No.312551

【編纂】日本鬼子さん六「その志、忘れるでないぞ」

歌麻呂さん

「あー! こにぽん、私のプリン食べたでしょ!」
「ふふ、鬼子のことでいっぱいなのね」
「家出、するつもりなのかい?」
「秘密基地、教えてやろうか?」
「その胸に大志を抱いて精進したまえ」

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2011-10-04 14:11:38 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:673   閲覧ユーザー数:673

 定時になっても日本さんが来ない。

 こんなの一度たりともなかった。いつもは集合時間の三十分前には来てるのに、どうしたんだろう。初めてこっちの世界で待ち合わせをしたときは三時間も前から待ってたっていうのに。そんなやる気を出すのはコミケの日だけで十分だよ。

 というわけで、日本さんを迎えに紅葉林に赴いたワケだ。久しぶりに来たら、ちょっと肌寒さが増してきた気がするけど、紅葉は相変わらず落ち着きのある茜色の葉を付けていた。風が吹くとちらほら葉が舞うけど、しばらく盛りは続くみたいだった。

 

「ひっのもっとさーん、あっそびーましょー」

 おなじみの文句を口ずさみながら庭を通る。しかし、いつものようなドタバタと床板を鳴らす返事は聞こえない。その代わりに――といってはあまりにも奇妙だったけど――玄関にヒワイドリとヤイカガシが縄で束縛され、吊るされていた。晒し首というか、ならず者の末路というか、そういうプレイというか、新手の嫌がらせというか……。なんにせよ、無視するのが最善の策みたいだ。

 

「鬼子ならいないぜ?」

「うわあ!」

 戸に手を掛けたそのとき、白い鳥の姿をした罪人が喋りだした。ついさっきまで死んだようにくたばってたヒワイドリがいきなり動きだしたもんだから、思わず声をあげてしまった。

「ひ、日本さんがいないって?」

 高鳴る鼓動を抑え、荒くなる呼吸を整えながら言葉を繰り返す。あー、今になって気付いたけど、こっちの世界で鬼が現れたのかもしれない。最近アタシたちの世界で鬼を祓ってばかりいたから、こっちの事情をすっかり忘れていた。

 

 ヒワイドリがニタニタと汚らしい笑みを浮かべる。

「連れてってやろうか?」

「え、鬼を退治しに行ってるんでしょ?」

「んなワケねえよ。鬼子は遊びに行ってんだ」

 日本さんが遊びに行ってる? アタシの約束をほっぽり出して?

「どうだ? こっちの世界を散策する。面白そうじゃねえか」

 何の理由もなく約束を破るはずがない。きっと何か裏があるに違いない。

 ……裏。

 いや、そもそも企んでるのはヒワイドリなんじゃない? きっとこの誘いは悪魔の囁きなんだ。

 

「で、でもヒワイドリ君」

 もう一方の吊るしあげが横から加わる。

「今日鬼子さんたちは、こにさんとわんこ君と水いらずのお出掛けなんだよね? 邪魔しちゃ悪いよ」

 どうも鬼子さんが出掛けたことは本当らしかった。すると昨日鬼子さんが帰ってから決まったからアタシは知らずじまいだったのだろうか。どこか腑に落ちないけど、二人の会話から推測するとそういう経緯らしい。ヤイカガシも仕掛け人だったら話は別だけど。別だったら別で、卑猥な展開を狙ってるんじゃないかと疑わなくちゃいけない。

 

「水いらず? んなことどーでもいいんだよ! 早く仲直りさせねえとメンドクセーんだってんだ! 水いらずの旅なんざ、いつだってできんだろうがよ!」

 仲直り? 誰と、誰が?

 

「おい田中ァ!」

 怒鳴るような名指しを受け、自然気をつけをする。

「縄ほどけ。んで乳の話をしろ!」

「ハアァ?」

 この変態は何を仰せられてるんでございましょう!

