空は無く、瞬く星まで邪魔するものはない。そんな夜空を見上げて、思わず手を伸ばしていた。小高い丘から見えるのは、星のかすかな光とぼんやりライトアップされて闇に浮かび上がる大きな塔のような建造物。その微かな光を受けながら、二つの人影が楽しそうに夜空に手を伸ばしていた。
「博士、ほらまた」
少し抑揚に欠けた声に、博士と呼ばれた影が顔を上げる。ゴミの燃え尽きる光の尾は、イオンを振りまきながらゆっくりと夜に溶けていく。いつから自分は、流星がゴミの燃えカスに見えるようになっただろうか、そんなことを考えながら彼は本当だと相槌を打つ。自分より背の高い彼女を見上げ、彼は苦笑した。作られた存在である彼女が見ている世界は、きっと自分がそうありたいと願った世界なのだろう、そんなことを考えながら。
「ミク、前からいっていたあれ。本当に叶ったよ」
そういいながら、彼はポケットから紙を一枚取り出す。
ポケットに入っていたのにその紙は皺一つつかず、まるで定められたようにきれいな折り目で畳まれていた。ちょっとやそっとでは使わない高級な紙には、手触りでわかるほどはっきりした箱押しの印が一つ。
「……」
驚きに目を丸くしているミクの前で、彼はゆっくりと紙を広げていく。
「嘘じゃない、ほらここに局長のサインもある」
とん、と軽く指差したさきに、彼女でも知っている一番えらい局長の名前が書いてあった。
「……ほんとに」
「ああ、本当だ」
嬉しさと戸惑いと、どこか不安の混じった目が彼を見下ろしていた。それに答えるように、彼はゆっくり頷く。
「君は、宇宙にいける」
◇ Y― ◇
流れ星に願いを三回。
もしも三回お願いできたら、その願いは叶うんだ。
ミクは未だ覚めない夢を見ているような気分で、博士から受け取った辞令書を眺めていた。
すでに使い古された自室で、彼女は辞令書の文言を読んでいく。其処には、小難しい言葉で決まり文句や事後処理についての確認が並べられている。そして、そんな面倒臭い文字列の後ろのほう、ようやくミクが探していた言葉が見つかった。
――以上を同意した上で、乗組員として認める――
「へへ」
嬉しくて、思わず顔が緩む。つられて、パタパタと足が動いてる。自覚しているものの、止めようとも止まろうともしない足につられて、ごろごろとベッドの上をミクは転がり始める。
「へへへへへ」
宇宙だ。
ずっと手を伸ばしても届かなかった、あの場所へ行けるのだ。流星群が来るたびに、無理やり博士を連れ出しては何度も願い続けてきた甲斐があったというものだ。外出許可を毎回取らされる博士には、申し訳ないと思っていたが。だがしかし、これで宇宙に出れる。ミクは自然と緩む頬をそのままに、だらしない笑顔をつくる。願いはかなったのだ。
――博士と一緒に宇宙に行けますように。
何度も何度も、繰り返しそしてついに叶った。
「……や、ったぁー!」
叫びと同時、コール音が部屋に響いた。慣れた手つきでインカムの回線を開き、ミクは備え付け電話の回線と接続。すぐに電話回線からの応答があった。
頭の奥のほうで、電圧のゆれるパチリとした感触と同時ほんの少し世界が広がる。
「はい、ミクです」
「ボクだ」
圧縮され再伸張された波形は、聞き覚えのある声。
「博士。どうしたんですか?」
思わず送信側の圧縮レートを引き下げてしまう。すぐにサーバーから、不正情報だと怒られミクはしぶしぶ音声の圧縮レートを元に戻した。
ちょっとぐらい、音質のいい声で喋らせてくれてもいいじゃないかと、サーバーに不満を漏らしていると博士からの声が入ってきた。
「さっきの書類、サイン入れたらボクのところに持ってきてね」
そういわれてミクはあわてて紙に視線を戻す。
一番最後の行に、空欄があった。以上のことを承認します、という注意書きと共に。
「あ、はい。すぐもって行きます」
「急がなくてもいいよ。今日は作業がまだ残ってるからおきてる。好きな時に来てくれてかまわないよ。期限は明後日までだから、よろしく」
「じゃぁ、お夜食つくって持って行きますね」
「ああ、助かるよ」
それじゃ、といって電話は切れた。跳ねるようにミクはベッドから上体を起こすと、体内時計に質問信号を投げる。返答は夜食にはずいぶんと早い時間だった。
◇ Y― ◇
歌うために作られた存在が、まさか宇宙に行くほどになるとは。安間は電話を置きながら、長いため息を吐き出した。局長の気まぐれも大きいが、何より彼女がそう望んだのだから、仕方が無いといえば仕方が無かった。
もとより予算の少ない宇宙開発局だから、話題性こそがスポンサーへの一番のアクションであることは間違いない。仕方の無いことだと割り切れるようになった自分に、安間は舌打ちを一つ。苛立ち紛れに、力いっぱい目の前のキーボードを叩いた。
スクリーンセーバーから、思い出したかのようにOSの画面へと戻るディスプレイ。その反応のよさに、さらに彼は気を悪くしたのかディスプレイの電源を叩くようにして落とした。
疲れてやつれた男の姿が、ディスプレイに映る。苛立たしそうに安間は視線をそらす。
「くそっ」
予算が無いのだ。金だ。何をするにも金が必要だ。だから。
――だから人を打ち上げられない。
低予算を免罪符に、人気取りを言い訳に、ミクは打ち上げられる。人間に必要な生命維持システム殆どがいらない、必要なのは往復の燃料と彼女の燃料だけだ。
