No.285478

【編纂】日本鬼子さん四「日本さんがかわいいから」

歌麻呂さん

「アンタたちの神話はどこへ行ったのよ」
「こに、おまつりだいすき!」
「そんなもの、嘘に決まってるではないか!」
「わたしのおうちをかえして!」
「もうさ、鬼祓うの、やめようぜ」

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2011-08-26 19:47:49 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:799   閲覧ユーザー数:799

「ひっのもっとさーん、あっそびーましょー、石っこ手合わせごっちそっさまー」

 さすがに『ごちそうさま』の合言葉だけだと不憫だから序詞的なものを付けて紛らわしてみた。

 

 相変わらず吐き気を催す急上昇な移動だけど、紅葉林の涼しい気候に心が安らいだ。アタシたちの世界じゃ夜でも三十度越えが続いてるけど、こっちは半袖だとちょっと肌寒く感じるくらいだ。

 ……紅葉の季節って、もっと寒かったような気がする。気候や環境が根本から違うのかもしれない。

 

「あら、人間のお客様なんて何百年振りかしら」

 凛とした艶めかしい女性の声が出迎えてくれる。知らぬ間に、眼鏡と藤色の振袖の似合う女性が佇んでいた。美しい銀髪の頭に猫耳がついている。うん、多分コスプレじゃないね、こっちの世界の化け猫さんなんだろうね。

 

 ……ん? 化け猫?

「えと、あなたは?」

 口走っちゃったけど、アタシはこの人の名前を知っているような気がする。

「猫又よ。般にゃー、とみんなから呼ばれてるわ」

 般にゃー。

 アタシの直感は当たった。あの恐るべき般にゃーが目の前にいる。着物から二つに分かれた尻尾があった。

 すみません般にゃーさん、あなたと会うまで、恐ろしい怪物か何かと勘違いしてました。百聞は一見に如かずっていうか、アタシたちの世界の定規でこっちの世界の物事を測っちゃいけないみたいだ。

 

 さて、日本さんはどこにいるんだろう。

「鬼子なら小屋にいるわ。いってらっしゃい」

 一瞬心を読まれたような気がしたけど、アタシがこの世界に来る用事なんて日本さんくらいしかない。

「般にゃーさんは一緒に来ないんすか?」

「呼び捨てでいいわよ。敬語も堅っ苦しいからナシで。ほら、行きなさい。今から一服するんだから」

 なんというか、テキトーな猫又さん……猫又だ。

 胸元からキセルを取りだす様が実にエロチックだった。

 とにかく……日本さんから聞いた通り、きまぐれな人(猫又?)だってことは分かった。自分勝手というか、自由奔放っていうか、うん、ある意味猫みたいな性格だわ。

 

「ひっのもっとさーん、あっそびーましょー」

 玄関の前で、小学坊主よろしく声を上げる。するとすぐに中が慌ただしくなる。ドタバタって音、初めて聞いた。マンガの世界に入り込んでしまったような錯覚がする。

 ぴしゃり、と引き戸が開かれる。見えたのは角ではなく、不機嫌そうにぴくぴく動くわんこの耳だった。

「何しに来た、人間」

 その口振りは耳以上に不機嫌なものだった。

「何しにって、日本さんと遊びに行こうかなって」

「鬼子はいない。帰れ」

 わんこの気迫に押され、思わず帰ってしまいそうになる。

「何言ってるの、わんこ」

 日本さんが土間に下りてきた。慌てて雪駄を履いたようで、カラコロと三和土(たたき)を蹴っていた。わんこは舌打ちをし、日本さんに玄関を譲った。

「いらしてくれたんですね!」

 わんことは裏腹に嬉しそうに出迎えてくれる。尻尾があったら全力で左右に振ってると思う。

 

「えと、お茶淹れますから。上がって待ってて下さい」

「あ、今日はそのために来たんじゃなくて――」

 既に片足を床に踏み入れている日本さんを呼び止める。

「もし用事がなかったらさ、アタシんトコの世界の紹介がてら、買い物とかどう……かな? お金はアタシが出すし」

 そのために親からムリ言ってお小遣いを前借りした。この夏はバイトやんないとダメかもしれないなあ。

 日本さんの瞳が輝きだすも、すぐにかげってしまう。何か心に残ってるものがあるみたいだった。

 

