「なぁなぁ、不壊のコレってどうなってんの?」
好奇心に満ちた三志郎の声に、不壊は胸元へ視線を落とした。
三志郎は不壊に大きく背を預け、顎を大きく持ち上げて不壊を見上げている。もし不壊が胸元でその背を受け止めていなければ、そのままひっくり返っていただろう。三志郎の丸い双眸が自分の耳元から下がる金色の輪を映しているのに気付き、不壊は右手でそれに触れた。
「これかい?」
不壊がそれを軽くつつくと、三志郎の瞳に映った金色のリングも小さく揺れている。三志郎は不壊の言葉に笑みを浮かべると、不思議そうに口を開いた。
「これさ、どうやって繋がってんの?」
「どうって?」
「だってさ、耳ともそうだけど、リング自体は繋がってないじゃん?」
三志郎は不壊に預けていた背を起こし、不壊へと体を向き直した。そして膝を立てて少しだけ腰を浮かすと、不壊の右の耳飾りへ手を伸ばした。人差し指だけを立てた左手で、不壊の耳元から一番離れている2つ目のリングに触れ、それの上側をなぞりながら、リングとリングの隙間に指を滑り込ませていく。
「ほら、やっぱり浮いてる」
リングの間をすっと指が通り抜けて、三志郎は不思議そうに首を傾げた。
不壊のピアスは、金色の小さな輪が2つ連なっている。しかしそれぞれの輪と耳とは直接繋がっておらず、それでいて連なっているように一緒に動く為、三志郎には不思議でたまらないらしい。
「これ、どういう仕組みになってんの?」
三志郎は不壊のピアスのリングを指でつつきながら、顔をさらに寄せた。目には見えない糸を見つけようかとするように、目を凝らしている。
「どうって言われてもなぁ」
不壊は大木にもたれた姿勢のまま、肩をすくめた。
「こういうものだからなァ」
気にしたことも考えたこともないと不壊が口にすると、三志郎はピアスのリングから不壊の方へと顔を移した。
「ふぅん」
納得したように大きな瞳で不壊を見上げてはいるものの、小首を傾げている。
「ところでさ、不壊ってこういうのが好きなのか?」
「こういうのって?」
不壊が口元に僅かな笑みを浮かべると、三志郎ははにかんだように、不壊の耳元を指さした。
「こういう、シンプルな金色のやつ」
「別にそういうわけじゃないが……」
個魔になった時、たまたま身につけていた物がそのままくっついてきただけだと、不壊は説明した。
「もしかして貰い物?」
「まぁな」
「誰から?」
三志郎の無邪気な視線に不壊は僅かに眉を寄せ、視線を上げた。
空を覆う黒ずんだ厚い雲が、闇の中に浮かび上がっていた。月どころか星さえない逆日本の夜空は、人工の光で溢れた夜から縁遠い離島暮らしの三志郎にさえ、不安を感じさせるほど暗いものらしい。
けれどいつもなら、昼間の疲れで三志郎はすぐに寝付いていた。しかし今夜は、眠れないのか、それとも眠くないのか、なかなか寝付こうとしない。
「あ、言いたくなかったら別にいいんだぞ」
気遣うような三志郎の言葉に、不壊は苦笑を浮かべた。
「はは、優しいねェ、兄チャンは」
不壊が視線を落とすと、三志郎の背後に、緩やかな上り坂になった地の龍の道が目に入った。地龍の骨とアヤカシ逆門の根が元となったその道は、うねうねと森の奥まで続いている。
次が、最終トーナメントの決勝戦だった。
だからこうして三志郎と語り合うのも、今夜が最後になるかもしれない。そう考えると、自然と不壊の口は軽くなった。
「なァに、大した相手じゃない。……俺の母からだからな」
不壊が三志郎に視線を戻すと、三志郎は大きな瞳をさらに見開いていた。
「不壊にもカーチャンいるの?」
「そりゃぁいるさ」
妖は、生まれによって大まかに三種類に分けられる。
一つ目は自然発生的に生まれたもの。二つ目は、人間やその感情が妖に転じたもの。そして三つ目が、人間のように子を成して一族を形成していくタイプだ。
不壊と向かい合ったまま胡座を組んだ三志郎は、興味深そうに不壊の解説に耳を傾けた。
「じゃぁそのピアスって、とっても大事なものなんだ?」
「さァて、どうだか」
母との思い出の品のはずなのに苦笑いを浮かべる不壊に、三志郎は怪訝そうに首を傾げた。しかし曖昧な不壊の言葉を照れ隠しと受け取ったらしく、三志郎は目を細めた。
「すごく不壊に似合ってて、俺は好きだよ」
