1
ボンゴレが崩壊してから、二年が経つ。だがそれは数字の上の話で、俺には昨日の事のように感じる。だから一歩も動き出せず、死人のように、ただ生きていた。
あの人がくれる笑顔、賞賛の言葉、しょっちゅう零す弱音とか。あの人が自分にとって、何の意味が無い事でも、俺にとっては全てだった。
もうあの人の棺の前には行くなと、長年付き合ってきた友達?に言われた。あいつも、俺の気持ちを解ってるつもりなんだ。俺を止めるのが、どんなに苦しい事ぐらい知ってる。でも俺には認める事が出来ない。あの人がいないという事は。
俺の世界はあの人だったんだ。
十代目、と何度も読んだ。そりゃもう数え切れないぐらいに。それでも呼び足りないくらいだ。十代目と呼ぶ事が、俺が堂々と言えるあの人への愛の言葉だったから。
でもあの人は、俺がそう呼ぶのは嫌がっていた。
「なんか他人みたいだ。」
そんな事ありません!と俺は必死に弁明したら、あの人は困って苦笑いをしたのを覚えている。
「だって十代目、なんて、俺じゃない人にだって呼べるじゃないか。」
いいえ、俺が十代目と呼ぶのはあなただけです。あなたしかいないんです。
十代目が、名前で呼んで欲しがっていたのは解っていた。でも名前で呼んでしまったら、タガが外れて、愛とは別にあるあの人への忠誠も友情も壊れてしまうような気がしたのだ。
愛だけをあの人に注ぐようになってしまったら、それこそ一貫の終わりだと。ただの恋人同士ではいけなかったのだ。俺とあの人は。
……だが今更になって、最後くらい呼んであげたかったと後悔している。
二年が経った今、ボンゴレの屋敷は廃墟となっていた。多分掃除ぐらいすればまだ住めるとは思うが、そんな事したって何の意味も無い。
いないのだから。
守護者達は散り散りになり、生き残った部下もどこかへ去った。
絶対の権力が消えた今、屋敷はその過去の権力を知るだけのものになっている。
あの人が死んで、俺達守護者はどうにかボンゴレを支えようと奮闘した。だが後継者もいないボンゴレでは、どうにもうまくいかなかったのだ。
*****
「なあ……これからどうする。」
「癪だが、金を積むしかねえ。畜生!こんな形でしか十代目のボンゴレを守れねえだなんて!」
敵対するファミリーからの襲撃を避ける為には、そいつ等に金を積むしかなかった。十代目がお亡くなりになられてから、雲雀も骸も関心を無くしたように消えちまったし。
十代目が残した全てを、こんな形で、俺達は……。
「アルコバレーノもいねえ。ディーノさんも今は……。俺等で守るしかねえんだ。」
「解ってんだよ!畜生……畜生……畜生……。」
どうしてこんなに力が無いんだ。うまくいかないんだ。
俺は正直泣きたかった。でもこんなとこで泣いてる暇があったら、ボンゴレの為に動かなければ。
右手で頭を抱えた時、不意に携帯電話の着信音がした。山本のそれらしく、素早くポケットから取り出す。
「……何だ。」
軽く話すと、すぐに電話を閉まった。やはり、強張った顔をしている。
「……獄寺。」
「何だよ。またなんか……。」
「日本支部が、ミルフィオーレの手によって、落ち……。」
「聞きたかねえよ、そんな事。」
あの人が愛していた故郷でさえ、消えた。
時間と権力は容赦なく全てを奪う。奪って消し去る。あの人が生きている時、どんな働きをしても、今となっては何の意味もない。マフィアの頂点であるドン・ボンゴレが消えた事で、反旗を翻した同盟ファミリー共。あの人が生きている時は、あんなに両手の皺を寄せて合わせてすり寄り、充分過ぎる程の慈悲をあの人から貰っていた癖に。
やっぱ人間ってクソだな、って思い直した。
