第三章 日常
昼休みを告げるチャイムの大きな音が校内に鳴り響く、午前の授業が終わり生徒達の多くが食堂で昼食を摂るために、又は購買でパンを買おうと一斉に教室を飛び出す。
今ヨーコはあざみが元気な頃に通っていたというとある高校にいる、彼女の代わりに学生として潜り込んでいるのだ。
見た目こそは本人とは違うものの、そこは九尾の狐から生まれた妖怪だけあって自分の妖術で教室の生徒や教師を騙す事など造作もない、制服に関しても他の女生徒の制服を術で複製した。
だがヨーコ自身は術で服を生み出すのはあまり好きではない、この前斎藤の所に行った時に着ていた服も自前の物である。
やはり彼女も女性であるのでお洒落な服やアクセサリーはコレクションとしても持っておきたいのだ。
今着ている制服も気に入っているので是非とも実物が欲しい、しかし黒のブレザーと胸元にある大きな青いリボンは良いのだが古くから日本で生きているヨーコにとって膝丈より短い黒地に白と灰色のチェックの入ったミニスカートは何かの拍子で下着が見えそうで少々恥かしい。
人間の流行というものはよく分からない――。
「あれ、あざみんは今日はお弁当じゃないんだ?」
一人の女性が私に話しかけて来た、髪を金色に染めカールが入ったロングヘアーが特徴的な女性だ。
顔にもメイクがしっかりときまっており、こういうのが現代の学生というものなのかと改めて自分の価値観が遺物となりつつあるのを感じだ。
「あぁうん、ちょっと朝忙しくてね、学校行く途中で近くの店で買ってきたんだよ」
あざみに化けたヨーコは朝方コンビニで買ってきた稲荷寿司のパックの蓋を空けて、割り箸で口の中に放り込んだ。
やはり味が違う、見た目も艶が無いし酢の味が若干強いし、肝心の揚げの味が少々薄い。
この前斎藤が用意してくれた稲荷寿司と比べたら雲泥の差、いや比べるのも失礼である。
結局あの後、店の名前を聞くのを忘れてしまいあの稲荷寿司はどこで買ってきたのか分からず終いである。今度斎藤に聞かなくては…。
「おいなりさん――って見かけによらずあんた地味だよねぇ。ま、そこがあざみんらしいんだけどさ」
金髪の女生徒が紙パックの苺牛乳をストローで飲みながらヨーコの顔を見て笑った。
今の女子高生は稲荷寿司をあまり食べないのだろうか、学校での勉強も大事であるがそれよりも今の学生はどういったものを好むのかも勉強する必要もありそうだ。
やはり人間というものは分からない――。
「あらヒトミ、私の家もおばあちゃんがよく作ってくれるから稲荷寿司は好きよ」
ヨーコと金髪の女生徒の間にポニーテールに髪を束ねて赤いセルフレームの眼鏡を掛けた女生徒が割って入って来た。
こちらの方は活発な金髪の方と違って清楚な印象がある、どうやらこの二人があざみの言っていた「友人」なのだろう、そしてさっきから話していたこの女生徒はヒトミという名前らしい。
「えー、でもなんかおいなりさんって古い感じするじゃんリサぁ。私おいなりさん食べたのってどれくらい前だったかな――」
ヒトミは天井の方に視線を向けながら過去の記憶を探っていた、どうやらこちらの清楚な方はリサ
という名前というか。
これ以上怪しまれないようにせめて二人の名前は覚えておこう――。
「しかし五月に入って少しか経ってないのに暑いねぇ今日は」
ヒトミはレザーを脱ぐと椅子の背もたれに掛け、ブラウスの第二ボタンを外し、胸元を掴むとパタパタと煽ぎかし空気を送り込み冷まそうとした.