安い下請け会社の作った軌道計算ソフトは未だまともに稼動せず結果よりもエラーログを吐き出しつづけ、旧世代の管制システムは日に一度は宇宙人を着陸させている。そんな宇宙開発局に、すでに多段式のロケットがやってきていた。どっかの国の払い下げをリストアしただけのものらしい。基礎言語すら違うシステムが入った船と管制室とのリンクが取れたのは、つい最近だ。
「あんなものに……」
胸についているIDカードが、恨めしく天井のライトを反射させていた。ドクターの肩書きが、安間の心をすさませる。
もとより、ミクはこの宇宙開発局のオペレーターとしてやってきていた。電信において、彼女のインタフェースは完璧に近いスペックを有していたからだ。そして安間は、その専属サポートとしてこの場所にやってきていた。
実験動物のように扱われるために、ミクはこの場所に来たわけではない。そして彼もまた、実験動物を宇宙に上げるために来たつもりはなかった。
だが、彼女はそれを望んでいる。
◇ Y― ◇
扉を叩く音は、硬質でよく響く。振動は、鉄の扉からコンクリの壁を伝って廊下に微かな震えを残して消えた。
「博士ー」
声をかけると、椅子から重たいものが滑り落ちる音が響いた。
「博士?」
「……あ、あぁ。てて……。今あける」
すべるように開いた扉の向こう、倒れた椅子が転がっていた。
ミクが視線をさらに下に向けると、頭をさすっている博士がいる。
「どうしたんですか?」
「あ、あぁ。ちょっとウトウトとね。はいって」
彼の部屋は、博士の部屋と言うには少々憚られる部屋だった。学術書やスタンドアロンのサーバー機に、無停電システムの低い唸り以外は、まるで少年の部屋にしかみえない。
壁にかかっているのは、地球をバックに宇宙遊泳をしている宇宙飛行士の写真で、机には昔のシャトルと多段式のロケットの模型が飾ってあった。まるで宇宙飛行士を夢見る少年の部屋だった。
ミクは、自分が宇宙に行きたくなったのは間違いなく博士のせいだと思っている。でもそれは、誰にも伝えることの無い秘密だ。
「いつも、ありがとう」
そういって、博士はミクが持っていたトレイを受け取る。ツナのサンドイッチと、コーヒー。ツナとコーヒーは合わないとほかの研究員が笑っていたが、安間はかたくなにこの組み合わせを選び続けている。いまじゃ、研究所のツナ缶は殆どミクが買い占めてる状況だった。むろん、彼女が食べるために買っているわけではないが。
「あ、博士。サイン書いてきました」
「ほぉ。ほほにほいほいへ」
サンドイッチをほおばりながら、彼は机を指差す。
「でも、私がサインかいても、あまり意味ないきがするんですけど」
「……んぐ。形式さ、文字の個性から本人を特定する必要があるかは、二の次。サインをもらったという事実が大事なのさ」
サンドイッチを飲み込みながら、安間は手をひらひらとさせて笑う。背が小さい安間の手は、やっぱり小さかった。
だけど、ミクはしっている。その小さな手のひらから打ち出されるプログラムのコードは、壮大でしかし繊細、まるで五線譜に並ぶ旋律のように美しい。
「そういえば、ディスプレイどうして落としてるんですか?」
仕事をしていると言っていたはずだ。
「へ? あぁ、いや特に意味は――」
ノックしたとき、椅子から落ちるほどあわてていた。
いまディスプレイは消えていて、そしてつけようとはしない。
「……なるほど」
「え? なにが?」
「男性には、知られたくないことがあると局長からきいてます」
「――ちょっとまて」
「あ、すみません気が利かなくて。戻りますね」
「ちょーっとまて! ミク! 何か勘違いしてるんじゃないか?!」
安間の制止も聞かず、ミクはうつむいたまま部屋を飛び出す。
「まて!」
追いすがるように部屋をでた安間が見たのは、廊下を駆けるミクの後姿と、部屋から顔だけ出して廊下を除いている職員たちの面々。
「!」
彼らは一様に、ミクと安間を見比べてはみなニヤニヤと笑っていた。
「ち、ちが……」
何が違うのか、もう安間にもわかっていない。
「ドクター。痴話喧嘩もいいですけど、静かにしてくださいよ」
「とうとうミクちゃんに、ふられましたか? 安間さん」
「なんか、めちゃくちゃ顔赤かったけど?」
「あー、エロいこといたそうとして逃げられたんだー」
笑いの含んだ責苦に、安間の顔が真っ青に染まっていく。
「違う! 違うんだみんな! まってくれ、そうじゃない。ボクは――」
「ボクは、ただミクと愛を確かめようとー」
「うははははは!」
ドツボだった。
「安間ー、あせりすぎは禁物だぞー」
「だから!」
ぽんと、肩をたたかれ安間は振り返る。
屈強な禿頭の職員が、安間を見下ろして笑っていた。
「ほら、博士。ちゃんと用意はしないと、な?」
そういって目の前に差し出されたのは、ゴムだった。
真っ青から真っ赤に変わる安間の顔に、また廊下は爆笑の渦に包まれる。
「ちがう! だいたい、ミクは人間じゃないじゃ――」
言いかけて、思わず口を噤む。
罰が悪そうに視線をそらした安間の頭に、ごつんと衝撃が走る。
禿頭の頭突きだった。
「な……」
「博士、彼女は人だろ。一番そう思っているのは、あんたじゃないか」
返す言葉は見つからなかった。
誰も彼も、彼女が宇宙に飛ばされる実験体だなんて思っていなかった。
彼女は名誉ある宇宙飛行士に、選ばれただけだ。
ただそれだけだ。
