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初代はポーカーフェイスだと思う。どんな時でもあまり感情を露わにしない、落ち着いた人だ。でもそれ自体どこか「作られた」感があって、なんとな〜く、不安な気分になる。初代とGさんの間についても。
俺よか若干、仕事が出来る初代。やろう!と思えば積まれた書類をあっと言う間に読んで、部下に的確な指示をする。反対、やらない!と放棄されれば、三分後に相手方に送らなければならない書類でも見向きもしない。極端な人だ。
どうやら、恋愛に対してもそうだったらしく、相手を苦労させたみたい。そんな性格を表してか、奴は一度終わった恋は二度と振り返らないと決めている、とGさんが言った。低い声で。
「………女の子には辛い相手みたいですね。」
「まったくだ。」
俺がいない間に、初代は獄寺くんを連れて街に繰り出したらしい。現在十一時。酒が更に美味くなる時間だ。けれど俺も俺で、グラス二つを持ったGさんに誘われ、執務室で一杯やってるわけだけど。
俺とGさんは来客用のソファで向き合い、酒を接ぎ合う。相手は酔ってきたのか饒舌になってきた。だけど喋る事は、どれも初代の事。好きな事嫌いな事、むかついた事呆れた事。それは多分、惚気に似ていた。
「付き合っていたんですか」「当たり前だろ」───わざと過去形にして聞いたのに、はっきりとした答えが返ってきて驚く。てっきり、現在進行中だと思ったのに。
それが触れちゃいけない琴線だったのか、Gさんはしばらく黙って酒をあおり、またしばらくしてから、口を開いた。
「だから。」
「はい?」
「俺達はもう仕様がねえんだ。お互いがいなくても生きていける事が解っちまって……しょーがねぇ……。」
頭を掻き、酒を更に喉に流し込み、どんどん悪酔いしていくGさん。その姿だけで、Gさんは初代がいないといけない事ぐらい、見えてきた。お互いがいなくとも、なんて嘘っぱちだ。
本当は初代がいないとこの人はダメなんだろう。
「てめえ等みてーなのが羨ましいぜ。……友情の延長にある恋なんてロクなもんじゃねえ……。」
「今からでも、遅くないんじゃないですか。」
「いや………もう速さの問題じゃねえ。出来ねんだ。」
「でも。」
グラスが、テーブルに砕かれんばかりの勢いで置かれる。空だったからよかったものの、それはGさんの心を表すような、冷たい音を響かせた。
また俺は触れちゃいけない所に触れたらしい。
「………………女に浮気して、あいつを傷付け突き放した俺に、そんなチャンスがあると思うか?女に触れた手で抱いて、あいつが喜ぶと思うか?……………無理に決まってんだろ………、俺が何度言っても、あいつはもう、笑ってくれない………。」
泣いては、いなかったと、思う。強い人だから。
でもこんなに脆く崩れやすい人だ。懺悔と、後悔と、懇願。Gさんはそんな中で生きている。
護りたかったものを自ら傷付けた心情なんて、俺には解るわけがない。さっきの発言は軽率過ぎた。
こんなにも、Gさんは自分によって追い詰められている。
**
初代様とは、どこか通じるものがあるような気がする。感情を表すのが下手な所とか……人をあんまり信じられない所とか。
「獄寺は本当に綱吉の事が好きなのだな。」
グラスの中の氷を揺らしながら、初代様がぽつりと言った。流石に四件目では、意識が朦朧とし始めていらっしゃるのだろう。そんな事を言い出すなんて。体を半分、俺に預ける形で座っているし………。
「私には解らない。お前達がどうしてそんなに仲良しこよしなのか。」
「仲良しこよしって……一応恋人同士なんですが。」
「だから言っているのだ。何故恋人同士でそんなにも引っ付いていられる?恋は片思いの時点で満足し、成就したら惰性に過ごすものではなかろうか………。」
