■序章 ~狭間~
鳴き続けるセミたちが一斉に黙ってしまう瞬間。
それは夏の暑さから逃れた、涼やかな風がやってくる瞬間でもあるです。
その風に撫でられて、夢からはいつも僕が先に醒めるです。
僕の傍らには安らかな寝顔の梨花。
転寝、お昼寝、深い眠り。どんな眠りの中で、どんな夢を見ていたとしても、僕が目覚めて最初に見るのはこの穏やかな梨花なのです。
ここは百年を過ごし、やっと訪れた世界。
精一杯闘って仲間と勝ち取った夏休みを力の限り楽しんでいて、一日の疲れを睡眠で癒し、また黄昏まで遊ぶ。
そんな幸せの連鎖の中にいる梨花。
小さな頭に手を差し伸べて、つるつるの髪の毛を玩ぶ。
「う、うぅん……」
僕の愛撫をやっかいものみたいにぐずがる梨花。
僕の愛しい梨花……。
「今はどんな夢を見ているですか? だけど、どんな夢でも大丈夫ですよ」
だってそれは夢なのだから。どんなに怖いことが起こっても、どんなに辛いことが起こっても、誰が泣こうとも、誰が幸せになれなくても……それは夢……記憶の整理という作業が見せる、楽しい夏休みの途中にある劇中劇。
欠片と欠片が紡ぐ、万とある万華鏡のただ一場面。自分がまどろみと決めてしまえば、それに倣う世界の出来事。
「僕たちにはどんな夢を見ても、帰る場所があるのです」
僕と梨花が百年かけてやっと掴んだ現実の世界が目覚めの向こうにあるのです。
だから惑うことはない。
だから気に病むことはない。
だから、恨むことも憎むこともない。
ただ委ねればいいのです。
僕の髪に触れる愛撫を受け入れるように。
「さぁ行くのです梨花……現実を尊くするためにある逆夢という試練に立ち向かうです……大丈夫、また僕も一緒です……もう二度と独りにはしないですから……」
細い体を抱き寄せて、言葉の隙間を埋めるように、僕の愛撫でなく、一筋の風が梨花の前髪を揺らして、夢への旅立ちを知らせるです。
さぁ一緒に行きましょうです……また現実に帰るため……この夢の中へ。
ひぐらしのなく声が時雨れる、あの夕闇の世界へ。
ひぐらしのなく頃に ~真説・寶探し編~
■第一章 ワタナガシ
自分の匂いの染み付いた枕だとか、お気に入りのワンピィスだとか……いつも、何時でも変わらずに存在するものというのは、心に平静を与えるものなのです。それは自分がここにいるのだという証明でもあるからです。僕にとっては、それが梨花の匂いだったり、シュークリームの甘さだったり、キムチの辛さだったりしますです。
ですが、僕と梨花にとってこの日は、楽しいばかりではないのも事実なのです。
何かがはじまり、何かが終わるお祭り。
ワタナガシは僕たちにとっての重要な分岐点のひとつなのです。
無邪気に楽しむこともできれば、そうでないときもあったのです。
だけど、今日は楽しむ事を許されたようなのです。
祭囃子に負けないように、大切な仲間たちの声がそろって僕と梨花を包むです。
「さっきの金魚すくいでは煮え湯を飲まされちまったけど、今度は紐クジで勝負だよっ!」
「おぅ魅音、望むトコロだぜ。二杯目の煮え湯をそんなに飲みたいとは、既得なことだな!」
「ほほぉ、言うようになったねぇ圭ちゃん。その余裕ぶっこいた顔にくっついてる口にネギでも咥えさせて、ごめんなさいって泣きながら哀願させたくなったよ、くくく」
「はぅ、圭一くんのそんな姿はレナも見たいかな、かな……でも頑張ってレナにまたクマさんとって欲しいかな、かな?」
「まぁ圭一さん、悪運だけは人一倍ですからね。そういうこともあるかもしれませんわね。でも今度はにーにーの勝ちで決まりですわ、を~ほほほほほ」
「むぅ……沙都子、そんな事ばかりはないよ。時の運って言葉もあるしね。これはまさに運だけが物を言うことだから、僕が必ずいいものを引き当てるって試しはないよ」
「あらあら悟史君は謙虚ですねぇ~でも、そういうところが……いいんですけどねぇ」
悟史までがみんなとの共存を許されているというのが、夢という証なのでしょうか。それとも、これは近い未来に起きるという暗示だったり、僕や梨花がこうありたいと望んでいることの具現化なんでしょうか。僕は与えられた肉体の重さに不安を重ねながら、その微笑ましいやりとりに、にんまりともするのです。
「詩音、あんた最近恥じらいもなくなってきたねぇ……人前で堂々と、あたしゃ姉として恥ずかしいよ」
「あら、おねぇもこれくらい直球勝負じゃないと、通じないってことも知っといたほうがいいですねぇ。ただでさえライバルが多いのに余裕しゃくしゃくは命取りですよ?」
「く、くぅ……」
露店勝負の前に煮え湯をさらに飲まされた魅音は、しなだれかかるように、梨花の頭をなでなでするです。
「みんな頑張れなのです。一番いいものを引き当てた人には、羽入からもご褒美があるのですよ、にぱ~」
「あぅあぅあぅ、僕はあげられるものを何も持ってないのですよぉ」
みんなの声が僕の周りで弾ける。それはお祭の人ごみの中でも鮮明で、僕がここにいるということをはっきりと知らせてくれるです。
