No.284460

two in one ハンターズムーン3「過去」

泡蔵さん

新たな土地で生活を始める双葉と父・秀明。しかし、母・茜の命日、双葉の誕生日に思い出される過去。16年前の事件が思い出とともに明らかにされる。
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2011-08-25 15:51:34 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:365   閲覧ユーザー数:365

   3 過去

 

 キッチンに卵の焼けるいい香りが漂っていた。

 午前7時5分──

 本城双葉(ほんじょうふたば)は、一人キッチンで朝食の用意をしていた。

 優秀な外科医の父、本城秀明が急遽この町の総合病院に呼ばれ、東京から引っ越してきてから、まだ一週間しか経っていない。慢性的な医者不足の為、出勤初日から秀明は大忙しで、家の片付けもできておらず、部屋の至る所には引っ越し用の段ボール箱が置かれている。これでも、双葉が一生懸命片付けをしているのだが、全く追いつかない状況だ。

 この一週間、殆ど家の片付けに追われ、外には買い物にしか行っていないが、今日の双葉はどこか楽しげだった。

 赤を基調にしたセーラー服の上からエプロンを着けている姿がよく似合っている。セミロングの髪の毛を赤いリボンで結び、少し垂れた大きな瞳が印象的な少女だ。

 可愛らしい微笑みを浮かべながらフライパンを振るう姿は、ちょっと間違えると幼妻にも見える。

 小さい頃から食事の用意は双葉の担当になっているので、朝食と二つのお弁当を手際よく作り上げていく。今日の出来栄えも中々だ。

「これでいいかな……」

 秀明の仕事のせいで引っ越しが多いが、何度転校しても登校初日は少し緊張してしまう。しかし、新たなる学園生活のスタートに期待も膨らんでいた。

 自然とこぼれた笑みが、窓から差し込む日差しに美しく輝いている。

 目玉焼きが焼き上がるとトーストと一緒に皿に載せテーブルに運ぶ。そして、ミルクを注いで席に着いた時、リビングのドアが開いた。

「あっ、おはよう。お父さん」

 そこには、パジャマを着た秀明の姿があった。朝方帰ってきて数時間しか寝ていないので、まだ眠そうだ。

「おはよう」

「お父さん昨日も夜勤だったんでしょ。起きてこなくても良かったのに」

 そんな双葉の言葉を聞きながら、眠い目を擦ってテーブルへと着く。

「いや、今日から学校だろう。初日くらいは、お見送りをしてやらないといけないからな」

 連日の夜勤と残業で疲れているはずなのに、今日から学校だと言うことを覚えていてくれたらしい。

「ありがとう。今、ご飯の用意する。パンでいいよね」

「ああ、なんでもいいよ」

 双葉は少し嬉しそうに席を立つとキッチンに向かった。今日から登校だと言うことを覚えていてくれたことが嬉しい。優しくて頼りになる「お父さん」。母親のことを覚えていない双葉を愛情たっぷりで育ててくれた大好きな父親だ。

 おかしな話だが、こうしてキッチンに立っていると結婚生活とはこんな感じなのかなと考えてしまう。「きっとお父さんみたいな人と将来結婚するのかも知れない」などとボンヤリと考えてていた。

 楽しそうにキッチンに立つ双葉の後ろ姿を見ていた秀明は「茜に似てきた」と感じていた。茜と出会ったのも丁度今の双葉くらいの年だっただろうか、そんなことを考えていると自然と笑みがこぼれてくる。

