軽く息を吐き、目の前で頭を下げ続ける彼女に声をかける。
「……一つ、聞きたいんだけど」
「なんや」
耳を震わせた声音に覇気はない。
それでも、ふと思ったことを問いかけてみることにする。
おそらく彼女自身も、何を問われるのかわかっているに違いない。
「あの場所、座っていて大丈夫だったわけ?」
「…………」
諦め、嘆息。ゆっくりと起こされた顔に表情は浮かんでいない。
いや……、浮かびそうになる表情を無理矢理打ち消している。
「……なぁ、桂花」
「何よ」
「えらく馬鹿みたいな話なんやけど」
「ええ」
吹き抜ける風。ばさりと広がる紫の羽織。
羽織は、所々深い色に染まっている。
「ウチ、座ってから気付いたんや……」
物見やぐらの屋根の上。一粒の光が、屋根を離れ、地面へと落ちていった。
「……で、あなたはこんなところで何をしているのよ」
「…………」
哀愁を滲ませながら、明後日の方向を向いていた霞に、何事もなかったかのように問いかける。
ただ、『ように』であって本当の意味で何事もなかったことにはできず、声音に呆れが混ざり込んでいたが、こればかりは仕方ない。
それ以前に、私は悪くない。
「そうやねぇ……」
嘆息し、吐き出された想いは、空気の中に溶け込んで行く。
視線も明後日の方向を向いたまま。
しかし、そこに宿る光の色が変わったのを見逃しはしない。
「別に、なんもしとらんよ」
「…………」
その顔に、呆れでも諦めでもなく、『
再び湧いた違和に、思わず口を開いていた。
「あなたも黄昏れることってあるのね」
「なんやそれ、ウチを馬鹿にしとん?」
「思ったことを言ったまでよ」
あいっかわらず口悪いなー。苦笑とともに表情を崩した彼女に、小さく吐き出しかけた息を押し留める。それでも、彼女の色の変わることのない瞳を見、目を細めた。
私は口を開くことなく、彼女を見つめ続けていた。
やがて根負けしたように嘆息したのは、狙い通り、霞だった。
「平和になったなぁ。そう思うてたところだったんよ」
「…………」
良いことじゃない。反射的に、何気ない会話のように紡がれようとしたその言葉は、口からもたらされる音となって形を得ることはなかった。
正確には、黙らされた、と言うべきか。
黙り込み、視線を城内へと向けた彼女の顔が、遠い記憶と重なって。
「ウチ、羨ましい思うててん」
さらりと頬をなでていく風。それが彼女の髪をさらい、表情を覆い隠す。
それでも彼女が向ける視線の先に何があるのか、目を向けるまでもなく
「目標に向こうて必死んなって。他んこと一切がっさい忘れて、前に進める奴が」
たとえば、『春蘭』みたいんとか。
声に出さずとも、彼女が付け加えるのを感じ取る。
「たまに、思うんよ」
寂しげに響くそれは、独白のように。
「あの日、あのとき、『春蘭』を止めん方が良かったんとちゃうかって」
見えない心が叫ぶ、聞こえないはずの悲鳴のように。
「皆の手前、常識に照らし合わせて止める選択をしてもぅたけど、止めんと、ウチも付いていった方が良かったんとちゃうかって」
理不尽に出会い、泣き叫ぶ子供のように。
「戦場は楽でええ」
覆い隠していた髪の向こうに、ようやく姿を見せた瞳は、光を陰らせていた。
「抱えなならん責任もあるけど、駆けとる間は、
光を陰らせたまま、夢想するように、彼女は空を見上げた。
「やから、やろうな。羨ましいんわ」
どこまでも澄み切った青い空を、ただ、ぼんやりと。
「必死んなって走り続けられる奴が」
見上げる顔に表情はない。
それでも、彼女の持つ感情の中に嫉妬はなく、ただただ羨ましいと、羨望を抱えていることは理解る。
「もしかしたら、桂花を怒らせるようなこと言ってもうたのも、それが原因かもしれへん」
自分ではそこにたどり着くことはできない。そう、確信しているような。
「なんだかんだ華琳一筋な桂花が、羨ましくてしかたなかったんよ」
『桂花、ウチな』
頭の中に一つの声が反響した。
それは、遠い記憶の一欠片。
『この戦が終わって、大陸が平和になったら』
楽しそうに、嬉しそうに口元を綻ばせて話す少女の姿。
誇らしげに、幸せを噛みしめるように。
『旅に出よう思う』
戦場で武器を振るい続ける、『神速の張遼』からは想像もできない。
子供のような笑顔を顔に浮かべながら。
『羅馬とか、いろいろ行ってみたいねん』
その頃、精気を失った顔で空を見上げる彼女から。
面影も感じられないほどに変わり果てた姿。
『んで、その旅にな』
それでも、彼女が一番言いたかった報告は、これだったに違いない。
ただでさえ赤かった頬が、さらに朱に染まったことは忘れていない。
『――も、一緒に来てくれるんやて!』
しかし、その約束が果たされることは、ついぞなかった。
「…………ふん」
