No.271384

【編纂】日本鬼子さん二「せーの、で行こうか」

歌麻呂さん

「……乳について語りてえ」
「乳の話を、しようじゃないか」
「お友達に、なって下さいませんか?」
 彼ら彼女ら鬼の子ら、二人は祠で出会いたり、異なる二人は出会いたり。

続きを表示

2011-08-12 21:23:15 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:957   閲覧ユーザー数:954

「日本さん。アタシは別に疑いたいわけじゃないんだ」

「はい」

「祠が異次元への入口で、日本さんがアタシたちと違う世界に住んでるってのも、ギリギリアウトな展開だけど、まあ許容範囲をしようか」

「はい」

 さも当然だ、と言った口調に調子が狂う。

 

 現在アタシたちは祖霊社の賽銭箱の向こう側、社の奥にある祠まで入ってしまっていた。床や壁なんてない祖霊社は、腰下ほどの背丈の木柵を超えてしまえば、楽に祠まで行けてしまうのだ。

 いやいや、さすがにこれはバチ当りすぎだろ、と思った。でも既にバチ当りな行い(灯篭に腰掛ける、境内で卑猥な同人誌を読む等々)をしているので、なんかもう自暴自棄になっていた。

 

 まあここまでのことを「許容範囲」としていい。問題はこれだ。

「本当に、さっきの合言葉、言わなくちゃいけないの」

「はい」

 

 合言葉。

 これがなんというか、おぞましくてたまらない。

 

「私たちは――鬼も神さまも、人々の感情が命の源なんです。合言葉は感謝の気持ちを表してるんですよ」

 人間の言い分を言いたくても屈託のない笑顔を見せられたら閉口するしかない。

 

「か、神さまにしては、えらく腰の低い発想だね……」

 神さまが「感謝の気持ちを表す」なんて想像もつかない。

「時代が時代ですから」

 時代、ねえ。

 

 祠を開ける。中には石が置かれていた。紅葉の模様が彫られていて、その表面は修学旅行のとき訪れた北野天満宮の臥牛像みたいに黒光りしていた。

 

「なら、そうだね、せーの、で行こうか」

 意識的に明るい声を出した。鬼子さんが頷く。

 石に手を触れ、二人で息を合わせた。

 

 せーのっ、

 

 ――ごちそうさまでした!

 

 いやいやいやいや、やっぱおかしいでしょ! 雰囲気ブレイキングだよ! 神さまが人間喰ってる図しか想像できないよ!

 とまくしたてる間もなく、天と地が逆さまになる錯覚に陥った。

 上の方へと引き上げられるような感覚。方向感覚を失い、激しい酔いに襲われる。もうこうなると何も考えられない。「足が地につかない」って慣用句を発明した人もきっと同じ経験をしたんだろう。

 まあ、そんなうまいことを考える暇もなく、そろそろ胃の中のモノがこんにちはしそうになる寸前、上昇は終了した。

 

 すっと地面が現れてきて、不意を打たれたアタシたちは地べたに転げ落ちた。

「しょ、食後一時間はしないほうがいいね……」

「そ、そうですね。私も慣れてなくて」

 日本さんの顔が青い。アタシも同じくらい青いと思う。同人誌ついでに道草を食ってたらアウトだった。よくぞ軍資金を全部使ったぞ過去のアタシ。

 って、お金を使い果たしたのはアタシじゃなくて、アタシに憑いてた心の鬼――あの変態ニワトリじゃないか。

 そう思うと、感謝したら負けな気がした。

 

 

 

 

「田中さん、見て下さい」

 明るく振舞う日本さんの声に、ゆっくり顔を上げてみた。

 紅葉の林の中だった。全ての葉が紅に染まっている。

 まるで夏ではない。

 山の奥みたいだけど、湿気は不思議と感じられず、木々をすり抜ける肌寒いそよ風が日本さんの黒い髪を揺らした。この場所だと日本さんのきれいな髪がより強調される。

 

「私の、おうちです!」

 幹と幹の隙間から黄金色の茅葺き屋根が見えた。それを見た途端、吐き気なんてものはすっかり治ってしまった。

 

 懐かしい、と思った。祖霊社にも負けない古めかしい姿をしているけど、でも庭に出された竿竹や井戸の前に置かれたタライみたいな生活感が、どこかあたたかい。

 こんな家、小学校の「せいかつ」の教科書でしか見たことないのに、どうして故郷に帰ってきたような気分にさせるんだろう。

 

