

 

 笑顔で、後ろ髪を払いながら彼女は言葉を紡ぐ。えーっと、つまり。

 

「香織は現状維持ってことですか?」

 

 双司さんを襲うことはないけれど、真実次第によっては別、そういうことだろう。

 だが、個人的には一安心。色々あったけど、今夜はグッスリ寝れそうです。

 

「ふむ、大体復元したな。しかし、朝には筋肉痛になってそうだ」

 

 妙に人間くさい言葉を吐きながら、身体を起こす双司さん。気のせいじゃなければ、さっきまで無かった左腕と足が生えてるんですけど……。

 

「―――――はぁ!? なんでこんな短時間で身体完全復元出来るのよ?! 神格レベルの吸血鬼だって一週間はホルマリン漬けしないと厳しいくらいの傷だったでしょ!?」

 

「生憎、その反応は既に慣れてるんだ。魂さえ無事なら、なんとか復元出来るものだぞ?」

 

 んな訳あるかー!! と、頭を抱えながら空に向かって叫ぶ香織。あぁ、その気持ちよくわかります。魔術師の常識はどうなのか知らないですけど、双司さんに常識という言葉を求めちゃダメです。百倍返しで裏切られますから。そして双司さん、無視決め込んでタバコ吹かさないで下さい。

 

「んっ?」

 

 ふと、遠くに響くサイレンの音。目を凝らして音の方向を見れば、夜の闇に若干赤の光が混じっている。って香織? なんでそんな美少女らしからぬ作画崩れっぽい顔してるんですか?

 

「―――――認識阻害の結界張るの忘れてた……」

 

「―――――秋山香織、今とんでもない愚言を吐かなかったか?」

 

「完全に忘れてたわ……。ついでに遮音も張ったかどうか妖しかったり……」

 

「土下座しろ、今すぐ土下座しろ。そしてどっか遠くの星になれ」

 

 えーっと、つまり。

 

「今までの事、麓からは丸見えだってことですか?」

 

 それって、結構どころかかなりマズイことなんじゃ―――――?

 

「―――――さっさと逃げるぞ!! 秋山香織、転移門開け! 早くっ!!」

 

「あぁもう!! えーっと、術式は―――、あれっ? ここってどっちの式に繋ぐんだっけ? あっ、うっ、早くしないといけないのにぃぃぃっ―――――!!」

 

 双司さんは焦るように私の首根っこを掴み、香織はしくはくしながらよくわからない円陣をつくる。そんな光景を眺めながら、なんだかこういうドタバタもいいなぁと思った私は悪くは無いはずですよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

//epiroge

 

 

 差し込む朝日で、目が覚めた。冷たい室内の気温と、身体に被る毛布の温もり。そしてカーテンの隙間から差し込む、柔らかく暖かいお日様の光。寝ぼけ頭で視界に映る時計を見ると、時刻は午前六時三十五分。眠たい、凄く眠たい。

 

「……ふぁ」

 

 一人暮らしを初めて既に二年ほど立つのだが、私は未だに朝には弱い。正直、同じ一人暮らしで狙った時間ピッタリに起きることの出来る小夜ちゃんが羨ましい。私にはそんなの無理だし。

 未だ気だるい身体を引きずるように、毛布という麻薬から這いずり出る。あぁ、寒い。コロンと、ベットから床のカーペットへとダイブ。やっぱり寒い。熱いのならいくらでも耐えられる自身があるのだが、寒いのは苦手な私である。

 

「気温って、なんで下がるのかしら?」

 

 それが物理法則だから仕方ない。だが、嫌なものは嫌なのだ。

 うぅ~っと、唸りながら重たい身体を動かし洗面所へと向かう。鏡に映る自分の姿はそれはそれは酷いものだった。

 まず、生気が無い。髪は例の如くボサボサ、目は二日酔いの酔っ払いみたいに据わっている。お気に入りの桜色のパジャマは何故か第二ボタンまで外れており、左肩がむき出しになっている。この顔では色気もヘッタクレもないと思うが。