……この人、どんな恋愛をしてきたんだ………。今のが本音なら、初代様は可哀想としか言いようがない。
だがあれだけの組織を作った人だ。嫌な事も沢山あっただろう。
でもやってこれたのは、やはり………。
「Gとはどうなんですか?」
「どう……?」
「あれ、恋人じゃ…………。」
「はっ………あはははは!面白い事を!教えてやろう。奴とはん百年前に終わっておるわ。」
「は?」
初代は低い声で笑った、いや笑ってはいないか……。声に脈絡がない。
……意外な真実に度肝どころか目玉も抜かれそうだった。普段、Gと初代様は親密そうな口ぶりで話し合う。だから、てっきり。というか、俺と十代目がああいう仲だから、運命というものを信じて、勝手に俺は二人も恋人同士だと思っていたんだが……。
あっけらかんと話す初代様はある意味不思議なものに見えた。
「私は一途なのだよ獄寺。ダメだと思ったらダメ。いいと思ったらいい。Gはダメだったのだ。おわかり?」
「はあ………理由は?」
「聞きたいか?このお喋りめ。」
お喋りはどっちですか──水を差すような真似はやめておこう。今の初代様からになら、何だって聞き出せそうな気がするし。
初代様はグラスにあった酒を一息で飲み干し、喉を鳴らしてから、ゆっくりとした動作で、寄りかかっていた俺から離れ、背筋を伸ばした。そして覚悟を決めたように、口を開く。
「簡単な話、浮気。」
「浮気?!」
これまた意外な事実に酒をこぼしそうになる。「声がでかい」と言われても、驚きは隠せなかった。
「信じられません。初代様という方がおりながら浮気なんて。俺だったら考えられない。」
「だから。Gの、私との恋愛は片思いの時点で完成したのだよ、きっと。」
───でなければ、浮気など。
小さな言葉。はっきりとした意志。聞こえたが、聞こえないふりをした。初代様があまりにも悲しそうだったから。
「難しいものだ。私が本命として接していても、相手も同じとは限らない。私の方が浮気相手だったのかもしれないし………。」
「そんなわけ………!」
「まったく、お前達が羨ましい。私より一途なお前達が。」
初代様の言葉の後ろには全て、「でも」「本当は」のような本音が隠れているような気がする。でも絶対に言わない。
この人、怖がってる。
本音を出す事を、本気で恋する事も。
これ程までにさせるなんて、Gはそんなひどい浮気を?
「誰かが好きで、誰かに愛されて、愛して、つがいになれたら、それは素晴らしい事だ。」
「初代様は?初代様は今、誰かを愛していないんですか?」
「私に誰を愛せると思う?」
答えられなかった。いやだって、答えは決まってんだ。あいつしかいないじゃないですか。
誰も愛せないわけじゃない。初代様はGとの付き合いがトラウマになって、動けないでいるだけ。俺にはどうする事も出来ない。
傷だらけの初代様を愛してやれるのは─────。
「まったく、羨ましい………。笑いあえるお前達が……。」
**
『今日は料理がしたい気分だ。だから、その………早く帰ってこい。』
ジョットが特別な眼で俺を見ていてくれた頃の言葉。最後の言葉。
あの時の、この言葉を軽視した俺自身を殺したい。出来る事なら。
俺にとってジョットは、大切なものだった。それだけはずっと変わらない。全力で愛せばジョットも答えてくれる、ずっと側に居てくれる、俺には中身がない自信があった。若かったのもある。人はうまく行ってる時程周りが見えなくなる───クソ生意気な部下にも言われたな。
だが結果として、俺はジョットを失ったのだ。怒りもせず、泣きもせず、俺を責めもせず、ただ淡々と「そうか」と言い去ったジョット。
後になって、俺は奴の喜びも悲しみも怒りも、受け止められる立場ではなくなった事を理解したのだ。
「………さん、……Gさん。大丈夫ですか?」
「………あぁ?」
いつの間にか寝ていたのか……。ぼやけた視界がはっきりしてくる。目の前にいたのは、……あ?