「そうだ、ね。うん……」
だとしたら、この胸にあるとげのついた感覚は何なのだろうか。安間はただじっと、自分のIDカードを見下ろしながら思う。
――きっと、ボクが行けなかったからだ。
僻みだ。子供のように、ただただ悔しかったのだ。宇宙飛行士になりたかった夢を諦め、そしてなろうとせず言い訳をしていただけだ。挑戦もせず、無理だと最初から諦めただ出来ることを繰り返してきた自分への、憤りと後悔。
安間は、ゆっくり息を吐き出す。
「さ、博士。まだまだ仕事はいっぱいだ。がんばってくれよ」
内臓が飛び出るような、強烈な張り手を背中にくらい安間は咳き込む。気がつけば、職員たちは持ち場に戻ってもういなくなっている。
「そうだね」
今出来る事を繰り返すことが悪いことだなんて思わない。あきらめなければいけないことに、言い訳をし続けることも、必要だ。諦めたくなくても、しがらみが立場がその後がそれを許さない。そんなとき、自分を偽るしかない。そうやって生きてきた。それを、間違ったことだと安間は思わない。しがらみの隙間でもがきながら、それでもできることをしよう。彼女が無事に帰ってこれるよう、今は出来ることを精一杯すればいい。安間は自分に言い聞かせるようにつぶやく。
自分がそうありたいと願った世界をみている彼女を、応援しよう。彼はそう呟いた。
◇ Y― ◇
天を突くほどのその姿は、たった一人を宇宙へ運ぶためだけにそこにあった。
気がつけば、発射日。まるで流星が燃え尽きるほどの速さで、時間は過ぎ去っていた。ほとんど着の身着のままのミクは、興奮を隠し切れない顔で本物のコックピットに立っている。
地面に背を向ける形で備え付けられているシートを触りながら、うれしそうに鼻歌を歌っていた。
「とうとうだね」
声をかけられ、顔を上げるとそこに安間が立っている。いつものように白衣をはおり、人懐っこい笑顔で笑っていた。
「はいっ」
「どうしたんだい? シートに何かついてる?」
ずっとシートばかりをなでていたミクは、ほんの少し不安そうな顔をして、
「あの、博士はどこに座るんですか?」
つぶやいた。
「は!? いや、ボクは――」
「?」
背中にいやな汗を安間は感じる。
「ボクは、一緒にはいかないよ」
「え……どうしてですか? なんで? どうして!?」
一変したミクの表情に、安間は自分の予想が正しかったことを知る。
「何を言ってるんだ、ミク」
わからない、そういう表情を作りながらも、彼の頭はブリーフィングや彼女に渡された資料の内容を必死に思い出していた。
「だって! なんで博士もいっしょじゃないんですか?!」
「ブリーフィングうけただろ? 君は、月周回軌道上にあるコロニーの慰安ライブに行くんだよ。ボクがいってもなんの役にも立たない」
「でもっ、だって! ずっと博士と一緒に行けるんだって! 私……そんな」
誰も、そして資料にも、一人で行って帰ってくるという旨を直接彼女には伝えていない。
ロケットのペイロードはどう見ても、人間一人だって連れて行けるほどの出力はなく、酸素だって積んでない、真空にはならないがあくまでドッキングのときの気圧調整用と温度的な問題でしかない。
ちょっと考えればすぐにわかるはずだった。
だけど、彼女はそんな都合の悪い情報はほとんど聞いていない。
ほぼ遠隔操作と、自動操縦で勝手に飛んでいくロケットだ、最悪の場合でも彼女は宇宙線も真空も問題はない体だから、生命維持やロケットの構造的なものはほとんど説明されていなかった。
――最悪だ。
「だって! 博士!!」
「ごめん……、ちゃんと言っていなかったね」
ずっと彼女は信じきっていたのだ。だから疑問にも思わなかったし、不安もなかったのだろう。
「やだ! 博士が一緒じゃないなら私、宇宙いきません!」
「ミク」
「だって!」
「だってじゃない!」
カウントダウンはすでに開始されている。
すでに点火を待つだけのロケットに、天候も良好、この時期を逃せば一ヶ月以上の遅延は免れない。ミクが宇宙にでるというセンセーショナルな宣伝で集まった資金だって、無限ではないのだ。
「だって……。だって! 博士と一緒にいけるって! ちゃんとお願いしたのに! 流れ星に何度も何度もお願いしたのに!」
ミクは泣いていた。だけど、安間はかける言葉も見つからず、ただすまなそうに俯くだけしかできない。
「博士と一緒に宇宙に行けますようにって! 何度……も……なん、ども」
「ごめん、ちゃんと伝えなかったボクが悪い。でも、もうカウントダウンは始まってる。さぁシートにすわって」
安間がミクの肩に手をかけて、ゆっくりとシートへと導く。だが手を振り払い、ミクはしゃがみこんだ。
長い髪の毛を揺らして
「一人だなんて、私……そんな。行けません」
「大丈夫」
大丈夫だ。大丈夫なように、いまのいままでパソコンの前で格闘してきたのだ。
安間はうつむく彼女を無理やり立たせると、笑いかける。背がちいさくて、ちゃんと立たせてやれない自分がちょっとだけ情けなかったけど、でもそれでもしっかりと背をはり体を支えてやる。
「君の歌は、いつだって聞こえてる。なぁに、たったの38万キロ程度しか離れない。たいした距離じゃない、君の声なら2秒も遅れやしないさ」
ゆらゆらとゆれる視線に、安間は眉尻をさげて笑いかけてやることしか出来ない。
「地球の衛星軌道から離れて」
