No.232726 【Pridear Sky】その強さ神幸太郎さん 2011-07-26 04:59:47 投稿 / 全1ページ 総閲覧数:221 閲覧ユーザー数:220 |
「ラン兄、ラン兄ー! ちょっとドア開けてー!!」
きっちり閉じられた図書室の扉(正確には中にいるはずの人物)に向けて声を向けて数十秒と、ほんの少し。がちゃりと音を立ててドアは開いて、仏頂面のラン兄が出てくる。多分読み掛けなんだろう、本の間と間に器用に指を挟んでいる。読書の邪魔をしたかな、という考えは最初からない。だってラン兄は図書室にいる間中本を読んでる。邪魔することなんて、前提中の前提だ。とはいえ、向こうの貴重な読書の時間を一秒でも無駄にするのは本意じゃないんで、俺もとっととここに来た本題を切り出した。両手に持っていたものと一緒に。
「はいこれ。今日のおやつ」
銀のトレイを真っ直ぐ差し出す。
シェスさんがつい三日前編み上げたレースを下に、セア姉が作ったシフォンケーキと、リファールさんの淹れたすりおろしりんご入りのアップルティーの入ったティーポット。そして、二人前のティーセットと小皿。
それらを順番に見やって、ラン兄は浅く息を吐いた。
アイルという名前の孤児院には、不定期ながらとある習慣がある。
それは、リファールさんが戻って来ている間にのみ発動する習慣で、シェスさんが丹精込めて作り上げたレース編みのクロスを敷いたテーブルを囲み、お茶会をするというもの。
ここで用意されるお菓子はセア姉が頑張って作った、それこそほっぺたが落ちそうなぐらいに美味しいお菓子。で、紅茶はリファールさんが丁寧に淹れてくれたもので、少なくとも生まれてこの方、あの人が淹れた紅茶より美味しいお茶を飲んだ覚えがない。おかげで、俺もすっかり珈琲よりも紅茶派に育ってしまった。だって美味しいんだもん、仕方ないじゃないか。
まあそんなわけで、孤児院のみんなにとっちゃリファールさんが戻ってくる時ってのは、別の意味での楽しみも孕んでるわけである。俺も小さい頃は、リファールさんとお菓子の影をたぶらせてたっけ。我ながら現金だったなぁ、と今じゃ思える。
……が、ここにそのお茶会に参加しない例外が一人。ラン兄だ。
みんなで楽しくお菓子を食べてる間、ラン兄は決まって図書室に閉じこもる。本人に言わせれば、俺達がお菓子を食べてる間はそれに夢中になって孤児院の中が静かになり、ゆっくり本が読めるからだとか。確かにそれも理由の一つじゃあるんだろうけど、俺としては別の理由も持ってそうな気がしてならない。ただの勘だし、確認した覚えもないんだけど。そんなラン兄への“おやつ配達係”を命ぜられたのはいつ頃だっただろうか。十歳ぐらいからだったような気がするけど、まあそこら辺は当然の如く曖昧だ。
届けるだけで、特に他にする事もなかったこの役目じゃあったけど、何だか気付けば、おやつを届けるのと同時に、一緒にお茶をするのも決まり事になっていた。
「ほれ」
一見すると無造作に、ラン兄は俺の前に紅茶の入ったカップを突き出した。だけどそのくせ、水面はほとんど揺れてない。この人から渡された紅茶が一滴でも下に落ちた事はなくて、あったとしても、それは全部俺が手を滑らせたりした時だけだ。
「少し味見したけど、今回の茶はだいぶ甘い。砂糖は一杯しか入れてないから、苦いようなら自分で足せよ」
「ありがと」
『自分で足せ』と言われつつ、渡された紅茶が俺の口に合わなかった事もないんだよね。“少し味見しただけ”で、何でこっちの味覚にばっちりしっかり標準を合わせる事が出来るのやら。本当、大したもんだ。そんな事を考えながら、湯気の立つ紅茶を一口。林檎のすっきりした甘さが口いっぱいに広がる。うん、やっぱり丁度いい。
俺が紅茶を飲んでる間に、持たせれていたケーキも綺麗に二等分にされていた。そうして皿に乗せられて、こっちに寄越される。
貰ったケーキにフォークを入れてる間に、ラン兄が向かいに座っていた。ちょっと手を止めて向こうを見る。勢い良くお茶を飲んでるさまをまじまじと。
「……んだよ」
そして当然、ラン兄はそれに気付いた。
もうほとんど飲み干してると言っていいカップをソーサーの上に置いて、ケーキにさっくりとフォークを刺した。
「いや、不思議だなって」
「何が?」
「俺とこうしてお茶するのはいいのに、何で向こうには顔出さないのかなって」
「お前はやかましくないからな」
「あいつらが特別やかましいってわけでもないんじゃない?」
ぱくりとケーキを一口。ふわふわのシフォンケーキは一瞬で口の中で溶けた。うわ、美味しい。セア姉の作るケーキはどれもこれも美味しいけど、でもやっぱり美味しいものは美味しい。一気に食べるのが勿体無い。セア姉が作ったケーキだったら、俺間違いなくワンホールいけると思う。それぐらい美味しい。
「羨ましいなぁ」
美味しい美味しいシフォンケーキを堪能していた時、気付いたら、そんな事を口にしていた。