「……そりゃどうも」
小さな笑みをこぼす三志郎につられるように、不壊は口元を綻ばせた。
「なぁ、不壊のカーチャンってどんな人だった?」
「どんな、ねェ……」
三志郎の真っ直ぐな瞳を受け止め、不壊は記憶の片隅に残る母の面影を思い出そうと、大きく眉を寄せた。
「一方的というか、一度こうだと決めたら周りが何を言っても変えないくらい、頑固だった気がするなァ」
顎に手をやり、僅かに首を傾けながら、不壊は小さな溜め息を漏らした。
「なんだ、不壊と一緒じゃん」
「そんことねェだろ?」
不壊は心外だと両眉を寄せると、三志郎は苦笑いを浮かべている。
「だって、不壊も結構頑固なとこあるもん」
「そうかァ?」
自分で気付いてないだけだと、三志郎は小さな笑い声をたてている。
「兄チャンだってそうだろうが」
「えー、俺はそうじゃないもん」
不壊の大人げない指摘に、三志郎は唇を尖らせている。
抗議すればする程それを認めるようで、けれど何度か二人で言い合った後、笑いあった。
穏やかな風が吹き抜け、帽子を脱いでいる三志郎の髪を小さく揺らしていく。
「お、そうだ」
不意に思い付いて、不壊は自分の左耳へ両手を伸ばした。ピアスの一番下のリングを右手で掴み、その上のリングを左手で掴む。右手を軽く引っ張ると、乾いた音と共にリングはあっさりと外れた。
「兄チャンにやるよ」
不壊の言葉と共に差し出されたリングに、三志郎は何度も目を瞬かせた。不壊の顔とリングを見比べて戸惑う三志郎の左手を取り、一瞬だけ躊躇った後に、不壊は三志郎の親指にそのリングをはめた。
「ほら、指にでもはめときな」
「……大きすぎるじゃん」
三志郎が胸元で指を広げると、親指でも余りすぎて、ぶらぶらと小さく揺れている。
「兄チャンが大きくなったら、そのうちはまるだろ」
「こんなに指が太くなるわけねーじゃんか」
大雑把な不壊の物言いに、三志郎は軽く唇を尖らせた。しかしその頬はほんのりと赤みが差して、嬉しそうに両目を輝かせている。
「じゃぁ革紐でも結んで、首からぶら下げとけばいいさ」
不壊は三志郎の額を小突きながら、言葉を返した。
「……でも、何で俺にくれるの?」
「そうだなァ」
かすかに不安が入り交じった声音とその双眸に、不壊は言葉を濁した。
「約束みたいなもンかな」
「じゃあさ、妖逆門が終わっても、また一緒に旅をしようぜ」
まだ行ったことがない場所が一杯あると無邪気に顔を輝かせる三志郎に、不壊は目を細めた。
「そうだな。ずっと兄チャンと一緒にいてやるよ」
「絶対だぞ?」
大事に持っておけよと告げると、三志郎は嬉しそうに頷いて、ジャンパーの内ポケットに仕舞った。
「さて、もう遅いからそろそろ寝ろよ、兄チャン」
不壊が促すと、三志郎はジャンパーを脱ぎ、枕代わりに丸めて地面に横になった。両目が閉じられ、何度か寝返りを打った後、小さな寝息が唇から漏れ始めてくる。
ごめんな、兄チャン。
その横に腰を下ろしながら、不壊は声に出さずに胸の内で呟いた。
決勝戦の相手に勝った後、鬼仮面がどういう手段に出てくるかは分からない。しかし、おそらく今後ありうる事を予想すると、自分が個魔としてやるべき事は見えていた。
そしてその結果、どうなるかも不壊には予測できている。
覚悟といえば大袈裟だったが、その先に待ち受けるであろう結果は、すんなりと受け入れられた。
しかし三志郎は、その時が来たらどうするだろうか。
「お互い頑固だから仕方ねェよな」
不壊は三志郎の寝顔を見下ろしながら、囁くように呟いた。三志郎が目覚める気配がないのを確認し、小さな笑みを漏らす。
「でもどんな結果になっても、俺は兄チャンとずっと一緒だからな」
そして、不壊は自分のぷれい屋の名を呼ぼうと唇を開いた。だが声を発することなく、唇だけがその名を紡いでいく。
不壊は、空を仰いだ。
そこには淡い光を投げかける月もなく、瞬く星もない。
しかし、厚い雲の奥に広がっているであろう夜空に向けて、不壊は、もし自分が消えても約束の印は三志郎の手元に残るようにと願った。
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最終トーナメント決勝戦直前の不壊と三志郎の話です。サイトから転載。