私は小さく鼻を鳴らし、空を見上げる彼女に背を向ける。
ちらりと私を見た霞と目があったが、なんの反応も返すことなく足を踏み出した。
元々、私と霞の間にはそれほど大きな関わりはなかった。
故に彼女の抱える悩みがどんなモノなのか、深く聞くことはできない。
喩えできたとしても、その選択肢を選ぶことはなかっただろうが。
一度として振り返ることなく、一歩一歩確実に。
それに、私が彼女の悩みを知ったことところで何もすることはできない。
私が
気のない言葉に、気のない返答をされるだけだ。
吐いた息は、何もない空間に溶け込んでいく。
私のかける言葉には、なんの効力もない。
無論、妖術なんて使えないし、使えたところで意味もない。
私にあるのは、くだらない、“天の知識”だけ。
「……そういえば」
だから、私が足を止めたことには何の意味もない。
意味のない独り言を、意味もなく呟こうと思っただけだ。
意味のない“天の知識”を、彼女の前でひけらかそうと思っただけだ
自己満足で、自己欺瞞の、くだらない自己顕示だ。
突然の衝動に従って意味のない行動を、奇行とも呼べるそれしてみたいと思っただけだ。
「西涼よりはるか西方に、大きな国があるらしいわね」
「西方……? 西涼より……?」
私は意味もなく、片腕をあげた。
意味もなく、地面と水平に伸ばして固定する。
意味もなく、ゆっくりと伸ばした人差し指が指し示したのは偶然西方、地平線のはるか彼方。
「
「羅馬……」
伸ばした腕を、ゆっくりと下ろす。
止めていた足を、再度踏み出す。
「今は到底無理だけれど、いつか機会があったなら」
もう二度と、足を止めることなく。
背中に、誰かの視線を感じながら。
「旅してみる、ってのも良いかもしれないわね」
「…………旅、か……」
おぼろげに聞き取った誰かの呟きに込められた『色』。
その『色』を理解するより速く、私は考えることを放棄した。
雲一つない太陽の下、多くの人々で活気付く大通りを、私は一人で歩いていた。
何か目的があると言うわけでもなく、何かをすると言うわけでもなく。
ふらふらと、ふらふらと。意味もなく、何もなく。ただただ、ぼんやりと。
もうすでに、私に自室に戻ろうと言う選択肢は存在しない。
いつの間にか空高く昇っていた太陽を見た瞬間、私の中から仕事をしようと言う考えは遠いどこかに消え去った。
強いて言うなら、何か腹に入れたいところではある。
かといって、どこかに当てがあると言うわけでもなく、いつの間にか様変わりした街の中を一人で歩き続けていた。
……いつの間にか、と言うのには語弊があるか。
私はこの街が様変わりした理由を、知っているのだから。
『この世界』に来て私が初めて行った建策は、警備状況の改善だった。
資料とこの目で見た事実を併せ、判断した結果、早急を求める問題がこれだったからだが、“華琳さま”に認められるのも早く、すぐに実行へと移される。
その結果街の様相は大きく変化し、私の“目標”への足がかりができた。
……そして『なぜ』か、凪から私へと向けられる尊敬度が、異常なほどに跳ね上がった。
私の策が成功し、着々と街が変わっているという報告を、親しげに近づいてくる彼女から報告を受けたのでよく覚えている。
ふと足を止め、空を見上げた。
行き交う人々が不審そうに私を見、避けるように身を捻る。
しかし私は気にも止めず首を上げ続け、やがて“それ”を視界に捕らえた。
どこまでも澄み渡る青空の中心で、燦々と輝き続ける巨大な光。
あまりのまぶしさに思わず顔をしかめ、手を顔の前にかざすことで光を遮る。
目を細め、かざした手のひらの向こうをしばらく睨みつけて。
意味のないことだと悟った私はゆっくりと視線を前へと戻した。
そして私は、細めていた目を大きく見開く。
「あれ?」
「桂花さん?」
目の前に立つ、二人の少女の姿を頭が認識したことによって。
少女たちは、わかりやすく驚きの表情を浮かべていた。
澄んだ二組の瞳は鏡のように、目を見開いた私の顔を映している。
濁りのない表情に、濁りのない瞳。感情を抑えることを知らない純粋無垢な少女二人。
綺麗で、
じわりと広がる、胸の痛み。
「っ……え、ええ」
反射的に歪みかけた表情を無理矢理絞り出した返答でもって覆い隠す。
じくじくと、ずきずきと。
思考を切り離したはずなのに、痛みは消えることなく残り続け、ふとした切欠で胸を苛む。
その上、徐々に強くなり始めている。
再度思考を切り離そうと努力してみるけれど、虚しく、無情に、徒労となって終わりを迎える。
痛み自体はたいしたことはない。
最初こそ反射的に呻いてしまったが、乗り越えてしまえば表情に出してしまうほどではない。
しかしもし、このまま痛みが強くなり続けたとしたら。
私はそのとき、耐えることができるのだろうか……?