 日本さんの背を追いかける。小屋の周りは拓かれていて、白みがかった下草が切り揃えていた。小屋の脇には畑があって、大根が植わっている。

 南からの日射しがやわらかい。

 ここは秋なんだ。なんで季節が違うのかは分からないけど、とにかく、こっちと向こうは別々の世界だってことだけは分かった。

 

 でもこの世界を満喫するのはまだ早い。

 それは、この世界へ渡る少し前に遡る。

 

「会ってもらいたい方がいるんです」

 数刻前、祖霊社の前で日本さんはこう切り出した。

「般にゃーさんと言って、神さまに御使いされてる方なんですけど」

「はんにゃー?」

 般若のいかめしい顔を思い浮かべた。

「はい。千年以上生きてらしてる猫又さんです」

 般若顔の老猫が脳内で漂う。

「とても気まぐれなんですが、きれいな大人の女性の姿に化けられる、素晴らしい方なんですよ」

 老猫がOL風の女性に変身する。

 もちろん、顔は般若顔だ。

 

「……行きたくない」

「え?」

「だって怖いもん。般にゃーさん絶対怖い」

「こ、怖くないですよ! とっても優しい方で、尊敬できます!」

 

 とっても優しい顔をする妖怪般若女をイメージする。

「余計怖いわ!」

「えっ、そんな……。で、でもお願いします! 一生のお願いです!」

「小学生か!」

「じゃ、じゃあ石鹸付けます! あ、ティッシュもいかがですか?」

「新聞の勧誘か!」

 

 ……と、懇願に懇願を重ねられた結果、仕方なしに受け入れ、今に至る。

 

 

 

 

 想像してたような毒々しい世界ではなくて良かったけども、まだ完全に安心しきったわけではない。

 

「ねねさま!」

 小屋からはつらつとした声がした。

 

 恐怖の般若顔がよぎり、反射的に体を縮こめた。

 ……小さな女の子が飛び出してきた。桜色の浴衣から花びらを散らしながらこちらに向かってくる。この子の周りだけ春がやってきたみたいだ。桜着の女の子もまた日本さんと同じように角を生やしている。まだ生えたてなのか、日本さんのような厳つさは感じられず、むしろ愛着が湧く。

 

 女の子はちっこい腕でギュッと日本さんに飛びついた。

「えと、この人が……般にゃーさん、なの?」

「まさか、違いますよ」

 日本さんはほほえんで桜の小鬼の髪を撫でた。そのたびにアホ毛がぴょんぴょん跳ねる。

 

「この子は小日本(こひのもと)です。みんなからは『こに』とか『こにぽん』って呼ばれています」

「こにぽんだよ!」

 女の子はツインテールの髪をぴょこんと揺らし、お辞儀をした。それからの満開の笑顔に、アタシは震える何かを感じ、お持ち帰りしたくなる衝動に駆られた。

 

「アタシ、田中匠。よろしくね、こにぽん」

「うん! よろしくー」

 裾から桜を舞い散らしながらぴょこんと跳ねる。目を細め、口をやんわりを開けた屈託のない笑顔――輝かしいにぱにぱスマイルに射抜かれた。

 だめだ、アタシロリコンになる。

 

 この笑顔を見たら大きなお友達がたくさんできてしまう。危険すぎる。この笑顔は危険すぎる。軽く人を殺せる。歩く殺人兵器だ。見たら悶える、触れたら死亡。

 でも、でも。

 もう一度だけ、こにぽんのあどけない様相を顔だちを見る。

 初対面のアタシに対する無防備な笑顔。大人の嫌なところなんてきっと何もかも全部知らない。天真爛漫、純粋無垢。

 

 もうダメ、抱きしめる!

 そのときだった。

 

「小日本に触れるな、人間!」

 

 小屋からの怒鳴り声に、アタシは硬直した。次こそ般にゃーか? いやでも声が妙に男の子っぽい。

 振り向くと、ズカズカと歩いてくる袴の少年がいた。いや、頭に茶色い獣耳を付けているから、人型の犬か狼か、もしくはコスプレイヤーだ。とにかく八重歯を剥き出しにした少年が明らかな敵意、もとい殺意を持って向かってきている。

 決意に満ちた眼差しは確実にアタシを八つ裂きにする気満々だった。

 

 これ、ちょっとヤバいんじゃない?

