きらきらと、欠けたステンドグラスを通した、光がこぼれる。
「シェリル」
名を呼ばれて、純白のウエディングドレスに身を包んだシェリルは、顔を上げた。
「アルト」
礼装に合わせて髪を下ろしたアルトの姿は新鮮に映る。
「似合ってるわ」
「おまえも。……とても、きれいだよ、シェリル」
「ありがとう」
シェリルは笑った。以前ならきっと、照れて心にもないことを口走っていただろう。けれど今、このとき、シェリルはとても素直な気持ちでいられた。
「さあ」
アルトが腕を差し出した。それにシェリルが自分の腕を絡ませて。そして、ところどころに瓦礫が散乱する真紅のヴァージンロードを歩く。
見上げた天井には大きな穴が空いていて、そこから光がこぼれていた。天蓋のスクリーンに映した空の、偽物の太陽光ではなくて。本物の、光が。
その眩しさにシェリルは目を細める。
朽ち果てた教会で、誰もいない、ふたりだけの結婚式。
バジュラクイーンと共にフォールドしたアルトが奇跡的に帰還を果たし、そしてシェリルもまた奇蹟の名と共に目を醒ました。
けれどこの戦乱を引き起こしたギャラクシーの陰謀が明らかにされ、以前スパイ容疑で逮捕されるに至ったシェリルは、重要人物として、再びその身柄を政府によって拘束されていた。
シェリル自身は、計画の詳細についてはそれほど知らされてはいなかったが、それでも無関係であるとはとても言えず。そしてギャラクシーの陰謀が潰えた今となっては、その計画を知るものは、もう、シェリルしか残っていなかった。
以前のように投獄されるようなことはなく、それなりに鄭重に扱われはしたが、それでも長く監禁状態に置かれ、人々の前に姿を見せることはなく。
新しい大地を得て、フロンティアの復興に燃える人々の心の中から、銀河の妖精は次第に姿を消していった。
『こんな強引なやり方で、シェリルさんが喜ぶと、シェリルさんがしあわせになれると思うんですか!?』
『俺にだってわからない。ただ俺はもう嫌なんだ、どれだけ待てばいい、そして待てばほんとうにシェリルは俺の腕の中に戻ってくるのか、シェリルは今どうしているんだ、ほんとうに無事でいるのか、ひとりきり泣いていないか、俺はもうシェリルをひとりにしないと誓ったのに!』
『シェリルさんを想うアルト先輩の気持ちはわかります。けれど……』
『わかるなら協力しろ、ルカ。あのアルカトラズの時みたいに』
それは、逆らえば殺されるかとすら思えるような迫力だった。ルカの知らなかったアルトの顔。止められないのだと思った。それが正しいのかそうでないのかはもうわからない。ただ、自分がここで断ったとしても、彼はシェリルの元へ走らずにはいられないのだろうと、それだけは理解した。
『……わかりました。協力はします』
そしてアルトは、政府の施設に監禁されていたシェリルを、ルカの助力を得て、漸く自分の手に取り戻したのだった。
「この星を出ていこう」
アルトが言った。教会の天井に空いた大きな穴の向こうに見える、満天の星空。それを背にしてアルトは、純白のドレスに身を包んだまま教会の床に身を横たえてアルトを見上げるシェリルの、赤い唇に、キスを落とした。
「ここではおまえはしあわせになれない、俺たちは結ばれない。誰もおまえを傷つけるものがない場所を探そう、誰もいないところへ行こう。どこか遠い星を探そう、たどり着けなくてもかまわない、ずっとふたりで」
「アルト」
シェリルは微笑んで、アルトに手を伸ばす。その白い腕をアルトの首筋に絡め、そのまま抱き寄せた。
「シェリル、愛してる、シェリル」
アルトがシェリルの細い体を掻き抱く。再びその腕の中から失われることを恐れるかのように。だから。
「行くわ、どこまでも連れて行って、アルト」
