*この物語はフィクションで実在の登場人物、団体等と一切関係ありません。
* * *
千歳空港に降り立ち、タクシーで駅から乗り継いだ二階建高速バス。ちらほら空席も見えるものの5月の下旬という観光シーズンから外れた時期にしては、それなりの利用客数だろう。
後部座席は何故か空いていて、自由に席を選ぶ事が出来た。海側の窓際に座って、延々と横を流れる風景をぼんやりと眺めていたツグに窓ガラスを伝う様に流れる雫が、外界の天候の変化を知らせてくれた。
ツグの脳裏には様々な想いが浮かんでは結論も出ないまま、また消え再び現れる。
これからの事を。
今、向かっている村を出なければならなかったあの時の事。
そして……1人の忘れられない
『終点。浦河、浦河~。
長らくのご乗車ありがとうございました。お降りの際は、お忘れ物の無い様---』
ツグは何時の間にか寝込んでしまっていたらしく、乗務員のアナウンスで慌てて飛び起きる羽目になった。
半場ぼやけた視界の中に、のん気に荷物を降ろしバスの中央通路へ精算の為に並ぶ人の列を確認してようやく自分が今どこに居るのかを思い出す。
それほど大きくない簡単な着替えだけを詰めたバックを下ろし、列の最後尾へ並ぶ。窓越しに見える外は、まだ霧とも霧雨とも付かない天候のようだ。
(この時間のバスに乗る事は、一応伝えてあったけど大丈夫かな?)
そこへ荒い運転の白い乗用車が高いブレーキ音と共に横付けされた。
『ツグちゃんだべ?一瞬、誰かと思ったじゃぁー。乗れ乗れっ』
『……タッケ?……タッケかぁ~久しぶり!変わってないなぁ~……身体はゴツクなったなぁ~』
タッケと呼ばれた青年は下はスエット、上はTシャツの袖を捲り上げて、いかにもラフな姿をしていた。
ツグに言われた言葉に返すように、おどけて片腕で力瘤を作って見せた。
(相変わらずだ。変わってない)
ツグにとって、それが無性に嬉しかった。
『てっきり、ショウちゃんが迎えに来ると思ってた』
ツグは助手席に乗り込み、バックを後部座席に押し込みながら聞いた。
『んー初めはその予定だったんだけど漁協の会議が入っちまったらしくって、急遽、俺がピンチヒッターさ』
『そうか~もう皆、立派に社会人かぁ~』
『なーに言ってんだかぁー、立派なのはツグちゃんだべー、東大の法学部入れたんだべ?』
『知ってたのか?』
『トキのバッチャンが「
『あいたたたた』
トキには、ツグの父がこちらに持っている旧家を長い間、管理してもらっていた。幼い頃、自然の豊かな村で育てるという父の方針で預けられたツグにとっては、祖母も同然だった。
『でも、こんな時に呼んで良かったんだべか?ツグちゃん学校あったんだべ?』
『いや、構わないよ。1年の時、取れる単位は取れるだけ取ったから、2年目は少し余裕があるんだ』
『さすがだなぁー。昔から頭良かったもんなー。小学校の時、中学の笹井の出した問題、サラサラといて驚かせてたの思い出すワ』
『あれのせいで笹井には随分と目を付けられたけどね』
田舎の学校な為、ツグの通っていた学校は小中が合同の学校で、9学年各1クラスで全校生徒合わせても200名に満たない学校だった。小学校と中学校の校舎も平屋の同じ建物内だった為、普通に上下クラスのような交流があった。笹井というのは中学の数学教諭だったが、何故かツグは目を付けられて陰湿な嫌がらせかどうか分らない程度の嫌がらせを受けていた。ツグ本人は嫌がらせだろうとは分っていたが、同じ学年の仲間からはそういう扱いは受けた事は無かったが、他の、特に上級生からは家柄からの妬みか度々、その程度の「不遇な扱い」は受けて慣れていたので、どこ吹く風よとの態度だった。
それが余計、笹井の自尊心を傷付けてしまったらしい。
『この車、新車?』
『んだ、思い切って
『へ~、儲かってんだなぁ~』
『去年は水揚げが
そういって、タッケは人差し指を挙げて見せた。
タッケは、村でも大きめな網元の家の長男で厚岸のにある水産高校を出て、直ぐ実家を継いだとツグは聞いていた。ツグにとってタッケは、元々体格は良かったが、少し太り気味な楽天家の印象だった。20歳そこそこで1000万円の年収はかなりの物だが、あの頃の太った体格が筋肉に変わり、日に焼けた肌は、その年収が見合う苦労の証だろう。
『それで今日はどうする?トキさんトコよるか?それとも直に行くか?』
『直に?
ごめん、ショウちゃんからの話はクラス会やるから帰って来いって言われただけで、どこでやるかとかも全然なんだ』
『なんだショウの奴、そんな事も言ってながったのが?相変わらず
実はな、生活館貸しきったさっ。今、アッコ達女子連中が食い物やら酒の肴なりの用意してくれてるべ』
『マジ?』
『マジマジ。実は
『なるほどな~』
(本当に変わってない)
ツグは、タッケの相変わらずの豪胆さ、仕切り屋だがどこか抜けてて憎めないショウ、姐さん肌で一生懸命みんなの世話を焼いてくれるアッコ、この地を離れざる負えなくなったあの出来事から、5年以上経っても変わらず自分を迎えてくれる事がこの上なく嬉しかった。
『泊り込みなら荷物も一応、生活館の方に置いとくかな?』
『わかった!』
峠を抜け、もう一度海が見える頃、ツグにとってひどくなつかしい海沿いの村が見えた。
村の中央に国道が通っているのにも関わらず、信号機は一つも無い。そんな漁業が主産業の小さな村。その村の端から端の中間地点に生活館が建っていた。
ツグは仕事の片づけをしてから合流するというタッケと別れ、1人で生活館の玄関先に立ち、そっと引き戸のサッシを開けた。ツグ自身の知っている生活館はもっと古く、保育所も兼用でこの時間帯は子供が居たはずだった。しかし、タッケの話でもあったように村の景気も随分良いようで、大幅に改築、というよりは完全に立て替えられて新しくなったようだ。幼児の姿も見えない所を見ると保育所は別の場所に建てられたのだろう。
女物の靴がいくつか玄関先にあり、ツグも腰掛けてバッシュの靴紐を解こうとした時、奥から声をかけられた。
『次織くん?』
その聞き覚えのある声にハッとして振り向くとそこには、かつてツグが愛した女性、その
『……遠野先生』
次章
カタクリは2011/08/09以降の予定です。
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1980年代、クラス会に誘われ、数年ぶりに育った村に戻ったツグというあだ名を持つ青年。
懐かしい顔ぶれに迎えられながらも、過去の出来事で自分が彼らとは違う人間だと改めて感じ、疎外感を押し隠しながら昔話に付き合うツグ。
彼にはある知らなくてはならない事があった。
いつものライトノベル風とは違って、ネタ無しの文芸作品風に淡々とした物語にしてみました。 ちょっと切ない暗い話になってしまうかもしれませんが、宜しければお付き合いください。