 

 

 

 

 でも、その幼い顔のせいで孤狼の威嚇がただ何かをガマンしているようにしか見えない。本気の噛みつきと見せかけて甘噛みでもしに来るんじゃないかと思ったのがいけなかった。

 

「か、かわいい……」

 口は正直だった。

 

「な、なな、何言ってんだよ!」

 犬っころが明らかな動揺を見せた。

「こ、小日本に触れでもしたら、すぐにでも噛みつこうとしてんだぞ!」

「うん、その反応がかわいいんだよ」

「ばっ……!」

 ダメだ、反応が理想すぎる。

 このままじゃ心の鬼がいなくてもショタコンになってしまう!

 

 般にゃーの存在なんてどうでもいい。

 こにぽんやらこの犬っこやら、この世界最高じゃないか!

 

「わんこ、田中さんは警戒しなくても大丈夫よ」

 わんこくんは不服そうだったけど、日本さんの言葉に従い、しぶしぶ威嚇をやめた。

「紹介しますね、この方は人間の田中匠さん」

「人間の紹介なんていらねえよ」

 この少年くんは人間嫌いらしい。なかなか面白そうじゃないか。

「で、こっちが守神見習いのわんこです」

「み、見習い言うな!」

「なまえはまだない、だよ!」

「おいこら、ウソ吐くな小日本! 俺の名前はな――」

「と、こんなふうに、少々生意気なところもありますけど、宜しくお願いします」

「鬼子! ムシすんなっての! つか、今のわざとだろ!」

 名前は結局知らずじまいだけど、特に問題はなさそうだ。

 

 とりあえずこの元気坊主は守神としては見習いだけど、いじられにおいては一級の神である、ということが分かった。

 

「よし、じゃあ友情の証に紅葉饅頭、買ってきて」

 郷に入れば郷に従え。人間が神をパシっていいのか分からないけど、多分慈悲深い神さまなら許してくれるだろう。

「はあ? ワケわかんねーよ! 自分で買い行け!」

 懸命に唸ってる姿が逆にかわいい。本人が一丁前と思ってるから余計にそう感じる。

「あ、そういえば私、ようかんが食べたかったんです」

 ふと思い出したように日本さんが口を挟んできた。ファインプレーだとしか思えない。

「こにはおだんご!」

 こにぽんが元気よく手を上げた。

「う、く……。チ、チクショー! あとで絶対金払えよな!」

 絶対だかんな! と捨て台詞を残し、半泣きのまま駆け去ってしまった。

 

 うん、奴はいじられ神であり、パシられ神だ。これから大いに崇めたてまつってあげよう。

 

 

 

 

「あ、こにぽん、般にゃーは?」

 忘れてていいものを。条件反射で周囲を見渡してしまう。般若面を探すも、日本さんの頭に乗っかる般若しかなかった。あれはもしやアタシたちを監視してるんじゃなかろうか?

 

「はんにゃーはね、さっきどっかいっちゃったよ」

 こにぽんが恐怖解消の魔法をかけてくれた。

 ああ、もうこにぽんは鬼なんかじゃない。天使だよ。

 

「ごめんなさい。お出かけ中みたいで……」

 アタシの安堵のため息を何かと勘違いしたのか、日本さんが申し訳なさそうに頭を下げた。

「いいよ。またいるときにでも呼んでくれればさ」

 自分の顔がニヤけてる自覚はある。でも直そうとしたら多分余計に顔が歪むからあえてこの笑顔に似合う台詞をついてしまった。

 

「あの、お茶出します。わんこが帰ってきたら、一緒にお菓子を頂きましょう」

 般にゃーという未だ見ぬ恐怖の存在がいないのであれば、ここは楽園同様の世界だ。静かだし、涼しいし。それに空気もきれいだし、紅葉もきれいだ。

 

「アタシ水汲んでくるよ」

「そんな、私がやりますから、上がっててください」

「いいっていいって。一回井戸汲みやりたかったんだよ」

 彼女の制止を振り切る。この辺りから離れないでくださいね、と背中から忠告された。残念ながらアタシに迷子属性は備わっていないので林の方へふらふら行ったりしないし、この余裕が何かのフラグであるわけでもない。

 

 現代文明の魔窟で生まれ育ったあたしにとって、水汲みなんて初めての経験だ。この井戸は、となりのトトロでメイとさつきが汲んでいたポンプ式の井戸はなく、ただ滑車に吊るされた釣瓶(つるべ)を投入して引き上げる質素なものだった。

