「あー…………暇だねぇ…………」
言いながら、さやかはカーペットの上に寝転んだ。白抜きの花の模様でデザインされた、緑のカーペットの上に。アクリルガラスで作られた三角形のテーブルの下に足を仕舞い込んで、その体を一杯に伸ばして、嘆息する。
と、さやかの伸ばした足が、対面上に座る誰かの足に当たった。
「ん…………ごめんよ、まどか」
「うん、いいよ。気にしないで、さやかちゃん」
さやかの言葉に答えたのはまどかだった。まどかの隣にはほむらも座っており、
「まどか、すぐに消毒しないと。残念ながら消毒液やそれに準ずる物を私は持っていないけれど、私の舌と唾液がそれに等しい効果を保障しているわ」
「あたしを病原微生物の様に言わないでよ!」
「ほむぅ!」
さやかは寝転がったまま体を反転させ、その勢いでほむらに蹴りを放った。ほむらが妙なリアクションを取った様な気がしたが、まあ気のせいだろう。
ちなみに、唾液に消毒効果が有るかどうかと言われれば、これは完全にノーとも言い難いが、完全にイエスとも言い難いらしい。他人の唾液はアウトらしいが。
いま、3人が居るのは彼女らの先輩であり、さやかの憧れの的である巴マミの家である。昼休みにマミからお茶会へと誘われて、学校からの帰宅途中、そのまま彼女の家へと立ち寄った次第だ。
だが現在、家主は不在である。先程まで彼女も当然居たのだが、買い物へと出かけたのである。どうやら、お茶会には絶対に必要らしい物を切らしていた様で、帰宅して冷蔵庫を確認した際に気がついたようで。客人を待たせる事に躊躇いを覚えていた彼女だったが、すぐに戻ってくるという言葉を残して足早に出かけていった。全員で出かければ、それはそれで楽しいだろうに。マミのそういう不器用な所が、逆に彼女の魅力を引き立てているのでは無いかと、さやかは推測している。天然である。
腰の所に当たっているクッションの位置がとても微妙だったので、さやかはそれを頭の下に持ってきた。マミの好みなのだろうか。さやかの使用しているクッションは低反発素材のそれだった。まどかとほむらが使っているそれも、同様にそう見えるし、事実そうなのだろう。圧力を加えると、その部分が丁度良い形に沈み込み、楽な体勢で眠ることが出来るという触れ込みの、アレだ。これで何時でも安らかな眠りに落ちる事の出来る体勢である。
いや、本当に寝るわけでは無いのだけども。
ともあれ、マミが帰ってくるまで暇な3人であった。まさか、勝手に冷蔵庫を開けて先にケーキを食べるわけにもいかないし、部屋を物色するなどもっての他だった。これがまどかやほむらの部屋ならば躊躇無く物色するのだが、マミに関して言えば、尊敬しているだけにその様な事はしたくない。きっと笑い事で済ませてくれるのだろうが、済まされなかった時の事を考えると、恐ろしくて実行に移す事など出来るはずも無い。思いは違えど、それはどうやら、まどかやほむらも同じようだった。
しかし、そうとなれば本格的にする事が無い。学校では姦しくしていても、むしろそれは学校特有の空気が成せるものであり、他人の家の、それも家主が居ない時に学校並みにテンションを上げられる人間が居るとすれば、それは所謂空気を読めない奴なのではないだろうか。
室内には緩やかな空気が流れていた。お互い知らない中では当然無いし、会話が無くても苦痛にならない関係だ。たまにはこんな風に、ぼ~っと何も考えず、友と時を無駄にするのも、あるいは良いのかもしれない。
「……………………」
だが、無理だった。さやかには無理だった。理が無いのだ。さやかにとって、こうして無為に時間を過ごすという行動は。もちろん、先ほどの様な、緩やかに時間を過ごすという発想が脳内を支配したものの、それは僅かに5秒程の事であり、教室で『高速の爆弾娘』の異名を持つさやかには(勢い良く自信満々に行動するのは良いが、ほとんど自爆しているようにしか見えない事から、そう名づけられた。もちろん名付け親はほむらである)、そもそもじっとしている事こそが何よりの苦痛だった。