「ロクサス……?」
「へっ?」
まさか、あのバカが現代にいるわけがねえ。他人の空似か。
「わり、間違えた。」
「いえ……。」
どうやら俺は、散歩がてら庭に出て、ベンチに座り、暖かい日差しにやられそのまま寝ちまったようだ。昨日の酒のせいか、気が緩んでいるな……。または、この美しい庭にやられたか。
そのクソ生意気な部下に似た、……名前わかんねー。
「お前名前は?」
「あ!遅れまして申し訳ありません。獄寺さんの元で働かせて貰ってる、明路録真と言います。」
「ロクマ………。」
見れば見る程あのバカにそっくりだったが、まあそんな事はどうでもいい。
ロクマを心配するな、と言って追い払い、俺は再びベンチで惰性に過ごす事に決めた。
………酒を飲むと、決まってあの日の夢を見る。まるで俺の罪を思い出させるかのように。
あの時の、ジョットの無表情な顔。俺に興味が無くなったんじゃない。俺を諦めたのだ。それは嫌いと言われるより辛い。俺を罰して、傷を付けて突き放すより、「何もしない」が一番辛い。
毎日毎日、刑を受けているような気がしてならない。いつまでもジョットに許されない、拷問。
だがこんな事よりも、ジョットは苦しんだのだ。俺によって。
「刑」の一つなのか、いくら謝っても、ジョットはもう抱擁すら許してくれなくなった。ただの友達に成り下がった、そう言っても過言ではない。
もしジョットが俺を罰しなどしたら、やっと立てたファミリーの雰囲気が悪くなる。それも考慮して、あいつは何もしなかった。全て、ファミリーの為に押し殺したのだ。
何百年も経っているのに、未だ、何も無かったかのように俺と話してくれるジョット。
自分が許される為ではなく、どうしたらジョットが、もう一度自分を愛してくれるか考えて、この長い時間を過ごした………。でも見つからなかった。
一度罪を犯した俺が、自分の都合でもう一度などと、誰が信じてくれるのか。当たり前だ。
「Gさ〜ん。」
頭痛がしてきた所に、ロクマが何故か戻ってきた。
「伝え忘れた事がありまして。獄寺さんからなんですが。」
「なんだ。」
「今日の夜、どうしても手伝って欲しい仕事がある、との事です。これを伝えに来てたのを忘れてました。」
仕事………?
「では、失礼します。」
ロクマの背中を見送ってから、天を仰いだ。仕事、か。何かにのめり込まなきゃダメなのかもな。いつまでも、昔の男に言い寄られてちゃあいつも迷惑だろう……。そろそろ腹を決める時期かもしれねえな。
ジョットの幸せを願うなら、それが一番だ。裏切った俺が出来る事は、それだけ。
**
………Gは私にとって全てだった。私の狭苦しい世界の中の全て。Gさえいれば何もいらなかった。嘘じゃない。本当だ。
だからGに嫌われないように必死だった。私は感情を出すのが下手だから、鏡に向き合い笑える練習もした。家事も出来ないから、秘密で炊事なども学んだ。
私は普通の人間より全てが劣っている。Gが花を買ってきてくれてもうまく笑う事が出来ず、風邪をひいて看病してくれた時も、ありがとうと言えなかった。
愛想を尽かされたのは、そういう小さい事が積もり積もったせいだと、私は理解している。全て私のせいだったのだ。
人間らしくない、私が悪い。
だからGの側にいるには相応しくない。Gだって、花をやれば素直に笑い、喜んでくれるような普通の人間がいい筈だ。それが、普通。私なんかが、人間らしくない、私なんかが、Gと一緒にいようなどおこがましいにも程がある。
吹っ切れた私は、馬車馬のように働いた。働いて働いて……。少しだけ、笑う練習をして………。
それは現代でも同じ。
「初代、すいません、これってどうしたら。」
「ふむ……いいか綱吉。これはだな………。」
我が子達は、心配もなく愛を育んでいるようだった。羨ましくはない。ただ嬉しかった。私の血を引いた者が、笑って生きている事が、一番。
「それとですね、初代。」
「なんだ?」
「今日、一緒に夕飯食べませんか?獄寺くん、仕事でいなくて。」
よくある可愛い綱吉の誘いには、嬉しさ反面、罪悪感に苛まれる。「私なんかが?」と。