 

「あの、待ってください。般にゃー、ちょっと来てくださいますか!」

 紅葉石の埋まる巨木に背を預ける般にゃーを呼ぶ。彼女の耳がかすかに動いたけど、般にゃーは気ままに煙をふかしていた。

「もう、般にゃーさん、たばこなんて吸ってないで早く来てください!」

 うん、マイペースにもほどがある。帯に吊るした灰吹にタバコを落とすと、ようやく歩きだした。

「なに?」

 明らかに不満げだ。わんこを絶する不機嫌ぶりだ。大人の光沢を持つ般にゃーだけど、こういうところはちょっと子どもっぽい感じがする。

「あの、今日田中さんと一緒に向こうの世界に行ってもいいですか?」

「勝手にすればいいじゃない」

 TASさんも驚きの即答っぷりだ。

「行くならこにぽんも連れてってやりなさい」

 そう付け足し、般にゃーは猫又に姿を変え、縁側へ行ってしまった。

 なるほど、猫又んときは顔が般若になるのか。

 

「こに! お出かけですよ! お出かけ!」

 日本さんが珍しくはしゃいで居間へと上がっていった。よっぽど嬉しいみたいだ。

「……って、俺留守番かよ!」

 わんこが一人嘆いていた。

「アレ? 女の子三人とデートしたかったの?」

「デ……! ち、ちげーし! 誰が人間の分際と一緒に人間の世界をうろつくかよ!」

 思った通りの反応が返ってくる。やっぱわんこはいじりやすい典型だな。

「日本さんとこにぽんだけならよかったの?」

「そ、そうじゃねえよ。人間は嘘吐きだから、鬼子たちが騙されるんじゃねーかと心配なだけだ! お前がいなきゃ万事解決なんだよ!」

 うん、ならなおさらデートに付いてったほうがいい気がするけどスルーしてあげよう。

「田中さん田中さん、あの、どちらの着物で行けばいいですかっ?」

「こにのも選んでー!」

 鬼子さんは、マツケンがサンバしちゃいそうな黄金にきらめく和装と、総重量ン十キロはあろう十二単を持っていた。こにぽんはこにぽんで、一方は桜色の浴衣で、もう一方も桜色の浴衣だった。ぶっちゃけ違いの識別できない。

「あの……いつも通りでいいからさ」

『はいっ!』

 二人は声を合わせて頷いた。二人の輝かしい笑顔に苦笑するしかなかった。

 

「あ、そうそう、これ渡すの忘れてた」

 昨日買った贈り物を日本さんとこにぽんに渡す。

「……麦わら帽子?」

「うん、着物に合うのって何かなーって思ったんだけど……」

 女性着物に帽子の装備は原則的にないけど、二人の素朴で純然とした日本さんとこにぽんを思うと、このアクセサリーは十二分に合うと思う。本当はクローシュとかキャスケットとか買いたかったんだけど、当時お金がなかったから仕方がない。なら都市に出ないで地元で済ませればよかったじゃないか、と今でも思っている。

「あ、わんこくんのプレゼントはないよ?」

「わかってるよチクショウ!」

 言い返してくるわんこにいじられの神だってことを自覚してるみたいだった。

「あ、でも紅葉饅頭のお返しに、なんかお土産に買ってきてあげよう」

「は?」

「サブレーがいい? それとも渋めに畳イワシとかどうよ?」

「知らねえよ!」

 と口先では反抗しているものの、尻尾はぶんぶん振っている。まったく、かわいすぎて困っちゃうね。

「ほら、日本さんも――」

 日本さんの手を握ってやった。

「泣いてないでさ、ほら、今日は思いっきり楽しもうよ」

「はい……ずびばぜん……」

 帽子をあげただけでこんなになるとは、正直予想してなかった。

 

 

「あれ、あれはなんですか!」

 八幡宮の鳥居を前にして日本さんが興奮気味に尋ねてきた。

「へんなのー!」

 こにぽんも嬉しそうにはしゃいでいる。

「ただの車だよ」

 当然だけど、アタシが向こうの世界の常識を知らないように、日本さんたちもこっちの世界の常識を知らない。

「馬や牛はいないのに、どうやって引っ張ってるんですか?」

「あー、科学の集大成的な?」

 ごめん、アタシの知識じゃ説明しきれないよ……。

 