「乳話を聞きゃあオレの同胞が寄ってくっから、みんなでアンタを担いで連れてってやんだよ! それからな、オメェはこにに謝れ。鬼子がオメェの住む世界を気に入っちまったから、こにがヤキモチやいて家出しかけたんだよ」

 家出? まあ確かに最近日本さんはアタシとずっと一緒にいたから、こにぽんが寂しくなるのも分かる。でも家出をするなんて考えもしなかった。とにかくヒワイドリは何としてもアタシを連れていきたいようだった。

 というか、ヒワイドリがこんな本気になって説得してる姿を初めて見た。もしかしたらヒワイドリとヤイカガシの言ってることは本当のことなのかもしれない。

 

 まあ、別に行ってもいい。というかこにぽんに嫌われたら三日間ひきこもると思う。

 ひきこもりたくないし、こにぽんに嫌われたくもないけど、でもまだ首を縦に触れない理由があった。

 

「二つだけ質問に答えてくれる?」

 中指と人差指を立てると、白鳥姿の鬼は「あたぼうよ」と頷いた。

 

「一つ目、なんでアンタたち、縛られてんの?」

 二匹の顔色が変わる。この様子だと、何か思い出したくないものでもあったんだろうなあ。

「こにさんの家出の手助けをしちゃったんだ」

 ヤイカガシがアタシの様子を窺いながら口を開いた。

「チチメンチョウさん、チチドリ君、モモサワガエル君のいるところに行こうって言ったんだ」

 チチ、チチ、モモ……。あらかたどんな輩なのか想像がついちゃうから困る。そりゃ縛り上げの刑に処されるわ。

 

「でも、仕方ないよ。こにさんはああ見えて頑固だから、止めても目を盗んでどっか行っちゃうと思うから……。紅葉林の外は危ないし、ならいっそ保護者同伴で家出しちゃったほうがいいと思ったんだ」

「テメ、それオレの提案じゃねえか! なに自分が考えました、みてえに言ってんだよ!」

 どちらも保護者というか誘拐犯といったほうが近いけど、理には適っていた。あとから考えていいか悪いかはさておき、少なくとも嘘ではない可能性は高い。

 まあ、ぶっちゃけこの質問はあまり重要じゃないんだけどね。

 

「じゃあ二つ目だけど――」

 むしろこっちが本題だ。

「縄をほどいてから乳の話をするんじゃなくて、乳の話をしてから縄をほどくって形にしてくれる?」

「ど、どっちでもいいだろうが!」

「いや、これだけは譲れないね!」

 奴をフリーのまま乳を語ったら何をされるか分からない。アタシの貞操絶対死守防衛のため、ここは引けない。

「アタシとしては、別に今日は帰ってもいいんだよ? 日本さん、久しぶりの休暇なんだし、ゆっくりしていってほしいよ」

「……チッ」

 エロ鳥め、わりと本気だったな。

 

「しゃあねえ、乳の話だ。オメェ自分の乳に自信はあるか?」

 ヒワイドリは半ばヤケクソに話題を振った。自分の胸を見る。誇れるワケもない、主張すらしない慎ましやかなふくらみがそこにある。

「自信はそりゃないよ。でも別に劣等感抱くほどじゃないなあ。むしろ、動きやすいから疲れにくいし」

「ほう」

 ヒワイドリは目を丸くして頷いていた。アタシがフツーに話しちゃってるのに驚いているみたいだ。まあ、この胸とも長年の付き合いだしね。多少の恥じらいを拭い去れば普通に語れますよ。残念でしたね。

 

「でもオレの同胞がアンタに憑いたときは巨乳の念が強かったみてえだが?」

「あー、そういうのあるかもしんない」

 日本さんと出会ったあの日を思い出す。確かにあの日、胸の大きな女性に視線がいってたと思う。

「憧れはあるよ。アタシにはないもの持ってるんだもん。基本どんなサイズも好きだから、そんな強い憧れでもないけど」

 客観的に見る大きな胸は女性としてすごく魅力があるけど、主観的に見れば、そんなの重くて肩が凝って大変だと思うから、実はあまり羨ましいと思ったことはない。ぺたんことかまな板とか呼ばれたことがあったら、もう少し羨望の情は強かったんだろうけど。

 

「どんな胸でもイケるクチか! くうっ、オメェみてえな同志を欲してたんだよ!」

 ヒワイドリの瞳が子どもみたいにキラッキラ輝かせるほど、喜びと興奮を兼ね揃えた眼をしていた。

「チチメンもチチドリも、乳のこと分かってるフリしてなんも分かっちゃいねえんだよ」

 なんたらかんたらと、ぐちぐち心の鬼が毒をばら撒いていたものの、しばらしくて再び顔をこちらに向ける。

 

