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真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、地~ 第五章 燕人張飛

テスさん

 賊の疑いが晴れた一刀は、関羽と別れ一人公孫瓚の下へと向かっていた。が、面倒事に巻き込まれる。そこで出会った少女は――彼のかけがえのない存在となる。

○注意
 長文ですので無理せず、新しい機能、栞を挿むことをお勧めします。

2011-09-25 16:48:26 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:17819   閲覧ユーザー数:12482

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、地~

 

第五章 燕人張飛

 

(一)

 

 雲がぽつんと一つ、ゆっくりと流れていく。遠くで霞む山々も今日は色濃く映えていて、鳥の群れが歩いてきた方角へと飛び立っていった。

 

「……静かだなぁ」

 

 今俺がいる場所は、集落と集落を結ぶ街道の分岐点。そこで昼食を取り、ぐだぐだ――もとい、後半戦に向けて英気を養っていた。

 

「道すがら誰にも出くわさないかとか。……いや、だからこそ盗賊もいないのか? それはそれでありがたいけど、村にしか人がいないのもちょっとなぁ――」

 

 幽州は田舎田舎と言われるけれど、そこそこ大きな町はあった。それでも田舎と言われるのは、洛陽が都会の中心で、司隷州以外はもう田舎という考えだからだ。さらにその向こう側にある州となれば、ド田舎と言われても仕方がないという認識である。

 

 そんな場所を一人で旅していると、立ち寄った村で人と話す機会が極端に増えた。良く来たなと快く迎えてくれる人達が多いのは、やはり田舎の人だからだろうか? 彼等は洛陽や、他の街の話を特に聞きたがった。

 

 最近どうかと尋ねると誰もが浮かぬ顔をする。この辺りでは、春は雨が極端に少なく、夏は悪天候が続いたことで、農作物の成長が芳しくないらしい。

 

 収穫の時期に実がなるかならないかの瀬戸際だそうで、それを過ぎれば後は寒さに耐えられず、農作物は実をつけないまま枯れてしまうらしい。

 

 誰もが収穫量は去年よりも落ち込むだろうと心配していた。でもここ最近心地良い気候が続いている。その話を聞いた後ではそれが少しだけ救いだった。

 

「あぁ、やべっ。……眠くなってきた」

 

 草木をふわふわと揺らす風が気持ち良くて堪らない。横になれば一瞬で落ちる自信がある。

 

「ふぁ……」

 

 大きな欠伸が出てしまうのも仕方ない。――悠長に構えているように見えるけど、実際は路銀が少なくなってきて、余裕がなかったりする。

 

 それはつまり、順調に公孫瓚の下へと向かっていることを意味するのだが……

 

「……コイツの出番か」

 

 袋からオレンジ色の宝玉を取り出し、空に翳して覗き込んでみる。

 

 何を思って関さんがこの宝玉を俺に託したのかは分からない。ただ理由が理由なだけに大したことはないだろうと、俺は思いっきり売る気満々だった。

 

「逆に、売った方が優しさというもの――」

 

「お兄ちゃん、ごめん!!」

 

「へっ?」

 

 それは突然だった。俺の前を横切るように一陣の風が吹くと、手の中にあった宝玉が忽然と姿を消し――

 

 目の前を通り過ぎていった子の、その後ろ姿がどんどん遠ざかっていく。

 

「ちょ、ちょっと待ったーッ!! って、言われて待つ馬鹿がドコニイルカーッ」

 

「にゃ、にゃ――ッ!?」

 

 赤いマフラーを靡かせた子供が、何事かと一瞬こちらを振り向いた。

 

 短い丈の黄色いジャケットで、黒いスパッツの赤髪少女!

 

「お願いだから待っ――速ッ!!」

 

 懸命に追いかけるも、相手はまるで疲れを知らない短距離選手のようだ。差が縮まるどころかどんどん離れされていく。

 

 ――無理! 腹痛い! 追い付けない!

 

 その現実を受け入れて立ち止まり、天を仰いだ。

(二)

 

 ……長い道のりだった。

 

 暗い気分で歩き続け、日が暮れ始めたころにようやく目的の村まで辿り着いた。村の中に入れて貰い、今日の宿を探していると、村人達が慌ただしく俺を追い抜いていった。

 

「大変だ、大変だ……」

 

 また一人、そんなことを呟きながら走り去っていく。もう日暮れだというのに、村の人達が広場に集まろうとしていた。

 

 ――もしかして、賊か!?

 

 だが村人達が手にしているのは武器では無く、行灯や松明といった照明で、敵襲とかそういう類のものとは少し違う。

 

 ……気になる。けどなぁ。

 

 今日の悪夢を一刻も早く忘れ去りたい。宿で美味しい物を食べて、明日に備えて眠りたい。

 

 それに余所者の俺が首を突っ込むのもどうだろう。ということで、俺は彼等を横目に宿屋の扉を開けると、丁度今から出掛けようとしていた主人と鉢合わせになってしまった。

 

「っと、すいません」

 

 どうやら宿の主人も行灯を持ってどこかに出掛けるようだ。

 

「お客さんかい? すまねぇな、碌な持て成しもできなくて……」

 

 頭に白い布を巻いた宿屋の主人はそれっきり動こうとしなかった。俺の目を見たあと、手に持った松明へと視線を移動させる。その繰り返し。

 

 ――俺の一言を待っているに違いない。

 

 この村で何かが遇ったのは明白。そのことを尋ねてしまえば、俺もその問題に首を突っ込まなければならなくなる。それを見越しているに違い。っていうか、そうとしか思えない。

 

 俺がその意図に気付いたことを理解した主人が、口元を吊り上げて笑う。

 

「おや、お客さんかい? すまねぇな、碌なもてなしもできなくて……」

 

 ――言い直しましたよ、この人!

 

 ニヤニヤニヤーっと笑うこの人からは、どうにも逃げられそうにない。正直な話、気にはなっていたんだ。

 

「……な、何かあったんですか?」

 

 ――勝った! っと嗤われることは無かった。逆にその表情は、真剣な面持ちへと変化する。

 

「あぁ。村の子供が一人、昨日から行方を暗ましちまっててな。今日になっても帰ってくる気配がねぇ。今から俺も探しに行く。疲れ切ったお客さんにこんなことを言うのは申し訳ないんだが……」

 

「分かりました、手伝います」

 

「すまねぇな。今日の宿代くらいは負けとくぜ。……来てくれ」

(三)

 

 誰もが不安げな顔をして村の広場に集まっていた。

 

「息子が言うには、裏山にある一本杉の所で、走って一緒に帰ったと言ってたんだが……」

 

「よし、なら村から一本杉までの周囲を重点的に捜索してみよう」

 

 捜索隊を編成し、村の人達と手分けして俺は行方不明になった子供を探す。一日中歩き続けた足を叱咤して、夕暮れ前の山の中を探し回った。

 

 結局何の手がかりも見つからず、子供達が別れたという一本杉までやってきた。そのころには、まだ青かった空は黄金色へと変化していった。

 

「あっ、鈴々ちゃんだわ!」

 

 誰かが声を上げた。

 

 幾つかある道の一つから、小さな影がこちらに向かって歩いてくる。

 

 近付くにつれその姿がはっきりしてくると、その覚えのある恰好に動揺が走る。

 

 燃えるような赤い髪とマフラー。短い丈の黄色いジャケット。そして黒いスパッツ。

 

 ――間違いない。宝玉を奪い取った女の子だ。

 

 赤髪の少女は肩を落として俯いたまま、俺に気付かずこちらへと歩いてきた。

 

「鈴々、ファンファンの行方を知らないかい?」

 

 村の男性が声をかけるも少女は顔を上げず、擦れ違う間際に小さな声で、

 

「……知らないのだ」

 

 とだけ答えた。

 

 彼女は村とは別の道を歩いていく。

 

「何だよ、鈴々! 帰るつもりかよ!? ファンファンが心配じゃないのかよ!」

 

 心配して付いてきていた数人の子供達が少女を非難する。

 

「――心配に決まってるのだ!」

 

 有無を言わさぬ雄叫びに、誰もがその背中を見送ることしかできず、子供達はその態度に怒りを顕わにしたあと、行方不明の子を探しに行ってしまった。

 

「――あの子は?」

 

 気になった俺は、隣にいたおばちゃんに尋ねると……

 

「あぁ、あの子は鈴々ちゃんだよ。村近くに住んでいたおじいさんに引きとられた孤児でね、そのおじいさんも今じゃ亡くなってしまってね。ずっと塞ぎこんでいたんだけど、今じゃ村一番の、明るくて元気な女の子だよ!」

 

 っと、にこやかに笑みを浮かべると、鈴々と呼ばれた先ほどの少女の自慢を始めた。

 

 子供達の先頭に立ち、嵐のように表通りを通り過ぎていく。道行く子供達を巻き込んで、縦横無尽の大行軍はこの村の見世物になりつつあるそうだ。

 

 誰もが小さな少女の将来に期待して、その成長を見守り、楽しみにしている。

 