「ああ。いいぞ。」
「じゃ、仕事早く終わらせましょう!」
なんと良い子に育ったのだろう、綱吉は(絶対言わないが)。綱吉がボンゴレを継いでくれて本当によかった。
いつものサボリ癖はどこに行ったか──驚く程のスピードで書類を捌いた綱吉は、私の手を引き、晩餐の会場へ連れて行った。といってもボンゴレファミリーのとある一部屋だったが。
そこにはきっちり二人分の椅子とテーブル、ナイフにフォークが用意されていた。こんな狭いとこで飯とは──。相談でもあるのかと思う程だった。
「初代は何が好きでしたっけ?」
「──……ボンゴレパスタ。」
「ほんと?」
「嘘だ。何でも好きだぞ。」
先に椅子に座るが、綱吉はなかなか席に付かなかった。
「じゃ、コックにそう伝えてくるんで、ちょっと待ってて下さいね。」
「?………ああ。」
別にそんな事………。止める前にドアは閉められ、私は一人残される。ナイフにフォーク。ワイングラス。こんな改まった晩餐会は久々だな。他ファミリーのボスと会食するのは大嫌いだったが、私やらGやらキリストやらの誕生日に二人で食べるのは好きだった。
Gの手はとても綺麗で、見ているだけでも飽きなかった。ワインを接ぎ合うのも好きで、奴の飲みっぷりも好きだったな……。
食事の思い出か………。ふと、あの日、自分が何を作ろうとしていたのを思い出す。ただのアクアパッツァ。覚えたばかりの下手クソな料理をGに食わせようとしてたとは……自分が恐ろしい。
自分に呆れだした頃、再び部屋のドアが開いた。
「遅いぞ、つな………。」
「ジョット?」
鼓動が一気に速くなる。脳が必死に答えを探す。何故、ここに、Gが?まさか、綱吉の奴………。
「…………どうやら、晩餐会はお前と行うようだな。」
Gも段々と、獄寺にやられた(多分)事を理解し始め、渋々ながら椅子に座った。向き合う私とG。体中の血がものすごい速さで巡っている。
黙り込み、重い空気が私達を包む。綱吉がしたい事は何となく解る。仲直りさせたいという所か。あのお節介め。
「失礼致します。」
一人のワゴンをひいたメイドが部屋に入って来、ワインと前菜をテーブルに置いた。これでもう逃げられない。
「お接ぎ致します。」
グラスに注がれるワイン。Gも黙っていた。
終えるとメイドは消え、再び静寂が訪れる。
とりあえず料理を食べよう。……………………なかなかだ。
金属音だけが響く部屋。これはなんなのか。二人いるのに、一人で食べているような奇妙さだった。
それから、メインになるまで私達は何も言わなかった。
私は言えなかった。言葉など。別れてから、私の一挙一動に、Gががっかりしているのではないかという不安が一番にあったのだ。
Gが求めるような人間には、私はなれない。なりたいけど、なれないのだ。
「ジョット…………。」
肩が震え、心臓が跳ね、脳が揺れた(気がした)。皿の上のモノにしか注がなかった視線をゆっくり上げ、Gを、見る。
………思いつめたような表情をしていた。
「その………俺、まだ……。」
「この料理、うまいなG。」
私は恐れた。
Gが、発する言葉を恐れた。
ここで、ちゃんと笑えたら。ちゃんと……ちゃんと………。くそ、練習なんてなんの意味もない。
「聞いてくれ、ジョット。」
「…………。」
やめろ、やめろ、と心の中で叫ぶ。私はお前を傷つけた。落胆させた。うまく笑えないから。それを、責めるのは、やめろ…………。
「俺はお前が好きだ。ずっと、ずっと、変わってない。」
フォークが手から滑る。皿とぶつかって、耳障りな音を作った。だがそんなものは耳に入らない。
信じられなかった。
「ずっと………お前にずっと謝ってた。お前が、許してくれなくたっていい。俺はこれからずっと、死ぬまで、お前が好きだから………、それだけ、知って欲しい。だから、これで終わりにする。お前に、もう、迷惑は掛けない…………。」
「迷惑………?」
Gは何を言っているのか。迷惑を掛けたのは私の方だ。お前の期待に答えられなかった、私が悪い。なのに何故お前が謝る?