「サンキュー田中、いい乳の話だったぜ。さあ、縄をといてくれ。今なら仲間を呼べる」

 ヒワイドリの感謝を耳にして、こっちまで嬉しくなる。まさか心の鬼に心を清められるとは思いもしなかった。ごちゃごちゃに結ばれた縄をほどいてやると、間もなく片方の羽を挙げた。

 瞬間、背に数多の視線を感じる。考えたくもないし、振り向きたくもない。でも、頭の中でその情景が簡単に想像できてしまうから勘弁してほしい。

 ドドドドド――という芝を駆ける雪崩のような音で地面が揺れる。玄関の戸がガタガタ言いだしはじめ、ぶら下がりのヤイカガシが振り子時計みたく時を刻む。

 

「乳だ祭だ語って聞かせ! 乳の話をしようじゃないか!」

 B級ホラー映画並みの恐怖を感じさせるものが地鳴りと共に近付いてくる。

 あまりの怖さに我慢できなくなり、音の鳴るほうへ顔を向けてしまった。

 その瞬間、体長三十センチの雪崩に足をすくわれる。幾百のトサカと羽に流され、気付いたら中央で担がれているベニヤ板のような神輿に載せられて正座していた。

 

「どうだ、オレたちの卑猥神輿は! 鬼子行直通だぜ!」

 隣には(どのヒワイドリも同じ姿だから推測だけど)日本家に入り浸っているかのヒワイドリがいる。

「そのネーミングセンス、どうかと思うよ」

 戸惑いを通り越して、アタシはいたって冷静なツッコミをかましていた。変態鳥は笑って答えない。

「あの、ぼくは?」

 玄関で放置されているヤイカガシが大声で叫ぶ。

「オメェは留守番でもしてろ! 般にゃーいねえんだし」

「ひ、ひどい……!」

 ヤイカガシの縄もほどくべきだったんじゃないか……? なんてことを思ったけど、そんな後悔は即座に取り払われた。

 何故なら、卑猥神輿は思った以上のスピードを出して吹っ飛んだからだ。初速度とかそういう物理法則をムシしたぶっ飛びようだ。考えるヒマなんてどこにもない。

 

 ぶっちゃけ、生きて辿りつける自信がありません。

 

 

   φ

 

 冬の気配を感じさせる北風に潮の香りが混じるこの村の門をくぐる。門前と物見櫓の防人が訝しげに俺たち一行を睨んでいるが、もう慣れてしまった。普段は人々で賑わっているであろう大通りにも人はどこにも見当たらない。廃村、というわけではない。そいつは家屋の内から突き刺さる恐怖と興味の視線を感じれば分かる。

 こんな真昼間から静まりかえってしまうのは、俺たちがこの村の門とシロの家を往復する間だけだ。

 何度も出入りしてるし、俺たちに害はないと分かっていながら――奴らが本気で怖がってんのか習慣でこわがってる振りしてんのかはしらねえけど――ぱったり人がいなくなってしまう。

 

 シロの家は海から少し離れた丘の頂にある。真っ赤な鳥居をくぐり、急な長ったらしい階段をのぼり、再び朱色の鳥居をくぐる。俺たちが来たからだろうが、境内は静寂に包まれている。

がらんどうの敷地を見渡せば、その広さが途方もないことだってのが分かる。

 拝殿へ続く砂利道を歩く。さすが人間の信仰を多く受ける稲荷一派の社だ。面積に加え、遠く見える社殿の厳かさは息をのむほどだ。

 

 そして足元に荘厳さとはかけ離れた狐耳の巫女娘がうつぶせに倒れていた。たばねた稲穂色の髪と尻尾がだらりと垂れ下がっている。

「おい、起きろ、馬鹿」

 足で奴の横腹をつつく。

「あっ! わんわんダメだよ! けっちゃダメ!」

 蹴ってない。起こしてるんだ。

 

 こいつがどうして境内のど真ん中で倒れてるのか予想してやろう。まず、村の門番が俺たちを目撃する。そしたら村全体に知らせるために法螺貝やら狼煙やらをあげるだろう。そいつを耳にした、目にした村人が避難所であるこの神社へ逃げ出す。こいつはその波にもみくちゃになる。でも鬼が鬼子だという知らせが訪れるや否や、今度は逆に一斉に境内から飛び出していく。騒動の中でこいつは躓き、人間どもに踏み潰されたんだろう。人間だったら圧死だが、神さまの端くれであるこいつはかろうじて気絶で済んだ……つまりそういうことだ。