 縄の付いた桶を井筒に投じる。ぼちゃり、という音が反響して耳に届いた。

 縄を引くと、思った以上の重みがかかり、腕が持っていかれる。これを上まであげなくちゃいけないのか。

 

 蛇口ってのはすごいよ。ありゃ魔法具だ。その代わり、井戸から汲みあげた水ってのは重みの分だけありがたみがあるんだろう。この水で淹れたお茶は、多分どんなお茶よりもおいしいに決まってるさ。

「最後の、ひと踏ん張りだ」

 気合を入れ、縄に全体重を乗せると、ついに釣瓶が姿を現した。

「やった! 合いたかった、会いたかったぞ!」

 

「へぇ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 

 目と目が合う。

 

 井戸水に浸かった、謎の生物と。

 

 

 

 

 桶の中のそれは魚の姿をしていた。しかし魚にしてはあまりにもアンバランスな顔かたちで、しかも手足が生えている。某落ちゲーのすけとうだらの青魚版をリアル描写したような姿をしている。手は柊の葉っぱを模しているのか、尖った指先と面積のある水かきを持っていた。

 いや、ここまででも気色悪いが、問題はその生臭さにある。真夏の炎天下、浜に打ち上げられたイワシとサンマの腐敗臭を十倍に濃縮させたものよりも強烈だと断言できる臭さ。某落ちゲーのゾンビさんだって苦笑いモンだ。

 

「ど、どちらさまでしょう?」

 待て、慌てちゃダメだ。こっちの世界にしかいない希少種だったら丁重にもてなさなくちゃいけないと思うんだ。

 

「パンツ、よこしてくれるのかい?」

 気色悪い魚に扮した変態を桶ごと地面に叩きつけた。

「丁重にもてなさくちゃとか少しでも考えたアタシがバカだったよ!」

 何が希少種だ。こんなのすぐにでも根絶やしにすべきだ。

「ぼくのどこが気に食わないのさ」

「なんかもう……色々全部だよ!」

 鼻息が荒いとか表面がぬるぬるとかもあるけど、井戸にひそんでいたこと自体が最悪最低だ。

 せっかく水を汲み上げたささやかな達成感を噛みしめようと思ってたのに、それだってぶち壊してくれた。

「色々じゃあ救いようがないね。というわけで、生のパンツを――」

 桶で思いっきりそれを殴った。そりゃもう、一発でばたんきゅうさせる程度の力量で。

「それ以上言ったらぶん殴るよ?」

「てて……もう過去のお話になってる気がするんだけど」

 

 勘違いしないでもらいたい。アタシは基本温和な性格だ、と思ってる。この前怒ったのは半年前、姉が勝手に制服を着て遊んでたときだ。

 それがこのザマである。この変態青魚は「生理的に受け付けない」という最悪のカテゴリーに分類するしかないようだ。

 

「あ! ヤイカちゃんいじめちゃだめ!」

 無性にもう一発桶を入れようかと思ったそのとき、小屋からこにぽんがやってきた。

「こにさん……」

 脚の生えた魚が助けを乞うようにこにぽんに近寄る。わんこさんがいたら即刻噛み砕かれる事態だよ。

 

「ヤイカガシはね、神サマなんだよ!」

 こにぽんはアタシを戒めるように言った。

「わるい鬼をよせつけない、すっごい神サマなの!」

「それ、ホント?」

 こにぽんは頷いた。どうみても「これ」はヒワイドリよりもよっぽどタチの悪いと思うんだけど。

「当り前さ」

 ヤイカガシが自慢げにぬるついた胸を突きだした。奴が動くと臭いも動く。思わず鼻をつまんでしまった。

 

「君たちの世界でも、節分にイワシの頭を戸口に差すだろう? それはぼくを祀ることで邪気から家を守れるからなんだよ」

 確かに、この臭いのする家に入ろうなんて気は起きないな。

「うん、アンタはすごい神さまなのかもしれない。でも、正直この水は飲みたくないね」

「なんで?」

 こにぽんは不思議そうに頭を傾げた。ツインテールとアホ毛がぴょこんと揺れる。

「ヤイカちゃんは、お水をけがしちゃう鬼から井戸を守ってくれてるんだよ?」

「マ、マジすか」

「それにね、お水ににおいはつかないし、ヤイカちゃんとなかよしになれたらね、においも気にならなくなるんだよ!」

 もしかしたら、この変態生足魚はアタシの想像を遥かに上回る高性能ゴッドなんじゃなかろうか?