「……盗みを働くような子とは思えないな」

 

 思ったことを素直に口にすると、皆から呆れられてしまった。

 

「――はぁ? 盗みぃ~? ナイナイ。それだけは無い。無いんだが……どうしたんだろうな?」

 

 誰もが声を揃えて様子が変だと言い合うも、肩を落とした少女のことよりも、今は居なくなってしまった子供の捜索の方が大事だと、一人、また一人と歩いて行く。

 

 先ほどの少女が気になった俺は……

 

「――すいません! 俺、あの子の様子を見てきます!」

 

「――えっ!? あっ、おい!!」

 

 宿屋の主人が呼び止めるのを無視して追いかけた。

(四)

 

 道なりに進むと、少し見上げた所に山小屋のような家があった。周囲は子供が落ちないように柵が設けられている。

 

 あの山小屋が鈴々と呼ばれる少女の家に違いない。

 

 足音を忍ばせてその山小屋へと近付き、入り口に垂らしてあった布を捲り上げて中を窺う。

 

 薄暗い部屋の中、硬い床の上に布を敷いただけの寝床で、少女は枕に顔を埋めてうつ伏せになっていた。

 

 灯りを灯すと、ぼんやりとその姿が浮かび上がる。

 

 塞ぎこんだまま、顔を上げる気配の無い少女に、痺れを切らした俺は声を掛けた。

 

「こんばんは」

 

 しばらくして、ぴくりとも動かない少女からくぐもった声が聞こえてきた。

 

「鈴々は忙しいのだ。用があるなら後にしてほしいのだ」

 

 ……全く忙しそうには見えないんだけどな。

 

 ふと鈍い輝きが目に付いた。気になってそちらに視線を向けると……

 

 ――うおっ! 何だこれ!?

 

 燃え上がる炎のような形の刃、異常なまでに柄の長い矛が窓を付き抜けるような形で、立て掛けられてあった。刃の付け根には金細工が施され、一目見ただけでそこらの兵士が扱えるような得物ではないことが分かる。

 

 まさか……って、いくら何でもそれはないか。こんな規格外な武器、子供が扱えるはずないし。きっとこの子のおじいさんの武器に違いない。

 

 納得のいく答えを導き出した俺は、再び少女に声を掛けた。

 

「そういう訳にもいかなくてね。……俺の手から持っていった物、返してくれないかな?」

 

 跳ね起きた少女が俺の顔を見て、目を見開いて声を詰まらせる。その幼い顔から、見る見る血の気が引いていくのが分かる。

 

「――な、何も……何も知らない! り、鈴々は何も盗んでなんかいないのだ!」

 

 声を震わせながら、首を激しく横に振る。

 

「盗んだとは……、誰も言ってないけど?」

 

 うぐっと言葉を詰まらせ、少女は後退る。

 

『持っていった』と『盗んだ』――同じ意味だが、少女は何を勘違いしたのか、速攻で嘘がばれたと動揺していた。

 

「……人の物を盗むことって、悪いことじゃないのかな?」

 

 詰め寄る俺から逃げようとするも、すぐさま壁に阻まれて逃げ場を失う。

 

「……わ、悪いことなのだ。でも鈴々は……鈴々は悪くないのだ!!」

 

「悪いことなのに、悪くない?」

 

「うぅっ、鈴々は悪いこと、したけれど、何も悪くないのだ――!」

 

 自分は悪くない。悪くないと何度も叫ぶ少女。その瞳は信じて! 信じて!! と、涙を浮かべながら、真っ直ぐ俺に訴えかけてくる。

 

「――どうして?」

 

 その問いに、彼女は言葉を詰まらせて俯いてしまう。

 

「そ、それは……、誰にも、喋っちゃ駄目だって……」

 

「……誰から?」

 

 少女は唇を噛み締め、完全に沈黙してしまった。

 

 宝玉を盗んだ少女は、盗みが悪いことだと分かっているのに、自分は悪くないと言う。理由を問い詰めても、言っては駄目だと――

 

 ――誰かに口封じされている!?

 

 嫌な予感が頭を過る。もしかしたら、失踪事件に何か関わりがあるのかもしれない。でも少女は何も話してくれそうにない。

 

「そっか、喋っちゃ駄目って言われちゃったか……」

 

 刺激しないようにそっと近付き手を伸ばすと、少女は目をぎゅっと閉じて身体を硬直させてしまった。その可愛らしい頭をそっと撫でながら腰を下ろす。

 

 俯いていた少女は、恐る恐る目を開いて、その瞳に俺を映した。

 

「それじゃぁさ、俺の質問に答えてくれるかい?」

 

「……喋っちゃ駄目って、鈴々は何も言えないのだ」

 

「それじゃ両手で口を塞いで、頷いてくれるだけでいいからな。それなら喋ったことにならないだろ?」

 

 ――いやいやいや!

 

 と、心の中で思いつつも、そんな子供騙しに少女は頷いた。それだけで、目の前の少女が本当に純粋な心の持ち主なんだなって分かる。

 

 ――己の口を両手で塞いで、今にも泣きそうになっているのだから。

 

「今、皆が探している子は君のお友達で間違いない?」

 

 少女が頷いて、肯定の意志を見せた。

 

「……悪い奴に掴まっている。そうだね?」

 

 その瞬間、予感が的中したことを知る。

 

「助けてあげたいなら金目の物を持って来いって言われた、違う?」

 

 ポロポロと大粒の涙を流しながら、必死に頷き鼻を啜り、泣き声を漏らす。

 

 俺から宝玉を盗み取った少女が、俯いて戻ってきた理由は一つ。

 

「……俺から奪った宝玉を渡したけど、悪い奴はお友達を返してくれずに、……もっと持ってこいって言われた。どうだい?」

 

「鈴々だって、ひくっ 本当はこんな、ひっ、ことっひくっ、したくないのだ! ひくっ、でもやらなきゃ――ひくっあいつ等がファンファンひくっ、殺すって……! 鈴々の前で、殺すって! 鈴々なにもっ、なんにも、できなくて! でき――なくてっ!!」

 

 その小さな身体をそっと抱き止める。

 

 誰にも相談できず、小さな身体に溜めこんだ不安と恐怖。それが決壊したとしても、少女の黒い感情を消し去ることはできない。

 

 絶望の淵にいる少女。……今はただ、少しでも泣いて楽になってほしい。

 

「鈴々もうどうしたら良いのか分からないのだ! ――お兄ちゃん、助けて、助けて!!」

 

 ――助けてあげたい。

 

 でも俺だけじゃどうすることもできそうにない。

 

 ……こういうときに関さんがいてくれたらな。

 

 きっと痺れるような心強い台詞で勇気付けてくれる。だがここに関さんはいない。

 

 ならこの子を助けるのは――

 

「……お兄ちゃんに任せろ」

(五)

 

 とは言っものの……どうすれば良いのか、さっぱり見当がつかない。

 

 抱きしめたまま考え事をしていると、チーンっと鼻をかむ音が聞こえた。

 

 服に顔を擦りつけられている当たり、すでに手遅れだと知る。

 

「そう言えば、お兄ちゃんは誰なのだ?」

 

 落ち着いたのか、そんな素朴な疑問が飛んできた。

 

「あぁ、そう言えば初対面だもんな。俺の名前は北郷一刀、字の無い所からきました。ってか俺の服で鼻かんじゃだめだろ?」

 

 ちょっと強めに言ってみると、

 

「小さいことをいちいち気にしちゃいけないのだ」

 

 っと、もじもじえへへっと恥しそうに誤魔化したあと、

 

「鈴々の名前は張飛で、お兄ちゃんと一緒で字はまだないのだ! お兄ちゃんは鈴々よりも年上に見えるけど、まだ子供なのかぁ?」

 

 そして大きな声で自己紹介をしたあと……えっ!? 張飛!? 字無し!?

 

 冷静に考えれば単なる偶然。でも壁に立て掛けられている規格外の矛は……

 

 ――丈八蛇矛!?

 

「にゃ、どうしたのだ?」

 

「な、何でも無いよ。えっと、俺の国じゃ字とか真名とかないんだ。この国だと、年齢的には大人の部類に入るのかな」

 

「真名無いのかぁ~。お兄ちゃんが来た所はそれで大丈夫なのか?」

 

「大丈夫、大丈夫。まぁ文化の違いかな。こっちに合わせるなら、一刀ってのが俺の真名に当たるのかな」

 

 ぽかーんとしばらく俺を見詰めたあと、

 

「お兄ちゃん、真名は家族とか、親しい人にしか教えちゃいけない神聖な名前なのだ」

 

 分かってる? っと親切に教えてくれる。

 

「あはは、分かってるよ」

 

 ――嫌になるくらいにね!