「あの……桂花さん?」
「……なにかしら」
自然に、あくまで自然に返すことはできたと思う。
発した声に淀みはなかったし、言葉に引っかかるようなところもなかった。
強いて上げるとすれば、返答することにほんの一瞬の時間を要したことだろうけれど、それでも誤差の範囲と言える……はずだ。
「あ、いえ……」
だからこそ彼女は、躊躇うように目を伏せ、ちらちらとこちらを伺いながらも身を引いたのだ。
「それで……季衣と流琉はこんなところで何をしているの?」
仕切り直すために、淀む空気を入れ換えるように、意識的に声を大きくして問いかける。
『なぜ』こんなことをしているのか、そのことに思考を向けないように。
「へぇ、美味しいじゃない」
「えへへっ、でしょう?」
眼前の机に並べられた様々な種類の料理を口に運び、私は賞賛の声を上げる。
それを自分のことのように喜ぶのは、対面に腰掛ける桃色髪の少女、『季衣』。
「あの……、桂花さん」
「なに?」
「えっと、お忙しいところを無理矢理連れてきたみたいで……すみません」
対照的に表情を曇らせているのは季衣の隣の緑髪の少女、『流琉』。
二人の対応の仕方が、彼女の性格をそのまま表している。
「そんなことないわよ。私も、何か食べようかと思っていたところだったの」
「でも……」
「さっきからなに言ってるのさ、流琉。そんなことしてるとボクが全部食べちゃうよ!」
「あっ、季衣!」
肩を縮こまらせる流琉が、もう聞き飽きたと言っても良いくらいの謝罪をしようした瞬間、突如横から伸ばされた季衣の箸が流琉の取り皿に乗せられていた肉団子をひょいと摘み上げた。
そして躊躇うことなく口へと運び、口元を綻ばせる。
「もう、季衣ったら……」
反射的に掴みかかる――なんてことはもちろんなく、取られたことに声を大きくした流琉だったが、幸せそうな季衣に毒気を抜かれ、一息吐いた。
何だかんだ、季衣と流琉は良い二人組なのだろう。
二人の少女を微笑ましく思い、眺めながら、私は季衣に勧められた料理の数々に舌鼓を打ち続けた。
そもそも、どうして私が二人と食事を取っているのか。それはほんの少し時間を遡って説明することになる。
と言ってもそれほど大きな何かがあったというわけでもないが。
簡単に言えば、私が季衣にどこか食べに行きませんかと誘われただけのこと。
これと言って説明するようなこともない、特別なことのない日常の一片。
ふと、『どこか』へと想いがはせられる。
そこには、笑い合う目の前の『二人』の姿が映っていた。
時に笑い、時に言い合いをしている少女二人を眺めているうちに、私たちの食事は終盤へと差し掛かっていた。
あと残りは、季衣の前に積み上げられた肉まんだけ。
私は眼前に並べられるすっかり綺麗になった皿を眺めながら、感慨に浸っていた。
ちなみに、私の前に並べられた空の皿は、もちろん料理が乗っていたモノだが。
実はこの皿、三度ほど店員によって入れ替えられている。
つまり、全ての皿を三度入れ替えなくてはならないほどに料理を食べたということだ。
無論、食べたのは私ではなく季衣だが。
前々から思うのだが、どうしてあれほどの量をその小さな身体に入れることができるのだろう。
明らかに、総量が彼女の体積よりも大きかったように思うのだが。
はたして彼女のどこにそれが入っているのか、心の底から疑問に思う。
考えたところで答えは出ないので、思うだけで解き明かそうとは思わないが。
「季衣はホントによく食べるわね」
しかし問いかけはする。
気になるからということではなく、あくまで会話の種としてだ。
これも、日常の一片と呼べるだろう。
「ん?」
肉まんを口いっぱいに頬張ったまま、首を傾げて見せた季衣に邪気はない。
ただただ純粋な疑問、それだけ。
「ふぁふぃいっふぇふふぉふぁ、ふぇいふぁ」
「季衣、口の中にモノを入れたまま話すのは行儀が悪いよ?」
もぐもぐごくん。そんな擬音が聞こえてそうだった。
季衣の行動を咎めて見せた流琉も、次にとった行動には苦笑せざるをえない。
私も、つい口元が綻んでしまったほどだ。
無論、そんな流琉にも邪気はなく、純粋に季衣を思いやっている。
「なに言ってるのさ、桂花」
「言葉通りだけど……」
瞳を爛々に輝かせたままかくんと首を傾げられ、あまりの眩さに声が尻すぼみに消えていく。
正しいのはどう考えても私のはずなのに、自信が奪われ続けていく故に正当性が向こうにあるのではないかと錯覚する。
あー……、もしかして間違っているのは…………
「これじゃあ全然足りないよ」
私ではない。
もう一度言う、私ではない。
到達するまでの思考を全部切り捨てて言える。私ではない。
「どしたの?」
既視感を覚える光景を目の当たりにするが、今の私には何の影響も与えない。
思考の全てを『驚愕』に埋められているおかげというべきか。それとも埋められている所為と言うべきか。
それはもちろん後者であり、始めに『季衣の』が付くだろう。
が、それを指摘できる人間は、私を含めこの場所にはいなかった。
「桂花さん、どうかされました?」
「……気にしないで。世界の理不尽を思い出しただけだから」
「りふじ…………、えっ……?」
「何でもない、忘れて」
うやむやにしようと決めた私は適当なことを話しながら、思考の奥で別のことを間が始めた。目の前で少しの間私を見つめたあと、やがて互いに視線を合わせて首を傾げる少女二人についてだ。
季衣と流琉は、一切の汚れを持っていない。
それこそ、眩しさを覚えるほどに、光り輝いて見えるほどに、真っ白だ。