この世界にはみんながいて、誰もが幸せそうで、どんな咎(とが)も受けていないように過ごしているみたいです。
「ほっほう、ということは物ではない、特別なモノがご褒美ってことか、そいつぁ燃えるしかないな!」
「はぅ、圭一君の目つきとか手つきが急にいやらしくなったよぉ~~ぱんちっ!!」
レナの拳を喰らった圭一はもんどり打ちながら、後に倒れるです。かわいそうですが、僕は支えてあげられる距離にいないので、乾いた土に尻餅なのです。
「まったく、男ってやつは……まぁおじさんも羽入ちゃんのが頂けるっていうなら、頑張っちゃうかねぇ~」
「あぅあぅあぅ、いったい僕は何をあげなくちゃいけないですか……はぅあぅ」
みんなの笑顔がこぼれるここは、全てが上手く行き過ぎている世界に他ならないのです。
人はきっとそういう希望だけがどこまでも叶う世界を、夢と呼ぶのです。
ワタナガシのお祭がある今夜は、どの世界にいても表でも裏でも何かが動き出していたはずです。僕はそれを見ていながら何も出来なかった存在だから、楽しい夢を楽しい夢とだけ受け入れることができないのです。
それなのに、僕はみんなが笑っている事の尊さを、存分に噛み締めてもいますです。みんながどの世界でも犯してきた罪の重さにつぶれていく背中をただ見てきた僕だからこそ、余計にです。
だけど、その笑顔に隠れた罪がここでだって、誰にもないわけではないのです。この夢は犯した罪はそのままに、ただそれが誰にも露見していないだけの世界。
全てが上手く行き過ぎただけの夢なのです……。
僕は露店を縫って先を歩く、みんなの後ろからこの世界を改めて見渡してみるです。
アイスクリィム、かき氷、フランクフルトにたこ焼き、焼きそば、りんご飴……他愛なくも愛しい露店がいっぱい。それだけのもので、きっとどこにでもあるお祭りと同じなのです。だけど僕には全てが、かけがえのないものに見えるです。
例え全部が歪な夢の産物だとしても、全てが終わったあとに見る夢だからこそ全部が大切なものとわかるのです。
日常に転がっているものこそ、どれだけ尊いか……僕と梨花は百年の旅の果てで身に染みているのです。
「さぁ、みなさん勝負ですわよ」
「沙都子もやる気なのです~ボクも笑っているだけで、負けられないのですよ~」
「むぅ、沙都子も根は負けず嫌いだからね。ふたりとも頑張るんだよ」
「そういう悟史君も相当負けず嫌いじゃないですか。さっき圭一君に負けた時の顔はすごかったですよ、あはは」
沙都子の負けず嫌い、詩音は楽しそうに悟史の腕に巻きつく。どこを見ても笑顔笑顔、笑顔……みんなの笑顔。
それは僕だって望んでいたはずなのに、夢の中で見ることがすごく不愉快になるのです。
それは勝ち取った世界で見る笑顔だけが本物だと思っているからなのでしょうか?
梨花にはこれは夢だから、醒めるまでの我慢ですと諦めさせているくせに、僕は身があるが故なのか、色々なことを欲張って考えてしまうです。
僕と梨花がこの夢から醒めたとき、今こうして目の前にある幸せが、実現していればいいという身勝手な願い。
僕は人の人たる願いを受ける存在でありながら、いったい誰にお願いをして、叶えてもらおうとしているのでしょうか。
「さてと紐クジ屋さんについたわけだが、ここはおじさんが部長として一番手を取らせてもらうよ。残り福狙いなんてモンは、この魅音様には似合わないさね!」
叩きつけられた百円玉三枚に、屋台のおじさんはにやりと笑うです。
「女は度胸ってわけか……いやここはあえてこう言うぜ……その漢気、買ったぁっ! しかし、それはお前だけの特権にしちまうのは惜しい選択だぜ……だから、こうだっ!!」
張り合う圭一は同じくお金を払い、魅音に並んで紐を掴みましたです。
「はぅうう、ならレナもレナもっ! みんな一緒だよぉ」
「そうですねぇ。順番に選ぶという不公平さはどうしても出てしまいますから……運試しなら、一気に答えが出たほうが気持ちいいですねぇ」
詩音は思案顔を崩し、百円玉三枚を指で弾いて、お釣り籠の中に入れて、自分も紐を選んで握りましたです。
「むぅ、みんなが負けず嫌いなんじゃないか……ほら、沙都子の分も僕が出しておくから、握ってごらん」
「にーにー、ありがとうでございますわ」
悟史は自分のお財布からお金を出すと、沙都子の髪をなでながら、仲良く紐をつかみましたです。
「ほらほら、羽入ちゃんも早く選んで握りなよ」
魅音の声に、梨花は「従いなさい」と無言で僕に言い渡し、自分はさっさと目の前の紐をつかみましたです。
「え……あ、あぅあぅあぅ……」
せっかくなので、しっかりと選んで一番の当りを引いて、何かわからないご褒美をあげなくてもいいようにしたいのです。だけど、僕にはそんな時間が与えられなかったみたいなのです。みんなはもう自分のものをつかんでいるので、今か今かと、僕が紐をつかむのを待ち構えているのです。