泣いてもかれない彼女の声は、それでもやはり震えていた。寝かせるようにシートにつかせる。
「右手にラグランジュ1をみる」
答えるように安間がつぶやく。これからミクが通る航路だ。
「マニューバは三回」
「投入軌道にゆっくり速度をあわせて月の重力に引っ張られる」
「月から3000km。月軌道上でドッキング」
「そう。大丈夫、たいした距離じゃない。ちょっとした小旅行だよ」
「でも、博士は……」
「……予行練習さ。次は一緒に行こう」
覚悟を決めたのか、納得したのか、それともあきらめたのか。ミクはゆっくりうなづいた。
「時間だ。気をつけていってらっしゃい」
「はい、いってきます」
◇ Y― ◇
マスコミや見物人たちはすでに安全圏から発射台をとりかこんでいた。そんな人ごみを横目に安間はバギーを走らせる。すぐに人ごみは見えなくなり、視界が広くなっていく。ちらほらと、双眼鏡をかかげた見物客が散見されるが、まばらでよけるためにハンドルを切るほどじゃなかった。
送り込まれる燃料の量にバギーのエンジンが文句を言い出した頃、ようやく丘の頂上が見えてきた。振り返ればすでに冷却用の水が蒸発しロケットの周りを白くそめあげている。
時計をみれば残り1分。ギリギリ間に合ったと、安間は安堵のため息をついた。
「やぁ、パイロット。調子はどうだい」
ポケットから取り出したインカムを電話のように手に持って安間はつぶやいた。
「博士」
「昼にみると、やっぱりでかいね」
「どこにいるんですか? 誰かにみつかったらおこられちゃいますよ」
相変わらず抑揚に乏しい声だったが、驚きと嬉しさで早口になっている言葉に、安間は声と立てずに笑った。
「いつもの丘。周りには、高そうな双眼鏡を持ってる酔狂な観客がすこし」
いいながら。安間はインカムのカメラの電源をいれる。
「大きいですね、ロケット」
「安心だろ?」
「……はい」
嘘をつくのがへたくそなロボットは、それでも必至に偽りをつぶやいた。
「がんばって。帰ってきたらパーティーでもし――」
「ねぇ、博士」
さえぎるようなミクの言葉。
「なんだい」
「ロケットじゃなくて、博士の顔みたいです」
カウントダウンはもう、10秒前。ミクから届く声にすら、もうノイズが混じっている。インカムについてるカメラ程度の画像が、どれだけ彼女に届くのかはわからなかったが言われた通り、インカムを自分の顔に向けた。
「これでいいかな」
5秒前。
「……」
ミクからの返事はない。
2秒。1秒。
爆音そして間髪をいれずに、世界を吹き飛ばしそうな風が吹いた。
インカムのスピーカーから何か声が聞こえた気がしたが、爆音にかき消されて聞きかえすことはできない。だから安間は大きな声で叫んだ。
人には聞こえなくても、ミクならばこのノイズの中だって自分の声を聞き取ってくれる、そう信じて力いっぱい。
「ミク! 今度は一緒にだ!」
弧を描き、ロケットは空へ飛ぶ。
最初はゆっくり、だけどその速度はすぐに何もかもを置いていくく速度へと加速していく。雲を超え、音を超え、最後には大気圏をも超え、地球の周りを回れる速度を手に入れるのだ。ロケットは力強く空へ。空へ。そして。空よりもさきの宇宙へ。
衛星軌道へと打ち上げ。
タイミングと角度をわせながら地球を二周。
数十秒の加速、衛星軌道から離れ。
右手にラグランジュ1をみる。
マニューバを三回。
減速して、ゆっくり月に引っ張られる。
最小の燃料と安全で簡単な航路は両立はせず、数百メートル先から小石を投げて針の穴に通すほどの精密さが要求される。ミクは、やってのけるさと豪快に笑った坊主の局員を思い出した。あんな豪快な人間が組んだ航路は本当に大丈夫なのか、そんな心配は少しだけはある
――とういうか、心配しすぎて壊れそう……。
そんなことを考えているうちに、ふっと体にかかる重圧がかるくなった。
ようやく切り離しか、そう思って船の状況を確認するとすでに二段目の切り離しがすんでいた。大気圏離脱まで残り数秒。思わず脱出装置の点火プロセスに、鍵コードを流し込みそうになってあわてて止める。もうここまできたら腹をくくるしかない。
ゆっくりと息を吐き出す。緊張も一緒に流れていってくれればいいのに、そんなことを思いながら彼女は船体状況のリトレースを開始。ミク専用に組まれ設計されたインターフェースは、人間が見るとただの壁と申し訳程度についたディスプレイにしか見えない。
最悪の状態をかんがえて、脱出装置だけは手動で起動できるようになっているが、あとはほぼミクの持っている電信装置を介して行われるようになっている。
「便利だけど……」
なんだか体を動かすことを忘れそうだ。ロケットの部品の一つになったような、そんな錯覚に陥る。身体感覚はすでに拡張され、本来の彼女の体は月基地とのドッキングまで椅子に張り付いたままだし、それを苦痛に感じるようなことはない。事実このプロジェクトには、そういったロケットそのものに彼女のような中枢装置を取り付け太陽系外などの超長距離飛行を見据えた実験も盛り込まれている
と、一瞬にして音が、そして世界が抜けた。思わず故障かと真っ青になったが、すぐに違うと理解する。すべての状況は一切問題なし、つまり予定通りであった。