 

「うう……」

 狐娘がもぞもぞと動きだす。俺のつつきで意識を取り戻したらしい。

「シロちゃんおはよう!」

 その挨拶はどうかと思うが、しかし実に数ヶ月ぶりの再開に小日本は嬉しそうに飛び跳ねている。

 

「こにちゃん? あれ、わたし確か……」

 奴がこの稲荷神社の見習い巫女のシロだ。きっとこいつの天然ぶりに勝る奴はいない。俺はまだ数回しか顔を合わせてないが、名高き白狐の劣等生と認識している。

「気絶してたんだろうよ。ったく、お前は実にのろまな奴だな」

「あ、わんこさんも」

「あのなあ、だから俺の名前は――」

「それに、鬼子さん! どうしたんですか皆さん揃って」

 なぜみんな俺の名を知ろうとしないんだ。名前を言えない呪いでもかかってるんじゃないかと疑ってしまう。

 

 鬼子がシロに手を差し伸べる。奴は感謝の意を述べ、その手を借りて立ち上がった。

「こにぽんにも護身用の武器が必要かと思って」

「あー、最近物騒ですもんね」

 鬼子の台詞は俺の受け売りだ。小日本に戦いを経験させたくはないが、万が一ってときがある。嘘月鬼や昨日のスダジイの鬼のように般にゃーの領域内でも鬼は出没したんだからな。この神社の宝物庫に行けば身を守れるものもちゃんと備わっているだろう。

 ――というもっともな理由をつけて、シロの家へ遊びに来たのだった。昨日の今日でやってきたのは小日本のおねだり駄々捏ね地団太の三連技による成果だ。

 

「とにかく、立ち話もなんですし、上がってください。おじいちゃんも会いたがってますから」

 拝殿脇にある稽古場に向かう。そこの二階がシロと白狐爺の生活の場となっている。鬼子と小日本とシロの談笑しながら歩き、俺はその後ろに付いていた。

 

 昔、小日本と鬼子はこの神社で暮らしていたらしい。

 らしい、というのは詳しいことは知らされていないからだ。鬼子は極端に過去を語りがらないし、シロも白狐爺も教えてくれない。

 シロの背が伸びたな、とふと思った。小日本の背丈より鬼子のほうに近付いている。そんなシロはどこか嬉しそうに近況を述べていた。尻尾を左右にせっせと振っている。まったく、犬じゃねえんだし、もう少し大人しくしてくれてもいいじゃねえか。

 

 引き戸を開けると、稽古場に銀髪の老人の姿があった。俺たちに背を向け、達筆な字の記された掛け軸に正座している。

「じじさまー!」

 小日本が草履を脱ぎ散らかして、どたどたと床を駆ける。電光石火だった。鬼子もシロも俺も、抑える間もなくつむじ風のように白狐爺の元へ突撃する。

「えいっ!」

 小日本が飛び付く。シロが顔を覆う。鬼子が謝罪の体勢を取る。そして、白狐爺は――、

「おお、こにか。大きくなったのう」

 年老いた白狐は全身で衝撃を受け流し、穏やかな口調で背中の小日本に語りかけていた。もう御老体ではあるが、あらゆる体術や武術を会得しているからこそ耐えられたんだと思う。

 

「こに、もうオトナになれた? オトナになれた?」

 小日本は大人に憧れている。正直、俺には信じられない。大人なんて卑怯で卑屈で小癪な奴らばかりじゃねえか。どこに憧れる要素があるってんだよ。

「そうじゃの……」

 白狐爺はしばらく考えるふりをする。その顔は孫を見る綻んだ顔だった。

「まだまだ、じゃな」

「えー、なんでなんでー」

 神聖な稽古場を礼もなく駆けだして白狐爺に飛びついたからだろうが、と心の中でつっこみを入れる。爺さんは何も答えなかった。というより、鬼子が割り込んできたから答えるに答えられなかった、というのが正しいだろう。

 

「お爺ちゃん、ごめんなさい。こにぽんたら……」

 鬼子と白狐爺の会話を聞くと、よく耳がぴくりと動いてしまう。どこか違和感があるんだ。たぶん白狐爺のことを「お爺ちゃん」と呼ぶからだろう。親密さを感じるはずなのに、どこかよそよそしいんだ。