「何故お前が謝る………?」
「そりゃ………、浮気してお前を傷付けて、ずっと苦しめてきたからだ………。」
「何を言ってる?」
「……………ジョット?」
「苦しめてきたのは私の方だ。」
ナイフも置き、私は震える手を膝に置いた。感情が、喉の下あたりから溢れてくるのを抑えられない。
「………私は、他の人間のように、うまく笑えないし………、素直に喜ぶ事も出来ない………。人間らしくない。お前の期待にも答えられない最低の人間なんだ。だからGは悪くない………。」
「何言ってんだてめえ!」
さっきよりも、大きな音がする。Gが乱暴に食器を置いたせいのようだ。
「わり、ビビらせた…………。でもお前………ずっとそんな事思ってたのか…………?」
「そうだ。」
あの日、自分に呆れて、Gを責める事なんて出来なかった。私がもう少し、感情豊かな人間だったならば………。
「……………俺、お前の笑った顔、好きだぜ。」
「は?」
「………お前は、俺がやらかす、些細な事にも微笑んでくれるし…………。」
嘘だ。
「野道で拾ったような花でも、喜んでくれるし。」
嘘だ。
「こんな俺を呆れずにいてくれるじゃねえかよ………。」
「嘘、だ。私は、私は……。」
「自分が笑えないなんて言うな。最低の人間なんて言うな。お前は、俺にずっと、笑ってくれてたぜ………?」
…………少しだけ、自分を好きになりたい。自分も解らない自分を好きになりたい。
「………!ジョット、な、泣くな、泣くなよ………。頼むから………。」
Gが横に来て、涙を拭ってくれる。だが止まらなかった。
「私は、………Gの、思う、人間には、なれなくて………。だからずっと、がっかりさせていたと…………。」
「だから、なんで………お前は俺を責めないんだよ!なんで自分が原因だと………バカが………。いやバカなのは俺だ………。」
今度は抱き締められ、私は更に声を上げた。今、Gに認められたようで、隠さず、受け止められたようで…………。泣きながら、私は、Gに微笑んだ。ほら出来た、とGも笑う。
私達は何と戦っていたのか。何を怖がっていたのか………。お互いに向き合い、近過ぎて見えなかったのだろうか。
私が苦しんでいたように、Gも苦しんでいたのだ。私が笑える練習をしていたように、Gもずっと………。
だからもう笑う練習はやめよう。
最初から、隣にいればよかった。お互いと向き合うのではなく、隣に。
2
アラウディに見られたのは不覚だった。変なもんの匂いが解る、あいつの諜報としての有能ぶりを舐めてたのかもしれねえ。
穴場のバーで阿呆のように酒を飲み、ほろ酔いの俺の隣にいたのは女。どっかのファミリーのボスの娘だとか、こいつと付き合わなきゃ取引が駄目になるとか、そういうのでもない。ただ、だらだらと一月も続いてしまった行きずりの関係。
あの時の俺はやっぱりどこかおかしかった。ジョットがいたのに女を貪るなど愚劣極まりない行いを平然としていたのだから。
「……やあ、景気はどうだい。」
「……アラウディ………。」
「G、誰この人?お知り合い?」
わざとらしく話し掛けてくる奴に、俺は観念した。ジョットに言わないでくれと情けなく懇願するか。それであいつが傷付かないのならばいいかもしれない。だが俺にもプライドってもんがある。こんな奴に頭なんか下げられるか──自分本意な、悲しいプライドが。
だが頭なんか下げなくとも、アラウディはジョットに密告なんかしないだろう。そういう男だ。何よりも秘密を好む。
「じゃあね。」
含みを持った笑みを浮かべながら、アラウディは街へと消える。
ここで何か行動を起こしていたら何か変わっていたのかもしれない。「違う」「ジョットには言うな」。そんな事を言えたら。
けれど当時の俺は二十そこそこ。下半身に命令されるままに、女の部屋に向かった………。
ジョットは不思議な人種だ。小さい頃から一緒にいたが、どこか他とずれている。そこに惹かれたわけじゃない。
ふとした時に見せてくれるぎこちない笑み。まるで笑い方を知らないような、何かわだかまりがあって笑えないような。そんなあいつをいつか大声で笑わせてやりたいと思った。何の心配もない、ただ平凡な毎日を自由に生きさせてやりたいと思ったんだ。
反面、ジョットが解らない時もあった。淡々としていて、何を考えているのか解らない。感情の起伏が少ない。小さい時、戦争で両親を無くした事が関係しているのかもしれない。愛を知らない、愛され方を知らない………。可哀想だとは絶対に言わなかった。それが一番奴を傷付ける。
でも俺は、そんなジョットをどこか恐れていた。俺が花をあげても、「本当に喜んでいるのか?」…………と疑念を抱いたりした。最低だ。
幼なじみなのに、どうしてそんな感情を抱くのか。俺達は何でも分かり合える存在ではなかったのか。「恋人同士」になったからこそ、俺の不安は大きくなっていった。
それは言い訳だ、と責められたらそこまで。何にせよ、俺が女と関係を持った事は事実である。女の名前、何だっけ?