 

 問題は、どうしても好きになれる気がしないってことだけだな。

 

 

 

 

 仕切り直して水を汲み、難なくお茶は出来上がった。こにぽんの言った通り、風味がヤイカガシの体臭によって害されることもなかった。

 

 アタシと日本さんとこにぽん、それからヤイカガシと、お茶の間で一服しながら雑談をした。

「この世界って、神さまと鬼さんみたいのしかいないの?」

 あのわんこですら神さまの端くれだって話を聞いて、そんなことを尋ねてみた。

「ちゃんと人間もいますよ。この山には住んでませんけど」

 山にも里山のような山と、霊山みたいな神の宿る山があるようで、後者のような山には人は踏み入らないらしい。この山の持ち主が般にゃーだっていうから恐ろしい。

 

 人間がこっちにもいるってのは、アタシらの世界にも神さまがいるのと同じことなのだそうだ。

「ほとんどの神サマが信仰を受けられなくなってしまわれているので、風に漂う木の葉のような存在になられていると聞きました」

 と、日本さんは苦笑い混じりに言っていた。まあアタシが神さまに敬語を使ってないトコからして、神さまなんて死んじゃってるも同然なんだろうなあ。

 

 季節のズレについては、日本さんもわからないらしい。

「ウラシマ効果……じゃないよね?」

「大丈夫ですよ。浦島太郎は男の子ですから」

 あの、そういう問題じゃないすよ日本さん。

 

 他にも、色々な話をした。

 

「鬼子ォ! 乳の話でもしようじゃないか!」

 この世界ではもう何年も鬼を萌え散らしてきたって話をしていたら、ヒワイドリが縁側から押し入ってきた。

 ヒワイドリのような、人間の根本的な部分にひそむ心の鬼は、いたるところに棲まっている。これからもお世話になりそうな気がしてならない。

「はいはい、一昨日しましょうね」

 日本さんはお茶を一口飲み、ヒワイドリの誘いを華麗にスルーしていた。

「ケッ、最近釣れねえなあ。最初ンころはあんなに恥じらってたのによ」

「今でも恥じらいますが、一本調子だから同じ逃げ道を行けばいいだけなんですよ」

「ほぅ」

 日本さん、敵に塩送ってどうすんのさ。

 

「よっし田中ァ! 代わりに乳の話をしようじゃないか」

「ア、アタシに振るなよ!」

 いくら都会育ちといっても、ナンパなんて一度もされたことがないから対処方法が分からない。ナンパされる程度の顔で生まれたかったなと、初めて平凡な顔を後悔した。

「いいじゃあねえか。ちょっとだけ、な、ちょっとだけだからよ」

「それはちょっとじゃないって言ってるのと同じだよ!」

 

 そりゃ、軽い猥談程度ならアタシだってできる。でもこいつは酔ったオヤジと同じテンションだから、もう何をされるのか分かったもんじゃない。

 

「ヒワちゃん、こににならいっぱい話していいよ!」

 アタシの動揺を知ってか知らずか、こにぽんの和やかな笑顔が小屋を包み込んだ。

「こ、こににゃあ、ちと早ェと思うぞ?」

「はやくないもん! こに、もうじゅうぶん、オトナ、だよ!」

 板の胸を張るこにぽんに猥談鶏は焦りを見せた。どうも、この心の鬼は単なるケダモノではなく、礼をわきまえた紳士として見なしてもいいのかもしれない。

 

 

 

 

 と、庭の辺りが騒がしくなる。

「おぉぉまぁぁえぇぇらあぁぁぁっ!」

 怒鳴り声がしたかと思うと、買い物を終えたわんこが部屋に乗りこんできた。

「鬼子と小日本の視界に入るなと、何遍言ったら分かるんだ!」

 元気な奴だ。肩で息をしながら鶏と魚に声を張り上げている。

 

「あ、わんわんおかえりー」

 一方、室内はほんのりな空気が漂っている。少年は構わずヤイカガシとヒワイドリに迫った。

「ヒワイもヤイカも、手ェ出してねえな?」

「オレはただお茶をご馳走になってただけで、別に乳についてベラベラ話して鬼子の困り顔を堪能してたりなんかしてねえぜ!」

「ぼくも、田中さんから助けてくれたこにさんの優しさに甘えてやわらかほっぺをすりすりなんかしてないから安心していいよ」

 うん、確かに二人とも言ってることに間違いはない。

 でもこれ、絶対わんこで遊んでるよね。

 