シェリルは、甘く、甘い声で。
泣きそうになりながら、
嘘をついた。
それは、確かに長い孤独だった。
それでもシェリルは、アルトがくれたたったひとつの言葉を抱いて、永遠とも感じられる長い日々を、ひとりきり過ごしていた。
『愛してる』
と。
それで充分だった。
明らかにされたギャラクシーの陰謀。そしてその計画を横取りしようとした旧フロンティア政府。
さまざまな物事が複雑に絡み合い、混乱を引き起こし、前に進もうとするもの、過去を隠滅しようと暗躍するもの、欲に目がくらみ虚構に落ちるもの、あまりに大きなものを失ったがゆえにその怒りの矛先を探すもの、さまざまだった。
とにかく、その混乱の渦の中心に、シェリルは落ちたのだ。
フロンティアにバジュラを呼び寄せることになったギャラクシーの陰謀に、結果的にシェリルが絡んでいたことも明らかにされた。シェリルは計画の全貌など全く知りはしなかったし、そして自分の歌がバジュラを引きつけてしまう可能性があることを知っていたなら、たとえその場で命を断たれようとも、それ以上の荷担をするつもりはなかったが、シェリルはそのような心情を明かすことはなかったし、課せられた罪状を、正誤にかかわらず撤回しようとはしなかった。
人というのは勝手なもので、そして簡単に扇動されるもので。癒えぬ戦争の傷跡、その痛みをもたらしたギャラクシーに対する怒りを、シェリルにぶつけることで晴らそうとするものもあらわれた。それははじめ、少数の声であったかも知れないが、その声はセンセーショナルな激動を好むメディアに乗せられ大きなものとなり、自力で思考をしない者たちの多くを巻き込んだ。
そしてシェリルは、たいせつなものを喪失して痛みを負った者は、矛先をどこかに向けなければ、平静を保てないのだということを知っていた。それゆえに、黙ってその悪意の刃も受けとめた。決して無罪ではありえない、自身の贖罪として。
幼い頃に、自分が生き延びるために選んだ道。その先にある今のこの現実。不可抗力だとはシェリルは思わなかった。思いたくはなかった。すべての選択は、自分の意志で成したものだと思っていたかった。それがどれほど大きな罪悪を孕むものであろうとも。
だから。あきらめていたのに。
彼が、万難を排して、自分を迎えに来てしまうから。
差し出された手を、愛しいその手を、取らずにはいられなかった。
手放すことを決めていても。
夜の大気に晒された素肌に、そよぐ風が触れる。シェリルは、その自然の寒さに少しだけ身を震わせ、脱ぎ捨てたドレスをふわりと肩から羽織った。
この星に降りたって、人々が手に入れた、コントロールされていない本物の空気というものを、自由に吸い込む機会も殆どないままに、シェリルは吸う空気すらも完璧に制御されきった密室の中に閉じ込められていた。
アルトは飛びたかった空を飛べたのだろうか。この、大気のある星で。
すぐそばで寝息を立てる彼の、長い髪にそっと触れた。
『一緒に行こう、この星を出ていこう、ここではおまえはしあわせになれない、俺たちは結ばれない』
その言葉だけで充分だった。
彼には、自分以外にたくさんのたいせつなものがある。家族も友達も、夢も。それを自分ひとりのために捨てさせることなど、したくはなかった。
そして彼が言うように、ほんとうにこの星を捨てて旅立つことができたとしても、別の問題がある。シェリルの体を冒しているV型感染症は、今は薬と適切な医療行為によって症状を抑えられているけれど、治ったわけではなく。薬がなければすぐに体は元に戻ってしまうのだろうし、そうでなくても、この先、いつまたどうなるものかもわからなかった。
シェリルは、彼に触れられた体をぎゅっと、自分で抱きしめた。この温かさを憶えておこう。きっとその記憶は、命ある限り自分のことを温めてくれるだろうから。