 まあそんなわけで、日本さんとこにぽんとウィンドウショッピングを楽しんだ。せんべいやタイヤキを一緒に食べたりした。

 今は店の庇に設けられたベンチに腰を下ろし、小休憩がてらアイスクリームをなめている。さっきから食べてばっかいるのはこにぽんのおねだりによるものだ。

 日本さんは「すみませんわがままな子でして」と謝り倒してたけど、まあルイヴィトンをねだられているわけではないし、三人分のお金で小腹も満たされて、さらにこにぽんの笑顔が買えるってんなら安いものだ。

「つめたくておいしいね!」

「もう、ほっぺた付けちゃって」

 呆れながらもこにぽんの世話をする日本さんも見られて安らげる。一石三鳥じゃないか! もうおつりが来ちゃうくらいお得だよ。

 

「こにね、おだんご食べるー!」

 アイスを食べ終えたこにぽんは意気込み、立ち上がった。

「もう、食いしんぼうなんだから。すみません、田中さん、こにったら……」

「元気で何よりじゃない」

 お団子くらいわけない。ま、次の野口で財布中隊所属野口分隊全滅のお知らせなんですけどね。

 

 アタシたちは再び歩き出す。背丈の大きな松の並木を左手に、アブラゼミの不協和音と歩道から放出される熱気を浴びながら、日本さんと雑談に興じていた。暑いね、から始まり、向こうの世界の夏もこのくらい暑いのかとか、着物って暑そうだよねとか、そういうヤマもなければオチもない、でも充実したひと時を送った。

 ただ、日本さんは終始そわそわしていて落ち着きがなかった。

「田中さん、なんか私たち、じろじろ見られてる気がするんですけど」

 言われてみれば、確かにすれ違う人たちがほんの一瞬だけこちらに視線を移している。正確に言うと、みんな日本さんのことをチラ見していた。

「もしかして、こにや私が鬼だってこと、気付かれてるんじゃないでしょうか……」

 日本さんは麦わら帽子を目深にかぶり、アタシの後ろに隠れてしまった。こにぽんも真似して日本さんの腰元にぴたりとついた。

 鬼子さんの言動に半ば呆れ、半ば和んだ。

 

「そんなわけないって。日本さんがかわいいから、みんな一目見ちゃうんだよ」

 そう言うと日本さんの後ろからぴょこりとこにぽんが顔を覗かせた。

「こにもかわいい?」

「あたぼうよ。かわいすぎて、にぎにぎぎゅうぎゅうしたくなっちゃうよ」

 こんなかわいい子がこの世界にいるわけがない。向こうの世界で慈しまれたからこそ誕生した奇跡の子だ。あわよくば自分の妹にしちゃいたい。

 

「……わ、私のこと、本当に可愛いって思ってくれてるんですか? ウソじゃ、ありませんよね?」

 一方日本さんからはまさかの念押しをされた。日本さんがナルシスとでないことくらい知ってる。

 

 なら、どうしてこんなことを言ったんだ?

 

 ……そんなの、決まってる。

「日本さんがどう思ってるかは知らないけどさ」

 一呼吸おいて、アタシはそう切り出した。

「もっと自分に自信持ってもいいと思うよ」

 

 

「でも……」

 躊躇する日本さんはやっぱり日本さんらしくなかった。

「だってさ、アタシの中にいた鬼、祓ってくれたじゃん。それきっと、すごいことだと思うよ」

 まるでガラスの針に触れるようにおそるおそるモノゴトに触れながらも、決して立ち止まらずに歩き続けるのが、アタシの中の彼女だった。

 

「だからってさ」

 日本さんの手を、そっと握りしめた。

「一人で全部抱え込まなくたって、いいんじゃない?」

 ヤイカガシの言ってたことがよぎる。

 

 ――ぼくには鬼子さんの隣に立つことはできなかったけど、きっと田中さんなら並んで歩けると思う。

 