これは部活中にみんながよく言っている緊張という甘美なものとは全く違うです。
よく言っても、拷問なのです。
「じゃ、じゃあ僕はこれにするですっ!」
結局、目を瞑ってえいやっと選んだものになってしまったのです。
不本意に選んだものでは、結局どこまでいっても不本意な結果しか得られないと、散々に学んだというのに、僕は愚か者さんなのです。
「さぁさぁ、ご一同。準備はいいかい? おじさんの合図で一斉に引くんだよ」
「はぅううう、レナはかぁいいの、ケンタくん並にかぁいいのがいいな、いいなぁ」
「ケンタくんはそれほど可愛らしいとは思えませんですけど……どうせならにーにーのくまさんくらい可愛らしいものだといいですわね」
「くまさん? くまさんな沙都子ちゃんなのかな、かな? はぅううう、それはかぁいいの、かぁいいの!」
レナの頭の中ではきっとくまさんの耳でもついた沙都子が浮かんでいるのですね、確かにそれはかわいい、かわいいなのです。
でも僕は、ぬいぐるみをかわいいといいながら目を輝かせているレナが一番かわいいと思うです。
僕がどんなに「ごめんなさい」と謝っても、綺麗な目を血走らせて、全てを疑い、全てを責め抜いていくレナの姿よりは……。
「うぉおおお、みなぎってきたぜぇぇ! 魅音、いっちょ景気よく頼むぜ!」
「その要望、しかと受け取ったよ……」
不本意で選んだだけの僕にも思わずヒリヒリしたものが走るです。いつも見ているだけだったのに……これがきっと部活に参加するという緊張感なのですね。拷問というのを心改めてそう考えると、急に手汗が滲んで、手の内にある紐に運命さえ感じてきましたです。
「それじゃ行くよ……今宵の運を全てこの一引きに捧げなっ! せーーのっ、そりゃ!」
魅音の掛声で僕も目を閉じたまま思いきり紐を引いたです。
口々に結果の感嘆がもれる中、僕には少し違う声が聞こえてきましたです。
「おめでとさ~~ん、お嬢ちゃんが一等賞だ」
「あ、あぅう?」
片目を恐る恐るゆっくりと開けた僕の紐には、金色に塗られた積み木に一等と描かれたものがぷらぷらしていたです。
「ぼ、僕なのですか……一等賞」
「おめでと、羽入。今夜の勝ちは譲ったぜ」
口元を渋く緩めた圭一は僕の頭をぽんぽんと撫でてくれたです。
「ははぁん~圭ちゃんは何を余裕ブッこいてんだかねぇ~」
「な、何のことだよ」
「圭一の景品は紐に直接結べるほどのものなのですよ。よく見てもよく見なくても、ガム一個なのですよ、にぱ~」
「つまりは参加賞ってことですわね。ご苦労様ですわ。を~ほほほほ」
「な、何をっ! そういう沙都子は何だったんだよ、どうせ口にもできないほど惨めなものだったんだろう?」
「何をおっしゃっているのでしょうかね、この負け犬のお口は。わたくしはこれですわよ」
沙都子がくいくいと紐をひくと、その先でガムが四つ連なって動いていましたです。
「なんだよ、沙都子だってガムじゃねぇか!」
「を~ほほほ、圭一さんの目は節穴ですことね。よくごらんあそばせ」
「上から渋くも癖になる梅味、オトナの苦味コーヒー味、はじける香りと甘さのジュシーフレッシュ味に……な、なんだと……発売直後からバカ売れで、ここいらはおろか興宮でもなかなかお見受けできない、ブ、ブルーベリー味だと!!」
「を~ほほほほ。これでおわかりになりまして?」
「く……人気全盛の沙都子の詰め合わせに比べて、俺のはすっきり清涼感でありながら、俺ら世代にはダントツの不人気である白いスペアミント味一個……俺は、数でもその質でも劣ったというのか……」
「よしよしなのですよ~圭一」
頭を垂れた圭一は、膝から崩れて負けを認めてしまったです。
「ドンマイだよ、圭一くんっ! きっと校長先生世代には大人気だよっ! それでね、レナはレナは、おっきなペンギンさんなんだよ。背中にチャックがあって物が入れられるんだよ、はぅ~かぁいい、かぁいいのっ。圭一くんのガムもレナのペンギンさんに入れてあげるね」
「仕方ないよ圭一。ここはこういう結果だったんだから」
勝ち誇った沙都子に抱きつかれ、その頭を撫でながらも悟史は圭一を見やって、微笑むです。僕はこんなに安らかな悟史の顔をいつ以来見たのでしょう。
「最下位には当然……ですよ、圭一君」
悟史の影から詩音はちょこんと覗いて、圭一にとどめを刺すです。それでもその表情に曇りはなく、好意さえ漂う「からかい」は傍に悟史がいるせいに違いないです。
「ちっきしょ、みんなの景品をそれぞれ申告しろっ! その上で、この俺のスペアミント様がなお劣っているというなら、巫女でもニコでもなってやらぁ!!」
意気込む圭一ですが、沙都子にレナの他、魅音は精密ドライバーセット、詩音は切れないギロチン手品セット、悟史は野球のバッテインググローブ、梨花は可愛らしいノートの十冊セットと、どれを比べても圭一のガム一個よりはいいものでしたです。
「くけけけ、負け犬の遠吠えはもういいかい、圭ちゃん?」
