「なぁ、なんで俺……こんなんになっちまったんだ?」
市内にある、少々寂れた路地の通りに位置する居酒屋。
明日は休日のせいか、店内はいつも以上に盛り上がっている。店員の女性は次々とくる注文に追われ、客は酒を呷り日々のストレスを解消している。
そんな店内のお座敷で、辛気臭そうに酒を飲む痩せた男性が1人。その向かいには、おっとりとした感じの恰幅の良い男性がもう1人。
「さぁ。やっぱ、時代じゃないっすか」
「時代か……嫌な世の中になっちまって。お姉さん、熱燗もう一本追加ね」
テーブルの上にはすでに4本の空のとっくりが並んでいる。すべて、この男が飲んだモノだ。
「でも、まだ5年だぜ? 5年しか経ってねぇのに」
「5年もあれば十分っすよ先輩。この世の中を見てください。少なくとも国内は平和そのもの……同時に不景気っすけど」
「なぁ加藤。……朋子は元気にしてるのか?」
朋子は2人の仲間であり同僚。いわゆる高嶺の花であり、アイドル的な存在だった。当初、誰ともそういう素振りのなかった朋子が数年前に突然、加藤──目の前にいる男だ──と朋子は結婚した。どうやら、現役時代から密かに付き合っていたらしい。
「アイツっすか? もう元気有り余ってますよ。再来月に2人目が生まれるから、その準備に大変なんっすよ」
「もう2人目かよ。お前、見かけによらずやるなぁ」
「しかも、今いってる会社で係長に昇進できるかもしれないっすよ。子供も生まれるし、幸せっす」
「お前はそんなに成功してるっていうのに……俺ときたら、ダメダメだよなぁ」
若干冷えた焼き鳥を頬張りながら、盛大にため息をつく。
注文していた熱燗をお猪口に注ぎながら、さらに男は続けた。
「俺さ、これまで10社くらい働いてきたんだけどさ……どこもなんか人間関係ギスギスしてたりしてさ。そういうのに嫌気さして辞めちゃう訳よ。あの爺さん、俺達の就職まで面倒見てはくれなかったしな」
「まぁ、もう亡くなっちゃったんだからしょうがないっすよ」
「何もさぁ。祝杯の時に食べてたバナナに足滑らせて頭打つとか止めて欲しい……ギャグにもならねぇよ」
「不幸な事故でしたね……」
「むしろあの爺さんらしいけどな」
そう言いながらお猪口の酒を飲んでると、座敷の襖が開いた。
「やっほー、加藤君に田中君。お久しぶり~」
今日呼んでいた3人目の仲間だ。
茶色く染めたショートヘアと赤子のような幼い顔がマッチしていて可愛らしい。どうやら仕事帰りから直に来たらしく、紺色のスーツを着ている。
朋子が高嶺の花なら、彼女は草原に咲く花といったところか。少々地味だが、明るい彼女の性格にはピッタリである。ちなみに、彼女は浮いた話が全然無い。
「よぅ」
「本当に久しぶりっすねぇ。元気にしてっすか?」
「それなりに元気にしてるよー。あ、お姉さん。梅チューハイと唐揚げと串カツとお刺身の盛り合わせよろしく!」
「由美、お前は今なにしてんだ?」
「んー? 営業だよ。小学生向け学習教材の訪問販売。あと、週2で英語教室の講師もやってるよ」
「ほえー。いつの間に資格とってたんっすか?」
「あの頃、私も大学生だったからね。休学する前に英検とか色々取ってたのよ」
「順風満帆って感じか。みんな、成功してんだな」
「……どうしたの田中君」
「就職、うまくいってないみたいっすよ。さっきからその話ばっかです」
「なるほど。まぁ田中君、気を落とさないでよ。私だって、今の仕事になる前まで5回くらい会社入っては辞めたんだし。あ、どうも」
店員が持ってきた、ジョッキに入ったチューハイを一気に半分くらい飲み干す由美。
「──ぷはー。やっぱ一日の終わりに飲む酒は最高においしいよね!」
「なんかオヤジくさくないか?」
「田中くーん、失礼だよ! そんなことじゃ、彼女逃げられちゃうぞ」
そう由美が言った途端──元々暗かった田中が、さらに沈む。分かりやすいくらい落ち込む姿に、由美と加藤は顔を合わせた。
「えーっと、田中君?」
「実はよぉ。この間、彼女にふられてよぉ……これで2人目だぜぇ。俺の何が悪いってんだよ」
どうやら彼の地雷を踏んだらしく、涙を流しながら酒を呷る。再び店員に熱燗を注文した。
「先輩、今日のは僕が奢りますから、飲んで下さいっす」
「加藤君気前が良いね~」
「今度係長に昇進することになって、給料もあがるんっすよ」
「マジー? 凄いなぁ加藤君。あ、朋ちゃんとお子さんはどうしてるの?」
「元気にやってますよ。あ、子供がね、この間モノに掴まりながら1人で歩いたんっすよ! これ、写メです」
「うわ、かーわーいい~! これ頂戴。メアド知ってたっけ?」
落ち込む田中を尻目に、盛り上がる2人。
「ありがとー。子供が居るから、今日は来れなかったの?」
「いや、再来月には2人目も生まれる予定っす。朋子のやつ、今僕の実家の方に居るんっすよ」
「なるほどー。加藤君も、やるべきことはしっかりやってんだねぇ」
「いやぁ、それほどでも」
由美はニヤニヤしながら加藤の背中を叩く。加藤の方も、嬉しそうにしている。
「よし、決めたぞ!!」