 ヤイカガシは日本さんの荷を負いきれなかったのかもしれない。神さまであるヤイカガシですら。

 いつから鬼を祓い続けているのは分かんないけど、今に至るまでずっと、日本さんはたった一人で志を守り抜いていたんだ。その途方もない力の源は、一体何なのか。その源は今もなお枯れずに湧いているのか。

「だから、アタシも何か力になれたらなーって思ってたりしちゃうワケですよ」

 その「何か」がなんなんのか、自分でも分からない。というか、それが分からなかったから、ヤイカガシも鬼子さんを支えることができずに終わってしまったんだと思う。

 

「田中さんて、人の心を読む能力、持ってますよね?」

「ないないないない、なにその中二病設定」

「……チューニビョーセッテー?」

「うんごめん、なんでもないんだ」

 沈黙が続いた。夏ってのはセミの鳴き声みたいにどこまでも続いているようで、入道雲は日射しを受けて濃淡を作っていた。アイスなんて舐めても涼しくなれるわけないのに、どうして人はアイスを舐め続けるのだろう。

 

「私、田中さんと出会えただけで嬉しんです」

 アイス論が茹だる頭で展開されかけたそのとき、日本さんが小さな声を漏らした。

「そんなこと言ってくださる人、他にいませんでしたから」

 ヤイカガシ、君は日本さんのために何をしたんだ。カウント入れられてないぞ。

「もし田中さんと会ってなかったら、私、心が折れてました」

「そんな、大ゲサだよ」

 うん、大ゲサだ。アタシは神か仏か何かか。

「いいえ。田中さんがいてくれるだけで、私たちは本当に救われてるんですよ。ね、こにぽん」

「うん!」

 と、こにぽんが大きく頷いた。そこまでリアクションを取られると、もう日本さんの言葉を信じるしかないような気がする。

 

「あ、おだんごー!」

 こにぽんが髪を揺らす。その先には明治四年創業と謳われた老舗和菓子店があった。こにぽんの眼がきらきらと輝きだし、アタシたちを置いて駆けだした。

「あ、こにぽん待って! 急ぐと危な――」

「ひゃあ!」

 時すでに遅し。走るこにぽんがケータイを操りながら歩く壮年男性にぶつかってしまった。

「いてえな、このガキが」

 口、悪いな……。

 というか、児童レベルの子に接する態度じゃない。

「ご、ごめんな、さい」

 こにぽんはすっかり怯えきってしまった。

「君、保護者どこ?」

「ごめんなさい……」

「いいから保護者どこ?」

 無感情の事務的な冷たさがアタシにまで伝わる。うん、こいつはトラウマできるね。

 

 

「私が保護者です」

 こにぽんの両肩に手を添え、日本さんは果敢にも壮年を見遣った。アタシは普段の慣習から一歩も動けずにいた。

「あのさあ、ガキが騒がしいとさあ、周りが迷惑になるんだわ」

 最近の親はよお、なんにも分かってねえんだよな、視野が狭いっつーのうんぬんかんぬん。ケータイをぶらぶらさせたり、間延びした口調でぼやいたりするのはわざと怒りを買うようにしているのだろう。

「親がガキなら子もガキガキガキ。こいつぁ日本も終わりだな」

「すみません」

「あーあーあーあー、謝ることしか能がねーとか。ったく、これだからガキはよお」

 うわあ、大人げない。こりゃ嫌な人とぶつかっちゃったな。

 というか、こにぽんのやわらかタックル喰らっただけで激怒する人もいるんだな。世間って広いよ。アタシだったらご褒美なのに。

 

「あの、本当にすみませんでした」

 歩く人たちは中年の怒鳴り声に反応して一瞥するけど、心持ちはみんな同じで、完全にモブキャラとか、通行人ABCD……として舞台の袖へと去っていった。浦島太郎も電車男もいやしない。

 そりゃ自分だってこの場をスルーしたい。面倒事は極力避けるのが現代人の生きる知恵だし、アタシは主人公って役じゃないもん。

 でも、日本さんはこういうトラブルの対処なんて何一つとして分かっちゃいないと思う。

「あの、私、何でもしますから!」

 言わんこっちゃない。そんなこと言ったら奴の思うツボじゃないか! 中年オヤジはにやりと片側の口角を上げた。

 

