No.261347

デニムスカイ 第七話 「People -Easy Mode-」

M.A.F.さん

二十二世紀初頭、一面の草原と化した東京。
主人公の少女・ネオンは黒いパイロット・ワタルの導きにより飛行装置「フリヴァー」を身に着け、タワー都市を飛び出してスポーツとして行われる空中戦の腕を磨く。
空を駆ける男女のライトSF。
◆ここから空戦が本格化。サイトに第四十三話掲載いたしました。

2011-08-06 01:27:57 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:322   閲覧ユーザー数:321

 夏の盛り。

 砂の城に似た立派な雲が、いくつも立ち並び輝いている。

 その頂をシルフィードの翼が突き崩す。

 進む先には頭ほどの円盤。

 トリガーに親指をかける。

 発射。

 仮想弾が走る。

 円盤は右に避ける。

 追い遅れ円盤が遠ざかる。

 発射。ディスクは左に。また距離が開く。

 空戦練習用のドローンディスクは、本当にただの円盤に見える。

 そのくせ、一発の弾も当たらないのだ。

 ネオンの痺れが切れもする。

 頭を下げ突っ込んだとき、

 円盤は右上に消えた。

 ブザー。

 この午後三回目だ。

 大人しく降りると、迎えるワタルの手にはすでに憎たらしいディスクが戻っていた。

「うー……お昼までは勝てたのに……」

 前傾姿勢のまま唇を噛むネオンに、ワタルは短く笑う。

「お前のレベルに合わせてるんだよ。勝てなくなるのは上達した証拠」

 そうは言っても、飛ぶこと自体おかしいようなただの皿に軽くあしらわれてはネオンのまなじりも吊り上がる。

 ワタルは仮想弾の代わりに眼力を浴びるディスクの端を握り、思案顔の横に掲げていた。

「まだ慣れてないからな、ディスクを見てるだけでも苦労するだろ」

「はい」

 免許を取ってから一月ばかりだ。

 物の見方さえ、空中では身についていない。

「動きの加減もできてないし、そうだな、斑鳩より動き易すぎるだろ?これも慣れないとな」

「じゃあ、もっといっぱい飛べばよくなるってことですか?」

「ああ、とにかく飛びまくるのが一番利くはずだよ」

 言いながらワタルは、ディスクを持った手を振りかぶった。

「っと、ほら、行ったぞ!」

 ワタルの投げたディスクは再び空中高く逃げていく。

「あっ、ちょっ、ずるいですよ!」

 踏み出す足元がふらつく。

 なんとか飛び立てた。

 一気に上昇。

 ディスクはすでに芥子粒になっていた。

 風防の左上側に赤い三角形が映る。ディスクはこの先だ。

 これがなかったら到底見つからないだろう。

 シルフィードの快速で間合いを詰める。

 追いつくなりディスクは右へ。

 今度は遅れず追えた。

 こちらの方が速い。

 皿が近付く。

 いける。

 そう思ったとき、

 ディスクは腹側に消えた。

 またしてもブザー。

 再挑戦、見失っているうちに背中から急降下を受けた。

 再々挑戦、後ろに貼り付かれ、かわしきれず粘り負け。

 その次の立ち合い。

 ディスクの背後にぴたりと付いた。

 円盤は左右に身を揺する。

 今度はもう離れない。

 焦ると逃げるか。

 いつ撃てる?

 逡巡の隙に、

 円盤は裏返り落ちる。

 なんて事。

 後悔をブザーが煽った。

 

「日が暮れてきた、今日はここまでだ」

 カフェの軒先。ディスクはワタルの手で分子プリンターの回収口に落とされた。

 分解され原料液の配管に勝ち逃げしていくディスクを、ネオンは眉間に皺を寄せて見送る。

 ワタルの口が小さく開いた。

「お前がそうやって悔しがってくれて嬉しいよ」

 信じられない一言。

 勝てないことを喜ぶのか。

 微笑さえ浮かぶ顔をディスクに続けて睨んでいたら、涙がにじんできた。

「悪い、怒るなよ。真剣になってくれるのが嬉しいってこと」

 ワタルの目元は、やや力を失っていた。

 西日の差すカフェに、今日ものんびり飛んでカフェで過ごしていたパイロット達の笑い声が響く。

「明日から五日出かけるから。デモフライトで」

 ワタルは右手の指先をすぼめて差し出した。

 手の平に受け止めると、データが一揃いネオンに受け渡された。

 使っていたディスクの画像が手の上に浮かぶ。

「しっかり練習しろよ」

「はい」

 

 翌日。

 雲は少なく、日差しは奔放に降り注いでいる。

 シルフィードが草地に降りると、水滴ができそうな湿った空気が舞い上がった。

 ディスクを作りにカフェの軒先に近付く。

「――それはねーって!」

「いやマジ。マジそんなんだったから!――」

 店内は相変わらず若いパイロット達の笑い声が賑やかだった。壁際には模擬銃を装備した彼らの機体が並んでいる。

 ネオンはプリンターに置こうとした手を止め、店内を眺めた。

 彼らと比べて今どのくらい実力があるのだろうか。

 ディスクには散々苦汁を嘗めさせられたが、相手が人間のパイロットだったらどうだろうか。

 どこまで通じるのだろう。

 物言わぬディスクを追うよりも、それを確かめたくなった。

 ネオンは恐る恐る店の軒をくぐり、テーブルに近付いた。

「――したらさ、そいつ。そいつ何つったと思う?」

「あ、あのっ」

 一言で静まった。

 話の中心だった手前の一人以外、皆こちらを見ない。

 その中には、初めてここに来たときの柿色のパイロットの姿もあった。

 相手を頼んではいけなかったのかもしれない。

 しかし話を遮っておいて頼みをやめるのもおかしい。ネオンは小さく息を吸った。

「あの、試合をしていただけませんか……?」

「あ、ああ、いいけど……」

 薄青色の飛行服を着た手前のパイロットが小刻みに頷きながら言い、ゆっくりと立ち上がった。

 他のパイロットは動かない。

 