家に戻り「それ」を見たのは、ゴミ箱にぶち込まれた後だった。きっとパスタ料理を作っていてくれたのだろう。俺とジョットのような、ぐしゃぐしゃに絡まったそれがゴミに埋もれている。
食器も、鍋も綺麗に洗われて、何も無かったかのようにキッチンは静寂を保っている。
ジョットがテーブルで一人待っていてくれた時、俺は女と寝ていた。悠々と煙草を吸いながら。素直に謝れば良かった。
けれどそれより、俺は怒りが湧いた。どうして俺を責めないのか?こんな狭い部屋の中に入る事を許すのか?八つ当たりに近い。ジョットを大事に思っていない証拠だった………。
再び疑念が沸く。「ジョットは本当は、俺を好きではないのか?」俺の頭はネジが緩むどころか、既に壊れていた。
だから別れを告げた。
こんな青年期の痛々しい全力の俺も、ぶち殺したい人間の一人だ。
「俺達、前の方が良かったな。」
その日のうちに、「やめにしよう」と俺は堂々とジョットに言い放った。それがいいと思っていた。
「そうか。」
やはりジョットは淡々としていて、それだけ言って全て終わりにした。
屑な俺は、こんな事があってもキスや抱擁ぐらいは許されると思っていたからお笑い。
どうせ俺達は、お互いがいないと生きていけない。思い込みもいい大概にしとくべきだった。当然のように、ジョットは俺に触れる事を避け始める。
「………すまん。」
謝りながら拒絶する。泣きもしない。
あいつはもう、手が届かない所にいる───やっと解った時、自分が今までやってきた行いが脳裏に蘇った。
浮気、疑い、約束のすっぽかし。普通の恋人なら、喧嘩、または別れるのが当たり前だ。だがジョットは、どれも責めて来なかった。
俺をずっと、「待っていた」。
ジョットを恐れ、近付かない俺を待っていたのだ。料理を作ってまで。
なんて事をしたのだ。笑わせてやりたかったんじゃないのか。自由にしてやりたかったんじゃないのか。全部真逆の事をしやがって。
詫びなきゃいけねえのは俺の方だ。
しかし時既に遅し。
別れてから何年も過ぎ、ジョットは日本に隠居していた。会いたい、もう一度、と日本に向かおうと決意した時にはもうジョットはいなかった。
日本で一人、孤独に死んだと、雨月が手紙を寄越したのである………。
雨月の手紙には、晩年のジョットについて書かれていた。妻が出来たがすぐに別れ、唯一の子供も連れて行かれ、一人で暮らしていた事。たまに雨月が顔を見に行くと、俺の事ばかり話す事。イタリアの空が見たいと言っていた事。
そして、一人、居間に倒れていた事………。
自分自身を殺したくなった。
どうしてジョットを一人にさせたのか。あいつは一人を一番恐れていたに違いないのに。俺が殺したのも同然だ………。
手紙を握り締め、ただ泣いた。悔しくて、情けなくて。
俺はずっと、ジョットが好きで、今も愛している。
ちゃんと伝えていればこんな事にはならなかった。ジョットを殺さずに済んだ。みっともないプライド。その場の勢い。全てにおいて、俺は間違いを犯した。だが罰する者は誰もいない。罰を与えてくれる人間は俺が殺した。殺したんだ。
………ジョットはどれ程の苦痛を負い、どれ程の涙を零したのか。表情に表してくれなくたって解った事だ。感情の起伏が無いジョットだから、俺だから、解った筈なのに。
解り合えた筈なのに。
**
手探り状態だった。
私とGは幼なじみで、友達で、相棒で。その延長で恋人になった。
奴に付き合ってくれ、と言われた時「いつも一緒なのに今更か」と私は思った。それがいけなかったのだ。メリハリもなく、本当に、友達のまま恋人になってしまった事。
私が笑えない事。私が恋人らしい行いを何も出来なかった事。これもいけなかった。
だから、恋人らしい事をしようと思った。それは何か?真っ先に思い浮かんだのが料理。恋人の為に料理を作る……最高の愛の形ではないか!
