002
「やっぱり居ないか……」
チャイムを押しても返事が無いので、一応中の様子を伺ってみたけれど、戦場ヶ原家は、一昨日僕が見たときとなんら変わった様子は無かった。
まあ、風邪で寝込んだりしていてもメールくらいは出来るだろうしな。
となると、やっぱり何処かに出かけたのだろうか。
しかし、僕にも羽川にも一言も言わずにというのは若干——いや、かなり気になる所である。
大体、一昨日も僕達に何も言わずに約束をすっぽかしている訳で、それは更正する前の戦場ヶ原であっても、らしく無い事だった。
もしかしたら書置きみたいな物があるかもしれない。
僕は少し悪いかと思いながらも彼女の家を物色し始めた。
ふと、こうして改めて見回してみると思うのだが、貝木との一件以来、戦場ヶ原の家に少しずつ物が増え始めている。
最も、可愛らしいぬいぐるみが置かれているなんていう事は無く、増えたものといえば大人しいデザインの生活雑貨や、植物の鉢植え等。
あとは、僕と二人で写った写真。
……未だに、彼女のこういう変化を感じるたび、感動すら覚えている自分が居る。
ここで僕に勉強を教えている最中に。
「もう正攻法で勉強をするのは諦めて、流行のAO入試を狙ってみるのはどうかしら阿良々木君?
今から一回体を二つに切断した後元に戻ります、なんてやったら大ウケ間違いなしよ」
とか。
「勉強付けで気持ちが滅入っている阿良々木君に、心が温まるような教訓を聞かせてあげるわ、覚えておきなさい。
世の中には、お金では買えないものが沢山ある——そしてそれと同じように、阿良々木君みたいな人間には、どんなに努力しても出来やしない事がいっぱいあるのよ」
なんて言っていたあの戦場ヶ原の机に、僕と一緒に笑顔で写った彼女の写真が飾られているのだ。
心動かされて、当然だろう。
むしろ心躍ると言ってもいいくらいだ。
閑話休題。
探してはみたものの、特に書置きのような物は無かった。
そして、今日は家をいつもより30分ほど早く出てきたのだけれど、そろそろ始業の時間が迫っている。
二人に勉強を教えてもらっておきながら、いざ受験ぎりぎりになって、出席日数が足りませんでしたでは笑い話にもならないだろう。
一応、帰ったら連絡するようにと、僕の方から書置きを残して、もう学校に向かう事にする。
がしかし、がちゃっ——と、丁度その時玄関の方から音がした。
「あら?」
「え?」
僕はペン先をルーズリーフに付けた状態で、戦場ヶ原は玄関のドアを開けた状態で、お互いに動きを止めた。
そして戦場ヶ原は家の中に僕が居るのを発見するなり、まるで生ゴミを見るような視線をこちらに向けてくる。
「貴方、私の家で何をしているの?」
あれ、何か戦場ヶ原雰囲気がおかしくないか?
なんというか、この明らかに僕を人間扱いしてない視線が、懐かしい感じ。
なんて頭の片隅で思いながらも、ほぼ条件反射的に言い訳をしていた。
「か、勝手に家に入って悪かったって。
……でも連絡一つよこさないガハラさんだって悪い——」
僕の台詞を遮って、
戦場ヶ原は玄関に置いてあった僕の靴を、こっちに向かって投げつけてきた。
かなりのスピードでもってつま先部分が、僕の顔面目掛けて飛んでくる。
「あぶなっ!」
僕が横に倒れこむようにしてそれを避けている間に、靴を履いたまま家の中に押し入ってきた戦場ヶ原は、机の上に置かれていた僕のボールペンを逆手に持ち、それをまるで短剣のようにしてこちらに切りかかってきた。
どうしてっ? 勝手に家に入った程度でこの仕打ち!
というか今まで使った事は無かったけれど、合鍵をくれたっていうのは、家の中に入ってもオッケーって事じゃないんですか戦場ヶ原様。
「待て待てっ、ガハラさん落ち着けっ!」
「さっきから言ってるそれは私の事?」
行動とは裏腹に落ち着きはらった声の戦場ヶ原。
「当たり前だろ、何言ってんだガハラさん?」
「慣れなれしく呼ばないで」
すると戦場ヶ原は、ボールペンを持たない左手で、僕に何かを投げつけてきた。
「!?」
目潰しっ! 砂——いや違う僕のシャーペンの芯だ。数十本の芯を粉々に砕き、目潰しにして僕に投げつけやがった!
なんで躊躇い無くこんな事が出来るんだこいつは。
最近は攻撃的な部分はなりを潜めて、すっかり穏やかになったと思っていたのに。
まるで1学期の頃のような挙動である。
いや、それ以上かもしれない。
思い返してみれば、彼女からここまで物理的に攻撃らしい攻撃を受けたのは、頬肉を綴じられた日以来だ。
「くっ!」
くそっ、目がうまく開けられない。
そんな僕の首筋を、何かが物凄いスピードで通過した。
一瞬送れて、鋭い痛みがそこを走る。
純粋な恐怖を覚えて、思わず壁際まで後ずさり。
……本気で殺しにきてないか?
これはどう考えたって痴話喧嘩なんて可愛いものじゃ無い。
「おい、幾らなんでもやり過ぎだぞガハラさん!」
「だから慣れなれしく呼ばないで頂戴。と、いうか」
酷く冷たい声で、戦場ヶ原は言葉を続けた。
「貴方、誰?」
——は?
「何を、言ってるんだ?」
「私は貴方のような男は知らない、と言っているのよ。我が物顔で人の家に上がりこんで。いったいどういうつもり?」
僕は何とか開くようになった目で彼女の表情を伺うが、とても冗談を言っているようには見えない。
僕が呆然としていると、戦場ヶ原はいつの間にか僕の筆箱に忍ばせていた左手に何かを握りこんだ。
「わかる? 何処の誰だか知らないけれど、私にとって今の貴方は、勝手に人の家に不法侵入している不審者以外の何者でもないのよ」
不味い、戦場ヶ原はまだ臨戦態勢を解いていない。
今のも手の中に何か武器を仕込んだのだろう。
必死に僕は自分の筆箱の中身を思い出す。
シャーペン、ボールペン、その芯、赤ペン、15センチ定規、付箋、消しゴム、蛍光ペン。
武器になりそうな物は、さっきのボールペンくらいだと思うのだが、それでも今の彼女なら、どんな物でも兵器として扱うことが出来そうな気さえする。
「本当に、僕の事を知らないって言うのか?」
「ええ、知らない、記憶に無いわね」
「3年連続お前のクラスメイトで、最近ではお前は羽川と一緒に僕の家庭教師をしてくれてたじゃないか」
「だから、知らないと言っているでしょう」
「名前は阿良々木暦。お前の、彼氏だぞ?」
「阿良々木、暦?」
その顔に初めて同様らしい表情が浮かんだ。
「覚えているだろう?」
「ええ、いえ、覚えが無いわね」
「そんな」
記憶が無くなっている?
一体何があった?
「何をぶつぶつ言っているの? 貴方」
「羽川の事は、覚えているか?」
「羽川……羽川翼の事かしら」
僕の事だけ忘れている? というより様子から察するに以前の、僕と出会う前の戦場ヶ原に戻ってしまったような——。
そんな僕の思考を戦場ヶ原は脅しで遮った。
「なんだか知らないけど、特別な理由があったみたいだから今日の所は許してあげる。
だから即刻この家から出て行きなさい。
でなければ今度こそ実力行使に訴えるわよ」
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1の続き。