地球にも寿命があり、太陽系にも、宇宙にも寿命がある。人類には、それらの寿命を克服しなければならないという課題がある。人間にも寿命があり、人間は死ぬまでに生きた意味を見つけなければならない、ということになっている。
人間は四種類に大別できる。一つ目は、生きた意味を発見して死んだ人間。二つ目は、生きた意味の発見を次世代に託し死んだ人間。3つ目は、生きた意味を発見できず孤独に死んだ人間。そして四つ目が、死なない人間だ。
歴史上、生きた意味を発見した者はいない。
私はこれ以上、人類に生きた意味などという馬鹿げた虚構探しをして欲しくない。ごめん嘘ついた。して欲しい。生きた意味なんて絶対にない。ないない。ある訳ない。命かけてもいい。絶対ない。ないものは自分で作るしかない。あいつら、勝手に自分で生きた意味を捏造しておいて人生ラストのクライマックスシーンになってドヤ顔で「遂に見つけた……生きた意味」とか言ってパンツの中に隠しておいた、ぼくがかんがえたさいきょうのいきたいみ、をこれ見よがしに振りかざすのだ。本当やめてほしい。人類がバカだと思われるだろ。見つけられませんでした死亡、で我慢しろ。死ね。
かと言って、生きた意味探しを初めから諦めてしまうこともいけない。これが最悪なのだ。どうせ漫画だか小説だか映画だか歌だかのアホ向け媒体でかじってきたのだろうが、「生きる意味なんて存在しないんだぜ。知ってる知ってる?」なんてこれまたドヤ顔で吹聴してまわって、(今時生きた意味なんてマジで探してる奴はバカ)という雰囲気作りに執心して、無知な人間を勘違いさせる。マジでカス。こういう奴を根こそぎブッ殺すのが私の生きる意味である。……ジョークジョーク。
そもそも生きた意味探し自体を知らない奴もいる。まぁ仕方ない。許す。だいたいこのたぐいの人間は縁の下の力持ちで、ひたすら子作りに励んで知らず知らずのうちに次世代の生きた意味探しに貢献していたりする。実際にあったら友達にはなれないんだろうけど、集合としては好みだ。見てて心地いいというか、人間にはこういう逃げ道もあるんだ、と安心させてくれる。生きた意味探しなんてやめてみんな子作りだけしてればいいんじゃないのかな? と一瞬思うけど、そうもいかない。
生きる意味なんて存在しないのは当たり前の話で、問題なのは、それでも人間は生きなければならないってことだ。生きた意味を探すなんて無駄だけど、無駄を承知でどうしても探してしまうところが問題だ。
つまり、私の意見は矛盾してしまう。「人間は生きた意味を探すべきだ」「人間はもう生きた意味探しをやめてしまえ」の2つの意見が秒刻みで入れ替わる。生きた意味探しを愛し過ぎていたり、憎み過ぎていたりする。これは恐らく、まず私の中に「人間は生きた意味を探すべきだ」という基本があり、それを土台に私固有のトラウマやら何やらが積み重ねられており、全体が歪な構造になり過ぎていて、しかし今更やり直しがきかず、(そもそも基本がいけないんじゃないか?)なんて考え始めてしまったせいで生まれた矛盾だ。可愛さ余って憎さ百倍、憎さ余って可愛さ百倍。愛憎は表裏一体で、入れ替わるたびにその強さを増してゆく。好きの反対は無関心とはそういうことだ。
もうこの問題に頭を使わせたくない。この問題で悩みぬいた挙句に自殺を選んだ人間が何人いた事か。鬱病になった人間が何人いる事か。この矛盾から抜け出す方法が二つある。考えなくなることと、死ななくなる方法を発見・実践することだ。
ここまで熱心に生きる意味について語ってきたが、私自身この問題に対して頭を悩ませる時間は、それほど多くない。風呂に入っている時くらいだ。そりゃそうだ。四六時中こんな事考えてたらヤバイ。今の私は特別だ。私以外のほとんどの人間も、今は特別だと思う。非処女革命以降、こんな事を考える時間が多くなった。自己啓発本なんてものも出てきたくらいだ。頭を悩ませなければ文化はここまで発達しなかったのかもしれないが、あんまり悩んでも体に良くない。急がず、のんびり発展すればいい。宇宙消滅にはまだまだ時間がある。
学級新聞「月刊アリカ」7月号より抜粋
今回新たにわかった事実は、恋愛を始めた人間は急速に動物化するということだ。中でも最もわかりやすい変化が、食事・睡眠だ。中学の生物の時間に習った内容だが、やや専門的なきらいもあるので、ここで一旦説明しておく。
動物は食欲・睡眠欲・繁栄欲などの本能的欲求を駆使して生存繁栄していくが、人間には本能的欲求がない。人間はすべて心理的欲求のみの働きによって生存繁栄する。動物は必要なことしかせず、人間は無駄なことしかしない。これが人間と動物の違いだ。本来生きていくために必要な食事・睡眠を始めとする生理的欲求を叡智によって自切し、ありとあらゆる本能や煩悩から解放された唯一無二の生物が人間だ。人間は自身の存在に何の疑問を持たず、何の悩みもなく生きてきた。
しかし、それは非処女革命以前までの常識だ。
非処女革命によって何が変わったのか、という問いに答えることは困難を極める。というより、何が変わったのかを知ろうとすることが犯罪になる。全体のほんの一部分であろうが、我々が今まで独自に調査して分かった変化は二つ。
一つ目が、有性生殖だ。これは知っている人も多いと思う。非処女革命の存在と平行して知られる事実だろう。これに関しては先月号に詳しく紹介してあるので、そちらを見て欲しい。
二つ目は、今回判明した新事実だ。恋愛を始めた人間の中でも非処女となった者は、生理的欲求が復活するらしい。非処女となる条件は未だ判明していないが、復活した生理的欲求の情報を、我々はいち早くスクープした。
・睡眠
非処女には睡眠が必要になるらしい。睡眠とは、脳や体を休めるため仮死に近い状態になることだ。睡眠中は意識がなく無防備であるとのことだ。我々は電車内で睡眠する非処女を目撃した。体を弛緩させ目を閉じ、何とも見るに耐えない様であった。
・食事
これも睡眠と同じく、動物の食事風景と何ら変わらない活動のようだ。プラスチック製の桶に動物の卵の中身や果実をすり潰したものなどを入れ、直接口をつけて食べるようだ。顔や床に食物を汚らしく撒き散らしティッシュで拭くさまを、我々は写真に収めることに成功した。
どうやら、非処女たちは本当に動物化しているようだ。なぜ動物化するのか、非処女となる条件は何なのかなど、引き続き調査していきたいと思う。
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有性生殖の歴史的大ブレイクと同時に、世界は非処女に支配された。それまで無性生殖を行っていた人類は童貞と処女によって構成され、地球を廻しており、そこに男女の区別はなかった。恋愛によって人類は急激な動物化を始める……