「あ、そうだ、アタシの紅葉饅頭」

 歯茎を見せて威嚇するわんこの横顔を見て、最重要事項を思い出した。

「こにのおだんご!」

「ようかん、ありましたか?」

 わんこが明らかに不愉快な眼差しを向けるも、膨らんだ麻袋をちゃぶ台の中央に置いた。

「小日本、お団子だ。ちゃんと三色、桃白緑だからな」

「わーっ! わんこ大好き!」

「鬼子のようかんは……悪い、栗味しかなかった。一応季節に合ってるとは思うが、許せ」

「あ、栗ようかん食べたかったんですよ」

 なんという雑用魂だろうか。些細な心掛けが行き渡っている。

「それから田中、お前の紅葉饅頭。……うめーと思う」

 わんこが笹包みを寄こした。

「え、あ、ありがとう」

 あれほど人間を嫌ってたのに、アタシの分まで買ってくれた。

 これがわんこ流の友好の証なのか? そう思うと、思わず顔がニヤけてしまう。

 

「オレのおっぱいプリンはどこだ?」

「縞パンは買ってきてないのかい?」

「お前らは自分で買え! そして二度と来んな!」

 わんこの気苦労を見ると、将来胃潰瘍を患いそうな気がしてならない。

 

「ほう、生意気言うようになったじゃないか」

 ヒワイドリがあからさまな挑発をする。

「鬼子の素っ裸見ただけで真っ赤になるひよっこ坊主が」

「そ、それとこれは話が違うだろ!」

 わんこの顔が赤くなる。かわいい奴め。一方日本さんは冷たい視線を二人に投げかけていた。

「わんこ、もしかして……見たの?」

「みみ、見てねえよ! 見てねえから!」

 わんこが口を開きかけたヒワイドリのくちばしを抑え、言い訳を放った。そういうお年頃なのだろう。

「ヒワイのそういう(よこしま)な考えが嫌いなんだよ! 鬼子をそんな目で見るな!」

「ならば、拳で語るしかねえみてえだな」

 ヒワイドリが翼の手で宣戦の体をとった。

「やってやろうじゃねえか!」

 わんこ坊主も負けじと拳を胸の前に突きだした。

 

「戦うなら外でやって下さいね」

『応ッ!』

 日本さんの無関心な注意に、二人は息をぴったり重ねて返答し、ぱたぱたと庭に下りた。

 仲がいいんだか悪いんだか。

 

 

 

 

「というかさ、あのナリで戦えるの?」

 ヒワイドリを指差し、鬼子さんに訊いた。わんこの身長は目測百五十センチ代である一方、ヒワイドリの体長は三十センチ程度だ。仮に変態鶏が太極拳の師範代だとしても、五倍の体格差を覆すことは無理だと思う。

 

「ヒワイドリは人型に変身できるんです」

「人型ァ?」

 わんこと対峙するヒワイドリを見る。

「なに、擬人化したら五十代前半のバーコードオヤジにでもなるの?」

 というか、それしかイメージできない。

「いいえ。二十歳ほどの青年です」

「まさか、似合わないよ」

 

 日本さんのほうをちらと見て、それから庭に視線を戻すと、ヒワイドリは成人の日特番で警察沙汰を起こす、常識をわきまえない赤髪白袴姿の新成人的な輩に成っていた。

 

「イケメンかよ!」

「どうだ、この姿で乳の話をしてやろうか?」

「されてたまるか!」

 イケメンはイケメンでも、残念なイケメンだ。こっちの方がまだ気が楽だからよかった。心身ともにイケメンだったらの野郎はアタシの天敵だからね。

 

 わんこと擬人化ヒワイドリは二メートルの間を置き、睨み合っていた。動いた方が負けなんだ。

 今紅葉の枝が静かに燃えようとしていた。風に揺れる樹から一葉の火の粉が舞う。火の粉は風の流れに身をまかせ、やがてわんことヒワイドリの間にふわりと落ちた。

 

 その瞬間だった。

 

「タァッ!」

 アタシがまばたきをしたその間に決闘は急展開を迎えた。わんこが先制攻撃を仕掛けたのだ。

 わんこの裏拳が繰り出される。アタシの目に負えないスピードだ。そしてそれは――、

 

 そのときには、ヒワイドリがわんこを背負い投げていた。

 