「ちょっと、はしたないわよヒトミ」
リサが渋い顔でヒトミを見た。
「いいじゃんリサ、私はあんたと違って高貴な育ちじゃないのよー」
ヒトミはリサの言う事も聞かず胸元を煽いでいる。
「ところで今年の夏休みさ、みんなでどこか行かない?」
ヨーコとリサの顔を覗き込むように机から身を乗り出しヒトミが二人に訊ねた。
「ヒトミったらもう夏休みの事何考えてるの、全くあと何カ月先だと思ってるのよ――」
リサが弁当の箸を止め呆れた表情でヒトミに言った、どうやらあざみとこの二人は昔からの友人のようにも見える。差し詰め、ヒトミという女の方がいつもこのような突拍子も無い事を言って我々を引っ張り、リサがそれに対応する、と言った感じだろうか。そして恐らく自分の今の主人であるあざみは二を人取りまとめる感じだろう。何となくであるがヨーコはそんな気がした。
「いいじゃんさー、あともう学校も二カ月ぐらいしかないんだしさ。今のうちに考えておかないと夏休みになって考えるよりも有意義っしょ?!」
「まぁそれもそうだけどその前に期末テストを何とかしないといけないでしょう」
リサの一言でヒトミがつまらなさそうな表情でサンドイッチを齧り始めた。
「リサは相変わらずお堅いねぇ、そんなに真面目にやってるとすぐに歳とって頑固なバァさんになっちゃうよー」
「お生憎、私は誰かさんと違って将来をちゃんと見据えてるんです」
ヒトミはリサの少々堅い性格にケチを付けたがリサの反論にヒトミはぐぅの根も出ない。
「かーっ! 我慢できない、その真面目な態度がたまに許せないわ! もう! あ、待てよ――ムフフ」
ヒトミが何かよからぬ事を思いついたのか、二人の顔を見てニヤニヤした表情である事を思いついた。
「よしこうしよう、リサをギャフンと言わせるべく今年の夏は肝試しを行いたいと思います!」
肝試し、その言葉を聞くとヨーコ達妖怪にとってはあまり歓迎しない話である。
このような人間の下らない好奇心や怖いもの見たさで妖怪に会おうというのは愚かしい事である。
事実、過去に何度もそういう事をして妖怪の怒りを買ったりして殺されたり、厳重に封印されていた危険な妖怪や悪霊の類の封印をうっかり解いて村一つが無くなる事を何度か見た事があるからだ。
「あまりそういうのは関心しないね、そうやって霊や妖怪の怒りを買って怪我でもしたらたまらないのはこっちの方だよ」
ヨーコがヒトミの提案に否定した、一応自分の主人の友人であるので彼女達を危険な目に合わせるのはあまり良い事ではないと判断したからだ。
「そうよ、あざみの言う通りそういうのは死んだ人に対して失礼な事だと思うわ」
リサもヨーコの言う事に同意した、だがヨーコはリサの口調に若干弱々しさがあるのを感じ取った。
「あっれぇ? ひょっとしてお二人共怖いからそう言ってるんじゃなーい?」
ヒトミは更にニヤニヤしながら二人を見て笑った。
「そんな事無いわよ! ただ興味本位でそういう事するのは失礼だと思っただけよ、ねぇあざみ?」
リサの声がまた少し震えて来た。
「またまたぁ、そんな事言って怖いんでしょ? それに良い場所知ってるんだ私」
二人の忠告に耳も貸さずヒトミが椅子に掛けたブレザーの内ポケットから携帯電話を取り出してあるサイトの写真を見せた。
写真には森らしき場所が写っており、真ん中には紙(し)垂(で)で結ばれた大きな岩がある、岩の大きさは大体ヨーコの身長の二倍ぐらいだろうか。
「去年の夏に中学の頃の友人と肝試しで行った場所なんだ、場所はここから五キロ先の県境のトンネルあるがあるじゃん?あそこに脇道がってさー、そこに行った時の写真なの、何ていうか、知る人ぞ知る心霊スポットらしいよ? フフン」
ヒトミは自慢げに見せてはいるが妖怪であるヨーコにとっては彼女のした事はただの愚行しか思えなかった、人間の好奇心とは妖怪である自分でも恐ろしいと思う。
全く、どこでこんな場所を見つけたのか――。
ヨーコは携帯電話の写真をじっと見つめるとふととある点に目が付いた。
「ちょっとその写真てもっと大きく見れないかな?」
「えーと、ここをこうすれば大きくなるよ」
ヒトミから携帯を借りて写真を拡大するとヨーコの顔が険しくなった。