「罰ゲームはボクのちっちゃな巫女服を着て猫耳にゃにゃんに首の鈴がちりりで、市中引き回しなのですよ、にぱ~」
「うぅ……そんな想像で十分に足る悲劇を今から俺の海馬に植え付けないでくれ……そ、それよりも羽入が引き当てた一等の景品は何なんだ、オヤジ! まだお見えしてねぇぞ」
圭一はこれからの悲劇を振り払うように問いかけるですが、それは僕も大いに気になるのです。
まさか、この紐の先で揺れている金色の積み木が商品なんでしょうか。それだったら、食べられるガムのほうがいいものだと僕には思えてしまうです。
「慌てなさんなって。それはこいつだ……受け取りな、お嬢ちゃん」
おじさんは惜しげもなく、奥から取り出したものを僕に手渡しましたです。それは小さな組木の箱でした。祭具殿に奉納されている豪華なものと違って、上蓋には仕掛けも何もなかったです。僕が労せずそれをあけると、中からは古い材木の香りがあふれると同時に、ボロボロの布紙が出てきました。
「そりゃ俺が興宮の古物屋で大枚はたいて買ったもんだ。何でもここいらに伝わる寶の地図って話だぞ。俺も中は見たんだが、ここいらの出じゃねぇ俺にはさっぱりでな……お嬢ちゃんたち、ここの子らだろ。ならお宝を見つけられるんじゃねぇかなぁ」
「た、から……?」
僕が呟く上から、みんなは興味津々で覗くです。でもそこには冒険心に応える地図というには地図はなかったです。代わりにただ読みにくく描かれただけのような、古いのかも新しいのかもわからない言葉が、意味不明な文章を作っていただけだったです。
『綿が集いしかの川で罪を重ね石重ね。澱みに嘆く泣き声響く。鬼が隠したあなたの罪は誰かの黒い影法師。紅い川のほとりで踊る影踏む鬼は寶を見つける』
■第二章 タカラサガシ
ワタナガシのお祭りのあと、圭一たちは梨花の奉納演舞よりも、寶の地図の推理に会話を弾ませましたです。
梨花もそれを責めるでなく、演舞が終わった帰り道、自分もそれに加わって、すっかり部活をしているときのようになっていましたです。
僕としても、梨花がそんな風に楽しさを味わってくれているというなら、体よく騙されただけの寶の地図を引き当てたんだとしても、嬉しい限りなのです。
「むぅ、これはなかなかの難問だね。地図というのに、言葉しかないんだから」
「にーにーの言うとおりですわ。これのどこが地図なんでごさいますか?」
同じ思案顔をした兄妹は、もう離れ離れになることはないようなのです。そしてそれを見る詩音の安らかな顔は、全てを敵にしていたものと同じとは到底思えませんでしたです。
「ふ、だから沙都子はいつまでたってもおこちゃまだって言うんだよ」
「まぁわたくし、立派なレディでございましてよ。失礼にもほどがありますわ」
「みぃ~悟史と一緒にお風呂に入っている沙都子はまだまだおこちゃまなのですよ、にぱ~」
「梨花までそんな……少しは庇ってくださいまし!」
「沙都子ちゃんがかわいいおこちゃまだっていうのはわかりましたけど、私にもこれは文章以外には見えませんよ、圭一君?」
ふくれる沙都子を後からぎゅうっと抱きしめた詩音は、圭一に説明を求めるです。詩音はその場にいたみんなの言葉を代弁したに過ぎないです。誰もが、圭一の奇抜な視点の違う見解を楽しみに待っているのです。一度は雛見沢症候群に負けてしまったけれど、それでも僕と梨花は圭一の言葉で運命を乗り越える決意をしたのですから。圭一の言葉にはそれだけの力があるのです。
「まぁひとつひとつ露店のオヤジが言ってた事を思い出していこうぜ」
圭一はみんなから一歩だけ抜きん出て、せせらぎの音が聞こえる夜道を先導して歩きはじめましたです。
「まず、オヤジはこの文章を見てもピンと来なかったのは何でだって思う?」
「う~ん、そういえば自分がここいらの出身じゃないとかいってたねぇ……それが何か関係あんのかい?」
「いいとこに気がついたな、魅音。さすがは部長だぜ……そう、オヤジはここの出身じゃないのに、ここに眠るっていうお宝の地図を見てたわけだ。これだと、ただ与えられた小説を読んでるにすぎねぇ。だがこれは言葉の通りなら、ここに根付いたもんであるはずなんだ」
僕たちは圭一の後姿を見ながら、その推理に魅了され始めていたのです。これが圭一が口先の魔術師と言われる所以(ゆえん)だとわかるですが、圭一の言葉が決して口先だけではないと、僕はちゃんとわかっているです。
「あぅあぅあぅ、じゃあおじさんと違って、雛見沢の子どもたちな僕たちだと、どう違うですか?」
我慢できずに口を開いた僕を、隣の梨花は薄く笑って、歩幅に髪を揺らしたです。
「そこだよね。圭一くんの口調だと、私たちならただの文章が違うものに見えてくるって言いたいみたいだもん」
「その通り。俺たちなら、別のものに見えるはずなんだ……俺は露店のオヤジに比べたら長いほうだけど、もっと長いレナたちなら、見えてくるはずだぞ」