 

「……うぁ~」

 

 いつまでもそんな自分の姿を見ているわけにもいかず、水道の蛇口を捻り水をたたき出す。手を触れると、指先がしびれるように冷たい。これを今から自分の顔にかけなければならないと思うと、洗面台から後ずさりしそうになるが文句は言ってられない。仕方ないので、素直に冷水で顔を洗う。

 

「―――――冷たい……」

 

 もう一度言おう、気温ってなんで下がるんだ。

 ニ、三度冷水に顔を浸すと、次第に頭の中がスッキリしてくる。顔を洗ったらパジャマを脱ぎ棄て、オレンジのブラを装着。ショーツも同色の物に履き替え、そして壁に掛けてある学園の制服を着用し、ベットの側の洋風アンティーク風な化粧台へ。

 立てかけてあるブラシを手に取り、髪に通す。どうでもいいが、私は化粧はしない。というより、まず仕方が分からない。そういえば、小夜ちゃんも化粧はしないみたいだがなんでだろう? うん、今度聞いてみよう。

 ブラシを通し終わったら、再び洗面台へ。歯ブラシを手に取り、歯を磨く。ガラガラと、うがいを三回。

 再び時計を見ると、既に七時半を回っている。そろそろ出ないとマズイだろう。そう思い、机の上に置いてある鞄を手に取る。準備は寝る前にしておいたから、確認の必要は無い。

 ふと、カバンの側に置いてあったモノが目に入る。それは、銀と青の宝石で装飾された短刀。先日、あの男との別れ際に渡された魔具。

 

―――――もし、真実をしってもなお俺を殺そうとするのならソレを使え。その短刀なら、問題無く俺の魂を砕くことが出来るだろう。あぁ後、俺の事務所を手伝う気はないか? 今なら小夜のお茶くみに晩御飯付きだぞ?

 

 どういう意図で、浅見屋双司がコレを私に渡したのかは解らない。そして、何故自分の事務所を手伝えなんて言ってきたかは解らない。だが、小夜ちゃんのお茶くみはなかなかに捨てがたいし、アイツの側にいた方が櫛名田姫の真実を知れる可能性が高い。故に、私はこの案を呑んだのだった。

 そんなことを思い出しながら、私は短刀を手に取りスカートのポケットへ突っ込む。玄関へ向かい靴を履き、ふと一息。

 おそらく、昨日の一件で私の中の何かが変わった気がする。いつもより、心が落ち着いている。多分、一族の目的があやふやになったからかもしれない。そして、小夜ちゃんが私が魔術師だって知っても、友達だと言ってくれたからかもしれない。

ドアノブに手を掛け、再び思考。これから何が起こるか全く予想出来ない。すべきは、己で道を切り開き、考えること。今までみたいに、一族の言いなりに行動なんてしないこと。自分で判断し、自分で決める。筋は通さないといけないしね。実家に報告したら、色々と文句は言われたけど、なんかもうどうでもいい感じだ。勝手に人に色々押し付けるんじゃないわよ。

 ドアを開き、光を浴びる。身体を包む日の揺り籠。さぁ、これからの日常を歩むとしますか。

 

 

 

 

 

 あとがき

 

 

 最近、中学の頃の同級生が結婚しててリア充って何だろうと考えた桜月九朗です。

 

 幸せは 歩いてこない だから歩いて行くんだね

 

 なんて歌詞が昔の歌にありましたが、つまりは行動せねば結果は出てこないってことなんでしょうね。ヘタな鉄砲数撃てば当たると言いますか――つまりは気合で頑張れと。

 

 

 

 でも、浮気がばれて奥さんに睨まれているのだけは真似したくないなぁ……。

 

 

 

 

 最後に、この話を読んで下さった皆様に最大級の感謝を。

 

 

 

 

 

 

 

 

                   執筆 桜月九朗

 


 
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