自殺の名所や凄惨な事件が起きた場所を人間は心霊スポットと呼び、そのような場所は日本には数多くある、そういった場所や人気のない建物などは霊がはびこる事が多い、そしてこのように何者かが封印された場所もいくつかあるのだがこの場所はその中でも特に危険な部類であるからだ。
それを伺える理由がヨーコが気になっていた点、紙垂と共に岩のあちこちに貼られている札である。
妖怪退治にも精通している彼女はこのような除霊や退治に使う道具にも知識があり、札に書かれている文字が通常の妖怪を封印する時に使う物よりはるかに強力な力を持った文字が書かれているのも容易に理解出来た。
この写真を撮った時はヒトミ達が無事だから良かったものの、何かの拍子に封印が解かれれば大惨事になりかねない、ましてやこんな場所にあざみの友人を行かせる訳にもいかない。
「悪い事は言わないから行くのは辞めておいた方がいいよ、こういう物はむやみやたらに刺激せずそっとしておいた方がいい」
あざみは強い口調でヒトミに釘を刺した。
これには忠告という意味もあるが、一応は自分の主人の友人である彼女達を危険な目に合わせるのは気持ちいいものではない。
「そうよヒトミ、そうやって眠ってるものを刺激したりするのは良くないわ、誰かのご先祖様のお墓だったりしたら失礼よ」
リサもヒトミの行いを咎めた、彼女はこれがどういう物だかよく分かっていないようだが物事の分別が付くので良い人間である。
「またまたぁ、そんな事言って二人共怖いんでしょー? 幽霊なんて迷信みたいなもんだから出やしないって!」
今の時代の人間は愚かな者が多いがこの女は特にその部類である。
かつては多くの人間が妖怪の姿を見る事が出来たというのに文明の発達のせいで見えなくなり、更には妖怪が見える者、或いは本当に呪いや術を使える人間とそうでない人間の違いも区別できなくなり詐欺師扱いされる時代となってしまった弊害なのであろうか‥。
自分にとっては人間を喰らいやすくなった点では良くなったのだがその半面、嘆かわしい事でもある。
しかしヨーコにとってもこの写真にはとても興味がある物であるのは確かだ。
かなり強力な封印が施されているという事は当然、恐ろしい力を持った『何か』が閉じ込められているのは確かだ。
確証は持てないが自分の欠片に関係する物である可能性も低くは無い。
調べてみる価値はありそうだ、学生として学校に潜り込む機会をくれたあざみと無知ではあるが危険を賭してまでこのような情報を提供してくれたヒトミには一応の感謝をしておこう。
「まぁお二人がそこまで言うのなら仕方ない、肝試しだけが夏休みでも無いし他に何か考えとこっと。」
ヒトミは携帯電話をしまうと両手を頭の後ろに組み、大股でいすに座り込んだ。
女生徒してははしたない姿ではあるが、このように女々しくないさっぱりとして性格と明るさが彼女の良い点でもあるのだろう。
「ところでさ、明日休みだし、放課後どうする? カラオケでも行かない?」
から・・おけ? 『からおけ』とは一体何を意味するのだろうか、あざみや彼女達のように若い人はそのからおけというものを好むのであろうか? 数十年前の学生時代の知識しかないヨーコにとってはカラオケも初めて聞く名前であり、同時に先ほどの写真ほどではないが興味が沸いた。
「そうだね、そのカラオケとやらに私も行こうか」
ヨーコは自分の知らない未知の体験に少し期待のまなざしでヒトミに返事をした。
「何かさ…今日のあざみんってちょっと変な気がしない?何ていうか大人びた、って言うか――年寄り染みた感じがする。みたいな?」
しまった――。
この女頭はともかく感は鋭い、いくらヨーコの術とはいえこれ以上怪しまれると術も解けるかもしれない。
ここはひとつ彼女らしい口調で話さなければ――。
「え、そ、そうかなー、私いつも通りだけど変かなー? それよりも今日の放課後行こうよ! からおけ!」
今まで彼女と接した時の事を思い出しつつあざみらしいであろう口調でヒトミの提案に賛同した。
「ま、まぁいいか。 んじゃあ放課後は決まり! リサも参加だかんね!」
何とか誤魔化せた、ヒトミも気のせいだろうと思いつつリサにも参加を促した。
例の場所の調査は明日に太郎でも連れて行くとして今日は彼女達と学生生活を満喫しよう。ヨーコはホッとした表情で次の授業の準備を始めた。