 犬っころは地べたに大の字になって転がっている。一方擬人化した心の鬼は興味なさげに敗者を見下していた。

「終わりか、青二才め」

「まだ終わってねえよ、変態」

 のらりとわんこが立ち上がる。細いなりの割にはタフみたいだ。

 

「……ヒワイドリは、ああやってわんこを鍛えてあげてるんですよ」

 湯呑を手にした日本さんが外を眺めながら呟いた。

 わんこの肘打ちをかわしたヒワイドリが首筋めがけてチョップを繰り出す。それを腕で防ぎ、左の裏拳打ちで反撃する。はたから見れば喧嘩にしか見えないけど、二人にはそれ以上に得るものがある戦いなのかもしれない。

 喋らなければ擬人化したヒワイドリの心もイケメンじゃないか。喋らなければ。

 

 

 

 

「ねねさまぁ」

 こにぽんのふやけた声がした。わんこたちにばかり目がいっていて、彼女のことを忘れかけていた。

「あらあら、眠くなっちゃったの?」

「うー……」

 目を閉じまいとする努力は認めるが、頭を上下に揺らしている。すっかり睡魔にやられてしまっているようだ。

「すみません、ちょっと寝かしてきますね」

 こにぽんを抱きかかえ、鬼子さんは立ち上がった。この子はわんことヒワイドリのひと騒動にも動じずオネムになってしまったのか。寝る子は育つ……って、それは赤ちゃんに使うコトワザだったような。

「ヤイカガシと仲良く待っててくださいね」

 そう言って鬼子さんは部屋を出ていってしまった。

 

「二人きり……。仲良くしようね」

「つか、アンタまだいたんだ」

「ゲヒッ、やだなあ」

 下品な笑い声だ。どこからその効果音を出しているんだろう。贅肉のようなエラをヒクヒクさせ、人間のようにお茶を飲んでいる。気持ち悪くてしょうがないし、においも強烈だからせっかくわんこが買ってくれた饅頭が台無しだ。

 

 そのわんこはと言うと、依然ヒワイドリと拳を交わしていた。見た感じわんこは劣勢だけど、体力はまだまだ残っているようにみえる。

 小屋の中は気まずい空気が漂っていた。ヤイカガシが頭部に付いている大きな目をきらきら輝かして話題を待ち望んでいる。

 ムシだ、ムシしよう。

 

「アンタはさ、どーして日本さんに魅かれたワケ?」

 意思とは裏っ返しに尋ねかけるアタシがいた。原因はたぶんツッコミ気質のせいだと思う。何だかんだで見捨てられない性格なんだよなあ。

 

 というか、こんな質問一択問題じゃないか。

「やっぱ、パンツ目当て?」

 付け足すと、ヤイカガシはゲスゲスと気味悪い声で笑った。

「まあ今となっちゃあそうだけどさ」

 

 こいつ、女の敵だ。

 こいつ、女の敵だ。

 大事なことなので、二回でも三回でも言ってやろう。こいつ、女の敵だ。

 

「でもね」

 女の敵が続けた。

「鬼子さんに抱いた最初の気持ちは、憧れだったんだ」

 

 憧れ。

 なんか、どっかの誰かさんが抱いた日本さんへの第一印象と似ている。

 

 

 

 

「強くて、カッコよくてさ。ぼくなんて名ばかりの神だけど、とてもやさしく接してくれたんだ。そのとき思ったんだよ。ぼくなんかじゃ一生かけても、何代かけても及びはしないってね」

 ヤイカガシはぽつりぽつりと呟いていた。

「でも、せめて彼女のように生きたい、生き様に近付きたい……そう思って、鬼子さんのお供になったんだ。一緒に旅をしたりもしたよ。懐かしいなあ」

 アタシに言ってるんじゃなくて、自分に問いかけているようだった。

 

 懐かしい、と口にできるくらい、ヤイカガシと日本さんは長いこと一緒にいたのだろう。

 

「田中匠さん、と言ったね?」

「はい」

「君を見ていると、鬼子さんと初めて出会ったころを思い出すよ。あのときの新鮮な志をね。ぼくには鬼子さんの隣に立つことはできなかったけど、きっと田中さんなら並んで歩けると思う」

 

 ヤイカガシが深々と頭を下げた。

 