そんな彼女たちと過ごしていると、気分が晴れていくような、自分自身が洗われていくような、そんな気がする。
今日一日、多く気の滅入る状況に晒されてきたからだろうけれど、そういう面倒なことに思考を回さなくても言い分、気が楽で。
気を張り続けなくてはならない私が、唯一弦を外せる場所。
その上彼女たちに邪気がないのだから、『慣れて』しまえばどうということもない。
『慣れて』しまえば、落ち着いていられる。
喩えそれが、どれほど強いモノだとしても。
「ねえねえ、流琉。桂花に『アレ』、聞いてみようよ」
「聞くって……駄目よ、季衣。桂花さんは色々忙しいんだから」
「えー、でもさあ」
ふと、自分の名を呼ばれて我に返った。
直後現状理解に思考を回せば、少女二人が私に用があるらしい。
それが何かを理解することはできなかったが、私に対して躊躇いを持つような内容であるらしい。
「どうかしたの?」
なら、私は彼女たちの背を押すことにする。
人知れず私を助けてくれている彼女たちへの、『変わらない彼女たち』への、私のお礼とも言えるものだ。
強制することはできないから、『話す・話さない』の選択権は彼女たちにある。
『躊躇う』ことが彼女たちの行動を抑止しているというのなら、私はそれを取り除くだけ。
「え、あっ……その……」
「桂花に聞きたいことがあるんだけど!」
それでも躊躇いをみせる流琉に、背を押したことで駆け出した季衣。
この二人の行動の違いが、彼女たちの性格の違いを如実に表している。
「なに?」
違うからこそ、親友と言える関係で二人はいられる。
「えっとね、皆を喜ばせるにはどうしたら良いかなって」
「喜ばせる?」
「季衣、それじゃ伝わらないよ?」
「えー? じゃあ流琉が言えばいいじゃんか」
「言えばって、季衣が先に言ったんじゃない」
「何だとー?」
互いが互いを支えあっているからこそ、彼女たちは笑っていられる。
「すみません、桂花さん」
「うー……」
「別に良いわよ。それより『皆を喜ばせる』って?」
「あ、えっと、それは……」
「無理しないで良いわ。話せることだけで」
「あ、はい。それじゃ……」
好きなときに笑って、好きなときに喧嘩できる。
「…………なるほど、そういうことね」
「はい……あの、忙しいとは思うんですけれど、できれば、その……」
「別に良いって何度言わせるのよ」
好きなときに甘えられ、好きなときに涙を流す。
「そうね……」
笑い合って、言い合って。
甘えて、泣いて。
「なら、こんなのはどうかしら」
「何かあるの!?」
「ちょっと季衣……」
「遠い国の風習の一つなのだけれど……」
互いに気の置ける相手を持つ彼女たちが。
無条件で『自分』を許してくれる人を持つ彼女たちが。
少し、羨ましい。
「……『ぱーてぃ』を開く、なんてどう?」
私にはもう、そんな相手はいないから。
「ありがとう、桂花!」
「ええ、成功すると良いわね」
「私の腕次第ですからね! 頑張ります!」
「流琉の料理、楽しみにしてるわ」
「はい!」
「流琉、早く行くよ!」
「あっ、待ってよ季衣! 桂花さん、失礼します!」
元気一杯に駆け出していく少女二人の背中を見つめ、私はほっと小さく息を吐いた。
相談に答えただけなのだが、彼女たちにあれほど喜んでもらえると相談に乗った甲斐があるというものだ。
他の人間――私を快く思っていない人間からすれば、“知識”のひけらかしとも言われかねないモノだったが、純粋に喜びを表現してくれたことを嬉しく感じる。
季衣と流琉の相談は、想いやりに溢れるモノだった。
それに相談の内容自体も簡単で、そう悩むこともない。
彼女たちは、どちらかと言えば悩んでいたと言うより“背中を押してほしい”、そんな意味合いが強かったように思う。
城内が常にピリピリしていて、皆の気が休まるような場所がない。
皆にひと息ついてもらうにはどうしたら良いだろう。
彼女たちらしい、それが私の感想。
戦争で負け、三つ巴に陥ってから、三国は常に緊張状態が続いている。
その状況は、『魏』国の雰囲気を大きく変えた。
城内は張り詰めた空気が常に漂い、吸い続けた結果、皆の心も凍りついた。
他者を蔑み、他者を
それゆえ吐き出す空気も汚れ荒んだモノになる。
彼女たちは、そんな現状を憂いた。
綺麗な瞳で全てを見、汚れ荒んだ世界を視る。
幼いからこそ、純粋であるからこそ、汚れのない心で受け止め輝きを求めて歩き出した。
彼女たちらしい、彼女たちだからこそできる輝かしい行動だ。
私はそれを、すごいと思った。
自分自身の想いに従い、素直に行動できる彼女たち。
羨ましい。そう、羨ましかった。
私が、躊躇いを見せる季衣と流琉の背中を、“天の知識”を用いてまで押してみせたのは、二人への憧れによるものだ。
そして何より、私自身の贖罪だ。
彼女たちが感じた世界の一端は、私が関係しているのだから。
むしろ、原因と言い換えても良い。
彼女たちに協力することで、自分自身への言い訳を創り出そうとした。
その程度で返上できるようなことじゃ到底ないけれど、彼女たちが示した選択肢に飛びついた。
“弱い”、と思う。
“弱くなった”、と思う。
心をすり減らしボロボロになった私は、輝く光に触れた。
光は、私を覆っていた『何か』を取り払う。
『何か』を失った私はあまりにも弱く、光を浴びせかけられさらに弱くなった。
でも、私は。
『嫌』ではなかった。
光に取り払われるままに、光を浴びせかけられるままに、この身を晒し続けた私は拒否を示さなかった。
このままで良い、と思う。
このままが良い、と思う。
それができないことだということは、分かっている。