 

「じゃぁね、鈴々はね! お兄ちゃんのことを“お兄ちゃん”って呼ぶのだ! お兄ちゃんは鈴々のことを助けてくれるから、だから鈴々のことは“鈴々”って呼んでほしいのだ!」

 

 ……た、助けてくれるからって、こりゃ責任重大だな。

 

「了解。それじゃ鈴々。詳しいことを教えて貰えるかな?」

(六)

 

「遅くなっちゃったから急ごうって、だから皆走って帰っていったのだ。そしたら――」

 

 鈴々から聞いた話では、村の子供達とは一本杉の別れ道でさよならしたのだそうだ。

 

 皆の背中を見送っていた鈴々は、最後尾にいたファンファンという子が、草藪から出てきた男に掴まってしまったことに気が付いた。

 

 人攫い。――もし彼女がいなければ、ファンファンという子はもうこの辺りにはいなかったのかもしれない。遠くに連れて行かれ、そこで待っているのは目を塞ぎたくなるような現実だ。

 

「よく、気が付いたね――」

 

「鈴々ね、見えなくなるまで皆の背中、いつも見送ってるから……」

 

 寂しそうに言うと、少女は震えながら言葉を続けた。

 

「鈴々が皆を村まで送ってたら、こんなことには……」

 

 異変に気付き、助け出そうと勇敢に立ち向かうも、卑劣な大人達相手では荷が重すぎた。友達の喉元に短刀が突き付けられては、鈴々も賊の言いなりならざるを得なかった。

 

 塞ぎ込んでいる鈴々に、こんなことを言うのは厳しいかもしれない。でも――

 

「鈴々、起こってしまったことを悔やんでも、ファンファンは帰ってこない。だから無事に助け出すことだけを考えよ、な?」

 

 少女は弱々しく頷いた。

 

「ほら、顔を上げて! 今回は俺がいるから大丈夫だって――!」

 

 ――たぶん!

 

「……お兄ちゃん」

 

「鈴々、相手は何人?」

 

 ごしごしと涙を拭いて、顔を上げて答える。

 

「……分かんないのだ。ファンファンを逃げないように抱えてるやつと、短刀を突きつけている奴がいて、他にも隠れているのがいて、たぶん八人くらい」

 

 ――二対八か。かなり分が悪いな。

 

 正面からでは人質を盾にされて、すぐに動けなくなってしまう。

 

「ほんの少しだけでいいのだ。ファンファンがあいつ等から離れてくれれば、鈴々が一瞬でチョチョイノチョーイって退治してやるのにっ!」

 

 悔しそうに叫ぶ鈴々。

 

「嘘ですよね?」

 

「嘘じゃないのだ! あんな奴等が五十や八十、束になって襲い掛かってきても、鈴々は負けないのだ!」

 

「少しでも引き離せたらいけそう?」

 

「いけるのだ! 楽勝なのだ!」

 

「……少しだけでも良いなら、手はあるんだけど」

 

「ほんとに!?」

 

 人質と交換するように取引すれば良いだけの話だ。

 

 相手が警戒するかもしれないが、その点はまぁ、何も知らない振りをして俺一人で行けば問題ない。情けない話だけど。

 

 そして相手にこう思わせる。人質を手放してもすぐに奪い返せると。無理やり奪い取るよりも交換して脅した方が、楽に人質と宝が手に入るだろうと。

 

 一番の問題は……

 

「交換条件に似合う宝物、金目の物が必要になる訳だけど、鈴々にその当てはある?」

 

「無いのだ! お兄ちゃん持って無いの?」

 

「あれは困ったときに使いなさいって、知り合いがくれたものなんだ」

 

「ごめんなさいなのだ。でもそんな大事な宝物を、道端で見せびらかすお兄ちゃんも悪いのだ」

 

「うっ、そうだよな。俺も悪い」

 

 でも今回は悪くて良かったかもしれない――

 

「村一番のお金持ちの所に行ってみようか。事情を話せば力を貸してくれるかもしれない」

 

「にゃ~。庄屋の所に行くのは、できれば勘弁してほしいのだ」

 

「えっ、何で?」

 

 俺の質問に、鈴々は気まずそうに視線を逸らした。

(七)

 

「それはね、身から出た錆というのだよ。鈴々君」

 

「うっ……ごめんなさいなのだ」

 

「謝る相手が違うぞー?」

 

 鈴々が嫌がる理由。それは……

 

『まさか、鈴々が庄屋にお願いしにいくことがあるなんて、これっぽっちも考えたことなかったから、いっぱい、いっぱーぃ! 皆で悪戯しちゃったのだ。えっへん!』

 

 これから金目の物を借りるために、頭を下げにいく相手が悪戯していた村の偉い人。

 

 何しにきたと怒鳴られ、ふざけるなと断られるのが容易に想像できる訳で……

 

 ……こりゃ、前途多難だな。

 

 だからと言って、行かない訳にはいかない。

 

 庄屋の家に向かう途中、俺に手を繋がれて歩く鈴々の姿に、誰もが何かあったのかと詰め寄ってくる。

 

「にゃー、今からお兄ちゃんと賊退治するために、庄屋にお願――」

 

「――庄屋様」

 

「しょ、庄屋様にお願いすることがあって、お兄ちゃんとこれからお願いしにいくのだ!」

 

 キョトンっとした村人達が、鈴々があの庄屋を、様付けしたぞーっと軽く笑ったあと……

 

「――賊退治だぁぁっ!?」

 

 っと、大騒ぎしてしまった。

 

「裏で何やってるか分からねぇ庄屋が、お前の願いなんて聞くはずねーよ! 賊退治なんてもんは官軍様に任せて、馬鹿なことはやめとけ!」

 

「お前、友達が消えちまったこんなときに!?」

 

 その誰かの言葉に、鈴々はまじめな表情で答える。

 

「大丈夫なのだ。たぶんこの変にいる悪い賊がファンファンを捕まえてるに違いないのだ!」

 

「たぶんって……って、確かに流れてきた賊どもがいるって話だけどよ、そんなことはお役人様に任せとけば良いんだ! それに確証がねぇのに賊に喧嘩吹っかけちまって、恨み買っちまったら――!!」

 

「先に喧嘩を売ってきたのは――!!」

 

「――鈴々」

 

 血が上った鈴々の手を軽く引っ張る。

 

「……絶対に負けないのだ。いこっ、お兄ちゃん」

 

 と、突然走り出した。ぐいぐい引っ張る鈴々に俺は何度も転びそうになりながらも耐える。

 

「焦っちゃ駄目って言っても無理だよな?」

 

「無理なのだ! お兄ちゃん! もっと急いで、早く――!!」

 

 む、無茶言わないでくれよっ!

 

 しばらく走り続け、鈴々が「あそこ!」っと指差した豪勢な門の前には、見張りの兵士が何人も立っていた。

 

 鈴々の姿を見た一人が、槍を構えて威嚇する。

 

「げぇっ、お前は庄屋様の天敵、張飛ではないか! こんな時間に何用だ!」

 

「庄屋様にお願いがあって参ったのだ!」

 

「何馬鹿なことを……って、今、何と言った?」

 

「お願いがあって――」

 

「――違う! その前だ!」

 

「もう! ちゃんと耳の穴かっぽじって良く聞くのだ! 鈴々は庄屋様にお願いがあって参ったのだ!」

 

「しょ、庄屋……さまぁ?」

 

「こ、こりゃ、天変地異の前触れか何かに違いない!」

 

 ちょっ、どんだけ迷惑かけたかな――!?

 

 ひそひそと相談し合う兵士達に、今度は俺からも願い出る。

 

「村の子供が行方不明になっている件で、庄屋様に大切なお話があります。どうかお目通りをお願いします」

 

「うん? 貴様、見かけない顔だな?」

 

「お兄ちゃんはね、鈴々のお兄ちゃんなのだ!」

 

「北郷一刀という旅の者です」

 

 訝しげに俺たち二人を見比べてたあと、偉い兵士が用件を伝えて来いと、もう一人を走らせた。

 

「……まぁ良いだろう。御会いするかは庄屋様が決められる。だが張飛よ」

 

「にゃ?」

 

「憎たらしい悪ガキが、な~に、妹面してるぅ~」

 

「べ、別に鈴々が妹面してるとか、そんなことないのだ! もとからこんな顔なのだ!」

 

 そんな反応に門番達は笑いだし、鈴々は頬を膨らませるのであった。

 

「お兄ちゃん、こいつら殴って良い?」

(八)

 

 結果から言って、俺達は奥へと案内された。

 

 庶民とは違う豪華な内装に感嘆しつつ、鈴々はこれならと淡い期待を寄せる。

 

 だがこの時代に富と財を持ち合わせた者の多くは、保身のために色々と考えを巡らせているはずだ。庄屋という立場上、役人との交流も避けられない。

 

 そんな人に、困っています。助けて下さいと言って、はい良いですよと無償で動いてくれるとは思えない。

 

 そもそも“悪評高い”なんて言葉、そんな人に付くはず無いからな。

 

「この椅子、ふかふかなのだ! お兄ちゃん早く早く!」

 

 二人掛けの長椅子にふかぶかと腰掛け、座るように促す鈴々。

 

「威張って見えるから、凭れないようにな」

 

 大人しく俺の隣でその座り心地を楽しんでいた鈴々だったが、しばらくして……

 

