第4話”はとう”
カフェ・フロリアンと同じ頃に建てられたカンナレージョ地区の古めかしい石造りの建物に局長はいた
局長はゆっくりとした足取りで深い地下室への階段を降りていった
暗闇の中にただ足音だけが響いてゆく
階段の先にある重厚な扉を開けると、硬い石畳に冷たい足音を響かせながら祭壇の間の奥へと進んだ
彼が祭壇の前に跪き、祈りを一章節を奉げ終わった時、突然暗がりから声が掛かった
「セフィロトの樹ですか、相変わらずここはいい趣味をしていますね」
以前”トレーナー”と名乗っていたかつての局長の盟友が天井を見上げながらそこに立っていた
「本来なら君はここには立ち入れぬのだがな」
局長はゆっくりと立ち上がると振り返った、その動きは緩慢なように見えて一分の隙も無かった
「蛇の道は蛇ですよ、蛇は楽園にすらもぐりこみましたからね」
温厚な局長もこの時ばかりは嫌味を言った
「君は蛇では無く蠍だろう」
青年はそれを無視して歩み寄ると、手に持った端末を開きデーターを表示した
局長の目が細められる、彼はそれに一通り目を通した後、青年を睨み付けた
「手を出すなと・・・いや、君には言っていなかったな・・・」
「手は出していませんよ、目を凝らし耳を澄ましただけです」
青年の軽口に溜息を吐くと、局長は再び背中を向け祈りを奉げ始めた
「君に君の考えがあるように、我々には我々の考えがある・・・お互いにそれを尊重してもらいたい」
「もちろんですよ」
青年はあっさりと諒解すると端末を畳んだ
「しかし、あなた方は本当に”あれ”を放置しておいてよいのですか?”神に至る鍵”かもしれないのですよ?」
局長の気配が微かに変わる、しかし局長は青年の挑発を無視して話題を変えた
「チップは本当に処分したのだろうね?」
その問いに青年は口の端を微かに歪めて笑うと皮肉るように答えた
「無論です、私も長生きしたいですからね、最高大総監殿」
青年が撫でるように暗号を打ち込むと、端末の内部から微かな破裂音が響き焦げ臭い煙が漏れ出た
ーーーーー
「はい、これ」
図書館に行った次の日の夕方
心の整理がつかず一日中悶々としていた僕の目前に、アリシアがカバーに包まれた1冊の本を僕に差し出した
「・・・これは?」
見上げながら問い返す僕にアリシアが微笑んだ
「昨日、あなたが探していた本かもしれないってグランマが届けてくれたの」
まさか?!
驚愕のあまり頭が熱暴走しそうなのを抑えながら僕は急いでカバーをあけた
『観測者側意識情報と被観測側量子情報の統一共依存情報理論』
本を裏返して巻末を確かめる、”著:せだえんらc、出版:民明書房”
本の素性を知ってほっと胸をなでおろした、ただのいかがわしい似非科学本じゃないか
僕はそれをアリア社長に爪とぎ用にプレゼントすると、夕食の献立を揃えに行くアリシアのゴンドラの櫂を握った
そしてアリシアの背中に語りかけた
「アリシア、もしも君が聞いてくれるなら今夜二人きりで話がしたい」
アリシアが背中で物語る気配が微かに変わった
でも、その時の僕にはその変化の意味までは読み取れなかった
ーーーーー
その日最後の客を降ろし小さなカフェでくつろいでいた晃は、リアルト運河の市場に向かうアリシアとセリオの姿を見つけた
「おーいアリシア!・・・と、ついでの着せ替え坊主!」
晃はカップの底に残った紅茶を飲み乾すと、勘定のコインを数枚テーブルの上に置いて、 自分のゴンドラに飛び乗った
「夕飯の買い物か?」
瞬く間にアリシアのゴンドラに追いついた晃はそう問いかけながら並航した
「ええ、今夜はビーフシチューよ」
アリシアが微笑ながら答える、その言葉に晃のお腹がグゥと鳴った
「あたしも買出しと料理手伝うよ、その方が早いだろ?」
強引に”リアルト買出し紀行”に加わる晃にセリオが嫌味を言う
「そんなこと言って、ホントはアリシアの料理が目当てなんだろ?」
「はっはっはっ、こいつめ」