ともかく、残された奴に出来る事は、そういう奴等を片っ端から追い払う事だ。金で。
山本とそれぐらい解ってるらしく、ボンゴレの地位を汚すような行為であるかもしれないと思っていても、何も言わなかった。
血を流してはいけない。それは、あの人がいつも決めていた事だったから。
一年はそれで何とかこらえた。だけど金なんざ、流れて留まらない無情なもんだ。すぐに底をついた。跳ね馬が助けてやると言ってきたが、崩壊間近だったボンゴレを助けるなんて、とんだ博打打ちだ。強気を装って断った。
そうやって、ボンゴレに未来がないと気付いてきた部下達も少しずつ消えて行った。俺は何も言わなかった。山本も。そうなる事は解っていたんだ。
「獄寺……。」
「お前も、日本に帰っていいんだぜ。」
思えばあれが初めて、山本の事を思って言った発言だった。鬱陶しい奴だと思っていた奴も、いざとなったら、これから救いの無い事を解っているのなら……俺は逃げて欲しかった。
「行くわけねえだろ。」
ああ、こいつはいい奴なんだ。
あの人はやっぱり見る目がある。
そしてボンゴレは壊れた。
部下も数える程になった屋敷が、襲撃を受けたのだ。残っていた守護者は俺と山本。数人の部下。
終わると解っていても、逃げるわけには行かなかった。
あの人に忠誠を誓ったからには、あの人を愛したからには、背中を見せて敵から逃げるわけにはいかない。
だが結果は、やはり予想していた通りだった。屋敷は荒らされ、部下は殺され、血を吐いても戦った俺は、気が付いたらシャマルの所にいた。
スラム街で闇医者をやっていたシャマルから聞いたのは、絶望。
そこからの俺は、奇声を発し、暴れ、傷が開き、泣いて、最後には狂って泣きながら笑っていたらしい。あの人が座っていた椅子。あの人が寝転んだソファ。思い出せる全てのものがズタズタになってしまった。もう取り返しがつかない。
死にてえ、とシャマルに呟くと、奴は死んじまえ、と睨んできやがった。
死ねるなら死にてえよ。
*****
死にたい死にたいと思った癖に、二年も立ち往生していた。止まった時計は、修理出来ずに粗大ゴミ行き。
俺を今、生に駆り立てているのは何なのだろう。守るべきものはないのに。
山本も、日本には帰っていない。俺達はあの人の幻影にすがりついているのか……。
ぼんやりとした頭の中、今日も棺へと向かう。棺を前にしても、もう悲しみも後悔も無い。
ただあるのは、ボンゴレ十代目、沢田綱吉さんへの愛だけだ。
愛だけは注いではいけないと、俺は解っているのに。
(あの、十代目、俺時々思い出す事あるんです。本当、ちっぽけな事なんですけど。十四の時、十代目が泳げなくて、俺とあいつ等が十代目に泳ぎ方を教えた事とか、リボーンさんの誕生日でやっちまった、俺の無茶苦茶な芸とか、屋台やった事とか。最近、よく思い出すんです。オッサンですかね、俺。精神面成長してなくてすいません。あの頃はよかったとか大人は言うかもしれませんが、あの頃じゃなくて、俺はあなたがいてくれて、それだけでよかったです。
あなたがいれば、何の思い出もいりません。……なんて言ったら怒りますか?すいません、でも本当にそう思っています。十代目はどう思っていらっしゃるか解りませんが……俺の本心だけは知っていて欲しかったんです。)
そして俺は棺桶の前に立つ。
俺は誰もいないあの人の執務室で、好きです、と言った事がある。自信がない俺の事、そりゃもう寂しい告白だった。
あの人が座っていた椅子に向かって呟く俺。寂しすぎるだろ。情けなさすぎるだろ。