自警団には男ばかりだったので、仲良くなった近所のばあさんに料理を一つだけ習い、Gに食べさせてあげようとした。
……頑張った。私なりに。手を傷付け、火傷し、水をこぼし、「何をやっているのだ」と考える事もあったが、Gの為だと思えば我慢出来た。私にとって料理など未知の世界であり、具材を切るのに最初は三十分も掛かったりもした。
「ジョット。そこは塩よ。砂糖入れてどうするの。パスタを甘くしたいの?」
「う?!………す、すまん。確認しなかった………。」
………こんな事を何回も繰り返し、やっと一品作る事に成功。それがアクアパッツァだった。あさり貝も入れ、なかなかの味だったと思う。
"あの日"、私はGが任務から帰ってくるまでにアクアパッツァを作って待っていた。サラダや何やら、付け合わせなどもあったらなお良かったが、残念ながら当時の私では難しい。
余計な事をせず、習った通りをただ真剣にこなしていた。これを食べたら、Gはどんな顔をするだろうか。あいつの事だから、「まあまあだな」で終わるかもしれない。でもそれでいい。
「………出来た。」
ちょうど、時計の短針が七時を指した時だった。そろそろ帰ってくるだろう。
お世辞にも綺麗な見た目とは言えない。だが塩も砂糖も間違え無かったし、具材の火も全部通した。完璧だ。あとは待つのみ。
私は思い出したように洗面台へ走り、鏡の前でにや、と笑ってみた。気色悪かった。
………しかし、Gは十一時になっても帰ってこなかった。遅くなる時は、瓜が一匹私の元に来ては切なそうな鳴き声を上げ、主が遅くなる事を伝えてくれる。しかし今日は瓜の影すら見当たらない。
こんな日、今まで無かった気がする。
もしかしたら今日は帰ってこないのではないか。嫌な超直感が働いた。
「君ね、知らなかったの?」
アラウディに愚痴ったのがいけなかった。こいつは私の困っている顔を見てはにやりと笑う。
今回もそうで、その笑う理由を語った。諜報員め、やりおる。
言うには、Gには他に相手がいるという事だった。ん、まあ、予想はしていたぞ。Gほどいい男はこの世にはいないだろう。
そこで私は、ようやく理解した。私の方が、「浮気相手」だったのだろうと。冷静に考えればすぐに解る事だ。私は、男、なのだから。それに、………私は人間らしくない生き物だから。
それからアラウディは、私を馬鹿にするような笑みを浮かべなかった。いつもなら笑いっぱなしなのに。それ程までに私は………。
「雨月の国で言うなら、二号さんというやつか。」
「?」
バカめが。
所詮、私のような生き物に愛など育めるわけがない。愛されるわけがない。おごがましい。
ここまでしないと解らないなんて、とんだバカ者だ、私は。
後は想像の通りである。別れを告げられたのは覚えているが、やはり涙は出なかった。
何故私はこんな時も泣けないのか。教えて欲しい。どうしたら涙腺が緩むのか。胸を締め付けるこの縄はどうやって解くのか。
誰か教えて欲しい。
どうやったら人間に愛されるのか。
**
蝉が五月蝿い、夏の日。最後に雨月と会った日。私はだらしなく着物を着崩し、団扇を片手に雨月を迎えた。縁側に並んで座ると余計に暑い気がしたがまあいい。簾を屋根から掛け、ちょうどいい日陰を作ってやった。
「元気そうで安心した。」
「当たり前だろう。私を誰だと思っている。」
雨月が何か言いたそうな表情をしているのはすぐ解った。こいつは嘘が下手なのだ。昔から。
「家康、私の屋敷に来ないか。」
「お前の?大阪城か?」
こいつは徳川に仕えている音楽家。友だからって付いていっていいものなのか?