 こういうガラじゃないけど、致し方ない。

「ケータイいじりながら道歩いてる誰かさんも、能がないような気がするんだよなー」

 だから、聞えよがしに独り言をぼやいてみせた。

「……あン?」

 案の定、矛先がこっちに向けられた。

「お前、何こいつの肩持っちゃってんの?」

 あらまあ視野がお狭いようで。恐縮にございますが、事が起こる前からこの場におりました田中匠、そこにいる二人の友達でございます。

 うん、思った以上に喰いついてくれた。

 

「つーかさー、最近イラついてんだわ。ウゼー上司とウゼーバイトにサンドイッチされちゃってんの。おまけに今日はウゼー親子とウゼーゆとりだよ。マジでなんなの? ふざけんのも大概にしろよテメエ!」

 ギャ、逆ギレかよ! いきなり唾飛ばしながら怒鳴られたよ! マジでなんなのはこっちのセリフだよ!

 こりゃもう戦略的撤退が最善というか、それしか残ってないように思われる。

「日本さん、こにぽん」

 二人にだけ聞こえるよう囁き、彼女らの手を取る。

 

 そして、一目散に逃げ――られなかった。

 キレオヤジに押さえられたワケじゃない。日本さんの動かざること山のごとし。紅の着物を着た彼女が動じなかったんだ。

 

「これは心の鬼の仕業です」

「え、ちょ、こんな人、どこにだっているじゃん!」

 何をどう思ってそう決定されたんだよ。ワケが分かんないよ!

「こに、田中さんをお願いします」

「はい!」

 しかも、アタシは守られる側かい! こんなちっこい子に守られるなんて思わなかった。

 いや、まあ戦いの経験があるんだろうから……って、それつまりこにぽんも日本さんと一緒に鬼と戦ってるってことなの?

 

「こそこそ話しやがって。いい加減にしろよ!」

 顔面真赤にさせてほざく男に、鬼子さんは般若のお面を自らの顔にかざした。

 

 あのときと同じだ。アタシの心に鬼が宿ってしまった、あのときと。

 男が悶絶する。当時のアタシと同様に、胸を押さえ一歩、二歩と後ずさる。そして彼に憑いていた心の鬼が離脱した。

 

 

「キテマス! キテマス!」

 うわ、なんか元郵便局員で手品とかやっちゃいそうな黒ずくめサングラスの芸名が本名の逆さ読みしてそうな心の鬼が出たよ! なにこの第二のユンゲラー事件勃発させる気満々の鬼は! 唯一の違いはおでこから飛び出た二つの角だけだよ!

 つか、心の鬼ってどこか抜けてるところあるよね。まだ二体しか見てないから確信めいたことは分からんけど。

「日本さん! 早くやらないと色々ヤバいよ!」

 このままじゃあ、色んな意味で消されるぞ! と思って彼女の背中に声援を送った。

 すると日本さんは――日本さんはなんと、敵に背を向け、目を大きく見開いてアタシを見た。

 「しまった」と顔に書いてある。

 

「キテマスッ!」

 鬼の手から『怒』の字の刻まれたハンドパワー、もとい波動弾が発射された。背を向ける日本さんに直撃する直前、光弾は鈴の音と共に桜の花びらとなって散った。

「えへへー」

 こにぽんがにこりと笑い、手に持つ鈴をりりんと揺らした。こにぽんが守ってくれたのか? 奇想天外の連続に頭の整理が追い付かない。

 

「おい、見ろよあれ」「なんだ、特撮か?」「3Dもここまで来たか……」「チゲーよ、イリュージョンだよ」「修羅場なう」

 ざわめきがざわめきを呼び、外野が騒がしくなる。いまやアタシたちの半径二十メートルに野次馬たちの輪ができていた。

 なあ観客さん、これ冗談でなく危ないと思いますよ……?

 

「日本さん、さっきの攻撃、喰らったらどうなんの?」

 心の鬼がハンドにパワーを溜めている。けど日本さんはアタシたちの前に立ち、奴を睨みつけるだけで薙刀を出そうとはしなかった。

「怪我はしないと思いますが、鬼の性質上、怒りっぽくなると思います」

「それヤバいじゃないっすか!」

 うん、あの攻撃を『反対に怒りだす力』という意味を込めて反怒(ハンド)パワーと命名しよう。そんであの鬼の名前はその姿と台詞と反怒パワーを手から発射するから鬼手枡(きてます)にしようか。

 

 って、そんなのんきでいられるか!