「遅いのだ……」

 

 そわそわと落ち着かない様子でポツリと不満を漏らした。

 

 が、文句は言えない。

 

「仕方ないだろ? こっちから突然会って下さいって訪問しても、庄屋様にもご都合があるんだ。普通なら門前払いされても文句は言えないんだから。逆に話を聞いて貰えるだけでもありがたいと思わないと――」

 

「――ほほぅ。張飛の兄というからどのような人物かと思えば、それなりに常識があるようではないか」

 

 会話を遮られた俺は、声がした方へと顔を向ける。所々金糸が織り込まれた豪華な部屋着を着た人物が、部屋の入口に立っていた。

 

 人を見下すような眼つきと、嫌らしい語り口調。うぐっと隣で身体を強張らせた鈴々の反応を見て、この人が庄屋で間違いなさそうだ。

 

 立ち上がり頭を下げると、鈴々も同じように真似をする。

 

 ピシーッっと固まったままの鈴々を一瞥し、庄屋は俺と鈴々を座らせると本題に入った。

 

「それで、本日はどのような御用件で?」

 

「村の子供が一人行方不明になっている件で、庄屋様のお力を貸して頂きたくお願いに参ったのですが……、その前に――」

 

 鈴々が我慢できずに吠えるように訴える。

 

「鈴々の友達が悪い奴等に人質にされているのだ! 金目の物を持ってこないと殺すって。でも奴等は嘘付きで、言う通りにしてもファンファンを解放してくれないの! もっと持って来いって! 鈴々はあいつ等が許せないのだ! だけど一人じゃ何もできないのだ。だからお兄ちゃんに手伝って貰って、あいつ等に一泡吹かせてやるのだ!」

 

 その勢いに飲まれた庄屋は、長い長い沈黙のようやく口を開いた。

 

「何故それを先に言わん。官軍に協力を要請しよう」

 

「待ってほしいのだ。あいつ等に知られると、ファンファンの命が危ないのだ!」

 

「ではどうすると言うのだ?」

 

「お兄ちゃんお願い――!!」

 

 こちらに勢い良く顔を向けられ、説明を求められる。

 

「余り目立つ行動をして、相手を刺激しては人質が危険です。鈴々はこう見えても武術を嗜み、この村の誰よりも腕が立ちます。賊の数も十名ほどで、一斉に襲い掛かったとしても、鈴々には手も足も出ないでしょう。ですが友達を人質に取られていては、この子も自由に動けません」

 

「そうなのだ。悪い奴等が少しでもファンファンから離れてくれたら、一瞬で片が付くのだ!」

 

「なるほど。で? どこに私の力が必要なのかね?」

 

「相手は金目の物を求めています。人質と交換に持ち込めれば、人質を引き離せると考えています」

 

 悟った庄屋は、案の定渋い顔をした。

 

 俺や鈴々に無くて庄屋にあるものと言えば、財である。

 

「何を言うかと言えば……そんな都合の良い話があるかっ」

 

 吐き捨てるように庄屋は言った。鈴々に煮え湯を飲まされ続けてきたのだ。誰だってこうなるよな……

 

「貴様は儂に何をしてきたか忘れた訳ではあるまい! 普段は邪険にし、都合が悪くなった時にはへこへこと頭を下げにくる。不愉快極まりないわ!」

 

 庄屋はタコのように顔を真っ赤にして怒鳴り、鈴々を睨みつける。

 

「今までずっと悪戯してきたこと、ごめんなさいっなのだ! ほんとに、本当にごめんなさいなのだ! 鈴々もう二度と、庄屋様に悪いことしないって誓うのだ!」

 

「――世の中、そう都合良くできてはおらぬわ!」

 

 鈴々は必死に涙を堪えて、泣くのを我慢していた。

 

「…………」

 

 ぎゅっと腕を掴まれ、俺は鈴々を抱きしめる。

 

「ちゃんとごめんなさいが言えたな。偉いぞ、鈴々――」

 

 そう言って、俺は鈴々の頭を撫でてやる。

 

 鈴々の誠意はちゃんと伝わったはずだ。でなければ、屋敷からさっさと追い出されているはずだ。

 

 ならここからは俺の出番だ。

 

 扉の傍で様子を窺っていた夫人に鈴々を預けて、俺は改めて庄屋と向かい合い頭を下げた。

 

「まずは鈴々をしっかり叱って下さり、ありがとうございます」

 

「――むっ」

 

「過ちに気付き、反省し、改める。そういう意味では、鈴々は一つ成長したと言えましょう。そして同時に、都合の良いことが起こらない厳しさも、身を持って学んだはずです」

 

 庄屋は俺を量ろうとしているのか、押し黙っている。

 

「鈴々のことを考えれば、庄屋様の厳しさは優しさ。ですが、その厳しさからか、民達の評判は余りよくありません」

 

「……ふん。私にも立場がありますからな」

 

「ならば、村の子供の命がかかっているこの状況で、何も手を打たず、ただ傍観するのは立場上良くないのでは?」

 

「……………………」

 

 そう思わないなら否定する。黙秘することはそれを肯定しているという意味。

 

「今回の子供の失踪事件。庄屋様の器が試されています」

 

「儂の器ぁ?」

 

「子供が賊に掴まっているという事実。遅かれ早かれ村の誰もが知ることになるでしょう。――その時、ずっと鈴々に悪戯されていた庄屋様が、友達を助けたいという鈴々の願いを聞き入れ、私財を投げ打ち協力したと知れば、村の者達はどう思うでしょう」

 

 庄屋は髯を触りながら、頭の中で考えを巡らせ始めた。

 

「しなかった場合と比べ、与える印象は天と地の差。このまま何もせずに傍観していては、さらに評判が下がる一方。庄屋様は何かしら手打たねばなりません」

 

「……確かに」

 

「ならその一手、私と鈴々をお使いください。もし人質の救出に成功すれば庄屋様は名声が得られ、失敗すればこの屋敷の中にある宝物の一つを失うだけ」

 

 庄屋に取ってどちらが得がたい物か、考えるまでも無く一目瞭然。だがそれでも庄屋は悩んでいた。

 

「北郷殿……でしたか? 張飛は貴方のことを慕って兄と呼んでいますが、見張りからは通りすがりの旅人と聞き及んでおりますぞ。私や張飛にしてみれば言わば見ず知らずの赤の他人。可哀想だから助けてやるなどと、正気の沙汰とは思えませんな……。つまり、このどさくさに紛れて、儂の宝をくすねようと企んでおるのだろう!」

 

 得意げに見切った!! っと、俺を盗人扱いして笑った庄屋に、鈴々が吠える。

 

「お兄ちゃんがそんな事するはずないのだぁぁぁッ!!」

 

 その咆哮に、誰もが言葉を飲み込んだ。

 

 ……ありがとうな、鈴々。見ず知らずの俺を信じてくれて。

 

 俺は背筋を正す。

 

 確かに庄屋にしてみれば俺は他人。つまりはその不安さえ取り除くことができれば……

 

「もし俺が庄屋様の宝を持ち逃げしようとすれば、鈴々は絶対にそれを許しません。宝がなければ大切な人質を救い出すことができませんから。そして、無事に人質を救出できた場合、鈴々は庄屋様には大恩があります。見逃しはしません。そんな薄情な子ではないでしょう?」

 

「鈴々もお兄ちゃんも絶対に裏切らないのだ!」

 

「まぁ、万が一俺が裏切っても、足の速さは鈴々の方が速いですから。逃げられませんよ。逃げようなんて思わない」

 

「確かに足遅かったもんな~。お兄ちゃん」

 

「鈴々が速すぎるんだよ!」

 

「良いじゃありませんか貴方」

 

 決めかねていた庄屋の背中を押すように、夫人が易しい物腰で言う。

 

「村のことを考えれば、悩むことなんてないでしょう?」

 

「だが見ず知らずの人間に――」

 

「鈴々ちゃんはこの村の子供ですよ? 見ず知らずな間柄でもないでしょう?」

 

「お前は子供に甘いからそんなことを言っ、げぇ! それはダメェ!」

 

 部屋に飾られていた趣味の悪い……もとい、宝石が至る所に散りばめられた金ぴかの盾を夫人が持ち上げると、庄屋は椅子から飛び跳ねて、それを奪い取ろうと手を伸ばす。――が、夫人は庄屋の腹に肘を喰らわせて沈黙させると、鈴々に手渡した。

 

「鈴々ちゃん、頑張るのよ?」

 

「ありがとうなのだ!」

 

「そ、その盾、誰から貰ったと思っとるんだ! ああ見えても、とっても偉いお方なのだぞ!?」

 

「煩いだけじゃないですか。北郷さんも、鈴々ちゃんをお願いしますね」

 

「はい、ご協力ありがとうございます!」

 

 背後で庄屋が必死に待てと悲鳴を上げていたが、俺達は逃げ帰るように屋敷を後にした。

(九)

 

 村とはそれほど離れていない場所に、盗賊達の隠れ家があった。

 