そんな事をふっと思い出せば、やっぱり告白しとくべきだったと後悔が浮かんでくる。何も言えずに、あの人を失うなんてあの頃思っていたからなんて、言い訳にはならない。
ただ自分の事を護っていただけだ。
「獄寺……。」
「お前かよ。珍しいな。」
背後から現れた野球バカに、俺は振り向かなかった。なんかもう、顔は見たくない。あの人を含めた十年前を思い出しちまうから。
「ここにツナはいないんだよな……。」
隣に来ても、俺は目を合わせなかった。下手すりゃ泣く可能性がある。
「そうだな。十代目だったものしかない。」
「獄寺。」
「何だよ。」
「九代目の遠縁が見つかった。……ボンゴレを再興する事が出来るかもしれない。……って元首脳のオッサン達が言ってた。」
「……いい。」
「お前の力が、一番必要だってよ……。」
「だから、いいっつってんだろ。」
「俺は、ツナが守りたかったものを、」
「いらねえよ!!十代目がいなけりゃ、何の意味がねーんだよ!!」
そうだ。何の意味もない。オッサン共め、ロクな事しか考えねえな、死ね。俺が欲しいのは、あの人がいるボンゴレファミリー。あの人だけでいい。
「お前は、そうやって生きていくのか。」
「あ?」
「ツナの事思い出しながら、これから生きて死ぬのか。」
山本、俺はお前が仲間でよかった。
でもそれ以上に……。
「ああ。そうだよ。俺はあの人だけを見て、ここで死ぬんだ。」
あなたにとって俺は重荷だったでしょう。でも、俺は。
好きです。今でも。ずっとずっと好きです。
伝えられなくて、ごめんなさい。
本当に、好きです。
2
結局俺と獄寺くんは、一体どんな関係で終わったのだろう。恋人でもなく、愛人でもなく。
上手く一線を引けていた俺達は、やっぱり友達だったんだろうか。
子供の頃から思っていたけど、獄寺くんはやっぱり大人だった。馬鹿みたいに暑い日にスーツを着ても汗一筋掻かないし、私情で物事を考えたりしない。子供の頃は、煙草とギラギラしたアクセサリーを付けていただけで、大人だなあと思っていたけど、十年たってそれは恥ずかしい勘違いだと気付く。
……彼は酒の勢いで失態を犯す(というか、酔った所を見た事がない)ような人間ではなく、常に自分自身に厳しく生きていた、と俺は感じる。
それは誰の為だか知っている。
だけど俺は、それに気付かないふりをしていた。獄寺くんが必死に仕事をして、俺に当てられる仕事を減らしてくれていたというのに、「逃げたいなあ」とか、「もうダメだ……」とか愚痴ってた俺は、本当に最低な人間だと思う。でも俺はどうすればいいか、解らなかったんだ。
だから待った。
いくら完璧な獄寺くんでも、この平行線の空気を、我慢出来ずに打ち破ってくれるだろうと。破天荒な彼だから、きっと。
でも、やっぱり獄寺くんは大人だった。
俺との関係に、私情を挟むわけがないんだ。解っていた筈だ、何も解らなかった俺の中で、それだけは。
妙に律儀で、真面目で。十代目って呼ぶのも、やめてくれと言ったのに。頑なに首を縦には振ってくれなかった。
俺がもっと、臆病よりも強くて、彼が真面目の一歩手前だったのなら、何か変わっていたのかも。何か。何かが。
*****
命日になったその日、俺は真新しいスーツを纏って、ディーノさんから貰った、赤い車に乗って例の場所に向かっていた。運転席に山本。その斜め後ろに俺。
俺達はもう、隣に座って許される関係では無かったけれど、ずっと友達だと思っていた。
「本当に、獄寺に言わなくてよかったのかよ。」
「よかったんだよ。話したら絶対反対したし。」
「そりゃあ。」
「山本、今日、俺死ぬ。」
超直感を、これほど恨んだ日は無かった。感じていたんだ。いつもと違う全てを。