それから二日後――。
太郎とヨーコは、以前にヒトミが肝試しに行ったという場所を調査すべくコンクリートで舗装された山道の道路を歩いていた。
「ところでヨーコ、学校生活の方はどうなんだ?」
太郎が不意の質問をヨーコにぶつけた。
「あぁ、うん。まぁ何か上手くはやっているさ…うん」
一瞬ヨーコは返答に戸惑ったが、濁した返事で答えた。
昨日は散々であった、『からおけ』というものがどのような物であるかと思い彼女たちに付いて行ってみれば、狭い部屋で大音量の部屋で歌を聞かされた。しかも部屋は音が反響する造りであったのでより一層響いた。狐の耳を隠していたから良かったものの、人より聴覚が優れている我々にとってはやはり、大きな音というものはどうも苦手である。
その上自分にも歌を要求されたのには一番困った、当然最近の歌など知る訳が無いのだから歌える訳がない、仕方が無いので彼女達は術を使って元々私はここに参加していない事にして去ったのだ。
だが折角学生として生活を始めたのだから若者の文化を知らないというのも勿体無い、せめてこれからは現代の若者が好む『じぇいぽっぷ』という種類の歌を聴く事から始めてみようとも思う。
「何か引っかかる所があるが、満喫しているのであれば何よりだ。何せ私は人間には変化するのは出来ないから羨ましい話だ」
妖怪の中には変化の術が得手不得手な種族があるのだが太郎はちょっと事情が違う。太郎も妖力などは元から高く、ヨーコの本体となる九尾の狐の肉片を食べたのでヨーコと同じ様な力を持っており、彼もかつて姿を変えられたのだが、どういう訳か最近になってそれが出来なくなってしまったそうだ。
「まぁ姿が変えられなくとも犬の姿での生活も楽しいものだから何の問題も無いがな」
フフン、と太郎は誇らしげに笑った。
「とか言ってもう歳なんじゃないの? 私より中身は年配なんだから無理しない方がいいよ」
全く心配する様子も無くヨーコは皮肉交じりに太郎をニヤリと笑った。
「失礼な、こう見えても心身ともに現役だぞ・・ところで本当にこんな所に例の場所があると言うのか」
太郎は心配そうに辺りを見回しながら山道を歩く、山の中腹辺りを沿うように舗装された道路のコンクリートは古く、舗装もされていないのかガードレールも所々錆びており歩道もひび割れている所も多い、山に面した道路の反対側にはうっそうと木々が茂る急斜面になっておりとてもではないが祠があるとは思えない。
ほどなくして二人は噂のトンネルの前に到着した、がやはりトンネルを挟んで存在するものは山と下り坂の斜面であった。
「やはりガセだったのではないかヨーコ。 私もさっきから妖気を調べてはいるが何も感じないぞ」
おかしい――あの時ヒトミは確かにここにあると言っていた。
しかし辺りを見回してもそれらしき物は見当たらない、それにもし少し離れた所にあったとしてもあれほど強固な封印が施されたものであれば、祠から放たれるかすかな妖気放っているだろう。それを感じ取る事が出来ればおおよその場所が分かるのだが――。
本当に何も無いのだろうか、ヨーコは崖側を見下ろして手掛かりが無いか眼を皿のようにして注意深く観察した。
すると茂みのとある場所に気が付いた。
「あれは――?」
ヨーコは崖側の茂みの間に誰かが奥に踏み入れたように極端に木々が生えていない場所を見つけた。二人は坂から滑り落ちないように体重を後ろに乗せ踵に力を入れて十メートルぐらい降りて行くと平坦な地面にたどり着いた。
まだ昼頃なのにも関わらず辺りに生える木々が日光を遮りまるで夕刻に近いほどの薄暗さ、そしてこの一面にだけ花や草は一本も生えておらず、周辺の樹木も幹が不自然に曲がりくねっている物が多い。
そしてその不自然な場所の中央に存在しているもの、それこそがまさしくヨーコ達の探していた祠であった――。
「封印されていてもこれほどまで周囲を変化させるほど邪悪な物だとはね、しかし・・」
ヨーコは深いため息をついて落胆した。
「遅かったみたいだな――」
祠の周囲に張られていた札は真黒に焦げて辺りに散乱しており、岩には縦真っ二つに割れんばかりの大きな亀裂が走っていた、そう、既に封印が解かれていたのだった。