だからもう、大丈夫。
シェリルはそっと、起こさぬようにそっと、アルトの目蓋にキスをする。
そして羽織っていたドレスを着て立ち上がると、シェリルはひとり、教会をあとにした。
朝の光がこぼれる頃。眠りの底から浮上してアルトは、そばにあったはずのぬくもりを探した、が。
「……シェリル!?」
跳ね起きたアルトの、その声は、がらんどうの教会の壁に、空しく反射した。
「アルトは?」
SMSの本部に、数日姿を見せていない友人の姿を今日も探したが、やはり見つけられず。
「先輩は来ていません、多分今日も……」
アルトの無茶の片棒を無理矢理に担がされ、その所為で罪悪感に苛まれているルカの肩を、ミハエルは元気づけるようにそっと叩いた。
あの日以来、アルトはいなくなってしまったシェリルを必死に探していた。朝から晩まで。
けれど自分の足で歩きまわり、人ひとり捜し出すには、ここはあまりに広い世界だった。
緑の大地を掘り起こし、新しく建設されて作られた、宙に浮かんでいた頃とそれほど変わらなく見える街からは、もうシェリルの姿は消えていて。
初めて彼女とデートしたあのとき、どこを歩いてもシェリルの歌は、姿は、街中にあふれていたのに、今はどこを探しても、シェリルの影を探し出すこともできなくて。
それが淋しかった。とても。
そしてシェリルがいなくなった今は、彼女がひとりで独占していた街の中は、何人ものトップスターと呼ばれている女性たちで分け合っている。
耳障りな、金と虚飾で飾り立てられたような造り物の歌があふれる街を歩いていたアルトは、路地の端から聞こえてきた、聞き慣れた懐かしい旋律を耳にして振り返った。
「かみさまに、こいをしてたころは……」
ちいさな女の子が、家の前の石段に腰掛けて、空を見上げて楽しそうに歌っていた。
その声に引き寄せられるように、アルトは少女に近づくと、彼女はアルトを見上げて、屈託なく笑った。無邪気なその笑顔に、出会った頃のシェリルを思い出してしまい。
「どうしたの?」
少女の心配そうな声に、アルトははっと我に返った。
「……いや。なんでもないんだ。その歌、好きなのか?」
そうアルトが聞くと、少女は石段から立ち上がってぴょんと跳ねた。
「うん、大好き! おとうさんもおかあさんも、毎日シェリルの歌ばっかり聞いてるのよ。でももうぜんぶおぼえるほど聞いちゃったから、そろそろ新しいシェリルの歌が聞きたいな」
「そうか……」
アルトはぐっと奥歯を噛みしめた。そうしないと泣いてしまいそうだった。そしてそんなアルトの様子には気づかずに、少女は言う。
「あたし大きくなったら、シェリルみたいな歌手になりたいの! あたしなんかでも、シェリルみたいになれるかな……?」
その少女の言葉に、ふとデジャヴを感じながら。過去の自分は言わなかった言葉を、アルトは口にした。
「なれるさ。シェリルの歌を聞いていたなら、きっと」
「うん!」
「がんばれよ。心からなりたいと思ったものには、きっとなれるから」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
目を輝かせて少女が飛び跳ね、そして石段を上がって家の中に入っていく。
その姿を見送りながら、アルトは思いだしていた。自分もランカも、シェリルに憧れて、ひたすら高みに向かおうとするその背を追いかけて、自分の階段を登っていったのだと。
初めて見たシェリルのステージを思い出す。まぶしかった。自信に満ちあふれ輝いていたあの姿。歌うのが好きだとか、それが仕事なのだとか、そういう次元の話ではなくて。歌は彼女そのもので、彼女は歌そのものだった。
聞きたかった。シェリルの歌を。