 そんな秀明の視線に気付いたのか、双葉は少し照れたように振り返った。

「娘の後ろ姿見て、なにを笑ってるの」

「いや、だんだん母さんに似てきたなって思ってな」

「それじゃあ、お母さんは学生の時、すっごく可愛かったんだね」

 ニコニコと微笑みながら、秀明の前に目玉焼きを置く。母親に似ていると言われることが嬉しいと言った感じだ。

「今日は、元気な双葉だな。よしよし、その調子で新しい学校でも頑張ってくれよ」

「今日だけじゃないよ。双葉はいつでも元気だよ」

 不思議な言い方をされても、双葉は軽くかわすように話しをそらす。

「それより、今日はお母さんの命日だからね。後でちゃんとお線香あげるんだよ」

「えっ、そうだったか? ってことは、双葉も今日で…………何歳になったんだ」

「16だよ。もぉ、お父さん本当に忘れてたの。いい加減娘の年くらい覚えてよ。それより今日は休みなんでしょ。ケーキくらい買っておいてよね」

「わかった。でっかいの買ってきてやる」

 たわいもない朝の会話から、親子関係がうまくいっていることがわかる。親一人子一人の少し寂しい家庭であったが幸が溢れている。

 朝食を食べ終え、食器を流しに出していると時計を見た秀明が、慌てて双葉に声をかけた。

「おい、時間大丈夫なのか? 後は父さんがやっとくから早く行け。初日から遅刻だと印象悪いぞ」

「えっ、もうそんな時間。わっ、私行くね」

 急いでミルクを飲み干し、お弁当箱を鞄に入れるとエプロンを外して玄関へ走る。

「お昼、お弁当作っておいたから、ちゃんと食べてね」

「おう、ありがとう。それより双葉は、母さんに挨拶したのか」

「大丈夫、朝一にお線香あげたから、それよりもお父さんが、お母さんにお線香あげるの忘れないでね。それじゃあ行ってきます」

「おう、行ってこい。気を付けるんだぞ」

 双葉は、一度振り向き笑顔で応えると元気よく玄関を出て行った。その後ろ姿を見送る秀明の口元にも笑みがこぼれている。

「立派になったもんだ……『お線香あげるの忘れないでね』か」

 頭を掻きながらキッチンへ戻り、残っていたコーヒーを飲み干すと洗い物をシンクに置いて、仏壇の置かれている和室へと向かった。

「もう16年か……」

 仏壇の前に座り、お線香を二本取るとロウソクに灯されている炎に近づける。お線香に移った炎を手で払うようにして消すと香炉に一本ずつ立てた。

 一本は、茜のために、そしてもう一本は、娘のために……

 秀明は静かにお(りん)を鳴らすと、そっと手を合わせ瞳を閉じた。

 甲高いお鈴の音が部屋中に響いている。

 そのまま、長いこと手を合わしていた。そして、ゆっくりと瞼を開くと仏壇に飾られている茜の写真と産まれたばかりの子供の写真を見つめる。最愛の二人の写真、あの悲劇は今でも忘れることができない。

 しかし、この写真には偽りがあった。仏壇に置かれている子供の写真は双葉なのだ。

 なぜ、生きている双葉の写真が仏壇の中に飾られているのだろうか……それは、気休めなのかも知れない。常識では考えられない出来事から、逃げ場所として双葉の写真を飾ったに過ぎない。

 そう、産まれてくるはずだった双子の姉、一葉の身代わりの写真なのだから。

 忘れようにも忘れられない出来事。茜の残した言葉……否が応でも茜の命日。双葉の誕生日には必ず思い出される忌まわしき記憶。その記憶が、今も秀明を苦しめていた。

 今こうして考えていても、あの日の出来事は、本当に現実で起こったことなのか秀明自身わからなくなる。双葉には話していないが、あの出来事が原因で、病院を点々とするはめになった。だが、娘の双葉を見ているとあの現実に起きたことだと突き付けられる。

 しかし、その現実から16年もの長い歳月をずっと騙し続けてきた。

 そうしなければ、気が狂ってしまいそうだったから……

 

   * * *

 

 16年前──

 分娩室の中で、神崎は必死になって茜を救う処置に奔走していた。

 一緒に着いてきた秀明であったが、茜の横で手を握っていることしかできない。

「茜さん。しっかり! 神崎は名医だ。どんな早産だろうと救ってくれる」

「はあはあはあ……大丈夫です……赤ちゃんは、絶対に元気良く生まれてきます……そんなに心配しないで……」

 励まそうとしているのに励まされていた。しかし、苦痛に歪む綺麗な顔が、どこか儚げで、今にも消えてしまいそうで秀明は怖かった。

 生まれてこようとしている赤ん坊より茜のことが心配でならない。なぜこんなに儚げに見えてしまうのだろう。こうしてしっかり手を握っていなければ茜が消えてしまいそうな気さえする。

 こんなことを考えてはいけないのは充分わかっているのに、痛みに耐えながら必死に笑顔を作ろうとする茜の姿を見ていると最悪の考えが頭に浮かんできてしまうのだ。

「ああ、心配しないから。茜さんも頑張るんだ」

「はい……」

 そんな二人とは違う世界で神崎は戦っていた。

 妊娠23週目──

 赤ん坊の体は左程大きくなっていない。昼間の検査でみた限りでは身長は30センチ位で、体重も600グラム程しかないだろう。このまま生まれ出てきては、救う手だてが少ないことは神崎にもわかっていた。なぜ、こんなに早く産気づいたのかなど考えている暇はない。このままでは母体の茜にまで危険が及んでしまう。いや、元々お産とは生命をかけて行う行為である。ちょっとしたことで母体が耐えられなくなってしまうことなど頻繁におきる。とにかくこの状況をなんとかしなくてはならない。しかし、茜の体温は急激に落ちていき、心拍数も弱くなっていく。この急激な変化に神崎は驚いていた。確実に茜の体には危険が迫っている。しかし、なんとしても助けなくてはいけない。こんなところで茜を死なせるわけにはいかないのだ。