 カフェの周りの刈られた芝生に、ネオンは西向きに立って機体を身につけた。

 背後で相手が準備している気配がわかる。

 唾を飲み込む。息をつく。充電量を確認し、機体の状態を確認し、また充電量を見る。

「もういい?」

「あっ、はい!」

 答えるやいなや草を散らす音が聞こえた。

 ネオンも、息を大きく吸い真正面に飛び立つ。

 距離をとるために進みながら、ネオンはディスクとの練習を思い起こした。

 後ろについたと思ってかわされたとき。逆にこちらが逃げられなかったとき。

 自分の失敗やディスクの好手、ワタルのアドバイスを振り返った。

 飛び立って三分、左に百八十度旋回。

 向こうに小さく相手の姿が見える。お互いが見える範囲で始める略式の試合だ。

 こちらのほうが少し高度がある。

 シルフィードの性能のおかげか。

 相手を左に見て緩く旋回。

 ディスクよりはずっと大きくて見やすい。

 内側に傾いた姿勢が分かる。

 その背中、左下にダイブ。

 相手が視野の中で退がる。

 真正面、射撃円錐に近づく。

 隙が妙に大きい。

 これで済みはしない。

 その読みは半分当たった。 

 急反転。

 相手は右に跳び退く。

 虚空に飛び込まされた。

 この隙に逃げられるだろう。

 頭を上げてターン。

 相手の機体にシルフィードほどの性能はない。純粋な足ではこちらが勝つ。

 では相手は下に落ちるか。

 曲がり切ったその先、

 相手を見上げた。

 おかしい。

 なぜ逃げない。

 すでに模擬銃の先だ。

 もう相手に打つ手はない。

 彼は与えられた隙を捨てた。

 初めて来た日、怒鳴り散らしたワタルの顔がちらつく。

 高度で優位に立てたのも性能のためでないとしたら。

 茶番か。

 ブザー。

 

「お疲れ。始めたばっかにしちゃうまいじゃん」

 相手は抑揚なく誉めると、いそいそと機体を畳んでテーブルに戻っていった。

「あー、お疲れ」「んー」

 試合を見てもいなかった仲間が迎えている。

 負けて悔しくも、ないのだろう。

 機体を身につけたままプリンターに歩み寄り、手をついた。すぐに出てきたドローンディスクをつかむ。

 振り向きざまにそれを放り、

 離陸。

 急上昇。

 マーカーがなくてもディスクの位置が分かった。

 ディスクの影が膨らむ。

 射程圏が迫る。

 円盤は右折。

 読んでいた。

 もう遅れない。

 だが円盤の旋回が速い。

 昨日よりもっと本気なのか。

 徐々に離されていく。

 円盤が頭上に来て、

 瞼の縁にある。

 ふっと消え、

 ブザー。

 急いで降り、息を整えた。そしてディスクが手に戻るなり、

 また投げる。

 機体の充電量はまだ満タンに近い。

 

 探し、追い、取り逃がす。

 見つかり、追われ、逃げる。

 撃たれ、降り、また飛び立つ。

 ブザーを嘆きもせず繰り返した。

 真夏の大気は熱を帯びていく。

 

 七回ブザーを聞き、八回目の勝負。

 ディスクは目の前で裏返って落ち、

 それはネオンも同時だった。

 円盤は逃げ損ねた。

 見失わない。

 的は正面。

 発射。

 ブザー。

 ディスクの向こうは、草原。

 すぐに頭を起こす。あまり高度がなく危ないところだった。

 直下に着地してみると、草が腰ほどまでも伸びているのに気づいた。降着装置に絡みつく草に、がさがさと手荒く受け止められる。

 カフェからは遠い。

 シルフィードを肩から外し、主翼に手をかける。

 主翼は胴体に寄り添おうと曲がり、その間に草が挟まってきた。草を取り払うか細い指が、葉や茎に擦れてひりひりする。

 機体を畳み終えるとネオンは、胴体を包む主翼に手をつき、身を預けた。体重をかけられた機体は草を押しのけてゆっくり倒れる。

 すっかり横倒しになった主翼を布団代わりに、華奢な体を投げ出した。

 腕が重く、顔面が蒸し暑い。頭がぼんやりとして、少し眠い。

 見上げた空中を、ようやく戻ってきたディスクが滑っていた。

 相変わらずただの皿にしか見えない。

 それでいて、ネオンの持つものを全て受け止めたのだ。

 太陽はとっくに天頂を降り、西の地平線から雨雲が迫っていた。

 主翼に一つ、滴が落ちる。


 
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