焼け焦げた札のかろうじて焼けて無い部分を見ると紙自体も相当古く、効力もあまり期待できる物では無くなっていた、十中八九、原因は封印の効力が切れたからであろう、よくある話である。
「結局無駄骨だったようだなヨーコ、まぁ今回は縁が無かったという事で気晴らしに帰って飯にでも食いにいこうじゃないか」
一応、彼なりの励ましの言葉なのか、太郎は尻尾を振って元来た道の坂を登ろうとしていた。
しかし折角自分の力を取りもどせるチャンスかもしれなかったヨーコの心は悔しさで一杯であった。本当にこれで終わりなのか、何か手掛かりは無いのか、彼女は必死に周囲を確認した。
岩の亀裂を見るに若干の苔が付いている、とすれば年月は経ったもののそれほど昔に封印が解かれた物ではない。恐らく見るに一、二年ぐらい前に出来た物だろうか。だがこんな物はあまり手かがりにはならない、何か決定的な手掛かりは無い物だろうか。
「やれやれ、こうなると言っても聞かないのがお前らしいな、どれ、私も何か探してやろう」
大した物は見つからないだろうと思いつつもパートナーが真剣になって探しているのに自分だけ帰る訳にもいかない、こういう物は残った札に何かあるのではないだろうか。
そう思った太郎はまだ焼けて無い札は無いか散らばった黒い紙の集まりを調べた。
「しかし何故こうなる前に新しい札を使おうとしなかったのだろうな、まぁ、見た所こんな辺鄙な所では気付く人間もいないか――ん?」
太郎は札の焼けていない部分を調べると興味深い物を見つけた。
「おいヨーコ、これを見てみろ」
太郎がヨーコを呼び、口に咥えた札を差し出した。
「ここの部分、恐らくこの札を作った者の名前だろう、お前も長い事生きているんだ。何か手掛かりになると思ってな」
ヨーコは札を手に取りじっと札を見つめた、するとヨーコは首を傾げ、表情は険しくなった。
「知ってるも何も、これは――」
その札の一部にこのような名前が描かれていた、『金屋』と。
「金屋――」
この名字で思い浮かぶものといえば今の私の主人でもあるあざみの事でる。
だがまさかこんな場所でこんなものが彼女と関係しているはずがない、恐らく同姓の者の名前と思うのが妥当であろう。
だがどうも何かひっかかる――。
それは彼女にとって偶然とは思えない妙な感覚に襲われた。
これは我々が考えている以上に大きな事件なのかもしれない、そう思ったヨーコは太郎の両肩を掴んで質問した。
「ねぇ! この近くに古い文献とか保管している図書館は無いの?!」
ヨーコは掴んだ太郎の肩を大きく揺さぶった。
「お、おいどうした急に。 そうだな‥お前のいる学校の近くに古い図書館があったのを散歩していた時に見た事があるな。そこなんてどうだ?」
太郎はヨーコの手を全身で軽く振り払うと息を整えた。
「学校の近くの図書館か――」
情報を聞きだしたヨーコは両手を大きく広げると、その彼女の腕から鳥のような羽毛が生え揃いそれが大きな翼を形成するとヨーコは鳥のように羽ばたいて飛んで行ってしまった。
「お、おいヨーコ! その姿はかなり目立つと思うぞー!」
太郎が大声で叫ぶも今すぐにでも情報を知りたいヨーコの耳には入らず彼女の影は次第に小さな点のように空の彼方へ消えていってしまった。
どれぐらい上空を飛んだであろうか、街がまるでミニチュアの模型のように見えるぐらい高く飛び、学校の近くまでたどり着くとヨーコは術で姿を消し古びた図書館の前にある駐車場に着地した。
建物壁は所々ひび割れておりペンキも古くなっているのか剥げている部分も多々見られる、確かにここなになら古い文献などが保管されていそうだ。
ヨーコは翼に変化した両手を元の人間の腕に戻すと姿を消したまま図書館の中へと入って行った。
曇った古いガラスの扉を開けると大きなホールになっており、やはり外装同様に中も古めかしく昼間であるのに薄暗く、ヨーコの嗅覚からはかすかにカビ臭いような匂いを感じた。
ヨーコの左手には古めかしい木製カウンターがあり老人が一人座っている、背丈はヨーコより少し小さく頭頂部も若干禿げて太い黒ぶちの眼鏡をかけている。恐らくこの図書館の管理人だろう。建物同様に番人も老朽化している訳だ。