「鬼子さんを愛する一人として、一緒にいてあげてください。宜しく頼みます」

「や、やだなあ。なに? パンツがないまま三分経つと禁断症状出ちゃうクチ?」

 ヤイカガシの奇行に、戸惑いを通り越してすらりと冗談が出てしまう。

「まあ、そんなとこだね」

 相変わらず拒絶反応を起こしてしまう笑い声を上げる。

 けど、部屋にはお茶のほのかな香りが漂っていた。

 

 鬼子さんの隣がどうしてアタシなんだろう……。

 

「さて」

 アタシの疑問を置いてけぼりにし、ヤイカガシは庭に降りた。

「わんこさんの相手でもしようかな」

 そうぼやくと、彼はたちまち姿を変え、百八十センチの身長を得た。

 見た目は二十代前半の美男子侍といったところだ。深藍の羽織と薄藍の胴着、黒染めの馬乗袴(うまのりばかま)を身に付けている。長髪を柊の髪留めで結っていた。

「す、すごい……」

 知らぬ間に立ちあがっている自分がいた。

「げへ、驚いて思わず立ち上がっちゃったときのパンツ、欲しいねえ」

「あげるか! アンタの株大暴落だよ!」

 爽やかすぎる美青年スマイルにツッコミをかましてやった。

 

「参戦するよ」

 腰に差された刀を抜き、ヤイカガシはそれをわんこに向けた。

「な、卑怯だぞ!」

「大丈夫、いつもみたく峰打ちでやるからさ」

「そーじゃねえよ! 二対一だろうが!」

「わん公、オメェ本番が全部一対一だと思ってんのか?」

 擬人化コンビに挟まれたわんこが唸りだした。

「チ、チクショー! 二人まとめてかかってきやがれ!」

 遠吠え空しく、案の定変態コンビに散々に叩きのめされている。わんこのその真っ直ぐなトコ、嫌いじゃないよ……。

 

 

 

 

 ――そんなこんなで日本さんちの初訪問は終わった。

 楓の巨木に半分めり込んでいる紅葉石に触れると元の世界に戻れるらしい。

 合言葉は行きとは逆で『いただきます』だ。採用理由は『ごちそうさま』と同じなので省略する。

 省略したって私見は変わらない。

 うん、やっぱおかしいよ、この合言葉……。

 

   φ

 

 おかしい。

 

 何かがおかしい。

 何がおかしいって、そりゃあの田中って人間の行動やら無知っぷりやら、言動やら……あいつの全てがおかしい。特に俺や鬼子に対する態度が人間の常識をぶっ壊してくれている。

 

 神を畏れていない。鬼をも恐れない。

 そんな人間見たことがなかった。

 しかし、その田中はもう紅葉の刻印がなされた大石の先にある世界へ行ってしまった。

 

「なあ、鬼子」

 あいつがこの世界に来てから、ずっと胸中で渦巻いていたものを問いかける。

「あいつにまだ何も言ってないだろ」

「何って、なにをですか?」

 

 また誤魔化した。

 鬼子は自分の過去の話になるとからくり人形のような反応をする。いつものやわらかい日差しのような温かみを遮断し、白んだ紅葉のような雰囲気で接するんだ。

 

「こっちの人間が、鬼をどういう目で見てるかって――」

「田中さんには、関係のない話ですよ。この世界の人間とは、会わせませんから」

 即答だった。答えをあらかじめ準備しているってことは、それ相応の覚悟があるんだろう。

 でもそんな覚悟、いくら俺でも許せるわけがない。

「あのな、そんなのボロが出るに――」

「わんこ、いいですか?」

 また遮られた。こういうことになると鬼子は決まって頑固者になる。

「田中さんは、『向こうの世界の案内人』なんです。向こうで戦いに巻き込まれることはあっても、こっちの世界で戦いに巻き込まれることはないんですよ?」

「どうして……そんな冷めた嘘つくんだよ」

「嘘じゃありません」

 

 違う。

 そんなの鬼子の本心じゃない。こんな枯れ紅葉みたいな鬼子が言うことが本当なわけがない。

 ならどうしてそんなことを言うんだ。そんなこと……。

 

「鬼子……まさかお前、ただ単に自分の境遇を知られたくないからじゃねえよな?」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけだったが、鬼子と視線が合った。

「言ったはずです。田中さんには関係のない話だと」

 誤魔化した。自分の過去を知られたくないから田中にそれを隠そうとしている。確かにこっちの方が理に適っているようだ。

 

 でも、どうして?

 どうして嘘まで吐いて、田中って人間を擁護するんだよ。

 

 分からねえ。分からねえよ、鬼子……。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択