さやかはもう一度嘆息し、上体を持ち上げた。枕代わりにしていたクッションを、本来の使い方に戻し、テーブルに肘を付いた。
「ねぇ、暇だしさ、しりとりでもしない?」
「殺すわよ美樹さやか」
「早い! その結論に達するまでの速さが半端無い! もっと踏むべき段階を色々踏んでの最終手段でしょうがそれは!」
暁美ほむらというのはさやかの想像以上に恐ろしい女だったらしい。しりとりを提案しただけで殺害宣言をされるとは、譲歩されるべき余地が全く見当たらない。
余談では有るが、この事からさやかによって『歩く変体暴言装置』というあだ名がほむらに与えられたが、『その名を呼ぶ毎に私はまどかを1ペロペロする』という謎の脅しによって、そのあだ名は永遠に葬られる事となる。
余談終了。
ほむらの変体暴言能力の即興性はとりあえず横に置くとして。…………しりとりを提案したさやかにも問題はあるのかもしれない。だが、勝手に家捜しするわけにもいかない以上、トランプ等のボードゲームを見つける事も出来ない。有るかどうかは分からないが。携帯を弄る事である程度の時間潰しにはなるが、一人でそんな事をやっていたら、それこそ空気読めない人物の筆頭だ。
だが、助け舟が出された。
「私は別に、しりとりでも良いと思うけど」
まどかである。彼女とて、特にしりとりをやりたいわけでは無いだろうが、暇つぶしとしては価値が有ると認めてくれたという事だろう。あるいは単純に、空気を読んでくれたか、だ。
「それは良い考えね、まどか。私は常々思っていたわ。しりとりというのは、人類が発明した言葉遊びの中で、最も優れているだろうとね」
まどかが賛成したとなれば、ほむらに反対の意思があるはずも無い。手のひらを返す速度が尋常で無い事には敢えて言及しないさやかではあったが、まどかの手を握り締めて今にも唇を重ね合わせそうな行動は見逃せなかった。
「せぃやぁ!」
「ほむほむぅ!」
さやかの放った掌底が、正確にほむらの首筋を打ち抜いた。その衝撃がどの様な力の慣性を導いたのか、ほむらの身体は首筋を重心にしてその場で一回転し(非常に不可解だった)、そのまま元の体勢に戻った。まどかの顔が若干引きつっていた。当たり前だ。
ほむらが妙なリアクションを取っていた気がしたが、もちろん気のせいだろう。
「あー、もう。それじゃあ始めようか。最初の単語、何にする?」
「うーん…………普通に『しりとり』で良いんじゃないのかな?」
「そうね。まどかの言うとおり、『しりとり』から始めるべきだわ」
「ほむら、あんたには主体性ってもんが無いの?」
「私の主体性はまどかの意思に準ずるのよ」
聞きようによってはかなり格好良い台詞だが、このほむらが言うとどうしてこうも変態臭がするのだろうかと、さやかは首を捻った。そして、隙あらば欲望のままにまどかを襲おうとしているくせに、どうしてそんな言葉をどや顔で言ってのける事が出来るのか、不思議だった。
「ま、まあ良いわよ。じゃあ、いくわよ」
深く考えてもどうせ意味が無いだろうから、適当に片付けておくとして。
ともあれ。
まずは、さやかから、
「し、『しりとり』」
次に、まどかが、
「り、り、『りんご」」
ありきたりな流れ…………というよりも、テンプレートな流れである。地域性が出るかもしれないが、お約束な流れ。
当然それを受けて、ほむらは、
「美樹さや…………いえ、ゴミ」
「待てコラ」
「言い間違えたわ」
「言い間違えようが無い!」
「聞き間違えたんじゃないかしら?」
「聞き間違えようも無かった!」
お約束の流れをぶった切るほむらであったが、その顔には満足気な顔が浮かんでいた。もちろんわざとであろう事が容易に想像できる顔であった。どや顔であった。頻出するほむらのどや顔であった。