ヨーコはホールにある階層案内のプレートを見た、所々文字も剥げかかっているがプレートの四階には「資料室 職員以外立ち入り禁止」と書かれている。突き当りを右に渡った先にある階段を四階まで昇るといくつかの扉が廊下を挟んで点在し、その突き当りに「資料室」と書かれた扉があった。
姿を消しているとはいえ大きな音を出さないようにそっと扉を開けると金属製のラックに腐食しな
いように厳重に保管された膨大な量の文献が部屋には保管されていた、一体どれほどまでの長い歴史が記されているのか分からない。
部屋は大きなスライド式の窓ガラスがあるが古びたカーテンが埃を被っているのを見ると長い事開けられた事は無いのであろう、その為部屋も少々カビ臭い。
「しかし参ったな、こう多いとどこから探ればいいのだろうか――」
資料室にはヨーコが思っていた以上に様々な文献や資料があり、それだけでなく骨董品も保管されていたのでどこから手を付けて良いのか分からなかった。だが恐らく妖怪にまつわる話であるのならば大概こういう物は江戸時代以前の話であると相場が決まっている。
「少々時量が多いけど仕方ないか・・」
手始めに目の前にある古本から手に取って調べ始めた。
昇っていた太陽も沈みかけ始め、ヨーコが資料を探して四時間が経ったが彼女は未だに目当ての資料を見つける事ができずにいた。流石に長い時間本とにらみ合いをしたせいか疲れも見え始め、目の奥もまるで重りが乗ったかのように重く感じ始めた。
流石に今日はこれぐらいにしておこう――。
そう思ったヨーコは粗捜しをした形跡が見つからぬよう本を元にあった場所に閉まって部屋を出ようとドアノブに手をかけようとした時に、扉の向こうから何かの気配が部屋に向かって来るの感じた。
恐らくここの管理人か――とにかく見つからないようにしよう。
ヨーコは資料室の奥に身を隠すと息を殺して扉の方を見つめた。
ガチャッ、という音と共に扉が開くとそこには誰もいなかった、風で開いたのかと一瞬思ったがこの階層には廊下もこの部屋にも窓は無い。
「おいヨーコ、大丈夫だ私だ」
どこからともなく小さい声が聞こえる、しかしその声はどこかで聞き覚えのある声だ。扉が一人でに閉じると扉の前にうっすらと何かの陰が見えた、四本の足に少々固そうに見える尻尾、そしてさらに見覚えのある顔、紛れも無く太郎だ。
「やっと追いついた、やはり歩いてここまで来るのは時間がかかるな」
太郎はその場で座り込んで、ごろんと寝転がる。
「何しに来たんだい、来るだけならちょっとは手伝ってほしいんだけど――」
ヨーコは資料が保管されている棚を指差し、太郎て自分に手を貸してくれるよう指示した。
「何だまだ見つかっていなかったのか」
太郎は驚いた表情でヨーコを見ると、すっと立ち上がり部屋の奥の方の部屋へと歩いて行った。
「どうせこういう類の情報はかなり昔の物しか残ってないだろうから奥の方に埃でも被っているんじゃないか、例えばここなんてどうだ?」
太郎は金属の箱を口で引っ張り出すと器用に鼻の頭で箱の蓋を空けて中に入っている古びた巻き物のようなものを咥えてヨーコに渡した。
「そんな簡単に見つかるんだったら今頃苦労してないよ・・ どうせこれもロクな物じゃないよ」
巻物を渡されたヨーコは渋々近くにある机の上で巻物を広げると、そこには一人の僧侶が見た事も無いと戦っている絵が描かれている。
「どうだヨーコ、私の鼻もなかなかのものだろう?」
太郎は胸を張り自慢げな表情をした。
「確かにそれらしいとはらしいけどまだこれが目当ての物かどうか――」
半信半疑の気持ちのままヨーコは巻き物に描かれていた文を読むとこのような事が書かれている。
『かつてこの地に一匹の怪あり。
その物の怪、か弱く力無き者なるが、ある日強大な力を持つ物の怪の肉喰らいて恐るべき力を手に入れたり。
されどその物の怪、更なる力求め、故分からぬ病と化け徳の高き僧などに乗り移りて力奪い足りてあまたの民を苦しめたり。
ある日、民困り果て心もとなし時、金屋と名乗る一人の僧現れたり、その僧、あららかなり戦の後物の怪を大きな石に封印したりてこの地に残りて守護したれり』
物の怪、原因不明の病、金屋、封印――。
そして現代で同じ名字をもつあざみ、そして彼女が患っている原因不明の重い病。果たしてこれは偶然の一致だろうか。