「いいんじゃよ。元気がいっぱいそうでなによりじゃ」

 平謝りする鬼子を慈しむように白狐爺は微笑んだ。

 二人は師弟の関係でもある。鬼子に薙刀術を指導したのは白狐爺だ。どれほどの期間鍛錬を積んだのかは定かでないが、教授の上手さは一級ものだ。俺にも戦い方の極意を存じているに違いない。

「じじさま、なんでこにはオトナになれないの? ねえ、なんでなんで?」

 小日本の質問責めを受けるも、白狐爺はちっともうろたえることはなかった。

 

 と、瞬間視線が俺を貫いた。

 本当に寸刻だったから気のせいかとも思った。白狐爺の視線は既に小日本へ注がれている。

「ふむ、あとで教えてあげようかの」

「えー、今しりたいのに」

「お団子、食べるかい?」

「うん、こにだいすきー!」

 刹那の間に小日本の関心を逸らした。言葉の居合だ。

 

「シロや」

「は、はい!」

 シロは俺と並んで玄関に立ち尽くしていたが、白狐爺に呼ばれて気をつけをした。

「二人にお菓子を出してやりなさい。お茶淹れるときは火傷に注意するんだぞ」

「は、はいっ!」

 隣の見習い巫女は一つ意気込んで階段を上った。

「へぶっ!」

 袴を踏み、段上で盛大に転んだ。一段一段が高いこの家屋の階段は、きっと「何事があろうとも、常に心を落ち着かせよ」という戒めが込められているに違いない。

 

 鬼子は白狐爺に一礼し、小日本の手を握る。小日本はおだんごおだんごと節をつけて歌い、飛び跳ねながら階段へと向かっていた。

「さて、お主は団子より稽古がしたいと顔に書いておるようじゃが」

 見透かされていた。先程の目があったその一寸で俺の心境を全て見破っていた。

「どれ、わしが相手してやろう。如何様な稽古がしたいのかな?」

 多分、少し前の俺だったら、返事の代わりに戦う構えを取っていたことだろう。打ち負かしてやる、なんて幼稚な感情に任せて突撃していたかもしれない。でも今や戦う以前に降伏していた。

 

「戦わないで勝つ方法を教えてほしい」

 白狐爺が初めて驚きを見せた。でもすぐに和やかな顔に戻る。

「昨日、鬼と出くわして、戦って、負けた。いざってときになると、考えるより先につい手が出ちまう。今までの自分のままじゃ、駄目なんだと思う。それで、鬼子が薙刀を振るうのは最後の手段だって言ってたのを思い出したんだ。俺、鬼子みてえな戦い方をしてみたいんだ」

 しわくちゃの、彫りの深い眼が、一言一句洩らさず聞き取ろうとしていた。ときおり頷いて、述べ終えたあとで頭を撫でられた。何もしてないのにご褒美を貰ってるみたいでむずがゆかった。

 

「相変わらず生意気な口をきくのう」

 そう言ってふぉっふぉと笑われた。顔が火照ってくるのが分かる。何か言い返してやろうと思ったが、その前に白狐爺が続ける。

「じゃが、心意気はまっすぐ育っておるようでなにより」

 少し褒められるだけで嬉しくなってしまうのが癪だったので、釣れない顔をする。それが精一杯の抵抗だった。

 

「じゃが」

 その一言で空気が一変する。

「わしがその稽古を付けることは出来ぬ」

 

「な、なんで――」

「なぜなら」

 白狐爺の声は決して大きくない。囁きと言ってもいい。それなのに、俺の反論を封じるには充分すぎた。思わず後ずさってしまう。

「あれは鬼子が培ってきた心なのであるからな。それに、今のお主には合わぬじゃろう」

 合わない。それってつまり、俺には才能がないってことなのか?

 だってそうだろ? 俺の唯一の支えである、憧れである存在と同じ高みに行けないなんて言われたら、あとはもう絶望するしかないじゃないか。

 

「よいか、戦うことは、生きることじゃ。戦う道は、生きる道じゃ。鬼子の道は鬼子のものであるし、お主の道はお主のものである。お主が鬼子の培った道の上で戦おうなど、それこそ宿世が許さぬというものじゃ。お主はお主の道を究めるが良い。そのためにも大いに悩みなさい。苦心して見つけだしたものこそ、真の生きる道じゃよ」

 きっと白狐爺の言ってることは正しい。同時にとてもありがたいお言葉だってことも分かる。

 でも、今の俺には、それすら老人の言い訳にしか聞こえなかった。

 