「へへっ、それにしても親分、あのガキの絶望した顔! 傑作でしたね!」

 

「ひ、卑怯なのだ~」

 

 飯だ酒だと焚火を囲んで騒いでいた盗賊達が腹を抱えて笑い出すと、上座に座った大男は、頬張っていた肉を飲み込んで叫んだ。

 

「卑怯もクソもねぇっつーの! この時代喰うか喰われるかってときに、耳を貸した馬鹿が悪いのよ! お前等覚えとけよー。ああ言った単純お馬鹿は一度痛い目見ても、また持ってくる。持ってきて、持ってきて、何も持ってこれなくなって初めて気付くんだよ! どうしようもねーって! だからそれまで俺達は搾り取るんだ。搾って、搾って、搾り取って、最後は残り糟みてーに捨てるのよ!」

 

『うひょー、さっすが親分~!』

 

 子分達はぴったりと息を揃えて、その男を持ち上げる。

 

「へへっ! まぁ、これからしばらくは食いっぱぐれることはねぇな。飲んで歌って騒いで寝るぜー!」

 

 下っ端の男が薪を焼べる。乾いた音を立てながら徐々に火の勢いが増し、その周囲を少しずつ照らしていくと、少し離れた木の幹に縛りつけられていた少女が、闇の中からぼんやりと浮かび上がる。

 

「あのガキも、その道の野郎に高値で売れるし、良い気分だぜぇー」

 

 囚われた少女に待ち受けるのは、人形のように弄ばれ、飽きられては殺されるだけの人生。

 

 ――もう村には帰れないかもしれない。

 

 そんな考えが、気持ちの大半を占めていた。

 

 最後の望みは、姉であり友である少女ただ一人。真っ向勝負なら負け知らず。その実力は大の大人が何人いようと敵わない。なんせ熊すら目を逸らして逃げていくのだから。

 

 しかしそんな彼女でも、こいつらには太刀打ちできなかった。言いなりにならざるを得なかった。

 

 ――泣きたい。

 

 だが泣いてもどうにもならないことを、少女は理解していた。

 

 だから、ただじっと待つ。待って、待って、待ち続ける。孤独と絶望の闇を、共に走り、笑い合った思い出とともに待ち続ける。

 

 しばらくして見張りの兵士がやってきた。足下に気をつけながら、慌ただしく宴会と化した場へと足を踏み入れていく。

 

「親分、何か変な若造が金ピカの盾担いでやってきたんっすけど、どうします?」

 

「はあぁ、なんじゃそりゃぁ!? そんな美味い話があってたまるか、馬鹿!」

 

「いや、しかし……」

 

「あの~~」

 

 その会話を遮るように、盗賊達の酒盛りの中に入ってきた青年は、腰を低くしながら賊達に声を掛けた。

 

 ――頼りなさそうな人が来た。

 

 少女の、第一印象だった。

 

「いや、なんか、熱を出してうんうん魘されてる子供から、理由は言えないけれど、この宝物を渡して、ん、んっ……『友達を連れてきてほしいのだ……お願いなのだ!』って、言われたんですけど?」

 

 咳払いをして、声真似をした青年に、盗賊達は顔を見合せる。

 

『お、親分すげぇッ!!』

 

 子分達が一斉に発した大声に、ビクッっと震える青年の姿を見ると、さらに頼りなく思えてしまう少女だった。

 

「そ、それで友達というのは……」

 

 盗賊の一人が木に縛り付けられた少女を顎で指し示す。

 

「にしても、兄ちゃん。偉いお人好しだなぁ」

 

「あ、いやぁ……、熱を出して苦しそうだったからね、何だかほっとけなくて……」

 

 頭をカリカリと書きながら、照れくさそうにそう言った。

 

「へへっ、そんなんじゃ命足りねぇぜ? おい! 交換してやれ!」

 

「えっ!? 親分! 交換するんですか!?」

 

 ここであの青年を斬れば、難なく宝が手に入るではないか。

 

 ここにいる誰もが、勿論少女もそう思った。

 

「うるせぇ! 口を慎め、馬鹿! 俺はな、約束は守るんだよ!」

 

「へ、へぇ……約束を守る盗賊なんているのか。義賊ってやつかな?」

 

 縄が解かれ、少女に久方ぶりの自由が戻る。

 

 ――えっ、何で? こんなにあっさり?

 

 そんなことを少女は思いながら子分に手を引かれ、盾を担いだ青年の下へと連れていかれる。

 

 そして青年は盾を子分に手渡すと、子分はそのまま戻っていってしまった。

 

「よく頑張ったね、もう大丈夫だよ」

 

 ――もしかしたら、村に戻れるかもしれない!

 

 少女がそんな期待を寄せた瞬間だった。

 

「さて、兄ちゃん。お勤めご苦労さん。ご苦労ついでに熱出したガキに伝えてくれや。熱が下がったらもう一度宝物を持ってこいってな。それまで、そのガキの面倒は俺達が見ておいてやるからよ!」

 

 そう言って、腰に佩いていた剣を抜いた。

 

「ひっ、ひぃ~……!! って、おいおい、約束が違うじゃないか」

 

 少女は驚いた。賊の親分にではない。突然変貌した隣にいる青年にだ。

 

 猫背気味だった背中は真っ直ぐに伸び、その口調は先ほどまでとは違い、物凄く自信に満ちている。

 

「誰にも言うなって約束を違えたのはそっちだぜ? さぁ、そのガキ置いてさっさと消えな。そのほうが身のためだぜ?」

 

「まぁ、そんなことだろうと思ったさ――」

 

「何ぃ?」

 

「鈴々! 出番だ!」

 

 突風が吹き、木の枝が大きく揺れて音を立てる。そして、そのまま何事も無かったように辺りは静まり返った。

 

 焚火からパチパチと乾いた音だけが聞こえてくる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………あれっ? 鈴々~?」

 

 結局、力強く叫ばれた鈴々という名前の少女は出てこなかった。

 

 彼は内心、凄く焦っていた。

 

 何故なら彼の役目はここまでだったからだ。

 

 事前に打ち合わせをしていても、必ずその通り話が進むとは限らない。

 

 そう、不測の事態――

 

 その対応を迫られる。考える時間はない。一瞬で判断を下すのだ。

 

 誤ればそれまで。彼が取った対応とは……

 

「ほ、北郷一刀! ムーンウォークします! あ、ちょっと下がっててね」

 

 そう言って、少女を少し下がらせてスペースを作りだした一刀に、誰もが呆気に取られていた。

 

「……よし」

 

 数回深呼吸したあと、その場でくるりと華麗に回転したあと、前に歩いているように見えるのに、何故か後ろへと滑っていく。

 

 それはぎこちなくても、ムーンウォークではあった。が……

 

「だから……、何だ?」

 

「エッ!? 凄くない? ほら? ――ホウッ!!」

 

「おちょくってんのか! ボケがッ!」

 

 彼が取った行動は、その場から逃げ出さず時間を稼ぐことだった。それが何千年先のネタで、この時代の誰にも伝わらないとしても、一刀はやるしかなかった。

 

 だが、その判断は正しかった。

 

「――そこまでなのだ!」

 

 闇夜に響いた幼声。

 

「――あぁん!? 姿を見せやがれ!」

 

 辺りを見渡すもその姿は見えない。

 

「あっ、上だ!」

 

 見上げれば、木の枝の上で胸を張って立っていた少女がいた!

 

「鈴々何やってたんだ!」

 

「ごめんなのだ、お兄ちゃんに鈴々のカッコカワイイ所を見せようと思って、ちょっとお花を探していたのだ!」

 

 そう言った鈴々の髪には一輪の花が飾られていた。

 

「――なら仕方ないね!」

 

 人質になっていた少女の元気な声が響いた。

 

「仕方ないのだ!」

 

 これは鈴々。

 

「――仕方なくないから!!」

 

 これは一刀。結局二対一で仕方ないことになる。

 

 鈴々が木の上から飛び降りて着地すると、その花は呆気なく地面に転がり落ちた。が、鈴々はそれに気づかないまま、友達に駆け寄り勢いよく抱き付いた。

 

「鈴々ちゃん!」

 

「おう! ファンファン、待たせたのだ! もう大丈夫なのだ!」

 

「頼んだよ、鈴々。気をつけて――」

 

 深刻な状況に、注意を促す一刀。少女は気にすることなく、ただ元気に返事をする。

 

「任せろなのだ! 見ててね、お兄ちゃん!」

 

 盗賊達と相対すると、少女は名乗りを上げた。

 

「人質を盾にしなきゃ何もできないお前達に、鈴々は絶対に負けないし、ファンファンを傷つけたお前達を、鈴々は絶対に許さないのだ!」

 

 身丈以上ある蛇矛を構え、一気に闘気を漲らせる。

 

「虎も逃げ出す燕人張飛のこの一撃、防げるものなら防いでみろ! なのだ! ――ドッカァァーンッ!!」

 