圭一の口調なら、千年もここで暮らしている僕や百年の梨花は言わんとしている事を気づいてもよさそうなのです。だけど、僕も梨花と顔を見合わせて、圭一の問いを考えていましたです。どうも、僕たちはこういう謎解きをする役回りではないようなのです。
「あーもー、わかりゃしないよ。圭ちゃん、ギブギブ。早く教えとくれ……あたしゃこの手のパズルは苦手なんだ、こう何だか考えてるうちに、胸の内がうにうにしてくるんだよ」
「確かにこれは軍師な魅音向きの問題じゃねぇな。もしかしたら、俺向きでもないかもな」
圭一は不思議な事を言って、くるりと星空を背負って向きかえりましたです。そしてその視線の先にはレナがいましたです。
「……なるほど、圭一くんの言いたいこと、レナわかったよ……これは確かに文章だけど、レナたちの記憶を使うことで、地図にできるんだね、だね?」
「ビンゴ!」
圭一はしてやったりの顔で、指を鳴らして目配せするです。でもそれはレナと圭一の間だけで交わされたもので、取り囲む僕たちには相変わらずさっぱりなのでした。
「むぅ、ふたりだけでわかったみたいな顔するのはズルいよ。圭一もレナも僕たちもに教えてよ」
「悟史くんの言うとおりですよ。まぁおバカなおねぇと違って、私は何となく言いたいことはわかってますけど」
「なぬーーーー!! 詩音あんたちょっと頭がいいからって調子乗るんじゃないよっ!」
「はいはい、どぅどぅ、怒らない怒らない。まぁ年下の圭一君に勉強教わってるようなおねぇは何も言えないはずですけどねぇ」
「むぐぐぐぐぐ……」
今夜三杯目の煮え湯を飲まされた魅音は、くたりと頭を垂らします。それを詩音にぽんぽんと撫でられながら、手悪さをして唇を尖らせている魅音は、鬼気迫る姿とは程遠く、年相応の女の子みたいでしたです。本当に愚かしい姿ではなく、それは愛らしい愚かしさの滲んだ表情なのです。
「さって、こっからはどうすっかな」
「圭一くん、よかったらレナにまかせてくれないかな、かな?」
「……そうだな。俺の言いたい事をまさかレナが取り違えるはずもねぇ……まかせたぜ、レナ!」
圭一の口ぶりは、心の底からレナのことを信頼している者の言葉に違いないのです。一度は届かなかったレナの言葉を、今度は圭一がしっかりと受け止めているのです。それは、とても尊いこと。
今夜は尊いことにいっぱい出会う日なのです。
「ありがと、圭一くん。それじゃレナが説明するね。要するに、これはただ読むんじゃなくて、読みながら想像すればいいんだよ、はぅ」
「なるほど。読みながら、僕たちが知っている場所をそれに当てはめればいいってことだね……羽入ちゃん、もう一回文章を見せてくれないか?」
悟史に言われて、僕は胸にしまっていた紙を取り出し、みんなの前で読み上げましたです。
「綿が集いしかの川で罪を重ね石重ね。澱みに嘆く泣き声響く。鬼が隠したあなたの罪は誰かの黒い影法師。紅い川のほとりで踊る影踏む鬼は寶を見つける……なのです」
僕の声をみんな黙って傾聴していたので、言い終わると静けさに背筋が少しひやっとしたのです。
「ふむむ……最初の綿が集いしかの川っていうのは、まさにあたしらの横を流れてるこれで間違いないねぇ」
魅音はあご先に据えていた指を、そのまま真っ黒な水を抱えた川面に向けたです。
「それはそれしかないですねぇ。でもその後の部分は検討もつきませんねぇ……罪を重ねて石を重ねる……沙都子ちゃんのトラップみたいなものでしょうか」
同じ思案顔の詩音は、自分の考えが及ばない部分に、身近な解釈を当てはめて口にするです。でも、僕は詩音とは違うものを想像していましたです。罪を重ねて石を重ねるといえば、それは賽の河原……親より早く死したという罪を負った子どもたちが、積んでは崩れる石を積む場所。でも、そうと浮かんだとしても、それがここでいうものとは違う気がして、僕はお口をつむりましたです。
「まぁわかんねぇところは後回しにしようぜ。ここであんまり考えなくっても、すぐに浮かぶのは影法師だな」
「そうだね。影法師っていえば、今も月明かりでできてるけど、この影だもんね」
悟史は自分の夜より暗い影を指差し、隣に歩く沙都子のものにも手をかざし、頭を撫でる影真似をして見せましたです。
「それが紅い川で踊るのですわね……踊りながら、影ふみ鬼でもすればいいのでございましょうか……それに、罪というやたら出てくる言葉の意味はわからずじまいですわ」
沙都子の呟きに圭一は何かを吹き飛ばすように、盛大に吹き出して応えましたです。
「失礼千万でしてよ、圭一さん!」
「だ、だってよぉ、それじゃ地図じゃなくって儀式じゃないかよ」
「儀式……なるほど、儀式っていうほどじゃないけど、これは地図だけじゃなくて、そこでやるべき行動も記されてるのかな、かな」
レナは鋭く文章の解釈を変えて見せるです。圭一が突破口をつくり、それを上手く使いこなすレナという構図は、見ていて気持ちいいのです。
「ひらけごま~と同じなのですね、にぱ~」
