「……あれ?」
「具合はどうだ?」
「ええっと……俺……どうしたんだっけ?」
ムクリと起き上がり、ヴェーラとサムリを見る。
「倒れた」
「そうだ! 急に頭が痛くなって……どうしたんだろ、俺。今までこんなことなかったのに」
「初心者疲れじゃないのか?」
「初心者? ああ、冒険の初心者ね」
「ゲーム設定に戻ってるな」
ポソリとヴェーラが呟くと、サムリは溜息をついた。
「それさ、どういうこと?」
「話したことを忘れているということだ」
ヴェーラに指摘されると祥は難しい顔をして記憶を確かめる。
確か……と、いつの間にか考えの道筋が口に出ていることに祥は気づかない。
「ああそうだ! 俺、逃げ出したんだった!」
「逃げ出した理由は覚えているのか?」
「ええっと……何だっけ? 知ってる? ……んだよな? 二人は」
「無論」
「教えて」
「自分で思い出せ」
「あ~っ! もしかして忘れた?」
「覚えている」
「じゃあ教えてくれてもいいじゃないか」
「この山を越えた所に剣の奉納所がある。そこに剣を置けば任務終了だ」
「そう言えばそうだった気がする。なんだ、思ったより簡単だ」
「道のりの半分以上、気を失ってサムリに担がれてれば、確かに簡単だな。その上、楽だ」
「…………」
祥は言い返すことが出来ずヴェーラを睨むが、深紅の髪は動揺に揺れたりしなかった。
そしてその視線をヴェーラはきっぱり無視する。
「このまま行くか?」
「そうだな。最後は歩け、召喚士」
自分の怒りも感情もすべて無視されているような気がして、祥はムッとした表情を浮かべると、
「なんかさ、世界を救う召喚士に対する敬いの言葉とかないわけ?」
「せめて自分の足で歩ける召喚士ならな」
「歩きたくないわけじゃないぞ!」
「そうか?」
「そうだ! さあ、行くぞ!」
一転して元気よく歩き出した祥の背中を二人は見つめ、してやったりと書いていそうな表情を一瞬だけ浮かべて無言で後を追い始めた。
「あとどれくらい?」
「私の足で三十分。だがこのスピードでは一時間強だな」
ヴェーラの返答に祥は自分の足が遅いことを暗に指摘されていると悟り、微かに頬を膨らませて足を早める。
「すぐに息切れするぞ」
「しない!」
「着いて使いものにならないと困るんだが」
「大丈夫っ!」
祥はあくまで強気で返答したがすぐに呼吸が荒くなり、スピードがガクンと落ちる。
「抱っこしてやろうか?」
ニヤニヤと笑いながら楽しげにサムリが声をかける。
「断る!」
「膝が笑ってるぞ」
「五月蠅い!」
叫んで祥が立ち止まる。
クルリと振り向き人差し指を二人に突きつけると――祥はあり得ないほどの甲高い悲鳴を発して二人とは逆の方向に全力で走り出した。
「ショウ!」
呼ぶと同時に抜刀する。
が、その二人の間を何かが大群となってすり抜けてゆく。
「何だ?」
「蛇か?」
「いずれにせよ魔物だ。興味はあいつにだけだ」
「そのようだな」
言い捨てるようにしてヴェーラが走り出す。
「ショウ!」
「止まれない! 俺は絶対止まらないからな!」
夜明けが近いらしく、空が白々としてきている。
蛇と見えたそれらは確かに蛇のように細長い生き物だったが、暗い肌色のそれは不気味に生々しく見えた。
「止まっても魔物はお前を殺すことはない」
「嘘だ!」
「お前が死んでは魔物の望みは叶わないからだ」
「望み? 俺が死んだ方がいいんじゃなかったのか? こんな何にも考えてなさそうな奴らに望みなんてあるはずがない!」
「そいつは帰りたいんだ」
「え?」
「そいつはこの世界の魔物ではない。お前同様自分たちの世界に。お前に引き寄せられてこちらにきた魔物は皆お前を求めている。だから殺さない」
そうだ、あれは花子というゴリラだった。
祥は思い出し気合いを込めて足を止める。
と、無数の魔物は祥を取り囲むようにして動きを止めた。
これ幸いにとヴェーラとサムリが魔物を掻き分けて祥の元へと歩み寄る。
「大丈夫だろう?」
「ほっほんとだ……、それならそうと早く言ってくれよ」
「言った」
「あんた、止まれって言っただけじゃないか」
「それで通じると思ったが?」
「通じるはずがないだろ」
「そうか?」
裁決をサムリに任せると「通じる」と一言返してきた。
「チッ お前たちグルなんだから、意味ないよ」
「そういう不正はない」
「信じられないね! それで、どうするんだ?」
「これはかなりヤバイな」
ヴェーラがサムリに耳打ちするが、声を潜めている訳ではないので祥に丸聞こえだ。
「ヤバイって、何が?」
「覚えてないのか?」
「だって……あっ!」
「自分の立場を思い出したようだな。三回の召喚うち二回は上手いタイミングで意識を失っていたからな。残る一回も実にスムーズにお帰り下さった」
「ちょっ やだ! やだって!」
「こいつらを返してやろう」
「ダメダメダメダメ! 嫌だ!」
叫んで逃げ出そうとすると、魔物が一斉にジリと動く。
その一糸乱れぬ行動に祥の心臓がビリビリと恐怖に痺れた。
「諦めろ」
「い~や~だ~!」
「成見祥、汝に命ずる。この魔を払う魔を召喚せよ」
うわ~っと大声を張り上げてヴェーラの声を妨害したが、凛とした声音は辺りに響き渡った。
「うっ」
祥がモゾモゾと身体を動かす。
耐えきれずに蹲り無理矢理押し込めるが、出て来ようとする力の方が大きい。
(……やだ)
心の中で言うが身体の中の熱は膨れ上がり、下から上へとせり上がってくる。
(……タスケテ)
――心配ない
聞こえて来たのはヴェーラの声だった。
(え?)