保存されて無限にリピートされる、機械が再現するシェリルの声ではなくて。
触れられるところにいるほんとうのシェリルの声を。銀河を震わせるあの歌声を、この耳で、聞きたかった。
その頃シェリルは、壊れて機能を果たさなくなり廃棄された、アイランド1の瓦礫の中にいた。この星に降り立った時の衝撃で、その大部分が壊れて、危険なため立ち入り禁止になっている、今はもう誰も住んでいないし、足を踏み入れる者もいない。
瓦礫の中を彷徨って数日。その間どのような医療行為も受けられず、薬も飲んでいなかった所為か、ずっと遠ざかっていた感染症の症状は簡単にぶり返し、シェリルの体を蝕んでいた。
ひどく重く感じられる体を引きずって、シェリルはあてもなく歩き、この街にアルトや自分がいたその気配の残滓を探して歩いていた。
熱で潤んだ視界に映る景色は妙に鮮やかで。街は瓦礫に埋もれていたが、それでも落ちた看板や、見え隠れする特徴的な建物の破片などで、大体それがどの場所なのだかはわかった。
懐かしいフロンティアの街。ここにいたのはたった三ヶ月ほどだったけれど、それまでの人生のどの時間よりも楽しかった。
アルトがいて、ランカがいて、普通の十七才の女の子のように、ショッピングを楽しんだりデートしたりした。
足もとに、有名なホットドッグ店の看板を見つけてシェリルは笑った。アルトとデートして辛いホットドッグを食べた。辛いのが苦手だというアルトは目を白黒させて。あのときはおかしかった。
看板をもっとよく見ようとかがんだ途端、目眩に襲われて、シェリルは為す術もなく地面に倒れ込んだ。指の先から力が抜けてゆく。楽しかったあの日の思い出に抱かれながら、そのまま目を閉ざそうとしたが、少し先に、半壊しながらもまだその形を保っている大きな建物を見つけて、シェリルはまばたきをした。
「あ……」
星道館。
彼と、このフロンティアで初めて出会った、すべてがはじまったあの場所。
シェリルは、力の入らない体を、それでも何とか引きずり起こし、再び歩き始めた。
「俺が間違っていたのか?」
アルトは、お守りの中にしまってあったイヤリングを、手のひらに出して、握った。
逃げよう、そう言った。もうこれ以上、誰にもシェリルを傷つけさせたくなくて。
けれどそれはもしかして、傷つけられるシェリルを自分が見たくなかっただけじゃなかったのか。
シェリルは逃げることなんて、決してしなかったのに。
どんなときも、ただ、そこに立っていた。誇り高く。だから誰がどのように彼女を貶めようとしても、誰ひとりとして、シェリルを穢すことなどできなかった。
どうして彼女が姿を消したのか、わかるような気がした。優しい彼女のことだから、きっとアルトが、シェリルを選ぶことで捨てようとした他のすべてのもののことを思ってしまったのだろう。
アルトはシェリルのイヤリングを、右の耳につけた。
「頼む、もういちど教えてくれ。シェリルの心を。願いを」
目を閉ざして、アルトは天を仰いだ。
歌が、聞こえた。
初めて彼女をこの腕に抱いて飛んだときに聞いた、あの歌が。
橙のかがやきをこぼす夕陽が、あのライブの日に破壊された屋根から、ひとすじの光となって射し込んできた。シェリルはその眩しさに、ぼんやりと上を見上げて目を細めた。
あの日のバジュラの攻撃で半壊したままの星道館。その中の、シェリルのためだけに作られた舞台装置に身を預けて座り、シェリルは歌っていた。力なく凭れ、半ばまどろみながら。
観客がびっくりするような仕掛けをたくさん作ってあったのに、それも使わず終わってしまった。
自分はフロンティアの生まれではないのに、それでもこうして、壊れたフロンティアの街に、自分がいた形跡が残っている。それがうれしかった。
自分が消えても、誰かがその歌を思い出してくれるだろうか。