詰まっていた鼻が抜けたような感覚。静かになったわけでも視界が広がったわけでもないのに。それでも体の生き残ったパッシブセンサーが、直接につながっているロケットのすべてのセンサーが告げていた。我々ケイ素を基礎とした機体も意思も、ただこの場所に至るために存在していた。そんなばかげた妄想が、どこか真実見をおびて脳裏にうかんではきえた。すべての意志は生まれ育った星を飛び出したがっているといわれても、いまのミクなら信じてしまいそうになる。ツィオルコフスキーもゴダードもオーベルトもフォン・ブラウンもみなこれを夢見ていたに違いない。そう――
宇宙へ出たのだ。
思わず身を乗り出すミク。だが、体はベルトと配線で固定されていて動けなかった。しかたなくあきらめ、作業に戻る。
船体状況に不備はない、拡張された身体感覚へのリンクも良好だ。連絡をとろうと開いた回線に向うから通信がさきにやってくる。
『おめでとう! ミク。打ち上げは成功だ』
ノイズを混じらせた、簡易な音声通信。局長の聞きなれたシャガレ声。それと背後から聞こえる、陽気な歓声。宇宙開発局のみんなのその喜びの声に、ようやくミクも自分が今いる状況を理解しはじめた。
『静かにするんだ、声が聞こえないだろうが!』
局長というよりは、下町の頑固親父といった威勢の言い叫びに、一瞬にして歓声がやむ。
みんなが声を聞くのを待っているのだと、思わずミクは息を吸い込んだ。
息をすって吐き出す。出るのは声帯を震わせる声じゃなくて、電波に乗せた声。
『ありがとうございます』
『さぁ、これから長い旅だ。8時間後には地球を離れる、通信もすぐに地球の裏側にいって取れなくなるだろう、また数時間後通信回線がひらくまで、ゆっくりしていてくれ』
『はい、局長』
『それと』
『はい?』
『どこかの衛星回線のっとって、回線あけるようなことはしないでくれよ』
『……はい』
先手を打たれた。
――博士の声、きけなかったな。
『船体のモニタなどは、こちらからもできている。もし何かあったら緊急回線を使うんだぞ』
『わかりました。よろしくおねがいします』
気をつけてな。局長はそういって回線を閉じた。ほぼ同時回路に微かな電圧のゆれが走り、直接回線が途切れたことを知った。
◇ Y― ◇
することが無くなって数時間、ミクは暇をもてあますように船外カメラに接続しては外を眺めていた。規則正しく視界を横切る大きな地球とまぶしすぎてよく見えない太陽。太陽にカメラが向くたびに、素子が焼け付くのではないかと心配なほどの光量にミクは目を細めた。カメラもミクの感覚にあわせて、光量を絞る。
宇宙は想像よりもつまらない。無重力だって椅子に縛り付けられてたら、楽しめるわけが無い。それに一緒に行きたかった人はいない。
カメラの端に、何かが横切った。意識してカメラを向けるとすでに廃棄された衛星のかけらだろうか、なにか大きな塊が地球に向かって落ちていくのがみえた。大きいと言っても、レーダーに映るレベルではないし、大気圏で燃え尽きるのは間違いないだろう。
――流れ星になるかな。
ミクは思わずカメラではなく、体を動かしていた。ベルトの締まる感覚に、身体感覚を思い出す。
――いそがないと、見えなくなっちゃう。
船体に拡張された感覚をカット、縛り付けているベルトのロックを遠隔操作ではずすとミクは体を起こした。瞬きする間すら惜しいとばかりに、体から伸びてる配線をはずそうともせず彼女は椅子から勢いよく立ち上がる。
そしてそのまま体全体が椅子から飛び上がるように離れた。
無重力だと言うのをわすれていたわけではないが、思うように体が動かない。背中から伸びてる配線が伸びきり彼女の体を無理やりに引きとめ、張力に端子が外れた。
「きゃっ」
強制的に外れた回線に、エラーが走り思考の一部が反応し回線の確認と現状復帰に躍起になり始めたころ、またいくつかの配線が外れた。外れるたび、彼女の体にはくすぐったい感覚が走り、思わず身もだえする。しかも外れるたび、体の向きが変わりあらぬ方向へと向いた。
「あわわわわ」
長い髪の毛が配線に引っかかり、そこでようやく彼女は体の安定を取り戻した。体を壁面のおうとつをつかって固定すると、髪の毛と絡まった配線をはずす。
――踏んだりけったりだ。
気を取り直し、ミクは船尾にある窓へと体を進めていく。
払い下げのロケットには、いくつかまだ人がいたころの名残がある。その一つが窓だ。本来ははずそうと言う話になっていたが、もとより設計上問題のあるものではないし、むしろはずしたほうが問題になりやすいと、安間がその窓を残してくれたものだ。
――ありがとう博士。
カメラでみるのと、何のかわりもない。あくまで理論であり理屈の上では。肉眼を持たない身で、しかも船外カメラがあっても、それでもミクにとってはちがった。
扉をこえ、照明をはずされた通路のさき、小さな長細いのぞき窓があった。
「みえるかな……」
長細い窓いっぱいに、真っ青な地球が広がっていた。船外カメラでみるよりも小さくて、ガラス越しのにごった地球だったが、船外カメラで見るよりも大きくてそしてきれいに見える。
「……すごい。宇宙にきてるんだ……」
と、先ほど見つけた衛星のかけらが赤い炎を上げ始めた。すでに突入していたのだ。ゆっくりと温度があがって、金属がとけているのか地上で見るよりもカラフルな炎が上がっている。
流れ星に願いを三回。
もしも三回お願いできたら、その願いは叶うんだ。
