「好きです! 三年間ずっと、あなただけを見てきました! 付き合ってください!」
卒業式の日。
肌寒い屋上で、ベタだけど、僕は想いを高原さんに告げた。
風が強い。どうしてこんな場所を選んでしまったのか。高原さんはスカートとリボンを押さえるだけで精いっぱいのようだった。
「ごめんね、天野くん」
ああ──
続きを聞かなくても答えはわかる。僕は失恋したのだ。高校三年間の思い出が、春一番に乗って彼方に吹き飛んでいく。
「あ、違うの! 早まらないで!」
僕はいつの間にか柵を越えようとしていた。高原さんの柔らかい手が僕の腰にまわり、それを止めていた。
「じゃ、じゃあ──」
「それも違うの! ごめん、ほんとごめん!」
今度は逆方向に身を乗り出した僕の胸に、高原さんは両手を当てて押し返した。
僕は死んでもいいような気分だった。実をいうと、高原さんとはろくに話したこともないのだ。それが、二度も触れてもらえた。
それどころか異性に触れられるのでさえ、覚えている限り人生初体験だ。
僕は気が大きくなっていた。
「あのね……こんなこと言うの、天野くんだからだよ」
その時、突風が吹き──
「好き」
だったらどんなに良かったことか。現実は、
「今日クラスで行く焼肉の、ね、お金が、ないの。だから──」
三年間ずっと憧れていた高原さん。
笑顔が素敵な高原さん。
みんなに愛想がいい。
そんな彼女が、僕にだけ、特別な表情を見せてくれている。
「お金貸してっ」
人生とは、そう上手くいかないのだった。
そのあと一緒に高原さんと下校するイベントも起こらず、僕は恋人いない仲間の矢沢と共に下校した。
何もやる気が起きなかった。
ごろごろしているうちに、クラスで最後のイベントの時間になった。
行く気がしなかったが、高原さんに、
「これで一緒に出られるね!」
と言われてしまい、悲しいかな、やはり告白は失敗だとわかっていても、僕の足は焼肉会場に向かってしまった。
だが、奇跡が起きた──
「ほんとに、ありがとう。みんなとお別れなのに、出られないなんて、絶対、絶対いやだったの!」
涙を浮かべて──何故だろう。どうしてだろう──隣の席になった高原さんが、僕の手を取ってくれた。
三年間同じクラスだったのに、一度も隣の席になれなかった高原さんが、今日という最後の日に、僕の隣に座っている。
それも、やる気がなくて、柱が飛び出して窪んだようになっている席に隠れるようにして座っていた僕の隣に、高原さんが自分から、座ってくれた。
「もう! 天野くん、こないのかと思って心配したよ!」
と怒られもした。
彼女には何一つ伝わっていなかったのかもしれない。
もしかしたらあの告白も、白昼夢だったのかもしれない。
前払いで会費を払って、財布には残り三百円しか入っていない。それが、あれは現実だったと教えてくれるけど。
夢でもなんでもよかった。
最後の日に、こんなにたくさんの高原さんの表情が見れたのだから。
すまん、関東に行ってしまう矢沢よ。親友よ。お前と過ごせる日は三日しかないのは知っている。だけど今日この日だけは高原さんに捧げさせてくれ。
妙な感傷にふけっているというのに、矢沢のやつ、ちゃっかりとその場のノリで告白を成功させていやがったのだ。
入学当初|KIY《彼女いない野郎共》を共に立ち上げた矢沢よ。最後の最後に裏切った矢沢よ。
三年間で卒業していったメンバーたちよ。
僕はお前たちを許さない。
絶対に。
絶対に!!