図星を突かれ、声は笑いながらも目が笑っていない晃の櫂の一振りをセリオはあっさりかわした
「「どうやら決着をつけなきゃいけないみたいだな?」」
晃とセリオのセリフがはもる
アリシアは楽しくて堪らぬように口元を押さえて笑った
「うふふ、二人とも本当に仲良しさんね?」
その声に晃とセリオのセリフが再びはもった
「「誰が!?」」
その後、3人でリアルト運河の河岸の露天商を冷やかしながら買い物を続けた
その間、晃はずっと好物の胡桃パンをぱくついていた、大袋一杯の胡桃パンを
「晃」
セリオは晃の健啖ぶりに感嘆しながらも、晃のお腹の辺りを見ながらにやっと笑った
「そうやって身体が重くなっても沈まないように”浮力”を増設してるんだね」
晃は意味がわからずにぽかんとしていたが、セリオの次の言葉でピキリと青筋を立てた
「ほら、脂は水より軽いだろ?」
殺気を醸しだした晃とセリオが互いに身構えたが、以外にも何も起こらなかった
「そうか・・・」
手を出すかわりにそう口に出しながら晃はニヤリと悪戯っ子の笑みを浮かべた
「アリシア、今夜も泊まりに行っていいか?今夜はあたしのお古も持っていくよ、お人形はあるしな・・・」
またセリオをおもちゃにしようと獲物を物色する目で見ていた晃に返ってきたのは思いがけない答えだった
「晃ちゃんごめんなさい、今夜はこの子と二人きりでお話をしたいの・・・それとも”チキン・ブロス”になりたい?」
櫂を握るアリシアが笑顔のまま発揮する迫力の前に晃はなす術も無く圧倒された
(こっ、これが、”女同士の友情よりも・・・”ってやつか・・・)
もちろん、それを口に出すほど晃も無謀な命知らずではなかった
ーーーーー
「お母さんはどんなお料理が得意だったの?」
夕食の準備でキッチンに立っていたアリシアが振り返った
しかしアリシアの目に映ったのは自分の微笑みとは対照的なセリオの沈んだ表情だった
「僕にはお母さんなんていないよ、家族なんて誰もいない・・・」
「・・・」
アリシアは自分の思慮の浅い言葉に後悔した
そう・・・この子は一人ぼっち、【必要とされても決して望まれることのない存在】
呵責にさいなまれるアリシアの心にその後セリオが微かに呟いた独り言が突き刺さる
「でも・・・でもきっとあの人は僕を覚えていてくれる」
再びキッチンに向き直り調理を進めるアリシア
その心は乱れていた
それがアリシアの手元を僅かに狂わせた
「・・・っ!」
刃先がアリシアの指を傷つけ真紅の血が流れる
「アリシア?」
セリオはアリシアの元によると手を取り指先を口に含んだ
指先の痛みがすっと消えてゆく
セリオが口を離したとき、アリシアの指先には傷跡すら残ってはいなかった
「ありがとう・・・」
物理法則を超越した現象に驚きながら指先を離すアリシアの瞳を、セリオはじっと見つめていた
「もしも、その傷から黴菌が入ったらアリシア達の・・・人間の身体はどうするか知ってる?」
不可解な言動を始めるセリオにアリシアは途惑った
「それは・・・白血球が黴菌をやっつけて守ってくれるわ」
セリオは頷く
「そう、人間の体の免疫機能が黴菌と戦って守ってくれる、免疫には必ず勝たなければならない義務がある」
アリシアはナイフをキッチンに置いて改めてセリオに向き直った、セリオが何を言いたいのか判らない
「アリシアは”戦う”ということをどう思う?」
深遠な問いにアリシアはジョーイを思い出しながら答えた
「心と心が通い合えば必ず判り合えるようになるわ」
「僕もそう思う、でも白血球と黴菌は共存できるかな?」
間髪いれずセリオが答えた
その時、ついにセリオはアリシアに心の全てを開いた
ーーーーー
僕は決意した
アリシアには全てを話そう
僕の正体が何であるかも
僕の目的が何であるかも
もしかしたらそれを知ってアリシアは僕を拒むかもしれない
でも後悔はしない
だから僕は決意した
ーーーーー
「僕はこの世界の存在じゃない」