「文章が導く宝の在り処に、秘密の動作と合言葉……くぅううう、燃えてくるじゃないか!」
魅音はパチンと指を鳴らすと、そのままゲンコツを握って、星の煌く空に掲げてみせましたです。
「こりゃ、夏休み前の放課後にすることが決まったな」
「そうだね、レナの宝探しはお休みしなきゃかな、かな」
「楽しみですわ~皆さんの意見があれば、罪っていう言葉の意味もきっと解けますわね」
沙都子の疑問はもっともなのです。でもその言葉に、みんなの歯切れは急に悪くなるのです。
「それは……考えなくてもいいんじゃないかな、沙都子」
「に、にーにー?」
「そうだよ沙都子……罪なんてもんは誰にでもどこにでもあるから、そう珍しいモンでもないさね」
「うんうん、魅ぃちゃんの言うとおりだよ……そんなこと考えなくってもこのパズルは解けるかな、かな……」
みんなが口々に罪、罪とこぼすたびに、静寂にも似ていた夜虫の声が、急に僕の頭の中で、逆巻いていきはじめましたです。何だか長いお経のような……それなのに、人を呪うための術式にも似ているような……どろりとしていて、耳から入った音が脳をそのまま掴んでしまうような声。
「罪」「罪……誰の?」「誰かの……罪」「拭えない?」「隠し通せない?」「消えない……罪」
「あああ、あぅあぅあぅ!」
夢の中で見る夢の気持ち悪さに跳ね起きた僕は、全身に濃密な汗をたくさんかいていましたです。床にいるのに世界が斜めに回っている感覚は、寝汗で失われた水分のせいで、意識が朦朧(もうろう)としているようなのです。
見ていたもののどこまでが昨日の真実で、どこまでが僕の夢なのか……結局、沙都子だけが自ら口にした「罪」の意味は、誰も真に触れようとはしませんでしたです。
僕は夕立にあったようにぐっしょりと濡れた寝巻きのままで、隣に寝ているはずの梨花を探しましたですが、その姿はどこにもなかったです。代わりに枕元には、昨夜梨花が紐クジで当てたノートに、僕宛の伝言があったのです。
「……僕は一人でお寝坊さんなのですか……置いてけ掘りは寂しいのですよ、梨花」
愛しい残り香だけを僕の傍に置いて、梨花は早起きして、休日の朝へ飛び出して行ったようなのです。
とは言え、まだまだ朝といえる時間なのです。ならば梨花は蝉ではなく山鳩の声が支配する世界に出かけていったのですか……髄分と早く興味に起こされたのですね……みんなもそうなのでしょうか。
僕は水分が足りていない角も重い頭をふるふるとゆすって、誰もいない静かな部屋を見渡しますです。梨花は布団までもしっかりと押入れに片して、本当に何事もなくしてしまっていましたです。ただ、僕の枕元には梨花の字で書かれた伝言がある以上、それがこの世界で僕がひとりきりではないという証拠なのです。
「さぁ、僕も行かなきゃです……」
寶の地図をもとに、皆はきっと色々な所を探しているに違いないのです。ワタナガシが行われる川が関係しているとわかっても、その川に岸は、雛見沢の上流から、興宮にいたる寸前の下流までと、とても幅が広いのです。
僕はやっとしゃんとしてきた頭がくっついた体を起こして、濡れた寝巻きを脱ぎ、胸のきついワンピィスに袖を通しましたです。
がらがらと引き戸を開けて、一歩外の空気に触れると、とたんにむき出した肌がじりりと焦げるように暑かったのです。まだ六月とはいえ、大気のそれはもう夏と同じでした。梅雨という時期に湿度が傾いている分、本当の夏よりもねっとりとしていて、性質が悪いのです。
田舎の空気が美味いとは言っても、都会から不意に訪れれば、それは凶器にも似た草や木の濃厚な香りを孕んだ、季節の匂いに気分を害しかねないのです。
そんな香り立ち込める中、僕は日陰を選んで進み、みんなを探すのです。
きっとみんなあの「言葉」を受けて、寶を探して川沿いのあちこちに散らばっているに違いないのです。
昨夜、沙都子の言ったことは、みんなだけでなく、僕の頭にも謎を植え付けているのです。
「寶……寶とはなんなのでしょう……そして罪……」
しょわしょわとセミたちが合唱する隙間を抜けながら、僕は今までの事を含めて考えますです。
誰かにとっての寶であっても、他の誰かにしてみれば、それは他愛のないものであったり、余計なものだったっていうこともあるのです。梨花が命の水だとかいってる赤いやつだって、僕からしてみれば、頭がくらくらするだけの美味しくもない液体なのです。結局、誰の目からも正しく寶であるものは、実は世に稀なものなのです……だからこそ、寶という名が与えられたもの。
果たして、この夢の中にそんな大層なものが存在するのでしょうか……僕にはよくわからないのです。
「あぅあぅあぅあぅ……誰かの寶が誰かの罪で、誰かの罪が誰かの寶で……そんなことはないのです。あってはいけないのです……あぅあぅ」
両の角をさわさわしながら、僕は足元の影ばかり追って歩いていたのです。
