大井を過ぎれば、もう首都高を抜けたと言ってもいいだろう。複雑な分岐や交差から解放されて、道はやっと高速道らしくなった。南下していく道路は、ほとんど曲がることもない。空は快晴だった。左手に空港が近いのがわかった。
休日ではあるが、込み具合はほどほどで、おおよそ渋滞も無さそうだった。快適なツーリングになりそうだ。ジャケットに日差しの暖かさで膨らんだ風が衝突しては砕け、背後に流れていく。
私はアクセルをそのままに、走行車線へ寄った。私のマシンは決して旧型ではないが、走行性能に自信がある方ではなかった。隣を子連れのワンボックスが追い抜いていく。タンクに貼られたカワサキのステッカーは何の威力も発揮しなかった。
標識が見えてきた。浮島手前で分岐し、アクアラインに入った。すぐに薄汚れたオレンジ色のトンネル区間が始まった。長い区間だった。途中、何台かの背の低いスポーツカーが唸り声を上げて通り過ぎていった。猛烈な排気音が暗いトンネル内に反響した。やがて行手に外光が刺すと、海ほたるに着いたことがわかった。私は人工島のサービスエリア内に入っていった。係員の誘導を受け、マシンを中央階段下の駐車スペースに停めた。車は二階、三階の駐車場へ案内されていった。バイクはいつでも下なのだ。
荷物を外しているとアナウンスが入った。バスの発着の案内だった。川崎行き、木更津行き、移動手段を持たない者でも、やって来れるようになっているらしい。買い物袋を下げた男女が階段を降りてくる。子連れも多い。さっきの私を追い越していった家族もここにいるのだろうか。階段を上がってショッピングモールを覗いたが、手に入れるべきものは何もなかった。レストランはどこも混んでいた。私は駐車場に降りた。そして素早く荷物を括りつけ、エンジンに火を入れた。木更津は、房総はすぐそこだ。
海上の橋を渡り、料金所に着いた。あまり安くない金額を払い、内陸部に向かって走った。適当なところで一般道に降りた。幹線道路沿いに少し北上して引き返し、スタンドで給油して、それから道を確認した。
今回も例によって、特に目的地は定めていなかった。ただ、大雑把なルートというものは考えていて、それは房総半島の内陸部を走る、というものだった。うまくルートを取れば、ツーリングでは定番のダム巡り、亀山ダム見物と、ついでに七里川温泉卿でも冷やかせそうだ。大戸の洗い越しも拝めれば言うことはない。今は正午少し過ぎ、時間を考えて東西に横断するのではなく、適当なところで南下して海岸沿いに戻ってくるルートが良さそうだった。考えをまとめて、私はマシンをスタートさせた。少し空に雲が差しているが、悪い兆候ではなかった。ただ、自身の方向感覚だけが心配だった。
その後は言うまでもなく、迷った。新興住宅街の中に迷い込んだり、行き止まりに出くわしたりした。携帯電話でGPSが使えたのが助けだったが、それでも結構な時間を使った。何とか当初想定していたルートに復帰して、亀山ダムの側に着いたのは三時だった。ここにもあるかどうかは知らないが、休日なのでダムカードも貰えないのは明らかだった。レストハウスなどあったが、全て素通りした。洗い越しを目指した。七里川温泉を越える道が落石で塞がれていたので、林道へ迂回してやり過ごした。軽い車体が助けになった。県道に復帰して山間を行き、いすみ鉄道と並走した。木更津付近とは大きく変わり、民家もほとんど見られないような区間もあった。すれ違う車も無い。気温も下がったらしい。少し風が鋭くなったように感じた。
洗い越しは県道465号線から踏切を渡った先の小学校付近にあった。草むらの中の泥道の先にチェーンが張ってあるのが見えた。関係者以外は立ち入り禁止になっていた。私はマシンを脇の草むらの中に置き、チェーンを越えた。道は途切れ、その上を幅の広い、緩やかな川が流れていた。対岸を見ると舗装路が川の中から出現している。地図で見ると川が道を寸断している格好だった。浅い川底に見えるコンクリートが、その両端を繋いでいるのがわかった。