「五月蝿いわね、美樹さやか。次は貴女の順番。早くまどかに回しなさい。まどかを待たせるなんて、そういうプレイをする事を目的とした私で無いと許されないわ」
「あんたが一番許されない!」
そして一生許されない。たぶん、まどかの家族に。
「くっそー…………何時かみてなさいよ」
何時かを見ても。
さやかは、自分がほむらをどうにか出来ているビジョンなど、浮かばないのだったが。
開始早々、色々と挫かれたさやかであったが、まどかの取り成しもあって、しりとり続行。再開である。
次の言葉は『ミ』。さやかからである。
「み、ミジンコ」
次にまどかが、
「コ、コ、『小鹿(コジカ)』」
そしてほむらが、
「鹿目まどか」
「待てコラ」
詰め寄るさやかに大して、ほむらはあくまで冷静に、むしろ嘆息すら漏らして、
「…………美樹さやか。貴女はしりとりがしたいのでは無かったの? 一々止めてしまうと、何時まで経っても前には進めないわ」
やはり聞きようによっては格好いい台詞をどや顔で言うのであった。
「あんたが止めてるんでしょうが…………!」
「言いたい事が有るのなら、言ってしまった方が楽になるわ。それがお互いの関係を有益にするための秘訣よ」
「言いたい事を言っちゃったら、このマンションごと崩壊しちゃうような気がするのよ。犠牲者がたくさん出るっての」
「なら、止めておきなさい。ゴミから美樹さやかが出るのは…………いえ、また間違えたわ。知り合いから大量殺人犯が出るのは、私も本意では無いもの」
「あんたやっぱ喧嘩売ってんだろ!」
ともあれ、頭が熱いままでは、言いたいことも言えない。落ち着くために、さやかは1つ、深呼吸した。
「いや、流石に人名は無しなんじゃない?」
人名は名詞であるが、固有名詞に分類される。微妙なラインである。良いと言われればいい気もするし、駄目と言われれば駄目な様な気もする。だが、それを良しとするのはちょっと違うのではないかと、さやかは考えている。もちろん国や地名も固有名詞であるし、エジソンなどの有名人ならばなんとなくOKにしてしまう様な、本当に微妙なラインでの線引きではあるが、さやかのしりとりに対する線引きはその辺りにされていた。
「そうかしら。所詮、ただの暇つぶしなのでしょう。ルールなんて、何でもいいと思うのだけれど?」
さやかのしりとり論を聞いて、ほむらは実に詰まらなさそうに言った。短い付き合いで何となく理解を進めてきたほむらの内面に対して、さやかなりに考察するならば、そういう事に対して、ほむらはとても拘りのなさそうなタイプに思える。良く言えば空気の読める人間。悪く言うならば、興味の無い事には流されるスタンスの人間。
「う、うーん。そう言われると、まあ…………」
確かに、ほむらの言う事には一理あった。確かに所詮は暇つぶしだ。釈然としない何かを感じるものの、マミが帰宅すればお開きとなる、超短期間の暇つぶしだ。どうでも良いとと言われれば、確かにそうだ。どうでも良いしりとりに対して意固地なルールを提案するさやかは、ほむらから見ればさぞかし空気の読めていない事だろう。
「まあ、まあ…………もう何でもいいか。真剣に考える事でも無いしね…………」
なんだか、どっと疲れたさやかであった。しりとりをたった2週しただけなのに、何と言う疲労度であろうか。意図せずして、恐ろしい暇つぶしになってしまっていた。
「次は…………えーっと、また『か』か。何がいいかな」
それでも止めないのは、実にさやからしかった。頭が熱くなったり疲れたりで、どうもすぐに単語が出てこなくなっている感はあるが。それでも頑張って考える。それがさやかの良い所ではあった。
だが。
その思考が、唐突に中断された。
「…………なによ、ほむら」
ほむらが、静かに手を上げたのに、気が付いたからだ。