「ひゃぅ、大丈夫? もう、前をしっかり見て歩かないとダメよ……ぶつかった先にいつも高性能なクッションがあるとは限らないんだから」
「あぅあぅ、ごめんなさいなのです」
微笑を交えて僕は下手に立派な角をさすりながら、話しかけてきた立派なお胸の相手。それを見た瞬間、背中からもぞもぞと毛虫でも這い上がってきたような感覚を覚えたです。
強くなってきた日差しをもろともしない、涼やかな表情。大人らしく濃い色の紅が這う唇。しゃんと伸びた長いまつ毛に彩られた、切れ長く美しい瞳に、僕が映っているです。
「それにしても、羽入ちゃんがひとりなんて、珍しいわね……いつも梨花ちゃんとふたりでひとりみたいにぴったんこなのに」
「鷹野……さん……お、おはようなのです。今日は梨花に置いてけぼりであぅあぅなのです……」
「へぇ、そういえばみんな今日は朝からバタバタしてるみたいね。また何か楽しいことでも見つけたのかしら。あちこちでみんなを見かけたわよ」
細くて長い指を唇に這わせながら、僕らの敵が微笑むです。でも、なぜだろう……何かが違う気がするのです。
「どうしたの? あたしの顔に何か付いてるかしら……怖い顔で睨んで……目が悪いならメガネをつくらないとダメよ? 目を細めちゃうと、かわいい顔が台無しだわ」
僕が今までずっと、どの世界でも向き合うたびに感じていた禍々しい棘のようなものが、まるで抜け落ちているようなのです。美しいまつ毛の下で光る瞳が、とても柔らかく輝いているのです。怖いというか禍々しさなら、梨花がおしおきキムチを頬張っている時のほうがよっぽど凶悪なのです。
「ははは。鷹野さん、そんなに羽入ちゃんをいじめるものじゃないよ」
「ジロウさん……そうね、ごめんなさい」
「あぅ?」
「鷹野さんも羽入ちゃんを心配してるだけだから、気を悪くしないでね」
鷹野と富竹、この二人が一緒にいることは特に驚くことでもないのですが、ここでも何か流れている空気のようなものが決定的に違うです。まるで、世界を違えたように緩やかで、ここにいる僕まで暑さを忘れてしまいそうなのです。
「い、いつも二人は仲良しさんですね」
「え? えぇ……もちろんよ。ジロウさんはあたしの大切な人ですもの……ね?」
「あ、ああそうだよ……改めて言われると照れるなぁ……遠距離だから寂しい想いをさせてばかりだけどね。僕が売れないカメラマンなんかしてるもんだからさ……」
「そんなことないわ……ジロウさんが居てくれることが、あたしにとってどれだけ支えになっているか……わかるでしょう? あたしはとても幸せよ」
二人の間にある空気がとても濃密で、安らぎさえ感じさせるこそばゆさがあるです。僕の大好きなシュークリームのように、あまあま、とろりなのです。
そうか……この二人の関係もここでは上手く行き過ぎているのですね。上手く行き過ぎていることが、怖いことじゃないのに、僕は酷い娘なのです……二人の幸せに疑問を感じているのですから。
今夜はおしおきキムチでも仕方ないのです。
口の中でもごもごしながら、僕は答えを見つけたです。ここでは、鷹野が敵ではないのですね。富竹との関係がこれほど良好ということは、研究も順調な結果を既に出しているということです。そして二人が望む世界に立てているということなのです。
「…………」
これはきっと二人にとって、とても幸せなことに違いないのです。
このまま世界が澱みなく続いていけば、ふたりは最も望んだ形で結ばれるに違いないのです。
「あ、圭一君とレナちゃん、魅音ちゃん詩音ちゃんの四人は学校近くの川原で見かけたよ。探してるなら行ってごらん」
「はいなのです……」
それなのに僕と梨花にとっては、敵が明確でなくなった分、この夢はとてもやりにくいものになってしまったのです。
旅人である梨花の死が世界の終焉だったように、何かが終わればこの夢も醒めるはずなのです。敵に打ち勝ち、続いていく世界に戻るために、僕たちはこの夢で何を倒せばいいのかわからなくなってしまったのです。答えのひとつであるはずの鷹野が、こんなにも柔らかく笑っているのですから。
僕は重い足を引き摺りながら、この夢を包む蒼くて深い空を見上げ考えます。もくもくとした入道雲がいくつも山からにょっきりと生えていて、空を狭めているです。梅雨が明けるのも、そんなに遠いことではないのです。いつだったか、角がににゅっと生えたような雲を指差して、梨花があんたみたいだと笑ったことを思い出しましたです。
あれは、いったいどの世界のことだったのでしょう。覚えているはずなのに、すごく曖昧な記憶だけが頭のすみっこにこびりついているみたいでした。想い出になりきれていない、記憶の欠片のように、中途半端な存在。まるで、世界によって体が与えられたり、与えられなかったりする、僕みたいなものなのです。
「梨花……どこへ行ったのですか……」
この夢は、僕にとってはどういうものなのでしょう。鷹野と富竹にとって、素晴らしい世界。では僕と梨花にとっては? 他のみんなにとっては?