「いきなり何だ?」
ラン兄の口からこぼれたのは、当然の疑問だった。俺も、気が付いたら零していたような言葉だ。理由を探すのに少し手間取って、『えーと』って口ごもった後、ゆっくりと答えを返す。
「…セア姉のケーキが美味しい。リファールさんの紅茶が美味しい。その二つを乗せてるシェスさんの編んだレースは、凄く綺麗だ。何でこんなに細やかな編み目が出来るのか不思議なぐらい」
「それで?」
「………俺が生まれるよりずっとずっと前から、それに出会えたラン兄達が、羨ましいなぁって。俺が今どれだけ『美味しい!』って思っても、その感動の回数は、絶対に上回れないだろ?」
「…言いたい事は、分からんでもないけど」
「だって、そうじゃん」
例えば俺が百回『美味しい』って思っても、俺より先に生まれた父さんや母さんは、とっくの昔に百回目の『美味しい』を超えている。ひょっとしたらもう三百ぐらいいってるかもしれない。そりゃスタート地点から断然ずれてるんだから当然かもしれないけど、でも、何だか悔しい。羨ましい。美味しいって思えるってことは、一つの幸せを積み重ねる事が出来たってことなんだから。つまりそれって、俺より幸せの経験値が多いっていう、そういう事だろ? だったらやっぱり羨ましいって思っちゃうよ。
「いっくら美味しいって思っても、一回は一回。一つのシフォンケーキで二回美味しいって思える事なんてないよ? だからこそ、その一回の『美味しい』を大事にしたいんだし」
「…お前ってほんと、妙なところまであの親に似てるよなぁ」
ようやくシフォンケーキ一口目にいったラン兄がぼやく。それはどっちに似てるって言いたいんだろう。父さん、それとも母さん。……息子である俺から言わせると、多分十中八九母さんのことだろうと思うんだけど。
ラン兄の口に消えたケーキは、あっという間に飲み下された。それって何度目の『美味しい』なのかな、なんて今の話の流れで考える。ラン兄は一応リファールさんの義弟って事になってるし、本人も何だかんだであの三人と一緒にいる時間が嫌いじゃないみたいだから、ひょっとすると母さん達よりずっとずっと上なのかな。
「でも」
「え?」
「でもまあ、お前の言う事には概ね同意する。自慢の一つでもしてやりたいさ」
何を、と一瞬考えた。その空白は、すぐに埋まった。
「あと、ちびどもがうるさいと満足に味わえん。それがどうにも、な」
ケーキは二口目。一口目と同じように適度にもぐもぐとした後、あっさりとお腹に入る。
仏頂面で、ラン兄の事なーんにも知らない人が見たら、美味しいと思ってるのか、それともまずいと思ってるのか。そもそもそのケーキや紅茶に対してどんな感情を覚えているかってところさえ、さっぱり分からないだろうけど。
でも、少なくとも俺は違う。ラン兄の事、ちゃんと知ってる。
「………っ…はは、あはは!」
そうして答えに行き着いた時、声を上げて笑ってた。
なんだ、やっぱりそういう事だったんじゃないか。ゆっくり本を読みたいなんて言って。ううん、確かにそれも理由の一つだったんだと思う、だけどそれより大事な理由、ちゃんとあったじゃん。言わなかったのは照れ隠しかなんかかな。そうだよね、そんな事あの三人に言えるような性格じゃないもんね。答えの紐が解けていけばいくほどおかしくて、笑って、笑って、少しむせて、紅茶で喉を湿らせた。
「なんだよ、結局そういう事っ? 母さんのこと言えないじゃん、ラン兄だって!」
「ん? 誰が、お前とミラーナが似てるって言った?」
「あれ、違った? さっきの“妙なところ”って、母さんの事だと思ったんだけど」
「いいや、当たってる」
「ほら!」
「あいつだって伝えるつもりで言った台詞じゃなかったんだが……ま、息子には隠し通せないか」
「そういうことです。だから多分、ラン兄も隠せてないんだよね?」
「…」
お茶会に参加しないほんとの理由を、あの三人に。言わないけど、きっと伝わってる。ラン兄達だって、家族だもんね。俺と、父さんと母さんの三人がそういう関係であるように。
「大丈夫だよ、俺は口堅いから」
「分かってる。じゃないと一緒に茶なんぞするか」
「信用して貰ってるみたいで嬉しい限りだよ」
誰かに信用して貰えるってのはやっぱりどんな時でも嬉しくて、特に身近な人間だとその嬉しさも大きくなる。へへ、と笑みを零してケーキをもう一口。
気付いたら、俺の皿のケーキはそれが最後だった。特にじっくり味わってたつもりでもないから、この減り方は順当だ。
それは分かる、分かるけど……でも、今日ぐらい。
「ね、ラン兄の分も食べ終わったらお代わり貰ってきていい?」
「行くなら紅茶も追加だ。リファールに、すりおろし林檎の量減らすように言っといてくれ。俺にはちょっと甘すぎる」
「了解!」
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とある家族の話。長男と、兄代わりその1。