尋常でない様子だった。頬を紅く染めて、どうやら興奮しているらしい。眼は見開かれ、そこに灯された黒色の光が、爛々と周囲を染めていく。そんな雰囲気を持った、眼。身体は緩く、震えていた。
「ど、どうしたのよ、あんた」
「ほむらちゃん、大丈夫…………?」
まどかが心配してほむらに声をかけるが、まるで気が付いていないようであった。明らかに妙な状態だ。普段のほむらならば、まどかの声を聞き漏らすなど、絶対に有り得ない。
頬の紅潮は伊達では無い様で、ほむらの顔にはうっすらと汗すら浮かんでいた。
「ほんとにどうしたのよ、あんた。大丈夫?」
突然インフルエンザの症状が出てきた様な、そんな状態に見える。それならば一大事だ。場合によってはすぐに病院へいかなければならない。
「そっか…………そういえば、あんた病み上がりだったわね」
つい昨日まで、風邪で学校を休んでいたほむらである。風邪がぶり返したとしても、あるいはおかしく無いのかもしれない。
「さ、さやかちゃん、どうしよう…………」
まどかの不安を投影した声色に、さやかは答えようが無かった。不安なのは、さやかも同じだった。色々と言い合いをしてはいても、やはり友人なのだ。友人の体調が悪くなっても心穏やかで居られるほど、さやかは肝が据わっていない。
「…………き…………ん」
ぽつりと。
ほむらが呟いて、さやかは我に返った。
「どうしたの? 水、持ってこようか?」
駆け寄ってほむらの肩に手をかけて、異様に熱いその身体に驚いた。
そして。
次に続いたほむらの言葉にこそ、さやかは本当に驚かされたのだった。
「永久機関…………!」
「………………………………はぁ?」
驚きは驚きでも、こいつ何言ってんだ的な驚きだったが。
「愚かね。気がつかないの? 美樹さやか…………いえ、この場合、気が付かせてくれて有難う、と言うべきかしら? 美樹さやか」
そう。どうして今まで気が付かなかったのかしら、とほむらは立ち上がった。
立ち上がる意味が分からなかったが、たぶんテンションが上がったのだろう。居ても立っても居られなくなったのだろう。
「あたし達にも分かるように説明してよ。ていうか、予想を遥かに超えて元気なあんたの身体を説明してよ」
さやかはもう何がなんだかさっぱりだった。さやかですらそうなのだから、まどかなどはもう眼を点にして、どうリアクションしていいのか分からない体だった。
「だから、永久機関よ。ウロボロス…………あるいは、円環の理と言った方が、良く分からないけど良い様な気がするわ」
テンションを上げながらも、口調は何時もの淡々としたものだから、なんだか妙な迫力が醸し出されていた。ついでに、ほむらの妙な発熱現象については、きっと一生理解できないことなんだろうとな、と適当に解釈しておく事にした。生命の神秘を思い知った瞬間だった。いや、それほど重大なシーンでも無かったのではあるが。
ほむらは、長い髪を一度かきあげて、
「『鹿目まどか』よ」
「…………まどかがどうしたっていうのよ」
まどかなら、あんたの暴走で思考停止してしまっているんだけど、と声を大にして言ってやりたいさやかであった。
「いいえ、違うわ。字にだけ注目するのよ。かなめまどか。『カナメマドカ』。分かるかしら? 『カ』で終わっているのよ! これは素晴らしい発見よ! 一人しりとりで、ずっとまどかの名前を連呼出来る。これほど素晴らしい理がこの世にあ…………」
「散々引っ張っといてあんたって奴はぁ…………!」
「ほむん!」
さやかの崩拳がほむらの全身を貫いて、どんな力の慣性が働いたのか良く分からないが、宙を2回転くらいしてスタリと元の形に着地した。本当に不可解だった。
ほむらが妙なリアクションを取った気がしたが。
やはり、気のせいだろう。
今後一切、ほむらとはしりとりをしないと、さやかは堅く誓うのであった。
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