私はセリオの言葉に耳を傾けました、淡々と話し続けるセリオの声は落ち着いていました
「僕のいた世界では大きな戦争が続いている、絶対に和解の出来ない戦争が続いている」
戦争、もう2度と耳にする事など無いと思っていた言葉がセリオの口から紡ぎだされました
「僕が建造される前、僕の仲間が”彼ら”と接触した、そして問答無用で全滅させられた」
セリオの語る話には私の想像を遙かに超え、ついていけない言葉がありました、でも私はセリオを信じました
「”彼ら”は太陽を狙っていると思われていた、でも僕達の調査で”彼ら”の真の目的がわかった」
セリオは私の目を見つめなおすと毅然として続けます、その瞳には真実と向き合う固い決意が込められていました
「”彼ら”の正体は宇宙を守る免疫、そしてその目的は人類の絶滅、人類こそが宇宙の敵だったんだ」
私はセリオの言葉を胸に収めていました、私だけはこの子の全てを受け止めよう、それが私の決意だったのです
「やっと太陽系に帰り着いたとき攻撃が始まった、その時生き残れたのは僕だけだった・・・、
他の仲間達は地球を目の前に・・・」
セリオはそこで俯きました、その仕草がセリオの仲間達の運命を意味しているのは明らかでした
「それだけでは終わらなかった、彼らの仲間の大群に追跡されていたんだ、僕達には全く勝ち目が無かった、でも・・・」
その時のことはいまでもわかりません、その後の言葉を話すときセリオは笑顔だったのです
「僕が死ねばみんなを助けられる、だから僕は死にに行った、
その時あの人だけが悲しんでくれた、だから”僕”が生まれたんだ」
私は耐え切れずにセリオに問いかけました
「なぜ・・・、なぜ憎しみあわなければならないの?」
「憎しみなんて無いよ」
あまりにそっけない声に私ははっと顔を上げました、セリオはなぜか私に優しく微笑んでくれていました
「あるのは悲しみだけ、憎しみなんて無い」
「じゃあ、どうして戦うの・・・?」
「それが宿命だからさ」
セリオは何かが吹っ切れたように海を眺めながら話し続けます
「彼らは純粋だよ、人間のような悪意という醜い感情が無い、
人類に対する憎悪など一欠けらすら無い、ただ純粋な義務だけがある
宇宙を守るという義務、それが彼らの存在意義の全て、そのように生まれついている、
だから相互理解も共存も決して成立しない」
「人間達も本音は戦争が嫌だったんだ、それで地球ごと逃げ出すことにした、
そのための特別な用意も始めていた」
「太陽が目当てなら自分達が太陽系から出て行けばいいと考えた・・・、
でも彼らの目的が人類そのものではどうにもならない」
「次に彼らのいない世界に行こうと考えた、だけどそれは大きな悲劇と判った」
「もしも行けたとしても地球は動かせない、そしてとても船には乗り切れない、
99.9%以上の人々を見殺しにしてしまう」
「それは数え切れないほどたくさんの家族の別れを創る事になる、家族の絆を断ち切ることになる」
そして再び私に向き直り言い切りました
「ならばこの手を罪で穢しても家族とともに生きていこう、そのためにあえて罪人に堕ちよう・・・」
その時のセリオの表情は男の顔でした
「戦うことを決断した」
アリシアは何も言えなかった、言ってはならないと思った
なんて悲しい世界、誰が悪いのでもない、何か原因があったのでもない
しかしこの子はその世界の悲しみを背負わなくてはならない
それが悲劇を生み出す愚行としりつつも背負わなければならない
「本当なら僕の力で地球そのものをここへもってくればいい、でも僕でも力が足りないのはあきらかだった」
セリオの声には自嘲が篭っていました
「アリシアは何かを憎んだことはある?」
セリオはそこで話の流れを断ち切りました
「・・・いいえ、それはとても悲しいことよ」
「そうだよね、僕も憎んだことは無いよ、でもね・・・」
自分自身に対する怒りと悲しみを込めてセリオは続けました
「僕は今、自分が非力なことを憎んでいる」