それがやってはいけないことだということは、私自身が一番わかっている。
でも、でも。それでも。
もう少しだけ浸っていたい、と思った。
「人和」
「………………桂花さん?」
行き交う人々の間をすり抜け、賑わう大通りをまっすぐ進んだ先で、短く揃えた
沈ませていた肩を持ち上げきょろきょろと周囲を窺った彼女は、私を見定め大きく瞳を開かせた。
ずり落ちた眼鏡を押し上げる様に苦笑しながら、驚きを
歩み寄る途中、彼女の背後に大きな服屋を発見する。
そういえば最近、新しい服屋ができたと誰かが――あれは沙和だったかしら――言っていた気がする。
そんな場所の正面で彼女が肩を落として立っていたということは――
「他の二人は……」
「……あの中です」
――そういうことなのだろう。
三国一の『あいどる』と呼ばれても、ぶれることなく『女の子』を貫いてきた二人だ。奔放さは“こちらの世界”でも変わることはない。
『あいどる』として多くの視線に曝されながらも笑顔を保ち、目的に向かって
必死に努力する過程を
迷うことなく前に進み続ける彼女たちは、まぶしいほどに輝いていて。
だからこそ、多くの人を惹きつけることができる。
「それにしても、桂花さんがこんなところにいるなんて珍しいですね」
「今日はその言葉をよく聞くわ」
仕方ないこと――と言うより自業自得と言うべきか――だとはわかってるんだけど、愚痴を吐くのは許してほしい。
『愚痴』として流せるくらいには、今の私は落ち着いている。
季衣と流琉の二人と会話をする前と後では心の持ちようも大きく変わっていた。
あの二人には感謝しないと。
「それよりあなたたちがここにいることの方が問題だと思うんだけど」
「それはそう、なんですけどね……」
はぁ……、と大きなため息を吐く人和に再度苦笑する。
裏方としての事務を一手に担っている彼女からすれば、疲れるのも無理はない。
なんの因果か気付けば部屋を出ていたが、部屋にこもり書類と向き合い続けていた私には、彼女の疲れがどのようなものか何となく想像できる。
その上踊りや歌の練習もあるだろうから、見た目ではわからないが精神的にも肉体的にも相当な疲労を抱え込んでいるのではないだろうか。
「あ……そういえば」
「なに?」
何かを無理矢理振り払うように、声量がすこし上がっていた。
追求するつもりはもちろんないので、つり上がりそうになる口の端を押さえつけることに力を注ぐ。
「『役萬姉妹』を『数え役萬☆
「ああ、そうなの」
『役萬姉妹』、『数え役萬☆姉妹』とはどちらも、人和と他にあと二人、現在絶賛服選び中の女性を含む、彼女たち三人を総称した呼び名である。
『魏』を盛り上げる活動……つまるところ、民たちを煽動し、誘導し、『魏』に恭順させる活動をしていく上で、広報や報告等、様々な面においてそちらの方が合理的だろうと作られたモノだ。
呼び名が二つ存在しているのは、前者が先に作られ、後者が後に作られたからだ。
たしか……『ぐるーぷ名』とか言ったかしら。
「桂花さんの提案のおかげです。ありがとうございます」
少し前、人和を含む三人が、自分たちの『ぐるーぷ名』について話しているのを聞いた。
詳しく聞けば、『役萬姉妹』の語呂が悪く、すっきりしない。
悩んでいると言うほど深刻ではないが、なんとなく気になっている。
正直、何だそれは、と思うような内容ではあったが、それほど気になっているのならと『数え役萬☆姉妹』を挙げた。
どうやらいたく気に入られたようで、すぐに改名し、大きく広報。民たちにもそちらの方が良いと評判になり、結果、後に作られた『ぐるーぷ名』が『魏』において彼女たちを総称する主な呼び名となった。
人和の礼は、そのことを言っているのだろう。
「別に、私は何もしてないわよ」
謙遜、ではない。私は、本当に何もしていない。
“記憶”を“知識”として、彼女たちに披露して見せただけだ。
だから、礼を言われる理由は、私にはない。
「そんなことはありません。桂花さんにとってはそれが当たり前のことでも、私たちには衝撃だったんです」
「いや、それは……」
「本当に、ありがとうございます」
深く、頭を下げられた。
まっすぐ伸びた姿勢の良い身体が、綺麗に折れるその様に、思わず目を奪われる。
これでは彼女から目を離すことができない。
上手い、と思った。
すごい、と思った。
彼女も伊達や酔狂で人の注目を集める活動をしているわけではない。
意図的か天成かは知らないが、人の扱いに長けている。
ここまでされては、彼女の礼に答えないわけにはいかない。
私は大きくため息を吐くと、敗北を示すべく、口を開いた。
最後の抵抗として、自分でも遅く感じるほどゆっくりと。
「…………」
しかし、敗北の宣言が、その口から紡がれることはなかった。
否、できなかった。
私は、紡ぐことを、放棄した。
胸に、じわりと、痛みが広がったから。
それほど『痛い』わけではない。
最初に比べれば、些末なモノと言える。
ただ、『痛みを覚えた瞬間』が悪かった。
完全に、油断していた。
季衣と流琉と接し、“痛みを感じる”ことを失念していた。
痛み自体を、忘却していた。
……いや、違う。
私は、忘却などしていない。
忘却など、できるわけがない。
常に私を襲う“この痛み”を忘れ去ることなど、できるはずがない。
目を、“向けていない”だけだ。
“都合の悪いこと”から、目を“逸らしている”だけだ。
“逃げている”だけだ。
じわりと広がる胸の痛み。
『痛みを覚えた瞬間』。
あれは、口を開きかけた私を、
“責めている”ように感じた。
――『なぜ?』
「っ――」
嫌だ。
嫌、だ。
私は、私は……っ!
