No.226994

真説・恋姫演義 北朝伝 第六章・第二幕

狭乃 狼さん

北朝伝、第六章の二幕です。

間も無くその戦端を開こうとしている、
月率いる洛陽軍と、韓遂率いる西涼軍。

続きを表示

2011-07-08 21:55:56 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:18039   閲覧ユーザー数:13206

 視界の中に映る一つの旗。それに書かれたその字を見た彼女は、ついにこの時が来たかと、心にわきあがる一つの衝動を抑えつつ、腕組みをしながらその口の端を緩めた。

 「ここに居ったんか、華雄」

 「……霞か」

 洛陽の城壁の上。彼女―華雄が立っていたのはそこだった。その華雄の下にやって来た張遼もまた、その視線を華雄と同じほうへ送る。二人のその視線の先、洛陽から少し離れた場所には、西にある函谷関から出陣してきた西涼連合軍二十万が、広大なその地を埋め尽くさんとばかりに布陣していた。

 「なんやずいぶん熱心に敵さんを見とるやん。……想い人でも居ったりとか?なーんて」

 「……」

 張遼のそのからかい気味な声が耳に届いているのかいないのか。華雄はそれに何の反応も示さず、ただ無言で、敵陣の中に立つ一本の牙門旗を見つめ続ける。蒼地に『龐』と書かれた、彼女が“良く知る”その旗を。

 「……何で黙りこくるねん。いつもやったらそこで、『ふざけたことを言うな!』…ちゅうて怒るくせに」

 「さあ、な。……それより霞。私を呼びにきたということは、戦の仕度が整ったということだろう?」

 「ま、まあ、そういうことやけど」

 「ならば行くぞ。目の前の“敵”を倒しにな」

 張遼の言葉をはぐらかし、華雄はその場からすたすたと立ち去る。

 「……なあ~んか、らしくない気がすんねやけど……気にしすぎかなあ?」

 立ち去る華雄の背を見つつ、どこか違和感のようなもの感じつつも、その華雄の後を追って歩き出す張遼であった。

 

 そんな二人が向かった先は、洛陽の城の謁見の間。そこにはすでに、洛陽太守である董卓を初めとした洛陽所属の将たちと、許昌から援軍としてやってきた李儒達が、すでにその顔を揃えていた。

 「おお、ようやく来おったか、華雄将軍」

 「申し訳ありません、命さま。それで、お話のほうはどこまで?」

 「もうほとんど終わっちゃったわよ。虎豹騎八万を本体として中軍に配置、洛陽軍を右翼、許昌軍を左翼に展開して出陣って言うところまでね」

 「……例の策についてもか?」

 「ああ。“船”の準備ももう出来ているそうだし、あとはあたしらがそこにむかうだけだそうだ」

 その馬超の言葉に、静かに力強く頷くのは馬岱と姜維、そして李儒と王淩の四人である。

 「けどほんまに命はんまで一緒に来るん?正直言って危険やで。なんといっても、今の長安は西涼軍の拠点なんやし」

 「そうですよ、命さま。もし命様になにかあったら、我々は一刀に対してなんと言えば」

 「なに、そんなに心配は無用じゃ。由も彦雲もおるし、馬超たちとて一緒なのだ。それに長安の城のことは、妾もよう知っておるしの。気遣いは無用じゃ」

 声をかけた姜維と徐晃のみならず、周囲からも向けられた心配げな表情をよそに、李儒はそう言って微笑んで見せた。

 「ねえねえ、司馬懿ちゃん。あの李儒って人一体何者なの?なんだかみんな、彼女のことすっごく大事に扱ってるみたいだけど」

 「……まあ、そのうちご本人からお話されると思いますけど、私からいま言えることは一つだけですね」

 「何だよそれ?」

 「……晋王様の、お后最有力候補の一人、ってことです」

 『……まじ?』

 「まじです」

 ぽかーん、と。司馬懿の何気ないその一言に、思わず呆気に取られる馬超と馬岱であった。

 

 

 

