マグカップに世界の全てを表すとするならば、その世界を理解できるものは、きっとその世界に生きるものだけなのだろう。
さやかは、眼の前のマグカップを見つめながら、そんな感想を抱いていた。大した事では無い。ただ、そのマグカップの衣装に、感心している、というだけの事なのだから。
淡いピンクと白のグラデーションがペイントされたマグカップ。淡いグリーンと白のグラデーションがペイントされたマグカップ。そして、淡いブルーと白のグラデーションがペイントされたマグカップ。それぞれのグラデーションの上には、それぞれ異なる模様が描かれており、しかしどれも水中を想起させられるものだった。水草や魚、水鳥や飛沫で表現された水花。
可愛らしいというよりも、美しいだとか、綺麗だとか表現されるべきそれらのペイントは、巴マミの家に招かれるたびに眼にしていた。しかし、例え見慣れたそれであったしても、見る度に新鮮な気持ちにさせられる趣が、それには有る様に感じられた。
さやかは、ブルーのマグカップを口から離して、テーブルの上へと静かに置いた。静かに置くべきだと、そう感じたからだ。この部屋に満ちている空気が、そう感じさせたのだ。静かで、穏やかで、満ち足りた空気。
場の空気を掻き乱す者も居れば、空気を読んで行動する者も居る。今のさやかはもちろん後者だが、空気を読んだというよりも、空気に従ったという表現の方が正しかったかもしれない。場の空気に導かれるままに、自身の行動が、きっとそう有るべきなのだと感じたのだ。行動が空気を乱す事とは正反対に。空気が行動を制限したのだ。しかし、決して不快では無かった。
それはきっと、その空気を作り出しているのが、さやかの尊敬する巴マミであるからだ。彼女が纏う雰囲気は心地が良い。柔らかく温かい。
眼を閉じて、深呼吸して、空気を一杯に吸い込む。そのまま眠ってしまっても良い様な。マミの雰囲気をそのまま投影した部屋の空気を、体に満たす。
危うく本当にそのまま寝てしまいそうになって、さやかは慌てて頭を振った。
テーブルの対面では、すでにまどかとほむらが、互いに向き合って、安らかな寝息を立てていた。クッションを枕代わりにして、当然のように一つのクッションを二人で枕代わりにして。まどかの頭の上に、ほむらが顎を乗せるようにして、眠っていた。ほむらの鎖骨の辺りに、まどかが額を押し付けて眠っていた。同体で有るかのように、そうする事が自然で有るかのように、そうしていた。
「……………………」
まあ、悪くない光景だった。
妙な違和感…………というか既視感を覚えて、一瞬ハッとするば、その感覚がどういうものなのか、この部屋に満ちる穏やかな空気にすら押しつぶされてしまって、すぐに分からなくなる。
「平和だねぇ、マミさん」
「そうね、美樹さん」
さやかののんびりとした声に、マミも同じくらいのんびりとした声で応えた。何時も穏やかでのんびりとした人間に見えるマミだったが、さやかは知っている。心の何処かでは、体の中心では決して隙を作らないという事を。それは彼女の生い立ちがそうしているのだろうという事は容易に想像が付く。
しかし、今のマミは心も体も丸裸に近い状態だった。隙だらけだった。体は脱力しきっており、心の中核に張り巡らされた壁は完全に取り除かれている。学校では決して見せないその姿は、さやかやまどか、ほむらの前でしか見せないそれで、それがさやかにとってはとても誇らしく嬉しかった。
認められているようで、嬉しかった。
さやかがマミに、という事では無い。それ以上の、もっと大きな纏まり。
仲間で有るという事。
仲間で居て良いのだと。そう認められている事が、とても嬉しかった。そんな単純な事が、単純に嬉しかった。どうしてそんな気持ちになっているのか、さやかにも良く分からなかった。さやかは友達が多いほうだし、仲間と呼べるような関係の友達がこれまでに居ないわけでも無かった。
だが、どうしてこんなに、彼女らと一緒に居る事が…………こんなにも満ち足りるのか。
「ねぇ、美樹さん」
夕焼けの日差しが窓から入り込み、マミの背中を、部屋の一部を同じ色に染め上げていた。桃色の様な赤と、オレンジに近い黄色と、暗い蒼とが混じり合った、独特だが見慣れた光。
「なに? マミさん」
「知ってた? 私、何時も一人ぼっちだった」
さやかは、マミの言葉に、顔を僅かに傾けた。傾けると、夕焼けの光が、暖かな熱をもってさやかの顔を照らした。暖かくて、心地良い。
「今、そうじゃ無いと思えるのは、美樹さんや鹿目さん、暁美さんのおかげだから…………だから、有難う」
首を傾げて言うマミは微笑んでいた。しかし、何処までも真面目に、本心で話している事が、簡単に理解できた。
「そっ…………」
言われて、さやかは言葉に詰まった。お礼を言うのは、きっとこっちの方だとそう考えていたのもあるし、なんというか、妙に気恥ずかしかった。
「っ…………いう事は、あの二人が起きてる時に言ってくれた方が、嬉しいっていうか」
なんというか。
と、語尾に行くほど、声を小さくして、何とかそれだけ返した。かなり聞き取りづらかったはずだが、どうやらマミは全て聞き取っていたようで、
「だって、恥ずかしいじゃない」
と、屈託の無い笑顔で笑った。
顔が赤く、熱くなるのを自覚しつつ、さやかは思う。やはり、礼を言うのは、こちらの方なのだろうと。
仲間の世界。
この世界はきっと、外側の誰にも理解されない、閉じた世界だ。
だからこそ、きっと美しい。
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夜の恥ずかしいポエム的な感じのアレで描きました。なので短めです。
この子達にはゆるゆるした空気が似合ってますよね。