気がつけば両手を握り締めていた。いつもやるように、流星を見上げて願い事を三回。真っ黒な夜空じゃなくて、真っ青な地球をバックに流れ星が行く。
――博士と一緒に宇宙に行けますように。
願いは半分だけかなっている。後半分だ。
三回願い事を繰り返し、目を開けた。流星はまだそこにあり炎の尾を引いて地球へと落ちていく。
願い事はうまくいった。だけど、ミクの表情はくもったままだった。どうせ、博士は宇宙にいけないのだ。すでに40歳をすぎもう50歳に近い彼が、しかもずっとパソコンと学術書を相手にし続けてきた人間が、今更宇宙にでれるわけがない。体が持たないだろうし、いまから体を鍛えるのも無理すぎる。もとよりインドアな博士が、ここにのぼってくることは無い。
わかりきっていたことだ。最初にロケットのスペックを見たときから知っていたことだ。ブリーフィングを受けて、あきらめたことだ。
わかっていた。発射のとき、わざとごねた自分が恥ずかしい。でもちゃんと本人からそのことを聞きたかったのも本心だ。
流れ星は、いまだ地球に向かって炎を上げて落ちている。もしかしたらなんていう期待はどこからきたのだろうか。ふと、ミクはもう一度願い事をと両手を組む。
――どうか、博士と一緒に宇宙へ行けますように。
流星に届くように、ゆっくり丁寧に。
でも願い事は叶わない。
願い事は――
何度も後悔した。
そんなことは願っていなかった。
ミクは、今もそんなことを思う。あの日、あの時、地球に落ちる流れ星に両手を重ねた瞬間。
願い事はかなった。
最悪と最低をごちゃ混ぜにしてやってきた。
気がつくべきだったのだ、だがリンクをきって地球を眺めていた。
予測できたはずだった、あの巨大な欠片が何を意味していたのか。
悟るべきだった、両手を合わせて願っている場合ではなかった、すぐそこに衛星の本体が飛んでいるのに。
衝撃は、回路のショートによる強烈な電磁場の乱れからきた。
「あ――」
コンマ何秒という世界で、いま自分がどういう状況にいるのか悟ったミクだが、しまったという感情すらわきあがる前に物理的な衝撃が一つ。
前時代に廃棄された衛星の一欠片。衛星自体は問題にならない高度だったのだろうが、その欠片が当たったのだ。数センチ程度の小さな、だが致命的なデブリが当たったのだ。
数キロはなれて、それなりにはっきりとみえた破片が燃えている姿を見つけたとき、気がつくべきだったのだ。
だがすべては遅かった。
衛星の破片郡の一部が、ミクが乗ったロケットの燃料タンクに突き刺さるまで一呼吸もいらなかった。
液体酸素を吸い込み、一瞬にして燃料は炎を吹き上げた。船内の気体酸素を貪欲にむさぼり、通路をかけのぼり、そして自動的に通路のシャッターが閉じられたのをミクは見た。
せめて操縦席にいれば、せめてデブリ郡に遭遇することにきがつけば、何とかなったかもしれない。脱出装置のパージする音が、爆音にまぎれて聞こえた。伸ばした手は、何もつかめずそしてすでに内部構造が顔をだしている。
――ごめんなさい、博士……。
ちょっとだけ、博士と一緒ではなくてよかった。そんなことを思いながら、ミクは離れていく空っぽの脱出艇を見送った。灼熱の爆炎にカメラアイに亀裂がはいる。せめて、インカムだけでも。
――博士。
体をまるめ頭とインカムを守るように、そこで彼女の意識は途切れた。
◇ Y― ◇
簡素な部屋に、一つ大きな写真が増えた。
安間は、飾り気のない額縁をなぞっては写真の位置を何度も何度も合わせなおしていた。写真は、青空に一筋の雲が伸びているものだ。よくみれば、その雲のさきにはロケットがうつっていた。すでに小さく小指の先ほどにしか写っていないが、力強く空へ駆け上がる姿だった。
「急いで現像した割には、結構いいかな」
一人納得したようにうなづく安間。写真に触れれば、あのときの空に上る力強い爆音が聞こえてくる。
――そろそろ、地球の裏側だろうか。
ふと天井をみあげ、予定航路を思いながら安間は目を細めた。
と、扉を力いっぱい叩く音。
「はい?」
「博士!!」
扉をあけようとロックをはずした瞬間、外側から勢いよく扉が引かれた。
「博士! ロケットが!!」
管制室は、安間がひるむ程に荒れていた。メインディスプレイに映し出されているのは、ミクが飛んでいるはずの航路図ではなく、ロケットがロストしているという警告。耳をつんざくエラーと警告のブザーに、どこのバカ衛星だ! という罵声が聞こえる。
安間はいきりたっている局員をかきわけて、あいているオペレート用端末の前にすわった。
「ミクっ!」
すでに廃棄され、ゴミとなった衛星がデブリに破壊され漂っていたところに運悪くミクのロケットが通ったらしい。脱出ポッドの信号は捕らえたものの、中にミクの姿はなかった。船内カメラの画像から、自分から椅子を離れたことだけがわかったものの、彼女が今どこにいるか皆目検討もつかない状態だった。
――きっと地球をみてたんだ。
のぞき窓から。安間が、ミクのためにと残したあののぞき窓から。
「クソ!!」
窓をつぶしておけばよかった。そうすれば、彼女が椅子から立ち上がる理由はなかったのに。安間は過去の自分を殴って止めたい衝動にかられながら、必死でコンソールを操作する。
「ミク! どこだ……」
爆発の規模は想像以上に大きく、脱出ポッドの移動距離から割り出された衝撃は、少なくても吹き飛んだミクほどの小さなものを予測できるほど生易しいものではなかった。