マシンに乗ってここを渡れないのは残念だった。だが、不満ではなかった。私は長い間、川の流れと対岸の景色を眺めていた。川沿いの鬱蒼とした林を抜けた陽光が、洗い越しとその上を滑っていく水流を照らしていた。十分に堪能した後、草むらからマシンを引っ張り出した。美しい場所だった。南へ向かうため、分岐点のある東へ走った。
どこをどう間違ったか知らないが、私はいすみ市に出ていた。八幡岬のある、いすみ鉄道の終点である。目の前には太平洋が広がっていた。曇り空の下で波が荒れている。形としては結局房総を横断することになってしまった。まだ夕方という程ではないが、昼とは言えない時間だった。
この時点ではまだ気持ちに余裕があった。何のことはない。海岸線に沿って木更津を目指せばいいだけなのだ。砂浜脇の駐車場を出て、マシンは海沿いを、街から街へと走った。複雑に入り組んだ地形で、退屈しない適度な起伏と、時折視界がひらけて海が覗く、気持の良いルートだった。勝浦のあたりまで来ると雲は薄れて破れ、海面は輝いていた。簡易的なホームを持った雰囲気のいい漁師町の駅に寄り道して、海岸に出た。小さいながらも砂浜があって、季節は秋に入ろうとしているのに、まだまだ遊んでいる人も見受けられた。空は青く、街は陽の光を浴びて山吹色に染まっていた。その光に私は夕暮れの気配を感じた。日も傾いてきた。入江の奥の方は影になっている。大変気持ちのいい街ではあったが、ここで時間を使うべきではなかったのだ。急いで西に向かった。ただ走って館山を目指した。途中、なにか食べようかと道の駅にも寄ったが、建物以外には何もないところだった。朝から今まで、何も食べていなかった。マシンの方も腹を空かせていた。一件のセルフスタンドを見つけて給油した。私以外にも地元の住民だと思われる若い原付バイク乗りたちがいた。女の子の傍らでホンダのSoloがタンクを開けて給油が終わるのを待っていた。私もその中に混じって自分のマシンにガソリンをやった。
風が涼しくなってきた。西の空が赤く染まっていた。給油を済ませた原付達が我先にと去っていった。スタンドには私の他に動くものはなかった。支払いを済ませて、西へと走った。
東京湾を望める頃には、とっくに太陽は姿を消していた。あるのはただ、夕暮れの青さだけだった。富浦から高速に上がった。冷えた空気がジャケットのベンチレーションから突き刺さってきた。耐えるしかなかった。休憩を取りながら走った。工業地帯のある平野を、時折現れる、なだらかな山を越えて北上した。木更津に着いたときは、すっかり夜になっていた。そのまま木更津金田を通ってアクアラインに入った。暗い海の上をオレンジ色に照らされた道路が伸びていた。その先に海ほたるがある。
戻って来たと言うのに、未だ見知らぬ土地を彷徨っているような感覚があった。サービスエリアの駐車場にマシンを放り込んで、海ほたるの最上階へ上がった。景気づけに寿司屋に入った。たぶん、食べたと思う。金を払って外へ出た。展望台からは木更津の灯りが見えた。料金所付近のナトリウムの光が寒々しい。対岸には明るい横浜が見えた。東京は暗くてわからなかった。
昼間来た時と同じようにバスのアナウンスが入った。買い物客がどこかへ帰って行く。私はどこにも帰れないような気がした。飲み物で身体を温めて、マシンのところに戻った。それから本線に合流した。長いトンネルの中へ、私は下っていった。
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去年のツーリングを思い出して書いた
いずれは「魔棲雄物語」や「いつか風が見ていた」のような文章を書いてみたい