――“向けていない”?
――“そらしている”?
――“逃げている”?
――――私を“責めている”?
『なぜ?』
『なぜ』私が、目を離さなくてはならない?
『なぜ』私が、目をそらさなくてはならない?
『なぜ』私が、逃げなくてはならない?
『なぜ』私が、責められなくてはならない!
第一、私が一体、『何』から目を離し、そらし、逃げている?
どこに責められなくてはならない
あるわけがない。在るわけがない。
『この世界』に、存在するわけがない!
私は、“弱い”。
二人の少女たちとの会話を経て、“弱くなった”。
でも、だからどうした。
それが何だ。
“このまま”で良い、そう思った。
“このまま”が良い、そう思った。
もう少しだけ浸っていたい、そう思った!
「え、ええ……っ」
歯を、喰い縛る。
「っ……そう、ね……」
それこそ、喰い潰さんばかりに。
「それにしても、よく『しすたーず』なんて言葉、知っていましたね」
頭を下げていた人和には、幸い気付かれていなかったらしい。
気付かれないよう胸をなで下ろし、沸騰しかけた頭を切り換える。
熱が跡形もなく消える、ということはないが、それでも物事を冷静に考えることはできる。
胸を襲う痛みを思考の外へと置き去りにし、人和の問いに答えるべく口を開く。
「私もそれほど詳しくはないの。遠い昔にどこかで聞いただけで」
「『しすたーず』……一体どこの国の言葉なんでしょう。少なくともこの大陸ではないと思いますが……」
「…………」
どこの国、ね。
私の“記憶”によれば、まだ存在すらしていないのではなかったかしら。
たしか……日本、と言ったかしらね。
「ここからずっと東、海を渡ってさらに東にある国、だそうよ」
かと言って、存在していない国名をそのまま伝えるわけにはいかないか。
あくまでぼやかせる程度に押さえ、興味を誘わないように。
「そんなところに国が……」
声音に驚きが滲んでいるが、それは国の存在にと言うより、私がそれを知っているという事実に対しての方が強いように思う。
思惑通りの反応だが、それはお
たしかに私が示した国の
過去に一度、文献を探した記憶もあるが、そんな国の記述は見つからなかった。
本当にそんな国が存在しているのか、私は知らない。
「あの、桂花さんに少し相談が……」
「相談……?」
ふと、二人の少女の姿が頭の中に鮮明に浮かび上がる。
眩しいほどに輝く笑顔を残して走っていった二人は、私に相談を持ちかけてきた。
「はい、次の公演での設営の方で」
「設営、ね……」
彼女たちが笑顔になったのは、抱えていた問題が解決したからだ。
いや、そこに至るまでの道のりに光が差した、と言うべきか。
迷路を歩き回っていた彼女たちに、
「良いわ、言ってみなさい。私に答えられることなら何でも答えてあげるから」
「っ、ありがとうございます!」
――私だ。
私が、二人の相談に答えたからだ。
些細な一言だったけれど、二人にとっては輝く花を咲かせるほどのモノだったに違いない。
どこからか一枚の書類を取り出した人和は、それを広げて差し出してくる。
「えっと……これなんですが」
「ふうん、ならそれは?」
「あ、こっちは……」
なら、再度この相談に答えることができれば、輝かんばかりの花を、また見させることができるに違いない。
そして、また感謝されるに違いない。
「へぇ、なるほど。つまりこういうことよね?」
「はい、そういうことです」
感謝され、笑顔を見せられるに違いない。
何か実利があるわけではないけれど、それでも、やる価値はある、ように思う。
「そう。でもこれだったら、わざわざ私が何とかしなくても……」
振り返れば、このときの私は浮かれていた。
一度沸騰しかけた頭には、熱が残っていた。
そしてなにより、私は“弱くなって”いた。
これ以上ないほどに、このときの私は思考回路が著しく欠落していた。
だからこそ、当たり前のことに気付けなかった。
普段の私なら最初に気付いているであろうそれを、思考を停止しているが故に見逃した。
ようするに、この
あの頭におが屑が詰まっているであろう春蘭でも、ここまでではない。
もう二度と、こんなことはしないと誓ったはずなのに。
それさえも忘れて、バカな行為を行ったのだ。
だから、どう思われても仕方がない。
これは私の取るべき“責任”の一端を、わかりやすく示す出来事だった。
「地和が何とかできるんじゃないの?」
「…………は?」
あまりにも軽率な発言と、今では思っている。
でも、そのときの私には、それを理解することはできなかった。
理解できるほどに、思考が回っていなかった。
ただ、ただ、目の前に用意された――否、用意されてなどいない。ありもしない幻想を、勝手に創り上げて現実に重ねていただけだ――に飛びつかんと、無駄な努力を重ねていただけだった。
「すみません。それはどういう……」
だからこそ、私は気付けない。
人和が目を細めた意味を。
気付いて然るべき、当然の反応に。
「だから地和の――」
「人和ー! 見てよこれ、ちぃに似合うと思わない――って、あれ? 桂花?」
「ああ、地和。良いところに来たわ」
ぱたぱたと派手な服を掲げながら駆け寄ってきたのは、空色の髪を横でくくる女性、地和。
言動も行動も派手な彼女だが、これでも立派な『数え役萬☆姉妹』の次女。それとも派手だからこそ、だろうか。どちらにしても事実は変わらないので関係ないが。
「あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「ちぃに?」
「ええ」
不思議そうに首を傾げる地和。
瞳に宿す想いは……。
「? 構わないけど……?」
思い返せば、首を傾げる地和は、どう言葉を見繕っても“不思議そう”とはとても表現できない。
的確に彼女の心情を示すのなら……そう、“不審”。
今日、私が街へと出てきたとき、行き交う人々から向けられていたモノと何も変わらない。
彼女の瞳に、好意はほとんどない。
彼女たちは当初、『役萬姉妹』として人々を熱狂させていたが、それでも『数え役萬☆姉妹』に改名してからはさらに評判は上がっていた。
『ぐるーぷ名』の提案をした程度で、私の評価が急に変わる、なんてことはない。
特に地和は、自分の力でのし上がると自尊心が強い。
“たかが”『グループ名』の変更で評判が上向いたのは、彼女にとって許せないことだったかもしれない。
もし地和がそれを快く思っておらず、むしろ不快に感じていたとしたら。
嫌われていても、仕方がない。
それほど明確な想いを乗せた視線を、私は気付けなかった。
「これなんだけど……」
「これ……? って待ってよ、ちぃにこんなモノ見せられてもわからないわよ」
「全てを読む必要はないわ。それに載ってる、この部分について読んでくれれば」
「この部分って……」
「ええ。設営……と言うより舞台での演出についてなんだけど」
浮かれていた。
熱にほだされていた。
“弱くなって”いた。
言い訳は尽きぬほどにあるけれど、今からそれを言っても私が行ったという事実は変わらない。
変わってなど、くれない。
「これくらいなら、あなたにできるわよね?」
「バ、バカ言わないでよ! こんなこと、ちぃにできるはずないじゃない!」
「何言ってるのよ。できるでしょう、あなたなら」
「ちょっとそれ、どういう意味よ」
「どういう意味も何も……」
わざとそこで言葉を切る。同じ言葉なのだから意味はないが、“見せつける”ことでは大きな意味を持つ。
私への相談の返答が、彼女たちに与える衝撃を大きくすると言う、自己顕示のくだらない妄想だ。
重ねて言う。このときの私は、馬鹿だったのだ。
「あなたの“妖術”なら、これくらい簡単でしょ?」
「………………アンタ、それをどこで知ったのよ」
抑圧された、押し潰した低い声。
突如変わった周囲の空気。冷気を伴うそれは、ひやりと頬をなでていく。
意味も知らず、わけもわからず、のどに溜まった生唾を飲み下す。
「ど、どこで……っ!」
ここに至り、私はようやく理解した。
自分が犯した失態の、背負うべき“責任”の大きさを。
彼女の“想い”を――殺意を向けられている意味を。
地和が、“妖術”を扱える。
それは、三国の主要人物たちにとって、常識とも言える事実だった。
故に彼女は、“妖術”を使うこと躊躇うことはなかった。
民には隠されていたものの、要請さえすれば積極的ではないにしろ使わないということはなかった。
過去にも彼女の“力”を利用して、多くの舞台を成功させてきた。
特に声を会場全体に響かせるための『まいく』は、最初、彼女の“妖術”が原案になっていたはずだ。
その後、“天の知識”を用いて真桜主導による開発が進められ、『まいく』は“妖術”なしで用意できるようになった。
“妖術”だってただで使えるわけじゃない。
扱うのにはそれなりの体力がいるし、効果を持続させるには定期的に“妖術”を使わなければならない。
民の前で力いっぱい踊りながら、歌を全力で歌い続ける。
最初は良くても、数が多くなれば体力的に辛いのではないか、と心配され『まいく』等の開発が始まったのだ。
ただ、その事実は、『この世界』には存在しない。
彼女が“妖術”を扱える事実は、『魏』の主要人物であっても知りえない。
『なぜ』なら、地和は、“妖術”を扱えることを、一度として示していないから。
示されていない事実を知ることなど、それこそ“妖術”の類か、“天の知識”によるものだけだ。
常識は、『この世界』に存在してさえいなかった。
では『なぜ』、“妖術”が扱えることを示さずに、『まいく』を用いず声を会場に響かせることができたのか。
それは地和が――『数え役萬☆姉妹』が持つ過去に、関係がある。
『数え役萬☆姉妹』……ひいては『役萬姉妹』は、最初から『魏』で活動していたわけではなかった。
どころか、『魏』を敵に回し、賊として攻められたことだってある。
無論、彼女たち三人が、ではない。
たった三人の彼女たちが牙を剥いたところで、大した脅威にはなりえない。
脅威となりえたのは彼女たちを取り囲む賊――後に黄巾党と呼ばれることになる者たちだ。
その名の通り黄巾の布を腕に巻く彼らは、当時多くの諸侯の手を
一つ一つの力は大したことないが、異様なほどに士気が高く、その上いくら討伐しても沸いて出るように現れる。
最終的には、数が多くなりすぎて動きが鈍重になり、指揮系統が上手く機能しなくなったところを各地の諸侯に囲まれ潰されることになる。
そのとき生き残った『役萬姉妹』が『魏』に身を寄せることになるが、それほどまでに勢力を拡大することができたのは、彼女たちがその中心にいたからだった。
黄巾党の士気が常に高かった理由は、『役萬姉妹』の歌と踊り。
それを演出する、“太平妖術”の力。
そしてその“太平妖術”こそが、常識を覆した原因。