私の心にも何かに対する抑えきれない想いが芽生えていました
「私もなにかを憎んでいるかもしれないわ・・・なぜあなたばかりが何もかも背負わされているの?」
私はセリオを力一杯抱きしめて、ただ一言問いかけました
「教えてセリオ、あなたは何者なの?」
「僕は・・・”生かすために殺す力”に宿った”想い”だった、
そして今度は”未来を創るために未来を壊す力”の”魂”になる」
その答えに私はもう何も聞くまいと誓いました
私が何も知らなくても、確かに今この子はここに居る
ここに居る限りこの子は私の家族なのだから・・・
ーーーーー
グランマは夕陽を浴びながら沖合いのゴンドラの上で腰掛けていた
その隣にはアテナのゴンドラが浮かび、ジョーイの背鰭がそそり立っていた
「そう・・・そういうことなのね」
ジョーイが見た夢を自分も見せてもらったグランマはしばしのまどろみから覚めて呟いた
”グランマ・・・”
ジョーイとアテナの心が重なり合ってグランマの心に届いた
グランマはにっこりと微笑むと彼と彼女に言った
「大丈夫、アリシアに全てを任せましょう、アリシアはあの子の家族なのだから」
暖かい夕陽は家族の団欒そのもののようだった
ーーーーー
「アリシア、家族ってなに?」
その夜、ベットに納まりながらセリオは隣のアリシアに唐突に尋ねた
「僕にはまだ家族という概念が知識でしかわからない」
アリシアはその問いに答えようと口を開きかけ、そして噤んだ
幾千幾万の言葉でも伝えきれない想いがアリシアの心を満たした
窓から差し込む月明かりに照らされたベッドの中でしばしの沈黙の時が流れた
そしてアリシアは万感の想いをたった一言で伝えた
「家族って言うのはね・・・あなたと私のことよ」
その時のアリシアの微笑みは聖母のように穏やかだった
「僕は・・・僕は本当に君の家族になってもいいのかな?」
真剣な目で見つめるセリオをアリシアは抱きしめた
「あなたはもう一人じゃないわ、だから私に還りなさい」
アリシアの瞳から涙が零れ落ちた
セリオの心に生じていた漣が凪の海のように収まっていった
ーーーーー
「艦長」
ブリッジから艦長室へ退席しようとする提督に追いつきながら副長が提督を呼び止めた
その仕草は今夜の酒の肴でも相談するような実に気さくな素振りだった
提督に昇進した今になっても副長の呼び方は変わっていない、提督もむしろその肩書きのほうを気に入っていた
しかし呼び方はいつもどおりでもその後の副長の声色はいつもどおりではなかった
「本艦の電脳イルカやエスパー達から最終的な見解が出されました、彼らはこれに最高機密を適用しています」
そう小声で呟くと「では後で灘の”瑞祥”をお持ちします」とはっきりした大きな口調で”呟きながら”離れていった
「肴は気にせんでいいぞ、出航前に息子夫婦が送ってくれたクサヤが残っておるからな」
そう言い返し、艦長室に向かう提督の顔はいつもの笑顔だったが、握り締めた拳の中はじっとりと汗が滲んでいた
艦長室に戻った提督はリクライニングシートに深く腰掛けると部屋をロックしあらゆるセキュリティを最高に設定した
副長すら知らされていない特別な暗号解除コードを打ち込むと、帽子を脱いでヘッドセットをかぶり目を瞑った
提督の脳裏に莫大な量の情報が流れ真実のイメージが描かれていった
その情報を受け止めた提督の表情が驚愕から疑惑へ、そして怒りと悲しみの入り混じった苦痛に変わっていく
ついに提督は堪えきれず席を立ちながら叫んだ
「そんな馬鹿な!それでは・・・それでは我々の敵は”神”だと言うのか!?」
宇宙は嵐の波濤のように猛り狂っていた
第4話 終
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2007年6月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載