二人が上手く行っているとしても、この夢において他の誰しもに罪がないわけじゃないのです。
この夢は今まで僕と梨花が旅してきた数多の世界と、決定的な何かが違って均衡を保っているのです。そうだとしても、今か今かと深い穴から手を伸ばし、足を掴み闇に引きずりこもうとしている罪は、何一つ消えていないのです。
圭一は自らの心の弱さから弱者をいたぶり。
レナは自分の生活と希望を叶えるために鉄平とリナを殺し。
魅音は詩音との入れ替わりを省みず。
詩音はここにいる事を当然と思い。
沙都子は病気から両親を突き落とし、それでも症候群は危険域までは達していない。
悟史は沙都子と自分を守るために叔母を殴り殺し、それでも発症せずに、意識を保っている。
そして、梨花は優しさをもった両親の存在を心から殺し。
それぞれに他人から見た大小というものが存在するとして、罪という罪は何一つ消されていない。罪という罪の重さは何一つ変わっていない。それがこの夢なのですね……。
「みんなと同じように背負うとして、きっと僕の罪はこの重い体なのです」
初夏の煌きを一身に浴びることが出来て、透き通った水をこの手にすくうことが出来て、みんなが振り返って話しかけてくれるこの体。
思う様想う者に触れることが出来て、自分のお口でシュークリームをあむあむ出来て、キムチを食べることさえ自ら選択できるこの体。
「……それを罪だなんて言うことこそ、罪ですね」
重い体に結論が出ていない思考がツタのように伸びて、寶と言い換えた罪の種を植えつけるのです。
それは僕の角に宿り、やがて根を伸ばし脳にまで達していくのです。
「あぅあぅあぅ!」
想像に身震いして、叫ぶことで気持ちをごまかしたのです。
言葉……みんなが今頃、汗だくになって探している寶。
それはやっぱり罪なのでしょう。誰が何の目的であんなものをつくったのかはわからないです。もしかしたら、僕が引き当てさえしなければ、誰かが本当にこの雛見沢に埋まる寶を手に入れたかもしれないのです。
ただ、圭一が示してレナが紐解いたように、僕たちが想像してあの文章を読み取ってしまったから、罪は罪として花開いてしまうのかもしれないのです。
とりあえず、ここで立ち尽くしていても始まりませんのです。鷹野たちが教えてくれたように、圭一たちを探すことにしますです。
僕はそれでも、言葉の意味を必死に解釈しながら、一歩一歩さえ無駄にしないようにと進みますです。
「場所がワタナガシの川だというのはわかってるです。そして罪は罪……では紅い川ってなんなのでしょう、あぅあぅ……」
考えながら用水路に目を落とすと、水草を押し倒す流れにお日様の光が、目に染みるほど輝いていましたです。
「水は鏡の役目も果たすです……夕焼けの時なら、水があればそれは紅く染まって見えるはずなのです……あぅあぅ」
あまりにも強い光を放ちながら、流れる水に目がくらんで、少し歩みが危うくなりかけました。
「……そんなに働かない頭で必死に考え事しながら歩いてると、落っこちるわよ……」
冷笑にも聞こえる待ち望んだ声が、僕をよろめきから救ってくれたのです。
「梨花! どこ行ってたですか……?」
聞き返し問い正した顔は、悪い癖を出した時のそれでした。僕と二人きりの時だけに見せる、どこか世界の全てを斜に見ている顔です。
「あんたはここで、あぅあぅ言ってたみたいだけど、みんなはあの言葉を推理して走り回ってるわよ。ボクはあんたがあまりに来ないから探しに来たのよ。まったく……体がある分、融通が利かなくって困るわね。いつもはすーっといなくなってすーっと現れるくせに」
「あぅあぅあぅ……ごめんなさいなのです」
両方の角をさわさわしながら首を傾げ、梨花と視線を絡めると、その瞳の闇深さに身を吸い込まれそうになったです。
「みんな楽しそうなのに、ボクだけあんたのお守りで帰ってきたのよ。足もついてるんだから、しっかり一人で歩きなさいよ」
「あぅあぅ……梨花、言葉が棘々いっぱいなのですよ……何かあったですか?」
あまりに冷徹に言い放つ態度に僕は戸惑うです。こんな梨花は運命に翻弄されていた頃の弱い梨花なのです。とても奇跡の起こし方を知りえた梨花には思えないのです。
「何か? ふん……別にどうってことはないわ……悟史と沙都子が死んだだけだもの」
「えっ!」
「驚くことなの……ワタナガシが終わった次の日なのよ? こんなの当たり前でしょう。今までだってそうだったじゃない」
「で、でも……あぅあぅあぅあぅ……人が死ぬことは悲しいことなのですよ……」
「悲しい? そんなのは当たり前でしょ! そんな事、あんたに言われなくってもわかってるわよ! でもこれは夢なんでしょ……どんな事があっても夢だって、あんたが言ったんじゃない! 悟史と沙都子が殺されたって……どこまで行っても、勝ち取った未来には続いていない夢なんでしょ!」
梨花の言葉に心を何度も刺し貫かれたように、僕は微動だにできなかったです。ただ、汗だけがたらたらと額から零れて、頬を伝って地面に落ちていくだけなのです。
梨花は僕の顔に伝う汗を小さな指ですくい取ると、小さな口から小さな紅い舌を出して、それを舐めましたです。
「……なんだ、あんたの汗もボクと同じ味なのね……つまらない……あんたのことだから甘いのかとでも思ったわ……全く、その程度の面白みもない夢なんて、意味あるのかしら」
空はどこまでも蒼くて、セミはしょわしょわ鳴いて、せせらぎの音がさわさわと耳を撫でるのに……僕の頭はジリジリと痺れて、綺麗に折り目正しく整っていた組木の世界が、端から解け始めたように感じたです。
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「ひぐらしのなく頃に」の二次創作小説です。
第二回ひぐらしのなく頃に大賞にて、最終選考まで残ったものに、大幅な加筆修正を加えた、ものです。