肉が尽きかけていた。
同時にそれはこのイベントの終了も意味する。
この短い時間で、僕は高原さんとたくさんの話をした。一年生の時の球技大会がどうだったの、二年の時の担任がどうだったの。受験が、どうこう。
高原さんは僕に、色々な表情を見せてくれた。そのどれもが今まで一度も見たことのない、素敵なものだ。
肉も、話題ももうなかった。
高原さんは疲れたのか、ぼーっと鉄板を眺めている。
その横顔を見ていると、様々な思いが湧き上がってきて、僕はどうしようもなくつらい気分になった。
「う……く……、このッ」
突き刺す勢いで、最後の一枚となった牛タン目掛けて箸を振り下ろした。
罪のない牛タンに箸が突き刺さる寸前、それはさっと取り上げられた。
箸がカツンと虚しい音を立てる。
終わった……。
最後に、いい思いができずに。
最後の最後に勝った矢沢は、東大に行くというのにそんなことをしていいのか、皆におだてられ、ビールをジョッキで煽っていた。
恋愛も。
焼肉も。
僕は最後の最後まで、いいとこなしだ。
「天野くん」
泣きそうなところに、高原さんが優しい声をかけてきた。
まるでいたずらがバレて舌を出しているように、高原さんの艶やかな唇に、牛タンがはさまっている。
僕は涙を拭いた。泣いていた。
「な、に」
辛うじてそれだけを返す。
高原さんは言った。
「さんびゃくえん」
隣だから、見ていたのだろう。
高原さんは僕の財布の残高を言い、唇に乗った牛タンを、再び箸で持った。
「ほしい?」
「意味、わからないよ」
「帰りの電車代がないの。いらない? 私の食べかけじゃ、三百円の価値、ない?」
男・天野。
──受けざるを得なかった。
「いただきます」
帰り道、どういうわけか、高原さんと二人きり。
喉から手が出るほど望んでいたイベントだというのに、僕はガチガチになって、ほとんと何も話すことができなかった。
ほどなくして駅につく。
僕は歩き、高原さんは、本人が言ったように、電車。
ここでお別れだ。
たぶん、永遠の。
「…………」
僕は何も言えなかった。
高原さんが僕を見つめていた。
しばらくそのままで、僕たちは駅の入り口にたたずんでいた。
雪が降ってきた。
「寒いね」
高原さんが言った。
「…………」
僕はうなずいた。
財布の中身も極寒だよ。そんなくだらない冗談すら言えない。
「少し、歩かない?」
何を考えているのか。高原さんはそんなことを言い出した。
でも、願ってもいない。
願えるわけがない。
そんな状況が僕のもとに舞い込んだのだ。
泣きそうなのを堪えて、僕は「うん」と言った。
どれぐらい歩いたか、かなり遅い時刻。
高原さんは小さな映画館の前で足を止めた。
「私の家、この近くなの」
だからなんだというのか。
「怒った?」
僕は三百円を騙し取られたのだ。
牛タン一枚三百円。
元値を考えると、女を勉強するのに、充分すぎる高値だ。
それでも、
「怒って、ない」
「よかった」
高原さんが笑った。
それでよかった。
「ね、入ろ」
十八歳未満は、青少年保護育成条例だったか何かで、レイトショーに入れない。
でも、僕たちはもう子供ではない。
大人に、なったのだ。
「大人二枚ください」
奇しくもの二人分の料金は、今日の会費のちょうど半分だった。
高原さんが、封筒からお金を取り出した。
小さな映画館だけあって、レイトショーには僕たちのほかに、誰もいなかった。
僕たちは無言だった。
映画は知らない古い映画で、ベタな恋愛ものだった。
「明日、私は海外に行くの」
スクリーンの中の女優が言った。綺麗だけど、やっぱり高原さんには劣る。
高原さんも、急に立ち上がって、同じことを言っていた。
映画など目に入らない。
「お金がなかったのは、ほんとう」
女優の台詞とは違う。
「気軽には会えないの。遠い国へ、行くの。もしかしたら、一年に一度も会えないかもしれない」
何を、言っているのだろう。
何のことだろう。
「もしも……、もしも急に私が会いたくなったら、会いに来てほしいの」
どこへ?
外国へだ。
「私はわがままだから、お金も、天野くんの都合も、一切考えない。たぶん、考えられない。会いたくなったら」
どうして僕になんて会いたいのか。
「好きです」
それは僕が言った言葉だ。
「三年間ずっと、あなただけのことを見ていました」
それも。
でも、高原さんは僕よりもずっと強引だった。
「試すようなことして、ごめんね」
どうしてだろう。
初めてのキスよりも、一枚三百円の牛タンのほうが刺激的な味がした気がした。
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久しぶりの短編