──どうする。このままでは、母体までも危険にさらしてしまう。赤ん坊を取るか、母体を取るか……本城にこんな辛いことを聞かなくてはならないのか……

 神崎は、最悪の中でも最前を尽くさなくてはならないことを充分わかっているつもりだった。この辛い選択を早急にしなくては、母子共に命を落としかねない。それは、産婦人科医ではない秀明にもわかっていることだろう。早産の上にこの苦しみよう。誰の目にも異常事態なのは明らかだ。

 神崎の苦悶の表情を見て取り、状況が芳しくないのは秀明にも察しが付いた。秀明の手を握る茜の力が徐々に弱っている。でも、今は神崎を信用するしかない。茜に頑張って貰うしかないのだ。

「茜さん。しっかりするんだ。頑張って!」

 もどかしい。なにもすることができない歯がゆさから強く手を握った時、それは起こった。

 秀明にはなにが起こったのかわからなかった。いや、理解することができなかったのだ。

 視界が一瞬真っ白な世界に変わったかと思うと、全ての時が止まったかのように神崎も、走り回っていた看護婦までも動かなくなった。

 そう、この世界で動いているのは秀明と茜だけ……

「な、なんだこれは……」

 あり得ない状況に、秀明は動揺を隠せなかった。冷静でいろと言う方が無理な相談だ。しかし、動揺しきった秀明を茜の声が落ち着かせてくれた。

「秀明さん。落ち着いて下さい。なにも怖がることはありません」

「茜さん……これはいったい。それよりも大丈夫なのか、落ち着いたんだね」

「秀明さん。聞いて下さい……ゴメンナサイ。私には一葉を……双葉を守ることができなかった。『神無月の血』が、私を見逃してはくれませんでした」

「言っていることがわからない。いったいなにを言っているんだ。『神無月の血』って……茜さんの実家がどうしたと言うんだ」

「本当にゴメンナサイ……もう時間がありません。これでお別れです。でも、悲しまないで下さい。私の代わりに赤ちゃんを……私達の大切な娘をよろしくお願いします」

 今まで苦しんでいたのが嘘のように、穏やかな笑みを浮かべている。しかし、茜はなにを言っているのか? 「これでお別れ」などと言ってはいけない言葉だ。

「なにを言ってるんだ茜さん。しっかりするんだ。絶対に助ける。僕がなんとしても助けてみせる!」

「ゴメンナサイ。これは運命なのです……私が神無月の家に産まれて来た時からの定め……〈月の巫女〉として産まれてきた運命。その運命から逃げるために秀明さんに着いてきた。でも、やはり運命からは逃げられなかったんです。きっと、この定めは生まれてくる子、一葉と双葉に受け継がれてしまうでしょう……秀明さん。もうすぐ双葉が産まれてきます。でも驚かないで、二人は一人……一つの体で産まれてきても、一葉と双葉は共にいるのです。だから決して驚かないで下さい。私の分までこの子達を愛して下さい」

 茜の穏やかな笑顔だけが、秀明の脳裏に焼き付いた。その笑顔に秀明は必死に声をかけるのだが、秀明の声は既に茜には届くことはなく。まるで、真っ白な世界に吸い取られているかのように、秀明の声が響くことはなかった。

 そして、秀明は赤ん坊の泣き声で我に返った。

 時が再び動き出す──

 いったい今のはなんだったのだろう。秀明は茜の手を握りながら呆然としていた。

「本城、そこをどけ! 甦生に入る」

 神崎にそう言われ、茜の手に力が入っていないことに気が付いた。その力の入っていない手を力一杯握る。握りかえしてくれることを信じて、何度も、何度も茜の手を握った。

 しかし、茜はもう二度と秀明の手を握りかえしてくれることはなかったのだ。

「茜さん。しっかりするんだ……茜ェェ」

 秀明の声だけが分娩室に木霊する。その悲しい叫びが茜の耳に届いたのか、茜の目からは一粒の涙がこぼれ落ちたのだった。

 

 その後の記憶は定かではない。秀明はいつの間にか廊下の長イスに座らされていた。

 そこに、神崎が生まれてきた子を抱えて秀明の前に現れたのだ。

「赤ん坊は無事だ。元気な女の子だ……」

「……もう一人はどうした……」

 神崎の腕の中にいるのは一人だけだった。双子と診断されていたのだから、もう一人子供がいるはずだ。まさか、もう一人の子も茜と一緒に……そう考えた時だった。あり得ない言葉が神崎の口から聞こえてきた。