言っておくが、“太平妖術”の本はすでに存在していない。
黄巾党壊滅の折、焼失してなくなってしまっている。
それでも、形を失ってなお、影響力を失ってはいなかった。
“太平妖術”は、扱う者が扱えば、圧倒的な力になりえる。
後から考えれば、『役萬姉妹』が自身の活動のためにのみ用いた故に、
もし、あれが、もっと違う、悪質な方法で用いられていたとしたら、現在にどのような影響があったのか、私には想像もできない。
地和たちは、“妖術”で作られた『まいく』を、“太平妖術”の力として示し、公演に必要なモノとして認めさせたのだ。
本来、この大陸において、“妖術”は忌むべき――もしくは畏怖すべきモノだ。
わけもわからない力には、誰もが恐怖する。それが大きな力であればなおさら。
だからこそ、その力を用いることで向けられる悪意を避けるために、より大きな力である“太平妖術”で覆い隠し、偽装した上で用い続けた。
理由は単純、地和たちが『魏』の人間を信用していないから。
『魏』と彼女たちの間には協力関係が結ばれているが、あくまで“協力”関係であり、“信頼”関係ではない。
信頼していないのだから、身に危険を及ぼす可能性を自ら作る必要はない。
故に彼女たちは、畏怖の対象である“事実”を隠し通し。
それを私は、なんの脈絡もなく、さも当然とばかりに公言してみせた。
今まで誰にもばれることなく隠し通せてきたものを、ほぼ顔も合わせたこともないような私に。
彼女たちがどう思うのか考えもせず、無責任に。
そこにどんな“想い”が込められているにせよ、私に向けるモノは何一つ変わらない。
さっきも言ったが、『前の世界』では地和が“妖術”を扱うのは常識だった。
常識であるからこそ、私は提案として挙げてしまった。
『この世界』で“常識”は通じないと、これまでの経験で理解したはずなのに。
『なぜ』、常識だったのか。
簡単だ。“天の知識”があったから。
“天の知識”があったから、“妖術”を受け入れることができた。
“天の知識”と云う、ある種“妖術”と同義なモノがあったから、受け入れ後の開発に繋がった。
……違う。
“天の知識”があったからだというのなら、それは違う。
私が、彼女たちと同じように隠し通そうとしている“天の知識”が、私の頭に『記憶』として存在している。
それで受け入れられてないのだから、“天の知識”は根本的に違うことになる。
だとしたら『前の世界』と『この世界』の違いが原因になるはずだ。
『前の世界』と『この世界』で根本的に違うところ。それは――
――“アレ”の存在だった。
“アレ”が存在していたからこそ、“アレ”が間に入って皆に説明したからこそ、“妖術”を受け入れることができ、常識となった。
“天の知識”ではなく、“アレ”の存在が、皆の常識を変える力になった。
『もし“アレ”がいなかったら』、それが『この世界』。
それは“あの日”に理解したはずだ。
“アレ”の存在が、皆を疑う地和たちの心を打ち解けさせ、皆を信用させた。
そして何より、皆を信用させることができたのは、“アレ”が、『役萬姉妹』に――『数え役萬☆姉妹』に信用されていたからこそ
私には、できない。
それは目の前の光景が証明している。
地和だけでなく、人和まで只ならぬ雰囲気を身にまとい、私を睨み続けている。
証明されているからこそ何もできず、情けなく目を見開いて、無様なことに睨み返すこともなく。
人々が行き交う大通りで、唯一そこだけが、異質とも言える場所だった。
何もできない、無駄と言える時間だけが、ただただ無為に過ぎていく――
「あれ、桂花ちゃん?」
――のを回避したのは、私でも、地和でも、人和でもなく、この場にいなかった『数え役萬☆姉妹』の長女、天和。
桃色の髪をなびかせゆっくりと歩き、張り詰めた空気をものともせず、腕に紙袋を抱えたまま、小首を傾げている。
「ね、
「ん? あっ、見て見て! これ、可愛いよねー!」
「え、う、うん。可愛い、けど……」
取り出した煌びやかな服を見せつけ無邪気に笑い、無遠慮に空間に割って入る。
どんな状況でも自分を貫き続ける……『まいぺーす』だったか。
それとも自己中心的と言うべきなのか。
答えは私の心の持ちようによるため出てこないが、それでも一つ、確かなことがある。
それは。
「へへー、これ気に入っちゃったよー」
「えっと、姉さん……?」
「んー?」
「あ、いや……」
彼女の所為で――否、彼女の
天然か、意図的か、今の私には判断しかねるが、彼女の顔に邪気はない。
なるほど、と思う。
常に女の子を貫いてきた彼女であっても、一時期は黄巾党の長として活動してきた。
多くの人たちを魅了し、頂上を目指して常に走り続けている天和が、普通の器で量れるわけがない。
『数え役萬☆姉妹』としての活動をする上で、周囲の注意を引き、自身の放つ雰囲気の中に収めることはとても重要なことだろう。
それを彼女は、これほどまでに容易くやってのけた。
「えへへー♪」
すごい、と、心から思った。
――桂の花咲くはかなき夢に、後編・中【終】
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こちらは『真・恋姫†無双』の二次小説となります。
こんにちは、サラダです。
後編なのに中編(ry
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