最悪。そう、最悪――
彼女は大気圏へと落ちた可能性すらあった。
まがりできるレーダーに限界はあり、手に入る情報の信憑性は60%を切っている。そんななか、人間台の物を探すことは殆ど不可能にちかかった。初期位置はわかっているが、かといって時間がたてば立つほど可能性が広がっていく。さらに最悪なことは、人命がかかってるわけでは無いという理由で、情報を出し渋る国がいることだ。
一秒で数キロではすまない距離で広がっている移動予測距離が、焦りを加速させていく。呼吸が荒く、嫌な汗が体中をまとわりついているのがわかった。
安間は、必死でコンソールを操作し続けている。手に入る情報の欠片に、ミクが発信した電波の波形の痕跡はないのか、どこかの衛星にミクの声が届いた形跡はないか、時には違法レベルの進入すらいとわず、安間はコンソールを叩く。
安間は、ミクはいまだ健在で大気圏に落ちてるなんてこれっぽっちも考えていなかった。
◇ Y― ◇
「博士、オペレーターたちに任せて休んだ方がいいぜ」
肩をたたかれ、安間はわれに帰る。ふりかえれば、禿頭の局員が後ろに立っていた。
「あ、あぁ……」
「もう丸一日たってんだぞ、わかってるか?」
驚きに目を丸くすると、安間はキョロキョロと辺りをみまわす。
それだけの時間が立ってしまったのかという驚きより、予測到達距離が広がったのが安間にとっては衝撃だった。急がないと。
その思いだけで、また彼はコンソールに向かい手を――
「博士!」
力いっぱい安間は手をつかみあげられた。
「は、なしてくれ。急がないと」
「本当に急ぐなら、作業効率をかんがえるべきじゃないのか? 博士。徹夜で動かないからだと頭でなにができる? このままミクがみつからなくて、あんたが先に倒れたらどうする?」
「……しかし」
「あんたは人間だ、休息だって食事だってひつようだ。大丈夫、だれも彼女をみすてたりしないよ。あんたが寝てる間にも、専門家が必至に捜索してくれる。安心して今は寝るんだ。みつかったとき、彼女をあんしんさせてやらにゃーいかん」
安間は何も言えず、ただゆっくりと頷く。
「さ、もどって寝ようぜ博士。起きたらまた宝探しだ」
「ああ……そうだね」
はやる気持ちを抑えられるほど、人生経験を積んできたつもりはない。この年齢になって、いまだ大学の研究室にいた自分となにが成長したのかなんてわからない。もしかしたら大学受験手前の高校生のころから何も変わっていないかもしれない。40を過ぎてなお、自分が周りから博士と呼ばれることになれてはいなかった。
『博士』
今にも夜食を持ってミクがやってくるのではないかと、幻想を抱いてしまう。
気がつけば自室だ。いつどうやって戻ってきたのだろうか、そんな疑問が寝不足の頭の上でくるくるとまわっている。壁にかけられた宇宙飛行士の写真のよこに、ミクののっていたロケットの写真がかけてある。手で触れても、そこにもうあの力強い発射音はきこえなかった。
◇ Y― ◇
――バスシリンダ異常。脚部電圧異常。オラトリオ素子異常。
消えそうな意識の中で、エラーを聞いた。
――右眼カメラ破損。自律神経節異常。異常。異常。早急にメンテナンスを受けてください。
体の感覚は消え、昔まだ自分が小さな媒体に入るぐらいのころを思い出す。体がどこにあるのか理解できない、反応を感覚へと昇華させるまで何年もかかった。入力に反応できても自ら出力できるまではもっとかかった。意識というのが、本当はとっても単純で脆いものだとしった。
全部、博士が教えてくれたことだ。
『さぁ、動かしてごらん。君の両手だ』
メモリが時系列を無視して呼び出されている。揮発性の簡易メモリの領域にまるでこびりつく用に残ってる記憶。ちょっと若い博士。皺が少ない。そんなことをどこか記憶を見下ろしてるミクが考えている。
いわれるがまま、ミクは体中に質問信号をとばした。
――全身体ping送信。左腕帰着確認。聴覚機構帰着確認。左目帰着確認。右半身ロスト。声帯素子帰着確認。HNIインカム帰着確認。左脚帰着確認。
体の半分が、爆風で破損もしくは欠損していた。視力が戻らないので事実確認はできないが、少なくても頭は大丈夫そうで、彼女は安堵をする。
『おいで、もう君は立てるはずだ』
伸ばされた手。思わず彼女はその手をつかもうと、手を伸ばした。
「は、かせ」
伸ばした手は、届かず空を切り、二の腕の曲線シリンダが気圧負けして破裂した。衝撃で跳ね上がる左腕。しかし体はなぜか動いていないとセンサがいっている。それでやっと自分が宇宙に放り出されてると思い出した。ぼやけた視界のなか、規則的に地球が顔をだす。辺りには、ロケットなのか彼女自身のものかわからない破片が幾つも漂っていた。
「あ……」
体内時計はいまだ律儀にその数字を刻み続けていて、おかげで事故からどれだけの時間がたったのか、その絶望的な数字だけはミクにもわかった。
丸二日だ。いったいいつまで地球を回っていられるのかすらわからない状況で、すでに二日たっているのだ。いつ地球に落ちてもおかしくなく、いつ地球から遠ざかってもおかしくない。いったい自分がどういった軌道をとってるのか、どういった未来がまっているのかまったく未確定だった。
だけど、だけれども、彼女は動きの硬いまぶたを閉じながら思う。
――出来れば、地球に落ちたい。
そうすれば、流れ星になれるから。