「日本さん! どうして戦ってくれないのさ!」

 心の鬼が再び攻撃をするも、こにぽんのチートな謎防御によって無力化される。鈴を持つこにぽんの額から汗が滲んでいる。暑さのせいもあるだろうが、結界みたいのを作るのに何らかの力を使うのは間違いないだろう。

 こんな消耗戦じゃきっと勝てっこない。

 

「キテマス!」

「……いんです」

 鬼手枡の一撃で日本さんの言葉が掻き消されてしまった。

「え?」

 長い髪をなびかせ、彼女は振り返った。

 

「怖いんです! 私の中成に……戦う姿になったのを見たら、田中さんきっと怖がります!」

 

 それは、意外な答えだった。

 

「私は、人間じゃないんです。異形の存在です。その違いを知ってしまったら、きっともう今までのように私を見ることなんて、できないです」

 

 日本さんは鬼の子だ。今は帽子をかぶってるから見えないけど、その中には確かに鬼手枡の角と同じものがある。

 鬼ってのは人を襲い、苦しませ、痛みつける。そういう恐るべき姿、人間を苦しませるあらゆるものを具現化した存在だ。

 般にゃーを般若姿のOLだと勘違いしたように、戦う姿の日本さんを恐怖の対象として見てしまうかもしれない。

 

 それでも、アタシは――

「なーんだ、そんなこと気にしてたの?」

 そうやって、暗雲を笑って吹っ飛ばすことができた。

 

 

 波動が注ぐ中、アタシは妙に落ち着いていられた。いつこにぽんが限界に来るかもわからないのに、どうしてこう穏やかにいられるんだろう。

「簡単に言わないでください! 私は、私は――」

「かわいいなあ、日本さんってば」

 

「えっ……」

 自ずと口から出てきた「かわいい」という一言だったけど、それはたぶん、日本さんにとってはずっとずっと大きな意味を持っていたんだと、あとで思った。

「じゃあさ、なんで鬼からアタシを救ってくれたのさ」

「そ、それは田中さんが脅したから」

 そうだったっけ? でも今は当時を振り返る必要なんてない。

「アタシはさ、人の見方って変わっていいと思うんだ」

 日本さんの「中成」とやらの姿を見て、日本さんの印象がプラスになるのかマイナスになるのか、もしくはゼロのまんま変わんないのかなんて、分かりっこない。

「極悪非道だと思ってた悪者がさ、実はめちゃくちゃいい奴で、株が急上昇ってこと、よくあるじゃん? そういうバトルもん、アタシにとっちゃあご馳走っすよ」

 多分こんな話をしたって日本さんの頭上にハテナマークが浮かぶだけで終わりだろう。でも人と人の関係って、そーゆーもんでしょ。第一印象から二転三転四転するのが当たり前なんだよ。衝撃が来て、動揺して、それから少しずつ消化して……そういうのを経て、親友になれたらいいな――なんてね。

「あの、私ってやっぱり極悪非道に見えますか?」

「いやいやいやいや! 違う、違うって! 例えだからね、例え!」

 うん、説教じみたこと言うからこうなるんだ。

 

「とにかく、アタシはキャラに深みが増していくのは素晴らしいことだと思うわけ。日本さんにとっては見せたくないことでも、アタシにとっては新鮮で、カッコいいことに見えるかもしれないじゃん。それとも――」

 反怒パワーが炸裂し、花びらになる。

「ねねさま、もう疲れちゃったよぅ」

 こにぽんの声。

 アタシはちょっとだけいたずらっぽく笑ってみせた。

「日本さんが退治してくれるのは、アタシに憑いた心の鬼限定なのかな?」

 

「……私が助けるのは」

 大風が吹き荒れ、どこからともなく紅葉が舞い上がる。本能的な恐怖に鳥肌が総立ちになった。日本さんの角が伸び、麦わら帽子を八つ裂きにする。さよなら、アタシの二九八○円。