「なら俺は……俺はどうすればいいんだよ。俺の道なんてとっくに否定されちまってるじゃねえか」

「否定なんて、されてはおらぬよ。ただちょっとばかし、道に迷っておるんじゃ。大切なことよの」

 白狐爺は相変わらず物静かで、諭すようで、小さい子に物語絵巻を語り聞かせているようだった。

 

「お主と初めて会ったときのこと、今でもはっきり覚えておるよ」

 もう四年前になる。俺が鬼子に仕えようと決心してすぐのことだった。

「わしが鬼子に近付いただけで、お主はこう言ったんじゃ。『俺の飼い主に手を出すな、鬼子は俺が守る』とな」

 ガキだったころの俺は、白狐爺を敵と認識し、牙を剥いて威嚇したんだった。あの頃は鬼子だけだった。

「あれから、お主の道は始まったのではなかったのかな?」

 鬼子に助けられ、鬼子と共に旅立ったあの日。

 確かに今の俺はあのときから始まった。

 

 鬼子は俺が守る、か……。

 その志が、知らぬ間に独りよがりな考えに変貌してしまっていたのだろうか。

 強くなりたい。

 いつの間にか、そんなことしか考えてなかったような気がする。

 

「おじいちゃあん! おじいちゃんおじいちゃん!」

 物思いの邪魔をしたのは階段を慌てて降りるシロだった。

「なんじゃ、もっと静かに急げんのか」

「そんな、無茶言わないでください!」

 慌てず、焦らず、急げってことか。

「それより助けて下さい、こにったら宝物庫に行きたいって聞かなくて……」

 遅れて小日本と鬼子も稽古場に戻ってきた。ここに来た名目をうやむやにしていたのが気に入らなかったのだろう。こりゃもう、お団子より先に宝物庫に行くしか解決の術はない。

 

「すみませんお爺ちゃん。あの、こにぽんに護身用の武器を下さいませんか?」

 鬼子も小日本の性格を承知しているみたいだった。

「遊んで怪我しないように、危なくなくて安全なものがいいんですが……」

 いや、それ武器じゃねえよ、玩具だよ。と言いたいが、そんなこと言ったら面倒なことになるからやめる。

 

 白狐爺は一息ついて、小日本を手招きする。

「よし、こにが大人かどうか、すぐに分かる武器をあげよう。じじさまと一緒に行こうか」

「ほんとっ? いくいく!」

 鬼子の元を離れ、とてとてと白狐爺の元へ駆け寄る。白髪の老人が小日本を抱き上げると、桜着の少女は実に嬉しそうな笑みを漏らした。

 やはり、ここが小日本の故郷なんだな、なんて思った。

 

 ……そうして、小日本の過去についても、俺はほとんど何も知らないことに、今更気付くのだった。

 

 

 初めて来る場所だった。位置としては拝殿の地下辺りだろう。中はひんやりとしていて薄暗いが、牢獄のような淀みは一切感じられなかった。

 宝物庫は神器マニアの白狐爺が集めた使い手のいない神器を納めている倉庫だ。神器と言っても大層なものではない。人間にとってはえらくありがたいもんかもしれないが、神さまにとっての神器集めは骨董品集めのようなものだ。

 ちなみに鬼子の薙刀もこの倉庫にあったものらしい。般若面と小日本の恋の素はまた違った経緯で賜った神器なのだが。

 

 提灯が神器の林を掻き分ける。柄杓のようなものから、膠(にかわ)状の歪んだ人間の顔を縫い合わせたような物体まで、実用性のありそうなものから何に使うのか理解不能なものまで所狭しと陳列されている。

「おったおった」

 提灯をシロに預け、白狐爺は乱雑に立てかけられた長物たちから、一際長い刀を取り出した。

 目測四尺八寸。小日本の身長は無論のこと、俺の身長とほとんど大差のない見事な野太刀だった。

 