 その一振りで、一か所に集まっていた雑魚の八割が吹っ飛ぶ。木の幹に叩きつけられ鈍い音を立てると、草むらの上に落ちてピクリとも動かなくなった。

 

 そんな子分達を見て、盗賊の頭は一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 

 反則なまでの一撃に茫然とし、ならばと狙い澄ました弓矢さえ、鈴々は規格外の矛を軽々と振り回して叩き落とすのだ。その尋常の無さに、これは敵わぬと見て撤退の合図を出して逃げ出した。

 

 追撃しようとした鈴々を一刀は引き止める。

 

「――どうして!?」

 

「鈴々の気持ちも分かるけど、一番の目的は果せたろ? 逃げる相手を無理して追い掛けても、こんなに真っ暗じゃ見つからないし、逆に危険なんだ」

 

「うー、納得できないのだ。できないけど、今回はお兄ちゃんに従うのだ……」

 

「ありがとな、鈴々」

 

 頭を撫でると、鈴々は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「さて、庄屋様から借りた盾を回収して村に帰ろうか!」

 

「うん!」

 

 鈴々が庄屋から借りた盾を見つけたようで、一直線に走っていく。それを拾い上げると一転、鈴々はカチンコチンに固まってしまった。

 

「どうした?」

 

「お兄ちゃん……」

 

 鈴々は、金ぴかの盾をパカリと二つに割ってしまった。

 

「……あれ? 目が霞んでよく見えないな。疲れてるのかな?」

 

「……お兄ちゃん、現実を受け止めるのだ」

(十)

 

 庄屋に怒られるとびくびくしていた鈴々だったが、結局、お咎めなしの方向で決着がついた。

 

 村の人達と合流し、俺達はそのまま庄屋の家へと向かったあと、鈴々の要請に答え、人質を救いだす一端を担った庄屋を、村人達に称えて貰ったのだ。

 

 気分を良くした庄屋に、盾が割れてしまうほどの戦いであったことを伝え、目の前で盾を二つに分離させると、案の定庄屋は顔を赤くして小刻みに震えだした。

 

 そこで俺は、二の句を告げる。この盾が幸運の盾であり、鈴々と人質の子を守ってくれたのだと。

 

 すると村人達は驚きの声を上げる。

 

「庄屋様が子供達を心配して、そのような盾を――!?」

 

「子供嫌いで有名な庄屋様がのぉ。これはこれは……」

 

 幸運は誰もが欲するもの。数ある宝の中からその盾を選び、鈴々に与えたと知った村人達は、子供嫌いでいつも鬱陶しそうな態度を取っていた庄屋が、実は子供達の幸せを願っていたという事実を知ると、村人達の熱は増し、近所迷惑も顧みず、庄屋コールが巻き起こる。

 

 この異常事態に、庄屋は大慌てで、

 

「煩い! そんな訳あるか! 馬鹿な事を言ってないで、さっさと散れ! 散れ!!」

 

 っと、叫んで家の中へと逃げ帰っていく。

 

「待ってください! この盾はどうすれば!?」

 

「好きにしろ! 二度と顔を見せるな!!」

 

 静まる一同。

 

「ツンデレだったんだな……」

 

 そんな中で、ぼそりと言い放った俺の言葉に皆の注目が集まる。

 

 その意味を問われツンデレの意味を説明すると、

 

「なるほど、言われてみれば……」

 

 と、誰もが納得してその場から解散した。

 

 帰り際、村人達の話題は「俺の嫁はツンデレかもしれない」という議論へと発展し、酒場へと流れていった。

 

 宿の前で皆と別れた俺は、鈴々を家まで送り届ける。その別れ際――

 

「お兄ちゃんは、鈴々の恩人なのだ。ぜひ鈴々の家に来てほしいのだ!」

 

 という流れになり、俺は鈴々の家にお邪魔させて貰っている。

 

 ぼんやりと蝋燭の火で照らし出される部屋の中で、鈴々はにっこりと笑いながら、

 

「一緒にご飯を食べるのだ!」

 

 っと、俺専用の小さな台を用意してくれて、皿を並べていく。並べきれない料理は、鈴々を中心にして地面に置かれていた。その量に俺は圧倒される。

 

「この量、食べきれるの?」

 

「これでも少ないくらいなのだ」

 

「そ、そう……」

 

「お兄ちゃんこそ、それっぽっちで大丈夫なの?」

 

「多いくらいだよ。それじゃ、いただきますしようか」

 

 食事はいつもどうしているのか、そんな疑問を投げかけながら食事を終えると、

 

「お兄ちゃん、お風呂に入るよね! 鈴々沸かしてくるのだ!」

 

 お風呂を沸かしにいってしまった。

 

「……良い子じゃないか」

 

 鈴々のお祖父さんが亡くなられてからは、ずっとこの家で一人暮らしか……

 

「――ねぇ、お兄ちゃん」

 

 鈴々が不安そうにこちらを見ていた。

 

「明日、行っちゃうのか?」

 

「そうだね、発つなら早い方がいいからね」

 

「……そっか」

 

 鈴々は何か言いたそうにしていたが、そのまま何も言わず、湯を沸かす為に風呂場へと戻って行った。

(十一)

 

「お湯加減どう? お兄ちゃん!」

 

「あぁ、最高だよ!」

 

「それじゃ、鈴々も入るのだ!」

 

「……へ?」

 

 湯気の向こう側で、ガタガタと入口の開いた音がしたあと……

 

「突貫――!」

 

 鈴々が湯船に豪快に飛び込んできた。

 

「おまっ――!?」

 

「これで鈴々とお兄ちゃんは、裸のお付き合いなのだ!」

 

 鈴々が俺の顔を見て嬉しそうに笑うと、そのまま身体を反転し、椅子に座るように凭れてくる。

 

「ふん、ふ、ふっふ、ふーん♪」

 

 鈴々は鼻歌を歌って、かなりご機嫌のようだ。

 

 ――懐かしいな。

 

 それは小学生低学年だった頃、祖父ちゃんの家で妹と一緒に風呂に入ったときの記憶。

 

 大人二人が悠々と足を延ばせるくらい大きな湯船なのに、妹は何故か俺を背持たれにして、こんな風に鼻歌を歌ってたっけ。

 

 アイツ、元気にやってるのかな……

 

「お兄ちゃん、どうしたのだ?」

 

 その声に視線を落とすと、鈴々が心配そうな顔で俺を見ていた。

 

「ん? 妹のこと、考えた……」

 

「お兄ちゃん、妹がいるのかー」

 

 天井を見上げながら全身の力を抜いて、その心地良さを味わう。

 

 鼻歌を止めた鈴々が、ごくごく普通の疑問を投げかけてくる。

 

「ねぇ、お兄ちゃんはどうして旅をしているのだ?」

 

 その問いに答えようと息を吸い込んだとき、鈴々は矢継ぎ早に質問してきた。

 

「どうして妹と一緒にいてあげないのだ?」

 

「寂しがっているとは思わないのか? きっと寂しがってるに違いないのだ!」

 

 眉を吊り上げて、真剣な眼差しで俺を睨んでいた。

 

「そうだね、ずっと音信不通だし心配してるかな。でも俺の家族は元気で暮らしていると思うよ。ここよりも安全で食べる物にも困らない、そんな場所で――」

 

「そんな場所があるの!? 鈴々も行ってみたい!」

 

「んー、無理だろうな。俺も帰る方法が分からないし、馬に乗っても辿りつくことはできないと思う」

 

「ならお兄ちゃんは、どうやって来たのだ?」

 

「それが分からないんだよな。流星が落ちた場所に、何事も無かったかのように寝転がってたらしいよ? 俺を拾ってくれた子が言ってた」

 

「ってことは、お兄ちゃんはお空から流れ星に乗って落っこちてきたのか~」

 

「お伽噺じゃあるまいし、結局誰も分からないってことだよ。鈴々だってお空から落ちてきたとか、信じられないだろ?」

 

「信じられないのだ」

 

「でもまぁ、俺はここにいるんだよなー 残念ながら家族と連絡を取る手段はないし、戻る手立ても無いとなると……もう会えないかな」

 

「生きてるのに、もう会えないのか……」

 

「戻る手立てが見つからないとだよ? 一応言っておくと、帰りたいから旅をしている訳じゃないからな?」

 

「ふーん……」

 

 鈴々は俺と同じ方向を向いて、静かに肩まで身体を沈める。

 

 ――静かな、静かな時間が流れる。

 

 そろそろ湯船から上がろうかと思ったとき、鈴々が小さな声で呟いた。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。寂しい?」

 

「ん、寂しいねぇ。でも馴れ――」

 

「――り、鈴々ね、お兄ちゃんが戻れる日が来るまでね、ううん、戻れる日が来るまででいいのだ! その……」

 

 振り返った鈴々が首を横に振った後、顔を真っ赤にして、もじもじと上目遣いで呟いた。

 

「鈴々の、お兄ちゃんになってほしいのだ」

 

「……お兄ちゃんだろ?」

 

「ほんとに!? ――って、違うのだ! そういう意味じゃ無いのだ!」

 

 鈴々は真っ直ぐこっちを向いて、こう叫んだ。

 

『――鈴々を、お兄ちゃんの妹にしてほしいのだ!!』

 

 ……鈴々が俺の妹に?