――流れに逆らわぬが一番だ
チラとヴェーラを見上げる。
だが視線は魔物たちを見据えていて、真っ赤に燃えるような髪しか見えない。
何が起きているんだ?と問いかけようと口を開いた瞬間、この時を待っていたとばかりに熱が口から飛び出してきた。
この不快感は経験をなぞっているだけなのかもしれない。
今初めて祥はそう思う。
どう考えても自分の口から、学校で一番の巨漢が出てくると思えないからだ。
(……もしかしてここは巨人の国で……俺も巨大化してて、だから高山が俺の口から……)
そんな笑ってしまうようなことを考えながら呆然としている高山の肩を祥は叩きながら囁いた。
「タカヤマ……」
「あ、成見くん、だったよね」
「ああ」
普段と目線が変わらないということは、この世界に来ると誰もが巨大化するのかも……と、祥はまだそんなことを考えている。
「ここは? ボクは魚に餌をやろうとしてたところなんだけど」
高山の言葉に魔物の正体を知り、祥は身体を震わせて、
「すぐ帰す。今帰す」
「何だかよく分からないけど、頼むよ。ボクの大事なフィーちゃんにご飯をあげないと」
そう言って右手に持った割り箸を器用に動かす。
恐らくその割り箸で変化前の魔物を掴もうとしていたのだろう。
「あ、フィーちゃんってね、可愛い女の子の魚なんだ。フィッシュだからフィーちゃん」
(聞いてないよ!)
心の中でだけ叫ぶと、
「召喚した。あとはどうすればいい?」
ヴェーラに尋ねる
「さあな」
「はぁ? あんたたち、この世界で今まで何体も魔物を倒してきたんだろ?」
「剣で倒せる魔物はな。そうでないものは我々は指示した覚えはない」
言われてみれば……悲鳴で、包丁で、存在そのもので魔物を退けてきたが、どれもヴェーラたちが行動を指示したものではなかった。
「どうすれば……」
「召喚獣に任せる他あるまい」
ヴェーラの返答に高山が反応し「召喚獣って何?」と尋ねてくる。
「お、終わったら説明するよ」
「終わる? 何が?」
「こいつら!」
祥が指さしてようやく高山は周囲の魔物に気づいた。
「丸々太ってる! すごいや」
(すごくない、すごくない)
「それ、全部持ち帰っていいから」
「本当かい? 本当に全部持ち帰ってもいいのかい? 嬉しいなぁ。全部で何回分の餌になるかなぁ。成見君と同じクラスになったことないけど、良い人なんだね。来年は是非とも同じクラスになりたいねえ」
「あはははは。そ……そうか。俺はどっちでもいいけど」
「じゃあ、なりたいって祈っててよ」
「う……うん」
微笑で祥が応えると嬉しそうに笑みを返し、心弾ませて高山が魔物の前に立って割り箸を振り回し、
「ほらほら、餌箱に入れ~」
何だよそれ……と祥が呟くが、驚いたことに魔物たちは割り箸によって作られた空気の渦に吸い込まれていく。
グルグル回ってどうなるのかと見つめる祥は、渦の中から魔物が消えていくのがわかった。
「やったぜ!」
最後の一匹が消え失せると「成見君! また――」と尻切れトンボな言葉を残して高山もまた消えていった。
「お見事」
「……俺、何にもしてないし」
「見事に召喚獣を操っただろう?」
「そんなことしてない。餌だって高山が勝手に……」
言いながら魔物の正体を察して急に気分が悪くなる。
「どうした?」
「俺……ミミズ苦手……うわぁぁぁっ あいつらが集団でにょろにょろしてる所を想像したらものすごく気持ち悪くなってきた!」
口に手をあててせり上がってきたものを堪える。
――考えるな!
頭の中で響いた声に祥は驚く。
(さっきも同じ事が……。ヴェーラの声だよな? でもどうして?)
考えていると気持ちが悪いことを忘れてしまう。
「走ったおかげで目的地に着いた。奉納場所はこの先だ」
「ほんと? 終わったら帰れるんだな?」
「ああ。他に用事はないからな」
ヴェーラの偽りのなさそうな声音に嬉しそうに頷き、この際細かいことはどうでもいいと、不思議な体験のことを意識的に考えないようにすると、
「行こう!」
率先して歩き出した祥を見て、
「実に扱いやすい」
ヴェーラはたとえようもなく楽しげな笑みを浮かべると、十日前に訪れたばかりの奉納場所――魔族の王の墓領に足を踏み入れた。
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流されやすく単純な高校二年生の成見祥。ある日ある場所で時間切れのどさくさまぎれに召喚士として見初められ、赤い髪の女戦士ヴェーラとその守護者サムリの二人異世界へと連れ去られてしまう。
剣の奉納をすればいいと思っていたが、後から知らされた真実に嫌な予感が祥の思考を覆い尽くすほど溢れてくる。
勢いで押しまくり奉納させてしまおうとするヴェーラとサムリ。
そして祥はまたしても魔物に追いかけ回され――。