「……俺そういう冗談、死ぬ程嫌いだぜ?」
「俺は結構嫌いじゃないよ。」
言わなければよかったんだ。口に出したらもう、それは弱音になってしまったから。
死にたくなかったんだ。獄寺くんに何も言えないまま死ぬなんてさ。
少なくとも、こんな事になるとは思っていなかった。
だって、朝になれば、俺は起こしに来てくれる獄寺くんの申し訳無さそうな顔を一番に見て起きて、スーツに着替えて、歯を磨いて、獄寺くんが作ってくれたあっついコーヒーを飲んで、その日の予定を分単位で読み上げてくれるの聞く。それから……。
当たり前になった日常、当たり前の朝、俺は明日、迎える事が出来ない。
獄寺くんの「お休みのところ申し訳ないのですが、お起きになる時間です」という声も聞く事が出来ない。
「馬鹿な事を言うのはやめてくれ。」
「山本、頼みがあるんだ。」
「馬鹿な事を言うのはやめてくれ!!」
友達の遺言なんて、聞きたい友達なんていない。俺だってそうだ。俺は友達に、世界一ひどい事をしている。
どうして昨日までに、臆病より強くなれなかったんだ。俺は何一つ変わっちゃいなかった。万年ビリのダメダメ野郎。いっつも大事な時に失敗する。
昨日に戻れるなら、獄寺くんの「おやすみなさい」を聞くまでに、友達に言う事よりも、もっともっと大切で、沢山の言葉を言うのに。
自分の不甲斐なさと弱さ。俺は思わず涙ぐんだ。
「本当に、俺、今日死ぬんだ。ホントに。だからお願いだよ山本。俺の頼み聞いてよ。」
(俺は努力が足らなかった、いら知らなかったんだと思う。だって知っていたなら、その重要性を知っていたのなら、君に言いたい事全部言えたんだ。中学生だった頃の君は、俺に迷惑ばっか掛けてたよね。でもそれから十歳、歳をとった君は、まるで生まれ変わったような人間になった。君が「任せて下さい」と言った事は、全て完璧になってしまう。人が一年かかるところを、一週間でこなしてしまう。俺も君みたいになれたらよかったんだ。……ごめん、なんか嫉妬みたいになっちゃった。でも君には、本当に感謝してる。だって俺、未だにうまく書類読んだり書いたり出来ないし。会議だって寝ちゃうし。あーあ、過去に戻れたらいいのに。そしたら夜中まで、君とゲームする。リボーンに止められたって絶対する。でも俺は眠くなって。朝、ベットから起きたら、テレビはゲームクリアの画面と、コントローラーを握りしめて寝てる君。……もう一回だけ、出来ないかなあ。……あー無理無理!もう寝よう!おやすみ!!!)
******
本当に、超直感って当たる。
体に空いたいくつかの穴から何かが出てゆき、冷えた気分になってくる。
山本、俺の言う事聞いてくれるかなあ。俺の大事なもの、守ってくれるかなあ。
……獄寺くん、君にはもっと他の人生があったんだ。でも俺と出会ったせいで、何もかも変わっちゃったんだね。
ごめん。今更だけど、ごめん。
だから、俺がいなくなっても、せめてボンゴレファミリーの中で生きてほしい。
俺達の場所は、もうあそこしかないから。
どうにかして、どうにかして、生きてほしいんだ。
俺は君みたいに、沢山の言葉を知らないから、言うのに迷った言葉が沢山あるんだよ。
そのいくつかを、俺が死んでからでもいいから感じてくれないかな。
こうやって、眠るように死ぬのなら、君におやすみなさいを言って眠りたかった。
そしたらまた、おはようを言えるよね?
おやすみ、さよなら、獄寺くん。
本当は、俺、俺、俺……。
終
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獄ツナ。シリアス、死ネタ。