 

 関羽と劉備を指し置いて、俺が張飛のお兄さん? えっ、あれ?

 

 のぼせた頭で考えていると、鈴々が耐えられなくなったようで俯いてしまった。

 

 小さな身体を引き寄せて、あっ、裸ってことをすっかり忘れてた! でも大丈夫。だって――

 

「じゃぁ、これからは家族だな、よろしくな鈴々」

 

「――うん!! お兄ちゃん、大好き!!」

(十二)

 

 風呂から上がり、簡素な寝床で横になるとすぐさま眠気が押し寄せてきた。

 

 黄色の生地でできた寝巻姿の鈴々が、当り前だと言わんばかりに俺の懐へと潜り込んできくると、隣に置いてあった枕を俺に差し出す。

 

「はい、枕なのだ! お兄ちゃんはこれを使うといいのだ」

 

「でも俺が使うと、鈴々のが――」

 

「――心配無用なのだ」

 

 俺の片腕をよいしょっとずらして、その上に頭を乗っけて目を閉じる。

 

 ――なるほど、これなら大丈夫か。

 

「長い長い、とっても長い一日だったのだ……」

 

「そうだね。鈴々と出会って色んなことがあったから、俺もくたくただよ……」

 

 思えば鈴々と出会ってから、まだ一日も経ってないのだ。

 

「お兄、ちゃん。ずっと、一緒に……」

 

 それっきり言葉は紡がれることは無かった。

 

 安らかな寝息を立てる妹の温もりを感じながら、俺は申し訳無い気持ちで一杯だった。

 

「最低なお兄ちゃんで、ごめんな。……鈴々」

 

 鈴々と一緒にいることはできない。きっと鈴々は悲しむだろう。恨まれるかもしれない。

 

 目を閉じると一瞬で眠りに落ちた。

 

 その日の夜、久しぶりに星の夢をみた。薄情な男だと思った。

(十三)

 

 朝方に振り始めた雨は止む気配を見せず、薄暗い家の中で俺は鈴々と朝食を取っていた。

 

「……鈴々、雨は嫌いだけど、今日はちょっぴり嬉しいのだ」

 

 急ぐ旅でも、冷たい雨の中を歩いて風邪を引いては目も当てられない。そんな言い訳でもう一日、俺は鈴々の家で厄介になることになった。

 

 鈴々は一緒に入られると、喜んでくれた。

 

 朝食を食べ終えたあと、鈴々が声を落して聞いてきた。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。どうしても行かなきゃダメ?」

 

 その質問に頷いて、理由を告げる。

 

「人を待たせているんだ。約束したし。だたその人はどんどん先に歩いて行くからね。追い掛けて捕まえなきゃいけないだ」

 

「待っているのに、歩いて行くのか~ なんだか意地悪なのだ」

 

「意地悪じゃないよ、待てないんだ。沢山の人を助けたいって人だから」

 

 俺の言い方が少し悪かったようだ。鈴々はあれれ? と不思議そうな顔をしていた。

 

「鈴々、どうして盗賊になる人がいるのか、考えたことはある?」

 

「無いのだ!」

 

「いろんな理由があるけど、大半の人達は困ったからなんだ。鈴々もそうだったろ?」

 

「うっ、言われてみればそうなのだ。鈴々、どうしたらいいのか、分からなくて……」

 

「もう気にしてないよ。そんな人達がいなくなったらどう?」

 

「皆の心配事が無くなったら、きっと笑顔になれるのだ!」

 

「笑顔は平和の証だからね。良くできました」

 

 そう言って、鈴々の頭を撫でてやると、鈴々は嬉しそうに目を細める。

 

「なら 鈴々はお兄ちゃんと一緒に行くのだ! 良いでしょ?」

 

「――えっ?」

 

 ちょっと待った。俺と、一緒に行く?

 

 それは俺に取っては願っても無い申し出だけど、ここで俺が鈴々を連れ出したら、関羽と張飛の出会いの芽を潰すことになるんじゃないか?

 

 それは非常に不味いのではないだろうか。

 

 ……関雲長と手紙に記した、あの人のことを思い浮かべる。

 

 彼女が俺よりも早く鈴々と出会っていれば、庄屋に頼みごとをする手間もなく、鈴々と協力して、あっと言う間に盗賊達を撃破して人質を解放していただろう。

 

 それに鈴々は一緒にいられる家族を求めている。彼女の優しさに触れたら、きっと子犬のように必死にその背中を追い掛けるだろう。

 

 そんな鈴々を関さんが放って置く訳がない。

 

 だからだろうか。俺の頭の中で二人が、屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

「鈴々……」

 

 俺は鈴々を抱き寄せる。

 

「ごめんな、連れて行ってあげられない」

 

 鈴々にその理由を告げる。突拍子で、とてもじゃないけど信じられない、そんな理由を。

 

 ――関羽という、凛々しくて、綺麗な、……黒髪のお姉さんがいることを。

 

「その人は俺の命の恩人で、関羽さんも困った人を助けようと旅を続けている人なんだ。勿論、鈴々に負けないくらい強い人だ」

 

「その人が鈴々とどんな関係があるのだ!」

 

「鈴々の良き義姉さんに、家族になってくれる人」

 

「――本当に!?」

 

「あぁ、最初は拒むかもしれない。でも子供のことが大好きで、放っておけない人だから」

 

「……鈴々、子供だけど、子供じゃないもん」

 

 頬を膨らませて、拗ねてしまった。

 

 頭を撫でても、機嫌を直してくれないようだ。

 

「だから鈴々。その人に出会ったら、迷わず付いて行くんだ。鈴々のこと、大切にしてくれる」

 

 鈴々は黙ったまま――

 

「関羽さんにはきっと鈴々の力が必要になる。一人じゃ目の前の人を救えても、沢山の人は救えない。だから関羽さんに協力してあげて――」

 

「お兄ちゃんは鈴々のこと、必要じゃないの?」

 

「必要だよ?」

 

「じゃぁ――!!」

 

「うん、だから鈴々。俺を追い掛けておいで。関羽さんと一緒に。そしてもう一人の義姉さんと一緒に。目指す場所は皆同じだから。……大丈夫。すぐにまた会える。そしたら、一緒に。皆で頑張ろっ、なっ」

(十四)

 

 鈴々はしぶしぶだが納得してくれたようだ。

 

 雨は相変わらず止む気配を見せず、鈴々はずっと俺の隣から離れようとはしなかった。

 

「退屈なのだ。責任取って、お兄ちゃんが鈴々を楽しませるのだ」

 

 鈴々はむすっと頬を膨らませて、そんなことを言う。

 

 鈴々の気を紛らわすために、何かないかと考えていると、ふとサングラスをかけた有名マジシャンが画面の向こうで披露していたマジックを思い出す。

 

 それはカップアンドボールと呼ばれ、その名の通りカップとボールを用いて、ボールを消したり出したりするマジックだ。

 

 病室で退屈していた妹に、少しでも喜んで貰おうと繰り返し練習した、俺に唯一できるマジック。

 

 これなら妹のお墨付きだし、きっと鈴々も喜んでくれるはずだ。

 

「よし、じゃぁ準備するから待っててくれ」

 

 そして、俺は道具を集め出した。

 

「少し大きめの湯のみと、ステッキもあった方が面白いかな。箸で代用するとして、問題はボールなんだけど……おおっ、サクランボが一杯あるぞ!?」

 

 鈴々が立ち上がってこっちにやってきた。

 

「少し前におばちゃんが持ってきてくれたやつなのだ!」

 

「使わせて貰っていい?」

 

「今日のおやつに取っておいたのだ。今食べちゃ駄目だよ? あとで一緒に食べよ!」

 

「了解、それじゃ鈴々、良く見ててね?」

 

「にゃ?」

 

 サクランボを一つ手に取り、二、三度左右に持ちかえてから――、右手に持ったサクランボを“左手に持ち替える振り”をして、両手を前に突き出して質問した。

 

「サクランボ、どっちの手に入ってる?」

 

「左手なのだ」

 

「……残念」

 

「あれれ?」

 

 ポイントは右手。鈴々の真正面で手の甲を見せるようにして移動させる振りをすること。

 

 鈴々からは俺の右手が邪魔して、移動した瞬間が見え辛い上に、一瞬の出来事。俺の左手が握られたことで、移動したと勘違いしているのだ。

 

「待って、お兄ちゃん」

 

 ――待ってと言われて、以下略。

 

 サクランボを戻して、移動すると、鈴々は俺の後ろを追い掛けてきた。

 

「はい、では鈴々さん。向かいの席にどうぞ」

 

「……もっかい! さっきのもう一回見せて!」

 

「んー、じゃぁ、これに正解したらもう一回してあげる。ちゃんと見ててくれよ?」

 

 俺は皿に盛られたサクランボを掴み取ると、

 