「霊刀『御結(おむすび)』じゃ。ほれ、鬼斬に似て長くて格好良いであろう?」

 黄金色の頭と鍔、漆塗りの鞘、藍色の鞘はきっと俺が生まれるより何百年も昔から呼吸をしているのだろう。その深みに、言うまでもなく小日本の瞳は輝きだした。

「じじさま、もっていい?」

 当然とも、と白狐爺がそれを少女に与えた。爺さんが手を離すと、小日本は体勢を崩して刀に振り回される。かなり重いらしい。

 それでも懸命に足を踏ん張り、丸太を持つようにして御結を抱きしめる。

「じじさま、ぬいて、いい?」

 平然を装おうと努力しているのが丸見えで、思わず顔が綻んでしまう。

「よいとも、何事も挑戦じゃ」

 白狐爺は自分で言って、自分で頷いていた。小日本は張り切り爪先立ちになって鞘を抜こうとするが、びくとも動かなかった。

 

「貸してみろよ」

 小日本の力じゃ抜けないのだろう。御結を奪い取る。なるほどこれは重い。こんなもの俺でも扱えないと思う。

「あー、それこにの! かえして!」

 小日本の訴えを無視し、鯉口を切ろうとする。

 しかし、鞘はびくともしなかった。錆ついているとかそんなちゃちなもんじゃない。刀自身が抜かれるのを拒んでいるような、そんな感覚だった。

 

「わんこ、返してやりなさい」

 時間切れだった。悪戦苦闘しても抜けない。悔しいが持ち主に刀を戻さなければならない。再びバランスを崩す。白狐爺がそれを支えた。

「こにや、御結はの、大人にならなければ抜けぬのじゃ」

「じゃあ、こにはやっぱり、コドモなの?」

 少し寂しそうな顔をして呟く小日本に、白狐の老人は優しく微笑んだ。

「落ち込むことはない。その刀はわしでも抜けぬ」

「じじさまもコドモなの?」

 素朴な疑問に、ふぉっふぉという笑い声が蔵に響いた。

「それはな、大人になったお主にしか抜けぬ。その代わり、抜くことが出来ればお主の心に宿る力を最大限引き延ばすことが出来よう。そういう刀なのじゃよ」

 そう言って、小日本の帯に結ばれた恋の素をほどき、鞘尻に結び直した。しゃりん、と鈴が揺れる。

 

「こには、皆が仲良しになれたら良いと言っておったな?」

「うん! こにはね、みーんなおともだちがいいの!」

 その嬉しそうな喜びに溢れた笑顔を見て、白狐爺は大きく頷いた。

「その志、忘れるでないぞ。ほれ、万歳」

 桜色の振袖が揺れ、花びらが舞う。白狐爺は下緒を肩から斜めに掛け、胸の前で緒を結んだ。背中の長ったらしい刀が左右にぐらぐら揺れる。平衡感覚を養うにはうってつけだな。

 

「あの……」

 今まで口をつぐんでいた鬼子が申し訳なさそうに質問する。

「抜けないまま鬼に出くわしたときはどうすればいいんでしょう?」

 自己矛盾な注文をするのはきっと小日本のことが心配で仕方がないからなのだろう。そんなこと分かってる。分かってるけど、少しは自重しようぜ……。

「もしものときは、鈍器として使いなさい」

「うん!」

 鈍器って、身も蓋もねえなおい。

 小日本の元気な返事に、背中の刀が暴れる。危うくシロの顔面にぶつかりそうになった。ある意味、不意打ちを不意打ちで反撃する可能性を秘めていた。

 

 しかし、一つだけ心残りがある。

 ――それはな、大人になったお主にしか抜けぬ。

 まるで、小日本が生まれるよりずっと前から、小日本に仕えるためだけに鍛錬されたのだと言っているようなものじゃないか。

 なあ、白狐爺、それってどういう意味なんだよ……。

 

 しかしその問いをする機会は、もう来ることはなかった。

 外から法螺貝の警報が鳴り響いたんだ。

「鬼じゃ」

 静かな面持ちのまま白狐爺は大きな老白狐の姿に変化した。

「シロは避難しに来た民を誘導せい。こにはこの社をしっかり守るんじゃ」

「はいっ」

「こに、がんばる!」

 手短な指示に二人は頷いた。

「鬼子とわんこは付いてきなさい。何があろうとも、村の域には入らせぬぞ」

「応ッ」

「わかりました」

 俺と鬼子は頷き、そして獣の姿に成った白狐爺の後に続く。

 

 疑問は山ほどある。鬼子のこと、小日本のこと……。でも今は四年前の自分の言葉だけを反芻していた。

 ――俺の飼い主に手を出すな、鬼子は俺が守る。

 まだまだガキんちょで、声変わりもしていなかったあの頃の自分は、ただただ、懸命にそのことだけを考えていた。


 
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