「もう一人? なにを言ってるんだ。子供は一人だけだぞ」

 その言葉に、一瞬反応することができなかった。双子と診断したのは他でもない神崎自身ではないか。それに、茜と一緒にエコー写真も見ている。そこには、二人の子供が見て取れたではないか……

「お前こそなにを言っているんだ……双子だと言ったじゃないか」

「本城……気を落とすなとは言わん。こんな時は、泣きたければ泣けばいい。でも、子供を抱いてあげてくれ、お前の奥さんが命をかけて産み落とした子だ」

 気が動転して記憶の混乱を起こしているのだと判断したのだろう。しかし、秀明には、神崎が冗談を言っているようにしか聞こえなかった。今、そんな冗談を言っている時ではない。まさか、秀明のことを気遣っているとでも言うのか。しかし、これは常軌を逸した冗談だ。

 そんなバカなことを言う神崎に詰め寄ろうとしたまさにその時、世界が一瞬白く輝いたかと思うと再び時が止まった。

「まただ……これはいったい……」

 時間の止まった世界で、秀明は意外にも冷静でいられた。茜の死に慌てるという感覚が麻痺しているのかも知れない。ただボンヤリと辺りを見回す秀明の前に、突如分娩室からなにも身に付けていない茜が、空中を漂うようにして現れた。

「……茜さん」

 気が触れてしまったのではないかと思った。茜を亡くしたショックから、本当に頭がおかしくなったのだと……しかし、半透明の茜は、優しく神崎の腕から産まれたばかりの赤ん坊を取り上げると秀明の元へ近づいてきた。

『神崎さんを責めないであげて下さい。神崎さんの記憶は消えてしまったのです。私のお腹に宿った子が双子であったことを……だって、この子は双子として生まれ出て来られなかったのですから……』

 茜の言っていることもわからない。双子として生まれ出ることができなかったとは、いったいどういうことなのだろうか……

「茜さん、なにを──」

『理解しようとしないで下さい。これは常識では考えられないことなのですから……さぁ、双葉の顔を見てあげて下さい。元気な子です。私達の可愛い娘……双葉をよろしくお願いします。そして、一葉のことも忘れないであげて下さい。体は一つになってしまったけれど一葉も双葉と一緒にいるのですから……』

 そう言って、双葉を秀明に手渡すと茜の体は更に薄れていった。

「待ってくれ。茜さん……」

 茜を追いかけ宙に手を伸ばすが、茜の姿は光の粒となって弾けると秀明と双葉の上に降り注ぐのだった。

 そして時が動き出した途端、神崎は何事もなかったように黙って分娩室へ戻っていった。まるでなにかに操られるように秀明のことなど気にもせず……

 なにが起こっているのか秀明には理解できなかった。理解はできなかったが、わかったことが一つだけある。双葉は元気に産まれてきたのだと……本来であれば未熟児で産まれてくるはずだった我が子が、無事健康体で産まれてきたことだけが、秀明に理解できる唯一のことだった。

 

   * * *

 

 そんな出来事から、もう16年も経ってしまった。

 秀明には茜の残した言葉が未だに理解できず、仏壇に双葉の写真を一葉として置いているのだった。

──茜さん……僕には、怖くて聞くことができない……双葉にどう聞けば……

 茜の命日、双葉の誕生日になると思い出される出来事。日常を生きるため忘れようとしているのに、この日になると思い出される記憶が秀明を苦しめている。

 秀明は一人、仏壇の前で苦悩していた。

 引きずる過去を嘆き、わからぬ現在(いま)を恨みながら……

 そして、呼び鈴の音で秀明は現実に引き戻される。

 苦痛に歪む表情が、救われたように元に戻っていく。今は少しでも忘れられる時間が欲しかった。しかし、こんな早くからいったい誰だろう。そもそも、引っ越してきて一週間。こんな早くに訪ねてくる知り合いなどいない。

 秀明は、過去の余韻を引きずりながら玄関へ向かった。

「はい」

 カギを開けずに、外にいる人物を確認する。

「本城さんのお宅ですかな」

 どこか聞き覚えのある声、覚えている声よりも年を取ったようだが、秀明にはその声に聞き覚えがあった。いや、忘れられるはずもない。茜との結婚を最後まで反対していた人物の声に間違いなかったのだから……

「今開けます」

 慌てて扉を開けた秀明の前に現れたのは、秀明の考えていたとおり少し年を取った茜の実兄、神無月京滋(けいじ)が白い着物と袴をはいて立っているのだった。


 
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