 時同じくして、その洛陽近くに布陣する西涼連合軍の本陣では、西涼軍の総大将である韓遂が、その配下である龐徳と、とある件について論議していた。

 「……龐徳将軍。もう一度確認するが、本当に大丈夫なのであろうな?」

 「あんたも本当に心配性だな。何度も言っただろう?姜の連中とはきちんと確約を取ってある。この戦の最中には、決して涼州には手を出さない、と」

 「……ふん。異民族どもの言葉など、どこまで信用できるものやら。今回のこととて、話をつけてきたのが貴様だしな」

 「……」

 「分かっているだろうな?え?“混じり物”よ。もしこれが偽りだった場合は」

 「(ぎりっ)……分かっている」

 あふれ出しそうになる怒り。韓遂の放ったその言葉に、龐徳はたまらず殴りかかりたくなるのを、奥歯をかみ締め必死で堪えた。ここでこの男に飛び掛っては、すべてを水泡に帰すことになってしまう。彼にとっての本当の主であり、大恩ある馬騰を救い出すためにも、彼はその、自身にとって最上の侮蔑というべき言葉に、心が引き裂かれる想いながらも、己が心に自制をかけるしかなかった。

 (……父上、母上。貴方たちの血を否定されてなお、この男に逆らうことの出来ぬ私をお許しください……。孝よりも、忠を優先させるこの親不孝者を……!!)

 その脳裏に、今は亡き両親の顔を思い浮かべつつ、拳を強く握り締めたまま、龐徳は心の中でそう詫びた。

 

 混じり物と罵られつつも、今は従うことしか出来ない己のふがいなさを。

 

 ところでその混じり物、という言葉の意味であるが、それはすなわち、漢人と異民族の間に生まれた、混血児のことを指す“蔑称”である。

 

 異民族が漢人を、もしくは漢人が異民族を、戦による“戦利品”として連れ去り、その結果生まれて来た子供たちは、その育つ場所によって扱われ方が大きく異なってくる。

  

 烏丸や匈奴、姜など五胡の地で育てられた場合、子供は等しく宝だとして、混血でないほかの子供同様大切に育てられる。生まれによる差別など無しに。だが、それが漢土となると、その扱いは全くの正反対となる。漢土では、古代から異民族に対する蔑視が根強く残っているため、混血児は忌み嫌われる存在とされているのである。そのため、彼らは混じり物としてどこに行っても蔑まれ、酷い者は幼いうちにその命を絶たれてしまう。

 

 そんな彼らの中にも、世間から容赦の無い迫害を受けつつも、運よく生き残って成人する者も少なからずいる。だが、一度混じり物と判明した者は、なかなかまともな職に就けることが無い。そのため、ある者は食うに困った末に賊に身をやつしたりし、またある者は五胡の地へと渡って、漢土を襲う側になる。そういった現実がまたさらなる差別を生み、混血児に対する迫害がさらに酷くなるという、そんな悪循環を生んでいるのである。

 

 閑話休題

 

 

 

 そんな自身の出自に対する屈辱に耐えつつ、韓遂との会談を終えた龐徳は、自身が率いる部隊が待機している右翼に戻ってきた。苦虫を噛み潰したような顔で戻ってきた彼を出迎えたのは、彼の右腕ともいうべき一人の少女だった。

 「お帰り兄さん。で?どうだったの、あいつとの話は。……何か感づいていた?」

 「ふっ。そんな筈があるわけないだろう?こっちの思惑に気づくような頭の回る奴だったら、端から反乱なんぞ起こしちゃいないさ。……だろ?蘭」

 「違いない」

 ふふふ、と。龐徳の言葉に笑って返す、緑色のその髪をボブカットにしたその少女。王双、字を子全。真名は蘭という。その小さな体で無双といわれる怪力の持ち主で、自身の背丈の倍以上ある大鉞(まさかり)を自在に操る、西涼軍では五指に入る実力者である。ちなみに、彼女は龐徳を兄と呼んでいるが、血縁者というわけではない。

 

 戦災孤児だった彼女をたまたま保護した龐徳が、彼女を自身の養女とした。王双も彼に良く懐き、保護者でとなった彼を兄と、そう呼んで慕っているわけである。

 

 「まあ、それはそれとして、だ。……どうやら向こうさんも、戦の準備が整ったようだな」

 「うん。どうやらうまいこと時間を稼げたみたいね。……ところで兄さん、気づいてる…よね?」

 「……まあ、な」

 王双の言葉に生返事を返しつつ、龐徳はその視線を東へと向けた。そこには、洛陽から出陣して軍を展開したばかりの、晋軍十八万の姿がある。そして、彼の視線は魚麟陣をしいている晋軍の最前列、先鋒の位置に立っている旗に向けられていた。