もしかしたら。
「博士に……」
――見てもらえるかもしれない。
そんな諦めの言葉が、胸にしみこむことはなく、襲ってきたのは諦めが見つけた結末。そして、体中を切り裂くような絶望と恐怖。
「あ……あぁっ! いやっ! 博士! 助けて!! おねが――」
電圧不安定による一時的ショート。ばちんと、頭の中で何かがはじける音がして、ミクの意識は叫びとともに吹き飛んだ。
◇ Y― ◇
いつ寝たのか。思い出せなかった。一度部屋に戻って寝た気がしていた。すでに目の前にあるミクの存在予測範囲は地球の半分を覆っている。しかしそれも一部分の軌道に過ぎないことはわかっていた。引力圏内を離脱する軌道や地球に落ちる軌道は結果が出しだい表示予測から消されているからだ。
「博士、まだやっているのか」
かけられたこえに、安間はあいまいに頷きながらも視線はディスプレイからはずさない。
「もう、4日だぞ。博士……」
「そうだね。急がないといけない」
そう、急がないと。ずっと地球の周りをまわっているだけじゃかわいそうだ。
「博士? おい、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫さ。大丈夫だとも。ミクは見つけてみせる」
禿頭の局員は、大きくため息をついた。今のところ、デブリによる二次災害もなくまたミクらしきものが大気圏に突入した形跡もない。だが、彼女が無事である保障は一つもないのだが。
できれば――
できれば彼女の破片でも、見つかれば。
そこまで考えて、彼は自慢の禿頭をたたいた。
「俺も疲れてるみたいだ。博士、ちょっと俺は休憩するよ。あんたも、ちゃんと休むんだぞ」
「ああ、わかってる。大丈――」
いきなり言葉を飲み込み、安間は固まった。体力の限界がきて、気絶したのかのようにみえたが、そうではない。
「はかせ?」
「……聞こえる」
「なにが?」
気でも狂ったのかの様にすらみえる安間は、耳に当てたイヤホンを押し付けながらじっと動かない。
「お。おい。博士?」
「ミクの歌だ!」
◇ Y― ◇
すでに数えられるだけで、5回以上意識が飛び記憶は断絶し、気がつけば四日も宇宙を漂っている。凍っては溶け出しすでに用を成さない潤滑剤が辺りには飛びちって、星くずのようにきらきらと太陽の光を反射している。偶然の神様は、いまだ彼女を地球にも宇宙にも連れて行ってはくれず、ぐるぐると同じ場所を回り続けることを強要していた。
やることはなく、残った電池残量ぶん地球を回り続けなければいけないのかとおもうと、ミクはその長い長い時間に恐怖すらおぼえた。いつまでも終わらない終焉への恐怖に耐え切れず、彼女は気がつけば歌を歌っていた。
『君の歌は、いつだって聞こえてる』
もしかしたら届くかもしれない。見つけてもらえなくてもいい、ただミクは博士に歌を聞かせたかった。
――博士。聞こえますか?
電波にのった歌は、遠く宇宙の果てまで響く。そう信じて、彼女は凍りついた体を伸ばし、電圧の安定しないインカムを通して、歌を歌う。
◇ Y― ◇
「聞こえないのなら、聞かせてやる!」
安間の大声に、管制室は騒然となっていた。異様な雰囲気の安間を遠巻きに局員達がみまもっていた。とうとう幻聴が聞こえ始めたのだというもの、どこかべつのところからのノイズだというもの、誰もが信じていなかった。
だが、安間がデコーダの値をいじるたび、ノイズキャンセラーの設定をいじるたび、アンテナの方向を変えるたび、嘲笑はざわめきへ変わっていった。
ホワイトノイズの向こう。か細く、今にも消え入りそうだが聞き覚えのある歌声が聞こえるのだ。最初はだれもが信じられなかった。ミクの持っている電信能力の出力では、どうやっても地上からその声を拾うことなど無理に等しい。聞こえるはずの無い歌声は、次第に大きくはっきりと管制室に響きわたっていく。
「聞こえるよ、ミク。君の歌は、いつだって聞こえてる」
ゆっくりとインカムをおき、安間は最後にコンソールに手を触れる。
同時、はっきりと誰もが認めざるを得ない精度でミクの声が聞こえた。
まるでそれはコンサート会場だった。彼女の歌声に、誰もが歓声を上げている。
馬鹿らしい、と思いながらも安間は笑みを浮かべてその様子をただただ見守る。
◇ Y― ◇
ようやく、高精度のアンテナをつかってミクと交信がとれ、かなりの精度でミクの場所を特定できた。すぐさま対策班が組まれるはこびとなり、管制室は大騒ぎだった。
「ミク、聞こえるかい?」
『はい、博士』
「すぐに迎えにいくから、待っていてくれ」
『……はいっ』
マイクをおき、安間は大騒乱中の管制室を静かに後にした。
――迎えに行こう。
白衣はもう要らない。年齢を言い訳に、夢を諦めることもしない。
安間は自室に戻ると、ディスプレイの電源を入れる。そこにはウィンドウが一つ立ち上がっている。メールの返信ウィンドウだ。
件名は『宇宙飛行士選抜について』
安間は、返信本分に書かれている言い訳と断りの文言を纏めて消すと、キーを叩きはじめる。
――了承しました。
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STARGAZER PV化用プロット小説。PVは頓挫中。絵師さんたちに、小説勝手に上げたことばれませんよーに。よーに。 頼む。だが今は昼だ。