今まで落ち込んでいた田中が、今度は一転。天井に指をさしながら大声で叫ぶ。
「今年中に就職する。彼女も作る。来年にはぜってーー結婚までいって、幸せになってやるぜ!!」
「お、田中君。ちょっと昔に戻ったみたい」
「なんか、酒がえらいところに入ってる気がしますね」
さらに片足をテーブルの上に乗っけて、高まるボルテージを下げようともせずに、
「今まで俺が世の中に合わせてたのが悪いんだ。悪い世の中に対して。俺が合わせる必要なんてあるか? 否、断じて否!!」
「せ、先輩。もうちょっと静かにした方が良いっすよ」
「いよッ! 田中君、かっこいいよ!」
「由美さんもそんな煽らないで下さいっすよー」
「先輩だ? 田中だ? 俺のことはあの頃の名で呼ぶが良い! そう、ジャスティレッドと!」
「うわぁ、懐かしいなその呼び名も」
「僕がグリーンで、由美さんがイエローでしたね」
「朋ちゃんはピンクで……あ、忘れてた。ブルーの神谷君は?」
「神谷先輩は、なんか海外に飛んでるらしいっす。なんか、IT企業の社長らしくって……」
「すっごい出世しちゃったねー、神谷君も」
「そもそも、ライバルだった神谷先輩が凄い大出世しちゃったの聞いて……」
「あー。ライバルがあんなに成功したってのに、自分がこんなに落ちぶれてるってへこんでたのね」
「ブルーがなんだ。すぐに俺が世界をまたにかける大会社の社長になってるぅ!!」
「頑張れ田中君! 今日は私も付き合って飲んじゃうからさ」
「ありがとうイエロー。いや、むしろ」
田中は由美の両手を握ると、途端に真顔になった。その落差に、思わず静まり返る。
そもそも今でこそ落ちぶれてはいるが、当時はファンも多い熱血漢だった男だ。仲間だったとはいえ、面と向かって見つめられると少々恥ずかしいモノがある。
「な、何よ……」
「俺と本気でつきあ──うぅ」
「あ」
真顔だった顔は真っ青に変色し、口を大きく膨らました。
「せ、先輩! トイレはあっちっす!」
事態を把握した加藤は襖をあけ、店の奥にあるトイレを指差す。
「んーー!!」
そして走り出す田中。その後姿はあまりにも間抜けで、さっきまでのかっこよさが台無しである。
「……ぷっ、くくく……あっはっはっはっ。ほんと、昔から締まらないわねぇ」
「ははは……」
思わず苦笑いをする加藤であった。
「大丈夫っすか、先輩」
「おう。なんとかな……ま、ここからなら家も近いし」
なんとか歩こうとするが、千鳥足になってしまい今にも転びそうだ。
「それだったら私も一緒に送っていってあげるよ」
「すいません由美さん。僕は朋子が心配なんで……」
「いいっていいって。朋ちゃんによろしく言っておいてね」
加藤は呼んでおいたタクシーに乗って帰っていった。由美は壁に寄りかかって立ち止まっている田中の腕を自分の肩に乗せた。
「ほら、田中君。私たちも帰るわよ」
「あぁ……」
月明かりと外灯で夜道が照らされる中、2人はゆっくりと歩く。男が女に支えられているという、なんとも情けない姿ではある。
しばらく歩いたところで、由美が呟くように話す。
「──昔っからそうだよね」
「なにが?」
「肝心のところでキチっと締まらない。困ってる人が居ると、突っ走って、周りに迷惑かけて……」
「しょうがないだろ……そういう性分なんだし。うっ」
「大丈夫?」
「あ、あぁ。なんとかな」
「はぁ……ま、あの頃の田中君はなんか、鬱陶しいって感じであんまり好きじゃなかったなぁ」
「本人を目の前にそんなこと言うか、普通」
「ははは、ごめん。久しぶりに会って、ほとんど逆の性格になっててまた笑ったよ。まぁ、鬱陶しさは変わんないか」
「……やっぱ、そんなんだから上手くいかないのか」
「私もね、今みたいによく思ったことがそのまま口に出ちゃうから、あまり周りと上手くいってないんだよ」
「……」
「それでも、私はやってやるんだ。昔もそうだったように、今もやり遂げれるって……」
「やり遂げる、か」
「田中君はいつまでも私たちの“レッド”だよ」
そうやって喋っている内に、田中が住んでいるアパートの前に着いた。
田中は彼女に礼を言って離れようとしたが、由美は言葉を続けた。
「だから、ね……」
支えられている彼からでは、彼女の表情は分からなかった。そして短い沈黙の後、彼女の口が開く。
「レッドはとにかく一途で、繊細で、うるさい人。そんなレッドが、私は好きだよ」
「え──」
その言葉に驚いた田中は顔を上げようとして彼女から離れた。と、その時にバランスを崩し、前のめりに倒れてしまう。
「──うわッ!?」
「ふふっ……ばーか」
彼女はそう言い残し、夜の闇に溶けていった。
後に残された田中は、仰向けになり空を仰いだ。
「……そっか。俺はまだ、ヒーローになれるんだよな?」
星空に向かって振り上げた拳は、どこでもない明日の自分への合図。
「変身、ジャスティレッド!! ──なんてな」
しかし、陳腐でかつて何度も言った台詞を叫ぶその顔は──清々しい笑顔だった。
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