誰かが、自分の想いを詰め込んだその歌を、どこかで歌ってくれるだろうか。
高熱で朦朧としながらも、シェリルは微笑み、歌っていた。
目を閉じると、あの日の歓声が聞こえる気がした。
アルト。
迎えに来てくれて、ありがとう。
うれしかった、とても。
ふたりでヴァージンロードを歩けるなんて、夢のようだった。
愛してる、って。その言葉を聞けただけで、今まで生きてきてよかったって心から思ったの。
しあわせだった。
ただ、ひとつだけ、ちょっとだけ我が儘を言うのがゆるされるなら。
あたし、ほんとうはね、夢に見ていた結婚式があったの。
隣にいるのはもちろんアルトで。だからそれが叶ったから、別にもう、それ以上は望まないんだけど、ね。
でも、もしも、叶うんだったら、あたしがフロンティアで出会って、とてもたいせつに思った人たちに囲まれて。みんなに祝福されて、花びらのシャワーの中、ブーケを投げてみたかったな。
ステージ衣装じゃない、ほんとうのあたしのウエディングドレス姿を、見てもらいたかった。
そして、お祝いに来てくれたお礼に、みんなに歌いたかった。
悲しい歌ばかりを歌ってきた気がするけれど、そのときのために、とってもしあわせな曲を作ろうと思ってたの。
でも、作り損なっちゃった。
アルト、あたしのことこんなにしあわせにしてくれたのに、
ありがとうって、歌えなくて、ごめんね。
しん、と静まりかえった、真っ暗な闇の中。
「シェリル!」
遠く遠く、けれど近く、声が聞こえる。
「シェリルっ……」
耳に触れるのは懐かしい声、誰よりも愛しく思う、その声に、とても似ていて。
幻聴?
神様はやっぱりいるのだと、シェリルは思った。
最後の瞬間に、あのひとの声を聞かせてくれるなんて。なんて贅沢なご褒美。
だってがんばったもの、あたし。シェリルはそう思った。ずっとがんばってきたんだもの。あたしは最後まで、シェリルであることを誇れるあたしでいたかった。そのように生きてきたつもりだった。だから最後に、そんな幻くらい、見せてくれたっていいわよね。
けれど。
「目を開けてくれ、シェリル……!」
暗闇は揺さぶられ、遠ざかっていた意識を無理矢理に、掴まれるように引き寄せられて。ふわりと体が浮き、手足が不安定に揺れる。
めをあけて。
そう聞こえた。あのひとの声で。
神様、目を開けたら、何かいいことが、あるの?
たとえばアルトの姿を、もういちど、見られる、とか。
「返事をしてくれ、シェリル!」
そう。必死な声が、聞こえるから。
返事をする、かわりに、その名を呼んだ。
愛しくて、愛しくて、泣きたいほどに愛おしい、その名前を。
「……アルト……」
喉を通りこぼれた自分の声に、意識が覚醒する。
「……え?」
ぼんやりとしたまま目を開けると、そこはまだ夢の続きだった。
「シェリルっ……」
けれどきつくきつく抱きしめられた体は痛くて。
今目の前にあるこの現象は、夢ではないのだと、思い知らされる。
「ア、ルト……」
シェリルは腕を伸ばして、アルトに触れた。抱きしめられる。ホログラムでも幻覚でもなんでもない。
「ずっとおまえを探してたんだ、ずっと……!」
「ど……して……?」
どうしていつも、あきらめるたびに、迎えに来てしまうの。
どうしてどこにいても、見つけてしまうの。どうして。
「もう俺は何かから逃げたりしないし、おまえを連れて逃げようなんてことも考えない、どれだけ長い時間がかかっても、フロンティアの人たちに、シェリルのことを伝えるから。あらゆる手を使って、シェリルの思いを理解してもらう。だから」
「アルト……」
「俺だけじゃない、おまえの歌を待ってる人がいるんだ。おまえに憧れて、おまえのようになりたくて歌ってる子どもがいるんだ。そして俺は、おまえの歌が二度と聞けないのなら、今すぐ死んでもいいって思った……」