ヨーコは更に巻き物の絵を注意深く見る。すると妖怪の絵に不自然にして彼女にとって見覚えのある部分を見つけた。
それは妖怪の下半身の部分に存在するもの、それは紛れも無くヨーコと同じ狐の尻尾である。
間違いない、この妖怪は自分の本体の肉を食べて力を付けたのだ、しかもこれほどまでの妖術を使えるとするのであれば尻尾か、或いは臓器を喰らったのであろう。
「今度は当たりのようだな、ヨーコ。だが金屋とは一体・・・」
「私の・・今の主人、そして今――原因不明の病に冒されている」
「何!?」
太郎は一瞬驚いたが、ちょっと待てよと疑問を抱く。
「しかしこの絵に描かれている金屋という者は相当強い力を持っているのだろう? だとしたら何故・・・」
太郎がヨーコに疑問を投げかけるも彼女には原因を既に理解している。
「今の金屋の一族は長い間力を使わなくなったせいで自分にもそのような力があるのか分かっていない、だが力や素質そのものはある。もしそれがそいつに奪われれば・・」
太郎の表情も凍りつく。
「まずいぞヨーコ! そうなればその金屋という者だけでなく街全体まで被害が及ぶ事になるぞ・・・!」
敵は自分を封印した金屋の一族の力を手に入れれば自らの力の拡大の為に多くの人間から力を奪うであろう。
その中には恐らく妖術や秘術などの術を扱う素質をもった人間もいるはずだ、それらの力も取り込まれるとならば被害は甚大なものとなっていくであろう。
そうなれば人間だけでは飽き足らず我々妖怪にも手を出し始めるはずだ、何としても止めなくては――。
ヨーコは資料室のカーテンを横に思いっきり引き、スライド式の窓ガラスを開けると四階建ての建物にも関わらず窓から飛び降りた。
その着地までの間、ヨーコは狐の姿に戻り前足からしなやかに着地をすると猛スピードであざみの家に向かって走り去り、夕闇の中へと溶け込んで行く。
「おい、また私を置いて行くのか!」
取り残された太郎も窓から飛び降りすかさずヨーコの後を追おうとしたものの、彼女の走るスピードは太郎よりも速く、太郎が一階に着地した頃には彼女の姿はもう無かった。
「まいったな、あいつから金屋という女の場所を聞いてない・・」
太郎は唯一の手掛かりであるヨーコ見失ってしまったので暫く途方に暮れていた、だがこうなってしまった以上自分はもう何もする事は出来ない
せめてヨーコと金屋の子孫の無事を祈ろう、太郎は斎藤のいる神社へと戻って行った。
日もほとんど落ちかけて夕闇が空を覆いかける頃、ヨーコはあざみの家に間も無く到着しようとしていた。
しかしどう倒すか――
あざみに取りついた妖怪を倒す方法、本来ならばこういうとり憑かれた者から元凶となるものを引きずり出して倒すのだが彼女の体は弱っている。
そうなると行える手段は一つしかない、彼女の精神に直接潜り込んで元凶を倒す事だ。
当然、それを行うにも彼女の体力は消耗されてゆく、だがこの方がまだ前者の方法より体力の消耗は少ない。
だがこれを行うのにも時間が無い、これ以上彼女が弱ったらこの方法すらできなくなる――。
急がなくては――、ヨーコは猛スピードでヨーコの家を目指した。
あざみの家からあと一キロメートルぐらいの距離に差し掛かかった頃、道路の向こうからけたたましいサイレンと共に救急車がヨーコの前を走りぬけた。
その数秒後、ヨーコは急に反対側に向かって走り出し、先ほど走り抜けた救急車を追って行った。
何故ならばヨーコは先ほどの救急車からはかすかながらあざみの匂いがしたからだ。
何と言う事だ、手遅れだったのか。今のヨーコには彼女の死をも予感した、だがまだ化け物は現れていない。となればまだ彼女は死んではいないと考えられる。
しかしこの様子では我々が思っていた以上に化け物に力を奪われているのは確実だ。
考えている場合ではない、化け物を倒すのなら今すぐにでもしなければ――。
ヨーコは全速力で救急車の後を追った――。
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様々な諸事情があり遅れてしまって申し訳ございませんでした。
これで第三章になります。
あともう二章でこの小説も終わりますので最後までお付き合いいただけると幸いです。