 

 紫の地に、『華』、と書かれたその旗に。

 

 「……やっぱり、生きていたんだな」

 「ま、あの人がそう簡単に死ぬとは、私も思っちゃいなかったけどさ。……むちゃくちゃ不本意だけど」

 「おいおい。ったく、なんでお前はそうあいつに冷たいかなあ?」

 「……分かってないならいい」

 「??」

 この超鈍感馬鹿兄、と。龐徳には聞こえないよう小声でつぶやき、ぷい、と。そっぽを向く王双。そして二人がそんなやり取りをしていたのとちょうど同じ頃。その対陣する晋軍の先鋒部隊では

 

 

 「……こっちが出陣するのを、ご丁寧に待っていてくれた、か。おそらくはあいつの手管によるものだろうな、ふふ。……変わりなさそうで良かったよ……狼(ろう)」

 少し懐かしそうに、安堵の表情をその顔に浮かべ、華雄はそう呟く。狼、と。龐徳の真名を、その口にして。

 実は華雄、その生まれと育ちが龐徳と同じ、西涼のとある田舎の邑なのである。しかも、龐徳とは幼い頃、その生涯を共にと誓った仲である。

 

 そして、このことは誰にも話していないが、実は彼女自身もまた、姜との混血児なのである。 

 

 姜族の母と、漢人の父との間に、華雄は生まれた。その彼女が生まれた邑には、同い年の一人の少年がいた。それが、華雄と同じ姜との混血児であった龐徳だった。そして、彼女たちはとある運に恵まれていた。それは、彼女たちの生まれ故郷である邑が、姜との国境に隣接していたこともあって、古くからかの地との交流が深かったことである。そのため彼女ら混血児に対する差別が、その邑ではほとんどなかった。そんな小さな、それでいて温かな邑で、優しい両親と村人に囲まれて、彼女らはその地で世間の真実の姿を知らずに育った。

 

 「……楽しかったな、あの頃は。ととさまやかかさまもいまだ健在で、狼と一緒に時を忘れて遊びまわったっけな……。いつまでもこの時が続くものだと、本気で思っていたものだ……十年前の、あの日までは」

 

 十年前。そのとき華雄たちの邑で、とある事件が起こった。その事件により、邑で生き残ったのは華雄と龐徳の“二人だけ”だった。だが、あの時邑で何が起こったのかを、華雄も龐徳も覚えていない。思い出そうとしても、頭の中に靄(もや)がかかったかのように、その日のことだけがどうしても思い出せなかった。

 

 その後二人は、それぞれの親族の下へと引き取られた。……混血児に対する世間の冷たさを、その引き取られた先で二人は嫌というほど味わった。それでも二人は歯を食いしばって、そんな世の中を生き抜いた。必ずまた、生きて再会しようという、あの日の約束を胸に。そしてその再会の日は、今から五年ほど前になされた。

 

 黄巾の乱が勃発して間もない頃、涼州での賊退治のさなかに、二人はひょんなことから再会した。ただ、龐徳がその時すでに王双を養女にしていたことを知った華雄は、「私というものがありながら幼女に走るとは何事だ!」とか、「婚約など今日この場で破棄してやるこの変態が!」などと叫びながら、全力全開で龐徳を追い掛け回してフルボッコにしたが。

 

 「……早とちりしたうえに、ああまで痛めつけてしまったからなあ……。狼の奴は笑って許してくれはしたが、蘭にはあれで完全に嫌われてしまったな……」

 その時の、全身包帯状態になった龐徳と、その彼を看病する王双の顔を思い出し、口の端をひくつかせる華雄だった。

 「……さて、と。いい加減昔のことを思い出すのはこれくらいにしておいて、と」

 先ほどまでの穏やかな表情を一転し、真剣な面持ちでその視線を北へと転じる。

 「……馬超たちが向こうについて、目的を達成するまでにどれほどの時間がいるものか……。後のことは、月さまと詠の采配にお任せするしかない、か」

 

 そう呟いた華雄の言葉通り、それから四半刻(約三十分)後。晋軍と西涼軍のその前面に、それぞれの総大将である董卓と韓遂が進み出た。

 

 戦前の舌戦が、間も無く開始されようとしていた。

 

 ~続く~


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
102
14

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択