至近から見つめてくる、アルトの顔が、ゆらいで、滲んだ。それはきっと熱の所為ではなくて。
「だから、そばにいてくれ、シェリル……!」
シェリルは、腕を伸ばして、アルトに抱きついた。
初めて彼の腕に抱かれ、彼の翼で飛んだ、あの日のように。
*
ものすごい人、人、人。
その膨大な人たちの流れは、街中から集まってきて、一カ所へと向かっている。
この惑星に初めて建てられた、十万人を超える人数を収容できるという大きなホール。今日はそのオープニングライブだった。
街中にあふれる、歌姫の広告。歌。音。その存在感が、街を一色に染め上げる。
「そろそろ時間。あと5分」
「わかってるわ、焦らせないで!」
専属のメイクは勿論ついているのだが、メイクのいちばん最後に、口紅だけは必ず自分の手で引くことに決めていた。
慌ただしく人が行きかう楽屋に、元気のいい声が飛び込んでくる。
「シェリルさん!」
「あら、ランカちゃん。準備は終わった?」
「はい!」
そしてピンクの紅を唇に乗せたシェリルは、アルトの目の前で目を閉じた。
「ん!」
「おまえ人前で……」
「いいでしょ、おまじない!」
「あーまったく」
散々文句を言いながらも、アルトはそのピンクの唇にキスをして。そしてシェリルはにっこり笑った。
「じゃあ、行くわよ!」
「舞台の袖で見てるから。ふたりともがんばれよ!」
シェリルはランカの手を引いて、楽屋を出て行く。
楽屋からステージまでの、暗い廊下で、シェリルに手を引かれたままのランカがぶつぶつ文句を言った。
「もーっ、ライブ前はかならずこうなんですから! 見てる方が照れるじゃないですか、私だって昔アルトくんのこと好きだったんですよ!?」
「あら、大丈夫よランカちゃん、あたしのブーケしっかりキャッチしたんだから。すぐ楽屋でキスしてもらえるようになれるわ、ねえ、式はいつなの?」
「まだまだ先です、ずっと先! あのブーケは私命懸けで取りました。誰にも渡しません。でも私は結婚したからって楽屋で毎回おまじないのキスなんてしませんからっ」
真っ赤になりながらそういうランカの頬を、かーわいい、と人差し指でつついて。
「早く結婚しちゃえばいいのに、一緒に住んでるんだから」
「もうっ私のことはいいんです、ほら、行きますよシェリルさん、みんな待ってるんですから!」
歓声が聞こえる。
そしてあふれんばかりの光が。
大気のあるその星で、銀河を震わせる、歌が響く。
あとがき:
朽ち果てた教会でロミオとジュリエットみたいなアルシェリ結婚式、というのが元ネタでした。
全然ロミジュリにはなりませんでしたが……。
でも、ふたりの間に障害があって結ばれない、というコンセプトでは書けたかなー、どうかな……。
もともと考えてたこの話は、もっとずっと酷い話で、物語的にはおもしろいと思って、書いてみようとはしたんですけど、それをそのまま書いたらシェリルがあまりにも辛くて可哀想で、私の心が折れてしまい書けませんでした。
あとそれを書くと、シェリラーさんたちにもう二度と私の小説を読んでもらえなくなりそうだと思ったので……。
というわけで、なんかいじくりまわした所為で突貫工事っぽくなってしまったのですが、こんなお話になりました。
私、書いてる話は全部一繋がりの物語だと思って書いてるんですが、もしかしたらこれはパラレル的なif話になるのかも。自分でも実はよくわかりません。
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マクロスF二次創作。サヨナラノツバサから数ヶ月~一年後くらいを想定。私が思い描いたアルシェリエンドのうちのひとつ。