「湯呑みに一つ入れるだろ? 二つ、三つ入れました。さて、いくつ入ってる?」

 

「そんなの決まってるのだ。三つなのだ」

 

 湯呑みをひっくり返すと、中から出てきたサクランボは四つ。

 

「――ちょっと待つのだ」

 

 とんでもない物を見た、と言わんばかりの表情だ。

 

「おかしいのだ! どうして増えているのだ!?」

 

 それは俺が手に取ったサクランボの数が四つで、二つ目を入れるとき、鈴々に見えないようにサクランボを二つ入れているからです。とは言わない。

 

「落ち着いて鈴々。それじゃ次はゆっくりやるから」

 

 転がったサクランボを皿に戻した後、湯呑の中に何もないことを確かめてもらい、改めてサクランボを三つ、手の上に並べて鈴々に見せた。

 

「間違いなく、三つなのだ」

 

 左手で湯呑みを持って準備完了。

 

「入れるよ? 一つ、二つ、三つ――」

 

 一つ目、サクランボを湯呑の入り口付近で入れる。

 

 二つ目、湯呑の奥まで指を入れ、サクランボを“落とす振り”をする。

 

 三つめ、鈴々に見えるようにサクランボを一つ落とし、入れ終わった証拠に湯呑みを振る。

 

 するとどうだろう。ゴロゴロゴロとサクランボが入っている音がする。

 

「――入ってるね?」

 

「入っているのだ」

 

「いくつ?」

 

「三つなのだ」

 

 その時の俺の右手は、何気なく皿に盛られたサクランボの上だったりする。

 

「じゃぁ、取り出して行こっか。一つ、二つ……」

 

 指を入れて、一つずつ取り出して行く。鈴々の目の前に二つ目のサクランボを置いたとき……

 

「あれ?」

 

 っと、わざとらしい声を上げて、鈴々を見ながら湯呑みの中を見せると……

 

「ちょーっと!! 待つのだ!! もう一つどこに行ったのだ!」

 

「どこに行ったんだろうな?」

 

「……もしかして、お兄ちゃん。食べたのか?」

 

「エッ!? り、鈴々目の前で見てただろ!? 食べてないぞ!?」

 

「う~っ、見てたのだ。でもこんなの絶対おかしいのだ」

 

 理解できず、苦しそうに唸る鈴々。

 

「これ、何もない湯呑みだったろ?」

 

 そう言って、俺は箸で叩いたり、中を突いたりする。その度にカチンカチンと音がする。

 

「勿論、箸が突きぬけるとかありえない、よな?」

 

 なんて言いながら、湯呑の縁が鈴々から平行に見えるように傾けて、湯呑みと手の平の隙間に箸を潜らせる。

 

「――突き抜けたのだ!?」

 

 鈴々が目を見開いた。反応が一々可愛い。分かりやすいネタ何だけどなぁ~

 

 そう思って、俺は湯呑みを傾けて鈴々に見えるようにもう一度やって見せ、突き抜けて見えただけだとアピールすると、鈴々はハッと驚いて、正座して姿勢を正した。

 

「もう騙されないのだ!」

 

 右側に箸を置いて、湯呑とサクランボを鈴々の目の前に持ってくる。もう一度、湯呑を持ち上げて何もないことを確かめる。

 

「何も入ってないね。湯呑み一つに、サクランボ一つ。いいね?」

 

「いつでもこいなのだ!」

 

 サクランボを手に取ると最初に見せたときと同じように、サクランボを左手に移動させた“振り”をする。

 

「左手のサクランボを懐に入れました。そして次にこのお箸の出番!」

 

 サクランボの持っている右手で、箸を持って湯呑みを一回叩いてやる。

 

 お箸を置いて、その手で湯呑みを掴んで持ち上げると……

 

 中に何も入っていなかった湯呑から、サクランボが出てくるのである。

 

「お兄ちゃんなんて、大っ嫌いなのだーッ!!」

 

 鈴々は脱兎のごとく逃げ出すと、掛け布団に包まってしまった。

 

「俺はそんな鈴々が大好きだーッ!」

 

 妹に遠慮はいらない。そう思って俺は鈴々の脇腹目掛けて襲い掛かった。

(十五)

 

 楽しい時間が過ぎていく。気が付けば降り続いた雨が止んでいた。

 

 遠くの地平線が赤みを帯び、山は黒一色に染まる。空には暗く青味がかった灰色の雲が流れ、群青色の空は、次第にその姿を闇へと変化させていった。

 

 一緒にいられる時間は残り少ない。いつ再会できるのか分からない危険な世の中だ。だからこそ、できる限り二人で行動を共にした。

 

 俺達が夕食の準備をしていたとき、鈴々がこんなことを言った。

 

「――ねぇ、お兄ちゃん」

 

「どうした?」

 

「鈴々の字を考えて欲しいのだ」

 

 溜めた水を湯呑みに入れて、箸を濡らして鈴々の字を書いた。

 

「翼徳」

 

「も、もうちょっと悩んだりしてほしいのだ! いくら何でも早すぎッ!」

 

「気入らなかった?」

 

「……カッコ良いのだ」

 

「ならば良し!」

 

「良くないのだ! もっとちゃんと考えて欲しいのだ!」

 

 むすっと頬を膨らませた鈴々も可愛いけど、これ以上怒らせるのはまずいか……。また拗ねられても困るしな。

 

「翼徳の『翼』は、鈴々の名前の『飛』から。――力強く、誰よりも負けないくらい高く、天に舞上がるための翼」

 

「にゃ――!?」

 

「考えなしに言ったと思った?」

 

「えっとね!? えーと……それじゃぁ――」

 

 追い討ちをかけるように俺は『徳』の意味も伝えると、鈴々は嬉しそうに名乗りを上げた。

 

「鈴々は張飛、字は翼徳! 鈴々は困った人達を一杯助けて、皆を笑顔にするのだ! ……いつかお兄ちゃんと一緒にッ!!」

 

 俺の真正面に立って、その瞳に俺の顔を映しながら……。

 

「だから、お兄ちゃん。死なないで。絶対に死なないで! ――約束して!! 鈴々とまた一緒に遊んで! ……また一緒にご飯食べて、一緒にお風呂入って、一緒に寝よ?」

 

 ――今は我慢する。だから、それまで死なないでと……鈴々は俺の身を案じてくれた。

 

「……鈴々ね、もう寂しくないよ?」

 

 そう言って、鈴々は俺の頭を優しく抱きしめてくれた。

 

「一人ぽっちはやっぱり寂しいけれど、でももう一人じゃないのだ。だから大丈夫。それに鈴々のお義姉さんになってくれる人がいるんでしょ? 家族なってくれる人がいるんでしょ? だから大丈夫なのだ」

 

 鈴々はとても強かった。仕方無いと、約束は守らなきゃいけないと言ってくれた。俺の頭を撫でながら。

 

 兄としての立場なんて、これっぽっちもなかった。

 

「お兄ちゃん、お目めが真っ赤なのだ」

 

「鈴々もな」

 

 見っとも無い顔で笑い合って、一緒に夕食を取り、風呂に入って、俺の故郷の話をして、昨日と同じようにして、寝床に付いた。

 

 ――大丈夫。俺は死なない。必ず生き残ってみせる。

 

 次の朝、鈴々とは一本杉で別れた。

 

 振り返ればそこに鈴々の姿があった。ずっと、見えなくなるまで。

 

 あとがき

 

 お待たせしました! 第五章、燕人張飛になります。偶然張飛と出会い、慕われて家族になるお話です。少しでも鈴々の良さが伝われば良いのですが。

 

 えーと、捕捉とか、注意点とか、ネタに困って……とか、以下そんな話。

 

 庄屋との交渉では、少しハイスペックな所を見せますが、その辺りは星のお姉さんに……ゲフンゲフン。出会いは人を強くするっということで、コツみたいなのを教えて貰って、ちょこっとレベルアップしてます。でないと後で困ってしまうので……。都合良すぎですけど、そういうことで一つ。

 

 手品――どう文章にして説明したら良いものかと、チャレンジしてみました。余り伝わってないかもしれません。ごめんなさい。

 張飛を苛めて、泣かしてしまった訳ですが、この時代だとやっぱり侮辱に当たるものなんでしょうかね? 人を欺く、騙すという意味合いでは、何となくそんな感じがしましたが……

 ちなみに、「妹が入院して退屈を紛らわすために練習した」とか、オリジナルには一言もありませんので、ネタに困って勝手に考えた設定ですので、勘違いされないようにお願いします。

 

 あとは、余り触れてはいけないお風呂。誰得とかそういうの関係なく、仲良し兄妹といった感じで。そういう意味合いなら全然可笑しくないんだからね!

 

 少し詰め込み過ぎた感じがする鈴々の章ですが、三姉妹の末っ子も終わり、後は青龍刀フラグを回収するだけです。そこで三姉妹編は終了となります。

 

 しかし何だろうこの胸騒ぎは……

 

 では次回にまた。失礼します!


 
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