 風に躍る紅葉が集約し、まがまがしい薙刀が姿を現した。

 そして、日本さんは隈取の内に燃やす紅の眼差しをちらりと向け、言った。

「鬼たちに苦しむ、人々です!」

 

 日本鬼子は、風を薙いで地面を蹴った。物理法則無視の初速度。

「キテマス!」

 鬼手枡の波動を両断すると、それは紅の葉となり舞い上がる。野次馬たちの拍手が大いに湧きおこる。日本さんはそのまま心の鬼との間合いを詰め――

 

「萌え散れ!」

 

 まるで居合演舞を見ているようだった。鬼手枡にはメの字の斬れ込みがなされていた。

 血振りをし、石突でアスファルトを叩くと、心の鬼は数多の紅葉に生まれ変わり、上昇気流に乗って大空へと消えた。

 通行人たちのテンションは最高潮に達し、英雄日本鬼子の元へと駆けだした。

 アタシたちにとって、鬼の角は単なる装飾に過ぎなかった。

「カッコいい……」

 心の言葉が洩れ出る。日本さんの戸惑いぶりを見ながら苦笑し、アタシも日本さんの元へと駆け寄った。

 

 

「田中さん、今日、本当に楽しかったです」

 別れ際の祖霊社で、日本さんはまだ興奮冷めやまぬといった様子だった一方、こにぽんはくたくたに疲れ果てており、日本さんの背で寝息を立てている。アタシたちを懸命に守ってくれたんだ。今日のMVPはこの隠れた英雄さんに渡したい。

 

 あのあと野次馬の収集を付けるのに結構な時間がかかってしまった。特に日本さんへの質問責め(手品のタネを教えろが大半)に苦労した。アタシの言い訳スキルが足りなかったら日付が変わってたと思う。警察事にもならず、日暮れ前に済ませられたのは奇跡といえよう。

 

 それから鬼手枡に憑かれたあの中年男性が全力で謝りにきた。今回の騒動は職場の人間関係にイライラを糧に心の鬼が育ち、暴走した結果会社をクビにされた矢先の出来事だったようだ。団子をたくさん買ってくれ、平謝りをしまくってたけど、心の鬼に憑かれた経験のあるアタシとしては、彼に何かしてあげたい衝動に駆られていた。

 

 心の鬼は人生をかるーく台無しにさせる力がある。全ての鬼がそうじゃないとは思うけど、一般的にイメージするような金棒持ってブンブン振り回す鬼なんかよりずっと残酷極まりない。

 

 彼が最後に言った言葉を思い出す。

「色々事情があるようだから、君たちのことについては何も訊かないよ。でも、これだけは言わせてくれ。君たちのこと、絶対に忘れない。ありがとう」

 何もしてないアタシですらグッとくるものがあったんだから、日本さんはもっとずっと心を揺れ動かされたに違いない。

 大粒の涙をぼろぼろと流し、日本さんは子どもみたいにしゃくりあげ、おぼつかない言葉遣いで、「私こそ、これ以上嬉しいことはありません」と言った。

 

「あの、あの! また来ていいですか?」

 それからずっとこの調子だ。アタシが日本さんトコの世界を気に入ったように、日本さんもこの世界を気に入ってくれたみたいだった。

「いつでもおいでよ。今度はおごれないと思うけど」

「大丈夫です。心の鬼、たくさん祓いましょう!」

 好戦的すぎるぜ、日本さん!

 

 そうして、また会う約束をした日本さんとこにぽんは元の世界へと戻っていった。

 すごく疲れたけど、心は満ち足りていた。

 

 

 でもね、これでハッピーエンドじゃないんだ。それどころか、エピソード・ワンはまだ始まってすらいない。

 

 アタシはただ浮かれてただけだった。日本さんの弾けるような笑顔はアタシが作ってやったんだぞって、きっと心のどこかで思ってたんだろうね。

 

 まだアタシは日本さんの身にまとわりついて離れない、悲しい宿命ってのを知らなかったんだ。

 だって、アタシはまだ日本さんのこと、ちっとも知らないんだから。

 

 ただの人間。

 

 日本さんを見知ってるただの人間という立場に、変わりはなかった。


 
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