「寂しさは、無くなると、思うが──……。」
「私は寂しくなんてないぞ。」
そんな強がりを──雨月は険しい顔になった。私も解っている。多分私がこれから余生を送るにあたって、誰かと関わり合いながら生きていかねば、廃人になるだろう。解っている。解っている。でも、それでも、私は一人でいたかった。
「私は、寂しくなんてないんだ。」
私は一人でいるべきなのだ。
**
「うまい〜〜!美味しいです初代!」
「そ、そうか………?」
まったく、なんて美味そうな顔をするのだ、我が子孫は。Gとの食事のお礼に、唯一作れる料理を振る舞っただけなのに。
そんな綱吉の幸せそうな顔を、私は眺めていた。誰もいない食堂に租借音と食器音だけ響く。
「このパスタ初めて食べました。なんて言うんですか?」
「ああ、それは………。」
「ジョット!ここにいやがったのか!」
食事中にずかずか入ってくるなど愚の骨頂。しかしGがそんな事解るわけがない。私を見つけるなり、大股で歩み寄ってきた。
「探したんだぞ。」
「なぜだ?私に用事か?」
「用事って……。理由がなきゃお前を探しちゃいけねえのか?」
「そんな事は言っていない。」
ふ、と鼻で笑ってやると、途端にGが顔を赤くした。忙しい奴だ。それを隠すように、綱吉の前にあるものに興味を示す。
「綱吉、遅い朝飯か。」
「はい!初代がパスタ作ってくれたんです。えっと、何パスタなんでしたっけ。」
「アクアパッツァだ。」
「何っ?!」
Gは絶句していた。
「………ちょっと、寄越せ、綱吉。」
「え、何言ってるんですか?ヤですよ。」
「そうだぞ、G。意地汚い。」
「腹減ってるから欲しいんじゃねえ!その料理は………。」
「このパスタが何か?」
一番訳が解らないのは綱吉だ。すまん。だが私はこの料理しか作れん。
多分Gはその料理が「あの料理」だったと理解したから、こんなに血走っている。もういいではないか。
「やめよG。これは綱吉の朝食だ。」
「ジョット……。」
パスタを頬張る綱吉の方は何が何だか解らないだろう。ただGの困ったような表情を見るのは新鮮だと感じているように見えた。
「俺は、お前の、料理が、く、く、………食いた、いんだ……。」
「そうか。」
Gにとって、こんな正直な気持ちを言葉にするのは稀な事─……。しかし私は眉一つ動かさず、Gからも視線を反らし綱吉がパスタを平らげたのを見届けた。まったく可愛らしい。
「ごちそうさまでした。」
「うむ。」
「ジョット………。」
あ、犬の耳が見える───いやいやそんなの幻覚だ、獄寺じゃあるまいし。荒々しい筈の私の嵐の守護者が、強請るような態度を取っている。
まだ仲直りしていないのかとも不安になっているようだが、そうでもないぞ。……恋人というのが解らないだけだ。
「情けない顔をするな、G。お前はこれから飽きる程食えるのだから。私とな。」
さらっ、綺麗な言葉の羅列。聞いたか、G。
平然とそれを言い放った私に、Gは驚き、泣きそうになり、そして勢いあまって抱き付いてきた。
まったく急に甘ったれになりおって。
まあ私も何だか変に自信もついた。人間らしくなれたとも感じる。
それに関しては、私の子孫とその右腕に感謝をしよう。ありがとう。
とりあえず、私達の何百年も掛けた恋はこれで一段落がついた事になる。
Gと過ごす時間は限られてはいるが、それだけに濃い日々となるであろう。
終
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